ベイラーと籠城
龍に閉じ込められた人々。空を見上げても星はない。あるのは、べらぼうに大きな鱗だけ。地上では、戦いの余波で、消火しきれなかった戦火がまだ残っている。そして建物の影には、生き物を喰らう猟犬たちが、ぞろぞろと蠢いていた。何故かは分からないが、ティンダロスの猟犬は、海には入ろうとして来ない。恐れているようにさえ見えた。
結果、避難船が、そのまま避難所となって機能している。その甲板で、カミノガエは、とある報告を待っていた。
「ナットとやら、海はどうだった」
一人の少年が、甲板へと上がってくる。さきほどまで、海に潜っていたナットである。泳ぎが達者な彼に、カミノガエは、一縷の望みをかけ、海の偵察を命じていた。龍の体は、確かに海を遮っている、もし、龍の体が海の中まで無いのなら、船を使わず、自力で水中を泳ぐ事で、脱出だけは可能かもしれないと考えていた。
しかし、その望みは意図も容易く崩れ去る。
「ダメだ。龍は海の底まで塞ぐように、体を畳んでる。隙間なんてない」
「海を渡るのは不可能、という事か」
船の上で、鉄製の火台に火を灯し、ナットが凍えた体を温め治す。木製の船の上でたき火など、火事の原因でしかなく、本来禁忌とされているが、明りが無い事に加え、まだ夏より前の季節柄、肌寒さはいかんともしがたく、暖を取る為に仕方なく火をつけていた。また甲板だけではなく、船の内部、通常、荷物を詰め込むだけの広い空間に、避難してきた人々を温めるべく、火が灯っている。それはささやかな明りだが、燃焼の際、モクモクとあがる煙はいかんともしがたく、ベイラーの手によって急遽、船に排気口が造られていた。
他の二隻に逃げ込んだ乗員も、どうやら同じ結論に至ったようで、避難民を乗せた三隻の船は、内側から、モクモクと煙が上がっている。横穴が空いたこの船では、もう遠洋に出られないだろう。
「(我々はまだ命がある)」
状況を整理し、改善しようとしても、そもそも前提が苦しいのは変わらない。
「(そして、この後は)」
「陛下」
「来たかコルブラット。して、どれほどある? 」
側近であるコルブラットが、その手に帳簿を持って報告しにくる。その報告こそ、待ちわびてはいたが、一番聞きたくもなかった。コルブラットに頼んだ調査。それは、この人数を賄うだけの食糧が、この船にどれほど積んであるかどうか。
「食料は、ありました」
「――コルブラット、貴君らしくないぞ」
食料の有無は、確かに重要だった。だが、カミノガエが欲しているのは、より正確な数字。この報告をコルブラットに任せたのは、彼の几帳面さであれば、正確な量を推し量れるとの判断だった。
彼の帳簿を持つ手は、振るえている。その顔には冷や汗をかいている。
「(なんだこやつ、こんな顔もするのか)」
普段、コルブラットは仏頂面で、仕事一辺倒の人間であった。カミノガエにも、その態度は崩す事はない。仕事ぶりは有能で、帝都では常に付き纏う外交問題を解決できていたのは、ひとえに彼の働きによる所が大きい。だが、部下からは、嫌われてはいなくとも、常に一定の距離を保っている。軍にいるシーザァーが、積極的に部下と交流を図るタイプな為、より対照的だった。
その彼が、振るえている。おそらくは、恐怖で。この状況下、そして目下、生死に直結するのは食料である。そして、食料の分量が分かったのであれば、今この船にいる人間が、あとどれほど生き残れるか、コルブラットは数字として理解できたに違いない。
ソレを告げるのが、どれほど勇気がいるか。
「貴君。余がどんな言葉でも、貴君を責める事はせん」
「陛下」
「申してみよ。余が許す」
コルブラットは、垂れた冷や汗を拭い、静かに息を整え、言った。
「食料は、主に穀類と干した肉類。それらは、この人数で、分け合うのなら――」
「……」
「2日分、あるか、どうかかと」
「――ッ」
数えただけでも200人以上。ソレを二日間賄えるだけの量は、膨大である。膨大ではあるが、あまりに少ない数字だった。
「他の船にも、小舟で行き来させています」
「――」
「三隻を合わせれば、かなりの量になるはずです」
「よく、申した。さがって、善いぞ」
「はい」
ひどく重い返事と共に、コルブラットはその場からいなくなる。カミノガエも、それ以上の報告を聞く気力がなくなった。
「(二日、たった、二日! )」
