純白のベイラー
最終回
コウが宙で星となった日から、世界は少しずつ変わっていった。
帝都ナガラは壊滅したものの、奇跡的に皇帝カミノガエは存命し、国の存続は叶った。だが、国力の低下は著しく、また、現状で他国の侵略を受ければ、国の衰退は火を見るより明らかであった。
そこで、陸路をサルトナ砂漠の遊牧民が、海路を、サーラがそれぞれナガラで援助を行い、かつ他国の侵略を許さない関所を構えた。もっとも、この関所も、正体不明の、もしくは、正体が明かされる前に不自然に消滅していた一派によって、幾度となく破壊された。
だが、ナガラは、復興に手を付ける一方、商業国家アルバトの知見を、その元主宰ライカンから、その命と引き換えにもたらされた新たな技術、アーリィ・ベイラーの製造方法と、その運用を身に着けた事で、さらに強大かつ強固な国になった。そして、アーリィ・ベライー、その運用の効率化を図るべく、帝都ナガラは、この世界ではじめて、空港を作り上げた、これにより、帝都ナガラは、陸路、海路、空路を抑えた初めての国家となった。
陸路の関所、海路の関所に空港から飛び立ったアーリィベイラーが巡回する事で目を光らせ、また侵略の兆しがあれば、すぐに緊急出動が掛かる。この空港建設計画は本来、アルバトが自国で行い予定であったが、所持していた資金のほとんどを戦争で使い果たし、また主宰であるライカンが、自分の命可愛さに技術を差し出してしまったせいで、一番手を譲る形となった。
空路を抑えたナガラに続くように、他国も競って空を目指し、技術競争が過熱していった。このタイミングで、アーリィーベイラーをナガラが各国に輸出し、空を飛ぶベイラーが各国で見られるようになる。この際の輸出で、帝都はかなりの利益を得たと言う。そして、各国でも空港が作られて、空輸という概念が世界に生まれだした。
空を使う世界が当たり前になり出した頃。別の物もまた生まれた。
◇
サルトナ砂漠。砂の大地の一角で、いくつも無造作に設営されたテントがある。日差しを防ぐだけの機能しかないそのテントの中で、帝都の兵士達があわただしく動いている。
「痛てぇ、痛てぇ……」
「くそ、信者共め」
だれもかれも苛立っている。テントの一つは医療用になっているのか、怪我人が数名寝転がされている。処置する人数に対して、医療班の数が足りていなかった。彼らは何かと戦っており、そしてこのテントは軍事的な処理を行う司令部であった。その司令部に、ひとりの人物が入ってくる。
「状況は?」
「こ、これは防人様!?」
「あたくしに礼は不要。で、今はどうなってるの?」
「残念ながら、すでに門による召喚は成功してしまい、兵士では手が出ません。ベイラー部隊は突入し、拡大を防いでいる状態です」
「……やるじゃん」
あわただしい状況下に、外套をすっぽりかぶった少女が、軍隊の中にずんずん進んで事態の共有を求めきた。兵士は一瞬ぎょっとしたものの、彼女の事は既知のようで、そのまま状況を共有する。
「で、場所は?」
「この眼下、あの横穴です」
隆起によってできた岩肌に、長年の風食により空いた風穴の中から、聴くに堪えないうめき声と、本来感じるはずのない生暖かな風が吹いている。
「敵の種別はわかったりするー?」
「アルスカリタイプです。数は三」
「ああ、馬鹿力のアレか」
防人、と呼ばれた少女が軍の、それも指揮官とおぼしき男に声をかけた。その空気感は、まるで近所に住むおじさんに話しかける子供のソレであった。
「ベイラーは撤退させて。まもなく師匠、じゃなくて聖女様も来ます」
「お、おお! かしこまりました」
「ま、あたくしだけでなんとかしてみせるけどね。じゃ行ってくる」
「は! 剣が貴方を守らん事を」
「剣が貴方を守らん事を♪」
防人と呼ばれた少女がテントから飛び出してく。そして彼女が飛び出してから、横穴から巨人が出てくるのはほぼ同時だった。
「出たなぁ」
「―――」
一つ目の顔をした巨人。大きさとしては15mほど。ベイラーよりも大きい。アーリィ・ベイラーたちが抑えているが、その静止を振り切り、横穴から二体出てきていた。鈍重な動きの代わりに、その腕力は、並みのベイラーでは刃が立たない。
「信号弾うてぇ!! 兵士達を下がらせろ! 防人様が来てくれた!」
「「「お、おおおおお!!」」」
指揮官が声を上げると、煙が炊かれ、信号弾として打ちあがる。音と光でアーリィに乗っていた乗り手たちが気が付き、アルスカリに取り付くのを止め、順次離れていく。
「―――?」
「おお、一体はなんとかしたんだ。やるじゃーん」
防人と呼ばれた少女は、横穴の奥で、アルスカリが一体倒れているを見つける。無色透明な敵の体液がドロドロと流れ出ていた。アーリィに乗った兵士がすれ違いざまに声をかける。
「防人様! どうかご無事で!」
「はいはーい! じゃぁやるかぁ!」
外套を脱ぎ捨てる。赤いド派手な髪の毛に、踊り子のような薄着。そして、その派手な出で立ちらしくも、戦場には似つかわしくない、少々幼い声を張り上げ、大きく手を掲げる。
「きなさーい! ブレイダー!!」
指を打ち鳴らすと。すぐに上空から一本の剣が降りてくる。赤熱化した一本の剣が砂の大地に突き刺さる後、ガタガタと音を立て、四肢が生え、頭が伸びる。やがて、そのフォルムが人型へと変化した。
《ブレイダー。現着しました》
「敵は二体。アルスカリだって」
《ではご搭乗を》
「はいはーい」
少女はその手を借りる事なくスタスタと登り、あっという間にコクピットの中へと入り込む。操縦桿を握りしめ、即座に敵を見据える。
「速攻でカタつけちゃうよ! あたくしたちならできるでしょう!?」
《肯定》
グレート・ブレイダーを駆り、防人と呼ばれた少女が駆け出す。サイクル・ジェットで加速し、一目散に間合いへと入り込む。そしてその一歩手前で、彼女が武器を作り出す。
「サイクル・ダブルマチェット!」
