ベイラーとかつての恋敵
《面白い! そんな事までしてくるのかイ!》
《星の敵を刈れるのであれば是非もなし》
ナイアが、その体の触手を伸ばし、グレート・ギフトを叩きつけようとする。だが、ギフトはその手にもった大鎌を、眼も止まらぬ速さで振りぬく。その動作は、川の流れのようによどみなく、ともすれば踊るように大鎌が振るわれていく。そして鎌を振りぬいた後に残るのは、切り刻まれた触手だったものたち。ぼとぼとと地におち、断面から、緑とも赤とも言えぬ、得体のしれない色合いの液体が流れ出ていく。
《(本当にさっきの老いぼれか?)》
コウの炎を受け、今のギフトは、かつての姿を取り戻していた。弱っていた足腰はしっかりと踏みしめられ、漲る力はそのまま、振るう大鎌に添えらて、触れる物全てを切り裂く刃となっている。
《(あの白いベイラーの力は知って居た。だがコレは)》
コウの力、その本質は治癒ではない。生きとし生けるもの全ての力を、後押しする。その結果として傷が治っているようにみえるのである。グレート・ギフトが、全盛期ともいうべき力を取り戻しているのは、彼の持つ力を、コウが無理やり点火させたようなものであった。
《残りの命、全てを使おうというのか》
《先ほども言ったはずだ》
立ち居振る舞いすら堂に入ったその姿。大鎌を脇に抱え、一歩、また一歩と迫るギフト。
《星の敵を刈れるのならば是非も無し!》
《そうかい》
《サイクル・ギフト!》
そして次の瞬間、ギフトが手をかざすと、膨大な量の小麦が、ナイアを襲った。一瞬で何十人分の食糧となろう小麦が、ナイアの体にバチバチとぶつかっていく。攻撃としてはあまりに弱い。
《いや、コレは》
前方の視界、その一切が小麦で覆われてしまう。戦いの中で視界を塞ぐなど愚の骨頂。敵の位置を見失う事はそのまま敗北を意味する。
《小麦で目つぶし!?》
《正解だが遅いッ》
視界を防がれた瞬間、背後に回ったギフトが刃をすでに振り下ろしていた。ナイアは決して慌てる事なく、首元に迫る刃を止めずに、長く伸びた柄を触手で止める。両者の力は拮抗し、刃はナイアの首に食い込む事はなかった。
《危ない危なイ》
《おのれ》
《その武器は人に向けるには不向きだろうニ》
《否定はしない》
ナイアの言う事は正論である。そもそも鎌は、地面に生えた草木を刈る為の道具であり、対人、対ベイラーの武器としてはふさわしくない。その間合いは剣よりも遠いが、扱いやすさと、何より鎌にはできない『突き』ができる点で、槍にどうしても劣る。大鎌でできる事は基本槍にできるが、逆はそうではない。
《なら、なぜそんな武器を使う?》
《一番長く使ったからだ》
力は拮抗し、ミシミシと大鎌の柄が軋む。ナイアは会話の合間に、触手を地面に這わせ、地表からギフトの体を雁字搦めにするつもりだった。しゅるしゅると伸ばした触手が、ギフトの足に触れようとした時、ギフトが小さくつぶやく。
《だから、こんな真似もできる》
柄が壊れた時、力の拮抗が崩れる。その瞬間を狙い、ナイアがギフトの体をからめとろうとするが、ギフトもまた手を打っていた。折れた柄、その反対側に、さらに別の鎌を生み出していた。そして、まるでバトンを振るうかのように、手の内で回転させ、足元に生えていた触手のことごとくを切り刻む。
《オイオイなんだいそれは》
鎌の間合いからはなれるべく、ナイアが距離を取ろうと足で地面を蹴った。だがその瞬間、わずかに足が滑り、隙を生じてしまう。
《ッツ!? 足を取られた!? 一体何に!?》
不意に己が転びそうになったのを自覚し、地面をよく見れば、そこには、ず分が触手を這わせるより前にすでに撒かれていた小麦た転がっている。一粒一粒は小さくとも、数さえ集まればベイラー程度、故意に転ばせるなど造作もない。
《なんだと!?》
《その隙をいただく!》
大鎌を縦にふるう。横に振らないのは、横の場はさきほど力が拮抗した為。縦であり、そして姿勢を崩したナイアでは、ギフトの全体重の乗った、真正面からくる刃を受け止める術は無かった。
