5人目
意地をみせたいお年頃です。年中ともいいます。
キャラバンのメンバー集めは続く。ベイラーのミーン、ガイン、リク。そしてコウの4組が集まり、カリンは残る1組を決めあぐねている。そんなとき、城への帰り道で、キッスと出会った。山狩りの際に、班長であったワイズのベイラーだ。
「《……このまえぶり》」
「《キッスも、怪我はどう? 》」
「《まだ走り回るのには時間がかかる》」
「《そっか。洞窟の時はありがとう》」
「《……どういたしまして》」
自分との治りの違いを再び感じながらコウが礼を述べる。
キッスは、縄を作り出す『サイクルロープ』の更なる発展として、『サイクルネット』を作り出すことができる。編みこんだ縄をさらに掛け合わせてできるソレは、柔軟性と強靭さを兼ね備えた網であり、以前、落下する2人のベイラーを受け止め、傷一つなく着地させたほどの物である。
「キッス、貴方の乗り手は? 」
「《……稽古、してる》」
「稽古? なんの? 」
「《……剣と組打ち……ワイズの日課》」
「そうなの。いまはどちらに? 」
その問いに答えようとするも、一瞬虚空を眺めて、会話が止まる。キッスは首を何度もかしげて、回して、また反対にまわして、ぐわんぐわん頭を動かしている。
座り込みながらおこなうその動作につられて、コウも一緒に首を回す。お互いに5周ほど世界を回した頃。カリンがストップをかける。視界が揺れるのを良しとしなかった。
コウを置いてけぼりにしてさらに首をまわす。そうして20周はしたころ、ようやく口を開いた。
「《……止められてないから、いいか》」
「どうしたの? 首いたくならなくって? 」
「《……大丈夫。ワイズはここから道を外れて、森の手前に》」
「ありがとうキッス」
「《……きをつけてー》」
感情の起伏が薄いやりとりを行いながら、カリンがコウを歩かせる。夏本番も間近というところで、ここゲレーンの景色は、深緑で満ちていた。畑も青々と茂り、収穫高も恵まれるだろうと期待も高鳴る。この国にきて一年が経とうとしているコウは、その景色の変わり方に唖然としている。この地で生まれ、すぐに嵐が来て、冬が来てと、夏のゲレーンを細かく見る暇はなかった。今や動物たちも森や川に戻り、その営みを取り戻している。ふと、川に住んでいた動物のことを思い出した。
「《ミルブルス、もう戻ってきてるかな》」
「この前お乳をもらってたわ」
「《じゃぁ、ミルフィーユが食べれるんだ》」
「そうゆうこと! あれから食べれなくって! 」
「《お菓子ってどこでも嗜好品なんだな……》」
そうえば、カリンはどんなお菓子が好きなのか。それを口に出そうとした時だった。
ガキンと、耳残りのある不快感のある音が森から聞こえてくる。それは明らかに動物が出す音ではなく、人間でしか出せない共鳴音。その音を聞いて、カリンは、自分も混ぜてはくれないだろうかという願望が出る。武芸を嗜む者ならその音だけで何が起きているのか把握できた。その思想も、コウに入ってくる。
「《稽古の音? 大きいね》」
「張り切ってるわね。『本物』でやってるわ。しかも練習相手がいる」
「《本物? 》」
「木剣じゃない。本物の鉄の剣。刃は潰しているでしょうけど、当たったら大変よ。なにせそれ相応に重いのだし」
「《あれ、それって大丈夫なの? 怪我とか》」
「と、とりあえず様子見しましょう。そうしてから考えます」
「《自分が混ざりたいんじゃなくて? 》」
「考えが透けてるからって口に出さなくてよろしい。ほら行く! 」
「《なんだがなぁ》」
コウが駆け出して樹海とも言えるような森に入る。虫たちがコウを認めて飛び去り、たまにコウの体に不時着しては休んでいる。
やがて、森が途切れた場所にでると、再びの金属音。男性が2人。相対しながら、剣を交えている。1人はキッスの乗り手であるワイズ。片手の剣を手首で右へ左へまわしながら、相手の剣をさばいている。その手並みに淀みはなく、相手は何度もいなされてしまっている。
ワイズの相手というのが、剣の素人であるコウでさえ、動きがよくないと判断できる腕前だった。
