ポランドの老婆心
時はわずかに遡る。
◇
「黒いベイラーと、白いベイラーねぇ」
崖から降ろされ、ブレイクに背を預け佇む、声だけは少女のソレをした女。空中では、黒いベベイラー、アイと、白いベイラーの決闘を、どちらに加勢するでもなく、ただ眺めていた。そして、もう一方の地表に現れる、『獣』の片鱗。
「これが、お前さんの望みかい」
その眼下に広がる、おぞましき姿を前に、喜ぶでもなく、恐怖するでもなく、ポランド・バルバロッサは、ただ茫然と感慨にふけっている。 仮面卿がその名を明かし、己の血を『獣』に与え、その『獣』から、巨大な腕が現れようと、ポランドは不思議と心がかき乱される事はなかった。
「あたくしは、別にお前さんがどんな奴かなんて興味は無かったんだ」
仮面卿こと、セブン・ディザスターに、全面的に協力するというのは、世界をめちゃくちゃになるような、根底から覆るような事が起きるのだと、漠然とした想像図だけは頭に描いていた。それでも彼女が、実験によって己の体が変異してまでも仮面卿に協力していたのは、他でもない。
「それなりに、楽しかったし」
剣聖のベイラーを元にした、人間が自在に乗り降りできる、全く新しい人工ベイラー開発。そしてそれに類する、あらゆる分野における発明が、彼女は愉しくて仕方なかった。
彼女は発明家であり、しかしその成果は振るわなかった。彼女が思いつく様々な発明は、彼女の理論がいくら正しくとも、実現できるだけの資材と技術力が足らなかった。通常よりも長射程な、バネ仕掛けの弓、頑強な全身鎧。特に、飛行機械と名付けられた機械じかけの空飛ぶ乗り物は、実験中、多くの死傷者を出した。犠牲が出ても、飛行機械は結局空を飛ぶ事はできなかった。
そしれ、彼女は女であり、女の発明品を認めるほど、社会はまだ成熟していなかった。彼女が生み出すもの全てが、人に認められず、人に忘れ去られる。虚しいだけの人生だと思っていた彼女であるが、家はそうではなかった。
彼女の家は帝都でも有数の資産を持つ大貴族であり。彼女、および彼女のもつ資産を求めるように、一応の表面上は取り繕った結婚の申し出が数多くあったのだ。最終的には、軍で優秀な指揮官を輩出している、名門バルバロッサ家の長男に嫁いだ。どこからどうみても政略結婚の一種であり、この婚姻により、バルバロッサ家の財産は、元の三倍にまで膨れ上がる。
だが、政略結婚ではあったものの、2人の関係性は意外にも良好に進み、やがて夫婦として愛し合い、順当に子供も生まれた。アレックス・バルバロッサと名付けらたその少年はすくすくと成長し、やがて一兵士として、帝都の軍に入隊する。
愛する夫と子供に恵まれ、彼女は幸せといってよかった。
その二人が帰らぬ人となるまでは。
国家間の大規模な戦闘ではなく、今なおつづく、散発的に発生する、ゲリラ的な戦闘。帝都ナガラの長年の頭痛の種であるものの、貧しい土壌故に、物資を生産できない国家では、周りの国から搾りとらねば、そもそも存続できない。場当たり的な対処しか対応できなかった。
その、もはや数えきれないほどおきているゲリラ戦の中で、2人は帰らぬ人となる。
報せを受けたポランドは、部屋に引きこもった。悲しみと虚しさが全身を包んだが、それ以上に、これから先、何をして過ごせばいいのか、分からなくなった。茫然とした日々を過ごしている中で、仮面を付けた奇妙な男に出会う。その男こそ、セブンであった。
セブンは、ポランドがかつて残した発明の残滓を追って、彼女にたどり着いていた。そして、己の目的を果たすべく、その手段として、彼女の頭脳を求めた。
「君に作ってほしい物がある」
「作る? 何を? 」
「君が造ってみたい全ての物を」
「そんな物はないよ」
「コレはどうかね? 」
仮面卿の手には、あの「飛行機械」の設計図があった。
「それは失敗作で――」
「私は、この機械と同じ物を知っている」
「知ってる? 」
「ああ。この世界で、空を飛びたいと思っても、実際に空を飛ぼうとした者は少ない。君は、その数少ない挑戦者だ」
