バイツの家族
誰も彼もこんな感じです
宿舎は、乱雑の限りを尽くしていた。アリモノキルクイが突如襲来し、ラブレスたちのみならず、ここで働く人も、等しく襲いかかった。干した牧草や餌を足蹴にしながら、飛びかかる虫に、ひとりの少年が立ちふさがる。
宿舎には、亡骸が1つ。頭に斧による一撃を受け絶命したアリモノキルクイ。
そして、もう一匹が、威嚇の鳴き声をだしながら、少年と相対する。
「LIiiiiiiii !! 」
「……フゥウ」
両手に持つ斧から体液を拭い取り、構えた。自分の体を大きくみせるように、二つの斧を掲げる。
すでに何箇所か怪我をしているが、どれも掠り傷。それも、ここで働いていた人間を守った際にできた傷であった。
動作が起きた。掲げた斧を、無造作に投げつける。キルクイはそれを左側に飛ぶことで弧を描いて躱し、投擲者を食い殺そうとする。羽根を震わせ、大顎を広げ、食らいついた。
しかし、大顎で食らいつけたのは、人ではない。
大顎を正面から押し潰して、なお有り余る腕力と体重で振り抜いて、叩きつける。先ほどの投擲は、この虫の行動を制限するための物。あえて左に避けるように遠回りで投擲し、自身は先回りで斧を振る。
投擲した斧が、壁に突き刺さり、その重さを支えきれずに落下する。鈍い鉄の音が、あたりに響く。静寂が強調される。
ガレットリーサー家の男は、こと斧の扱いに関して、徹底的に教育される。屈強な体がなしうるそ鉄の塊による暴力は、バレットに確かに受け継がれていた。
「……はー!! 終わった! 母上ぇ! ご無事ですかぁ! 」
「はい。 しかし、投げる先のことを考えなさい。全く 」
突き刺さった斧を拾い上げる人物が1人。その奥からも、数人が出てくる。
さらにその奥、数頭のラブレスは怯えており、その場から動こうとしない。子供のラブレスを落ち着せるように、親がぴったりと寄り添っている。
身を隠していたメヒンナが、バレットに斧を手渡した。
「見事でしたよ」
「父と共に鍛えておりますから! 」
「では、バレット、あの人がまだ屋敷にいるはずです。先にあってきなさい」
「に、逃げたラブレスを追いかけるのでは? 」
「あれはまだ子供。ならこちらでもなんとかできるでしょう。 あの人、まだなにも知らずにいるのよ。連絡役としても行きなさい。 」
「は、はい! では行ってきます! 」
「元気でよろしい。 怪我はあとで手当しましょうね」
「こんなもの、唾でもつければ治ってしまいます! 」
「……本当に、あなたはお父様とそっくり」
その時、宿舎に招かれざる客が再び訪れる。
扉を破壊しながら、強引に勢いの乗った体を静止させる。降りかかた木屑をふるい落とし、その複眼が周りを見わたす。
片羽は千切れていたが、強靭な足と鋭利な大顎はいまだ健在だった。宿舎に再びアリモノキルクイが現れ、羽根を振るわせる。
「まだいたのかこいつ!? 」
バレットは相手の姿を一瞬で把握する。相手は片羽で重症のあるキルクイ。であるならばと、受け取った斧を再びキルクイからみて右側へと投擲し、先と同じように行動した。捕獲など、最初から想定していない。専用の道具もなければ、すんなり捕まるほど、この昆虫はたやすいものではない。
キルクイは投擲された斧を認め、羽根をふるわせ、跳躍した。
ここまでは同じ。読み通りならば、このまま左側に跳躍したキルクイを手に持つもう一方の斧で、頭を割ればこの場を収め、自身の父の待つ屋敷へと走ることができる。
だが、読みが外れれば、それは叶わない。
キルクイは、『左』ではなく『上』に飛んだ。片羽でありながら、跳躍そのものができなかったわけでない。それを、バレットは判断しそこねた。自身が先走ったために、キルクイの着地位置にまんまと踏み込んでしまう。天井にあたって落下することを望んだが、それも叶わない。あの虫は、しっかりと高度を把握していた。
「そ、そんな、俺がぁ! 」
