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猟犬との攻防


 ティンダロスの猟犬が、十一地区の壁を越えてやってくる。黒く、臭く、醜い獣が、その爪を、牙をつかってよじ登ってくる。数は五十を超えてから数えていなかった。


「壁だ! ウィリアー・ベイラーで壁を作るんだ! 」

「お前たち慌てるな! 地下に逃げればいい! 」

「は、はい! 」


 作業をしていた大工たちを逃がすべく、兵士達はすぐに防衛線を張った。ベイラーで陣形を組み、サイクルショットを構え、頭をだした猟犬を打ち抜いていく。


()()()をつかっては!? 」

「アレは虎の子だ。それにこの距離じゃ当たらん! とにかくコルブラット卿の指示を守れ! そうすれば俺たちは助かる! 」

「こんな事で死んでたまるか! 」


 コルブラットは、こうなる事を想定し、あらかじめ兵士達にこまやかな指示を与えていた。まず、水路をつくる大工たちを死守する事。そのために、大工の避難を最優先にせよとあった。


「水路は気にするな! 避難に邪魔なら壊していい! 」


 ウォリアー・ベイラーの中にひとりだけ、金のエングレービングを付けたウォリアーに乗った兵士が叫ぶ。彼は将校ではないが、現場指揮を任されていた。


「しかし隊長」

「水路はまた作ればいい! 今は大工たちを守るのに集中しろ! 」

「――はい! 」


 兵士の一人が敬礼をし去っていく。隊長と呼ばれた彼は、コルブラットの意図を最大限汲み取っていた。出来上がった水路を守るのではなく、水路を作れる大工を守る事で、時間がかかろうと、再び水路を作る事ができる。ならば、兵士が守るべきは物ではなく人である。


「へ、兵隊さん」

「気にするな。帰ったら酒でも飲もう」

「は、はい。お気をつけて」


 大工は、仕事道具を胸に抱き、急いで立ち去っていく。兵士達はここで死ぬ気など毛頭ない。だが、それでも目の前に迫る圧倒的な存在に、恐怖心を抑えるのに必死だった。


「隊長! 大工たちの避難終わりました! 」

「よし! サイクルショットで迎撃しつつ、後退! 」


 ウォリアーたちが二列に並ぶ。一列目がサイクルショットを放った後、二列目の後ろに下がる。下がった後に、二列目がサイクルショットを放つ。コレを繰り返す事で、一定間隔でサイクルショットを絶やす事なく撃ちつづけるだけでなく、少しずつではあるが、後ろに下がって後退できる。これは帝都で、ベイラーの集団戦をする際に考案された、新たな陣形であった。


「本来は前進しながら使うものだが、逆も効果的だったとは」


 隊長はその効果に舌を巻く。なお、運用されたのは今回が始めてである。壁をよじ登ろうとした猟犬を一方的に射撃しつつ、安全に後退できている現状をみれば、その効果は覿面であった。


「地下水道まであとどれくらいだ! 」

「この曲がり角を曲がった後です」

「よし……まて、猟犬はどうした? 」


 一斉射を繰り返していた事で、破片が宙に舞い散り、粉塵があたりを隠している。そのせいで、猟犬の姿が見えない。


「この攻勢を前にあきらめた、のでしょうか? 」

「わからん」


 煙も晴れた事になると、蠢いていた獣は一匹たりともおらず、その痕跡も無い。


「そもそも、奴らに『諦める』という考えがあるかどうか」

「このまま撤退しますか? 」

「いや、まだ居る」

 

 猟犬の所在を明らかにしないままで撤退する判断を、隊長は下さなかった。猟犬が、自分達の背後にいる大工たちを襲いにかかる可能性を捨てきれなかった。


「サイクルショットを向けつつ、後退」

「は!  」


 一歩一歩、少しずつ後ろへと下がる。歩みは遅いが、無防備な背中を見せるより良かった。兵士達は当たりの静けさに不気味さを覚えつつも、ゆっくり後退していく。彼らが緊張感を説けないのは、猟犬の姿が見えない事だけではない。


「(匂いが、消えない)」


 猟犬の周りに漂う、肉の腐ったような、腐敗臭が、まだ鼻についている。単に彼らが慣れたのではなく、ずっと嗅覚に反応し続けている。その匂いがあたりからこびりついて離れない。


