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陽の無い生活


 パン窯の確保、そして猟犬は、水場に近づけない。


 龍によって精神的にも物理的にも蓋をされ、それでも生き残ったカミノガエにとって、ナット達から持たされた、これ以上ない朗報だった。


「……では、ゲーニッツ殿」

「ええ、ここから先は、我らに」


 パン窯を確保できたのなら、あとは小麦の確保である。本来であれば叶わないその難題は、この場に居合わせたグレート・ギフトによって解決する。


「陛下、娘は……カリンは、まだ起きないのですか? 」

「ああ。だがあのすさまじい戦いの後だ。無理もない」

「すさまじい、ですか」

「すさまじく、そして、素晴らしい戦いぶりであった」

「そうですか……親として、これほどうれしい事もありません」


 しみじみとつぶやき、ゲーニッツは顔を上げる。我が子の働きは見事と太鼓判を押された。であれば、親である自分が何もしないなど、あってはならない。


「ギフトの、ゲレーンの力を、お見せしょう」


 その力が、きっと最後になる事を予感しながら、グレート・ギフトの元へと向かう。ゲーニッツの傍には、同じ故郷を共にするマイヤ、オルレイト、ナットが後に続く。全員、ギフトの元で育ったといっても過言ではない。


 グレート・ギフトが、どのような事になろうと、見届ける気でいた。



 上を見上げても陽は見えない。それは、ゲレーンで使っていた日時計が使えない事を示しているが、長年培われたの体内時計は、ゲーニッツに、今が昼頃であると伝えていた。


《来たか、我が友の子よ》

「今一度、力を貸してほしい。グレート・ギフトよ」

《……小麦を》


 船の中の一部、これから始まる事を隠すべく秘匿された区画。わざわざ内部に壁をつくってできて其処に、グレート・ギフト入る。そしてゲーニッツが乗り込む前に、ギフトはある懸念を示した。


《小出しにはできぬかもしれぬ。しかし、一度にたくさん生みだしてしまえば、この狭い船では、置き場所に、難儀するはず》

「心配には及ばないさ。そうだねマイヤ君? 」

「小麦を保管する為の木箱を、それはもうたくさん用意させたそうです」

「よく準備できたものだ」

「現在進行形で作っています」

「あ、まだ途中? 」

「いえ、ベイラーが入れる程度のはすでに10個ほど。追加で5個目が終わるそうです」

「ここの兵士は優秀だね」


 兵士は、戦いが無い時には大工としても活動する。その点はゲレーンも同じではあるが、ことさら数と質の差があり、特に技術力に関しては、帝都の兵士達は随一であった。

  

「いくつかは小舟の上にすでに置いてあると」

「大丈夫なのかいソレ? 濡れたりするだろう? 」

「現状、海は波も無ければ潮も無く、まったく揺れもしないと」

「なるほど」


 龍が海の中まで体を入れて塞いでおり、入り江は常に凪いでいる。物資を保管するには陸地が必要ではあるが、生憎陸地にはティンダロスの猟犬がいる。


 であれば、猟犬たちも近寄れない海の上で、物資は保管せざる終えないのが現状だった。


「と、言う訳だギフト」

《であれば、力を使おう》

「ひとつ確認していいかい? 」

《どうしたのだ? 》

「もし、君が力を無くなるとして、君はどうなる? 」


 グレートと呼ばれるベイラーは、この星から力を借り受けている、もし、星からの力を失った時、ギフトがどうなるのか。


「力と一緒に、消えてなくなったりしないかい? 」

《――心配には、及ばぬ》


 ゆったりとした口調で、ギフトは語る。


《この体はそのまま。大地に還るまで、朽ちはしない》

「そうか! 良かった!――本当に、良かった」

《だが、力を無くしても、共に生きていてよいのか? 》

「もちろんだとも! 今度、私に孫ができるんだ! その孫にも会って惜しい! 