剣より分厚く、剣より短い鉈。力任せに振り回す事で、対象を両断する、切れ味より破壊力重視の武器である。それを二刀流で作り上げると、体を回転させながら、アルスカリに迫る。
「そう、れぇ!」
アルスカリはが躱わすよりも早く、間合いに入り込んだブレイダーが、その身を鉈で切り刻む。断面は鋭利とは程遠く、無理やり裂き割ったような断面。その断面から、無色透明の体液が砂地に降り注いだ。
「げぇ汚い!」
《右後方、攻撃》
「なにぉ! させるか!」
アルスカリがその剛腕をつかい殴る掛かってくるが、その右手に持った鉈で、拳を真正面から叩き、引き裂く。腕が中央から分断されていく。そして、左手に持った鉈を、力任せに首へと向けた。
「ふたつぅ!」
ブン! と勢いよく振りぬいた鉈は、力任せであるとは信じられないほど、正確にアルスカリの首を捉え、そのまま切り裂いていった。
一つ目の頭がゴトリと落ち、体が倒れる。
「おーわり! 楽勝♪」
《否定……警戒推奨》
「なんでぇ? もう終わったよ?」
《対象が消失》
「消失……?」
防人が改めて視界を広く持つと、兵士が倒した、あの横穴にいたはずのアルスカリが一体見当たらなくない。体液が残っている為に、この場から離れたのは明白。
「逃げた? ブレイダー。痕跡を調べて―――」
ブレイダーに指示する直前、その足を何者かが掴みかかった。
「うっそ!? コイツ砂の中に潜れるの!?」
砂の中から、アルスカリが現れ出て、ブレイダーを逆さづりにして見せる。ミシミシと音を立てて、ブレイダーの足が壊れていく。そして、そのままブレイダーを地面へと叩きつけようとしていた。
「これヤバ!」
「――――油断大敵よ」
振り落とされる寸前に、アルスカリの腕を何者かが吹き飛ばした。ずどんと、高所からブレイダーが落ちるものの、受け身で致命傷を避ける。アルスカリの方は、何が起きたのか分かっていない様子だった。
だが、それ以上は、何かを考える暇もアルスカリには無い。
「サイクル・ノヴァ」
アルスカリの体に、どこからか飛んできたカギ爪の付いた腕が食い込むと同時に、手のひらから莫大なエネルギーが放たれる。体全身を焼き焦がすその火力で、アルスカリはそのまま、骨の一つ、肉片一つ、体液一つ残す事なく、この世から蒸発してしまった。砂の上に残った焦げ跡だけが、唯一残った痕跡だった。
アルスカリの全滅を見て、兵たちが沸き立つ。喜びの中で唯一、防人と呼ばれた少女だけが不満げだった。そして、テントの傍にいつの間にかいた、黒いベイラーの元に、右腕が戻っていく。
「もう! 師匠達はいっつも遅い!」
「貴方が待たなかったんでしょう?」
「むー」
黒いベイラーの中から、師匠と呼ばれた女性が降りてくる。頭を隠すようにして覆われたフードの裾から、小さな緑の炎が漏れている。同じくブレイダーの中から、防人と呼ばれた少女が降り、司令部のテントへと向かう。
「ねぇ師匠、この後は?」
「そうねぇ。サリィ。一度帝都にもどりましょうか」
黒いベイラー。グレート・エクトーを駆るカリンと、グレート・ブレイダーを駆る少女。防人サリィは、並んでテントへと戻っていった。
◇
「聖女の防人よ。貴君の働きは聞いておる」
「ははぁ!」
帝都ナガラ。まだ修復が終わっていない仮の王城。その謁見の間にて、跪いたサリィとカリン、サリィが報告の折に、大げさに答える。
「あの場で外教徒たちは全員亡くなっていた、というのは誠か?」
「はい。召喚に際し、その命を犠牲にしたもの、だとおもいます」
「で、あるか」
外教徒。星の外から来る者たちを信奉する者たちを指す。これが、この世界で新たに変わった数ある物の一つ。外教徒の目的は、再びこの世界に、星の外から来る者を呼び寄せる事。召喚の儀はそのひとつ。だが、彼らが呼び出すのは決まってその眷属たちだけで、未だにマイノグーラ達のような存在は、この星に呼びされた事は無い。
「これからも、聖女イレーナと共に励むがよい。そして貴君には引き続き、外教徒の調査を命じる。して、今日はもう休むが佳い」
「はい!」
サリィはカミノガエに命じられるまま、緊張で少し硬くなっている体のままで退出していった。そしてカリンが残ったのをみると、カミノガエは周りの者たちを下がらせた。『聖女イレーナ』。それが今のカリンの名である。
「……息災であったか?」
「はい。陛下も、ずいぶんと、その」
二人の婚姻関係は公式には結ばれているが、とある事情で、カリンの名が途切れている。理由は、カリン自身の体にあった。
「お鬚が伸びましたね?」
「で、あろうな。余、もう三十を過ぎた……本当に貴君は、変わりないな」
カミノガエは帝都の人々と同じように、すらりとのびた手足となり、そして食が進んだ事で、肉付きも随分と解消された。いまや、一国の主である事を疑う者は誰も居ない。しかし、カリンの方はというと。
あれから、全く外見が変わっていない。フードを取ると、亡くなった右目に淡い炎が灯っている。この炎と同じものが、左手にもある。
「マイノグーラの呪い。死してなお残るとは」
「静止の力が、私の身に起きていると」
あの戦いの折、カリンに浴びせられたマイノグーラの僅かな力の残滓。それがカリンの体の成長を止めている。そして止めているのは成長だけではない。
「傷も負わぬし、体力も減らない。代わりに……」
「子供も、できない」
体が静止しているのに動いてるのは、ひとえに右目と左手に宿ったコウの力のおかげである、というのが、カリンの中で決着がついていた。問題は、カリン自身の肉体ではなく、その取り巻く環境にある。
「(帝都の世継ぎの産めぬ女王に、立場はない……だからこそ陛下は、公的な文章から、私の名を帝都から、消してくださった)」
カミノガエの第一夫人は、今は亡き者となっている。カリン・フォン・イレーナ・ナガラの墓は立てられる事もなく、捜す者が探してようやく見つかる程度の名前となった。そしてカミノガエは、すでに第二の夫人を迎えていた。
