聖女の軍勢
カリンが、『果ての戦場』で地獄をみていた頃。地上の避難民たちは、この状況下でも、とてもよく働いた。食糧を確保し、猟犬の脅威にも立ち向かう。閉ざされたこの地で、それでも生きていこうと希望を胸に、日々働いた。
「食糧はあとどれくらい持つのか」
「小麦の量はあと十五日ほど。切り詰めればもっと持たせましょう」
「よし。病人たちはどうしてる? 」
「おおよそ三分の一が回復しはじめています」
「残りの者は? 」
「その者たちは、この場で治療できない者たちでして」
「……スキマ街の者たちか」
「え、ええ」
定期的に行われる首脳会議。ほぼ状況を把握し、新たな指事を出す為の重要な会議の場である。カミノガエがテキパキと報告を受けては指事を出している。
「飢えで死んでいる者はいないのだな? 」
「それは、はい! 」
「ならばよい。他には」
「……戦いで兵士が三人、死亡しました」
「―――そう、か」
飢えによる死者が居ない。これはなによりな事だった。もっとも死にやすいのは子供であり、その子供が死んでいないというのは、彼らのたゆまぬ管理と努力による所が大きい。だが、兵士は違う。
「猟犬との闘いは細心の注意を払えといったが……」
「猟犬が、新たな姿になろうとしたのを、彼らが命がけで止めたのです」
「新たな姿? 」
「ここに戻ってきた、三人のうちの一人です。彼は、これを伝える為だけに帰ってきました。そして、私達に手渡した後に、そのまま」
「……これか」
そこには一通の手紙。血みどろになりながら、書きなぐられたであろう文字が描かれている。その文字を読み上げていく。
「……黒騎士、近くに」
「はい」
読み上げた後、隣に黒騎士を近づかせる。彼はカリン達によって隻腕ではなくなり、今は両腕を使えるようになっている。
「黒騎士の言った通りになったな」
「『コウモリのような翼を生やし、猟犬が飛ぼうとした』ッ!? 」
猟犬は、その大きさを変え、ベイラーと同じほどの個体が多くなった。体の大きさを変えられるなら、部位を変えるのはなんら不自然ではない。そして、翼を得るという事は、壁を越えて奇襲ができる事に他ならない。
「空を飛ぶ相手に、黒騎士ならどう戦う? 」
「相手が一匹なら、レイダとヨゾラが寄せ植えすればいいが」
「猟犬であれば、一匹とは限らん」
「……陣地を構築したほうがいいですね」
「陣地? 」
「あ、コウテイさまー」
「ほうこくー! 」
「おお、双子の狩人。よくきた」
対策を練っていると、リオとクオが、今日の工事についての報告をしにやってくる。彼女たちは今、水路の工事をリクと共に手伝っている。大工たちが舌を巻く、剛力からくる運搬力は、水路の建築に関しては、もはやリク抜きでは成り立たなくなっている。
「明日にはこの地区だけなら使えるようになるって! 」
「おお! 流石だ。早いな」
「クオ達頑張った」
「よし。その調子で頼む」
「「承った! 」」
「……どこで覚えたんだ『承った』なんて」
「余からである」
「何!? 」
黒騎士が彼女らのその微笑ましいやり取りを眺めている。
「余の真似とは、殊勝な心掛けであろう」
「……ご無礼がないのなら、私からは何も」
「ご無礼なものか」
「くろきしー、今日は何をしてるのー? 」
「あ、ああ。空を飛ぶやつらを撃ち落とすにはどうしたものかとな」
「撃ち落とす? 」
「その為に、陣地を組もうと」
「ここに? 」
「……あ、ああ。そうだが」
「ふーん」
リオ達が地図をじっと見つめる。
「以前、砂漠の街で、虫を退治した事があったろう? ソレを参考しにてだな」
「でも、ここじゃ狭いよ? 」
「船の上じゃ、ぜんぜんベイラー乗れないし」
「……そこが難点だとは分かっているんだ」
双子の着眼点は正しい。飛行する猟犬が(翼をもっているのに犬なのかどうかは黒騎士は審議中であり、便宜上猟犬としている)襲い掛かってくる場合、この避難船の上はあまりに心もとない。元々船の利点とは洋上にある事で侵攻されにくい点があるが、そもそも洋上が封鎖されており逃げ場がない、かつ、相手が空を飛んでいるならそもそも侵攻され放題である。
「陣を組むとしても、もっと前、城の方に行かないと……だが猟犬がいるか」
「船を増やすか? ベイラーなら船を作れるだろう? 」
「足場にはなるでしょうが、今度はその船を守る術がありません」
