ベイラーと聖女たち
「忌々しい」
暗い帝都の街を進みながら、結晶の魔女、マイノグーラは嘯く。
「忌々しい。まだ生きている」
我が子たる猟犬を解き放った後、龍に解き放たれてから、すでに一週間は経った。だというのに、猟犬はまだ人を食い尽していない。食い尽すまで帰って来なくていいと言ったのは、マイノグーラである。 もっと早くに帰ってくるものだと思っていた。龍に閉ざされたのは想定していなかったが、それも必ず食い破る手段が無いわけでもない。だが、この地にいる人を絶滅させる方が速いと、そう思っていた。
だが、予想に反し、人は、今もなお、抗い続けている。何より。
「人が、核を見つけるとは」
猟犬が、人によって対処されはじめている。それは、マイノグーラにとって経験した事のない事態であった。ティンダロスの猟犬は不死身であったはずである。だが、この星に住まう人の手によって、すでに不死身では無くなっている。
「猟犬だけじゃ、もう殺しきれないかもしれない。」
マイノグーラは、猟犬に対し、期待を捨て去った。すでに人に殺されている個体がでている以上、猟犬だけに任せては、人の全滅は叶わない。ならば、マイノグーラ自身で、手を下す他ないと、あの六面体の外にでて、こうして帝都の街を裸足で出歩いている。
猟犬はマイノグーラを認めると、とぼとぼと後ろをついて歩いていく。一匹がついていけば、三匹が奥から出てきて、また奥からさらに。倍々で増えていく。
やがて、門付近に来た時、そのついてきた猟犬を、後ろから掠めとるように動く影がある。
「ああ、そう」
マイノグーラは、反応を示す事はない。その影もまた、我が子、猟犬である。だが、ただの猟犬ではない。
「猟犬の力は、確かに星に抑えられている。でもコレは、違う」
背後にいるのは、大型の猟犬。
「それは、人に殺されない為の対策? 」
猟犬の進化は、水場への耐性と、より強固で強大な肉体。しかし、現在はその強大な肉体を維持する為の、燃料とよぶべきものが不足している。結果、マイノグーラの目の前で、とある惨事が繰り広げられていた。
「そこまで、悪食に育てた覚えは無いけど」
大型の猟犬が一匹立っている、口元の牙が血で濡れている。大型の猟犬は、いわば腹を空かしていた。だが、街中に人間の影はない。もうほとんどは、自分達も近寄れない海の傍で集まっている。口に入れられるものはなんでも試したが、燃料にはならない。
大型の猟犬は、共食いで、燃料を手に入れ始めている。
「そんな事をしても、増えはしないのに」
猟犬は、人間を喰うが、丸飲みする事はない。せいぜい肉体の半分を残す程度。丸のみできるような大きさをしていない。だが大型の猟犬は違う。ベイラーと同じほどの、全高8mほど。尻尾から頭までにすれば、全長にして、20mほど。その大きさならば、猟犬を、人間を丸呑みする事など造作もない。
猟犬には、喰った相手を、同じく猟犬にする力がある。それには、肉体がある程度残って居なければならない。しかし、これでは、肉体が残らない。
「悪い子に育ったのもね。おいで」
「―――」
「一緒にいてあげるわ」
食べ終えた大型の猟犬は、マイノグーラにかしずくように伏した。マイノグーラは何度か頭をなでてやると、猟犬はその不自然に生えた尻尾がぶんぶんと振る。生き物のルールを無視した体で、まるで飼い犬のように、猟犬は喜んでいた。マイノグーラは、猟犬の背に横乗りし、帝都を見渡す。
「お前の鼻を使いなさい。まだ居るわよ」
「――」
猟犬は、言われた通りに、鼻を鳴らして頭を上げる。すると、一瞬動きがとまったかとおもえば、突然走り出す。
「あら、まだお腹がすいていたの? しょうがない子ね」