「陛下。お子様はいまおいくつに?」
「六歳と三歳になる」
「お世継ぎは問題なさそうですわね」
「……カリン。余にこんな事をいう資格はないとは存じる。しかし」
「分かっております陛下」
カミノガエの先の言葉をカリンは制した。二人の間に、それ以上の言葉は不要であった。
「これからも経典と共に聖女として励みます」
「……佳きに、計らえ」
外教徒が出来た。それはつまり、通常の、帝都が定める内容の教徒があるという事である。
それこそが、聖女教会。そしてその聖経典。神がおり、その神が遣わした聖女がこの世を憂い、民草に知恵を与えていき、時に戦い導く、くといった内容の経典である。いつからかこの経典は世界に巡り、宗教的価値観がこの世界に生まれ始めていた。そして経典に示されている『戦い導く』とあるその内容は、そのまま、あの十五年前のマイノグーラとの闘いである。聖女とは、何の比喩でもなく、直球でカリンの事を指していた。
誰が、何の為にこの経典を書き上げたのかは不明だが、この経典を元に聖女教会が生まれている。すでに信者は右肩上がりに上昇中であった。
「聖女教会と、外教徒。争いは続きますね」
「で、あるな」
「陛下……みんなは、元気ですか?」
「ああ」
ぽつぽつと、カミノガエが、イレーナとなったカリンに仲間たちの事を伝えていく。聖女となってから、彼女は外教徒たちの対処に手一杯で、ひとつの場に留まる事が難しくなってしまった。神を見出した人間は、自分達だけを見る神をまた欲し始めていた。
「オルレイトは、いい肉を輸入してくれている。牧場の規模もだいぶ大きくなったようだ」
「さきほど昼食でいただきました。サリィが目を輝かせてましたね」
「ナットはサーラで店を構え、あれから繁盛しているそうだ」
「ナット……ええ。リオとの結婚式はとてもいいものでしたね」
「妹のクオは、確か狩人を継いだのだったな?」
「ええ。彼女が作った罠は、他の猟師にも評判なんですよ?」
「そうか……」
少しずつ、空気が柔らかくなっていく。仲間たちの思い出を語らう。カリンの心が安らぐ貴重な時間である。
「あの時の陛下は、ずいぶんと食が細くて」
「いつの話をしているのだ全く」
昔話と、そして現状の事を語らうと、すぐに時間が過ぎてしまう。
「陛下。もうこんなお時間ですわ」
「で、あるか……貴君から見て、サリィの様子は、どうだ?」
「あの性格は生来の物でしょうね。無邪気で、無防備で、それでいて活発。母親に似たのでしょう。ですが、戦いの才は間違いなく、父親譲りです」
「であるか。ならばこそ、あの男と同じにならぬようにしなくてはな」
「その為に、私がおりますわ。陛下」
サリィ。サリィ・アドモント。
15年前の戦いの後に、ケーシィが生んだ、パームの娘である。彼女を、パームのような者にしない為に、師匠としてのお目付け役をしているのが、今のカリンであった。
「では、陛下。また共に」
「ああ。また共に」
二人が短い挨拶を交わし、聖女としての振る舞いに戻るカリン。謁見の間からでると、その曲がり角から殺気を感じ取り、思わず剣を取ろうとする、
「(ああ、この無秩序な殺気は―――)」
その殺気は、こちらに向けて発されているのではなく、溢れて、漏れている。そしてその殺気の正体が、曲がり角から現れた。木刀を持った少年が繰り出すのは、その胴体を横薙ぎに振るわれようとする一撃。木刀であったとしても、防がなければ致命傷足りえそうな速度と威力がある。
「もらったぁ!」
「―――」
剣を抜かず、鞘で木刀を防ぐと共に、そのまま受け流し足を払おうとするも、少年は飛び上がり、聖女の頭上をくるんと回って、その背後へと着地した。短くともあざやかに光る金髪がよく映える。
「(相変わらずでたらめな身のこなしをしている)」
「危ない危ない。流石は聖女様だ!」
「……ラーズ。殺気の抑え方はまだ習ってないの?」
「え? おかしいな。抑えてたはずなんだけど」
ラーズ・バーチェスカ。クリンの息子で、カリンの甥っ子で、あの日、泣き声を上げた赤子である。しかし、ラーズには、カリンが自分の伯母である事は知らされていない。またラーズの方にも、聖女は自分と近しい年の人としか知らされていない。
「聖女様、こんなに御強いのに、何故父上みたく剣聖にならないの?」
「それは簡単。貴方のお父上の方が強かったからよ」
ライ・バーチェスカはあの後、帝都再建の折、再度行われた、第二回剣聖選抜を勝ち抜き、見事剣聖の名をいただいた。最も、その選抜試験にはカリンもクリンも出ておらず、彼からしてみれば、全く持って不本意な形での拝命となっている。
「そうかなぁ。父上より強そうだけど」
「(私が出たらルール違反だもの)」
カリンの辞退は、自身が人間の枠から外れてしまっている事への懸念。クリンは、出産の折にあった心神喪失による体力低下が著しい為であった。
「それより、貴方がここに居るのはお父上達ははご存じなの?」
「謁見が終わって、船が来るまで待ってたら。知ってる気配がして。来てみれば、ビンゴ! ってこと!」
「(……この子も大概よね)」
ライも、クリンも、こと剣術においてはすさまじい才能があったが、このラーズにおいては、人の気配を読む才能がすさまじかった。どれだけ離れていても、気配で距離からなにから正確に把握できる。カリンの下段蹴りを避けたもの、その気配読みの賜物だった。
「(さらにお姉さまと同種の殺気まで持ってる……これは大変だわ)」
「聖女様おわったー?……って、ラーズ君じゃん」
「お、おうサリィ!」
ラ―ズとサリィは、幼馴染であり、サリィの母、ケーシィもまた、サーラに身を寄せていた。以前パームと共に過ごしていた家が残っていたのである。二人は師と仰ぐ人間こそ別だが、互いに切磋琢磨し合える仲であった。