 娘、そして孫。ゲーニッツには守るべき物が増えた。自分が祖父になる実感など、全く湧いていないが、その隣には、ギフトが居てほしいのだと強く願った。


「だから、共に生きよう! 」

《ああ、そうだな》


 今まで共に居たのは、決して力だけを頼っていたからではない。例えギフトがグレートであってもなくても、共に生きたいと、きっと願っていたと。


 グレート・ギフトに乗り込み、操縦桿を握りしめると、ギフトの目が赤く輝く。


 ゲーニッツとギフトは、たったそれだけで、赤目の状態にまで変化できる。グレート・ブレイダーと剣聖、カリンとコウのような、木我一体に限りなく近い。


 木我一体にならないは。ギフトがソレを望んでいない面が大きい。長く永い年月の末、すでにギフトの両足は機能しておわず、戦う事はできそうにない。木我一体になれば、まさに一心同体として動く事ができるが、そもそも、今のギフトにはそこまで動く必要が無い。そして動く必要がないギフトの体に、人の体であるゲーニッツを共有させるなど、ギフトは気が引けていた。、


「グレート・ギフトよ。その力で、この地を潤したまえ」

《我が友、その子らよ。盟約により、この力を振るおう。願わくば、これによって人々が争い、憎み合うことがないことを》

「(そうだ。絶対に合ってはならない)」


 ギフトの力を、同じ国に住まう人々にさえ秘匿していたのは、この圧倒的な力を前に、人々がギフトをめぐって争うのを避ける為だった。秘匿し続けた事で、ゲレーンでは、一度もギフトによる争いは起きてない。だが、ここはゲレーンではない。そして、人々の状態は平穏さとはかけ離れている。明日を生きる希望を見失いそうになっている。


「(争いが起きるかもしれない。だが、まずは生きねばならない! その為に! )」


 笑い合う事も、争う事も、生きねば出来ない。そのためならば、ギフトの力を使うのに後悔はない。例えこれで最後だとしても。 


「《サイクル・ギフト》」


 二人の声が重なり、ゆっくりとギフトの手が開かれる。シュルシュルとサイクルが鳴らす独特の切削音が船の中で静かに響く。


「(小麦を生み出す、とは言ってたけど)」


 オルレイトは、黒騎士の仮面を被ったまま、その光景を目に焼き付けんとしてきた。だが、ギフトから出るサイクルの音は、コウはおろか、レイダが戦っている時に出す音のの方がずっと激しい。


「(あれでどうやって小麦ができるのでしょうか)」


 同じ疑問を、視ているマイヤも思っていた。ゲーニッツが嘘をついているとも思えず、しかしどのように実現するのか、全く想像できなかった。そして、想像できなかった景色が、目の前で、少しずつ、少しずつ現実になっていく。サイクルの音に、サラサラと、砂が落ちるような音が混じり始めた。


「なんだ? 何の音が」

「こ、小麦、です」

「マイヤ? 」

「小麦の、粒が、ギフト様の手から」

「そ、そんな馬鹿な事が」

「あるのだよ」


 コックピットの中にいるゲーニッツは、満面の笑み出会った。自分の娘であるカリンも、ほぼ同じように反応していた事もあり、オルレイト達の驚愕は心地いい。


「さぁ! これをパン屋に! 」

「は、はい! 」

《実れ! 実れ! 実れぇえええ!! 》


 最初は、砂が落ちていくような量だった小麦が、片手で足りないほどになり、やがて両手から溢れる量となり、最後には、ギフトの周りを覆い尽すような量になっていく。


「あ、集めろマイヤ! 一粒も無駄にできないぞ! 」

「はい!全て拾ってみせます! 」

「ギフト、その調子です。少しずつ」

《ああ――もう、少しづつ》


 もはやそれは小麦の大波であった。船の一角は完全に小麦で埋まり、誰も作業できそうにない。オルレイト達の必死の収集で、小麦は袋詰めされ、流れ作業でパン窯へと運ばれていく。そうして小麦の供給が始まると、避難船の中はにわかに活気づいた。無論、どこから小麦が出てきたかについては、カミノガエから緘口令が敷かれ、誰も口に出さなかった。


