決死の餌役
「なんだぁ、こりゃ」
サマナがまじまじと見上げる。やたらと船の中がやたら騒がしく、兵士達がこぞって何かを作ってる。中が空洞になっている管を格子にしている。強度はさておき、大きさはベイラーと同じか、それより少し小さい程度。
「なぁ、ちょっといいか」
「おお、眼帯のねーちゃんか」
眼帯のねーちゃん、というのが、サマナの通り名となっている。兵士の中にも眼帯をしている者はいるが、奇遇にも女性はいなかったようで、眼帯がそのまま通称になった。
最初は『眼帯のねーちゃん』ではなく、彼女の、実年齢にそぐわない身長のせいで『眼帯のガキ』だったが、サマナが絵札遊びで賭けを持ち掛け、全員に全勝した事でその通称は覆った。(なお挑んだ者を例外なく丸裸まで追い込んだ)無論イカサマを疑われたが、証拠が出る事もなく、サマナはわずかなお金と、新たな通称を手に入れてた。
「(心を読めば、賭け事なんざ簡単だからな)」
絵札遊びは、故郷であるサーラでも、好んでよく遊んでいた。だが、人の心が読めるようになると、まったく面白みがなく、最近は遊ぶ事すらなかった。今回は、不本意な呼び名を訂正させる為とはいえ、大人げない事をしたと反省もしていた。
「(おばぁちゃんがなんで参加しなかったか、やっとわかったよ)」
今にしておもえば、彼女の祖母が、絵札遊びを一切参加しなかったのも、興味が無かった訳ではなく、単純に心が読めて面白くないからだと悟った。こちらだけ手札はほぼ筒抜け、こちらが負けそうな時は勝負を降り、勝ちそうな時は吹っ掛ければいい。相手がイカサマして勝とうとした時もあったが、その時はあらかじめイカサマをばらしてしまえばいい。人の心を読むのは、ある意味遊びを無くす事なのかもしれないと、サマナは考えるようになった。
「で、なんでこんなものを? 」
「こいつで、あの猟犬を捕まえるんだと」
「へぇ……へぇ!? 」
現在判明しているのは、猟犬が水を嫌い、近寄る事すらしないと言う事、もし、水が通った管でできた檻であれば、捕まえる事ができるかもしれない。故に、兵士は全力で作っているのだと説明を受ける。
「(嘘は、ついてない。でも誰がこんな事を)」
中に水を入れる為とはいえ、動物を捕まえる檻、その格子が空洞など、聞いた事が無かった。
「こいつを何処に設置するんだ? 」
「港のすぐそばで組み立てるんだと」
「船から離れるってことか!? 」
「船には猟犬が来ないから、猟犬が来る場所までいかないと駄目だって事だとさ」
「(猟犬を捕まええて、調べようっていうのか)」
何の為に? と頭によぎる。その後には、誰がこんな事を考えたか。一個目の問いに答えは思い浮かべなかったが、二個目の問いには、目の前の兵士が頭で思い描いたおかげで知る事ができた。
「(黒騎士様も変な事考えるもんだぜ)」
「なるほど。黒騎士か」
「へ!?、あ、口に出してたかな!? 」
「気にしなくていい」
「その、別に黒騎士様を悪く言ったわけじゃなくって」
「分かってるよ」
黒騎士が指示を出し、この檻を作らせている。
「出来上がったら、あたしにもみせてくれよ」
「ああいいぜ! 明日にはできるからよ」
サマナはわずかな疎外感と予感があった。黒騎士ことオルレイトが、自分達に説明もなくこのような作業を支えている事に。そして、猟犬を捕まえる際に、何か重大な隠し事をしているのではないかと。
「あいつに会って、確かめてみるしかないか」
「誰に会うって? 」
背後から聞こえたその声に、小さく悲鳴をあげながら振り返ると、まさに黒騎士が其処に居た。体格差も相まってひどく恐ろしく見えてしまい、サマナが悲鳴を上げる。
「のっぽ! 脅かすな! 」
「そんなつもりは」
「おまえただでさえのっぽなんだから気を付けろよ! 」
「次から気を付けるよ。で、何を確かめるんだ? 」
「今、兵士達が作ってるアレだよ」
「ああ、捕獲用の。もうできそうだな」