「ぐ、偶然だなぁサリィ。ま、まままさか、こ、こんなとこで会えるなんて」
「そうだねー」
「(……)」
なお、全くもって偶然ではない。ラーズは気配が分かる。カリンの気配もわかったのであれば、サリィの気配だけ分からない、という事はない。彼は、全て承知の上でここに来ていた。それは、カリンと会う事も含まれているが、一番は、彼女、サリィと話す為である。少なくとも、ラーズがサリィに好意を持っているのは目に見えていた。
「夕食までまだ時間があります。二人で散歩でもしてきなさい」
「はーい聖女さま」
「え!? あ、ああ! わかった!」
らしくない事をしている、とカリンは自覚しながら二人を見送る。二人とも十五歳。加えて腕も立つとなれば、出歩いても問題無いと言う判断だった。
「あれから、十五年か」
歩きながら、窓の外を見る。復興は完全とはいかずとも、帝都では人々が暮らせる程度には戻ってきている。その営みを眺めながら歩いていると、不思議と行き先は、相棒のベイラーの元になっていた。
《……部屋に戻んなさいよ》
「夕食まで暇なの」
ベイラーの格納庫。その一室。聖女とその相棒の為に特別に用意された区画である。人が住まう家ほどの大きさをしており、アーリィよりも図体の大きいエクトーでも、すっぽりと入る事ができた。
《貴女、昔の知り合いに会うといつもそうね》
「……そう、ね」
ありていに言えば、カリンは、弱っていた。
「皆、自分の人生を歩んでいるわ。私は、あれから少しは変わったとおもうけど、みんなのように、背が伸びたり、皴が増えたり、白髪が増えたりしない」
以前、サマナと会った時もそうだった。彼女は、彼女の祖母を真似て、化粧でわざと自分の姿を老いた老婆に変えていた。それは対外的には、彼女の寿命に関して誤魔化す為であったが、サマナ自身の心を守る為の手段でもあった。
「この体になって、やっとベイラー達の気持ちが分かった気がする。愛した人達が先に居なくなるなんて、なんて寂しくって、悲しくて、苦しい」
《……なら、終わらせましょうか?》
カリンがこのような状態になるのは、エクトーはすでに何度も経験している。そして毎回、同じ会話を返す。もはや儀式の一種として成り立っていた。
《ここで私が貴女を巻き込んでソウジュになればいいでしょう? 私と一緒だったら、寂しくないでしょ》
「ええ……そう、なんだけど」
《けど?》
「……やっぱり、あきらめたくないわ」
エクトーは、ソウジュになる気はさらさらなかった。そして、カリンが、なぜこうまであきらめないのか。その理由の一端を、彼女は知っている。
《(私が「諦める事」を奪ったせいなのよね)》
マイノグーラとの闘いの折、カリンから、諦めを奪った。そうでなければ、毎回毎回、年を取る旧友たちを見て心が荒むほどの疲弊をみせながらも、あきらめない理由に検討がつかない。同時に。
《(カリンが、こうなら、あいつは……)》
あの時、あきらめを奪ったのはカリンだけではない。乗っていたベイラーにも、同じ事をした。であるならば。同じ事がベイラーにも起こっているはず。
《(あいつも相当、あきらめが悪かったからなぁ)》
「エクトー?」
《ほら。しゃきっとしなさいよ。また寝床になってやるから》
「そう? じゃあ、お願いしていいかしら」
《今の乗り手は貴女。だから気にする事じゃないの》
「ええ。ありがとうエクトー」
《どーいたしまして》
カリンがエクトーの乗り手と立って幾分か経つが、彼女らの仲は、彼女ら自身が驚くほどに順調であった。ただ一つ。
《……馬鹿コウ。早く帰ってこいっての》
カリンの望みは、エクトーでは絶対に叶える事が出来ない。その一点が、エクトーにとってはどうしようもなく歯がゆかった。
◇
異変は次の日の早朝に起こった。
「緊急出動! アーリィ、およびザンアーリィは現場へ急行せよ! 場所は沖合、北! 海上に不審船数隻を発見!」
夕食を終え、エクトーの中で眠りについていたカリンの耳に、スクランブルの要請が飛び込んでくる。カリンは軍属ではないが、格納庫にはもちろんアーリィ達が保管されており、彼らに乗り込んでいく兵士達をエクトー越しに見る。同時に、ガンガンガンとエクトーのコックピットを叩くサリィの姿があった。
《どうしたのよちんちくりん》
「名前で呼んでってば! それより! 外教徒です」
《……またね。場所は?》
「北の海上で、船を十隻くらい使ってます!」
《船? それもずいぶん大規模ね……そら聖女サマ。起きてるわね?》
コンコンとコックピットを触ると、気怠げにカリンが応える。
「今、起きた所よ。状況は把握してる」
「師匠! 私達にも出動要請出てます!」
「外教徒絡みならそうでしょうね。私達も出るわよ」
「じゃぁ早速。きなさーい! ブレ―――」
《コラ。ここで呼ぶな。建物が壊れる。外に出てから呼びなさい》
「は、はーい」
しょんぼりしつつ、他のアーリィに乗り込む兵士を捕まえては、防人である事を明かし、無理やり同乗していくサリィ。
「じゃ、私達もいきましょうか。エクトー」
《しょうがないわね》
他のアーリィ達に続き、空港へと向かう。ただし、エクトーの場合、飛行する際に滑走路は必要ない。新しく開発された、点滅式の光信号機で、カチカチと管制塔に合図だけ送る。
「イレーナ、出ます。アーリィの方々、先導をお願いします」
「聖女様! ご武運を!」
光信号であいさつを済ませ、サイクルジェットを吹かす、垂直に飛び上がる。すでに編隊を組んでいるアーリィに追いつく形で、空で合流を果たした。三人一組、それが三組。そこにカリンとサリィが混ざる形の変則編隊であった。目的地まで真っ直ぐ空を進んでいくと、目標は簡単に発見された。
「……もしかしてアレ?」
《明らかにそうでしょうけど、コレは》