「(まだいる。だが何処だ? 何処からくる? )」

「隊長! 人が! 」

「何!? 」


 曲がり角を曲がった直後、建物に寄り掛かる人がいた。這いつくばっているが、ひっしに動こうとしているのが目に見える。


「逃げ遅れたのか……そこの奴! まだ動けるか? 」

「――」

「口もきけないか……しょうがない。ベイラーで掴むぞ? 」


 兵士の一人が、ウィリアーでつかもうと手を伸ばした。その時。倒れていた人が顔を上げた。そこには、人間の顔はない。


「――」

「やめろ! ソイツは()()()! 」

「しまッツ――」


 隊長が叫びも、虚しく、まだ人の形のままだったティンダロスの猟犬が、ウォリアーの手に噛みついた。その一撃で、ベイラーの手が、歯型と同じだけ砕けていく。それは人間の顎が持つ力とは到底かけはなれていた。


「た、隊長! 」

「かまれた部位を切れ! お前も同じになるぞ! 」

「ッツ!? 了解! 」

「総員! 新装備用意!! 」

「用意! 」


 ベイラーを噛まれた兵士が、サイクル・ブレードで肘から先を切り落とす。そして、他の隊員たちがベイラーに背負わせていた新装備を取り出す。それは貯水されたタンクをもち、ポンプ状ベイラーの手動で水を放出する装置。


「水砲! 撃てぇえ! 」


 掛け声とは裏腹に、ダバダバと水が放出されていく。とても単純な構造で、言ってしまえば手押し式のポンプである。だが、ベイラーの大きさで作られている為、その放水量は侮れない。


 ベイラー数人による放水で、切り落とした腕ごと猟犬が値流されていく。


「放水止め! 」


 隊長の声で、放水を止める。水を浴びた猟犬は結晶となりその場から身動きが出来なくなる。


「隊長! このまま水を浴びせ続けなくてよいのですか? 」

「水の消費量を忘れるな! 無駄に使う事はない! 」


 放水を続ければ、猟犬は結晶の後、ヘドロ状となり、その時点で核が判明する。だが、ここでの隊長の役目はあくまで兵士達と共に無事に避難しおえる事。猟犬の撃滅ではない。


「それよりお前、猟犬に喰われた人間は、同じ猟犬になるという話は聞いていなかったのか」

「き、きいておりました! で、ですがてっきり逃げ遅れたのかと」

「まぁよい。全員後退! 」


 片腕をなくしたウォリアーを陣形の中心に置き、下がり続ける。そして、隊長は部下から言われた言葉で猟犬の恐ろしさ、その一面を思い知っていた。彼らがもつ驚異的な生命力、何者をもかみ砕く牙。鋭い爪。どれも脅威であったが、何よりの恐怖は、増殖する方法にある。


「(こんな調子じゃ、いつかは)」


 現に、さきほど兵士は味方と思って助けようとした。それが猟犬であると疑いもしなかった。


「いつかは、相手が味方なのかどうかの判断をしなきゃいけなくなる」

 

 さきほど放水した猟犬には、まだ人間だった頃に来ていたであろう衣服があった。唯一の差は、口に見えた鋭い牙。まじまじと全身を見なければ気が付かない。


「そんな暇は無いのに」

「隊長! 見えました! 」

「――何やんてんだあんたら」


 たどりついた先に、瓦礫に、ガラ悪く座り込んでいるベイラーがいる。そのベイラーの方には、同じようにガラ悪く座って、パラディン達を睨みつけている。


「フランツ君だな!? 仕事の方はどうかね!? 」

「とっくに終わってる」

「あ、あの距離をか? 」


 フランツもまた、コルブラットの命令により仕事をこなしていた。彼が受けたのは、港から地下水道に続くまでの道を通す事。やる事は以前、パン窯を手に入れる為に作った穴と同じ。フランツは態度こそ悪いものの、その作業スピードはすさまじい。


「それより、大工たちが血相を変えて戻ってきた。なんで? 」

「猟犬が来た」

「あ゛? この地区のやつらは全滅させたって話だろ? 」

「別の地区の猟犬が壁をよじ登ってきたんだ」

「なんだそら」

「とにかく、避難だ。港までもどれればいい」

「ああ。俺も死にたくな――」

「わぁあああ!? 」


 兵士の一人の悲鳴が響く。物陰に潜んでいたのか、ティンダロスの猟犬がすでに目視できる距離まで近づいており、ウォリアー・ベイラーの脚を抉りとっていた。咄嗟の事でベイラーでの受け身も取れなず、無様に転倒してしまう。そして、転倒したベイラーのコックピットへ、猟犬は牙を突き立てる。


