山狩りベイラー
山にひとりで行っては行けません。それはベイラーも同じことです。
バイツの家の修繕は、予想以上に早く終わった。外壁以外は破壊されなかったこと。内部を食い荒らされる前に事が終わったことは、大きな要因だった。
サコを育てる畑も無事であり、逃げ出したラブレスも、数を数えれば、すべて戻ってきている。ガリットレーサー牧場には、平穏が一瞬だけ訪れた。
「山狩りである!! 」
キルクイたちの強襲から3日後の朝。バイツの雄叫びが、それをかき消す。
「すでにアリモノキルクイが山から降りてきている。あれから更なる被害は出ていないが、山でなにか大きな異変があるとみて間違いはない! クチビスがいればその場から追い出し、キルクイなら、その場で潰してしまっていい!」
20人の軍人と、そのベイラー。さらにそこに2人の男女が聞いていた。1人が苦言を呈する。
「こっちの都合で潰していいなんて、身勝手じゃないでしょうか。姫さま 」
「しょうがないもの。 キルクイの御飯にはなりたくないでしょう? 」
「それは、そうです」
カリンとオルレイト。後ろにはコウとレイダが控えていた。
「日が暮れる前には山を下りること! こちらから狼煙を上げる。狼煙が上がったら、必ず下山すること。夜の山は危険極まりない! 決して深入りもしないこと! いいか皆! 」
「「応!! 」」
「そして、今回は、コウと、レイダが共にいてくれる! 心強いベイラーだ! 」
バイツの言葉に、わずかながらざわめきがおこった
「レイダ起きたのか」「コウって、姫さまのベイラーだろう? どうしてここに」
「でも、パームってやつを捕まえたのはコウだって話だ」
端々から、レイダ復活の喜びと、コウの存在を疑問視する声が聴こえる。咳払いがひとつ響き、場が静まる。
「コウは、私の屋敷を守ってくれた恩人である。さらには、姫さまのベイラーである。 それでも不満のあるものはこのバイツが聞き入れよう。そのような者がいるなら、前に出ろ!」
バイツの声が全員に聴こえる。そして、まえに出るものはいなかった。
「では、2名を護衛に回し、18名を事前の班分け通りに。全員、準備が出来次第出発! 」
軍人が、各々の荷物のチェックを行い始める。カリンとオルレイトも、例外ではない。
「最低限の水、食料。タオル。松明と、地図にあとは……薬。包帯。コウ、狼煙が見えたらすぐに下りるのよ」
「《わかってるよ……なんだかワクワクしてない? 》」
「そ、そんなことないわ! 遊びで行きたかったなぁとはおもったけど」
「《今の時期は花も綺麗だろうしね》」
「そう! そうなの! きっとたくさん咲いてるわ! ……」
「《……カリン》」
「だ、大丈夫よ。ええ」
カリンがばつの悪そうな顔をしつつも、荷物をまとめる。そこに、軍人が一人寄ってきた。角刈りで、顔に大きな傷がある。厳つい男だ。手にはなにやら袋をもっている。
「姫さま。山はどこまで入ったことが? 」
「中腹以上はいったことないわね。それがなにか? 」
「ではこちらを。高処では息が苦しくなります。苦味は強いですが、そのような症状に、よく効く薬でございます」
「そうゆうものがあるのね。ありがとう。いただくわ」
「今日は、共に山を上れて光栄でございます。」
「ええと、貴方は……」
「ワイズ・ミリンダと申します」
「ではワイズ。今日はよろしく」
「ハッ! 」
ワイズと名乗った軍人が、その場を離れる。今日の班分けで一緒に人だ。その3人の内の1人は、バイツの息子、オルレイトだ
「ワイズさん。今日はよろしくお願いします」
「乗り手になってまだ日も浅いというのに、大丈夫かね? 」
「レイダの経験と、僕の知識で、役にたってみせます」
「頼もしいこいとだ。期待するよ。キッス! 荷物を頼むぞ」