「うーむ」
「「……」」
前に出るか、後方に位置するか。陣の構築は難儀した。カミノガエと黒騎士とがお互い、なんどかアイディアを出し合うも、やはりどこか頼りない案ばかりでる。自分達がいるのが船である事、相手が飛んでくる事。その二つが防衛を困難にしている。
その間、双子が、きょろきょろと地図と外を見比べる。そして、しばらくして、二人は思いついたように、顔を上げると。すぐさまバタバタと会議の場を後にしてしまう。
「一体、何だったんだ」
「うむ。陣地の構築は黒騎士と、シーザァーに一任しよう。空とぶ猟犬が現れ始めた以上、対策を立てねばならない。シーザァーは、戦上手だ。何か余には無い案をもってるやもしれん」
「かしこまりました。陛下」
「しかし、あの双子の狩人は元気なものだな」
「元気すぎて困るくらいで。ほんの少しでも落ち着いてくれるといいのですが」
「そう言うな。あの元気は余には無かった物だ。大切にしてやれ」
「……」
黒騎士が答えに困窮する。カミノガエは幼少期から謀略の最中に居た。こどもらしい事を一切する暇もなく、その地位故に、いつのまにか父も母も、兄弟もいなくなった。そんな彼からしてみれば、リオとクオの、有り余る元気はうらやましいと言える。
「無邪気に遊べるのは、いいことなのだ。きっとな」
「はい」
「……余も、もっと早く心を開いておれば、違ったのだろうが」
無気力の中で沈んでいたカミノガエは、今では見る影もない。コルブラットや黒騎士の補佐があるとはいえ、彼の指示は、徐々に的確になりつつある。皇帝としての血か、あるいは彼自身の資質がは定かではないが、カミノガエが居なければ、避難民はもっと早くに全滅していた。
「カリンは、また眠っているのか」
「はい。ですがしばらくすればまら起きるかと」
「そうか。あまり無茶をしなければいいかが」
「では、陣地を構築しに行って参ります」
「うむ。よきにはから――」
「「待った―――!! 」」
カミノガエの声を遮るように、外に出ていた双子がまた戻ってくる。黒騎士は咄嗟に彼女らを叱責しようと声を出そうとするも、カミノガエが手で制した。
「お前たちなぁ……」
「佳い。余が許す。して狩人。どうした」
「陣地! 見つけた! 」
「一番いいとこ! 」
「ほう? 何処だ? やはり城か? それとも湾内か? 」
「「ここ! 」」
「……? 」
「……? 」
カミノガエと黒騎士が同時に首を傾げる。おてんば娘たちを、叱るか怒るかするのが、それとも別の方向で彼女たちをコミュニケーションをとるべきか、人の親になった事のない黒騎士では瞬時に判断できず、つい繰り返しのように問う。
「……ここが難しいと言ったのはお前達だろう? 」
「あ、ちがった! ここじゃないけどここ! 」
「?????」
そして、今度こそ疑問が浮かんで消えなくなり、その場て立ち止まってしまった。見かねたカミノガエは、オウム返しで問いかけ続ける。カミノガエ自身、彼女たちの発想を知りたくなっていた。
「ここじゃないけど、ここ、とはなんだ? つまり船の上か? 」
「うん! そうだよコウテイ様! 」
「……船の上なら、ここだろう? 」
「船の上だけど、甲板じゃないよ! 」
「……うん? 」
「えっとね、上から紐を垂らして、そこにね、足場を作るの」
「それなら、この場所全部が陣地になるよ! 」
「上から、紐? 垂らす? あー……」
カミノガエが地図を眺める。
「この港より高い場所などあったか……? 」
「コウテイ様、地図にはのってないよ? 」
「……ん? ん? んん? 」
彼女たちの確信が、まったくつかめず、カミノガエもまたギブアップする。
「分からぬ。どういうことだ? 」
「だからね、上にいって紐を」
「だから上というのは何処だ? 」
「上は上なの! 」
「―――地図にはない。上」
黒騎士が、地図ではなく、船の窓から上を見る。
「……上には、何も……何、も……」
あるのは、龍によって閉ざされている空しかない。ヨゾラが健気に索敵を行っているのがここからでも見て取れた。この船の上には、やはり何もないように見える。だが、龍はそこに居る。
その瞬間黒騎士が閃く。
「まさか、お前たち、龍から紐を垂らせといってるのか!? 」
「だからそう言ってるじゃん! 」