二日。それが、カミノガエ達がこれから先、どうするのかを考えられる時間だった。その時間を超えれば、人々は飢え始める。飢えた民が、船の中で何をするかわかったものではい。
「ジェネラル、星にとっては、コレが、最善策、なのだな」
《肯定します。陛下》
傍らで佇むジェネラルの言葉が、何処までも冷たく感じた。
「(戦って死ぬか、飢えて死ぬか、それとも)」
食料は少なく、助けも呼べない。加えて、避難民は、この事態を把握していない。もし、龍によってこの地が封鎖され、逃げ道もなく、外には猟犬がうろついていると知れれば、暴動になってもおかしくない。
「(そうなれば、余は、石でも投げられるかもしれんな)」
国の長が、この事態を招いたのだと糾弾しに来るのは時間の問題といえた。
◇
船の中は、わずかに灯った明りに群がるように、人々が暖を取っていた。疲れ果てて眠る者もいれば、腹が減って目だけが冴えている者。様子はそれぞれ。そして、怪我人、病人のうめき声が鳴りやむ事がない。コルブラットは食料については確認を取ったものの、医薬品までは手が回っていなかった。適切な治療を施す暇もなく、雑魚寝に近い形で、避難民は船の中で息をひそめている。
それは、ベイラーも例外では無かった。むしろ、広さのほとんどを塞ぐベイラーの大きさは、些細な動作も、人を潰してしまいかねない。いつもの何倍も、動くのに気を使っている。
「うわぁ……これで本当にベイラーの中に入れるのか? 」
「帝都にいるベイラーは、皆コレをつかっていたのです」
人間よりもおおきなベイラーは、寝転ぶ事などできず、直立、もしくは膝たちで、できる限り人間たちの居住空間を確保するように努めていた。ここで問題になるのはコウであり、中にいるカリンの容態であった。
「とにかく、眠っているのなら、外にだしてやらないと。マイヤ、頼めるか? 」
「やって、みせましょうとも」
「僕たちは毛布の用意だ」
オルレイトの号令で、マイヤが、その手にクラシルスの煮汁を付ける。非常に粘度の高く、濃い磯の香が鼻を突いた。元々はクラシルスという、海辺であればどこでも手に入るような海藻である。どんな理屈か、どうやってその法則を見つけたのかは定かではないが、この海藻を煮出した液体を、ベイラーに塗れば、通常では入りができないはずのコクピットを、出入り可能にする、特殊な液体だった。
「レイダ、マイヤをコクピットに」
「頼みます」
《仰せのままに》
レイダがマイヤを手にのせ、コウの傍へとよせる。コウは、肥大化した両肩のせいで寝転ぶ事もできず、かといって眠っている為に立つ事もできない。どうにか立膝させるのが精いっぱいだった。
マイヤが液体を手にとり、そのまま、吸い込まれるようにコウのコックピットへと入っていく。
「何度見ても不思議だ。どうなってるんだ? 」
「――キャァアア!? 」
マイヤが、コクピットの中へ顔を入れた直後だった。絹を裂くような悲鳴が上がる。静かな船内でその悲鳴は克明に聞こえる。そして、腰を抜かしてそのままレイダの手の上で座り込んでしまった
「マイヤ!? どうした!? 」
「こんな、こんな事って」
「姫様は無事なのか!? 」
「無事、アレが、無事な訳が、ああ! 」
マイヤは、両手で顔を覆い、何も答える事が出来ないでいる。事態を重くみたオルレイトが自分の手を煮汁に突っ込み、そのままマイヤがしたように、コクピットに入っていく。そして、眼前に広がる光景に、彼もまた悲鳴を上げそうになった。
「コレは!? 」
カリンの足元には、おびただしい量の血が貯まっていた。鼻をつく鮮血の匂いで思わずえずく。
「おい! カリン! クソどうなってるんだ!? 」
オルレイトが足を踏み入れると、栓を抜いた風呂桶のように、血が一斉に外へと流れでていく。突然の流血に、あたりがどよめく。その量の多さは、どう計算してもひとり分より多い。
「まさか、戦いで血が流れすぎて……」
マイヤが驚き倒れるのも無理はない光景だった。オルレイトも、その脳裏には、カリンの死しか頭には無い。人間がこんなに血を流して生きれるはずがない。
「……スゥ」
「ん? 」
「……スゥ……スゥ……」
だがその光景とは似ても似つかない、規則正しい寝息が耳に届く。
「ね、寝てる? 本当に、寝てるだけか? 」
「スゥ……」
「これは、一体」
寝息を聞いてカリンの安否を確認できた事で、多少心に余裕ができ、コックピットの内部を観察できるようになる。そして目を凝らしてみれば、カリンの体からは、どこからも血が流れていない。