「《……任せな》」
大仰な荷物をもつ、女性の声をした、物静かなベイラーが1人。ワイズのベイラー、キッスが応えた。そこにコウが入る。コウ以外は全員緑色をしていた。キッスが並ぶと、同じ緑でもレイダの色味が違うのがよくわかる。
ワリズが号令をかける。
「では、ワイズ班、これより出発!! 」
ワイズ班による山狩りが、始まった。
◆
重い足音があたり一面に響いていた。
「山って涼しいのはいいけれど……暇ね」
「《そ、そう? 》」
「どうしたのコウ? 」
「《いや、その、見るもの全てが珍しくって》」
「貴方、山に入るのは二度目だったものね。それも、穏やかな方だった」
「《ここはちがうの? 》」
「住んでいる動物も、虫も、人からすれば怖いのばかりね。もちろんおとなしい子もいるけれど」
「《それは、そうなんだろうけどさ》」
「僕、実物は初めてみました。本で知っていたけれど、まさかここまでとは」
「《あまり見ようと思ってみれるものではありませんからね》」
ワイズ班は、順調に山を登っていった。コウの想像では、一面緑で、特におもしろみもない光景が続くものだとおもっていが、その想像は、半分はあっていたが、半分は正しくなかった。
木々がつけた花の蜜を、あふれる樹液を吸いにくる虫。
木の実を齧りに、巣を作りに枝を集める鳥。
縄張りを示し、争う獣
森の中では、生き物たちがその営みを、人間の何倍もの数重ねていた。
そして今、コウ達は立ち往生をしている。生き物の営みに巻き込まれて。
「……お尻を叩いたら早くなるのかしら」
「《無理じゃないかなぁ》」
「貴方が叩いてみる? 」
「《踏み潰される以外ないとおもうけど》」
「まぁ、そうなるでしょうね。ここ、やけに開けているけど、やっぱりなんどか踏んづけてるのかしら」
「《草だって、あれに踏み潰されれば、もう一回生えようっておもわなくなるんじゃないかな》」
「そうかもしれないわね」
途中まで、ワイズ班は順調だった。ただ、今はこうして待ちぼうけをくらっている。重い足音が再びなる。コウたちの目の前を、ゆっくりと進んでいた。
ゲレーンタルタートス。山に住む爬虫類で、背中には甲羅がある。亀のような外見をしている。大きく違うのは、首と、頭部がない。穴から見える二つの、まぶたのない目が、特徴的だった。その大きさは……30m。全高はさらに高い。
「《頭がないんだね》」
「顔はあるんだけどね。不思議よね」
「《あと、もしかしなくても俺、アレに乗れるよね? 》」
「乗れるでしょうね。でも貴方が歩くよりずっと遅い」
「《なんで追い払わないのさ》」
「あの子が道を作ってくれてるから、私たちはこうして山を登れてるのよ」
「《……まって。じゃぁ、いままで来た道も全部? 》」
「このあたりに住むタルタートスが作ったんでしょうね。何年もかけて」
「《気が遠くなるな》」
「このあたりの山に、最低一匹づつはいるそうよ」
「姫さま! そろそろ水を集めます! 」
「よくってよ。 すこしだけお待ちになって」
最後の後ろ足が、たっぷり時間をかけて持ち上げられた。その足をくぐるようにして、コウたちが歩いていく。タルタートスの体の下は、不思議と濡れており、水が滴り落ちてきた。
これが待っていた理由だ。タルタートスの体、その表面には、水を蓄える細かな凹凸があり、つねに湿っている。この生物は雨水に含まれる、人間にとっては不純物の塵やゴミを取り込んでいる。頭がないのではなく、この生物には口がないのだ。
冬になり、大雪の降る季節になると、この生き物は活発になる。彼らにとって雪はご馳走だ。夏の、不安定な気候に耐えるために、たくさんの雪を身に受ける。