「本気で猟犬を使える気なのか」
「ああ。本気だ」
「黒騎士様、ちょっといいですか」
「ああなんだい? 」
脇から兵士が話しかけてくると、黒騎士はシームレスに対応をしていく。さきほどまでサマナと憎まれ口をたたいていたとは思えない、冷静沈着な、黒騎士と呼ばれる男の理想像を演じているようにもみえる。兵士は、作っていた檻についていくつか確認し終えると、すぐ作業に戻っていった。
兵士が離れると、黒騎士ことオルレイトは大きくため息をつく。
「何、疲れてんだ」
「いや、どうにも、みんな僕を黒騎士としてみてくれるのはいいんだけど、がっかりさせたくないって思っちゃって」
「だからあんな慣れないことしてるのか」
「その慣れない事を、僕がするだけで、兵士達がこんなにもやる気だしてくれるんだ。なら、いくらでも、慣れない事だろうとやってやるさ」
「なぁ」
サマナにはその気はなかったが、読んでしまった心を見て思わず問う。
「何を焦ってんだ? 」
「――サマナなら、隠しても無駄か」
読んでしまったのは、罠の餌に自らなろうとしている事。そしてなにより、すぐにでもこの作戦を実施しなければならないと、病的にまで執着している事。
「食糧も、安心できるほどじゃないがなんとかなった。これから海での漁もはじまる。何がのっぽをそうさせてるんだ? 」
「……ティンダロスの猟犬が、今のままでいてくれるとは思えないからだ」
「今のまま? 」
「ティンダロスの猟犬について分かっている事は、そうだな。ひどい匂いがする。大きくてもベイラーの半分くらい。でも、そのどれもが、とても曖昧だ」
「犬っていうけど三本足とかもいたよな」
「特質すべきは、奴らに喰われた人間は、同じ猟犬になってしまう事だ。まるで病気が移ってしまうかのように」
「猟犬が病気? 」
「サマナ、僕は、猟犬が、今の姿でいてくれて本当に良かったと思ってるんだ」
「今の姿? 四つ足の犬の事か? 」
「もしこれが、翼のある鳥のようだったら――どうなると思う? 」
猟犬が、翼をもつ、つまり、飛行できたとしたら。野に逃げる事も叶わず、こうして船の上に逃げることさえ許されない。
「人間なんて、あっという間に、奴らの仲間入りだ」
「のっぽ、お前、まさか猟犬が、姿を変えると思ってるのか? 」
「ああ。少なくとも、その可能性があると思う」
「なんでまた? 」
「猟犬が出てきた、あのティンダロスが空を飛んでいたからさ。アレだって、一体どうやって空を飛んでいたか分からなかった」
オルレイトの真剣な話を聞き、その懸念は、根拠のない絵空事とも言えなかった。たしかにティンダロスは、魔女は、あのケイオス・ベイラーに至るまで、理由も手段も不明で飛行できたのだ。ならば、その配下ともいえる猟犬が、いつ理由も手段も不明で飛んでくるか分からない。
「そうなるより前に、奴らを無力化する手段を用意しないといけない」
「だから、捕まえて調べるのか? 」
「それが一番手っ取り早い。遠くからの観察で分かるような相手じゃないんだ」
「……」
「サマナ。君に頼みたい事がある。
「オイ待て」
「もし、僕が喰われるような事があれば」
「待てよ! 」
サマナは、胸倉をつかみかかり、その言葉の先を言わせない。
「絶対にそうなるな! そうさせないように準備させろ! いいな!? 」
「……分かってる。分かってるけど、もしもが、あるだろ」
仮面の奥の目は、わずかに揺らいでいた。揺らいだままで、しかし決心している。恐怖は確かにあるが、それでも、そうなってしまった時の介錯を、黒騎士は望んでいる。
自分がまだ人間でいる間に、人間のまま、殺して欲しいと。
「そのもしもの時、相棒のベイラーにも話しとけよ」
「ああ、そうする」
「……明日、やるんだろ」
「ああ、やる」
「ッケ! 」
胸倉を無造作に離す。周囲が少々ざわめいているが、サマナは気にせず続けた。
「ぜってぇ連れて帰ってやるからな」
