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宴会と赤ん坊


「水の流れに身を任せろ! 」

「は、はい! 」

「(あの子供、上手くやったな!)」

 

 せき止められていた水の流れが、一挙におしよせ、隊長たちを洗い流していく。


「一時的なものだ! 気を抜くな! 」


 ベイラーを押し流すほどの激流であるが、コレはあくまで、せき止められていた流れが解き放たれた事による、一時的な増水に過ぎない。しばらくすれば、元の地下水道に戻る。


「(そうなった時、一匹でも多くの猟犬が結晶になっていればいいが)」


 水に流されながら、無様な逃走ではあるものの、自分達の身が助かった事に安堵している。


「フランツ殿に次の指示をもらわなければ」


 今回の作戦である、生活圏の拡大は、失敗と言える。しかし、得た物も大きい。食糧や物資の確保。これにより、すこしでも物資不足は解消に向かう。そしてなにより、ベイラー用の、対猟犬用の武器の実用性である。急遽作成された水砲であるが、単純な構造にも関わらず、その効果は覿面だった。


「すべてのベイラーにコレを持たせれば、不意の遭遇にも対処できる」


 無論、ティンダロスの猟犬、その大軍に対しては無力である。しかし、一匹、二匹の小規模であれば、水砲は十二分に活躍する。どこに隠れているかも分からない猟犬をしらみつぶしに探すのは不可能に近く、場当たり的な対処が求められる現状にはぴったりだった。


「(そして、人に近い猟犬の存在に、今後どうするか)」


 猟犬の対処方法はわかった。だがそれ以前の問題がまだある。人が、どうやって猟犬か猟犬でないかを見分ける方法を、今後は探さねばならない。事実、兵士の一人がまさに間違いを起こし、猟犬となってしまっている人を、善意によって助けようとしてしまった。隊長が居なければ、いまごろ兵士はここにおらず、水流の中で結晶となっている猟犬側になっている。


「よし、もうすぐ港だ! 」


 懸念はいくらでもあるが、今は、拾った命の生かし方を考えるほうが有益といえた。地下水道を出て、一気に海にでる。沖まで行くことはできないが、避難船の止まる入り江まではすぐ近く。ベイラーは泳ぎが苦手だが、そもそも体が浮く。それでもウォリアー・ベイラーは問題ないが、鎧を着こんでいるパラディンは、そのままでは沈んでしまう。今回の作戦用に、鎧に浮きを付けている。


 ぷかぷかと浮かびながら、最低限の動きで、ゆっくりと泳いで煤すすむ。


「……あの子供は逃げおおせただろうか」

「子供っていうなおっさん」

「お、おおお!? 」


 背後から予期せぬ反応が帰ってきた事で、隊長の乗るパラディン・ベイラーがひっくり返る。ジタバタする姿を尻目に、フランツは、彼の相棒であるベイラー、ジョウで、ぶっきらぼうに足で蹴飛ばし、もう一回転させる。くるりくるりと回転し、パラディンはようやく正常な位置へと戻った。


「め、目が回ったぁ! 」

「早く帰ろう。他の連中も気になる」

「そ、そうだな」


 フランツの態度に、隊長は思う所はあったが、自分達がこうして無事なのは、彼と、そのベイラーの功績が大きい。であるならば、多少の生意気は目をつぶるべきだと考えた。


「(いいベイラー乗りだ)」


 なにより、彼らの手腕は、兵士の誰よりも上である。それは隊長である彼も例外ではない。


「意思を持っているベイラーなど、乗りこなせる自信がないな」


 ウォリアー・ベイラーも、パラディン・ベイラーも、養殖の人工ベイラーであり、意思を持たない。代わりに、誰でも簡単にコックピットに入れる利点がある。意思のあるベイラーは、人によって、そもそも乗る事を許してくれない。


「いつか、そんなベイラーに出会えるだろうか」

 

