弔いの剣
「陛下! ロープをお持ちしました! 」
「佳い。ほめて遣わす。他の者はどうか! 」
「伝令は先ほど向かいました! 」
「食料の確保、怪我人らの撤収もまもなく終わります」
王城が崩れた淵で、カミノガエはテキパキと指示を飛ばし続けていた。商会同盟との戦争であったはずのこの戦いは、すでに戦争の体を成していない。地下には未だその全容を明かさない獣がおり、商会同盟の兵士たちも、指揮系統が混乱しているのか、散発的かつゲリラ的な戦闘を繰り返すばかりだった。一足はやく地上へと脱出したカミノガエは、怪我をしたレイダや、気を失ってしまったマイヤ達を運び出し、港へと大急ぎで向かわせている。この場には、鉄拳王直属の部下である8名ほどの近衛兵達と、カミノガエだけしかいない。
ふとカミノガエが空を見上げてつぶやく。
「敵のアーリィベイラーが見えぬな」
「アレは、どうやら空を飛ぶには専用の餌がいるようで」
「餌? 」
「油を食って飛ぶのだそうです」
「ベイラーが、油で? 」
まだ燃料という概念がさほど浸透していないため、餌という端的は表現となる。カミノガエの脳裏には、樹木であるベイラーと、可燃性の油との、相反する要素が結びつかず首を傾げた。近衛兵はその、普段から脱力し、気力を感じなかった皇帝の見せた、人間らしい仕草に気分を良くした。
「墜落しいたアーリィには、それはそれは大量の油が積まれておりました」
「なるほど。連中よく燃えるなとおもったが。油が入っていたのか」
得意げに語る近衛兵にウンウンと頷くカミノガエ。戦場でよく燃えているベイラー達に得心がいったものの、状況が変わる訳ではない。未だ足元では蠢く獣がおり、その獣が居る場所には、妻であるカリンと、その妻にとっての最愛の人であるベイラー、コウが戦っている。この際、夫として最愛の者になれないのは、カミノガエは考えないようにしていた。今は、自分の持つ権力や地位を最大限に生かし、彼らの戦いを、できる限り邪魔しないようする他なかった。
己に戦う力が無い以上、それ以外の力を使って共に居ることこそ、友であり夫である自分に課せられた使命であると、カミノガエは信じ、奮闘している
「(王城が崩壊した以上、もはや籠城もできんか)」
長きに渡り、帝都の中心として栄華を極めた王城が、無残にも崩れ去っている。謁見の間も、客室も、カミノガエがカリンの為に用意した別邸さえ、今はもう見る影もない。
「(結局、獣の調査は水泡に帰した)」
皇帝の血を引くカミノガエ。その一族が研究し続けた獣は、情報らしい情報を手に入れる事はできなかった。分かった事と言えば、マグマにも耐えうる強い生命力だけである。
「(獣の大きさは相当だ。立ち上がれば一体どうなるやら)」
カミノガエは、眼下でうごめく獣を目にしながら佇んでいると、思考を遮るように近衛兵が告げた
「陛下! これよりお妃様をお迎えに行ってまいります」
「うむ。大役である」
「身に余る光栄! 」
幾人かの近衛兵は、体にロープを巻き終え、いつでも地下空間へと飛び出せる状態になった。
「しかし、あの獣。一体何がしたいのか見当がつかぬ」
獣はどうやっても脅威である。マグマに焼かれても生きる生命力もさることながら、獣に侵された人間は、同じように不死身の生命力を得る。代わりに理性と呼べるものは消し飛び、肉という肉を喰らうべく動く亡者と化す。
「もし獣が解き放たれてしまえば、この国は、いや」
カミノガエには、最悪のシナリオが描かれつつある。全貌の見えない獣が地上にその姿を現したとき、地上は、この星はどうなってしまうのか。生き物という生き物は食い尽され、人間はその尊厳を保つ事などできなくなる。
