小さな嘘
少しずつつ、少しずつ。
「コウ、まだ寝ているのかしらね」
「《コウ様は普段眠り姫になる方でしょうか》」
「いいえ。いつもならこの時間には起きてるんだけど」
レイダとカリンが歩きながら、コウを向かえにいく。今朝は天気もよく、作業も進められる。残る屋敷と宿舎の修繕なら、足を怪我したコウでも手伝ってほしいのが今のバイツ家であった。
しかし、コウが一向に姿を現さない。無理強いもできないバイツは、そのまま休ませていいというが、カリン達も不審に思い、こうしてむかえに来ている。
「《両足以外にどこか怪我をしてたのかもしれません》」
「それなら私にちゃんと伝えてくれればいいのに。コウってたまに言葉足らずなんだから」
「《男というのは言葉にするのが面倒なことは口に出さないのです》」
「変じゃないそれ? 」
「《彼らの中では変じゃないのでしょうね》」
コウが眠る場所に着くと、カリンが足を止め、顔をしかめた。しきりに、手で服をそよがせる。自身の香りとはまた違うものを感じてる。
「《カリン様? 》」
「料理を作ってたりしていて? 」
「《いいえ。調理場は別ですから》」
「そしたら、お香……にしては随分粗末な香り。というより、コレは、燃えてる? 」
「《どこかで火事が起きているのでしょうか》」
「でも、火事ならもっと大騒ぎになってるでしょう。あんなことがあったばかりなのに」
そうして、扉を開く。その先にはコウが座っているのを、カリンもレイダも知っていた。
コウはたしかに椅子に座っていた。両手を大腿の上に置き、うなだれているような、活力を感じない姿勢。だが、その体には明確な異常が起こっている。
コウの体が、炎に包まれていた。炎は屋敷に及ばず、コウだけを延々と燃やし続ける。すでに周りには、コウを燃やしてできたであろう大量の灰が積もっている。
「コウ! どうしたの! コウ! 」
「《姫さま! お下がりください! 》」
「で、でもコウが」
「《使い走りのような役目をして申し訳ありません。姫さまは人を呼んでください。それと、大量の水をもってくるように》」
「え。ええ。でもレイダはどうするの」
「《炎が燃え広がらないように見張っています。オルレイトがいない私の足よりも、姫さまの足の方が早いのです》」
「わ、わかったわ。コウのことお願いね! 」
すぐさまカリンがはじき出されるようにして走る。レイダは、コウの対面に位置し、その炎をじっと観察しはじめる
「《姫さまは相変わらずの瞬足。……しかし、この炎は一体》」
すっと、手を伸ばした。その炎に触れようとするが、また予想だにしないことが起きた。
炎が、レイダの手を『よけた』 手を動かすと、連動して炎はそれていく。しかし、頑なにコウの体から離れようとしない
「《コレは、自然の炎ではない? コウ様自身が操る炎だというのですか。コウ様。起きてください。コウ様》」
呼びかけても、まるで反応しない。うなだれたその体から這い出るように、炎は上がっている。
「《これは、果たして消えるのでしょうか》」
レイダは試しに、その手をコウの体につけた。そして先ほどと同じように、レイダの手を避けるようにして、炎が去っていく。だがこれで、レイダはコウの肌に触れることができた。煤まみれの体を拭う。そこまで近くによって初めて、か細くも声が聞こえてきた。
「《……や……め……く……》」
「《コウ様!? 起きているのですか!? 》
「《も……や……し……て……》」
レイダは、その灰の両と、いまの途切れ途切れ声で、コウが一晩中ずっと体が燃え続けていたのではないかと推測した。
「《コウ様! いつからこうなのです! いつから! 》」
「《だ……ま……れ……》」
レイダの問いかけはまるで届かずに、コウはうわごとのように言葉を繰り返している。それに気がついたレイダは、言葉ひとつひとつを、今度は聞き逃さないようにする