《王手には早いだろうサ!》
だが、避ける事は可能であった。体をひねり、振り下ろされた刃を躱す、完全に買わす事はできず、左の肩、その中央から先をパックリと斬り裂かれ、ベイラーとしての体の一部が切り落とされる。
そのまま転がるようにして、ナイアは何とか間合いを確保した。ギフトは大鎌を構え、再びナイアを間合いいれんと、一歩一歩、すり足で近づいてくる。
《(コレが、グレート・ギフト)》
なぜ近接に不利な大鎌を扱っているのかまったく理解ができなかったが、この数度のやりとりで、目の前にいるグレート・ギフトと言うベイラーが、どのようなベイラーなのか、事前の情報を踏まえて修正していく。
《(得物は大鎌。これはそのまま。速い戦いは不得手。これは修正)》
大鎌を使っているのは、この戦争が始まった時に目にしている。そして今も、ギフトは大鎌を使っている。これは間違いない。彼の得意な獲物は大鎌であり、そこに揺らぎはない。問題は、ギフトの得意分野。
《(サイクル・ギフトなんてふざけた力を持っているから、それしか能のないベイラーだと考えていたのに)》
この短い間で、ギフトは目つぶし、さらには転ばせる事までやってのけた。どれも、ナイアの知る情報には無かったサイクル・ギフトの使い方。
《存外、マナーが悪いね》
《王としての振る舞いが求められた故》
《今は違うと?》
《そうだ。今は》
グレート・ギフトは、心無しか、声にまで若さと張りがでている。柄の折れた大鎌を捨て、新しい鎌を生み出し構えを取った。
《戦士だ》
王のベイラーに成る前。友のベイラーとしていた頃のギフトが其処に居た。
《(契約者の方はどうなっている)》
グレート・ギフトを始末してから合流するつもりだったが、その願いはかないそうにない。だが、契約者……オージェンの方も、予想通りとは言っていなかった。
《剣と拳でああなるものか》
大鎌の間合いに入らないように距離をとりつつ、ふと二人の戦いを目にすると、思わずナイアはつぶやいた。
《向こうの方が早く片が付くかな》
◇
ゲーニッツとオージェン、二人が対峙している。
ゲーニッツの剣が、オージェンの頭上から迫る。オージェンはその剣を、受け止めるでもなく、避けるでもなく、その腕で、刃の側面を叩く事で逸らせる。胴体ががら空きになったゲーニッツにむけ、オージェンはその掌底を叩きつけんとする。
「……ッ!」
逸らされた剣を、肘を曲げて己の体へ、抱えるようにして手元に戻す。掌底と体の、ちょうど間に滑り込ませる事で、一撃を防ぐ。
「……」
オージェンはさらに蹴りで追撃していく。掌底の間合いでは上段蹴りの類はできない。単純に一番威力のでる位置には敵がいない為である。ならば、掌底と共に打ち込まれる蹴りはなんなのか。
「ぐぅ!?」
ゲーニッツの右足、その太腿に、鋭い下段蹴りが突き刺さる。地味な外見と、鈍い打撃音、そして目で追える程度の速さ。それらの要素だけ抜き出せば、さして大した事のない蹴りに見える。
だが、熟練者の繰り出す下段蹴りこそ、打撃戦においては注意せねばならない。この場合一撃の威力はさしたる問題ではない。上段蹴りの狙う頭部など、支えの少ない部位とは異なり、下段蹴りは人体の中でもっとも太い骨のある足に当たる。その構造上、どれだけ威力があろうと、一撃は耐え切れる。
問題は、一撃が耐え切れてしまう点と、上半身から繰り出される拳打との組み合わせが、すさまじく容易な点である。
「(あと、どれほど保つ?)」
ゲーニッツが下段蹴りを受けたのはこれで3回目。服の上では分からないが、すでに太ももは内出血しており、赤く腫れあがっている。下段蹴りで狙うのは、太ももの一点、大腿動脈が奔っている部位である。その一点を強く蹴り込まれると、常人はその一撃で立てなくなってしまう。それほど足にダメージがいく攻撃たりえるのだ。そして剣戟において、足による踏み込みは最重要である。一撃に全てをかける斬撃を行うゲーニッツであればなおの事。