そして、水源の乏しい山では、人間にとってタルタートスは、良い水の補給場所にもなる。タルタートスの体を通った水は、ろ過された状態でになっている。真水になっているのだ。このような生態のタルタートスの甲羅には、様々な生き物の良い休憩場所であり、鳥や虫もよくあつまってくる。
「必要最低限いただきましょう。といっても、全部とれるようなことはないんだろうけど」
「すぐ飲まないでください。一度沸騰させておかないと」
「あら、いまのままでも飲めそうなのに」
「タルタートスの上で死んだ生き物の死骸からとれた水かもしれないのです。ろ過されてるとはいえ、何があるかわからない」
「……なるほど。それは危ないわね」
「ワイズさん、一度ここで集めた水を飲めるようにしておきたいのですが、どうでしょうか」
「オルレイト様、いい考えです。どうせまだ立ち往生するのですし、ここでやっておきましょうか。軽食もとりましょう。おーい。鍋をだしてくれ! 」
「《……わかった》」
巨大な亀の脚元で、キャンプまがいのことが始まった。ベイラーたちから木屑をあつめて、種火を起こし、鍋に先ほど集めた水を入れる。キッスがやたらと大きな荷物を背負っていたのは、このような雑務につかう道具一式をもっていたからであった。
水の入った鍋を火にかけ、沸騰するまで待つ。ひとりの乗り手が火の番と、軽食摂る。その間に、他のベイラーたちは交代で周りを警戒する。
各々が持ってきたパンや干し肉を食べている間、巨木が音を立てながら、タルタートスの体にあたって倒れていく。
カリンが火の番をすることになり、コウから降りて、軽食を取る。いつぞやコウと食べた、木の実の入ったパンだ。火がきえないように、大きな鍋の水が沸騰するまでの時間、少しづつ食べていると、見張りに立っていたオルレイトがうろたえた声をだした。レイダも、こころなしか声が強ばる
「《オルの坊や、手をだしちゃいけないよ》」
「ひ、姫さま、どうか慌てずに。ワイズさんも」
「どうしたのオルレイ……ト……」
カリンが、その手にもったパンを落としそうなりながら、それでも、やって来た生き物から、目を背けられずに硬直した。
「コウ、絶対動いちゃだめだからね」
「《何がどうしたって……》」
のそり、のそりと、ベイラーたちの脇を通って、その生き物はやってきた。7mの巨体であるベイラーを見ても動じず、かつ、人がいま火を扱っているというのに、まるで恐れず、悠々とした歩みでそこにいる。
馬のような体。大きさも変わりないが、その毛並みは長く、白い。その目は紅く、スラリと伸びた四肢が、この緑の山でよく映える。頭には、刃のように鋭くなった角が2本、後方へ伸びている。角は、その目と同じように紅く、また宝石のように透き通っている。
はらりと落ちた葉が、その角に触れた。瞬間、ぱっくりと音もなく裂かれる。その角の切れ味を目の当たりにして、だれもが息を呑む。
来訪者は、その炎に身を寄せると、おもむろに脚をたたんでその場に座った。首の届く範囲で、草をむしり始める。どうやら、この来訪者のお気に入りの食事場らしい。一帯が開けていた理由がこれであった。
「《 (……どうするんだろ。このまま去ってくれるのを待つしかないのか) 》」
来訪者が一通り草を食べ終え、角を蹄で研いでいると、鼻をヒクヒクとさせる。その匂いの先には、カリンの持つパンがあった。
たたんだ四肢を伸ばし、カリンへと近づく。静かに頭を下げて、その香りをたどった。やがて、その紅い目が、カリンの瞳とぶつかる。
すると、カリンはパンを丁寧にちぎり、葉を皿にして乗せた。その来訪者へと皿を差し出す。
「よければ、どうぞ」
異様な雰囲気を醸し出す来訪者へ、パンを差し出した。しきりに匂いを嗅ぎ、それが食べられるものであり、かつ毒でないことが解ったのか、そのパンをを器用に平らげた。