ワイズの構えは、膝をまげ腰を落としながら、片足はつま先で立っている。すぐさま動きに移れるような構え。安定感もありながら、行動そのものにメリハリがあり、キレがある。事実、相手の攻撃すべてに対応しきっている。
対して片方は、全身を使い剣を振り抜いている。剣速こそ早いが、その際、腰は上がりきり、剣に体重を載せすぎて、振り抜く際のバランスが寄っている。安定感があるとは言えなかった。
幾度目かの剣戟を見て、カリンがその相手に気がつき、今度こそ驚嘆する。
「オ、オルレイト!? 」
カリンの声を聞き、ワイズが剣を止める。さばいている最中に動作をやめたために、当のさばかれていた相手、オルレイトは勢いがあまって前につんのめり、無様に倒れてしまった。ワイズが倒れたオルレイトを立ち上がらせながら声をかける。
「これはこれはカリンさま。コウさま。ご機嫌はいかかですかな? 」
「健やかよ。でもどうしたの? こんなところで」
「稽古をつけていましたが……キッスが場所を話しましたかな? 」
「《あー、はい。隠すこともないって言ってましたから、てっきり見に来ていいのかと》」
「ゼェ……ハァ……ゼェ……は、話が、ちがいますよワイズさん……」
「いやぁ、すまん。あいつはその、なんだ。少し雑なとこがあるから」
息を切らしながら、オルレイトが立ち上がる。転んだのは一度や二度じゃないようで、すでに土にまみれていた。
「どうしたの? 突然剣の稽古なんて。病気の体で無茶をしすぎでなくて? 」
「ゼェ……ハァ……大丈夫です……今日は、調子が……よかったので……」
「ワイズもダメよ? オルレイトは病人なんだから」
「そ、それが」
「ワイズさんは、僕の、願いを……聞いてくれただけです……悪くありません」
「もう。じゃぁなんで突然稽古なんて? 」
「それは……僕も、剣の扱いひとつくらいおぼえようかなと。キルクイの件が、ありましたから」
「……気にしなくっていいのに」
オルレイトの家。ガリットレーサー家は、武芸に秀でた家系であり、その屈強な肉体から繰り出される斧術は、たとえ盾で防いでも盾ごと潰されてしまう程の物だ。
それを弟のバレットは見事に習得し、先日もその鍛えた体でキルクイらを撃退せしめていた。対してオルレイトは、レイダが起きていなければ、今こうして生きているか分からない。
「ゼェ……片手の剣だけでも、扱えるようにしなくて、どうします」
「片手ね……ワイズ。剣をお借りしても? 」
「《だから混ざっちゃダメだってあれほど! 》」
「一回だけよ。それに、こういうのは体で覚えたほうが早いのよ。……たぶん」
尻すぼみなのは、自分の姉のことを思い出していたからであり、その姉であるクリンは、一度見るか聞くかするだけで、剣技に限らずに己の物にできる、まごうことなき天才である。何度も経験してようやく習得できるカリンにとって、それは羨望よりも、なぜ自分はできないのかと、自己批判をし、それを事あるごとに繰り返していた。今も、こうして教えるのは姉の方がよいのではないかと逡巡している。だが心中穏やかでないカリンとは裏腹に、オルレイトはその体が嘘のように軽くなったのを感じていた。
「姫さまさえよければ、是非! ゲッホ」
「い、いいの? 」
「もちろん! 」
オルレイトにとって、幼い頃から知る、何事にもひたむきでがむしゃらに物打ち込むカリンは、憧れであり、目標であった。それは武芸にもおよび、弟のバレットが稽古に打ち込んでいる間、自身の病弱な体が恨めしかったかわからない。バレットも、腕を上げればいつかカリンとの稽古ができると期待していた節がある。その弟より先に、カリンと稽古ができると知り、その事実に、体は喜びで打ち震えていた。今にも肺は引き裂けそうだが、そんなものはこの喜びに比べれば虫のひと噛みより小さい。
「一本勝負で。カリンさま。刃は潰してありますが、お気をつけくださいませ」
「ああ、この剣ね、私の得意なものよ。ありがとうワイズ」
カリンがワイズから剣を受け取る。真っ直ぐに伸びる直刀。その刃は片刃で、刃渡りは70cmほど。握りしめた柄の長さは30cm。カリンの体には少々大きめのこの剣こそ、この国の軍人皆がもつ刀。