視界いっぱいに、キルクイの腹が見える。そのままおおい被されれば、自分の筋力では引き剥がすことなどできない。バレットの脳裏には、1mの大きさをした昆虫に馬乗りにされて、そのまま捕食される未来がみえてしまう。
だが、絶望はしなかった。捕食される一瞬の隙に、斧での一撃を加えれば、このキルクイはこの場で仕留めることができると判断する。自身の命が尽きでしまうであろうことは明白ながら、家族が助かるのであれば、それでいいと考えた。
この少年は、家族が何よりも大事で、大切だった。父と同じように軍に入ったのも、すべては家族を守る為。
いま、それを為すことができると、バレットが笑う。
「母上!! 兄上をよろしくお願いします! 」
短い、あまりに別れの短い一言を紡ぎ、斧を相手へ振り上げた。大顎が開かれ、バレットの頭めがけて落下してくる。
このまま、頭を食いちぎられる直前に、斧を振るって相手を絶命させれば、このキルクイを倒せる。しかし、落下してくる大顎そのものは止められない。よくて頭を潰される。悪くて、首が胴体から離れる。
「(でも、こいつは仕留められる! )」
行動に迷いはない、しかし、体の弱い兄と、そして、憧れであるあの人にせめて一声かけたかったと後悔があった。
「(カリン様! )」
その人の名を叫びながら、斧を振るった。大顎の構造が、やけに目に残る。
「《ぶつかるぞぉおお! 》」
素っ頓狂な声がしたのも、その時だった。
「ぶつけてやるのよ! 」
憧れの人の声が一緒に聞こえたのも、その時だった、
宿舎の壁をぶち壊し、もののついでのようにキルクイを弾き飛ばした。
声の主は、同じく壁に激突するが、今度は破壊するに至らずになんとか制動をおえ、その体を地面に着地させた。肩から赤い炎が出ているかと思えば、それは蓋のようなもので強引に閉じられ、もう炎がでることはない。キルクイは、いまの衝撃に体が耐え切らずに、壁で無残な姿となっている。
突然、嵐のような騒動が目の前で起こり、死も覚悟したバレットには、その状況は意味がわからなかった。
「入っていくのを見たのだから別にいいでしょう! 」
「《だからって壁を壊すことはなかったんだ! 》」
そしてその中には、憧れの人の声と、今日知りあったベイラーの言い争った声が聴こえる。思わず、確認してしまった。
「……姫さまで、あらせられる? 」
「ん? その声はバレット? 」
ベイラーの中から、するすると人が出てきた。つい先ほど、自分の父が用意した料理を食べるところで会った人。
「よかった。無事だったのね」
「は、はい。この通りです」
「キルクイを退治していたのだけど、1匹こっちに来てしまって……貴方、ご存知なくて? 」
「ええと、今しがたカリン様が吹き飛ばしあそばれまして、あの壁が墓標となっております」
言葉遣いが変になりながら、状況を説明した。宿舎にはキルクイの体液が飛び散っている。
「あー……ごめんなさいね。 片づけは手伝うから」
「そ、それは、もう」
「ところで、いつまで尻餅をついているの? 」
「は、はは、腰が抜けてしまいました」
「全く」
カリンが、バレットに手を差し伸べる。
「……どうしたの? 」
「い、いえ。では」
一瞬、その手をとるか悩む。自分の手はいま泥や体液でぐちゃぐちゃであり、そんな手で憧れの人の手を取るのは、自分が許せなかった。
しかし、カリンはそうではない。
さっと手をとって、体を起こされてしまう。バレトはひどく動揺してしまった。
「か、カリン様?! 」
「バレット、大きくなったわね。 よく見れば、他のは貴方が仕留めたのでしょう? 」
「は、はい」
「大したものよ」
「――は、はい! 」
思わぬところで、憧れの人と会話してしまい、自分の怪我も気にせずに返事をしてしまう。カリンが労いの言葉を言おうとしたとき、先に、行動を起こした者がいた。メヒンナだ
カリンを押しのけ、バレットを抱きしめる。バレットの手から、斧が落ちた
「あなたという子は! 親にむかって死に別れの言葉を言う息子がいますか! 」