海に浮かぶ船が十隻ほど。そのどれもが、あきらかに戦闘を考えていない、輸送船ですらない急拵えの船だった。大きさに対して小さな帆が逆に目立つ。海賊船としてもあまりにお粗末な代物だった。
「客船?」
《貨物船ですらあんな酷くないわよ。でもこの配置》
なにより異様なのは、その十隻の船が、わざわざ円を描くように配置されている事だった。潮の流れ、風の向き。それらすべてを考慮した上で、円になるように船を動かすのは容易ではない。だが彼らはソレを成し遂げている。
《警告でもしましょうか》
「まってエクトー。船の上に、人が居るわ!」
《貴女ほんと目がいいわね》
船の一隻、甲板上に、たしかにローブを被った人間がいる。黒縁で、緑の布をつかったローブに、カリンは見覚えがあった。
「あのローブ、たしか大きな外教徒の一派」
《ナイアってやつの一派でしょう。確か》
「でも、こんな船の上で、何を」
観察するまでもなく、カリンはその手に持っている物をみて戦慄した。それは、いつか自らの父が、友の手から切り落としたという本と瓜二つであった。だが、大きさが違う。あの時は、豆本と呼ぶような小さなものだったが、見えているのは、辞典にもみえるほど大きく分厚い。
外から来る者が持つ本。それがどのような力を持つか、カリンは十分理解しており、理解しているが故に戦慄した。
「まさか、あれはナイアの本!? でもあんな大きさだったかしら……?」
《連中、写本でもつくったんじゃ》
「しゃほん?」
《世界のどこかで、その本の内容を一度目でも見た事あるやつがいて、その内容をわざわざ書き写した奴がいるって事》
「な、なんてことを」
《さぁてね。とにかくあいつを止めるわ。問答無用でいいわね?》
「え、ええ!」
エクトーが、本を持つ者にむけてその手を飛ばした。生身の人間をベイラーの手で摑まえるというのは、殺害のリスクも大きいが、現時点では、ソレをリスクとして受け入れる暇はない。
《何をするかしらないけど、させないわよ!》
「……いあ。いあ」
だが、わずかに、遅かった。
「いあ、いあ、ないあーほてっぷふぐたぐん」
《マズイ! あいつ呪文を!》
変化はすぐに訪れた。
船で作り上げた円形。船を点として、円形の線で結び、そのまま巨大な陣へと姿が変わる。彼らは、陸上では用意できない広さを、海の上で用意して見せた。
「エクトー! 光信号で伝達! 外教徒、すでに召喚完遂! 応援求ム!」
《……いや、応援は寄越さないほうがいいわ》
「どうして?」
《やつら、とんでもないもん呼び出したわよ》
召喚陣。転移門。外教徒では様々な呼び方をされるが、基本的には、どこからか召喚に用いられてる扉である。
大なり小なりの扉を開き、そこから求める神を呼び出す、というのが彼らの手口であった。手口は判明しているのに毎回カリン達が後手に回っているのは、その扉に関する記述は何一つ一致した事がない為である。何をすれば何が召喚されるのか。カリン達はおろか、外教徒の者たちでさえ把握していない。
ではなぜそんな事をするのか。答えは、聖典以外の神がでてくればそれでよい。よしんば神でなくても、外教徒達にとっては、今の神を退けられるのであれば、誰でも、何でも良いのである。そして、今回開かれた扉からは、カリン達も知っている物が現れようとしていた。
骨格がおよそ生物のルールに則っておらず、顔がないのに目はある。しかし目が正面に向いていない。だが、確かに口はあり、その口には牙が生えている。それこそ、星の外より来る、最悪の獣の姿
「アレは、ティンダロスの猟犬ッ!?」
《しかも翼付き! カリン! 光信号! アーリィ達を下がらせて! 喰われて数を増やされる!》
「りょ、了解!」
急いで光信号を送り、アーリィ達の乗り手へと伝える。そうこうしている家に、一人のアーリィが猟犬に取り付かれてしまう。
「エクトー! サイクル・ノヴァを」
《駄目! コックピットを巻き込む!》
「とりゃあああああああああああ!」
二人の焦りをよそに、少々間延びした声が聞こえたと思うと、取り付かれたアーリィ目掛け、グレートブレイダーが斬りかかる。その手にもった二刀の鉈で、猟犬を削り落とすかのように、次々に斬り飛ばしていく。削り飛ばされた猟犬は、その翼ごと叩き斬られ、みじめに海水へと落下していく。突然のサリィの攻撃に唖然としつつ、カリンは落下していく猟犬に狙いを定めた。
「エクトー! サイクル・ノヴァ!」
《消し飛ばしてやる!!》
エクトーが右手を向け、サイクル・ノヴァを打ち放つ。膨大なエネルギーを持った熱線は正確に猟犬たちを捉え、そのまま蒸発するかのように、猟犬は消え去っていった。取りつかれていたアーリィの無事を見届けた後、サリィを見る。ブレイダーにも傷ひとつ無い。なによりも先ほどの一撃に驚嘆していた。
《サリィ、あいつ、猟犬の性質を見抜いた……?》
「観察にしろ直感にしろ、末恐ろしいわね」
カリン達が時間をかけてようやくたどり着いた猟犬の対処に、サリィはこの一瞬で見抜き、すぐに翼を落として海に叩き落すという行動にでた。
《あとで確認してやりましょう》
「そうね。で、その後が、いつになるかはわからないけど」
空にはすでに数十の猟犬が扉からやってきていた。一匹一匹では埒があかず、さらには、扉がある限り、猟犬は湧いて出てくる。
《数を減らした後、扉ごと吹き飛ばすか》
「撃ち漏らしたら面倒よ。しくじらないように」
《誰に言ってんの》
エクトーも、カリンも、長丁場を覚悟した。このような戦いは彼らにとって日常茶飯事であり、特段気にする事もない。だが、猟犬を目にしたのはカリン達も十五年ぶりである。一度でも対処をしくじれば、猟犬はあっという間に数を増やす。
「そうね。私たちならできるわよね」
カリンの言葉に嘘はない。だが、できる、ではなく、やらなければならないと、ほぼ使命感でしか話していなった。それはこの十五年間、このような戦いを続けた彼女にとって必要な心境の変化であった。