 意思のあるベイラーは、ソウジュの木から生まれる。帝都にはその木はなく、新たにベイラーを迎える事はできない。だが、もし、この戦いが終わった後であれば。


「旅にでも、出るかな」


 隊長は、いつの間にかそんな、夢を持つようになった。


「帰ってきた! 兵士達が帰ってきたぞー! 」


 声援が耳に届く。避難船から様々な声が聞こえて、頭の中にあった夢はいとも簡単に掻き消えた。


「……コルブラット卿に報告せねば」


 こうして、彼らは帰還する。生活圏の拡大はできなかったが、まだ挑戦する余地はあった。



 彼らが持ち帰った物資により、避難船の拡充が行われた。一番恩恵があったのは、病人たちである。今まで、薬が無く、ろくな治療ができなかったのが、街から持ってきた毛布によって、体を温める事ができ、そして持ち込んだ薬によって、症状が緩和されたのである。そして、ついには、治療を終え、健康体となって、今後の作業に加わる者もあらわれた。特に治療の際には、ナットがもちこんだあのお酒が、多いに活躍した。その活躍具合は、一度は酒を持ち込む事を拒否した、あのコルブラットが、わざとらしく舌打ちしたと、噂になるほどだった。


 そしてもたらされた物資の中で、調味料と、ほんの少しの野菜類が手に入った。これは、避難船でパンと干し肉、干し野菜などを、どうにか苦心していた料理人たちにとっての朗報だった。


 彼らの脳細胞が、これ以上なく活発になった。この手に入った調味利用と野菜で何をするか。同じように干す事も考えられたが、太陽が見えない今の帝都では、干す事で乾燥させる事ができない。加えて、ここが港であるため、水分が飛ばずに、逆に塩に晒されてしまう。他の保存方法として塩漬けも提案されたが、塩もまた貴重であり、いたずらに消費するもの敬遠された。


 いっそのこと、あらたに保存ができないのなら、全てを使ってはどうかと、ひとりの料理人が提案する。最初はその案は失笑を誘ったが、その後、料理人の言葉で、皆の目が冴える。


「ちゃんと味のする、上手いスープをくわしてやりたいとは思わないのか」と


 今まで、硬く歯ざわりの悪い干し肉や、沸かした水に、干した野菜を水で戻し、ほんの少しの塩を入れた、もはやスープと言えるかどうかわからない物を、料理人たちは作っていた。彼らは如何に、明日も食べる為にと、切り詰めに切り詰めた材料を使って『まずくない料理』を作る事、それだけを苦心していた。 無論、それらの努力は認められるべき功績である。だが、料理を作って、それが美味いと喜んでもらいたいというのは、料理人にとっては根本的な喜びである。美味い、おいしい。その一言を聞きたいが為に、料理人を志す者もいる。


 帝都を取り巻く状況は過酷である、だからこそ、美味い料理を作ってやりたい。料理人たちの心はひとつにまとまった。その願いを聞き届けたのは、意外にも、あのコルブラットだった。


「せっかく持ち帰った材料です。日持ちしない物に限り、許可します」

「い、いいのですか? 」

「ただし」

「その食材を持ち帰るのにはわたしも苦労しました。相応の品を用意できなかった場合は……」

「は、はい! 」


 コルブラットの言葉の先を聞く事もせず、料理人たちは急いで準備に取り掛かった。鍋を磨き、包丁を研ぐ、窯に薪をくべる。パン職人たちも彼らに呼応し、いつもよりも、小麦を多めに使用したパンを焼き上げるべく奔走した。ここまでは、コルブラットの予想通りだった。このまま、普段よりも、ほんの少しだけ豪華な食事を提供し、兵士達や大工、その他日々の作業を労うにはちょうどいいと。


 だが、コルブラットは失念していた。今、この地には帝都以外の生まれの人々が混ざり暮らしている事を。その中には、陽気なサーラの人々がいる事を。サーラの人々は、料理人たちの活気を察知しすると、彼らは脅威の行動力を発揮した。勝手に外を出歩き、地下水道を通り、第十二地区の宿まで向かっていった。酒を手に入れる為である。その統率力と速さは目を見張る者があり、そしてなにより彼らが脅威的だったのは、今、街に行けば猟犬と鉢合わせする事を、事前に知っていた上で行動を起こした。その勇気、もとい無謀さにある。


 もっとも、無謀とも思えるこの行動ができたのは、ナットが酒をどこに置いてきたかを正確に覚えたいた事に加え、道中の護衛に、ひとりのベイラーが付いていた。ド派手な真っ赤肌に、一本角の生えた頭。


「よし今だ! いけ! そら行け!! 」


 サマナ・フリフラッグ。海賊の娘が先導して、彼らの、酒の確保、その護衛に、全力を注いだ。どこからともなく担いだ新兵器『水砲』を担いだセスが、猟犬を一切近寄らせなかった。