「まさか、人は、本当に空を飛べるのかい? 」
「飛べる」
「――なら、作りたいものがある」
ポランドの脳は、もはや愛する者を失った悲しみは吹き飛んでいた。愛する物を無くし、彼女に失う物は何も無った。人として最低限の倫理観も、同時に失った。彼女に、止まる理由がなくなった。
そして始まる実験の日々。おびただしい数の人を攫い、ベイラーを攫い、実験を繰り返した。玩具が壊れるまで遊ぶ子供のように、無邪気に、無慈悲に、何度でも。玩具が壊れれば、仮面卿が再度補充する。ある日突然己の体が縮もうとも、構う事は無かった。盗賊団であるパーム・アドモントを加入させ、素材の収集は潤沢となっていく。そしてついに、アーリィ・ベイラーをはじめとするさまざまな人工ベイラーを、彼女は発明してみせた。
失って初めて、彼女は、発明家として花開いたのである。
「作りたいものは作った。でもまぁ」
背中を預ける、息子と同じ名を付けたベイラー。彼には飛行能力は無い。あれほど渇望した空であったが、実際に飛んだあと、彼女は、彼女の肉体に呆れかえった。
「人は空をとぶには脆すぎるなぁ」
彼女の結論として、空は人にとってはまだ隣人ではなく、恐怖の対象のままだった。
「キャリアードは仮面卿に言われてどうしてもっていうから作ったけど、アレ、どうする気なんだろうねぇ。アレだけでかいベイラー、母艦以外の使い道がありそうなもんだけど」
それでも、自分が造った物には愛着があり、作れるのであればつくってしまおうというのが、彼女のスタンスである。出来上がったキャリアードは、帝都攻略戦において十二分に成果を上げていた。だが、仮面卿が望む戦果ではないのは、地下の獣の存在から明らかである。
「確かめようにも、ブレイクがこれじゃねぇ」
サイクル・ジェットで跳躍できるとはいえ、ブレイクはガス欠でジェットを使えない。ふつうに走って会いにいくには無理があった。
「助けを呼ぼうにも、一体誰を」
「あー! おばさまいた! 」
「……そういえば、あんたがいたっけねぇ」
心の底から、予想外の救援者に驚いている。紫色の肌をした人工ベイラーの一種。ザンアーリィ・ベイラー。コックピットの中にいるのは、ケーシィ・アドモントである。
「おばさま! 旦那様みなかった!? 」
「今、あそこで戦ってるよ」
「わかった! じゃぁいって――」
一瞬の閃光が奔った。遠く離れても聞こえる、白いベイラーと、その乗り手の声。大太刀の一撃で、何もかもを切り裂かんとする気合であり、その一刀のもと、黒いベイラーの胸元は切り裂かれた。驚くべき事に、その大太刀を抜いたのは、人間である乗り手自身であり、刀剣の大きさと体の大きさとが合わないちぐはぐさが、パームとアイの決定的な敗北をより際立たせていた。
すさまじい威力を受けたにも関わらず、アイの体は両断されなかった。しかし、衝撃は逃す事はできず、そのまま大太刀を振りぬかれ、無様に落下していく。その落下の中で、ポランドの目には、確かにコックピットから血が噴き出しているのを目にしてしまった。
「(どうみても致命傷だねぇ……パームの悪運ももここまでか)」
もやは憐憫も感じない。パームはまごう事なき悪人であり、裁かれてしかるべき人間である。裁かれるべきはポランドも同じであり、そのうち己も断罪されると思っていた。
「(死んだなかありゃ)」
「え、旦那、さま」
ポランドがどこまでも冷めていると、隣のケーシィは、その場で取り乱した。操縦がうまくいかず、ザンアーリィがふらふらとしはじめる。
「旦那さま、え、負けて、なんで」
「……」
「だって、旦那様が負ける訳が」
「……」
「べらぼうに強いのに、アイちゃんも、まだベイラー同士で一回も勝ったことないのに」
「……」
「今、コックピットに、血が、それって、つまり、えっと」
「……」
「大丈夫ですよね? あのくらい、アイちゃんもいるし、きっと」