《とりあえず突っ込んで……》
「師匠! 師匠!」
「ああ、ちょうどいい所に。サリィ。猟犬を叩くわ。少し手をかして」
「違うんです! 上! 上から何か来ます!」
「上?」
カリンがサリィのいう通り上を見る。朝日が昇りはじめたばかりで、まだあたりは薄暗い。それでも少しずつ、朝焼けが海を照らし出し、世界が広く大きくなっていくような錯覚を得た。
その錯覚の中に、見覚えの無い物が見える。
「……流れ星?」
《こんな朝っぱらに?》
空の彼方から、真っ赤に灯る一筋の光が落ちていた。それは、明りの少ない夜であれば幻想的であったろうが、朝焼けのせいでさほど大きく輝いてみせない。むしろ、無残に赤くなって風情がない。
「綺麗だなぁ……そうだ!」
「……」
サリィは唐突にひらめき、提案する。
「師匠! あの流れ星こっちに落ちて来ないかな!」
「どう、かしらね。エクトーわかる?」
《無いわね。どうせ大気中で分解して、そのうち跡形もなくなるわ》
「えーそうなのぉ」
《解ったら無駄口叩いてないで猟犬堕とすわよ》
「はーい」
《こらあんたも。ぼさっとしない》
「……消えてない」
《は?》
相棒に声をかけ、自分も突撃しようとした時、肝心の相棒の様子がおかしくなっている事にエクトーは気が付いた。サリィが見つけた隕石から、視点が一切動いてない。
「消えて、ないわ」
《どうせ軌道もこっちには……こっちに……》
サリィが見つけた隕石。それは、最初は確かに空の彼方にあった。だが今は、なぜか軌道がわずかに逸れて、そしてこちらに向かってきて居るように思えた。さらには、エクトーの言う通り、もし隕石が降ってきたとしても、そのほとんどは小さく砕け散り地表に落ちる事はない。
そして、カリン達の元へ、向かってきている隕石、その大きさは、先ほどからまるで変わっていない。
《何なの!? ただの隕石じゃない! アレも外教徒の連中の仕業って訳!?》
「とにかく、離れないと巻き込まれる。避難指示を出すわ。総員後退」
《チィ! ここまで来て》
カリンが冷静に光信号を出しつつ、こちらに向かってくる隕石を尻目にアーリィ達を逃がす。
「聖女様! 上から隕石が!」
「こちらでも確認しています! 上空で待機を!」
編隊が高度をとりつつ、事の顛末を見守る。そして隕石がいよいよカリン達のすぐそばまで来る。
それは、エクトーの言う通り確かに大きくはない。ごつごつとした岩肌が熱によってドロドロに溶け出しながら燃えていた。熱風が辺りを包み、門へとまっしぐらに落ちていく。
《何アレ。外教徒の連中がわざわざ自滅させるために呼んだの?》
「……わから、ないわ」
そして、一切の情報がないまま、隕石は作られた扉に激突し、炸裂し、粉砕されていった。水蒸気が柱のように吹き上がり、朝焼けに照らされてキラキラと待っていく。高度をとって隕石の存在を察知していた猟犬たちは難を逃れていたが、扉から出ていこうとしていた直後の猟犬は、その隕石の衝突によって見るも無残に粉砕されていた。
数十隻の船のほとんどは波に飲まれ、転覆している。一部の外教徒の信徒たちが海に飛び込んで退避していた。
《あの連中も引き揚げないとね》
「……」
《さ、あとは残党を……カリン?》
「猟犬たちが」
エクトーが状況を分析し、この後の事を考えている間、カリンの目には、空を飛んでいる猟犬たちが、その身を寄せ集めている姿しか映っていなかった。
「猟犬は、お互いを食い合って強くなれるの」
《それって―――》
カリンの言った通り、空で飛んでいた猟犬はお互いがお互いを食い合い、数十匹の猟犬は、一匹の巨大な猟犬へと姿を変えていた。巨体を支えるだけの強く大きな翼と、巨体にたがわぬ鋭い牙。そして、全身を覆うように生えている、機能を果たしているかもわからない大量の目玉。
《なんで今更あんなことを》
「そうさせるだけの力が、あそこにあるから」
《あそこ?》
猟犬は、本来はマイノグーラの指示によって動く。その指示も細かい物ではなく、ほとんどは本能を後押しするだけものも。そして猟犬の本能とはすなわち侵略。喰らいつくし食べつくすだけの存在。その存在が、わざわざ力を増す為だけに、お互いを食らい合ったのは。そうしなければ、目の前に現れた敵を喰らえないと、猟犬がもつ本能が判断した為。
水蒸気が晴れ、隕石が落ちた場所に朝日が差し込んでいく。
「……ああ。あああ」
猟犬が本能で強大な敵と認識せざる終えない相手など、この世界にかぞえるほどしかいない。
猟犬にとっての敵。赤熱化した岩肌を脱ぎ捨てたその姿は、かつて取り付けられていたさまざまな装飾品が欠け落ちてしまい、本来の姿に限りなく近くなっている。翼は簡略化され、二対四枚、それがアーリィのような浮力を得る為の翼ではなく、炎を噴き出して広げる鳥の羽根のように変わっている。だが、何より、この朝焼けの中、海の上でもわかるほど、艶のある白い肌。
そこに何が、誰がいるのか。エクトーは察し、即座に行動に移す。
《……行ってきなさいよ》
「え」
《あんたがいかないで、誰がいくんだっての!》
エクトーはコックピットから無理やりカリンを押し出し、そして無造作に落とした。落とした先に、そいつがいる。
《なんだ、ちゃんと約束は守るじゃん。あいつ》
白い肌と琥珀色のコックピット、時折吹き上がる緑の炎。そして、その背に背負うのは、身の丈ほどの大太刀。
「……ッ」
姿形が多少かわっても、その色も、所作も、目も、見間違うはずもない。その姿が、ゆっくりと振り返り、そして上を向く。
ふたりの、目が、合った。
「コウ!!」
カリンの声が響き渡る。次の瞬間。とても間抜けな返事が響いた。
《……なんで落ちてるの!?》
「ほら受け止める!!」
《は、はい!》
無造作に放り出されいたカリンを、白い肌をしたベイラー、コウが、上昇すると共に両手で包み込むようにしてカリンを捉えた。