「は、母上、くるし」
「馬鹿息子! 親より先に共にあれなくなるなど、あってはならないのですよ! まったく! まったく! 」
「は、はは、上、首ががが」
「もう! もう! 」
「あー奥様、その、奥様、バレットをご覧になって? 」
カリンがばつが悪そうに指摘するも、時既に遅し。疲労と緊張が溶けた安堵感と、すこしの窒息がとどめとなり、そのままバレットが伸びる
「奥様も、バレットもご無事でなによりです。他の方も無事で? 」
「はいカリン様。それはもう……っと、いけないバレットが伸びてしまっているわ。まったくこの子は」
「奥様、ラブレスが外に……」
「それはいいのです。それより、カリン様、まだベイラーは動きますか? 」
「コウですか? ……右足を怪我してしまって、十全とは」
「無理を押して御願いします。屋敷へと向かってください。せめて、あの人にお知らせしなくては」
「どうしたの? 」
泡を吹くバレットを抱え、先ほどまでの取り乱した態度など未然もみせずに、毅然とした態度で、カリンに注げた
「キルクイはまだいます。数匹、屋敷に向かいました。」
「……まさか! 」
「はい。夫と、オルレイト、レイダが危のうございます 」
◆
「オル、すこしいいか?」
「父上? どうぞ」
コウたちが空中戦を繰り広げている頃。屋敷。その1室。ベットの上で本を読むオルレイトの元に、バイツが訪れていた
「また本を読んでいたのか。 寝なくていいのか? 」
「今日は調子がいいんだ」
「それは、よかった……今日は話があってきたのだ。」
オルレイトの部屋は、椅子、机、ベットと、生活するのに必要な家具と、ひとり用としてはいささか広めに取られている間取り。しかし全て人間の為に用意された部屋というわけではない。
壁一面にある棚には本、本、本。さらに入りきらなくて規則正しく積まれている。他には、ベットの脇に置かれた1本の、剣と言うには短く、ナイフというには長い小振りの刃物が鞘に収まって無造作に置かれている。
本を閉じて向き直るオルレイトと、バイツ。両者は親子だというのに、体の線がまるで違っていた。樽と枝が並んでいるようだ。
「考え直してはくれないのか? 」
「またそれか 」
「お前の体に巣食っている病は、おそらく別の国から持ち込まれたものなんだ。この国ではまだ前例がないのもそのためだ」
「いろんな国から人がきたもんね」
「この国にはお前を治せる薬がまだないのだ」
「……だからって、別の国に行くなんて、おかしいだろう? 」
オルレイトの体に巣食うっている病を治す薬を作っている国へ行かせたいバイツと、拒否するオルレイト。話は平行線で続いていた。
「病が国の外から持ち込まれているなら、僕だけ罹っているのは変だ。 他の人はなんでもないのに。流行っていないなら、この病気は僕が患うべくして患った病気なんだよ」
「他の国ならまだ薬がある。治せるんだぞ!? 」
「治っても、また別の病気にかかる。父上。僕がこうして病にかかるのは、これで何度目? 」
「……これで5度目だ」
「その度、父上が薬を探し回ってくれてるのは知ってる。でも、もういいよ」
「だ、だがなぁ! 」
「諦めてるわけじゃない。でも、もう父上に無理してほしくないんだ」
弟のバレットが健やかに育つも、オルレイトは、身長こその伸びたが、体重が重くならない。病で食べ物を戻すことが多かったためだ。
しかし、オルレイトは体が弱かったがその意思は体ほど弱くない。そういう男であった。
斧の扱いができぬなら、勉を重ねようと努力し、文字を誰より速く覚え、計算を覚え、知識を蓄えた。そして、それを生かすべく、母の元で研鑽を重ねた。そしていまや、牧場の管理は母より、オルレイトの方が任されている程になった。
「バレットももう15だ。 軍にもはいって、ともすれば人と戦うんだろう? なら、気にかけるならそっちだよ。怪我だって増える」
「なぜ、なぜそうも父を拒むのだ」