「さすが。頼もしいな」
黒騎士はそこまで言ってサマナと分かれた。周囲のどよめきは止む事はなく、心を読めるサマナは、そのどよめきが否応なしに聞こえてくる。
「(あのクワトロンってのに、声の止め方教わっとけばよかった。)」
無駄だと分かっていても、飛び込んでくる声を遮る為に耳を抑えてしまう。無論、サマナが聞こえているのは心の声であり、実際に口から出ている声ではない。耳を塞ごうとも、流し込まれるように声は聞こえてくる、
「(黒騎士様になんて事を)」
「(あいつ、黒騎士様の女か? )」
「(俺たちの為に頑張ってくれている黒騎士様を)」
聞こえてくるのは、自分を非難する声だが、そのどれも、黒騎士が好かれているからこそ出てくる声だと気が付き、ほんの少し口が歪んだ。
「なんだ。あいつ人気者なんだ」
ならば、一層、彼を死なせる訳にはいかない。この閉ざされた国で、黒騎士は確かに人々の希望となっている。その希望を断つ事などできない。なにより。
「コウも、カリンも悲しむ」
未だ目覚めない友の為にも。オルレイトを守ると誓った。
◇
四日目。黒騎士は朝食のパンをかじりながら、出来上がった檻を港へと下りていくのを眺める。兵士達が作り上げた檻は設計図通りで、それは見事な仕上がりだった。
「いい出来だな」
《本当にやるんですね? 》
背後で佇むベイラー、レイダが、努めて冷静な声で問う。本来甲板にベイラーが立つのは、人間の安全上、危険視される事だが、今回ばかりは例外であった。
《やはり一緒に》
「ダメだ。喰われるのが2人より、1人の方がいい」
《人間の命で算数をするんなんて、ずいぶん偉くなったのですね》
「――お前そんな意地悪だったか? 」
《意地も悪くなります》
きわめて、レイダは冷静さを失わないようにしている。それでも声は震えそうになっているのを隠せない。
《一緒に来いと、なぜ言ってくださならないのです》
「ちゃんと理由がある」
《また算数ですか? 》
「ちがうよ。檻の大きさだ」
《大きさ? 》
「水を入れる管で檻を作ると、どうしても大きくできない」
《そんな物、私がいくらでも作って差し上げるのに》
「あんまり大きいと、今度は水を入れる速さが足りなくなるんだ。あの檻は、如何に僕が出る間に水が管を一杯になるかにかかってる。水が一杯になるのが遅かったら、僕は助からない」
《だからって、こんな……決めました》
「レイダ?っておい!? 」
レイダが右手で黒騎士の体を包んだ。そして、苦しくない程度に手を絞める。
《これで、もう向こうにはいけませんね》
「レイダ、ちょっと待ってくれ」
《嫌です。むざむざ死に行こうとする人を止めない訳にはいきません》
「だがら、別に死に行くわけじゃ」
《じゃぁ、こんな事すぐやめてください。でないと、でないと》
「レイダ」
包まれたレイダの手を、ゆっくり撫でる。ここまで拘束しているにも関わらず、黒騎士の体を締め付けてはいない。すこし力を込めれば脱出できてしまう程度の力しか、レイダはかけていなかった。
「大丈夫だ。なんどもテストした」
《でも》
「這ってでも帰ってくる。だから」
《……絶対ですよ》
「ああ」
そこまで言うと、レイダは観念したのか、それとも諦めたのか。拘束をゆっくり解いていく。体が自由になったのを確認すると、オルレイトは振り返り告げた。
「行ってくる。また共に」
《……また共に》
挨拶を終え、船を降りていく。途中、サマナが船と港を繋ぐ桟橋の前で待っていた。普段は猟犬の侵入する可能性を少しでも下げる為にかけていない桟橋を、この時だけは掛けている。
「頼んだよ」
「知らなかったよ。のっぽは嘘が付けるんだな」
「……レイダには言うなよ? 」
「お前なぁ」
黒騎士はレイダに嘘をついた。正確には、サマナと交わした約束については、最後まで黙っていた。もし自分が猟犬に喰われた場合の、最悪のパターン。
「そうしたら、あたしが恨まれるんだぞ」
