思い出の丘
気がつけば、コウは自分のあてがわれた家に戻っていた。どのようにして戻ってきたかは、覚えていない。ただ、今のいままで、自分がカリンの何一つも知りもしないでいたことだけがショックだった。
「《いや、気がつける部分はいくらでもあった。ゲーニッツさんとしか会わないし、まるで母親のことを話さない。でも、結局は仲が悪いんだろうなくらいにしか……結局俺は、また自分の都合のいいように思い込んだ》」
足取りは重く、引きずるよう。せっかくジョットが拭いてくれた脚も、今度は転んで汚してしまった。外套に至っては、もう布ほつれが背中にまで及んでいる。
「《なんだ。俺は、なんでここまで動揺してるんだ。なんでだ 》」
「カリンの母親はすでに亡くなっている。」
情報を抜き出せば、こうなるが、それでも、この半年以上の中で、カリンが自分を母に会わせないことを考えれば、想像できないことではなかった。父親であるゲーニッツには、あんなに会わせたがっていたというのに、なぜ母親だけあわせたがらないのか。考えれば分かることだった。
しかし、それがコウの動揺の本質ではない。
コウは過去に、自分の家族について何度か話したことがある。そして、その中で、親とどんな経験をしたかを事細かに話したのだ。「親のいない」カリンの前で。
「《そんな、そんなこと、全く考えなかった。》」
その行動は、あまりに無神経であり、そのことに全く今の今まで気がつくかなかった自分に動揺していた。これから、彼女とどう接すればいいのか。ありもしない想像だけが先走ってさらに混乱する。無神経な人間と1分1秒一緒にいたくないとおもうのは不思議なことではない。人のことを考えずにズカズカ物をいわれるというのは凄まじいストレスになる。
これはすべてコウの想像だ。しかし。
「《それを、俺が聴くのか。いままで不快でなかったかなんて。そんなことを》」
自分の都合のいい想像ばかりを繰り返したと思っているコウに、それは断頭台へ立たされるようなものだった。
「《 (俺は、聴くのが怖いんだ。) 》」
その事に気がつき、そしてその先が「カリンからの拒絶」ということにまで想像がおよび、恐怖に足がすくんでしまう。明日はサーラへ帰る人々を送るために、カリンと共に見送りにでる事になっている。カリンに会ってこの動揺が鎮められるはずもない。かといって聴くのも怖い。こうした堂々巡りを繰り返し、家についたものの、その扉を開けられずにいる。
だが急に、内側から、その扉が開く。
「……お戻りには随分遅かったようですが。」
「《マ、マイヤさん?? 今日はもう帰ったはずじゃ》」
「急用を仰せつかりました。中にお入りください」
「《は、はい》」
今、誰かと一緒にいるような気分でもない。しかし、自分の家政婦であるマイヤを追い出す訳にもいかずに観念して入る。自分にあてがわれた家だというのに、こうして他人がいとも簡単に出入りしていると、自室という感覚が薄くなる。
ふと、マイヤがコウの外套を目にする。
布はほつれ、糸屑もでているその外套を手にとる。
「仕立てた外套は、あまり宜しくなかったようですね」
「《すいません。せっかく綺麗な外套なのに、こんなにしてしまって》」
「歩きにくかったのですね。丈はもう少し短くするべきでした。そこにお座りください。すぐ外して修繕します」
「《い、いいですよ。もう俺は着る機会ないでしょうし》」
「これはこの国でも高価な布なのです。捨てるにしろ使わないにしろ、このままでにはしておけません。幸い余り布はありますから、仕立てなおすくらいはできます」
「《は、はぁ》」
「ですから、そのままでお願いします」
「《わかりました》」
すっかりマイヤのペースに乗せられながら、椅子に座る。外套の留具を、マイヤが手早く外し、そのまま引きずるようにしてコウから外していく。
「お体も酷い。ぬかるみにでもはまったのですか? 」
「《いや、そうじゃなくって、転んでしまって》」
「今から井戸に向かうには暗すぎます。お体は朝お拭きしますね」
「《す、すいません》」
「あやまるばかりでなくて、他の言葉を言って欲しいものです》」
「《そ、その……ありがとう》」
「はい。どういたしまして。少々おまちください」
マイヤは、両手いっぱいになった外套を抱えて、奥へと消えていく。裁縫道具を取りにいったのは想像にむずかしくない。
周りを見回すと、この世界特有の月明かりの明るさの他に、家の灯りは最小限にとどまっている。コウにとって、忌々しい思い出しかないチシャ油が、その身を削りながら家を照らしている