「それは、この星の終焉だ。だがアレはどうにかできる相手なのか」
対抗策を打ちたくても、獣に対する知識が圧倒的に不足していた。そもそも長年どうやって生きているのかすら不明だった。獣はもはや、生き物と呼ぶのすら嫌悪感のある存在である。
「そもそも何故死なぬ」
「陛下! 」
「なんだ? ロープで引き揚げはどうした」
「何者かが、こちらに向かってきます」
「何者? カリン達か? 」
「違います! 人が、いや、人のような何かが、壁を歩いてきています! 」
「ん? 壁を歩いて? 登ってではなく? 」
何を言っているんだと、カミノガエは思わず近衛兵を睨んだ。近衛兵は怯えた顔をしながらも、自分の目でみたものを正直に話している。
「第一なんだ? 人のような何か? 」
「ほ、本当です! どうやってかわかりませんが、こちらに歩いているんです」
「嘘であったら、貴君の首は落ちるぞ」
「ハ! はい!」
「どれどれ」
近衛兵は上擦った声をあげながら、それでも訂正しなかった。しぶしぶカミノガエは壁から顔を覗かせ、兵士の言った人物を見るべく目を凝らした。
そこには、壁に垂直に立ち、足を突き刺しながら、一歩一歩、確かに歩いてくる者が、まっすぐこちらに向かってきている。体躯から男であると予想できるが、その顔はバケツのような仮面があり、表情は見えない。上半身は裸で、背中には長い爪のような物体が生えている。
化け物がやって来る。そうとしか形容できない光景だった。カミノガエの隣で近衛兵も顔を覗かせる。今度は二人そろって、しきりに首を傾げていた。
「な、なんだあやつ」
「わ、わかりませぬ」
「ひとまず貴君の首は落ちぬ」
「恐縮です」
心底、分からないという顔でカミノガエは答えた。人型には見えるが、ベイラーのように大きくはない。むしろ、背丈だけでいえば、一般的な帝都の人々と変わらない。背中から生えた爪だけが異様さに拍車をかけている。
「(どうみても、余やカリンの味方には見えぬな)」
カミノガエだけ穴から目を離し、後ろに控えた近衛兵達を呼ぶべく振り向いた。今ならば、武器で登ってくる相手を迎え撃つ事ができる。
「おい! 弓でも槍でも剣でも何かもって――」
「ご無礼! 」
カミノガエが言い終わるよりも先に、共に穴を覗き込んでいた近衛兵が、カミノガエを突き飛ばした。受け身など習っていないカミノガエは、地面に背中をしたたかに撃ちつける。
ケホケホとせき込み、背中をさすりながら立ち上がった。突然の無礼を働いてきた近衛兵に怒りのまま怒号をぶつける。
「貴君はやはり首を落とされたいようだな!? 」
「――」
「この無礼は貴君の働きでしっかり返してもらうぞ! 」
「――」
「聞いているのか!? 」
だが、どれだけ声を荒げても、近衛兵の返事は無かった。代わりに、むせかえるような匂いが鼻を突き、顔をしかめる。
「この、匂いは」
それは、鮮血の香り。赤い血が、地面を伝い、カミノガエの傍にも漂っている。
近衛兵の体は、一本の長い長い爪が突き刺さり、時折ビクビクと痙攣していた。
「――ご無事で」
「ま、待て、まさか貴君は」
長い爪は、近衛兵の胴体を貫ている。彼がもし、無礼を承知でカミノガエを突き飛ばさなければ、カミノガエ自身が、その爪に貫かれていた。
「お逃げ、ください、お早く」
ズルリと、長い爪が引き抜かれ、近衛兵は力なく倒れた。突然の光景に、カミノガエが冷静さを失いっていく。腰が抜けて、力も入らず、その場でへたり込んでしまった。
「何が、何が起きたのだ」
「陛下!? どうなされました! 」
「さっきまで、余と話しておったのに、なんで」