大型の猟犬は、第十地区の壁へと向かった。猟犬はその脚力でなんなく壁を駆け上がり、そして飛び上がるその両足で、家という家を押しつぶしながら、豪快に着地する。
「(ああ、こっちに生き残りがいるのね)」
大型猟犬が、何度か首を振った後、また走り出す。そして、ちょうど、第十地区唯一の宿屋の前で止まった。口に生えた牙で、強引に石造の壁を砕いていく。石ごとバキバキと食い破っていくと、やがて、中にいた人が見えた。地下水道に逃れ、身を寄せている。
「ひぃいいい!! 」
「み、見つかった!? 」
「(……痩せているのが二つ、のこり三つは、小さい)」
マイノグーラには、家族という概念がないため、単なる数を数えるだけに留まる。宿屋の地下にのこっていたのは、五人家族で、両親は痩せこけている。食糧だけでも子供たちに分け与えていたのがうかがえた。
「(こんなのがあとどれくらい――)」
「ま。まて、おい、人が、乗っている」
「……? 」
父親が、おびえた表情で、問いかけた。命の危機であるが、同時に、彼は、希望を見出していた。マイノグーラの正体を、かの父親は知らないのだ。
「まさか、あんた、その化け物を、手なずけたのか?」
「……」
このうるさい男を食い殺してしまうのは容易い。だが、マイノグーラは、猟犬に待ったをかける。
「だったら、」
「へ? 」
「だったら、どうだというの? 」
「た、たすけてくれ! 」
「助ける? 」
「そ、そうだ」
「……」
マイノグーラは、わずかに逡巡した。事態を理解していない。人は、助からないのだ。自分達だけでなく、龍にすら見捨てらえた。この地は閉ざされ、人の意思では出る事はできない。
ここで、猟犬の牙から逃れたとしても、餓死するだけだ。
「(……)」
「な、なぁ!? 」
「ほかにも」
「へ? 」
「ほかにも、生き残りは、いるの? 」
「さ、さぁ。でも、俺たちは宿屋をやっていたから、食料も備蓄が」
「やどや? 」
「宿屋、知らないか? 」
「……」
マイノグーラは、かなり長い間考えた。この情報は貴重である。同時に、この状況を、利用したくなった。どうやって、利用するか。彼女は、彼女の知りうる人の生態を思い出す。すべて、セブンが教えてくれた、拙い知識。
「(上手く、嘘を使うといいと、あの人は言った。でも嘘って何? )」
嘘をなぜつくのか、理解できなかった。嘘を使う必要が今まで無かった。
「(人は、信じる者の為に動く。あの人は私を信じて……あら? なら)」
そして、ふと思いつく。
「ああ。それは、いいわ」
「は、はい? 」
「いいわ。そこの人たち、助けてあげる」
「や、やっ―――」
その瞬間、男の頭上から、小型の猟犬が飛び出してくる。
「うわあああああ!? 」
宿屋の家族は、その身を寄せ合った。この後にくる終わりを、受け入れる他無かった。両目をつぶり、手を必死に握りしめる。
だが、どれだけ待っても、猟犬は襲ってこない。
「……あれ? 」
「助けると言ったわ」
目をあけると、小型の猟犬が、ばりばりと喰われている。
「ここは、あぶ、ない。ほかの、やどや、いこう」
「あ、ああ! ありがとう! 」
片言になりながら、マイノグーラは答える。彼女は嘘をついている。小型の猟犬をこの場に呼んだのは彼女自身である。いうなれば、この一幕は自作自演。
「あんた、名前は? 」
「……マイノグーラ」
「マイノグーラ! ありがとう! マイノグーラ」
家族たちは、何もしらない。このマイノグーラこそ、この猟犬を生み出した張本人であると。しかし、彼らにとっては、この窮地を救った恩人である。
「あんたは聖女のようだ」
「せいじょ? 」
「聖なる女性、弱き人を救う人のことさ」
「聖女……なるほど、魔女よりはいい」
「何か言ったかい? 」