「拒んじゃいないよ。ただ、そうしていたんだ。……父上。この国は綺麗で、穏やかで、とてもゆったりとした流れを持った国だろう? 」
「ああ。そうだ。」
「なら、僕もそうしていたいんだ。とても変な事をいっているようだけど、こうゆう体になってから、1日1日が随分短くて、それでいてはっきりとしている。これはきっと、病にかかった僕だけの特権なんだよ」
「……そんなもの、特権でもなんでもない。普通に生きていれば誰しもが持つものじゃないか」
「なら、これが僕の「普通」だよ。父上」
「オルレイト、お前は……この世界から去りたいのか? 」
「……そうゆうことじゃない。でも、世界から去ることが決まっているなら、何もそこから抗うことはしなくていいって思っている。そう思うと、1日が無駄になることはないだ。今日だってレイダと会って、コウさんや姫さまにも会えた。とてもいい日だよ」
「……お前は、死ぬことを考えるから、今が生きていけると、そう考えるのか」
「ああ。不思議といい気分だよ。父上には解らないなら、まだそれでいいんだ」
小振りの剣。その柄を指で弄びながら、オルレイトは笑った。
「なぜなら、コレは僕の特権なんだから」
「……もうよい。好きにしろ」
「ありがとう。父上」
「ただし、そこまで言うのであれば、病で倒れるまで全力で生きろ」
「もちろん。 具体的には、僕が生きている間に、この牧場の名が帝都に轟くようにしてみせるさ」
「…その件だが、あの肉をカリン様が召し上がった」
バイツがそのまま、カリンの感想を伝えようとした時だった。間髪いれずにオルレイトが口を挟む
「油の多さについて何か言っていた? 」
「そ、そうだ。女性にはおおいだろうと」
「そっか。 お出しする量と、野菜をかんがえなきゃね」
「お、お前は、味について感想は聞かないのか? 」
「どうして? あのラブレスの肉がまずいわけない。ただ、油が乗りすぎて、気持ち悪くなるとは考えてたんだ。まさか、美味しくしようとしたら、全く別の問題がでてくるとは思わなかった」
味でもなく、料理の良し悪しでもなく、ただただ『あの肉の問題点』だけを、注視しているオルレイトにとって、味が良い云々は常識になっていた。
「僕が食べたときも美味しかった。でも、戻しこそしなかったけど、すっごい辛かったんだ。試しに油単体を少しずつ飲んでみたら、おんなじように気持ち悪くなって、もしかしてと思って」
「お前は、そこまで、本当におまえというやつは!! 」
バイツが、ベットに座るオルレイトを抱きしめた。その行動は予想をしていなかったらしく、オルレイトは狼狽える
「父上!? 」
「安心しろオルレイト。お前は俺の自慢の息子だ!バレットも、お前も、立派になった!!」
「……はい。ありがとうございます。でも、バレットはもう少しみてやってください。あいつ、経験だけで判断するから、いつかそれで大けがをする」
「おう、この父に任せるがいい!! 」
「それと、父上、重いので少々」
「おっとすまんな」
オルレイトが手で促すと、バレットはすんなりと引き下がる。
「お話は以上で? 」
「ああ、お前の意思はよくわかった。 母には俺から伝えておこう」
「いいえ。僕からきちんと伝えます。それくらいはさせてください」
「……頑なだな」
「父上に似たのでしょう? 」
「ハッハッハ! 違いない!! 」
ふと、バイツは窓をみて、思案する。手に持った本を棚に戻して、部屋をあとにする。
「父上? 」
「ラブレスがおらん。柵を破って山に逃げ出したか。すこし様子を見てくる」
「は、はぁ」
「3日後、山狩りがあるのだ。山に逃げられては他の連中にラブレスを狩られるやもしれん」
「山狩り? それはまたどうして」
「クチビスが山から降りてきている。 畑をやられる前に、山に戻ってもらうのさ」
「クチビスが……そうですか」
「ああ、そうだ。夕食は、カリン様と共にとる予定だが、お前はどうする? 今日は平気か? 」