「こんな事、サマナ以外に頼めないよ」
「調子いい事いうなぁ」
「なぁ。頼むよ」
「――クソ」
顔を隠し、ひらひらと手を振る。
「さっさといけ」
「ああ。ありがとう」
「(礼なんか言ってんじゃねぇ)」
引き留めるべきだと頭では考えている。だが、それではオルレイトとの希望が沿わない。彼は、人類の為に、その身を使おうとしている。犠牲になるとは思っていない。最悪の場合犠牲となってしまうが、それでもかまわない。
覚悟を、彼は決めていた。
一歩一歩、踏みしめるように檻へと近づく。まだ猟犬の気配はない。内側に入り込み、機構を確認する。檻の上にはタンク状になった器があり、内側にある紐を引けば、タンクから管に水が通る。そして、人間ひとりが、一度だけ内側から外に出る事ができる扉が備わっている。
そして、罠は、その内側から外に出た後に、最後の出入り口が閉まる構造である。陸で使う罠よりは、出入り口が一方通行で、あらかじめ決まっているどちらかと言うと魚を捕まえる時に使うような罠に似ていた。
「(さて、ここでこなければ、あとは自力でこの檻を動かすしかないが)」
檻の重量はそこまではなく、黒騎士が内側から持ち上げれば、なんとか運べてしまう。強度はおよそ考えられていないとはいえ、やはり心もとない軽さだった。
「(これで猟犬に効かなかったら、笑いものだな)」
ここまで強度を考えず、あくまで水を通す管にこだわったのは、ナットの話を聞いたからであった。パン窯への穴を掘る時、猟犬がその鼻先にまで迫ったが、そのままどこかへと行ってしまったという話を聞いた事にある。
「(水が近くにある事より、人間が近くにいる事のほうが、奴らには重要なんだ。だから鼻先まで近寄ってきたし、水が近くにある事が分かったから離れた……もっともコレも仮説でしかないが)」
自分で考えておいて、あまりに穴のある仮設だと失笑する。
「(だが、これで奴らの事が少しでもわかれば)」
罠の最終確認を終えた頃に、ソレは現れた。鼻が曲がりそうな、強烈な腐乱臭。ヒタヒタと聞こえる不規則な足音。振り返るとそこに奴はいた。
「以外と、早く喰いついたな」
「――」
大きさは、3mほど。四本足で、両目が窪んでいる。牙と爪だけがかろうじて、ソレが獣であると認識できる部品として目に映る。狙い通り、ティンダロスの猟犬が、口からよだれを垂らして黒騎士を狙っている。
「一匹だけか。それとも後ろにまだ居るのか」
「――」
猟犬は吠える事をしない。牙も口もあるが、もしかしたら喉がないのかもしれないと呑気に考えていた。だが、猟犬は一瞬たじろいだ後、黒騎士にむけ全力で走ってくる。
「そうだ! こっちにこい! 」
「――」
それは、3mほどの狼であった。足は速く、人間ではとてでもではないが逃げきる事などできない。それでも黒騎士はがむしゃらに走り続け、罠の中へと体を滑り込ませる。
「(奴は!?)」
首だけを後ろに向けると、猟犬もまた黒騎士を喰らおうとこちらに迫っており、罠の事などまったく気にしていない様子だった。そして、目論見どおり猟犬が罠の内部へと入り込む。
「(ここからだ! まずは水! )」
罠の内側に設置された紐を触る。ここでトラブルが起きようものなら、黒騎士は逃げ出す暇もなく猟犬の餌食となる。祈るような気持ちで紐を引っ張った。直後、キュポンと小気味のよい音が頭上から聞こえてくると共に、トクトクと管に水が注ぎこまれていった。
「よし! 」
思わず声が出る。これで、すべての管に水がいきわたるまで1秒もかからない。
「(あとは脱出を)」
見届ける暇はない。すぐさま脱出しなければ、猟犬を閉じ込める事はできない。入ってきた時と同じように、出る時も飛び出そうとした時。
「(なんだ? 匂いが )」
先ほどまで、背後に感じていた匂いと気配がぷつんと消えている事に気が付く。猟犬が罠から逃げ出した可能性を真っ先に考えたが、濃い匂いは未だ罠の中に充満している。
