ベイラー、パーティーへ行く
パイロットだけやっていればいいわけではありません。
コウが、門にも思える戸をたたくと、内側へとゆっくりと開き、人が迎えてくる。
「《いま、戻りました。》」
「はい。……お疲れですね? 」
「《いろいろ、ありまして》」
「お座りください。 丁度水を汲んだところですので、拭くのもすぐできます」
「《あー、お願いします》」
コウの生活様式も、夏に入ってからずいぶんと様変わりした。以前は医務室の一席を間借りしているような状態であったが、急患の増加や、ゲレーンへの少なくない貢献をしたその恩赦ということで、城の近くに、ベイラー用の家を設けてもらった。彼はいま、そこで寝泊まりしている。泊まるといっても、ベイラーは食事もしなければ、睡眠も人間の真似ごとをするだけで、ベットもいらない。雨風をしのげる屋根と、座ることの出来る椅子があればいいとコウは進言したが、それはカリンによってすぐさま却下された。
遡れば、未曾有の被害を出した『追われ嵐』での活躍。凶暴な獣の退治。盗賊の拿捕。この結果に報いることをしなければ、ゲレーンの王族としての品格が問われてしまうとは、カリンの談であり、国王ゲーニッツも、それをよしとした。
結果。城の西側に位置する場所に、べイラー一人が住むにはいささか大きいほどの家がすぐさま建てられた。外見こそ他のゲレーンの人々が住む家となんら変わりないが、その中身は、ゲレーン最新の湯沸かし器、ランプ、ベイラー洗浄用の区画に、数名の人間が寝泊まりできる生活空間までもがはいるものであり、さらには、コウにお付きの家政婦までついてしまった。
「今日はどちらに? 」
「《城下のすぐ近くの村の手伝いに。大きなカブが取れたんです》」
「それは、村のひとたちも喜びますね」
「《ただ、あんまり大きいから、となり村まで分けにいってました》」
「……大きすぎじゃありませんか? 」
「《ベイラーがすっぽり入りそうな大きさでしたよ》」
「それは、また大きい」
お付きの家政婦、マイヤは、その目を細くしながら、専用の道具を使い、コウの指先と脚を丁寧に、それでいてすばやく拭っていく。カリンの推薦で決まったお付きの家政婦だ。
「《でも、地面がおおきくえぐれちゃって。明日直しに行ければいいんですけど》」
「日が傾く前までに戻てきて頂ければ、構いません」
「《いいんですか? 》」
「しかし、必ずお戻りください。こちらでお召し物の用意もありますので」
「《お召し……? 服を、きるんですか? 》」
「外套を羽織っていただきます。採寸は眠っていらっしゃる内に済ませましたので」
「《え、ええ……》」
「はい。終わりました」
会話をしながら、てきぱきと仕事をこなすマイヤ。彼女の仕事もまた早かった。ここで、コウが、彼女の手を見て気がつく。老人とはまたちがった風貌だが、確かに仕事でできたであろう、荒れた手をしていた。
「《水仕事だと、そうなってしまうんですか? 》」
「はい?……ああ、お気になさらず。手袋はありますので」
「《ああ、いや、そうじゃなくって、ええと……》」
「はい? 」
コウが言葉を選ぶ。何を言えば、彼女にいま自分がどう考えているのかを、明確に、それでいて簡単に伝わるのかを。この国にきてもう経つというのに、未だにこの作業は長くかかってしまう。
「《いつも、ありがとうございます》」
「は、はぁ。どうも」
それも、いまいち効果のほどは出ていない。それを感じて、また間違えてしまったと、すこしだけ後悔する。
ただ、マイヤが、言葉を続けてくれた。
「貴方は、いつも伝えたいことを抜き取り過ぎなのです」
「《抜き取り、すぎる? 》」
「今のは、私への感謝でしょうが、言ってしまえば、これは私の仕事です。荒れていない手に憧れがない訳ではありませんが、この手は私の経験の証であり、誇りなのです。貴方は、それを感じ取ってくださったのでしょう? 」
「《は、はい! そうです!! すっごい手だなぁって! 》」
「なら、それを先に言ってくださいませ。 そうしなければ、あの言葉は、余りにも素っ頓狂です。唐突です」
「《す、すいません》」