「……じゃぁ、呼ばれていいかな?」
「もちろん。 料理人には伝えておく。 それまでしばらく休んでおけ」
「ありがとうございます。父上」
手を振りながら、その部屋を後にするバイツ。扉が閉じたその部屋には、ベットの上で本を読み続けるつもりでいたオルレイトがいた。
しかし、どうしてもページをめくることができない。
「クチビスが山から下りる? この時期に? わざわざ人の前に現れるか……」
本を閉じる。読んでいたページも、その行数も覚えている。
「山では賄えないくらい多くなったのか、天敵から逃げてきたのか……もしかして、両方、か? 」
ベットから立ち上がり、本を机の上に置く。窓辺に歩みより、父が見たであろう景色を見る。たしかに人がいない。が、それ以上のものが見える
「あれは、白いベイラー? でもなにと……! 」
白いベイラーが、牧場の一面で刃を振るい、1匹の虫を叩き切った。切られた生物を、大きさから判断する
「キルクイ……それもアリモノだ。……コイツらがいて、キールボアがいない? 」
視線を移す。白いベイラーたちが戦っている場所とはまた別方向から、数匹、アリモノキルクイたちが、真っ直ぐこっちにやって来ているのが分かった。
「……クチビスが増えて、それを追ってあいつらも降りてきたのか。でもなんでこっちに? 牧場ならもっと……」
虫が、焼いた肉を食べるかどうかは、オルレイトは知らない。しかし、オルレイトは、別の情報は知っていた
それは、『アリモノキルクイは、ベイラーも食べる』という情報。
「レイダ!! 」
ベットに置かれた小振りな剣をひったくって、部屋から出る。山から降りてきた理由はまだ彼には解らない。しかし、今屋敷に来ている虫が、大切な家族を食い散らかそうとしているのは解った。
それを、オルレイトは許してはおけなかった。
◆
「ガハッ ゲッホ、ゲッホ」
廊下を走り、レイダの元に急ぐオルレイト。その体が、突如肺の空気を押し出して咳き込む。既に心臓の鼓動が早く脈打ち、耳まで聞こえてくる。
「ハァ……ハァ……少し走っただけで、こんなになるのか。僕の体は」
腰に下げた剣が、普通の剣よりはずっと軽いはずの剣が、何よりも重く感じる。
しかし、自分の身を、そしてレイダから、あのキルクイから守るためには、これが必要不可欠であった。
「斧は持てないし、な」
息絶え絶えになりながら、なんとかしてレイダのいる部屋の前まで来ることができた。途中。従者たちにひとりも会わなかったのは、彼らは、すでに牧場にメヒンナを助けにいったからであった。
メヒンナとオルレイト以外、だれも、キルクイがレイダを襲いにくるとは想像できていない。
「なんとか、もったか」
荒くなる息をしずめんと、胸に手を当てて呼吸を整える。息が苦しくならない程度に整ったとき、扉に体を預けながら、ゆっくりと扉を開く。
そして、その扉を開いたとき。一番先に目にしたのは、もう眠る姿を何度もみたレイダと
そのレイダをすでに喰らっている、アリモノキルクイであった。
「――(まだ、こっちに、気がついていない)」
ひどく冷静な頭とは裏腹に、指先は震え、足が動かない。つ先ほどまで、呼吸を整えたというのに、それも無駄になる。
「――(どうする。どうすればいい)」
行動を決めあぐねる。このまま無策に入れば、ただ餌を与える結果になる。それは、なんとしても避けねばならない
武器は手にあるとはいえ、運良くあたって、致命傷になるか解らない。剣術の心得は、オルレイトにはなかった。
「――(助けを、呼ぶか)」
そして出した答えは、どの策よりも効果的に思えた。
ゆっくりと扉をしめ、踵を返そうとしたとき。
バリバリバリと、何かが削れる音がした。わずかに開いた扉の隙間から、その削れた物の正体を見る。緑色をしたその破片が、無残に散らばっている。
それは、幼いころから見知った、深い、緑色。大切な、家族の色。