「いいえ。では、これからは、聖女マイノグーラと名乗ります」
「せいじょさま、寒くないの? 」
「ええ。ちっとも寒くないわ」
本心である。まったくもって彼女は寒くない。代わりに、なぜか分からないが、頬がつり上がっていくのを感じる。
「さぁ、いきましょうか」
人が、己の支配下に居る。その事実を噛みしめる、
「(セブン、貴方がやっていたという事を、やってみるわ。慣れないけれど)」
セブンは、人を騙していたと同時に、人に自分を信じさせていた。それはカリスマと呼ばれるもので、人は強烈な個人に惹かれる。その個人が、自分の為に働いれくれるのであれば、信じ、付き従う。
「(ほうら。あの男なんか、涙を流している。なんでかしら)」
自分を信用している家族が、可笑しくてたまらない。
「(人が集まっているのは……港ね。なら、遠回りしていきましょうか)」
カリン達は、まだ港からほど近い地域しか調査できていない。自分達も宿屋に目をつけ、そこから物資を得られた。ならば、他の地区の宿屋もまた同じ。宿の規模こそ小さいが、そこには確かに物資がある。そして、物資があれば、人が生きていける。同じように、猟犬の恐怖に晒されている。
「(そこを助けていけば、いずれ)」
すでに、五人の人が、マイノグーラを信じている。これが、十人、二十人と増やす。そして、マイノグーラの思い付き、その最終目標は。
「(人と人とを争わせる。これならば、一番手間がかからない)」
マイノグーラを信じている人々に、カリン達を殺させる。敵は、彼らであると囁いて。
人を絶滅させる手段としては、回りくどい。だが、マイノグーラは、楽しみが出来た。
「(ふわふわする。まるで、あの人にあった時のよう)」
マイノグーラが、聖女となって、人を従え、そして、カリン達と出会った時。果たして、どんな事になるのか、今から、楽しみで仕方なかった。
◇
マイノグーラが恐ろしい企てを立て、五人の救済した同時刻。避難船の中、生き残りを収容し、人々が安堵の声と共に、食事をとっている。大型猟犬の出現は脅威であり、なにより対処しなければならない事態として受け入れられた。そして、対策を協議する中で、カリンが、オージェンを呼びつけ、開口一番問う。
「説明、してくれるのでしょうね? 」
「……」
「ナイアは、一体なに? 」
避難船で、すでに恒例となった会議であるが、その中心には、今は猟犬ではなく、オージェン・フェイラスが居た。そして、問いかけるカリンの傍らには、彼女の父、ゲーニッツが居る。
「オージェン、お前は」
「そんな顔をするな。心配いらない」
友の目が揺らいでいるのを、オージェンは悟り、ゆっくりと語り始める。
「ナイアは、あのマイノグーラと同じく、外から来た」
「外? ……うちゅう、から来たと」
「驚いた。宇宙を、知っているのか? 」
「私の事はいい。続けて」
「そいつは、この星にきた。だが、この星にきた時点で、奴は力尽きた。それほど、奴は長い間星を旅して、疲れ果てていた……おそらく、マイノグーラも」
語り口は、昔話そのものだった。だが、どれもまるでその場で聞いたかのような臨場感がある。
「だが、マイノグーラはナイアと違って、さほど疲れていなかった。だから、何千年も前にこの星に来た時に、すぐに人々を飲み込もうとした……その後は」
「余の一族が記録し続けた通り、という訳か」
カミノガエは、納得と共に、オージェンに補足を求める。
「カラスよ。お前がいう、ナイアとは、マイノグーラと同じように、この星を喰うのか? 」
「それはないだろう。奴は支配する事に興味がない」
「なら、何に、興味がある? 」
「……誤解を生みそうな発言となるが」
その前置きがすでに誤解を生みだしそうな発言である事に、全員が心の中で突っ込みを入れる。