事態の異常さに気が付いた近衛兵達があつまり、カミノガエを引っ張り上げる。もはや無礼と断りを入れる暇すら惜しかった。
「敵だ! 敵がいる! 」
「あ、あああ」
「陛下、お怪我は」
「余は、なんともない。あの者が助けてくれた」
カミノガエには、指をさして、誰が自分を助けたのかを知らせるのが精いっぱいだった。
「あの者は、余を守ってくれたのだ」
「――『穿孔一閃』は、どうやら君たちには察知されやすいようだ」
そして、壁を登ってきた男が現れる。上半身に7本の爪を携えゆっくりと大地に立ったその男こそ、仮面貴君こと、セブン・ディザスター。
「まさか、人間に二回も予知されるとは思わなかった」
「ば、化け物ではないか」
セブンの容姿を、カミノガエは端的に表した。その言葉に、セブンは感心するでもなく、悲嘆するでもなく、ただ淡々と、つまらなさそうに答える。
「君たちは、理解できぬ物を見ると、すぐに化け物と呼ぶ。人間の悪い癖だ」
「まるで、貴君が人間では無いような口振りだ」
「お初にお目にかかる。カミノガエ陛下」
両腕の爪の形状が変化し、元の人の腕に戻っていく。背中の爪も収まり、上半身が裸である事以外は、なんら不自然のない男の姿がそこにある。セブンは大げさに身振りを付け加え、名乗った。
「我が名は、セブン。セブンディザスター」
「それは、初代剣聖の、そして」
剣聖の名。それはこの帝都の歴史に刻まれた名である。剣聖の地位と力は脈々と受け継がれてきた。もう何代も続いたその称号と力は、帝都の象徴でもある。
だが、皇帝にとっては、意味合いが変わる。
「星の裏切り者」
「――やはり、貴方は知っているのか」
「知っているとも。もう余と、剣爺しか知らぬ」
「あれから、随分『彼女』を調べていたようだが、さほど成果はなかったようだ」
「彼女? 」
カミノガエの中で、その三人称が、一体、何を指しているのか、最初は分からなかった。その様子を見たセブンは、肩をすくませた。
「やれやれ。そこからとは」
「まて、まさか、彼女とは」
「何百年も、一体何を調べていたのやら。いや、どこまでも探求を諦めない、君たちの努力には、敬意を表する」
そこまで言うと、セブンは爪にしていた両腕を元にもどし、ささやかな拍手を送りはじめた。パチパチパチと、音の欲出る、真剣で真摯な拍手の音。
たったひとりから出されるその音だけか、辺りに響いている。やがて、何回かの拍手を終えると、どこまでも平坦な声で告げた。
「だが、もう無意味に終わる」
「陛下、気奴は」
「初代剣聖セブン」
「初代、剣聖? ならば帝都の矛では」
「剣聖は矛だ。だが、初代だけは違う」
星の裏切り。それは、この星の生き物が、外から来た者の味方に付いたという意味である。
「初代を封じ込める為に、次の剣聖が生まれたのだ」
「ああ。忌々しい」
セブンは、平坦な声のまま、苛立ちの言葉を続ける。
「君たちは、私の存在を、『彼女』の存在を隠し続けた。名前の真意は隠され、称号はただの権威となった。殺せぬ物をどうすれば殺せるのか。そのひとつの答えとして、君たちは『忘却』を選んだ。それは実に、実に効果的だったとも」
セブンの言葉には、口惜しさがにじみ出ている。
「私は愛する者を失った悲しみと孤独を味わい続け、『彼女』は、星が生み出す業火にその身を焼かれ続けた」
「だから、殺すのか」
「――」
カミノガエは、震える体に鞭をうち、両足でしっかりと立ち上がった。圧倒的な力を前に、恐怖を押し込めて、セブンを睨み返す。
「この星の生きとし生けるもの全て食らい尽し、この星を、たったふたりが生きる愛の巣にでもする気か」
「なぜ君たちは、彼女を知ろうとしない」
カミノガエ達を前に拍手をしていたセブンの声色は、やはり平坦で感情を感じさせない。それでも、口調がわずかに崩れた。