「天井があるなら、その天井を使おうと、そういうのか? 」
「「だからそう言ってるじゃん! 」」
この時、黒騎士は己の知見を恥じた。いままで地図をずっと見ていた。きっといい場所があるはずだという、己の知識からくる常識を当てにしていた。それは何も悪い事ではない。本を読み、知見を広げる事は、人を助けるには大いに役立つ。
だが、そもそもの発想で双子に負けていた。そもそも、今のこの状況でさえ、常識ではありえない事だらけなのだ。その常識のままで戦っていては、猟犬との闘いにも勝てなくなる。
「お前たちがもし、陣を組むとしすればどうする? 」
「ふふーん」
「ん? 」
「クオ、いくよ」
「うん。せーの」
「「どーん! 」」
二人は、いつのまに用意していたのか、陣についての大まかな配置図さえ用意していた。三隻の船を中心にして、円を描くように配置さえれた陣は、通常であれば実現不可能である。海の上でどうやって船を守る陣を作れようか。
だが、今は通常ではない。
「……陛下、ブレイダーを呼びましょう。この陣、彼の力がいるかもしれない」
「うむ。今は猟犬との闘いに出向いている。戻り次第呼んでおこう」
「リオ、クオ、お前たちのアイディア、絶対に成功させるぞ」
かくして、気たるべき防衛のための陣地づくりが始まる。まずは、龍の皮膚に穴を開ける術を見出す所から始まった。
◇
《龍をも恐れぬ所業。お見事》
「ソレ、褒めているのか? 」
猟犬の核、その残骸を片付けながら、戻ってきたグレートブレイダーに、さっそく、黒騎士が、この案が可能かどうかを問いかける。彼はその問いの意味を最初は理解できなかったが、理解したその時に、おもわず出たのが、上の言葉であった。
《褒め言葉として、お受け取りください》
「そ、そうか」
《そして、可能かどうかは、いってしまえば可能でしょう》
「そうか! 」
《ですが、いくつか問題もあります》
「だろうな」
《当然ながら、空中での作業となります。空を飛べるベイラーは必須》
「ブレイダー達、あとはヨゾラか、セスも飛べるには飛べるが……」
《彼の飛び方では、浮遊ができないでしょう。作業するのは無理です》
「……もしかして、時間が掛かるのか? 」
《その通りです》
ブレイダーの指摘は、人的要素。単純に作業人数が少ない。そして、今回行うのは、足場づくり。物を、人を乗せる物を使うとなれば、構造的にも重量的にも重くなる。
《ですが、構築そのものは可能です》
「可能なのか」
しかし、不可能ではないと、ブレイダーは言い切る。
「どうやって吊るすんだ? 」
《龍の鱗に釘を打ちます。その釘から紐を垂らすのです》
「そんな事して、龍は怒らないのか? 」
《釘の一本や二本打ち込まれたところで龍は気にしません。人で例えるなら、風をわずかに感じた程度で済みます》
「そ、そんなものか」
《そんなものです》
「……陣の構築を、お願いしてもいいか? 」
《了承。図面等はありますか》
「そこから先は私が代わろう。黒騎士殿」
黒騎士の後ろから、鉄拳王シーザァーが現れる。彼はその手にたくさんの図面を持って、どさどさと無造作に落とした。
「使えそうな物をありったけ持ってきた。これを組み合わせれば、なんとかなるはずだ」
「なんとかって……」
「そう言うがな黒騎士殿。空に陣を作るなど前代未聞であるぞ」
「そ、それは、そうなんですが」
《……これらは全て土をつかって土台をつくるものです。使えないのでは? 》
「ふむ。ならここから半分はいらんな」
ブレイダーが指さす範囲を豪快に寄せてく。
《鉄はこの潮で錆びます。木造になるでしょう》
「ならこちらも駄目だ」
「……ほとんど通路用の図面だけだ」
そして残ったものは、ほぼ通路を作る際に使われる図面と、木造の家だけ。戦で使われる砦や塹壕などは、そもそも空中では意味を成さない為に除外されていた。
「この図面で、いけるのか黒騎士殿」
「……」
黒騎士は己の頭の中で、図面を空中に浮かばせる、ただの通路では、ベイラーを乗せる事はできない。相応に太く大きくする必要がある。そして、双子の考えた配置は、船を覆うような円形。
「シーザァー殿」
「何かな黒騎士殿」
「今回、器のような造りは、どうだろうか」
「うつわ? 」
「円形の、深い皿のようなものを吊るすんだ。その器の内側に、人が乗る足場を作る」