そんな風景の中に、一輪の花が、優雅にお茶をすすっていた。無論、コウにガーデニングの趣味があるわけでも、部屋の中にマイヤが置いた観賞用の花が1人でに動いているわけでもない。
今日、コウがその姿に釘付けにされながらも、今は会いたくない人物がそこにいた。
「《どうして、ここに? 》」
「乗り手が自分のベイラーに会いに来たら行けない? 」
飲み終えたカップが置かれ、こちらに向き直る。あの壇場の上に居た時と同じ格好でこちらを見ていた。ただ1つ、壇場でずっと続けていた微笑みだけがなかった。
「せめて。一言二言あってよかったのではなくて? 」
「《いや、その、人が多くって、そっちに行けなかった》」
「そうね。何度もこっちに来ようとしてくれたのを見た」
「《……明日は早いんだろう。もう寝たほうがいい》」
「いいの。今日はちゃんとこのために時間を取ったのだから」
ゆっくりとした足取りで、コウの元に行くカリン。コウはというと、、そのまま硬直している。
「この日がよかったの。ちょっと急になってしまって」
「《この日……? 》」
「もっと余裕があればよかったのだけど、仕方ないわ……ところで何かない?」
「《何か……?》」
「コウって、たまに驚く程鈍くなくて? 」
「《突然、なんだっていうんだ》」
「まったくもう」
カリンが、その場でターンを決め、瞬間、ドレスふわりとふくらむ。その動作でようやく、コウはカリンがどんな言葉を欲しているのかを理解する
「《よく、似合ってる。》」
「他には? 」
「《他!? えっと……》」
「こうゆうドレスは他の人も着てたけど、比べてどう? 」
「《比べる……?》」
「あら、全然パーティー楽しんでなかったのね。」
「《いや、そうじゃなくて、ああ、そうか。ほかにもドレスの人がいたのか。気がつかなかった。》」
「なに。私しか見てなかったの? 」
「《……そう、なる》」
「へ? 」
「《カリンが、あんまりに綺麗だから、ずっと見てた》」
「そ、そう。へぇ。……本当に? 」
「《本当だ。……だから、会場から居なくなった》」
「どうして? 」
「《それは……自分の、無神経さに嫌気がさしたんだ。いや、違うな。聴くのが、怖くなった》」
「聴く? 何を? 」
「《カリン、その……君の、お母さんのことを、聞いたんだ》」
「――ああ、お母様のことを知ったのね」
カリンの返事は、数秒も経たない間の空いた返事であったが、コウにとっては数時間のように感じた。
「《俺は、随分無神経なことを君にしたことになる。君に家族の事を話すなんて。そう考えたら、俺は、自分が情けなくてしょうがなかった》」
「……だから、ダンスもせずにすぐにいなくなってしまったのね」
「《ダンス? 》」
「コウが居なくなったあと、皆で踊るの。街道の時のようなものではないけれど。せっかく貴方にみせたくて練習したのに、いつの間にか居ないんだもの」
「《……そうか。また、無神経を積み重ねた。ごめん 》」
「何か忘れてるようだから言っておくのだけど、コウのご家族のことを聞いたのは私が先よ? 」
「《……君のお母さんのことを知っていれば、パンの話も、桜の話もしなかったよ》」
「気にして、くれているの? 私のお母様の事」
「《するだろ。そりゃ。 気がついても良かったんだ。お父さんのゲーニッツさんには会うのに、君のお母さんにはこの半年以上会っていない。きっと事情があるんだろうって。まるで疑問にも思わなかった ちょっと考えればわかるはずだったのに考えなかった。それが、たまらなく悔しい》」
「そう。なら、やっぱり、今日こうして時間をつくってよかったわ。さぁコウ。私を乗せて」
「《ど、どうして? 》」
「行きたいことろがあるの。それに、約束も守らなきゃ」
「《約束? 》」
「あー。覚えてないのね。 まぁ結構前だからしょうがないか」
「《カリン、一体さっきから何を言っているの? 》」
「さて。マイヤー! 外套なおすのもいいけどほどほどにねー! 」
奥からマイヤが手だけを振って応える。カリンは手に小さな樽を持って、服装はドレスのままで、いつものようにコウに乗り込んできた。10cm以上はあるそのヒールでなんなく登りきり、コウの中へと入っていく。
「《夜中に外にでて、怒られたりしないの? 》」
「口裏は合わせてあるの。ほら行く」
「《だから、一体どこに!? 》」
「そのうちわかるわ」
持ってきた樽を適当にコクピットの中におき、カリンの操縦によって扉が開かれる。城からは各々がまだ宴を続けているのか、灯りと声が漏れている。道は月明かりで明るく照らされていた。ゆったりとした足取りで、夜道を歩いていく。目指す場所は、小高い丘。