瞬間、何もかもの思考を破棄し、その手が、腰に下げた剣に振れる。一気に鞘から解き放たれた刃は、使い込まれていないが、手入れは十全に行われている。
その剣が、キルクイの顔を写した。
「うあぁああああああああああああああ!! 」
叫び声を上げながら、オルレイトが突撃をかけた。剣術もなにもない。ただ、切っ先を相手に向けて、がむしゃらに叩きつけようとする動作。
一方のキルクイは、その不意打ちにも似た何かを冷静に対処する。羽根を広げ、一瞬でレイダの元から離れた。
オルレイトが、相手がいなくなったことで、制動もかけられずに、レイダに激突した。少しだけ、レイダの体が揺れる
キルクイは、その羽を収め、威嚇の声を発していた
「(やってしまった。やってしまった。やってしまった)」
慌てて、キルクイの位置を確認する。
「(でも、守れた)」
体と違い、静かに周りを観察できるほど、頭は冷えている。そのまま、レイダを見て、どれほどのものかを確認する、
「(まだ、来たばかりか。足が削られてる。でもあれくらいなら、またすぐ治る。それよりも、いま考えなきゃいけないのは)」
剣を握り直し、切っ先をキルクイへと向ける。
「(こいつをどうにかしないいけないのと、『どこから』来たのか、だけど)」
その問いの答えはすぐにみつかった。外につながる入口の一部が、無残に割れている。そこからそよかぜが吹き、オルレイトの髪を揺らした。
「(塞ぐには、どうしたものかな)」
思案が中断される。キルクイがその羽をもってしてオルレイトへ襲いかかる。顎を振るわせながら、胴体へと向かってくる。
その行動に、今度こそと、突きで反応する。両手をしっかりと握り、踏み込みもなにもない。ただ、突っ込んでくる虫に対して、反動に負けないように、歯を食いしばる。
そしてその時は訪れた。
想像よりもずっと柔らかく、それでいて冷たい感触が指先を伝う。アリモノキルクイはその体を貫かれながらも、大顎が眼前でなんども打ち鳴らされ、体を揺らして暴れた。オルレイトも、その場で体をまるめて、突くことだけに専念に、視界に収めないようにする。
やがて、暴れる力がゆっくりとなくなっていき、ついには、人間の身長より小さい、虫としては規格外のその大きさがぐったりとして動かなくなった。
「……これを、使えば」
感傷に浸る思考はなかった。すぐさま亡骸をつかって、扉に開いた穴を塞ぐ。ズルズルと羽を引きずり、体液を撒き散らしながら、やっとの思いで扉に辿りつく。
放り投げるように扉に押し付け、予備で置かれた道具たちを使い即席で柵にする。そうすることで、なんとか穴は塞ぐことができた。荒げた息を整えることが、ようやくできる。柵に体をあずけて、剣を鞘に戻す。
「……レイダ。これで、大丈夫だよな。……ゲッホゲッホ」
レイダを見て、怪我の状態を確認するも、再び咳き込んで、むせて返る。それでも、致命的な怪我にはなっていないことを確認し終えて、オルレイトは安堵した。
その代わりに、息を整える為の時間は、訪れなかった
即席の柵が、一瞬にして壊される。 柵に体をあずけていたために、散らばった道具と一緒に彼方へと吹き飛ばされる。
無様に体を転がしながら、何とかして態勢を戻す。口の中が砂利と、破片と、木屑でいっぱいになった。
「……嘘、だろう」
そして、眼前には、4匹のアリモノキルクイ。柵を悠々を破壊して、この場に降り立った。レイダを認めて、羽を振るわせる。
「(1匹じゃない。4匹。それも、どの個体も、怪我をしていない、十全な状態。ついでに4匹とも雄じゃない。どれも雌。ってことは凶暴)」
立ち上がろうとしたとき、さらに追い討ちがかかった。腕が肘から手首にむけて、パックリと切れている。 症状を自覚した瞬間、激しい痛みで物が掴めない。物が掴めないということは、剣を握れないということでもある。
悲鳴が、上がった。先ほど、雄々しい雄叫びを上げながら突進した男とは思えない、悲観に満ちた声が上がる。
「そうか、そうか! 僕は、ここまでか! そうか!! 」