「この、離れろ! クソ」


 一匹の猟犬が噛みついた後、さらに複数の猟犬が、倒れたベイラーへ群がっていく。どの猟犬も、一心不乱に、人間のいるコックピットを狙っていた。ベイラーで最も強固な部位であるコックピットに、何度も何度も牙が突き刺さる。ティンダロスの猟犬の牙は、何度も折れくだけたが、牙が無くなれば爪で、爪が無くなれば、折れた骨で、果ては体の原型がなくなるまで、何度も何度も、執拗にコックピット目掛けて襲い掛かる。


 そして、猟犬のいびつな執念が、コックピットを食い破った。


「た、隊長! 助け――」

 

 一匹だけならまだ兵士だけでも対処できたかもしれない。だが、複数、それも倒れて逃げられない状態では、もはや助ける術は無かった。コックピットの閉鎖された空間で、兵士の逃げ場はない。悲鳴と共に、ベイラーがぐったりと動かなくなる。同時に、猟犬の、目の無い顔がこちらを向いた。


「走れええええ! 」


 隊長は、恐怖を押し込めるように叫んだ。兵士達は半狂乱しながら、地下水道へと逃げ込んでいく。


「フランツ君! 急げ! 」

「あ、ああ」


 あっけにとられていたフランツも、すぐさま相棒のジョウに乗り込み、その場を後にしようとする。


「俺たちだけだな? 」

「あんたたちだけだ」

「よし。いけ! 」


 隊長はフランツ達を先に行かせ、自分は、撤退時において最も危険な位置である最後尾に位置する事を選んだ。彼が乗るパラディン・ベイラーは、ウォリアーの上位機種。単に派手な色と装飾をだけでなく、プレートアーマーを身にまとっている。その防御力はウィリアーとは比べ物のならない。


「(噛まれたら終わりなのは変わりないが)」


 それでも、相手が猟犬であれば気も引き締まった。あの牙はベイラーの体をいともたやすく食い破る。例え鎧があったとしても、鎧の性能を過信できなかった。


 隊長は頭で逃走ルートを確保しながら、慎重に撤退をはじめていく。猟犬たちがこちらを認め、すぐに襲い掛かってくる。


「喰らえ化け物ども! 」


 隊長は、背中に背負った水砲を構え、薙ぎ払うように振るった。草花に水をやるような仕草だが、その勢いははげしく、飛び上がった猟犬を撃ち落としていく。猟犬は水を浴びて、ジタバタともがきあがいた後、コロコロと結晶になっていく。向かってくる猟犬を、次から次に、手足のない結晶と変えていく。


「次! 次! 」


 隊長は、数日前は、猟犬の核を砕く作業にも従事していた。今、その作業の事が頭をよぎっている。結晶化した後、さらに水を浴びせればヘドロとなり、核を見つけられるようになる。いますぐにでも、結晶化した猟犬に水を流し込み、数日前と同じように核を砕きたかったが、相手をする数がソレを許してくれない。それでも、動きを止められるのであれば、自身の生存確率は飛躍的に向上する。


 後ろに下がりながら、一匹、また一匹と結晶に変えていく。


「よし! このまま――」


 そして、両手では足りないほどの数、猟犬を撃退した後、隊長の手が不意に手が止まった。タンクの内部が、さきほどよりもずっと軽い。そこまでしてやっと、自身の状況を把握する。


「つ、使い過ぎたか!? 」


 弾切れならぬ、水切れである。撃退するのに手一杯で、水の残量にまで頭が回っていなかった。さきほど、兵士に叱責していたにも関わらずの、明確なミスであった。大量といっても、猟犬はまだまだいる。前方には、結晶となって猟犬の足蹴にして、つぎつぎに猟犬がこちらに向かってきている。


 多勢に無勢、水切れ、そしてもうひとつ、隊長の目には不可思議なものが映る。


「……もう地下に入っているはずだな? 」


 それは、自分の立っている場所。隊長は今、地下水道の中に、すでに入っている。だというのに、猟犬が、未だにこちらに迫ってきている。


「な、なぜだ? 水の近くには来ないのではなかったのか」


 隊長の役職を与えられるだけあって、彼は、共有された情報を頭にいれる速度について優秀であった。平たく言えば頭がいい。部下を咎める事ができるし、率先して手本を見せる事ができる。なにより指令を与えて人を動かすには、情報の集積は必要不可欠であった。そしてその情報の中には確かに、ティンダロスの猟犬は水場を嫌うと、彼の頭には確かに記憶されている。猟犬が水を浴びればどうなるかを考えれば、水場を嫌うは当然である。しかしその前提にある情報と、目の前の状況が一致しない。