だが、下段蹴りを受け、足が上手く動かなくなれば、踏み込みはおろか、構える事さえできなくなる。下段蹴りの恐ろしさは、技の地味さに比べて、相手を少しずつ、かつ着実に戦闘不能に追い込む猛毒のような性質にある。
そしてこの猛毒は、拳打との組み合わせで最も効果を発揮する。
「……」
溶けた瞳のオージェンが間合いを詰める。ゲーニッツは飛び込んできたオージェンに対し、横薙ぎで対応した。縦で剣を振るえば逸らされるが、横、それも胴体部位であれば、逸らされたとしても体のいずれかに当たる。それは必殺とはいかずとも、致命傷である。
友に向けて、なんの躊躇もなく致命傷たりえる攻撃を繰り出す。それは非情とも取れる行動だが、ゲーニッツの理念はただひとつ。
「(化け物のままでお前を生かしはしないッ!)」
黒目がどろりと溶け、もはや前がみえるのかどうかさえ、こちらでは確認もできない。そんな状態のオージェンが不憫でならなかった。それはもはや介錯の心意気であった。
横薙ぎの攻撃。すでに間合いに入っているオージェンに避ける術はない。だが攻撃姿勢に入っており、受ける事もできない。だがオージェンはそれ以外の行動を起こさない。このまま、胴体を斬り裂く。友を両断する決意をさせた。
「……」
「……!?」
なんの芸もない。真正面、真っ向からの掌底が、ゲーニッツの顔面に炸裂する。同時に、ゲーニッツは体がひけ、十二分に剣を振るう事ができなかった。頭をはね上げられ、視界がわずかに散る。同時に、刃がオージェンの体を捉えるが、掌底で押しのけられた形となり、十分に刃が食い込まない。薄皮一枚、それよりわずかに深く切り裂いただけで、致命傷とならなかった。
なにより、掌底の一撃から、再び下段蹴りが放たれる。こんどは左の太腿に食い込む。鈍い打撃音と共にゲーニッツがわずかに悶えた。
「(……逆に押し込んでこちらの腰を引かせるか)」
左足にも下段蹴りを浴び、下半身が鉛のように重くなる。右足に至っては、剣戟で踏み込んだ影響で震えが止まらないでいる。その上で、頭を揺らされ、視界がいまだチカチカしている。着実に、こちらが不利になっていく。
徐々に、不利になっている。すぐに、決着が着いていない。
「ハハッ」
「……」
ゲーニッツが思わず口が緩んだ。オージェンの方は、相も変わらず熔けた目でこちらを見ている。構えは解かれていない。
「……何か、あるんだろうな」
常に、任務で体を動かし続けていたオージェン。片や、激務で修練の暇さえなかったゲーニッツ。元の実力がどうであったかにせよ、二人の間にはすでに埋めがたい体力差が出ている。
その上で、瞬殺されていないのはなぜか。
「(加減されている)」
決定的だったのは、頭への攻撃。あの時、掌底で顔面ではなく、顎を打ち抜かなった事。顔面のほうがたしかに後ろに体を逸らせらたかもしれないが、顎であればそもそも意識を刈り取れた。
「(なんの為だ)」
もし手加減しているのだとすれば、何故なのかが分からない。だが確実な事がひとつ。
「(あいつ、意識があるのか)」
すでに化け物になってしまっていると考えていた。外見からそう判断していた。だが、どうやらそうではないと、はたかれた顔面をさすりながら、オージェンの体を眺める。熔けた目以外に、何か変化が無いか。
「……」
頭、無し。胴体、無し。両腕、無し。両足。無し。 すべて見慣れたオージェンの姿でしかなかった。差などまったく見当たらない。
「(何か、何かあるはずだ)」
それでも、なんとか彼に関する差異を見出そうとしていると、あろうことかオージェンがこちらに仕掛けにきた。掌底を今度は胴体に向けて、こちらの肝臓めがけ放ってくる。
「やっぱり意識はないのか!?」
剣では防ぐ術はなく、仕方なく片手で払うようにして掌底を躱す。そして、再び下段蹴りを繰り出してくるのを、ゲーニッツは足を上げて回避する。下段蹴りは、急所の一点に当たれば威力は絶大だが、その箇所から少しでも逸れれば、効果は半減する。太腿に命中こそすれ、全くダメージはない。