「彼女もまた、共に生きたいだけだと言うのに」
それは、どこまでも悲しみに満ちた声だった。表情が見えない分、余計にセブンは悲しんでいるのだとわかる。泣き声とはいかずとも、悲鳴といわずとも、セブンは確かに今、悲しんでいた。
悲しみに暮れる相手には、手を差し伸べる事はできただろう。だが、目の前にいるのは、人の命をなんとも思わない初代剣聖であった。故に、カミノガエはその悲しみを無為にする。
「悲しいから、許せぬから、他の者を食い殺すのか」
「そうしなければ彼女の気が晴れぬ」
議論などできる相手ではなかった。すでに生存競争の問題である。
「陛下には死んでいただく。ブレイダーとつながりのある貴方は、邪魔だ」
そしてセブンは、悲しみの声を抑え込み、再び淡々とした声でカミノガエの殺害を宣言する。拍手をしていた手は、全てを切り裂く爪へと変化し、背中から生えた爪が怪しくうごめき始めた。
カミノガエは怯むことなく立ち続ける。セブンの使う、穿孔一閃の前には、予兆を察して躱すか防ぐかしない限り、素人では歯が立たない。立ち向かう方が愚かと言える。だが、カミノガエは逃げなかった。
立ち向かう姿勢を崩さないカミノガエに対し、セブンは心底分からないと言った口調で問う。
「命乞いをしないのはまだいい。なぜ逃げない? まさか、私に勝てると思っているのか? 」
「カリンを置いて逃げるなど」
カミノガエは、震える体を指でつねって、ひたすら真っ直ぐセブンを見据えた。そして、己の内に沸き立つ言葉を口にする。
「妻を置いて逃げるなど、できようはずもない」
「なるほど、心意気は認めよう。だが」
褒めているわけでも、貶しているわけでもない。ただ本当に、セブンはカミノガエのその姿勢に、わずかに感動を覚えていた。その上で,カミノガエへの処遇は揺るがない。
「無意味に死ぬがいい」
セブンが右腕を振り上げる。鋭い爪が大上段からカミノガエを襲いかからんとする。武芸の素人であるカミノガエにはよける事など到底できない速さと正確さ。脳天から真っ二つになるのは火を見るより明らかだった。それでも、カミノガエは目を逸らす事はなかった。逃げる事ができないのであれば、当然の事である。
だが、結果は違っていた。
何者かが、カミノガエとセブンの間に割り込み、大上段の一撃を防いだ。手甲で爪を逸らし、そのまま爪を地面へとめり込ませる。同時に、その爪を再び振り上げさせないように、がっしりと足蹴にする。鎧と爪がガチガチと音を立て続ける。
「な、なに? 」
「我ら、帝都近衛騎士! 」
それは、カミノガエと共に控えていた、7人の近衛騎士たちであった。一人が大上段の攻撃を受け、
のこる全員が、セブンの体に飛びつき、動きを封じ込めようとしている。
「陛下に手出しさせるものかぁ!! 」
「「「「うぉおおおお!! 」」」」」
がっしりと確かに掴みかかり、身動きを封じた。セブン1人に対し、6人がかりの拘束である。背中の爪と、右手、左手の爪は確かに拘束され、セブンの体は一瞬隙ができる。その隙を、近衛兵のひとりは目ざとく見つけ、追撃をかける。彼らが最も練習し、最も身についている攻撃方法。
「帝都近衛格闘術、正拳突き!! 」
爪の間合い。その内側へと確かに入り込み、無防備になった胴体へと確かに打ち込んだ。その拳は確かにセブンととらえ、ミシミシと体へとめり込んでいく。
「陛下! 今のうちにお逃げを! 」
「邪魔を」
正拳は確かに人体の急所である中央に突き刺さっている。並み人間であれば、鍛え上げられた拳を真正面から受けて無事であるはずもない。
「邪魔をしないで欲しいな」