「《……操縦、しにくくない? 》」
「ちょっとね。こうも裾が広いとほとんど埋まっちゃって、前見えないでしょう……コウ。今から下みるの禁止ね」
「《馬鹿な!? 考えないようにしていたのに!?》」
「残念。漏れてるの」
「《はい。すいません》」
「わかればよろしい」
カリンのドレスは裾が広く、そのままコクピットに入れば、ほとんどを布で占領してしまうほど。ベイラーの操縦にペダル操作のようなものはないため、ヒールであっても問題はない。しかし、コウにとってはある一点だけ大問題が発生していた。
こうして視界を共有して、その問題は露呈する。おおきく開かれた胸元。檀上から見れば、むしろカリンの美しさを引き出す為の構造ですらあった服のデザインであるが、コウがカリンの視点を借りて見るとなると、それは凶器であった。
真下にメロン二個分の重みのあるソレが視界を塞いでいる。
「《(見るな見るな見るな。)》」
「さっきまでのしおらしいコウはどこいったの」
「《それとこれとは話が別だ。》」
「檀上にいるときずっと見てたんでしょう? なんで今更」
「《こればっかりはごめん! 距離の問題だ》」
「わけがわからないわ……」
その後、コウはすっとカリンの視点になりながらも下を見ないように精一杯努力するが、段差がある場所や、寄ってきた動物を避ける際の不可抗力で見てしまい、その度に目を虹色にしてカリンに白い目をされる。そんなことを繰り返していると、ようやくカリンのお目当ての場所に来る。
「《……ここは》」
「いつか話したでしょう。野に咲く花でよければ、お花見をしましょうって」
「《……ああ、冬の、まだ街道を整備してる頃のだ》」
「なんだ。覚えてるじゃない」
「《いまのいままで忘れてた》」
「で、ここがそう。みえてくるわ」
開けた場所にでれば、極彩色に彩られた丘が現れる。コウは知りもしない花が、美しさを競うように咲き誇り、入り乱れている。そして、その可憐で優美な姿を余すことなく伝えようと、二つの月がひとつひとつの花を照らし出していた。
「《ここが、カリンが俺にみせたかった場所? 》」
「ええ。そして、今日、できればみせたかった場所。」
「《今日……? 》」
花を潰さないように、さらに歩みを進める。花たちは徐々に姿をみせなくなり、代わりに、草原がコウを迎える。足跡がくっきりと残るほど生い茂るこの場所になってなお、カリンは歩みを止めなかった。
「《花をみせたかったんじゃないのか? 》」
「あそこでもいいのだけど、私が見せたいのは、この先から見る景色。」
さらに歩みを進める。もう森に入ってしまう頃、コウにとって、忘れもしない植物が目に飛び込んでくる。その外皮は、コウと同じ純白であり、実るのは、七色の果実。
大きさこそ、この森に生える木と大差ないが、これは間違いなく、彼が生まれた木。ソウジュであった。
「《こんなとこにあったのか!? 》」
「もう、何年も前に、ベイラーがここで木になったそうよ。」
「《……あれ、木の根本に、なにかある? 》」
コウが、カリンより先に、何かを発見する。それができたのは、カリンがすでに、そこに何があるのかを知っているから。
石を重ねてあるその場所には、文字が掘ってある。この世界に来て、この国の『文字』を初めて見たにもかかわらず、その文字を読むことも、その意味も理解ができた。
「《イレーナ・ワイウイズ。しばしの旅へ。》」
「ええ。また、会えるといいわ。」
それは、カリンの母の墓であった。
墓には、いくつもの花が添えられている。献花というのは、どの世界でも共通のものになのだと、コウは理解した。そして、この世界ならでは物ものも、そこにはある。ちいさな樽とパン。時間がたって、すこしカビてしまっているが、カリンは頓着していない。
「《樽の中身は? 》」
「真水。旅のお伴よ。喉が渇いたらいけないでしょ」
カリンがコクピットから降りる。コウの家から持ってきた小さな樽は、この為に持ってきていたものだった。ふと、二人とも動きを止めた。献花の中に、よく整えられた、真新しい花冠が置いてある。カリンはこの場に誰か来たのかが、すぐに分かったようだった。
「……お姉様、先に来ていたのね。」
カリンはそのまま、手短な花を摘み、手馴れた手つきで花を編んでいく。茎をたゆませずに、花をきちんと表側にみえるように工夫をこらして、みごとな花冠ができあがる。それを、すでに置かれた冠と重なるように置いた。
「《カリンがみせたかったのは、このこと? 》」
「ええ。できれば、今日みせたかった……今日が、お母様の命日なの。お姉様がぎりぎりまでこの国で粘ったのも、そういうこと」