 そうして、美味い飯、酒。物資不足で揃うはずの無い物が揃ってしまった。そしてサーラには、その二つが揃った時、必ず行う事がある。


「「「宴だああああああ!! 」」」


 こうして、避難船の上で、未だかつてないほどの宴会が、始まってしまった。


◇ 


「なぜ、こんな事に」

「まぁ佳いではないか」


 頭を抱えているのはコルブラットだけで、 カミノガエは、自身でも驚くほど、この宴会を楽しんでいた。酒は飲めないが、出されたパンとスープは、いつも食べるものより数段味が良くなっている。


「飲んで騒いでができるのも今だけかもしれんのだ。大目に見よコルブラット」

「し、しかし、あんな中央の、アレは」


 宴会で消費される食糧の事は、この際問題にしていない。使わなければ腐ってしまうものばかりであった。だが、今、港の広場には、それはそれは見事なキャンプファイアーが上がっている。ごうごうと勢いよく燃え盛っている周りを、ぐるりと囲むようにして、人々は、食べ、踊り、歌っている。帝都が閉ざされてから初めて聞く、陽気な声が、あたりをつつんでいる。


「薪に使わているのは廃材なのだろう? よく燃えとるなぁ! 」

「これから水路を作るにつかそうなものまで」


 コルブラットは、声色こそ慌てているが、表情は鉄面皮のまま。口と表情がちぐはぐなその様子がおかしくて、カミノガエは笑いを堪えるのに苦労した。ついでに、冗談のひとつを思いつく。


「貴君もご婦人を誘って踊りにいってはどうだ? 」

「私が、ですか? 」


 鉄面皮が、すこし崩れた。調子を良くしたカミノガエが畳みかける。


「貴君なら、断る者もおるまいよ」

「お断りします。まだ仕事が残っていますので」


 それは、予想済みの答えであったものの、一語一句、想像通りの言葉だった為、カミノガエは耐え切れず、今度こそ噴き出してしまった。


「ヘッヘッヘ! まぁそうだろうな。余は皆をねぎらってくる」

「かしこまりました」

「あまり根を詰めるでないぞ? 」


 そう言って、カミノガエもまた、熱気の中へと戻っていく。炎で周りが明るいとはいえ、暗闇では近寄らなければ顔が見えない。皇帝がすぐそばにいる事など、誰も気が付かなかった。だからこそ、この宴会でも、ある種の隔たりが生まれているのを、カミノガエは自分の目で確かめる事ができた。


「スキマ街の、人々か」


 キャンプファイヤーの明りに、うっすらと照らされる程度の遠さに、彼らは身を寄せ合っていた。踊りに参加する事もなく、ただ、与えられた食事を一心不乱に食べている。


 未だ壁の内側にいた彼らと、壁の外、街で暮らしていた者とでは、どうしても隔たりがある。スキマ街の人々は総じて体が強くなく、当然、手に職もない人々ばかり。大工の仕事を任せる事もできず、もっぱら雑用を任されていた。雑用ができればまだいい方で、スキマ街のほとんどの人々は体が焼けただれており、歩く事さえできない者もいる。衛生面が劣悪な環境だった為に、特に彼らの体臭を嫌がる内側の人々もいるのが事実である。


「いがみ合っている場合ではないのだが」


 帝都が閉ざされてから、カミノガエは、スキマ街の人々を弾圧する者を、決して許さなかった。人間同士が争っている暇は無いと、兵士達には懇々と説き続けた。それが、スキマ街を生んでしまった、血族の末裔としての責務と信じて疑わなかった。しかし、兵士とは話すが、平民とは話す機会がない。むしろ、近づくだけで、民は平服してしまう。しょうがない事とは言え、この時ばかりは、自分の身分を呪った。