セブンの目が怪しく光る。爪を一瞬だけ引っ込め、へばりついていた近衛兵達が引きはがされる。
そして、確かに命中していたはずの近衛兵の拳は、セブンの体に、手首から先を残し、近衛兵から離れている。
「うぉおおお!? 」
「君たちの行動は、無謀と言うのだ。」
抑え込んでいたはずの爪は、いつの間にかセブンの手から折れており、新たな爪が生え変わっている。自在に操るだけでなく、生え変わりもできるセブンにとって、爪そのものへの拘束は、全く意味がなかった。正拳突きを放った近衛兵は、手から鮮血を噴き上げ、倒れそうになる。完全なる実力差。人間としての能力がそもそも違っている。
だが、彼らの目は死んでいなかった。
「……聞こえたな? 皆」
「ああ、聞こえた」
「声だ」
「(声? )」
右手を切り落とされてなお、その手を布で雑に巻きとり、左手を構える。彼らの闘志はついえていない。彼らには聞こえた声の正体が分からず、カミノガエも聞き返してしまう。
「何が聞こえたというのだ」
「陛下、我らにお任せください」
「なんとかしてみせましょうぞ」
「シーザァー様だけが近衛兵じゃない」
「我らもまた鉄拳なり! 」
「ここが命の使いどころ! 」
全員がそれぞれ構える。武器は、持っていない。
「素手で私の爪がどうにかなるものか」
血が滴ってなお、兵は誰一人怯えていない。
「――見せてやるさ。人間の底力を」
「今更何をみせようというのか! 」
そしてセブンは無慈悲に、7人に向かって爪を薙ぎ払った。上からの一撃では防がれると見越しての攻撃だった。そして、7人が7人、同時に、同じ技を繰り出す。それは、帝都近衛格闘術の中でも最も難度の高い技。
「「「「「「『月流し!! 』」」」」」」
「(今更防御の構えなど! )」
薙ぎ払った爪は、側面から円運動を行う月流しの防御の構えにより、近衛兵の頭上を滑るように通り過ぎる。しかし、セブンは間合いの内側に入るより前に、爪を捨て、新たな爪で再び近衛兵達を襲う。
「(これで終わりだ)」
『月流し』は、攻防一体。月のような円形を両腕で交差するように描くことで、防御後に即座に攻撃に転じる事ができる。しかし、素手の場合は、間合いに入り込む踏み込みが必須となる。
「(これで私に勝とうなど――)」
「うぉおおおおおお!! 」
彼らは、喉がはちきれんほどに叫び声をあげて、セブンの攻撃を再び逸らした。彼らは最初から攻撃する気などなかったのである。セブンは彼らの行動の意図が分からず、しかし攻撃の手を緩めれば、それこそ近衛兵達の攻撃を受けてしまう。爪による斬撃は続行せざる終えなかった。
「(なんだ? 一体何が狙いだ? )」
3本、4本、パラパラと生え変わった爪が周りに積もる。近衛兵の腕は、切れ味の鋭い爪を、一度防ぐたびにささくれ立ち、肉は削がれ、骨が見え始める。それでも彼らは、『月流し』で攻撃を防ぎ続けた。一太刀受けるたびに、7人の近衛兵達の足元には血が垂れ流しになる。
「(なんだ? なぜこんな事をしている? 無謀なだけだ。彼らは、このまま両腕が削り取れるまで続ける気か? 一体、なんのために? )」
近衛兵達の顔は、自分の返り血で真っ赤にそまり始めている。それでも誰一人、『月流し』を止める者はおらず、ひたすら耐え続けている。攻撃に転じていない。
「(死ぬために戦っているようにしか見えぬ! なんだ!? )」
セブンがひたすら混乱している。そのために、周囲の状況にまで目を向ける事が出来なかった。間合いの外で近衛兵達を観察していたカミノガエだけが、周りに何が起きているのかを把握できた。
「これは……灰か? 」