「(やつは、何処に行った? 後ろに居ないのなら何処に――)」
水が満たされる僅かな間、この狭い空間で猟犬を見失うなどありえなかった。そして逃げ出した形跡はなく、代わりに、檻の一部がわずかにひしゃげている。
「――ッツ!? 」
オルレイトは、とっさに左腕を顔の前に出した。この行動は理性ではなく、本能での防御だった。次の瞬間、3mの獣が、オルレイトの左手に食らいついた。
猟犬は、その場で、まるでステップでも踏むようにして、一瞬でオルレイトの視界の外へと逃れ、檻の中で軌道を修正し、その喉元へ食らいつこうとしていた。
「――ガァアア!? 」
激痛と共に、牙が無残に自分の腕を貫通しているのが見て取れる。なにより、猟犬は黒騎士の腕ごと、体を飲み込まんとしている勢いだった。人の力では抗いようがない膂力の違いがある。引く事も出来なければ、檻のせいで押しのける事もできない。
痛みと恐怖が体を支配し、動かなくなりそうだった。だがこの状況になった事で、脳裏に鮮明ぬ浮かんだ映像がある。
「(そうか、だからカリンは、コックピットの中で)」
それは、コウのコックピットの中で見つけてしまったもの。カリンの体から切り離された、血みどろの足。なぜあんな事をしたのか理解できなかった。だが、今ここの瞬間、なぜ足を切り落としたのかを、ようやく理解できた。
そして、自分が何をすべきかも、分かった。
「うわぁああああああ!! 」
気合を入れる為の叫び声。それは悲鳴にも似て悲痛であり、しかし黒騎士にとっては最大の声量だった。そして、右手で腰の剣を引き抜き、自らの左手を、自らの手で切り落とす。
支えを失った猟犬は前のめりに倒れ込んでくるのを、必死の抵抗でよけ、背後にある、内側から、一度だけ外に出れる扉に、剣を持ったまま飛び込んだ。
バタンと扉が閉まると同時に、猟犬が入ってきた扉も閉じた。
「ハァー! ハァー! やった! 」
当然、切り落とした腕からあふれる血が止まらない。 しかし、猟犬は確かに檻の中に閉じ込められている。
「(ま、まだだ、この後、奴が外に出てきたら、意味がないんだ)」
痛みで涙が止まらず、仮面の中がずっと湿っていく。すでに満身創痍だが、安心する暇も無かった。あふれる血を抑えつつ、剣を構える。もし猟犬が外に出てきてしまえば、自分が腕を切った事も無駄になる。他の猟犬が来てしまっても同じ。今は、あの罠に閉じ込めた猟犬がどうなるかを見届けなければならない。これから先に起こる事など、黒騎士は予想できなかった。
「(さぁ、どうな――)」
意識を保つのがやっとの状態となりながら、しかし黒騎士は見た。
中にいる猟犬が、上を向いて、ただぼーっとしている。暴れるでも怯えるでもなく、ただ、虚空を、その瞳の無い顔で、じっと見つめている。それは、とても罠にかかった動物の反応とは思えなかった。
「(なんだ? 失敗か? 成功か? )」
作戦の成否さえ分からなかった。暴れて外に出てこないと言う事は、やはり水で囲うのは正解であったようにも思える。しかし、囲っただけでピクリとも動かないのは不気味であった。
「(外に出てこない、それはつまり成功――)」
見届けた、とはいい難かった。黒騎士はそのまま倒れる。出血がひどく、ショック状態となってしまい、そのまま気を失ってしまった。
薄れゆく意識の中で、聞きなれた足音が背後から来ているのだけはわかった。
「(呼んでなくとも来てくれたのか、レイダ)」
そして、幼い頃から知って居る、深い緑色をした指が、自分の体をそっと触れた所で、黒騎士の意識は落ちた。
◇
「……」
「お、起きた! 起きたよ! マイヤちゃん! サマナちゃん! 」
「……やぁリオ。僕、どれくらい寝てた? 」
「丸1日! 」
「そっか」
目覚めたのはアレから1日後だった。隣には、未だに眠るカリンがいる。
「仮面はどこだ? 」
「左側においてある」
「ありがとう」