対して、オルレイトの持つ剣は片刃ではあるものの、湾曲しており、一回り小振り。体格差も相まって獲物を取り替えたほうがよいのではないかとすら思える。そして、カリンは足を肩幅に広げ、その自分の体に合わぬ刀を肩に担ぐ形で支えた。コウの剣戟の際に用いる構えと同じである。オルレイトの方は、膝を曲げて前傾姿勢になりながら、上体を前へ前へと持っていく。それは、すぐさま駆け出せるようにする準備姿勢。
両者の構えには共通点がある。足裏は踵があがり、どちらの足も踏み込むことができることだ。そして両者とも、お互いの動きを、音を、一瞬の隙を見逃さぬように研ぎ澄ます。
カリンの肩に担がれたその刀は、そのまま振り下ろされるべくして佇んでいる。その威力と速度こそ筆舌に尽くしがたいが、問題もある。その動作はあまりに読みやすく、避けやすい。また、先に仕掛けられたときは、防御の姿勢を取るのに手間取る。カリンはよくコウに乗り込んでブレードを使う時もこの構えを行っている。それは自身が一番扱っている構えであると同時に、先手を取るための構えでもあり、この構えをするときは、毎回先に斬りかかっている。
だからこそ、小振りで小回りの効くオルレイトの剣を生かすためには、カリンよりさらに先に仕掛ける必要があった。獲物の大きさの差はそのまま防ぎやすさに直結する。カリンの刀で防御に徹せられば、突破は難しい。一本勝負を制するには、振り下ろされる前に、または、振り下ろすよりも先にこちらの攻撃を届かせねばならない。
構えの意図を理解して始まった動作の起こりは、オルレイトから。曲げた膝が解き放たれ、長身の体を躍動させる。小振りな剣はその勢いを十二分に受け、真上から振り下ろされる。
勝負事に真剣にならなければ、こうして稽古を申し出てくれたカリンに申し訳ないと、全力で振り下ろしたオルレイトだったが、カリンの行動をみてほんの一瞬、後悔する。
カリンはその動作の対応として、何もしないように見えたのだ。避けるなら、足を使いその場から離れるか、その刀を使うために振り上げるかしなければならないというのに、まるで動かない。そんな後悔などう打ち消すかのような、重く響く金属音。
カリンはその一撃を防ぎはした。しかしその動きは、オルレイトの想像に及ばないものだった。
今の一撃にあわせ、膝と腰を使い一気に体を『下げた』。足踏み1つしない静かな動作によって、カリンの頭上に来るはずだった剣はズレる。しかし、振り下ろされた剣の勢いそのものは消えていない。頭上に落ちるか、それより手前の腕にあたるかの差になる。
その差を、カリンが担いだ刀。その有り余る長い柄で落ちてくる剣を弾くことで埋めた。ごく一点のみで防御を行うために、片手を起点にし、天秤の要領で重い刃を下に、軽い柄側を上に動かした。ただ弾くだけなら、そのわずかな動作でよかった。
はじかれた小振りな剣は、標的を失いさまよう。同時に、オルレイトの体もまた力の頂点をずらされて行き場を失う。
そこにできた明確な隙を逃すほど、カリンは容赦をする人間ではない。
背中に回った刃を、下げた腰と共にあげていく。大きな曲線を描き、そのまま、オルレイトの首へと吸い込まれるように収まる。その寸前に、潰された刃が止まった。
オルレイトから、そしてカリンから、汗がひと筋。見守るコウに至っては、なにも言葉が出てこなかった。しばらくの静寂を破ったのは、ワイズの声。
「……そこまで」
刃を収める両者。潰れた刃とはいえ、当たれば打撲以上の怪我となる。
「……余りにも遠いです。姫さま」
「いいえ。一目で私の構えの利点と不利を見抜いて仕掛けたのです。上出来ですよ」
「ありがとう、ございました」
「はい。こちらこそ」
オルレイトが剣を離して手を差し伸べ、カリンもまたそれに応える。
ほんの一瞬。ほんの一瞬だったのにも関わらず、今日何よりも充実した時間だったと。オルレイトが心の底から思ったとき、カリンが口にだした。
「オル。キャラバンの話はご存知? 」