『倉庫に眠っていた小麦を持ってきた』と口実をでっちあげ、兵士含め、作業に戻る。小麦を袋詰めし、今すぐパンにする物、保管する物に仕分けされていく。最初こそ袋詰めする速度と、小麦が生み出される速度の違いで、仕分けは滞ったが、保管用に兵士達がこさえた木箱がひとつ埋まる頃には、供給と仕分けのバランスはとられていった。


 それは、ギフトの力が、徐々に弱まっている事の証明ではあるのだが、誰も口にすることなどできかなかった。


 昼から始まったその作業は、夜通し行われた。深夜帯になり、作業員は交代で小麦を袋に詰め、箱にしまう作業を続ける。コックピットの中にいるゲーニッツは、ひたすら『サイクル・ギフト』を使う事に全神経を集中している。代わりなど誰も無い。彼しか、ギフトの力を引き出せない。ならば、止める事などできなかった。


 パンを作るのにも、人手が必要だった。小麦を挽き、小麦粉を作り、水と捏ねる。皇帝からのじきじきの命を受け、パン職人は全身前提でパンを作り続けた。捏ねたパンは、今度は海を通り、フランツが空けた穴で通ったパン窯へと運ばねばならない。


 ここで鬼門となるのは、この道が下水道である事。今は国にだれもいない為、下水が流れてくる事はないが、それでも不潔であるのには変わりない。故に、捏ねたパンをそのまま運ぶのではなく、使い捨ての運搬用の箱が用いらてた。その場で薪として良し、パン窯の周りにバリケードとして使うも良し、使い捨てと割り切った事で、運搬と資材がそのまま合致してるこの専用の箱、通称『窯箱』は、今後、想像以上に活躍する事となる。



「結局、作業は朝までかかってしまったな」


 船内での生活二日目にして、夜通し行われた作業は、ひとまずの区切りとなった。小麦粉にしてしまうと保管が難しい為、ギフトが生み出した小麦は、今は、保管用の船の上である。


 そして、今、小麦粉にし、練り、休ませた生地を、満を持してパン窯へと運んで行った。現在、朝といっても、時刻としては10時以降であり、オルレイト達はほぼ徹夜となり、まだブリッジで眠っている。カミノガエだけが、ブリッジで、報せを待っている。


 パンが焼き上がり、船に乗ってやってくるのを、心待ちにしていた。その為にまだ朝食も取っていない。そして、その時は来た。兵士が徹夜で血走った目で告げる。


「来ました! パンを乗せた船です! 」

「民にはまだ伝えるな。暴動になりかねん」

「は! 」

「それに、今回は一番最初に食べなければならない者がいる」


 兵士には全て伝える事はなく、船を迎えにいく。避難船とは違いサイズが違う為、梯子で乗組員が乗り降りする必要があった。


 そして、その乗り降りの時点で、すでに鼻を通る甘い匂いが伝わってくる。


「――おお」

「陛下、お待たせしました。まずは第一号です」

「食べるのは余ではない。ついてまいれ」

「は、はい! 」


 パン職人は、この状況下で、一番最初に食べるのは皇帝陛下だと疑わなかった。それがいとも簡単に覆り、少々慌ててしまう。そんな職人の気など知らず、カミノガエは職人を先導してぐんぐん進んでしまう。


 そして、船の中で秘匿されていた区画――ギフトが鎮座している。オルレイト達が、死に物狂いで小麦をかき集めた為、その場所には一粒も落ちていない。座ったまま力なくうなだれているギフトの中からは、ゲーニッツの静かな寝息が聞こえる。