「《なんといってるのです。コウ様》」
「《つ……く……し……》」
一語一句聞き逃さないようにしていると、ひとつの文章を繰り返し小さく唱えているのがわかってくる。その言葉は
――もうやめてくれ だまれ もやしつくしてやる
「《燃やす? 何を。いったい何をいっているんです? 》」
「レイダ! 」
レイダの困惑をよそに、カリンがバイツ家の従者を引き連れて戻ってきた。大量の水を樽に入れている。コウの様相をみた従者達が思わずあとずさった。ベイラーが炎に巻かれているのを見れば無理もない。ベイラーにとって体が燃えるというのは、数少ない、彼らの死に至る原因なのだ。
「《大丈夫です。私たちを燃やすようなものではありません》」
「レイダ、それはどうゆう」
「《屋敷にまるで燃え移らない。私が体に触れてもよけていく。この炎は普通ではありません》」
「で、でも、そのままにしてくわけにはいかないでしょう」
「そのとおりです、姫さま」
突如後ろから声が聴こえる。見れば、腕に包帯を巻いたオルレイトが息を荒げながらそこにいた。
「ベイラーが火に巻かれて無事な筈はありません。備蓄をありったけ使いましょう。水はまたくめばいい」
「《オルレイト様、体の具合は》」
「問題ないよ。さぁ早く」
「《……仰せのままに》」
レイダの手にしがみつき、そのまま胸へ収まっていく。両手で操縦桿を握り、共有がはじまった。
「レイダ、今の話は本当なのかい? 」
「《はい。手をかざしたら炎からよけていきました》」
「意思でもあるんだろうか」
「《わかりませんね。水の入った樽をこちらに》」
レイダの指示をうけ、従者が樽をよこす。その蓋を無造作に叩き割り、コップをもつようしにてコウの頭からぶっかけた。
一瞬、炎が弱まり、煙があがる。全てを消火するにはいたらないが、それでも効果はあった。
「《水で消せるようです。やはりただの炎だったのでしょうか》」
「消せるならいいさ。もっと持ってきて! 早く! 」
オルレイトの檄が飛び、従者たちが慌ただしく動き出す。樽を何個も運んではコウにかけて、また運んでを繰り返す。
「《姫さま、どこから火の手が上がっているかわかりますか? 》」
「コウが燃えているのではなくて? 」
「《コウの『どこから』火がでているのかが知りたいのです》」
「そうゆうことなら」
カリンが、自身の目を凝らした。煙が上がっている中で、火の手がどこから上がっているのかがわかるほど、彼女の目は良い。
「肩! 両肩よ! 」
「《流石姫さま。 オルレイト様、聞こえましたね? 》」
「何も考えずそこだけ重点的に水をぶっかけてしまえばいいんだ」
必死の消火活動が行われる。カリンが指示を飛ばし、乗り手の伴ったレイダが水をかける
淡々と繰り返された作業は、20個目の樽を空にしたころに終わりをみせた。コウの体からようやく火が消えた。純白の体は見る陰もなく、煤と灰で黒く染まっている。
「扉を開けて空気をいれかえるんだ! 煙で息が苦しくなるぞ! 」
「オル! レイダ! コウはどうなのです? 」
「《なんとも、目も光っていませんし》」
レイダの手に乗り、カリンが近づく。煙が晴れて、この場所の全体が見渡せるようになったことで、煤と灰まみれになったコウの、別の変化に気がついた。
「嘘、でしょう……」
「どうしました? 」
「《姫さま? 》」
「足が、足が治っているの。あんなにボロボロだったのに」
「《……そんな。あの怪我なら3日はかかるはず》」
コウの接木をしたばかりの両足は、すでに治療し終えていた。変化はそれだけではない。カリンがその手で煤と灰を払うと、その肌は焼かれていたにもかかわらず、いつもと変わらぬ艶と輝きを放っている。ただ、紅い肩だけが、血のような鈍い色をしていた。
「あれだけボロボロなベイラーが、たった一夜でこんな状態に? でもそれならなんで炎に? 」