両者の顔が近寄ったその瞬間であった。
「―――コレ、Dあ」
「ッ!?」
合うはずがないと思い込んでいた、その熔けた目と、目があった。今まで沈黙を保っていたオージェンが初めて声を発した。およそ人とは違う発音ではあったが、それでも確かに聞こえた。だがこれ以上はすぐにオージェンが離れてしまい、会話はままならない。
「(ああ、そうかい)」
その一言でゲーニッツが得心する。目線はオージェンの右手の甲。
「(ソレなんだな)」
見慣れたオージェンの姿。その一点だけが、わずかに異なる。正確には、手袋をしているが、その一部が不自然に盛り上がっている。
「何があるのかは知らないが……ソレを狙えばいいわけか」
そこにある物こそ、オージェンが、ナイアを契約する際に使用された豆本。
「(こうなる前に……もっとあるだろうに)」
こんな回りくどい真似をさせる理由が分からず、愚痴のひとつやふたつ零しそうであった。だが、そこまでしなければならない理由も見当がついた。
「(お前の本領だものな)」
オージェン・フェイラスは、故郷ゲレーンの諜報機関、『渡り』の長。目的の為に人を騙す事など朝飯前である。それは、己が仕える王とて変わらない。
「全くッ!」
そうであるならばと、さっそくオージェンの右手、その甲を狙うべく、剣で突きを放った。最速、かつ正確に狙いを定めた、剣による突き。
「―――」
しかし、その突きは、左手によって遮られる。いままでの、ほぼ完璧なまでの攻防とは打って変わり、左手をむりやり剣の間に割り込ませ、その肉で無理やり止めるような、まるで左手を捨てるような防御方法だった。その瞬間、ゲーニッツは、オージェンの置かれている状況をほぼ正確に理解した。
「(右手に対して過剰なまでに防御本能が働くのか)」
それは、オージェンの意思とは無関係であろう事が伺えた。出なければ、いままでの攻防の精度とくらべものにならない雑な防御に説明がつかない。
「(おそらく自力では右手はおろか、自身を攻撃できないのだろうな)」
オージェンがわざわざこの遠回りをした理由。それは、自身ではもはやどうにもならない事を悟った為だと理解する。自決もできず、自衛と対処しかできない状態で、自分達と出会った。
「(さて、どうしたものかな)」
事態は把握できた。正解も理解できた。オージェンは、ナイアを騙しつつ、こちらに右手の甲にあるナニカを破壊させる気でいる。だが破壊に至るまでの手段が思いつけない。何より。
「強いなぁ。お前は」
ゲーニッツの実力は、かつてはオージェンよりも上だったかもしれない。その自負もあった。さが、ゲーニッツもオージェンも、お互いに年を取った。ゲーニッツに至っては、今や孫が待っている年である。
「(弱くなったこの身で、果たして)」
目的が果たせるかどうか。端的に言えば自信が無かった。
「―――」
そんなゲーニッツの葛藤を読み取ったのか。それとも全く別の意図か。オージェンがわずかに構えを取り、右手だけを向ける。左手は先ほどの防御で使い物にならなくなっている。
「……?」
一体何を? そう考える暇もなく、すぐに答え合わせが来る。オージェンは、右手を開き、その指先で。チョイ、チョイと手招きして見せた。ほんのわずかな時間の出来事であり、それ以降は、すぐに構えに戻る。
しかし、その僅かな時間だけであっても、それは明らかに、ゲーニッツを挑発していた。
「……」
大きく息を吸い込み、肺に空気を送り込む。両手で剣を握り込み、痛みの走る両足を踏ん張る。
「お前はそうやっていつもさぁ!」
言葉が荒くなる。人として、父として、王として、そうあるべきと後天的に備えた仕草が外れていく。
「こんのぉ黒ガリがぁ!」
黒ガリ。浅黒く、体の厚みが薄く、いわゆるガリガリであったオージェンに向けての、まごう事無く侮蔑の言葉である。このような彼の口の悪さは、娘のカリンにしっかりと受け継がれていた。