 カミノガエは、寝ているのを承知の上で、コックピットをノックした。


「ゲレーン王」

「ん? ―――ああ、すまない、眠ってしまったようだ」

「貴君に食べてもらいたいものがある」

「おや? 一体何を」


 ゲーニッツがコックピットから顔を出した瞬間、甘い香りが鼻孔に届く。


「これは」

「さきほど焼き上がったそうだ」

「なら、成功したのですね」

「ああ。貴君に食べてもらいたい」

「私に? 」

「貴君の働きがなければ、このパンは無かったのだ」


 カミノガエの言葉の意味を、パン職人は理解できなかったが、今は説明する必要も無かった。


「食べてほしい。余が許す」

「ああ、では」


 ゲーニッツがパンを手に取る。保存を度外視したパンであり、焼き固めておらず、指が沈む柔らかさがある。旅の途中で食べる、保存食としてのパンではなく、宿の食事として出されるパンであった。バターやジャムなどの、付け合わせが無いのが残念でならないが、現状を鑑みれば、このパンひとつでも、かなりの贅沢と言える。


 手にとり、口に入れようとしたとき、ふとゲーニッツの動きが止まった。


「……なんだ? 」

「陛下、食べさせたい者が、もうひとりおります」

「ほう? 」

「私の働きがなければ、このパンは無かった。ですが、もうひとり、私と同じく働いた者がいるのです。その者と一緒に味わっていいでしょうか? 」

「う、うむ。許す」

「ありがとうございます」


 カミノガエは、その意図を汲み取る事はできず、わずかに首を傾げた。そして、ゲーニッツは、受け取ったパンを手にしたまま、再びコックピットの中へと戻っていく。そして、パンを持っていない方の手で操縦桿を握りしめた。


「ギフト、起きているかい? 」

《ああ、起きているとも》

「力は、どうなった? 」

《――もう、使えぬであろう》

「そう、か」


 わかっていた事だった。サイクル・ギフトによって生み出された小麦は、最終席に船に浮かべた

20個の箱の中に、ぎっしりと詰まっている。1箱で避難船に住まう全員のパンが1日賄ええる。


 20日分。主食だけとはいえ、最低限生き延びる事ができる。


「2日が、20日になったか」


 安心できるわけではない。それでも、明日への希望は繋ぐ事ができた。


《して、どうしたのだ? 》

「ああ。焼き立てをもらったんだ。一緒に食べよう」

《――ああ、いただこう》


 そこまで言うと、ゲーニッツは、操縦桿を握ったまま、片手で持ったパンを口に入れた。ベイラーに味覚は無い。舌が無いのだ。だが、味を感じる術はある。乗り手が操縦桿を握ったままで食事をすれば、感覚の共有により、どんな味かを知る事ができる。


 いつか、カリンがコウの為にやったように。ゲーニッツはギフトの為に食事をする。 


「うまいかい? 」

《ああ、美味い。それに、柔らかい》

「やわらかい? 」

《昔のパンは、ずっと固く、味も薄かった》

「なら、職人の腕がいいのさ」


 噛みしめるほど甘味がでるその味は、ギフトの記憶にあるパンの味とは、似ても似つかない味であった。


「君のおかげで、飢えずにすむ。ありがとう」

《――ソウジュは、人と共にある》


 それは、ゲレーンで続く、ベイラーと、人との間に結ばれた言葉。


《もう、グレートではないが、それでも、共にあろう》

「ああ、頼むよ。ギフト」


 力を失った。それでも、後悔の無いように動いた。その先がどうなるか、まだ誰も分からない。それでも、生きる事だけは、あきらめなかった。



 その日、焼き立てのパンが人々に配られた。今までの塩辛い保存食とは違い、食感も味もよいパンは、人々に活気を取り戻させた。だが、延命しただけという声も。わずかだが上がった。状況は改善したものの、閉じた未来は変わっていない。


 この龍が閉ざした世界で生きるには、やはり、猟犬の存在を解決せねばならない。そして、猟犬を知る為に、ある作戦が黒騎士ことオルレイトから発案された。その作戦は、荒唐無稽であり、最初は誰も首を縦には降らなかった。ただ1人、皇帝カミノガエだけが、その作戦の立案に協力を申し出る。


 その作戦とは、ティンダロスの猟犬()()()()


 ただ生き残る事もできないのならば、抗う事を、黒騎士は選んだ。


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