「以後、お気おつけください。カリン様には特にです」
「《気をつけます》」
「……では、感謝されてしまいましたので」
ふわっと。この国の家政婦が身に付ける長い、あまり装飾のないスカートをふわりと持ち上げ、マイヤは礼を述べた。
「どういたしまして。姫さまのベイラーに言われるとは、光栄です」
「《そ、そんな大げさな》」
「では、コウ様。私めはこれにて」
「《あ、はい。お疲れ様でした。また共に》」
「また共に」
つかつかと、出口までをいつにもまして睨みつけながら歩いていく。最初こそ、彼女のつり上がった目が恐ろしく感じていたが、別段怒りやすい性格でもなく、こうして話もできる人として、コウは彼女を認識しつつあった。
「《でも、めちゃくちゃ怖い目だよなぁ。なんでいつも睨んでるんだろ》」
手入れをされた手足を眺めて、その仕事ぶりに感嘆しつつ、明日のことを考える。リク、リオ、クオの活躍により、あの巨大なカブは抜くことができた。あのまま放置していたならば、他の野菜の農作物に行くはずの栄養までも取り入れて、さらに大きくなってしまう。しかし、食料であることもまた事実で、まだ物が行き届いているとは言え、備蓄は多いほうがいい。そんな中、あの巨大なカブをそのまま捨ててしまうのは、余りにも惜しい物だった。きっと、今日はあのカブを使って、あの村は宴会でもしているはずだ。
「《明日、明日かぁ》」
明後日、サーラから来ていた人々が帰ることになっている。それに伴い、無事に冬を超えたことを共に祝う趣旨のパーティーが明日開かれることになった。無論、ベイラーも出席する運びとなり、コウも、例外ではなかった。
「《立食会、だよなぁ。初めてだ。でも、食べれないし、どうすりゃいいんだ?》」
パーティーの礼儀作法もマイヤさんに聞けばよかったと後悔しつつ。灯りを消して、コウは眠りについた。
◆
「《つかれた》」
「《どうしたのさ? 》」
「《ここに来るまでに外套―マント―で脚を何度も取られそうになった》」
「《丈が長いと、そうなるね》」
「《ミーンはよくこれをつけながら走れるね》」
「《脚に届かない位の長さなんだ》」
「《言われればそうだ。今度からそうしてもらおう》」
「《礼服は、無理じゃないかなぁ》」
昼間に、土をならしに村にいって、その作業も滞りなく済んで、時間に遅れることなく、コウは城に到着できた。慣れない外套は、歩くたびにたなびいて、逐一どこかに絡まりそうで気が気でなかったが、今こうして。ゲレーンの城の一角でじっとしている。へたに動けば、また転んでしまいそうになる。
このパーティーに、ミーンもナットも招待されていたようで、ミーンもいつもの外套ではなく、豪華な刺繍があしらわれた、きらびやかな物を身にまとっている。乗り手のナットは、食事で忙しいらしい。
「《ミーンがいてくれて助かった。話せる人がいない》」
「《友達、少ないんだ? 》」
「《そ、そうなんだよ……》」
「《冗談だよ。そんな落ち込まないで》」
城の、ベイラーから数えて4階。 大広間でパーティーは始まっていた。人間とベイラーの共用スペースでもあるこの場所で、サーラの人々も、ゲレーンの人々も等しく集まっている。料理も、一目で豪勢なのが分かるほど。お酒も、たくさん用意されていた。
「《こんなことができるくらいには、ゲレーンも元にもどってきたのかな》」
「《うん》」
「《ミーン。ありがとう。あの時、嵐のことを伝えてくれて》」
「《ナットに言ってやって。走らせたのはあの子だ》」
「《もちろん言うよ。でも、ミーンにもだ》」
「《なら、こっちも。御礼を言わないと。あの時、コウや姫さまが助けてくれた……ありがとう》」
「《どういたしまして。是非とも、それをカリンにも伝えてほしい》」
「《堂々巡りみたいだ。 でも、分かった。必ず伝える》」
「コウ! それに郵便屋のミーンじゃないか! 」
なにやら、ひどく懐かしく感じるほど久しく聴いていなかった大きな声が聴こえる。樽のような体型に長い髭。コウにとっては、見間違うはずもない。
「《バイツさん! お久しぶりです!》」