「《クリン様は、最初から、そのつもりで?》」
「どうだろう。予定だともっと早く帰るって言っていたから、きっと思いつきよ」
「《……どうして、ここなの? このソウジュの木は、お母さんが乗っていたベイラーが木になったもの、とか》」
「そこまでは知らないの。でも、きっとそうだと思う。お父様が私を、いや、他の人も、私を随分ベイラーに乗せたがらなかった。……亡くなった理由はね、ベイラー病らしいの。」
「《……ベイラー病》」
ベイラーに長く乗りすぎるとなる病。現代のエコノミークラス症候群。コウは、オージェンが一度、コウのコクピットの中で眠るカリンを起こしに、朝早く来たことがあったのを思い出す。あれは、コウへの忠告であると同時に、もう二度と、同じことを繰り返さないための予防策でもあった。
「でも、きっとお母様が眠る場所は、ここが良かったのよ。見て」
カリンが、その場で振り向いた。それは、コウを見るためではなく、その先の景色を見るため。カリンに釣られるように振り向く。
眼下に広がるのは、さきほどの極彩色の花たちと、ゲレーンの城。それが一望できる場所に、このソウジュの木は立っている。まごうことなき絶景だ。
「もうおぼろげになってしまったけど、小さいころ、私、ここに何度か来ているのそうなの」
「《お母さんと一緒に? 》」
「ええ。ここで、お姉様とお母様は花冠をよく作ってくれた。私は不器用で、あまり作れなくて、いっつも二人にせがんで作ってもらっていたそうよ」
「《大切な場所なんだ》」
「ええ。私にとって、大切にしたい場所」
「《カリンは、本当は今日ここで、お母さん、イレーネさんのことを話してくれるはずだった》」
「人から聞いてしまっているかもしれないとは考えたのだけどね。まさか今日この日に、しかも連れてくる前に知られるとは思わなかった」
墓のそばで腰を下ろすカリン。それに習い、彼女の傍にコウも腰を下ろした。
「お母様、きっとここからの眺めが好きだったのよ」
「《ああ。きっとそうだ。こんなに綺麗なんだから》」
「……お母様がどんな人だったのか、あまり覚えていないの。まだ3才だった」
「《そんな小さいときだったのか》」
「でも、お母様が亡くなった後、皆が私にお母様の事をいろいろな事を教えてくれた。この栗色の髪は、お母様と同じだってこと。」
「《姉妹揃って同じ色だったね》」
「豪気な人で、武術の才能はお姉様よりあったとか、なかったとか。」
「《ほかには、どんな? 》」
「些細なことよ。子守唄を、よく歌ってくれていたこと。土と、花と、動物と、人と、ベイラーと、この国が好きだったこと。幼い私に、剣の握り方をおしえてくれたこともあったそうよ。まだ持ち上げることもできなかったろうにね」
「《なんか、話しても話しても終わりそうにないな》」
「話し足りないなんて当たり前よ。コウと私が会って、まだ一年経っていないんだもの」
「《なんか、それ以上の時間が経っている気がする》」
「半年でこれだもの。きっとこれからもっといろいろな事がおこるわ。でもそのまえに、いろいろお話もしたい。お母様のことも、私の事も。まだ話していない事がたくさんある。少しずつでいいから、こうして、またお話していい? 」
「《ああ。 たくさん話そう》」
「そう。よかった」
「《でも、今日はもう帰ろう。明日はお姉さんが帰るんだろう》」
「そうね。寝不足で見送るなんて失礼だもの」
コウは乗りやすいよう手を差し伸べるが、その手を階段にするのでもなく、高いヒールで踏みしめながら、タンッと駆け上がっていき、コクピットを通り越して、コウの肩に腰を落ちつけた。コウの困惑しているのをよそに、カリンは得意げにその足をぷらぷらさせている。
「《カ、カリン? 乗らないの? 》」
「このまま、歩いてみせて。途中まででいいから」
「《……揺れるよ? 》」
「いいの。」
「《わかった。落ちないように気をつけて。》」
コウが最大限気をつけながら、立ち上がる。カリンが共有を経て見るコウの視界ではなく、自分の目で、母と、母のことを思っていたであろうその白い木を、同じ人を思って編まれた冠を、じっと眺める。
コウはカリンを振り落とさないように、ゆっくりと歩き始めた。同時に、カリンの視界もゆっくりと流れていく。コウが歩く度にサイクルがこの広場に鳴り渡る。そのまま来るときより何倍も時間をかけてコウが去るその間、カリンの目は、ずっと母が眠る場から離れることはなく、花畑も通り過ぎ、小高い丘から降りるまで、カリンはコウの肩に居続けた。