 スキマ街の人々に、せめてパンだけでも届けようか。そう考えていると、暗い視界の端で、信じられない物を見た。おもわず駆け足で近寄り、その人物たちを見る


「……何を、やっている? 」   

「何って、見てわかりませんか? 」

「分かっている。分かっているが聞いている」


 カリンが、腕をまくって、スキマ街の人々に、せっせと料理を運んでいる。彼女だけではない。彼女のキャラバンのメンバーが、一名を除き手伝っている。


「お手伝いです。このスープおいしいですし」

「……貴君はなぁ」


 カリン。カリン・フォン・イレーナ・ナガラ。カミノガエの妃であり皇后である。その彼女が、平民に食事を配っている。平民たちが知れば卒倒してしまいそうな光景だった。だが、スキマ街の人々は、ただ食事をもらい、感謝の言葉を言うだけで、その後はパンとスープを一心不乱に食べている。カミノガエは呆れながらも、彼女の行為を咎める事は無かった。


「あとどれくらいで終わるのだ? 」

「えっと、マイヤ―! あとどれくらい? 」

「あと少しですー! 」

「あと少しだそうです! 」

「……終わったら貴君も休め」

「はい! 」


 元気のいい返事と共に、カリンは食事配りに戻っていく。


「相棒が戻らず、気が気でないだろうに」


 カリンの唯一無二の相棒、コウは未だ目覚めない。カリンに来ても、「いつか必ず戻ってくる」としか言わない。それは信頼の証でもあるが、彼がいない事で、さまざまな弊害がある、


「黒騎士、息災か」

「これは陛下、陛下も踊りに? 」

「……まぁ、そんなところだ」


 手に持った食事を配り、マイヤの元に戻ろうとする黒騎士を呼び止める。彼は今、片腕を失っている。そして彼の相棒、レイダは上半身と下半身がまだ分かたれたままである。他にも、戦いで負傷した兵士やベイラー達。彼らを癒せるのはコウだけ。


「(そして、おそらく、あの結晶の魔女に対抗できうるのも)」


 ティンダロスの猟犬に立ち向かう術は、身に着けつつある。しかし、その背後にいる、結晶の魔女、マイノグーラが居る。彼女を倒さない限り、この地に安寧はない。そして、コウは、彼女に拮抗できる唯一の存在でもある。


「ん? ところで、あの海賊の娘はどうした? 」

「飲んで騒いでます」

「……案外、自由だのう」

「本人の気質です。こればかりは僕らでは止められない」


 手伝っていない、約一名とはサマナの事であり、すでに人々に交じって踊り狂っていた。宴会がなく、騒ぐ事もできずにいた彼女は今や、水を得た魚、もとい、人魚であった。、

 

「団長が自ら手伝っているのだぞ? いいのか? 」

「彼女があれだけ楽しそうにしているのは久しぶりなんです。好きにさせてやってください」


 それは、サマナ自身の力に起因する。人の心を読む力。シラヴァーズ特有の力であり、人を惑わすのにはうってつけの力だが、サマナはまだこの力を制御しきれていない。他人の、聞きたくもない心の声がずっと筒抜けなのである。そして筒抜けの心には、善悪の見境もない。


 だが今は、束の間とはいえ、たくさんの人々が、心の底から楽しんでいる。その陽気に当てられ、サマナ自身、とても楽しんでいた。


「だが……なぁ」

「なんなら、陛下も誘ってしまえばいいんです」

「誘う? 何に? 誰を? 」

「踊りに。カリンを」

「踊りにぃ!? 」


 思わぬ提案にカミノガエがうろたえる。その隙を逃さぬように黒騎士は続けた。


「だれにも休息は必要です。そして休息には二通りあります」

「二通り? 」

「体を動かしす休息と、体を動かさない休息です」

「ん? 動かしたら休息にならんだろう」

「陛下。カリンが休憩中に剣を振るっているのを見た事はありませんか? 」

「それは――」


 それは、帝都が閉ざされる以前。まだ婚姻の儀を交わすより前に、カリンが休憩中に剣を振るっているのを、カミノガエも見た事がある。


「振るっておるな。……いや、何故? 訓練か? 」

「いいえ。ですが、この世界には、休んでいる時に、体を動かさねば、すっきりしないという人種はいるのです。陛下」

「そ、そうか」


 理解しがたい行為だった。休むときに体を動かさないと休んだ気がしないなど。到底信じられない。以前であれば、そのままカリンの行為を拒絶していた。


 だが、カミノガエは、戦争が始まった後、グレート・ブレイダー達との交流を経て、拒絶以外の手段を得ていた。


「黒騎士の助言、たしかに聞き届けた」

「痛み要ります」

「貴君も休めよ? それとも、誰かを誘うのか? 」

「いえ陛下。この黒騎士は、休んでいる時には本を読みたい人種ですので」

「そうであるか。ではよく休め」

「はッ! 」


 容認。そこにある事を、事実として認める事。


「――さて」


 カミノガエは、足場やにカリンを追いかける。ちょうど食事を届け終え、手持ち無沙汰になっているようで、次に何をするか悩んでいる様子だった。カリンに近づいていくと、カミノガエは、自分の心がどうしようもなく高鳴るのを感じる。