「怪我の一つもない? ならコレは、戦いの最中に流れたって事なのか」
事態は把握できていないが、観察を続ける事で、コックピットの惨状を紐解いていく。たしかに服は血みどろだが、怪我している様子はない。服はボロボロだが、その柔肌には傷一つ無かった。そこまで見て、ようやく事態を理解し始める。
「(サイクル・リ・サイクルで治したのか。だからってコレは)」
コウの体が傷付けば、カリンも同じ場所に傷付く。その傷を、サイクル・リ・サイクルの力で癒していたのだとすれば、この惨状は説明ができる。
「だが、この血の量は異常だ。一体何をすれば――」
一歩、血の海となったコックピットに足を踏み入れた時。グニャリと弾力のある何かを踏んでしまう。最初、それは何かの、カリンが持ち込んだ、コックピットで過ごす上で使う、本か何かだと思った。オルレイトがそうしているように、カリンも何か、コックピットに持ち込んでいるのだろうと。特に何も考えず、ソレを拾い上げようと手を伸ばし、掴んだ。
指先から踏んづけた時と、同じような弾力と、想像よりもずっと重いナニカ。
「(なんだ? 僕は何を掴んだ? )」
そして、血の海の中から、ナニカを持ち上げた。ナニカは、それなにり大きく、弾力と重さを伴って――
「おい、これって」
足。ひざ下からの、足であった。自分も毎日見ている部位ではあるが、単体で見た事などなかった。鋭利は刃物切り裂かれたであろう切り口には、白い骨と、健と、肉がむき出しになっている。
コックピットの血の大部分が、どこから出ているのか。何がこのコックピットで起きたのか。オルレイトが悟り、そして防衛本能が働く。
「――」
胃の中身が逆流し、血の海の中へと消えていく。
「――なんだよ、なんだよこれ」
一刻も早く、カリンの外に出そうする。シートベルトを引きはがし、抱きかかえ、コックピットから抜け出す。抜け出したと同時に、
「お、オルレイト様」
「すぐに、カリンを横にならせるんだ……早く」
「は、はい」
腰を抜かしたマイヤに、有無も言わさずにカリンを託す。
「姫様は、大丈夫なのでしょうか」
「大丈夫だ。全部、コウが治してくれている」
「よ、よかった」
”何が良い物か”と、オルレイトが口を出す衝動に駆られる。ここで叫び、吠えたててしまいたいと。
「(……できるものか)」
だが。ソレは、砂漠での戦いで、コウが、カリンから離れた事を叱責した身として、あまりに無責任だった。
「だが、これはあまりにも」
コウの体から、カリンの血が流れ出ている。白い体に鮮血はとても目立つ。
「お前は、こうなる事も分かった上で、カリンと一緒に居たいと思ってくれたのか。カリンがどれだけ苦しい思いをするのか、わかった上で」
果たして、自分に、同じ事ができるかどうか。
「……後始末は、しなくっちゃな」
コックピットで粗相をしたのはオルレイトである。そして彼は、自分が汚したものは自分で掃除せよと教育を受けている。
「お前たち、すごいよ。本当にさ」
「オルレイト様? 」
「マイヤ、戻る時、何か拭くものを持ってきてくれないか? 」
「かしこまりました。お持ちします」
「頼むよ」
マイヤがカリンを寝かすべくその場から立ち去ると同時に、オルレイトもまたペタンと座り込む。手の感触と、匂いが忘れられない。
「しばらく残りそうだ」
「おう。ここにいたかのっぽ」
「――いい加減、名前で呼んでくれないか? 」
マイヤと入れ替わるように、サマナがやってくる。否、サマナはずっと遠巻きに見ていた。タイミングを見計らっていた。名前を呼ばないのも、わざとである。
「落ち着いてるじゃん」
「落ち着けたんだ」
「そりゃよかった」
「それより、食料はどうなったか聞いたのか?」
「あー、陛下は知ってる」
「……君、まさか勝手に陛下の心を読んだのか? 」
ジトっとした目でサマナを見る。サマナもその反応はすでに予想済みで、両手をあげて無実を訴える。シラヴァーズの力は、人の心を読める。オルレイトの非難も一理あるが、サマナはまだ完全に制御しきれていない。見る気もない人の心が勝手に透けて見える事が多々あった。
「あれだけ駄々洩れならのっぽでもわかる」
「そんなにか」
「まずは、第十二地区で食料の確保からだと思う」
「あの、猟犬がいる中でか? 」
「捜索して、壁も作って、ついでに龍に穴でもあけようか」
「あのなぁ」