「私に、興味があるらしい」
「カラスに、興味が? 」
「奴にとって、私は面白くて、滑稽な奴だそうだ」
「オージェンが面白くて、滑稽? なんでそんな」
カリンが本気で理解できずに首を傾げている。一瞬、ゲーニッツは噴き出すのを耐えつつも、事態の収拾についての話を切り出した。
「つまり、あの不気味なベイラーは、我々の味方、であると? 」
「その認識で間違いない」
「それにしたって、龍はなぜ、そのナイアを狙う?」
「それは龍が、この星の防衛を司っているからだ。ナイアも、マイノグーラも、龍にとっては等しく排除対象、ということだろう」
「むぅ。ややこしいな」
「だが、味方としては、奴はなかなか強力だろう」
「……確かに」
貴重な水を消費せずに、猟犬を一撃で放り去る力は、防衛戦を強いられているカリン達にとってなによりの助けとなる。
「今度は、こちらの番だ。姫様」
「あら、何オージェン? 」
「コウ君はどうした? なぜ動かない? 」
「そ、それは」
カリンは、コウがいまだ魂が戻らない事。そして、その事情が、心の故郷にある事を話す。
「……用事か」
「ええ。それが済んだら、すぐ戻ってくるわ」
「綿毛の川……」
「オージェン? 」
「姫様、この船で、誰か赤ん坊が生まれたりしてないか」
「赤ん坊、って、なんで、今」
「いや、しばらく前、君たちが帝都にたどり着くより前に、ある報せが届いて……どうした? 」
オージェンは、あたりの空気が一瞬にして変わった事を悟る。そして、その中心人物である、ライが、顔を伏せて戻さない。
「ライ王。いかがした? 」
「そういえば、貴方も、クリンのお知り合いでしたね」
「……何が、あった? 」
「こちらに」
オージェンは、改めてその顔をみて、ライ王の変わりように驚きを禁じ得なかった。政治と武勇に秀でて。酒で友を作る、豪気な人なりが、こうも委縮している。覇気を感じさせていたあの金髪がしなびているようにさえ見えた。オージェンは先導されるままライについていく。
そこは、船室。ベッドがひとつあるだけの、小さな部屋。それでも、船の中で個室というだけで、身分の高い人物の為に用意されている。
「この船に移した。この船には、義妹殿もいる、彼女の心が休まると」
「……まさか」
その扉越しに、オージェンは見る。その部屋にいる人物は、カリンの姉、クリンであった。だが彼女の持つ、生命力にあふれた瞳は、今は光無く、どこか虚ろである。そして、胸元には、赤子が抱かれている。その赤子はまるで動かない。動かないのに、クリンはしきりに話しかけている。
「母子、共に、健康、なのだな? 」
「そうだ。幸い、ではあるが」
「そうか。しかしこれは、祝いの言葉を送るのが、良いのだろうが」
「いいさ……これでは、な」
あれから、バーチェスカ夫妻の間に生まれた赤子は、一度も泣いていない。
「彼女のあんな姿は、恥かしながら、始めて見た。腕を折ろうがけろっとしていた彼女が、まさか」
「……」
「驚かないのだな」
「……この、症状を、知って居る」
「何? 」
オージェンは、懐に仕舞い込んだ手帳を開く。この手帳こそ、諜報で最も必要な、彼の仕事道具である。写しを取る事も無く、ページ数がかさめば、情報の取捨選択をして圧縮し、この一冊にまとめ上げている。そのページを、ペラペラとめくり、該当する情報を見つけ出す。
「やはりそうだ。同じ事が我が国でも起きた」
「ゲレーンでも? 」
「ゲレーン以外でもだ。生まれたばかりの赤子が、泣かない。だが、食事も排泄もする。お二人のお子も、同じではないか? 」
「お、同じだ。……偶然の一致にしては、出来すぎていないか? 」