達観ともまた違う。今この状態を把握したうえで、自分に残された道が、もう閉ざされたものであると知った男が、そこにいた。
「ああ、僕は、長くなかった。でも、それが、今日か! 今日だったのか! 」
キルクイたちが羽を振るわせ、跳躍の準備に入った。1mを超える虫、それが4匹も飛び掛れば、人間などひとたまりもない。
「ハッハ、父上にあんなこと言っておきながら、今更、怖がってるのか。僕は」
その体を這わせて、なんとか、体を預けられる場所まで進む。やがて、レイダの傍によると、その足に背中をあずけた。自分の体から流れる血が、ありありと目に飛び込んできた
「まったく、これじゃぁ、薬なんて要らないなっていったのが嘘になるじゃないか」
キルクイが大顎を打ち鳴らし始める。距離を測り、一気に仕留める際の動作だ
「……もう少し。もう少しだけ、生きたかったな。」
オルレイトが、そうつぶやいた。誰に聴かせるでもなくつぶやいたその言葉は、虫には届かない。アリモノキルクイたちが、4匹全て跳躍し、その顎を、オルレイトに向けた。
――虫には届かなかった。だが、たったひとり。家族には届いた。
「《寝起きになってものをみせるんですか。オル》」
風切り音と共に、オルレイトの眼前に手が現れ、4匹を振り払った。見慣れた緑色の体が、動いていた
「――レイダ? 」
「《また細くなりましたか? 食が細いことを咎めることはできませんが、せめて食べた物は戻さないようにしてください》」
「起きた、のか? 」
「《つい先ほど。悲鳴があまりにうるさいので》」
「は、ハハ。そうかい」
「《……オルレイト・ガレットリーサー。貴方は、その生をどう使いたいのですか》」
「なんだ、突然」
「《お答えください』」
「……長くない命だ。でも、使い道は僕が決める。断じて、虫に食い荒らされるコトじゃない」
「《なら、どうする? 》」
「……こんな形で、君に、選択を迫る僕を、軽蔑していい」
オルレイトが、その怪我した手を、歯を食いしばって耐えながら、立ち上がって見せる。そして、キルクイがいるにもかかわらず、背をむけて、レイダと相対した。彼の中で、この状況を打破する方法が、既に導き出されているが、その方法を実行するには、レイダの協力が不可欠だった。
「レイダ。僕を、君にのせてくれ」
「《……もうひと押し。欲しいですね。その言葉は最大限、私に配慮してくれている。でも、私の望む言葉はそうじゃない。この窮地にそんな物はいりません》」
まさかの返答に、オルレイトが面食らった。可でもない。拒否、というのも違う。もうひと押しという言葉。
しかし、そのきかっけで、心の奥そこに、ずっと眠らせていた言葉を、口に出すことができた。自分の中で、体面を取り繕い、体裁を整える際に切り捨てた、その言葉こそ。
「――いいから、父上でなく、僕をお前に乗せろって言ってるんだ!」
諦めていた。ずっと諦めていた言葉。
「レイダ! 僕は! 強く、美しいお前の乗り手になりたいんだ!! 」
ベイラーの乗り手になりたいという、言葉。どこまでも、自分の体を顧みない、しかし、彼の中でずっと燻り続けていた願い。
そして、その言葉を受けて、ベイラーが動いた。
「《誰も彼も、一語一句変わらない。全く。示し合わしてるんでしょうか。でもこれだから、あなたたちの血に惹かれているのでしょうね》」
座ったままで、手を差し伸べた。
「《――いきますよ。オルの坊や》」
「――ああ、ああ!! 」
血を流しながら、その指にしがみつく。差し伸べられた手はそのまま、胸へと運ばれ、その琥珀の体へと触れさせた。
オルレイトがゆっくりとその体を沈ませ、コクピットに収まる。
そこから先は、動作は滞りなかった。部屋で、父と会話する直前まで読んでいた本、それでもう何年も何十年も予習していたことであったから。
操縦桿を左右で握り、意識と視界を共有する。
ソウジュベイラー・レイダが、半年ぶりに、乗り手ともに立ち上がった。