「冬は会いに行けなかったからなぁ。ミーンも、元気そうだな。大けがをしたと聞いたが、もういいのか? 」
「《はい。全速力は、まだですけど》」
「お前さんが本気で走れば郵便屋はお前以外廃業になってしまう。ほどほどにな」
この国で会った最初のベイラー、レイダの乗り手、バイツ・ガレットリーサー。軍を任される立場の人物であり、このようなパーティーにも呼ばれて不思議ではない。普段はもっと横柄な態度を取る人間であるが、今日はなにやら様子が違う。
「コウ。活躍は聞いている。本当によくやってくれたなぁ」
「《は、はい。ありがとうございます》」
「肩が随分変わったなぁ。 なにか不具合がおこったりしないのか?」
「《今の所、なにも》」
「そうかそうか。そいつはよかったぁ! ナァッハッハ!!」
やたら上機嫌であることに不審におもえば、少々肌の色が赤い。足元がおぼついていなければ、注がれた盃の酒も、なんども注がれた跡が残っている。すでにかなりの量の酒が入っているようだ。
「《だ、大丈夫ですか? もうかなり飲んでいるみたいですけど》」
「うん? なぜかしらんが、祝いの場ではよく酒を進められるのだ。何故かだれも止めないからな。そのままジャンジャン飲んでしまう」
そう言いながらも、グビグビと飲み干している。白い泡がついているのをみるに、中にはいっているのはビール……麦酒であろう。こちらの心配もよそに、バイツは続ける。
「コウ! お前! 今度赤色に塗り直すそうだ! 」
「《へ? 俺、軍隊に入るんですか? 》」
「そうじゃない! これまでの功績をたたえ「お前は戦うことが得意だ」という証を授けるということだ。勘違いしている者もおおいが、赤い肩だからといって、全員が全員軍にはいっているわけではないぞぉ。」
「《そ、そうなんですか》」
「いいかぁ。戦いっていうのは、器用じゃなければ始まらない。体がどれだけ動くかが重要だ。それを、お前はキッチリクリアしている」
「《で、でもレイダさんほどまだ動けませんよ?》」
「なにぃ! うちのレイダと比べようなんていい度胸だ。今度またサイクルショットの訓練をつけてやる! 」
「《そんな無茶な! 》」
「いいかぁ。この国で赤をもらえるのは非常に! 非常に名誉あることでもあると同時に、責任を伴うことなのだ。」
「《責任、ですか? 》」
「お前の赤い肩をみて、皆はいう! 「ああ、動くことが得意なベイラーだ!」と。頼れるベイラーであることの証なんだ。 しかぁし!」
盃をかかげ、声を荒げる。
「同時に、このまえの嵐のような時には、誰よりも速く駆けつけ、この国を守らなきゃならん! 赤い肩のベイラーならそれができると皆が信じてくれる! 」
「《信じてくれる》」
「だからこそ、赤い肩にするとき、わが国の王はお前たちに問うのだ! 」
「《問う? 問うって、なにを? 》」
「「この国に、しばらく長居してはもらえないか」と! 」
「《……肩を塗ることで、優秀なベイラーだとわかる人間が、遠くにいくベイラーを頼りにしてしまうから? 》」
「そうだぁ。 お前たちベイラーは遠くに行きたがるものだ。 それを俺たちが止めることなどできん! だからこそ、赤く塗るときは緑で全身を塗る時よりも重要な意味をもつ! 俺たちにとっても、ベイラーにとっても!」
「《赤い肩をもらわなかったベイラーは、いままでいたんですか? 》」
「いたとも! 俺たちはあくまでベイラーに頼るが、頼りきってはいかん。そいういう考えの元に、色の塗っていいか聞くんだ、」
「《なら、俺は、その色を塗ってもらっていいんですけど、1つだけ。》」
「おん?」
「《カリンが、姫さまが、俺と一緒にどこか行きたい時は、返上します。》」
「ほう! ほぅ!! そうか! 」
足元でバイツがベシベシとコウを叩く。それは攻撃の意図はなく、ただ、じゃれついているのような。
「言うようになったなぁ! どこか頼りなかった最初のころとは大違いだ。」
「《最初……そうえば、なんで最初、俺にカリンを乗せるのを反対したんですか? 》」
「ああ、あれかぁ。あれはなぁ。」