ブルブルと首を震わせ、蹄をならす。鍋に水がはいっていることがわかっているのか、その水を飲もうとする。しかし、すでに水は沸騰が始まっていた。
「だ、だめよ! コウ! 鍋を」
「《わ、わかった》」
傍にいたコウが、その鍋を持ち上げる。来訪者から鍋を取り上げたような形だった。
その行動は、コウ達にとっては、来訪者を気遣ってのことだが、当の本人はいい気はしなかったようだ。鍋を取り上げたコウに、その目がむく。蹄を鳴らし、土を蹴った。その角を、コウにぶつけようとする。切れ味は、先ほど見たばかりだった。
「《ま、まずい》」
「コウ! 鍋はいいから! 」
手にした鍋を無造作に放り捨てて、転がるようにして回避する。体が土まみれになるが、それでも、あの刃に切り裂かれるよりはずっといい結果を招いた。
背の高い草や、人の大きさほどある木は、一瞬で両断され、その命を終えた。樹木にあたっていても、結果は変わらなかっただろう。
来訪者はすぐさま振り返り、再びその角の威力を見せようとした時。
カリンが、自身の持つ水筒をもって、来訪者に近づいていた。
「今のは、貴方の喉を焼かぬようにしたため。お飲みになるのならこちらを」
木でできた水筒を、下を持って掲げるようにする。すると、来訪者は、その物体がなんであるのか理解しているようだった。近寄って、おもむろに首を振る。
鋭利な角は、そのひと振りで、水筒の蓋を切り裂き、中から水が溢れる。切り裂かれた部分は、そのまま宙を舞った。もし持ち方を誤っていれば、カリンの指は土に還っている。
来訪者は水をこくこくと飲み始める。
紅い角を持つ白い獣が、少女の掲げる盃から水を飲む姿は、見る者を魅了するほど、異様で、異質で、しかし美しかった。
気が済んだのか、水筒から口をはなし、また首を振るう。カリンは微動だにせず、来訪者と見つめた。紅い角は、カリンの頭をかすめることもなく、ただ身守る以上のことができないワイズたちをほっとさせる。
やがて、来訪者が歩き出し、さきほどコウが捨てた鍋へと近寄った。沸騰したてでまだ湯気が経っている。長い毛並みに、水滴がついた。鼻先を近づける。匂いを嗅いでいるようだった。
しばらくすると、再び、来訪者がカリンの元へと戻ってくる。今度は、カリンへと鼻をむけ、しきり匂いを嗅いだ。
「――」
「《カ、カリン》」
「大丈夫よ……大丈夫。邪魔をしてしまってごめんなさい。すぐ去りますから」
カリンはその行為を妨げず、なすがまま来訪者の好きにさせた。体を硬くしながらも、決して目をそらさない。
来訪者はカリンの香りを嗅ぎ終えると、今度はタルタートスへと向う。その鋭い角で、突如として後ろ足を大きく斬りつけた。薄いピンク色をした血液が、あたり一面に飛び散る。巨大な、うめき声のようななにがか響き渡った。
「GOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOONNN!!」
「《な、なにをしたんだあいつ!? 》」
「《コウ様! 踏み潰されたくなければ離れてください! オルの坊やもぼさっとしない! 》」
「わ、解った!」
「な、なんでタルタートスを? 」
「《そんなことはあとだ! カリン! 中にはいって! 》」
「え、ええ! 」
「ワイズ班! 退避だ! 」
「《……退避》」
ワイズの指示と、レイダの檄が飛び、みなタルタートスから離れる。巨大な脚が1歩、2歩と動いて、地響きを伴ってこの地に足跡をつけた。甲羅で休んでいた鳥たちは突然の移動に驚き、羽が散るのも構わず飛び去り、水を飲んでいた虫たちがその衝撃で気絶し、地面へと落ちていく。
「《あだ! だだだだだ! 》」
「うぁ! 甲虫の一種かな? 図鑑にのってるのと形が違う」
「《わかんない子だね坊や! 後におし! 》」