「……おんなじだわ。パームの時と」
「姫さま? 」
「あの時も炎に巻かれて、肩が変わった。じゃぁ、今度は足が変わった? 」
「で、でもコウは動かないでいるのはどうしてですか」
「と、とにかく乗ってみるわ」
レイダの手から離れ、コウの体に着地する。黒くなった体を慎重に歩みをすすめ、コウの胸に触れた。しかし、中に入れない。いつもどおりにコクピットの内部に収まることができない。
「ダメ。迎え入れてくれない。こんなの初めて」
「《オルレイト様、ベイラーがこのようになる前例などご存知ありませんか》」
「たくさん本は読んだけど、こんなの見たことないよ」
「コウ? どうしたというの? サイクルジェットがどうかしてしまったの?……コウ? 」
灰をその手で拭う。服に煤がこびりつくことも構わずに、カリンはコウの傍に寄り添った。
◆
ずっと落ちている。視界の先は、たったひとつを除いて、なにも見えない暗闇。何もない暗黒。
「……また、ここか」
手のひらを動かす。肌色の手。肌色の顔。人間の体。ただ違うのは、肩から炎が上がっていること。
「一体なんなんだ。俺は眠っていたはずなのに……そうだ、あの子は」
見回しても、自分以外の物はまるで見えない。ただ、視界が逆さまだというのは分かる。それはなぜか
遥か彼方に、川が見える。水がながれているわけではない。幾千幾億とあつまった白い綿毛が列をなしいる。その流れと、自身は反対方向にむかっている。
落ちている。そう思えた。
「……このまま、ずっと落ちていくのか。俺は。1人で」
以前、同じようにここに来たときは、1人、別の人間がいた。長い髪をした、女性だった。
「でも、会ったら燃やされるから、まだいいのか。会わなくて」
落ちていく最中、ふと、顔を見上げた。自分が落ちているなら、上がった先には何があるのかが気になった。
「……なんだ、アレ」
綿毛の川が向かっているのは、どこか特定の到達地ではなかった。遥か彼方。どこまで続いているのか解らない、気の遠くなるような長い流れの先に、これまたどこまで広がっているのか解らない海が見える。
遠すぎて、遠近法が狂って見える。その指先にかすめもしないのに、コウが思わず手を伸ばす。
「届かない。でも、確かにある。」
目に見えるその景色の中で、綿毛の先についた種たちが、どこまでも続くその流れの中に身をおいている。
その流れに、身を任せようとして気がつく。肩の炎が自由に動かせる。が、その勢いが強すぎて、細かな調節ができない。
「くっそ、もっと自由に動かせる炎があれば」
そうつぶやいた矢先、自身の足に目をやった。炎がちりちりとくすぶっている。
「……進むための炎じゃなく、進む方向を決める炎が、ほしい」
その願いを、意思を、欲望を、燃え盛る炎が応えた。
足から、肩よりは弱く、それでいて確かに強い炎が、一気に噴出する。
「これなら、いけるか」
肩の炎が燃え盛り、直進する。そのままでは、綿毛の川に突っ込む。だが、今は違う。
両足を動かして、自身の進む方向を決める。ただ闇雲にすすむのではなく、目的地を決めたからこその移動。
両肩と両足。4箇所から燃える炎で、コウの体が吹き上がる。
「そうだ。こうして進めば、俺はあそこにいける。あそこにいって、俺は」
――すべてを焼き尽くすんだろう?
「ッツ!? 」
声が、聞こえた。あの女の声ではない。いま聞こえたのは、自分の声。
――気に入らないんだろう?
「な、なんのことをいっている。もうやめろ。そんな話」
――気づいているんだろう? おまえは
「なにを言ってる。俺は」
――安心しろ。お前にはお前の思う通りにできる力がある。
「力? 俺に? 」
――人間が決めた測りじゃない。もっと純粋な力だ
「そんな力、俺にはない。あったら、こうなっていない」
――気がついていないだけだ。それとも、まだ気がついていないフリをしているのか?