「……悪くありませんな、なにより、地上で作った後に持っていける」
「ベイラーが腕を出せるくらいの大きさにしておけば、迎撃も可能だ」
黒騎士は、箱の城を作る事を考案する。アイディアとしれは悪くないとシーザァーは唸った。
「……だがせっかく吊るすのです。大きい方がいい」
「だが、あまり多すぎても意味が」
「そこは、器に穴を開ければいい」
「穴? 」
「黒騎士殿は、砦造りをしたことは? 」
「ない」
「前線で砦を作る際、迫る敵を打ち返すように、弓兵用の穴をこしらえるのです。そうさな、今回の陣であれば……」
無地の紙に、サラサラと書いていく。前線で指示していた事もあったからか、シーザァーの手つきは慣れており、黒騎士考案の器を正確に描いたうえで、自身のアイディアを書き加えていく。
「ベイラー用に、上の大きな穴を、下に、人用で二列、計三列の穴を並べ、内側は足場を作る」
「この形なら、内側に物資も保管できる」
「そして、上空、それも四方から船を守れる。万が一接敵されても」
「上から来るしかない。そうなれば、こちらも集中砲火で落とす事ができる」
黒騎士と、シーザァーの合作が出来上がる。机上の空論が少しずつ現実に近づいていく。器の構造はいってしまえば第十二地区にあるコロシアムを流用できた。あの円形の形状をそのまま空中で再現するような形になる。
「これは、大きい物になりそうですなぁ」
「ああ……ブレイダー、どうかな? 」
《お待ちを》
ブレイダーがその簡易的な図面を読み取ると、しばらく沈黙する。その沈黙が、工期の計算である事は二人は知る由もなかった。やがてたっぷり十分は黙った後、唐突にしゃべり出す。
《でました》
「うぉびっくりした」
《二班に分け、箱作りに協力すれば、五日でできるでしょう》
「……五日!? 」
《はい》
「人は休まねばならないんだ。まさかそんな短さで」
《休息込みでの五日です》
「お、おお……」
食糧の残りを考えれば、その期間はぎりぎりであるが、それでも黒騎士は、ブレイダーの試算に驚かざるおえない。
《明日からでもさっそく取り組みましょう》
「シーザァー殿、人集めを。しばらく猟犬狩りは中止だ」
「ああ! 人選は任せろ! 」
「私はこれからこの図案と共に陛下とコルブラットに具申してくる」
黒騎士ができたばかりの図面を抱え飛び出していく。策が功を成そうとしている高揚感、これならば上手く行くという確信がある。だが同時に、脳裏にこびり付く不安。
「(空を飛ぶ猟犬が出てきた以上、対策を立てるのは当然だ。だが、僕たちがやっているのはどれも対処だ。後手だ。猟犬が現れてから、ずっと後手後手で対応している。本当にそれでいいのか? )」
今までは、綱渡りの連続であったが、こうして存続できる。だがそれも、まだ食糧に余裕がある為、とくに、現在彼らの腹を満たすパン、その原材料の小麦粉が無くなれば、この安寧は一気に崩れ去る。
「(なにより、まだ僕たちは、あの魔女の事を何も知らない)」
そして、こうして敵として戦っているはずの、結晶の魔女、マイノグーラについては、以前謎のまま。
「(彼女は、その場を凍り付かせる力がある、だが、その力はコウが拮抗できる……やはり。コウと共に、本拠地に乗り込むしか、先手を取る事はできないか)」
結晶の魔女、マイノグーラについて分かっているのは、彼女のもつ、凍らせる力。一瞬で全身が凍ってしまい、身動きが取れなくなる。だが、その力は、コウであれば拮抗させる事ができた。実際その場面を黒騎士は見ている。
「(五日間の間に、もどってきてくれればいいが)」
「あ、黒騎士様だー! 」
「黒騎士様ー」
「おっと」
道すがらに、避難民、それも子供たちが黒騎士を見つけて集まってくる。
「ねぇねぇ、黒騎士様、また戦いに行くの? 」
「あ、ああ。そうだ」
「気を付けてね! 悪い奴なんか、あの商人のときみたくやっつけてよ! 」
「……ああ。約束しよう」
仮面の奥で、オルレイトは自身のしでかした事を、後悔しつつあった。元々、この仮面は、剣聖選抜大会の際、カリンの協力者である身元を明かさない為にかぶっていたものだが、いつの間にかその黒騎士の名だけが独り歩きし、しまいには、こうして子供たちの人気者にまで成っている。子供たちの中には、その時に売りに出した、いわゆる黒騎士グッズを手に抱えている子もいる。そして極めつけは。