「偶然ではない。だが原因が分からない。医者が言うには、まるで、『赤子に心が入っていない』などと言っていたが」
「心、か」
「信じられないか? 」
「……信じられない。だが、納得できる」
扉越しで、虚ろな目で過ごすクリンを、遠い目で眺める。ライは今、夫としてできる事が無いに等しい。猟犬と戦う事も、ましてや赤子を生き返らせる術を知らない。
「一体、どうしたら、良いのだろうな」
「……わからない、だが」
「オージェン、今、貴方、何といいましたか? 」
「姫様、盗み聞きですか」
二人の会話を、陰ながら聞いていたカリンが、居ても立っても居られなくなって飛び出してくる。
「いいから! 貴方、先ほど、なんといいましたか? 」
「一体、どうしたら良いのだろうな? 」
「その前! お医者様がなんと!? 」
「……赤子に、魂が入っていないようだ、と」
「それだわ! 」
「……まさか、知って居るのか。この不可解な事の原因を」
「以前、私とコウが、『綿毛の川』に行った時、アイに会ったのよ」
「待ってくれ姫様。なぜそこで、アイが出てくる? 黒いベイラーの名前だろう? 」
「ああもう! 順番に説明してあげるわよ! いい!? 」
カリンは、サーラに居た時に、コウが重症となって動けなくなった事。その時に、人魚たちの知恵を借りて、カリンは、心の故郷たる、綿毛の川へと向かった事を。そして、その綿毛の川で、その心を焼き尽くさんとしていた、あの黒いベイラー、アイが居た事を。彼女はまだ米ベイラーとしての体を持っておらず、心のままで、綿毛を焼き尽くしていたと。
「アイが、綿毛を、燃やしていた? 」
「ええ。もしかしたら、赤子に心が入ってないのは、冗談でも比喩でもなく、本当に心が入っていないのかも」
「そんな事、あるのか……なら、赤子はずっと目覚めないのか? 」
「それは、私には……あ」
カリンとて、自分の見聞きした事しか理解できない。赤子が必ず起きると、確約できる訳がない。それでも、綿毛の川という場所に、今、自分の相棒が居る事を思い出す。
「まさか、コウの用事って」
コウは、やる事が出来た、といって、未だこちらに戻ってきていない。カリンは最初、綿毛の川で、何かがあったのかと心配したが、もしや、綿毛の川で減った魂を、どうにかしようとしているのではないかと思い至る。根拠は、オージェンがもたらした情報にある。
「(コウは、自分で何かしようとしている? )」
心の故郷で起きた事が、肉体のある場所で、ここまでの変化が起きるとはカリンは気が付かなった。だが、カリンよりも長い間、綿毛の川にいたコウであれば、その違和感に気が付いてもおかしくない。ならば、相棒の元に、自分も居たほうが、事は解決するかもしれない、
「私も、向こうに行ったほうがいいか」
「姫様? 」
「ライ王、オージェン。席を外します」
「あ、ああ」
「それから、できれば、私はこれから、ちょっと長いお昼寝をするので、その間よろしく」
「ん? ん?? どこに行く? 」
「……少し、試してみたいこともあったのよ」
カリンは、足早に船室を後にした。
◇
《カリン様、どうなさったので? 》
「ごめんなさいね。ずっと治してあげられなくて」
カリンが向かったのは、ベイラー達が収まっている貨物室。避難船の中でもっとも広い空間。そこには、すし詰めとはいかずとも、避難民が身を寄せ合って暮らしている。プライバシーは無いに等しい。
カリンが見上げるのは、レイダ。セブンとの闘いの後、傷だらけかつ、戦えないほどの致命傷を受け、未だ治っていない。レイダは腰から下を両断されている。彼らの他にも、この閉ざされた地で戦い続けていたパラディン・ベイラーや、ウィリアー・ベイラー。そして、傷つき倒れた、グレート・ブレイダー達が集められている。各自、斬り裂かれた部位は、応急処置として体に巻き付けられている。