「カ、カリン」

「ああ、陛下。どうなさいました? 」

「その、食事の配給、大儀であった、で、だなぁ」


 ここで、彼の経験の無さが露呈する。そもそも、同世代の女性と会話する機会すら皆無であり、ましてや、踊りに誘った事など無い。高鳴る胸と、触らずともわかるほど、耳まで熱い。


「(ええい。我が血よ。顔に集まってくるでない)」

「陛下? お加減でも? 」

「いや、息災である……カリン」

「はい? 」

「(こんな事なら口説き方をコルブラットに聞けばよかったか)」


 後悔ばかりが募るが、行動に移さねば、せっかくの宴会が終わってしまう。食糧は無尽蔵ではない。あくまで、腐らせるよりは先に食べてしまおうという催しである。その量は決して多くない。カミノガエは意を決して言葉を紡ぐ。


「カリン。宴会は、好きか? 」

「はい。と言っても、楽器で皆を楽しませたりしてました」

「……楽器? 貴君、楽器が弾けるのか? 」


 思わぬ情報に面食らいつつ、カリンの一面を知れたことで、目的も忘れ、つい喜んでしまう。


「(っと違う! 今は)」

「陛下、どうしたのです? コルブラット卿をおよびしましょうか? 」

「よ、佳い! 余はだなぁ」

「はい? 」

「だ。誰かと、踊った事がないのだ」

「はい」


 誘い文句も思いつけず。ただ、頭に浮かんだ言葉を羅列していく。


「故に、誰かと、余は、踊って、みたい」

「はい」

「初めてで、上手くいかないとは思うが……その」

「はい」

「余と、踊ってくれぬか」

「――」


 顔から、湯気がでているのではないかと思うほどに、熱い。心臓の鼓動が耳によく届く。届きすぎて、周りの喧騒が一切入ってこない。目は、カリンの口の動きに注視しすぎて、他を見る事ができない。体の変調としか思えない。


「(戦っている時も、心臓の鼓動がうるさかったが、コレは)」


 ブレイダーに乗り込み、戦っていた時も、心臓はバクバクと動き回っていた。だが、今と同じとは思えなかった。他の要因を考えたかったが、頭も回らない。最初の返事は、言葉ではなく、行動で示された。差し伸べられた手が、カミノガエの目に映る。


「エスコートを、お願い、できますか? 」


 そして。次の返事。カミノガエは黙って、その手を取る。ふたりは、踊りの輪の中に入っていく。


 踊りの作法は、残念ながら、カミノガエには疎かった。だが、さほど問題にもならなかった。周りにいる民たちは、作法もなにもなく、皆、好き勝手に踊っていたからだ。


 肩を組んで踊る者。一人で踊る者。踊っているというより、飛び跳ねている者。だが、その全員が、楽しいから、踊っていた。


「……こんな、感じなのだな」

「陛下」

「ん? 」

「楽しいですね」

「ああ」


 くるくると、回るだけの、とても簡単な踊り。ステップもなにもない。だが、それだけのはずなのに、とても、楽しい。そしてなりより。


「(うれしい……のだな。これは)」


 この楽しさを、誰かと共有できている。その事実が何よりうれしかった。


「カリン」

「はい陛下」

「いい、息抜きになったか? 」

「ええ。とっても」

「それは、良かった」


 本当に良かったと、心の底から思っていた。


 

 キャンプファイヤーに使わていた薪も少なくなったのか、火の勢いが弱くなっていく。火の猛りが納まると時を同じくして、人々もまた、頭が冴えていく。まだ踊り足りない者、踊り付かれてその場で眠ろうとする者、介抱に奔走する者。様子はさまざまだったが、これで終いであると薄々感づいていた。