「キャラバン? ああ、招集の。今年の王は誰をお伴に選ぶのか父上が気にしていましたね」
「私も、キャラバンを持つことになったの……貴方さえよければなんだけれど、どう? 」
「……どう、とは? 」
自身が胸に抱いた期待を、幻想であると決め付けて、確認の為に言葉を投げかける。そんな意図ではないのだと、自分に必死に言い聞かせるために放った言葉は、圧倒的な、それでいてちいさな確信をもってして押し流される。
「私とともに、帝都へ来てくださらない? 」
「……よろ、しいので? 父上でもなく。弟のバレットでもなく」
「ええ」
あげ連ねた名前ではなく、自身の名が上がっていることに、自身がこうして誘われていることに、頭で感激しすぎて体が反応しきっていない。だがそれもすぐに声となって出る。押し流された言葉が、形を変えて戻ってくる。
「それは、もう、喜んで。喜んでお伴します」
そのままオルは膝を地につけ、カリンの手を取る。
「稽古の後にすることじゃないわよ? 」
「よいのです。私がこうしたいのです。姫さま」
「止めはしないけど……」
「このオルレイト・ガレットリーサー。姫さまを御守し、いくばくかのお知恵をお貸し出来るかと思います。どうか、旅の終わりまでお伴させてください」
「……ならばオルレイト。顔をあげなさい」
「はい」
頭を垂れたオルが顔を上げる。
「よしなに。オル」
「はい!! ――ゲッホ!? ゲッホ!?!? 」
今の今までどれほど溜まっていたのか、オルが咳き込み始める。その背をさすってやりながら、柔らかな笑顔とともにカリンがそこにいた。
「もう。せっかくかっこよったのに」
「申し訳ありまゲッホ!??! 」
思わず片手で体を支えながら、咳き込みを続ける。さする手をはねのけ、「そのうち収まるので」といいたげな右手で制した。
ここで見守りに徹していたコウが口を挟む。心中、オルレイトが同行することに、自身で理由のわからない焦燥を感じながら、提案を口にする。
「《……オルレイトさんがくるってことは、レイダさんもか。ああ、でも、ワイズさんは? 》」
「ええ、いまからその御話も」
「私は、辞退しまする。姫さま」
ワイズは、オルレイトと違い膝こそつなかったが、その頭はさらに深く下げられていた。
「……理由を、お聞きしても? 」
「もうすぐ、娘が出産するのです。冬の頭にはもう孫の産声があがるころかと」
「まぁ!? それは……そうね。誘えないわ」
再び、決闘で事を運ぶことになるかもしれないと思ったコウは、カリンの返事にいささか疑問を持つも、すぐに考え治す。これは、ミーンの時と違い、これは決闘で勝ったとしてもお互いに遺恨が残る物だと、カリンは判断していた。
「この場は、無礼と思われようとも、御断りしたく」
「いいのよ。……でも、ワイズの貴方奥様ってどんな人なの? 」
「アネットと申しまして。私めと同じ、ベイラー乗りであります」
「アネット……アネットって! 」
「《シーシャの乗り手さんだ!? 》」
「おや、シーシャもご存知でしたか」
冬の街道を整える仕事でよく一緒になったシーシャ。コウは共に雪合戦をした仲でもある。遊びだけでなく、盗賊との一件でも、カリンはシーシャの乗り手、アネットと深く関わっていた。
「去年の冬、大変世話になったのよ。でも、そう。娘さんが……元気なお子様が生まれてくると良いわね。共にあれると良いわ」
「それは、もう」
「《ワイズさん、おじいちゃんだ》」
「ははは。そうなりますな」
ワイズが照れくさそうに話す。キャラバンに誘えそうにはなかった。サーラを経由して帝都にいくのであれば、1ヶ月以上かかることになる。そうすればゲレーンで冬がくるころに、トンボ返りで帰ってくるというのは出来る話ではない。
「そっか。しっかり傍にいてあげるのよ」
「それは、もう」
ゲレーンで新しい命が生まれることに祝福しつつ。キャラバンのメンンバーもこれで集まった。
10組。ベイラーが5人。乗り手が5人。カリンだけのキャラバンが、揃うこととなる。そして、その数日後。帝都へむけ、一向が出発する。緑がまだ深い夏の中旬だった。
 