じゃれついていたのが一片。バツが悪そうに口ごもる。しかし、覚悟が決まったのか、コウを真っ直ぐ見据えてバイツが過去のことを話し始める。
「姫さまには、できるなら、乗り手にはなってほしくなかったんだ。」
「《それはまた、どうして? 》」
「ベイラーに乗っていると、怪我やらなにやらが絶えない。頭も全身も強くうつ。そうゆう『もしも』を考えればキリがない。お前にだって心当たりがあるはずだ。」
「《……はい。たくさん。》」
ベイラーのコクピットはお世辞にも広くない。それに、歩くときの振動くらいなら吸収するようだが、転んだり、吹き飛ばされたりすれば、コクピットの中の人間は相当な衝撃を受ける。事実、カリンがその衝撃で気絶したのは1度や2度ではない。そして気絶というのは、軽々しくなっていいものではない。運が悪ければ後遺症が残ってしまう。
「姫さまには、そのような経験など積んで欲しくなかった。 3回もベイラーが立ち上がらずいて、内心はホっとしていたのに、4回目でお前が立ち上がった。」
「《じゃぁ、決闘を申し込んだのは、諦めてもらうために? 》」
「ああ。ベイラーが負けていたら。もうすっぱり諦めてくれるだろうと。だが、そうはならなかった。しかし、今なら、おまえが勝って良かったと思っている。」
「《そうなんですか? 》」
「以前の姫さまのように笑顔が増えた。認めたくはないが、お前は姫さまから笑顔を取り返したんだ。 俺にはついぞできなかった」
そこまでいうと、酒を一気に煽り、ジョッキの中を空にする。
「お前はよくやってるよ。 また後でな! 」
バシバシとふたたびコウの脚をたたいて、そのまま、とても酔っているとは思えないしっかりとした足取りで、バイツはその場を後にした。
「《ミーン、いま、俺は褒められた、のかな? 》」
「《そうだと思うよ》」
「《バイツさんに褒められたの、初めてだ。いっつも自分の自慢ばかりするひとだったから、なんか、変な感じだ》」
「《え、あの人、お酒はいってないとそうなの? 》」
「《へ? 》」
「《軍のバイツさん、お酒飲んでるとこしかしらないけど、いつもあんな感じなんだ。てっきり素面はすっごい温厚なひとだとばかり……》」
「《酒グセって、悪い方向にいく人ばかりじゃないんだ……》」
ミーンと、酒の有無で性格が変わるバイツに驚いると、突如として集まった人々が歓声を上げた。どうやら、国王ゲーニッツがこのパーティーに来たらしい。しかし、人ごみで見えないでいた。
「《おお。これはこれは》」
「《ミーン、国王様がもう見えたの? ここからだとよく見えない》」
「《そうなんだけど、コウ、みたらきっとびっくりすると思う》」
「《どうしてさ? 》」
「《とりあえず、ほらほら》」
ミーンに促されて、そのまま、位置を取り替える。ここからなら、ゲーニッツの姿を見ることができた。
何度か見たことのある姿であるゲーニッツだが、何時にもまして威厳を放つ風貌をしている。というのも、ゲーニッツが王冠をつけている。自身の頭と同じくらいの大きさながら、こと細かな細工がほどこされ、王が動くたびに装飾品が揺れ動く。
中央には、丸く、大きな宝石がはめ込まれている。
「《すっごい。王様が王冠をつけているのを初めて見た》」
「《普段つけたがらないんだって。重いから》」
「《だろうなぁ。あれ、全部金かな》」
「《キン? いや、材料はしらないけど。あの真ん中の宝石は、この国で取れたんだ》」
「《この国、宝石も取れるんだ》」
「《うん。あの赤いの。それより、君の乗り手だよ。ほら》」
「《カリン? でもどこに……》」
ゲーニッツの後ろに、彼女はいた。いつもの溌溂とした表情は身を潜め、粛々と後ろと父の後ろについて行く。彼女はいま、この国の姫としての立場を明確にしながら、歩みを勧めている。
いつもの、多少動きやすい格好ではない。 長く広がったスカート、いや、ドレスはまるで花のようで、間違いなく、カリンはいまそこで咲いている。胸元は大きく開いているが、それが品を下げることなく、彼女の魅力を引き出している。頭には、小さなティアラ。決して派手ではなくても、存在感を主張しているが、それもカリンを引き立てる役にすぎないでいた。