さらさらと細かな灰。砂粒よりも細かい粒子が、『月流し』で血を流す近衛兵達に回りにふわりを舞い散っている。その灰は、まるで意思をもつかのように逆巻いて、彼らの周りをぐるぐると回り続けてた。
「灰が、近衛兵達の元に」
「いい加減に、しないか! 」
「「「「ハッハッハッハ! 」」」」
朗らかに笑う彼らの両腕は、すでに手がなくなり、骨の先端が削れて尖り始めている。滴り落ちる血の量は、どう見ても致死量だった。やがて、ひとり、またひとりと、力尽き、セブンの爪に真っ二つに両断される。両断される直前まで、彼らの笑顔は綻ばなかった。
「(なぜだ? なぜ死ぬ人間が、こんな笑い方を)」
「あとは、お頼み申します」
最後の一人が、無残に切り裂かれる。7人分の血肉があふれ、その惨状は見る者の神経を毒すような有様だった。
「何が底力だ。無駄死にもいいところじゃないか」
「――サイクルだ」
「何? 」
セブンは、自分の背筋が凍るような思いで足元を見た。確かに彼らの体は、己の爪で切り裂き無残な死体となっている。だが、彼らが、命がけで続けた『月流し』の手の動きにより、今まで流れ出た血と、セブンの爪とが、規則正しく円形を形作っている。
それはまさしく、ベイラーの関節と同じ、サイクルの形。
そのサイクルに、灰がはらりと落ちる。その瞬間。灰から緑の炎が、最初は小さく、やがて火は炎となって猛々しく燃え広がる。
「この炎は、まさか白いベイラーの物!? そうか! これで兵士が再生する訳か! なるほど! 甦るのが分かっていたから、彼らは笑っていたのか! 」
緑の炎は、コウがもつサイクル・リ・サイクルの炎と同じ。その炎ならば、確かに超常の再生能力を得る事ができる。
「恐ろしい力を得たものだ。コウというベイラーは」
「――違うぞ。セブンとやら」
カミノガエは、セブンの言葉を真っ向から否定した。リ・サイクルの力は万能ではない。
「これから甦るのは、近衛兵達ではない」
「なぜ、そんな事が分かる? 」
「声が聞こえたのだ」
「声? 」
「『そなたらの肉を借り受けたい』と」
「借り受ける? 」
カミノガエの言葉は、セブンにとって兵士達が死に向けた時よりも、もっと不気味であった。一体、声とは何の事なのか。借り受けるとは。
その答えを聞くよりも前に、足元の炎がさらに燃え広がる。
「なんだ? 兵士の、体が」
バラバラになった兵士達の腕や足、胴体を、まるで繋ぎ合わせるように。あふれ出た血が、丁寧により集まっていく。すべては、ベイラーがサイクルと同じように。何かを生み出すときのように。肉の塊でしかなかったソレは、やがて人の形となる。
形作られていくのは、身長2mほどの大男。体の線は細く長い。骨と皮しかないような体。その両手の片方には長い杖と、片方に剣が握られている。
「カリンが言っていた。サイクル・リ・サイクルは、命を後押しする力だと。灰となってまで余を守るべく、足りない分を、近衛兵たちより集めたのだ。そして近衛兵達は、ソレに答えるべく、サイクルの再現である『月流し』を行い続けた」
「だが、これではただの肉の塊」
「――出ろぉお」
老人の形をした何かの、しわがれた唇が、わずかに震える。そして、形作られた手を、空へと掲げ、その指を高らかに鳴らす。
「ブレイダーァアアアア! 」
「その名を、呼べるのは、甦ったのは、まさか」
老人の声が響いた一呼吸後。
爆音と共に空が割れる。現れたるは、背中に剣を背負ったベイラー。
「我が名は、ローディザイア」
ブレイダーを背に、肉塊が形を取り戻す。兵士達の肉を依り代に再現された体。
「剣聖、ローディザイア・ガーランドである。」
そこに居たのは、サイクル・リ・サイクルの炎を受け、近衛兵達の意思で蘇った剣聖であった。