「お父様、怪我人やベイラー達はこれで全部? 」
「あ、ああ。しかし、何をする気だ? 」
「私、お父様とグレートギフトのように、コウと一体になれるの」
「それは、すごいな」
それは、心からの感心であった。
「私とギフトがそうなるまで、十年ほどかかったと言うのに」
「それはきっと、平和だったからよ」
「平和? 」
「人の営みとは無関係の、命のやり取りをし続けるような、戦いを続けなければ、きっと私とコウは、一体になれなかった。ゲレーンは、それほど、豊かで、平和だった」
強敵。宿敵。外敵。さまざまな敵が居た。それら全てを倒す為に、コウは、カリンは、戦い続けた。その結果として今がある。
「だからね、お父様。この戦いが終わったら、この国を、ゲレーンみたく平和な国にしたいわ」
「……ああ。私も、出来る限りの事をしよう」
ゲーニッツからしてみれば、娘が己の夢を語っているだけでも感涙物である。だが、心の奥底では、その夢を語る姿が、どうしても悲しい物にみえている。
「(それは、お前が皇帝の妃になったからなのか? それとも、こんな争いが起きてしまったからなのか? )」
ずっと、ゲレーンで、剣を片手に駆けずり回っていた、娘としてのカリンのままでいてくれたなら、と願わずにはいられなかった。
「さて、始めます。お父様、離れて」
「ああ」
ゲーニッツは言われるがまま、カリンから離れる。もう、彼女は、父親に向かって、自分の行動の許可をとるような人間ではなくなっている。説明すらしてこないのだから、もう笑いさえこみあげてくる。
「(いつのまに、ひとり立ちしたんだな)」
そんな感慨深さを胸に、ゲーニッツはカリンを見守った。
「行くわよ。コウ」
そしてカリンは、相棒の名を口にし、全身に力を込める。
「……木我一体!! 」
カリンが唱えると、全身から、本来あり得ないサイクルの音が甲高く響いた。ベイラーと人とが、共有を重ね、ついには体にも双方に影響を与える『木我一体』
「(やはりサイクルを回す事もできる……剣聖様は、グレート・ブレイダーと共に剣士として戦う事に、この力を使っていた……それは、ブレイダーが、まさに剣士として、ベイラーの中でも優秀だったから)」
木我一体の極致は、今は亡き、剣聖ローディザイアも使っていた。その力で、人の腕でサイクルを回し、剣を作り、また、相棒たるグレート・ブレイダーと共に、コックピットから離れた上で、剣戟を行っている。
「(木我一体なら、ベイラーの力を引き出す事ができる……なら、コウの力も、私は引き出せるはず)」
ローディザイアが見せたコンビネーションは、コウとカリンでも行える。だが、ここには、戦うべき敵や、相手はいない。ならばコウとカリンが使うのは、剣戟ではない。
「いつもの出たとこ勝負! ――スゥウウ」
大きく息を吸い込む。自然と、両足は肩幅に開かれ、片足を前にだし、半身になる。左右の手は、肩より上の部分で。それは、剣を持っていないだけの、剣の構え。彼女がもっとも力を抜き、かつ力を込めやすい構えが、何度も何度も反芻して身に沁み込んだ構えに落ち着かせた。そして、これから、自分にさえ何が起きるかわからない事を行う。
コウだけが持つ力。命の力を、後押しする。圧倒的な再生能力。木我一体となっているのならば、使えないはずも無い。そしてその力を使う時、かならずコウは叫んでいた。
「サイクル・リ・サイクル! 」
コウの代わりに、カリンが叫ぶ。次の瞬間。人に無いはずのサイクルが急速に回り、そしてどこからともなく、緑の炎が吹き上がった。サイクル・ジェットどころか、ベイラーの関節さえない人の身のまま、カリンは、ただ共有しているという一点で、コウに力をここに使って見せた。