「なら、のっぽはこんな所で死んでいい訳? 」
「ッツ!? 」
死。戦いの中で何度も意識したが。それは得てして自分のミスによってである。剣を防げず死ぬ。技を受けて死ぬ。すべて自分のせいである。
だが、今の状況は違う。龍のせいで、この場に閉じ込められている。恐ろしい猟犬がいるのは変わりないが、しかし、黙って死ぬ気にもならない。
「死にたく、ない」
「なら、やるしかないよ。一個づつね」
「君、説得したいのか、説教したいのか、どっちなんだ? 」
「両方」
「嘘だぁ」
「うん。嘘」
「おい! 」
「あ、元気でた? 」
「……まさか、僕を励ましてたのか? 」
「うん」
「あー、もしかしてそれも嘘か? 」
「嘘じゃないよ」
「……」
「あ、信じてない。そんなだからのっぽなんだよ」
「心読むの反則だろう!? 」
「はいはい。コウを綺麗にするんだろ? 手伝うよ」
「あ、ああ」
やがて、マイヤが掃除道具を持ってくる。すでに物資の困窮が予想されており、コウの体を拭く為の布は、二枚しか渡されなかった。
「(陛下は、すでに行動に移しているんだな……僕も、考えないとな)」
コウの体に入り、残った血を排水する。血の匂いがさらに強くなる。だがもう、えづく事は無かった。
「(避難船は三隻ある。人もそれぞれ乗ってるはずだ。人数を把握して、食料を分配して、足りない分は……やっぱり、第十二地区から持ってくる他無いか。問題は猟犬をどうするかだ……いや、どうすればいいんだ? そもそもアレ、勝ったりできるのか? )」
名案らしい名案は思い描く事はできない。だが不思議と、考えそのものは、止まる事は無かった。
「(コウが、カリンが、血にまみれて戦ったんだ。なら僕は、僕ができる事を……猟犬に対して、何か有効打が……そもそも、なんでやつらは海にでないだ?……海を恐れてるのか? それともなにか別の)」
猟犬がこの避難船を襲わないのは、海の近くにまで寄ってこない為であった。
「なら、試す価値はあるか」
「オルレイト君。ここにいたか」
コウを綺麗にしていると、オルレイトに声をかける者がいる。その顔は、ゲーニッツにとっては、とても親しい間柄だった
「ゲーニッツ様? 」
「ゲレーンから来た者たちを集めている。君も来てほしい」
「わ、わかりました。しかしどうしたのです? 」
「我が国の秘密を、明かそうと思う」
「秘密? 」
ゲーニッツ・ワイウインズ。カリンの父であり、ゲレーンの王。カリンとの仲は良好であったが、その彼が、神妙な面持ちで語り始める。
「龍がこの地を塞いだのは、見てわかる通りだ」
「はい。ですから、食料を」
「私と、グレート・ギフトであれば解決できる」
「……はい? 」
「(おいおいおい)」
オルレイトはきょとんとした顔で疑問符が止まらずにいるが、サマナは違った。心を否応なしに読んでしまえる彼女には、ゲーニッツの言葉がどこまでも真実である事はわかる。
だが、真実であったとしても、信じがたい事だった。
「まさか、そんな事できるのか? ゲレーンのグレート・ギフトって」
「―――さまざまな事を、これから君たちに話すんだ」
「さまざまな事、ねぇ」
「皆、グレート・ギフトの元へいこう」
「(なんで、そんな力があったのに今まで……)」
少々興奮美味なオルレイトをよそに、サマナは困惑していた。
「(あのカリンのお父さんが、人助けできる状況で人助けしないなんて、考えられない。いや、カリンの場合、考えるより先に体が動いて結果ボロボロになる事があるんだけど……それはさておき、なんで今なんだろう)」
疑問は、この瞬間、ゲレーン王が出てきた事にある。そして、その答えは、問いかけるまでもなく、ゲーニッツの心が答えていた。
「(ギフトの力は、もう枯れ始めているのだから)」
「(おいおい、それって)」
グレート・ギフト。その力は、穀物を生み出す力。同じグレートの異名をもつレターは、瞬間移動だった。それぞれ異質な力であるが、今、ギフトの力はまさに人にとって願ったり叶ったりの状況だった。
「(この後、力を使い果たすかもしれない……そうなった時、人々は、食料を、ギフトを、奪い合いをしないと、言えるだろうか)」
その力はあまりに強大ゆえ、今まで使う事をゲーニッツはためらっていた。
「(今が、その時なのかどうか、皆に語り、見極めねば)」
人々を守る為に、力を使うのか、それとも、別の方法を使うのか。
ゲーニッツは、考えあぐねていた。