降り注ぐ虫達の詳細が知りたいオルレイトをレイダがたしなめつつ、その場から退避する。
地響きと鳥たちの鳴き声とが収まった頃、タルタートスが二歩も進んだことで、ふさがった道が空いていた。その先に、さきほどの来訪者が佇んでいる。今の騒動で、運悪くその獣の上に落下し、哀れにも両断された虫たちが転がっているだけだった。これ幸いと切り裂いた虫を食べているのが、賢いと言えば賢い。
ただ、カリンはその食べている虫をみて別の感想をだしていた。
「あれ、クチビスだわ」
「ひ、姫さま、見えるのですか? 」
「え、ええ。目はいい方なの。でも、クチビスが山から降りてきているって話だから、私たちは山に登ってきたのに、またどうしてこんなところに」
「おかしいといえばおかしいですね」
「《……姫さま、アレは、道を開けてくれたということなのでしょうか》」
「そう、思えるわ。わざわざタルタートスを怪我させてまでこの先に導いてくれているのだもの」
「《カリン。あれは一体なんなんだ? やたら切れる角といい、まるで火を恐れないとこといい。普通じゃない」
「あれは、……リュウカク」
「《リュウ?……龍の名前がついてる動物? 》」
「ええ。あの紅い目と角は、遥か昔に、龍の力を分け与えられた獣の一種類だと言われているの。とくにその角は、あの龍の牙の力を分け与えられてる。切れ味だけじゃない。あの角は折れずに曲がらず、斬れないものはない。」
「《……とんでもないな》」
「ほんとに珍しいのよ。人の前には姿を現さないし」
「それに、会った人間が帰ったことはありません」
オルレイトが続けた。
「《帰ったことがない? 》」
「ただ触れただけで切り裂かれるあの角に触ってしまって、山で亡くなる方がいるのです。ですから! 本当にもう! 姫さまも無茶をする! 斬られたらどうするのです! 」
「で、でも、優しい目をしてたのだもの。大丈夫って信じていたのよ」
「《ところで、みなさま。リュウカクの様子が、どうにもおかしいです。あれではまるで……》」
道の先で、リュウカクはこちらをじっと見つめている。まるでこちらを催促しているようだった。
「《……誘導》」
「《ついてこいってことなのかな》」
「ワイズ。この先の道ってどのようになっているかわかって? 」
「なだらかな道です。しかし、クチビスが見つかった以上、これより奥にいくのは……」
「意味があるとおもえなくって? 」
「意味、とは、あのリュウカクが我々を導こうとしていることにですか? 」
「ええ。だって、私たちを切り裂くならもう切り裂いているはずだもの。わざわざタルタートスを退けてまで、私たちを案内しようとするのには、なにかあるとおもわなくって? 」
カリンが、ベイラーごしにワイズと話す。危険を犯すべきか、それとも、この不可思議な状況を確認するべきか。
ワイズの決断を、皆が待つ。
「……そうですね。私も、龍の眷属とことを構えたくはありません。ですが! 軽食ではなく、昼食を全員とり、水分をとってからです! 薬も飲んでいただきます!これから先は何が起こるかわからないのですから! 」
「ええ。そうするわ……ところで、申し訳ないのだけど、お水を分けていただける?」
「でしたら、僕のをお使いください。まだたっぷりありますから」
「ええ。ではよしなに」
ワイズ班は一同、水を飲み、軽食をとっていなかった班員も全員とり、十二分な休憩をとった。
「……これを、飲むの? 」
「はい」
「正気? 」
「いたって」
カリンが、出発の際受け取った薬をみて思わずワイズに苦言を呈した。その薬は、粉薬であったが、あまりにも毒々しい紫色で、さらには鼻をつく刺激臭がする。
「高山病の予防となります。息切れ、動悸が起きにくくなります」
「その、起きてからではダメなの? 」