突如として吹き上がった緑の炎は、格納庫全体を這うように伸びていく。炎に当てらた怪我人が、みるみる内に回復していく。砕かれ、斬り裂かれ、足を仮止めされていたはずのベイラーも、いつのまにか、元通りにくっつき、動かせるようになっている。
《腰が、ついた? 足も動かせる》
傷だらけだったベイラーや、多くの怪我人達は、カリンが生み出した炎によって完治してく。人々は、この奇跡におおいに感動し、カリンを称え始める。
「うまく、いった」
「ありがとうお后様! 」
「ありがとう! 」
格納庫で、感謝の声が絶えない。怪我人の肉親や、パラディン・ベイラーの乗り手。カリンの事を知らない者まで、彼女の行いに皆感謝した。結婚式に出ていた貴族たちが居ないのも、カリンの正体不明さに拍車をかけている。
「……良かった」
「すごいや、あの人、炎のドレスを着ているよ」
誰かがそうつぶやいた。確かに、サイクル・リ・サイクルによって生み出された炎は、カリンの周りに衣服のように纏われている。すこし大振りな、裾の広いドレスのようにも見えた。コウと場合、サイクル・ジェットに備わった二対四枚の羽根に炎が纏われるために、このような外見上の変化は、カリンも考えていなかった。
「炎の聖女、と言ったところか」
「お父様。聖女って? 」
「いにしえの時代、弱きものを救う女性を、そのように示す事がある」
ゲーニッツの記憶の片隅にあった、古い文献。内容を全て覚えている訳ではないが、聖女の意味はしっかりと記憶している。
「今の君に、ふさわしい言葉だ。カリン」
「……ありがとう、ございます、お父、さ、ま」
「カリン? 」
「皆さま、ご機嫌よう」
「聖女様! ありがとー!! 」
「ありがとう!! 」
人々が歓喜に震えるなか、カリンは格納庫を後にする。ゲーニッツは、カリンの後を追った。
「どうしたのだ? 」
「そろ、そろ、眠気が、来ます」
「……何? 」
「大丈夫。黒騎士や、オージェン達に、あとを、まかせて、いますから」
「何をいって」
「サイクル・リ・サイクルの、代償なのです。使いすぎると、体から心が離れる……しばらく、『綿毛の川』に行ってきます」
「お前は、まさか最初からそのつもりで」
カリンは、コウの手助けをするために、サイクル・リ・サイクルの力を使った。だが、力を使えるかどうかは、確信は無かった。
「行き当たりばったりでしたけど、うまく、いきました」
「……」
「大丈夫ですお父様。すぐ、かえって、きます」
「……ああ」
叱咤激励をするか否か、ゲーニッツは一瞬悩んだ。だが、この場で、カリンの行いを糾弾しても何も意味がない。ならば、子供が眠る前に、親がかける言葉は、限られている。
「お休みカリン。また共に」
「え、ええ……また、……と……も……に」
故郷の挨拶をつげ、カリンの瞼がゆっくりと落ち、そしてそのまま、深い眠りへと落ちていった。呼吸もなにもかも正常。さきほどまで、何十人という怪我人を治したとは思えないほど、あどけない寝顔がそこにあった。
「……まったく、ふたりとも大きくなったなぁ」
ゲーニッツは、我が子を抱え、船室へと向かう。カリンが、これから先、安心して眠れる、安全な場所へ。
◇
カリンの行動により、怪我人は大幅にへり、ベイラーのほとんどが快調となった。そしてそれは、今まで滞っていた人手の補充を意味している。人々は、さらなる生活圏の拡大にむけ、動き始めた。
そして、カリンは、無事、『綿毛の川』へとたどり着く。例によってコウの姿はみえない。
「……前もこんな事あったわね!」
愚痴をこぼしながら、カリンは綿毛の川をさかのぼって歩いて行った。