相対速度を合わせ、ゆっくりと着地できるようにコウが調節する事で、カリンの体には一切のダメ―ジがなかった。二人とも、顔を見あげ、お互いがお互いを見る。ほんの数秒の沈黙の後、最初に口を開いたのはカリンだった。
「……遅いわよ」
《ごめん》
「信じるとは言ったけど、十五年は長すぎ」
《ごめん》
「……コウ、なのよね」
《ああ。俺だ。コウだ》
「―――」
そこまでの問答をした直後、カリンは、目から涙が落ちそうになるのを、こらえた。右手で目をぬぐい、赤く腫れた目をこすりながら前を向く。
「果ての戦場から、どうやって?」
《えーっと、まずサイクル・リ・サイクルで自分を加速し続けて、最終的に、光より早くなったんだ》
「……?」
《んで、事象の地平線を超えて……あー、たぶん簡単にいえば、タイムスリップしたんだけど……いや、たしか理屈だとそうなるんだけど……あー、あれ? 厳密には違うんだっけかな》
「いいわ。もう理屈なんてどうでもいい」
コウの説明が頭を素通りしていく。今は、頭で理解する話題を避けたかった。今は、胸の内から沸き上がる衝動に身を任せ口を動かしていたかった。
「あとで大泣きするわ」
《ああ。覚悟の上だ》
「たくさん慰めて甘やかしなさい」
《ああ。たっぷり構ってやる》
「だから、今は」
《ああ。今は》
「《あいつを倒す》」
二人の目の前に、巨大化した猟犬がその牙を向いた。コウは背中の大太刀をつっかえ棒にするかのように、口の間に放り込み、丸のみされるのを防ぐ。
《カリン! 俺の中に!》
「よしなに!」
するりとコックピットに収まる。そのシートは、以前カリンが使っていた物を、コウが自身の中で再現していたものだった。それは、初めて座るのに、とても体に馴染む奇妙な感覚。そして、両手を伸ばし、操縦桿を握り込む。ベイラーとの共有は慣れている。それでも、コウとの共有は久しぶりだった。
《カリン。俺の見ている物が見えるか》
「ええ。見える」
視界がクリアになり、全身がまるで己の一部であるかのように動かせる。
「コウ。私の感じている物が分かる?」
《ああ。わかる》
コウの全身から炎が猛る。もはや二人に距離は無かった。歓喜で身体が打ち震える。
《「一撃で終わらせる!」》
つっかえ棒にしていた大太刀、その鞘を無理やり破壊し、中にある刃を取り出す。同時に塞いできた口から体をひねり、自身は猟犬よりも高い位置へと高度を取った。空中故、足場は無い。だからこそ、上半身のねじりと、両手での構えが重要となる。
鞘がなく、真正面から叩き伏せるのならば、使う技はひとつ。
「真っ向」
《唐竹ぇ》
大太刀に宿ったサイクルが回り、炎が纏われていく。猟犬は、炎を灯したコウに目掛け、無策で飛び込んでいく。元々彼らに策を弄するほどの知能は無い。あるのは純粋な本能のみ。そして、その本能故、飛び込む事しかできない。そして、コウ達は、担いだ大太刀を、真っ直ぐ振り下ろせばよい。
「《大! 切! 斬ぁああああん!》」
炎が空気を切り裂き、猟犬を切り裂き、海を割っていく。猟犬が斬られた傍から再生をしようと試みるが、再生した傍から炎で焼かれ、切り裂かれる。
「《ズェアアアアアアア!!》」
二人の裂帛の気合いが海で轟く。猟犬は頭、胴体、そして尻尾に至るまで、丁寧に真っ二つに切り裂かれると同時に、核である部位もまた、同時に木っ端微塵に砕け散っていった。
さらさらと砂になり、消えていく猟犬。そして静寂が海を包む頃、温かな太陽が昇り、コウの身体を照らす。炎は成りを潜め、今はサイクル・ジェットで滞空を行う。空で朝日に照らされるコウを見て、上空で待機していた兵士がつぶやく。
「アレが、聖女様の相棒」
「アレが、純白のベイラー」
混じりけの無い純白が、勝利を叫ぶ。
《「我々の勝利だ!!」》
勝鬨が、朝の海で鳴り響いた。
◇
「征くのか」
「はい」
戦いの報告を終え、翌日。カリン達は帝都一番街にいた。一番外側の門がある街であり、ここからでなければ、内陸には出る事ができない。
「言ってくれれば、もっと盛大に送り出した物を」
「人手を回してもらう事はありませんわ陛下」
コウが戻った。その報せは瞬く間に広まった。そしてカリンはゲレーンへの帰郷をせんと決意したのである。その旅路は、かつての逆順。
「砂漠から、サーラ、そしてゲレーンか」
「はい。ですから一度は戻ってきますわ」
「で、あるな。しかしだ。本当にいいのか?」
「何のことです?」
「貴君の横で船を漕いでるこやつの事だ」
「ふが」
カリンの横には、朝早くでまだ覚醒していないのか、立ったまま眠りそうな状態のサリィがいた。
「サリィの見聞を広める、いい機会です」
「だが、コウとの二人旅のほうがよかろうよ」
「大丈夫です」
カリンの顔は、カミノガエの想像よりもずっと笑顔だった。
「二人旅はいつでもできます。だってコウは、もう私の隣にいるんですもの」
「……で、あるな」
「それでは陛下。行って参ります」
「うむ。ゲレーン王によろしくとお伝えしてくれ」
「もちろん。では、また共に」
「また共にな」
カリンは、サリィの首根っこを掴んでそのまま振り向かず、真っ直ぐ進んでいった。その後ろ姿は、かつてカミノガエが見ていた物と全く同じ。間違いなく、カミノガエは、カリンの事が好きだった。それは覚えている。だが、カリンは、あのベイラーの事を好いている。自分と婚姻したのも、決して憐憫ではない事は知っている。それとは別に、もし、カリンがコウと出会わず、自分と出会っていたらどうなっていたか。考えた事もあった。
「背は、超えたから佳しとするか」
だが、そんな考えは毎回無意味であると悟り、考えを拭い捨てる。そしてカミノガエもまた、振り返る事なく、颯爽と歩く。お互いがお互いの事を信頼し、そしてお互い何を成すべきがを知っている者の、確かな歩みだった。
「師匠、どうしてブレイダー呼んじゃだめなの?」
「それはねぇ」