礼をいって、なんの疑問ももたず左手を伸ばそうとして、気が付く。
「――」
「オルオル、その」
「ああ、いや、大丈夫さ。分かっていた、事だ」
腕は、自分で切り裂いた。猟犬に噛まれたが最後、自分も猟犬になってしまう。そうなる前に、噛まれた部分を切り飛ばさなければならない。
「(きっと、カリンはソレを分かっていたんだ。だから、自分で足を切り落とした)」
黒騎士の仮面をはずしたオルレイトは、ただ、長年連れ添った左腕が無くなった事実を、少しずつ噛みしめていく。その様子を見たリオが、悲しげな表情のまま続けた。
「ねぇオルオル。もしかして、コウがいるから、腕を斬ったの? 」
「え? 」
「コウの力で、腕はまた治るから、腕を斬ったの? 」
「……」
リオの言葉は、オルレイトは無自覚な部分を指摘されていた。すべて、自分の考えだと。カリンもそうしたはずだと考えていた。だが、最終的には、コウの力をアテにしていたのだと気が付いた。気が付いてしまった。
「そういうことしたら、みんな嫌だよ。オルレイトが怪我するの嫌だもん」
「あ、ああ。そうだな。そうだよな」
「みんなに、何か言う事あると思うよ」
「ああ。そうだ。ごめんなリオ」
「――みんなに、ちゃんと言うんだよ」
「ああ」
「オルオル起きたって伝えてくる! 」
「頼むよ」
リオは、トタトタと走り去っていく。改めて切り落とした腕をみる。左腕には包帯が巻いてあり、すでに何回も変えていた形跡があった。
「僕もだいぶ、コウに甘えていたんだな」
リオに指摘され、初めて自分の無茶がコウに支えらていたのだと自覚する。
「あれだけ大層な事をいっておきながら、結局はコウ頼みだもんな」
胸中には、情けなさと、ふがいなさと、悔しさが混ざる。だがしかし、そうしなけば、猟犬は捕まえられなかった。
「……そうだ。猟犬はどうなった!? 」
「黒騎士、起きたと聞いた。大丈夫か」
リオと入れ替わるように、カミノガエが入ってきた。すぐさま仮面を被り直し、自分が気を失っていた間の事を聞きださんとする。
「陛下! 猟犬はどうなりましたか!? 」
「ああ。捕獲は成功だ」
「やった! これで奴らを調べられる」
「その事、なんだが」
なにやら、カミノガエの歯切れが悪い。
「見てもらった方が速いか。ついてまいれ」
「はい! 」
黒騎士は、自分が病み上がりであると事など忘れ(カミノガエも忘れていた)後をついていく。左側が軽く、歩くのに重心がずれてしまうのを修正しながら歩いていく。そして、避難船の貨物室、あの檻が収容されていた。しかし、中には猟犬らしき姿は見当たらない。
「陛下、猟犬は何処です? 」
「あの中だ」
「中? 」
「よく見ろ」
促されるまま、檻の中を覗き込む。中に、動く者はいない。
だが代わりに、明りに反射してきらきらとしている、謎の物体があった。大きさはバレーボールより大きいくらいで、直径30cmあるかないか。最初、それは石ころか何かと思ったが、よく見れば、正六角形の立方体をしている。透き通った結晶のようで、明りを受けて、キラキラと反射していた。
その特徴に、黒騎士は見覚えがあった。
「これは、ティンダロス!? 」
「小型の、ティンダロスに見える」
「猟犬は!? 猟犬はどこにいったのですか!? 」
「よく聞け黒騎士」
黒騎士が混乱しそうになっているのをなだめつつ続けた。
「猟犬が、あの結晶になっていたのだ」
「はい? 」
カミノガエも、自身の言葉を疑いたい気持ちだった。
だが、彼もその目で見てしまっている。
「猟犬は檻に閉じ込め、引き上げようとした途中だった。突然形が崩れて、肉も牙も無くなったかと思えば、中からあの結晶があったのだ」
「そ、そんな」
ティンダロスの猟犬を、水で囲むと、大本であるティンダロスと同じ形となる。得られた情報は確かにあった。だが、今後に繋がる気が一切しない情報でもあり、黒騎士は天を仰いだ。