「(まさか、慣れたのか? )」


 真っ先に考えられたのは、適応。慣れ。水に対して一定の耐性を得てしまった可能性。森に住む生き物が、毒の食べ物を食べ続けて、その耐性をつけるような。


「(い、いや、奴らにとって水は毒なんてものじゃない。もっと根本的な物だ。ソレに慣れる事ができるなら、もっと早く人間はこいつらに食い殺されている)」


 ティンダロスの猟犬にとって水は天敵。理由は不明なものの、明らかになっている事実。実際、水砲による攻撃は効いている為、隊長はこの考えを唾棄する。


「なら、他に、何が……」


 そこまでして、自分の足元を見た。なんの変哲もないくらい道。等間隔にたいまつが並べられている為、かろうじて道を見る事ができる。そして、その瞬間。この事態の原因を目した。


()()()()()()()()!? 」


地下が安全だったのは、地下水道が通り、水路となっているからである。だが、その水路に通っているはずの水が、乾いている。流れているのはチョロチョロと弱々しい小川のような量だけ。猟犬が退く量とは、とても思えなかった


「ど、どういうことだ」

「せき止められてる」

「な!? 」


 隊長のすぐ後ろに、フランツと、ジョウがぬるりと現れる。彼らもこの事態の異常さに気が付き、この場所へと戻ってきていた。 


 フランツの言葉に隊長はなかばパニックになる。 


「せき止められてる!? なぜ!? 」 

「建物がこれだけ崩れてるんだ。何かの拍子で水路が塞がったのかも」

「こ、こんな時に、だがコレでは」


 原因は不明だが、水が流れてこない事には、この先、逃げている人々の安全は確保されない。それどころか、この地下水道を通って、逆にティンダロスの獣が港へと一直線に向かってきてしまう。それは、いままで生き残ってきた人々の、全滅を意味している。


 その最悪の事態を想像し、隊長の背中に、ドッと脂汗が流れる。その空気を察したのか、フランツが提案を行った。


「ジョウなら、どんな瓦礫でも壊せる」

「――何が、言いたい? 」

「今から、せき止められてる場所を見つけて壊してくる」

「無理だ! 」


 隊長はすでに冷静になる事はできなくなっていた、頭の片隅では、子供相手に怒鳴る事など恥ずかしい事であると認識しているが、それでも、語気が自然と荒くなってしまう。


「馬鹿を言え! この地下水道がどれだけ広いと思ってる! 子供一人が探し回って見つかる訳がない! 猟犬はもう目と鼻の先にいるんだぞ!? 」

「あんたはふたつ勘違いをしてる。まずひとつ。せき止められてる場所は見当がついてる」


 だが、語気の荒くなった隊長とは対照的に、フランツは淡々と、よどみなく答えていく。


「この地下水道はたしかにひろい。でも最終的には海に流すようになってる。そしてその海の手前のココが渇いてるってコトは、上流の部分がとまってる。なら、遡っていけば、必ず崩れている場所にたどり着ける」

「遡るって、まさかお前」


 その説明を受け、隊長はわなわなと口を震わせる。彼の説明は理にかなっているが、一点において無視できない要素がある。


「あの猟犬たちを通り越していくというのか!? 」

「勘違いの二つ目。ひとりじゃない。隊長のおっさんがいる」

「お、おっさん? 」

「おっさんは、俺たちが駆け上がる、ほんの一瞬だけ、猟犬たちを引き寄せてくれればいい」

「一瞬、だと? 」

「俺たちなら一瞬で十分だ」


 自信満々に、フランツは答えた。彼の言葉に嘘もなければはったりもない。隊長はその事について説明を求めたくなったが、眼前に迫りくる猟犬たちを前に言葉に詰まる。


「サイクル・ショットを使う! 奴らがひるんだ隙に行け! 」

「わかったよ」


 パラディン・ベイラーがサイクル・ショットを無造作に連打する。狙いを定めずとも、猟犬の数がおおい為に、撃てばとりあえずどこかの猟犬に当たる。手足を、頭を射抜き、猟犬の勢いが、ほんの一瞬弱まる。フランツ達には、その一瞬が必要だった。