「ねぇ、アレやってよ! アレ! 」
「あ、アレか……こほん」
一つ咳払いした後、黒騎士はレイピアを掲げ、気恥ずかしそうに叫ぶ。
「我が名は黒騎士。人を人と思わぬ者に、刃をもって立ち向かう者なり」
「わーー! 」
「者なり! 者なりーー! 」
「(……なんでコレがこんなに広まっているんだ)」
極めつけは、この、決闘の際、オルレイトが頭に血に登ったまま相手に啖呵を切った言葉が、なぜか子供たちの間で、合言葉のような扱いになっている事。子供たちに見つかるたびにこのセリフを言わされるために、少々難儀していた。
「あ、『聞け悪党! 』がない! 」
「お、おっと、すなない、だがそれはまた今度な」
「はーい! 気を付けてねー! 」
「(僕はそんな事言ってたのか)」
子供たちを後にしつつ、過去の、義憤に駆られて発した言葉に恥ずかしさを覚えつつ、図面をもって駆け上がる。
「陛下! 陣の構築がまとまり……まし……た…」
そして、再び舞い戻るようにしてカミノガエの元にたどり着くと、なにやら空気が違う。緊張感に満ちているのはいつもの事だが、この場には、今までにない、暗い感情が宙を漂っているように思えた。
会議の場には、カミノガエ、コルブラット、そしてサマナが居た。サマナが会議の場に出席しているのも珍しいが、そこにもう一人珍しい人間が佇んでいる。
「……オージェンおじさん? 」
「仮面を付けている時くらい取り繕ったらどうだ? 」
「は、はい! ……オージェン殿」
「それでいい」
オージェンがその場にいる。諜報を専門とする彼が居ると言うだけで、何かとてつもない事実が持ち込まれたのだと理解する。そして、重苦しい空気を変えるべく、最初にカミノガエが口を開いた。
「そんな事が、起きるか」
「はい」
「なんという事だ……敵が増えるとは」
「敵? まさか、もう飛行型の猟犬が」
「……黒騎士、そうでなはい」
オージェンはそれだけ言うと、机の上にある物に視線を移す。それは、露店で売っているような安物の腕輪だった。所々汚れているのが、みすぼらしさを加速させている。
「人数は正確には不明ですが……すでに50人はいるかと」
「50人……その人数で、兵士より厄介な事をしてくるのか」
「あの、一体、何が」
「黒騎士、その机の上にある物が何かわかるか? 」
「腕輪、でしょうか」
「兵士達に反攻してきた者が身に着けていた物だ」
「……反攻? 」
「彼らは、死を恐れずに、兵士に挑み、そして一人を剣で突き刺した」
「ま、まってください。なんで兵士を!? まさか何か不満が」
「違う。彼らは、最初から兵士を殺害しに来ていた」
「……なぜ? 」
腕輪だけがここにある。それはつまり、すでに犯人は制圧されている、もしくは、オージェンが処断したのだろうと考え、考えた上で、絞り出たのは、何故という言葉だけだった。
「彼らは、もう人を信じる事を止めた。そして代わりのよりどころを見つけた」
「よりどころ? ……それは、一体」
「その腕輪、よく見ろ」
黒騎士は言われるがまま、腕輪を注視する。じっと見つめていると、薄汚れている中、きらりと光る、細い紐を見つける。最初からあったものではなく、腕輪に後から括られたようで、雑に結ばれている。異様なのは、その紐が、薄汚れている腕輪の中で唯一キラキラとしている。
「なんですか、コレ」
「髪の毛だ」
「……髪の毛? 」
「おそらく、マイノグーラの」
「――まさか、それって」
「これは、マイノグーラの元に集まった人間が身に着けていたものだ」
黒騎士の前提が、一気に崩壊していく。
「マイノグーラを、聖女と称えて敬う人々が現れはじめた。彼らにとって、もはやマイノグーラは魔女ではない。魔女は、皇帝をたぶらかしたカリンであるとな」
「……なんだよ、ソレ、なんだよソレ! 」
黒騎士はもはや、取り繕う事などできなかった。
この日を境に、マイノグーラを称える人々が、避難船にいる人を闇討ちし始める。兵士、大工、女子供、なんら区別はない。聖女の軍勢と名乗る彼らは、マイノグーラの髪を巻き付けた装飾を付けているのが特徴であり、そして全員人間だった。この日から、カミノガエや避難民たちは、本来手を取りあえるはずの人間と戦わねばならなくなった事を理解し、腹の奥の黒い物を隠せなくなっていった。