「なにを言ってるんだ」
――いまのままじゃ、カリンは誰かの物になってしまう。
「そ、そんなことわかってる」
――意地を張っても無駄だ。お前はどうあがいても、お前の望む形で、彼女と添い遂げることはできない。
「それがどうした! どうしたっていうんだ! 俺に、俺に何も関係ないじゃないか! 」
――カリンを自分の物にできない。おまえはそれが気に入らないんだよなぁ?
「しょうがないだろう! 俺はベイラーだ! 元は死んだ人間だ! そんなこと考えちゃいけないんだ! もうやめろ! 」
――でも、たったひとつ、一緒になる方法がある。おまえはそれを知っている。
「もうやめろ! 黙れぇ! 」
――あの長い髪の女が、方法をおしえてくれたよな? 燃やし尽くせばいいんだ。なにもかも共に燃やし尽くされれば、おまえは灰となって永遠に一緒だ。
「黙れぇええええええええええええええええ!! 」
怒号に応えるように、燃え盛る炎が、自身の体を焦がし始める。
「いいじゃないか。初めてなんだ。誰かのことを、こんなに考えるのは初めてだったんだ……」
頭の片隅で、今の声は、やけに自分に似ていたことを感じながら、意識を手放した。
手放す寸前。自分の頬を、暖かな手が触れた気がした。
◆
コウの目にほんのすこしだけ明りがともった。首を動かし、手を動かして、感触を確かめている。そして、目線を下げる。
そこには、寄りかかっているカリンがいた。体は灰で汚れている
「《離れたほうがいい……汚れる》」
「最初の一言がそれなの?……まったく。ようやくお目覚め? 」
「《ああ、カリン。なんだか、酷い夢を見ていたきがする》」
「また、綿毛の川がある夢? 」
「《ああ。どんどん下に落ちていく夢だった。でも……もどってこれたみたいだ》」
「そう」
「《僕は……俺は、また何か迷惑を? 》」
「いいえ。ただ、心配したの」
「《そっか……カリン》」
「なぁに」
「《俺は、君がたとえどうなろうと、君パートナーでいていいかい? 》」
「……何を言っているの? そんなのいいに決まっているのに」
「《君が、たとえ、人間のパートナーを得ても? 》」
「人間のパートナー? よくわからないけど、ええ。コウが傍にいたいって言ったんだもの。私がそれを拒否するような女だと思う?」
「《……そうか。なら、いいんだ。よかった。……ああ。きっと、それでいいんだ。きっと、それがいいんだ》」
「どうしたの? 」
「《どうしたって、それは……ごめん。忘れた》」
「わすれたぁ! あれだけの事がおこって、忘れたって、貴方ねぇ……」
「《ごめん》」
一応ではあるものの、事が収まり、安堵するレイダに比べ、オルレイトはある単語がずっとひっかかっていた。
「綿毛の、川? その単語、どこかで見たな。いったいどこだ? 」
「《あとで調べればいいんじゃないでしょうか。 今は、起きたコウ様を連れて行って、働いてもらわないと。こんな大騒ぎをおこしたんですから》」
「まぁ、そうか。」
わずかに残ったしこりを、思考の片隅に追いやり、レイダの手を払う。この場所の灰と煤を片付けなければならないと感じていた。
「ねぇ、コウ」
「《なんでしょうか》」
「おはよう」
「《……おはようございます》」
朝の挨拶を、今日初めてかわす。自分の体に何がおこったのか、あの空間はなんなのか。コウには、知るよしもない
ただ、この時、コウはカリンに嘘をついた。彼は、夢の中で起こった事を覚えている。それを知られたくなくて、もう一度思い出したくなくて、パートナーである彼女に嘘をついた。思い出せば、またあの声を聞いてしまう。あの声をもう一度聞くのは、彼には苦痛でしかなかった。
それは、彼がカリンについた、初めてのしょうもない嘘だった。