「ジョウ! 」

《突貫》


 フランツのジョウの意思が高まり、その目を真っ赤に輝かせる。そして全身のサイクルが甲高い音を上げ、彼らの力を押し上げる。水を浴びて右往左往している猟犬を尻目に、その頭上を、ジョウは一陣の風となって、通り過ぎていく。


 そして、彼らは悠々と背後に着地し、くるりと振り向いた。


「じゃ、隊長のおっちゃん。あとはサイクルシールドで壁をつくって、できるだけ時間稼いでおいて! 」

「お、おう! 」


 隊長は、彼らが猟犬の飛び越えた後の事は完全に失念していた。その事さえフランツは予想しており、明確な対応策を残し、自分達の仕事へと向かった。


「子供と侮ったか」


 フランツの宣言通り、全てが一瞬で終わり、ここには水を浴びて蠢く猟犬しかいない。タンクが空っぽになり、もはや無用の長物となった水砲を捨て、サイクルシールドを作り上げる。


「(だが、あの子供の言う事を、信じるしかない)」


 今、この場で、彼のできる事は、フランツの言葉を信じ、ここを死守する事。彼はこの場を、自分が兵士になった事への、最大の意義であると感じていた。



「よし、水がまだ残ってる」


 疾走していくフランツは、地下水道の現状を見て確信を新たにする。


「この先で水がせき止められてる……この角を曲がった先が、たしか第十一地区のとこだ」


 地図を照らしあわせながら進んでいく。おおむね、フランツの予想通りの状態にはなっている。進めば進ほど、水の量は少しずつ増している。


「(気になるのは、タイミングだ)」


 フランツの懸念は、その時間にある。自分達が大穴を開けた状態では、まだ水は潤沢にながれており、避難も完全にできる状態だった。それが、わずかな時間の間に、水が枯れ、猟犬が行き来できるようになっている。


「(猟犬にとって都合が良すぎる。偶然か? )」


 無論、事故とも考えられる。帝都の上で山が削れるような戦いがおきていれば、地下に影響が出ない訳がない。その結果として、水路の一部が壊れる事は往々にして考えられる。


「とにかく瓦礫なりを片付ければ――」

《危険》


 突如、ジョウがフランツの意思とは無関係に足を止めた。高速で移動中だった為、停止するまで数メートル単位、ズルズルと体が滑っていく。


「な、なんだ急に!? 」

《とても、熱い》


 行動の理由をジョウが端的に説明する。フランツはジョウの視界を見る事で、彼の説明と、その規模を理解する。眼前には、通常の気温では考えられないほどの高熱が発されている。このまま突っ走っていれば、高熱に身を焼かれ、身動きが取れなくなっていた。


「あ、ありがとうジョウ……でもこいつは」


 目の前にあるのは、真っ黒な塊としか形容できない物体だった。水路の真ん中に鎮座しているソレは、水を浴びて、重々と水蒸気を上げている。あたり一面が高温なのは、その湯気が原因でもあった。


「この、へんなものさえ砕けば、また水は流れるな! 」

《……待て》

「な、なんだよ」

《壊さなくても、壊れる》

「は? 」


 ジョウの言う通り、黒い塊は、その頂点部分を境に、卵でも割れるようにして、パキパキと割れ砕け始めた。同時に、背後から、いままでせき止められていたであろう水が、一斉に流れでていく。


「こ、これで一応はおっさん達も助かる、か? 」

《退避》

「分かってる! 」


 この場にいては、自分達も流されてしまう。すぐに元いた場所に引き返さなくてはならない。


「それにしてもアレは、一体」


 振り向きながら、その黒い塊が割れた、その内側を一瞬だけだが目に留まる。


「―――もしかして」

《水量、増加》

「わ、分かった」


 ソレがなんなのか、まだ理解できなかった。理解するより前に、水の量が増加している。


「(ベイラーに、見えたけど)」


 水に押し流された制で、中に何が居たのか、明確には分からなかった。それでも、フランツが見たのは、その中にいたのは、塊と同じく、真っ黒なベイラーであるという事だけ。引き返す事もできず、ただ走る事に集中していると、色だけは記憶にとどめ、細部については忘れてしまった。


 だが、確かに、()()()()()()がそこにいた事だけは、フランツは覚えていた。



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