「ダメです」
「そ、そうよね。予防だものね」
「姫さま、お水を」
「あ、ありがとうオルレイト」
「では、受け取ったのですからお飲みください」
「計ったわね!? 」
「薬は苦いものです。長年飲んでいるのですから間違いありません」
「貴方の場合笑い話じゃないのだからおよしになって」
ぷるぷると震えながら、水をまず一口。そのあと、薬を流し込み、むりやり水で蓋をする。強烈な匂いのために鼻を思わず塞
「――ッ! ――ッツ!! 」
「姫さま、大丈夫! 大丈夫ですから! 」
あまりの苦さに、思わず暴れだしたカリンをオルレイトが抑える。身長差こそあれど、少々部が悪かった。
顎へそれなりの強烈な一撃がはいり、その膝を折る。
「――はぁあ! にっが! なんて味なの! 信じられない! 」
「では、行きましょうか。それから、カリン様。オルレイト様に労いの言葉を」
「はい? なぜです? 」
「後ろをごらんください」
「ん?……あー、オルレイト? 大丈夫? 」
「う、うぅ……また強くなられた、ようで……」
「そ、そんなことないわよ。お姉様にくらべればまだまだ」
「そうですね……今頃僕は宙を舞っていたでしょうから……ぐぉお」
「ご、ごめんなさいね」
「は、はい。お次は気お付けてください」
うずくまるオルレイトを介抱するカリン
「《オルレイトさんって、体弱いのに無茶をするんですね》」
「《姫さまも同じようなものです。コウ様も、いくつか心当たりがあるのではりませんか? 》」
「《……は。は。は》」
「《ははは》」
「コウ! いくわよ! 早く! 」
「《今行きます。ではレイダさん》」
「《はい。行きましょうか》」
コウたちが、各々の乗り手を載せて立ち上がる。休憩中でも、リュウカクはその場から動かず、時折蹄で角を磨きながら、じっと一同を待っていた。
歩きだしたコウたちを確認すると、リュウカクは一定の距離を保ちながら、先導し始める。カリンの言うとおり、着いてこいという意図が見えた。山の中腹を超え、さらに上に登っていく。何処に向かっていくのか、ワイズ班の誰も見当がつかなかった。
「《山の中腹でこんな生き物に会ったんだ。山頂近くになったら、今度はなにがでてくるんだ……ギルギルスみたいな凶暴なやつか。それともラブレスみたいな温厚なやつか。それとも》」
「ギルギルスなんか目じゃない、もっと凶悪な生き物に出会うかも」
「《もっと凶悪か。一体どんなのか想像もつかないな。でも、少なくとも、デカイのが出てくるのは間違いない》」
「そうとも限らないわ」
「《どうしたんだカリン? やたら否定してきて》」
「私の考え、貴方には透けているのだからわかるのでなくって?」
視界と意識の共有がなされているため、コウの考えはカリンに、カリンの考えはコウに筒抜けだ。
故に、巨大でなく、ギルギルスよりも凶暴である生き物の名を知る。
コウの声が、すこしだけ小さくなった。
「《……そうか。そうゆうことにも、なるのか》」
「リュウカクが見つかったっていえば、他の国からわざわざその角を狙いに来る輩もくるのだもの。もっとも、尽く帰ってこなかったみたいだけれど」
「《……でも、すこし穿った考え方だと思う。よくないよ。そういうの》」
「冗談だもの。気にしないで。ああそうだ! さっきオルレイトが私にやったこと教えましょうか! ほんとにもう! ひどかったんだから!」
リュウカクについていきながら、会話の流れは和気あいあいとしたものへと変わった。
だが、コウには、先ほどの、決して巨大ではなく、それでいてギルギルスより凶悪な生き物の名をカリンが言った時の、どこまでも自虐的で、嫌悪した声が、忘れられずにいた。
「そんなの、人間に決まっているでしょう」と、彼女は言ったのだ。
 