《あんたはこれから私に乗るからよ》
しばらく進んだ坂の上に、二人のベイラーが立っている。一人は黒い肌のエクトー。もう一人は、白い肌のコウ。サリィは、エクトーに向かって走り出し、信じられないと言った口ぶりでまくし立てる
「い、いいの!? 本当に乗っていいの?」
《ええ。有難く思いなさい》
「や、やったー!! でもなんで?」
《何? 嫌なら乗らなくていいけど》
「嫌じゃない! 全然嫌じゃない!」
《ならさっさと乗る!》
「はーい!」
タン、と両足を蹴り、自力でコックピットの高度までたどり着くと、そのままスルスルと乗っていく。その様子を見たコウが感慨深くつぶやく。
《あの子がパームの忘れ形見かぁ》
「そしてあの子を、パームにしないのが、今のとこ最重要使命よ」
《そりゃ最重要だ》
「あとは」
《あとは?》
カリンは、サリィとは逆に、コックピットからスルリと抜け出し、その肩へと昇った。横にはコウの顔があり、大きなバイザー状の目が良く見える。
「あのね。私、かなり弱くなったの」
《……と、いいますと》
「寂しい時はエクトーに頼んで一緒に寝てもらわないと眠れなくなったし、不安で食事が喉を通らない時もあったわ」
《そ、それはぁ……》
「誰かさんが突然コックピットから追い出すなんてするから」
コウにとっては、そのすべてに思い当たる節しかなく、額にかくはずのない汗が滲み出る感覚があった。
「だから、寂しい時は私と一緒に寝て」
《も、もちろん》
「食事も一緒にとって」
《あ、ああ》
「あとキスして」
《ああ……ああ!?》
「ほらはやく。今ならエクトーがそっぽ向いてくれているから」
《さてはグルか君ら!?》
ここまで来て、エクトーがなぜこの旅に同行するのか、コウには得心がいった。無論、サリィを見守る為でもあるのだろうが、一番は、コウを徹底的に玩具にしてやろうという心意気があるのだと確信する。同時に、それだけの事を自分はしてしまったのだと。今更ながらにコウは自覚する。
《……じゃあ》
「はい」
コウは、自分の頭をどうにかカリンに近寄らせる。そして、スッと、その顔、ベイラーで唇に該当する部位を当てた。これ以上は、カリンと物理的に圧迫してしまいそうで、近寄る事ができない。そしてゆっくりと顔を動かし、確かめるようにしてカリンに問う。
《……い、いかかでしょうか》
そうして問いかけたカリンはと言えば、頬と顔を少しだけ手で触りながら、真顔になっていた。どこか体をぶつけてしまったか不安になってしまったコウをよそに、カリンは問いに答える。
「初めて、貴方から、してくれたわね」
《え? そ、そうだっけ》
「そうよ」
《そ、そっかぁ……あの、どっかぶつけてない? 痛んでない? 大丈夫?》
「ええ。大丈夫。貴方、優しいから」
《そ、そっかぁ》
「―――ふふ」
コウが心底安堵した後に、含み笑いと共にカリンの顔が緩む。そしれ朗らかに、無慈悲に宣言した。
「じゃ、残り二回、今日中にね」
《はい……はい!?》
「一日三回! これ最低ライン。あ、もちろんそれ以上も大歓迎よ」
《え、えっとあの》
「さぁて。いくわよエクトー!」
《ま、まってカリン!? 一日三回って!? あの、えーと!》
カリンはいつの間にかコックピットに入り込み、回数の言及には答える事はなかった。エクトーはエクトーで、口には出さないが、心の中で大笑いしていた。一方のサリィは、ついに眠気が限界を超え、二度寝を決め込んだ。
帝都を発った彼らの旅は前よりずっと少ない人数だったが、それでも、不思議と退屈する事はなかった。なぜなら、開始早々旅先で何か困った人を見つけるたびに手を差し伸べる白いベイラーとその乗り手がいた。呆れつつも黒いベイラーとその乗り手が手伝う。いつしか、その流れが出来てしまっていた。それにより、旅はどんどん長く、必然的に野宿も多くなる。最初の時点で、旅の日程を決めていなかった事を、黒いベイラーは後々大いに後悔する事になった。
◇
聖女教会、その歴史には、カリン・ワイウインズという名は出てこない。あるのは初代聖女イレーナという人物と、彼女の相棒、純白のベイラーについて。彼らは、旅の途中さまざまな障害を、その知恵と勇気で手助けし続けたと言う。
ある日、なぜそこまで助けるのかと、純白のベイラーに問う信徒がいた。純白のベイラーはしばし考えた後に答えた。
「情けは人の為ならず、です」
初めて聞く言葉に信徒は意味を考え答えた。それは、情けは、人の為にならないからしないほうが良い、という意味ですかと問うた。純白のベイラーは困ったように首を傾げつつ、さらに答えた。
「親切は、巡り巡って自分に親切として帰ってきます。だから、人を助けるのは当たり前の事で、そして、当たり前の事にした方がいいんですよ」
信徒は、純白のベイラーに最後に問うた。貴方も、そうして親切にしてもらったのですかと。
純白のベイラーは、その表情が信徒にはわからずとも、笑顔を感じさせる声色で、はっきりと答えた。
「数えきれないくらい。だから助ける。俺がそうしてもらったから」
聖女イレーナと純白のベイラー、彼らは生涯、旅を続けたと言う。聖女教会、その経典によれば、彼らはたびたび歴史に現れ、時に外なる者と戦い、時に国同士のいさかいを止めさせ、時に土地を耕していた。
そして二人は、実に長い間、とても仲睦まじく過ごしたという。
これにて、純白のベイラー、幕引きとなります。
コウとカリンの物語、楽しんでいただけましたでしょうか?
2017年より、ずいぶん長い間書いた気がします、
わからない事だらけの中、こうして物語を終わらせられた事を嬉しく思います。
エピローグであったりなんだりは、そのうち追加するかもしれませんが、ひとまずはお休みした後、他の投函小説を更新していく予定です。
それでは皆さま、ご愛読ありがとうございました。
またお会いしましょう。