カリンは、話しかけられるサーラの人々に、時に手をふり、時に裾を広げ挨拶を返しながら談笑をしている。
カリンの装いに、コウはその場から動かず、ひたすらに見惚れていた。
やがて、コウに気がついたのか、カリンがこちらに小さく手を降った。その行動で我に帰ったコウは、こちらも小さく、手を振り返す。そして、カリンはそんなコウを見て、微笑んだ。その微笑みに、またコウは見惚れてしまう。
「《コウ。コウ。》」
「《な、なんだ? 》」
「《目。チカチカさせないでくれない? 》」
「《そ、そんなに!? 》」
「《そんなに》」
思わず自分の手で、顔を触る。光がうっすらと反射しているのが分かる。
「《もしかして、バレバレ? 》」
「《バレバレ》」
「《そ、そうかぁ……》」
「《姫さまの装いをみるのは、初めて? 》」
「《初めて》」
「《収穫祭とかで、よくしてくれるんだけど、去年は、嵐でそれどころではなかったから》」
「《あー》」
「《にしても、綺麗だねぇ》」
「《本当に、綺麗だ。》」
「《目を光らせるほどかはわからないけど。入れ込んでるね》」
「《い、いいじゃないか。別に》」
喧騒がおわることなく、ゲーニッツは皆を見渡せるように設けられた一段高い壇場にあがる。
「今日はよく来てれた! そして礼を言わなければならない! サーラからきた諸君がいなければ、我々が冬を超えるのは難しかった。本当にありがとう。明日にはサーラへ帰る諸君らへ、晩餐とまではいかないが、この国自慢の料理人たちが腕によりをかけた料理と、この国自慢の麦酒を用意した。量なら心配いらない。むしろ、食い尽くせるものなら食い尽くして、飲み干せるものなら飲み干して見せて欲しい! 国と国との垣根を超え、今日は楽しもうではないか!! 」
ゲーニッツが皆を煽り、盃を掲げた。そうすることで、皆が先ほどとは比べ物にならないスピードで、料理を、酒をかっくらっていく。
しかし、この喧騒の中、ピクリとも動かない者がいる。いや、動けずにじっと見惚れている者がいる。コウが、カリンから目を背けられないのだ。
「《……そんなに気になるなら近くにまで行ってきたら?》」
「《へ? でもいま王様と一緒だし。いいよ後で》」
「《ベイラーが乗り手のとこに行っちゃいけない理由なんかないよ?》」
「《そ、そっか。なら、行ってくる》」
いつもと装いも場所も違うカリンに自分が会いに行っていいものかという葛藤しているコウの背中をミーンが押してやる。当のミーンは、いい加減このピカピカ光って眩しい隣人をどこか遠ざけてしまいたいからこその行動なのだが、それに気がつけるほど、今のコウは周りに目が行っていなかった。 足元にいる他の人たちに怪我をさせないように、慎重に歩みを進める。
「うおぉう! ベイラーか! 気をつけなぁ! 」
「《ご、ごめんなさい! 通ります! 》」
声をかけても、皆は食事や酒に夢中で、なかなかこちらに気を向けてくれない。このまま強引に進もうものなら、けが人が出る可能性もある。ついに、カリンのいる場所にたどり着けず立ち往生してしまった。
「《だ、だめだぁ……とりあず。ここで待つか》」
先ほどよりも近い位置に進むことのできたコウは、その場で膝立ちになった。初めてつけた外套が床に垂れる。カリンはというと、父であるゲーニッツの傍で、入れ替わり立ち代り挨拶しにくるサーラの人々と談笑している。その中には、彼女の姉であり、サーラの親善大使であるクリンの姿もある。ゲレーンにきたときのように、騎士の男装をしている。男装の麗人と呼ぶにふさわしい風貌のクリンと、煌びやかな装いのカリン。2人がそろうことで、実に絵になっている。
「《本来は、ああやって過ごすのがカリンなんだろうなぁ》」
人ごみで立ち往生し、膝立ちでやり過ごすコウと、その場で次々訪れる者が途切れないカリン。両者には、目に見える以上の距離があった。そしてそれは、コウがいままで意識していなかった、いや、意識しないようにしていた「カリンの身分上の立ち位置」を理解するには十分すぎるものであった。