「終わったな」

「また明日から、頑張りましょう」

「ああ。そうだな」


 気力は充填された。また明日から生き残る為の作業が始まる。


「もっと猟犬を街にいれない工夫を考えねば」

「水路とは、また別の? 」

「ああ。何かあればいいだが」

「か、カリン皇后陛下!! 」


 宴会終わりの静けさを切り裂くような声が届く。バタバタと奔ってきたのは、サーラ出身の男。名を、ロペキスと言った。


「ロペキス! どうしてしまったの? 」

「い、いそいで、来てください、クリン様が、」

「お姉さまが!? すぐ行きます」

「余も行こう。佳いな? 」

「は、はい! こちらです」


 カリンの姉、クリン・バーチェスカは、身重であった。彼女の夫、ライ・バーチェスカとの間に子ができ、ちょうど、カリンとカミノガエの婚姻の儀の日から、ずっと陣痛が続いていた。


「もうすぐなのね!? 」

「は。はい! もう頭は出てきてるそうで」

「陛下! 私、もうすぐ叔母になりますよ! 」

「なら余は、叔父となるのか」


 家族が増える。それはカミノガエにとってもうれしい事だった。クリンのいる避難船まで向かう。何人かの医者と付き人を見送り、そして病室へとたどり着く。


「……ほーら、よしよし」


 クリンが、その胸に抱いた子供を、なだめている。すぐそばでは、クリンの夫、ライが佇んでいる。その景色だけは、夫婦愛溢れる美しいと思えてしまう。


「お、おお! 生まれておるではないか。よかったよかった……カリン? 」

「あ、あの、ロペキス」

「なんでしょうか」

「な、なんで、こんな」


 だが、クリンの足元で、倒れている医者たちを見て仰天する。口から泡を吹いており、しばらくは起きそうになかった。


「……お姉さま? 」

「ああ。カリン、見て、男の子よ。きっとライに似るわ」


 胸元に抱くクリンは、カリンの目を見ていない。その目はどこか虚ろだった。

 

「……カリン、貴君の姉君はどうしたのだ」

「ロ、ロペキス、確かに、頭が出るところ、だったのよね? 」

「そ、そうです。急いで呼ばなきゃならねぇって飛んでいったんですから」

「でも私、まだあの赤ちゃんの()()()()()()()()()()


 生まれたばかりの赤ん坊が、泣いていない。それが何を意味するのか。


「そ、それじゃぁ」

「よしよし、ああ、名前をきめなくっちゃねぇ」


 クリンは、泣かない赤子を抱いて、うわごとのように繰り返している。隣に立っているライは、己の子の顛末をしり、ただ項垂れている。お互いに初めての子であった。母体であるクリンが無事であったのは幸運といえたが、待ち望んだ子供が泣かぬとは、考えもしなかった。


 付き人がすすり泣くのが聞こえる。あれほど、武芸においても、政治においても圧倒的な強さを持っていたクリンの変わりように、胸が痛んだ。誰も、駆ける言葉が見つからなかった。


「なんていう名前にしようかしらねぇ」

「お姉さま」


 実の妹であるカリンも、何と声をかければいいのか、全く思い浮かばなかった。

鉛のように重苦しい空気があたり包む頃。ふと、付き人が窓を見る。すでにキャンプファイヤーの火は弱まり、あたりは暗がりに包まれて居た。

 

 だが、その暗がりの中で、避難船に向かって、一直線にこちらに向かってくる者たちを見つけた。


「アレ、何かしら」

「人、だよなぁ」


 バタバタを奔ってくる人々。それは、宴会で遊び疲れたのではなく、第十二地区からやってきた人々。つまりは。


「あれって、もしかして生き残りじゃないのか!? 」

「ここまで逃げてきたのか。誰か迎えにいってやらないと」

「待って、奥から何か」


 人数にして10人ほど。足取りは重いが、それでも確かにこちらに向かってきている。だが、その彼らを、ここまで追い立てきた存在が姿を現した。


「りょ、猟犬!? 」

「デ、デカイぞ!? 」


 ティンダロスの猟犬。港まで入り込んでいるのがそもそもの異常事態ではあるが、なにより、今までと違うのはその大きさ。


 高さで七、八メートルほどある。それはいままでの猟犬のサイズの倍以上。ベイラーと並び立つほどの体躯が、そこに居た。

踊るシーンでクイッククイックスローと頭によぎってしまい大変に大変でした。

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