ポランドは沈黙しか返す事ができなかった。ケーシィは、その沈黙を肯定ととらえる。ケーシィはポランドに否定したほしかった。だが、敗北も、そして致命傷も誰がみても明らかだった。
ケーシィは取り乱し様をみて、ようやくポランドが口を開いた。
「いっておやり」
「で、でも行っても何もできない」
ケーシィには怪我人を治せるだけの知識も術もない。致命傷を負ったパームを前にできる事は無かった。だが、それでもポランドは言葉を続けた。
「でも、行かなかったら、きっと後悔するよ」
「――うん、うん! 」
その一言だけで、とりみだしていたケーシィが活力を取り戻した。操縦桿を握り直し、ザンアーリィの姿勢を戻す。
「おばさま! いってくるね! 」
「ああ。いっておいで」
サイクル・ジェットを高鳴らせ、落ちゆくパームの元へと飛んでいく。一筋の淡い光が掻き消えた頃。パームと共にケーシィの姿は見えなくなった。再び一人となったケーシィは、静けさと共に眼下に広がる『獣』を見やっている。下では初代剣聖と黒騎士とか戦いはじめている。
「(戦略として考えるなら、仮面卿に援軍を送った方がいいんだろうけど)」
セブンの力は圧倒的とはいえ、多勢に無勢。ベイラーもいる。ケーシィが増援として加勢すれば、空を飛べる優位性を生かし、セブンの剣戟に巻き込まれる事なく援護できる。
だが、それよりも、ケーシィにはパームの元に行かせてやりたい、老婆心が働いた。
「あーやだやだ。老人みたいな事をしちゃったよ」
実際彼女は老人であるのだから、何も間違っていない。しかし精神は肉体に引きずられるのか、カカカと失笑する姿はどこかあどけなかった。
◇
時は再び戦場へと戻る。
「なんとか高度を稼げない!? 」
《重い、がなんとかしてみる! 》
サイクル・ボートにはミーン、ジョウ、アレックス、リク、そしてセスの5人のベイラーが乗り込んでいる。全員が乗った状態で重量があり、高度を上げるのに四苦八苦している。
「ぼさっとしてるとセブンが来る」
「ねぇサマナちゃん」
「あの人上いっちゃうよ? 」
「何ぃ!? 」
リオ達が指さすその先に、セブンはいる。彼はいま、崖を駆け上がるようにして上へ上へと昇っている。その上がり方が、また異常だった。
「(うわぁ。足を壁にめり込ませてるよ。足折れないのかアレ)」
踏み込みで壁に穴をあけ、そのまま駆け上がっていく。同じ方法をベイラーでやれば、足の方が先にダメになる走法だった。一歩ずつ散歩するかのようなスピードで、壁を登っていく。こちらに向かってくる様子はなかった。
「(でも、なんで上に)」
「あ! 」
「誰か居る! 」
「誰か? 」
サマナが目を凝らすと、この地下空間の上、吹き抜けになったこの場所の淵から、こちらに向かってロープを下ろそうとしている集団が目に入る。
サマナは双子の視力に驚きながらも、その集団の心の声を聞き取った。
「(急げ! )」
「(あの白いのは黒いのに勝ったんだ! でも落ちた! )」
「(俺たちが助けないと! )」
それは、先ほど、レイダ達を引き上げてれた、シーザァーの部下たちであった。
「(近衛兵達だ! 俺たちを助けてくれようとしてる)」
「マズイ! あのままだと剣聖と鉢合わせる! 」
「(まて、近衛兵が近くにいるということは)」
全身が毒による麻痺で動けなくても、目を動かして状況を理解したオルレイトは、思わず心の中で叫んだ。
「(急げサマナ! )」
「心で喚くな! 結構しんどいんだぞ! 」
「(忘れたのか! 上にはカミノガエ陛下がいるんだぞ! )」
「――まさか、剣聖の狙いって」
時折セブンが垣間見せた、帝都に対する憎悪。国を、人を、この星を憎んでいると嘯く彼が、この国の頂点に君臨するカミノガエを狙わない理由が思い描けない。
「(シーザァー殿には悪いが、近衛兵達でどうにかできる相手じゃない! )」
「間に合わせたいけど、セス! 」
《風でもあれば違うのだが、こうも風がないと》
セスの移動は、あくまで波に乗る方法である。それが自身の生み出すサイクル・ウェーブにしろ、自然発生する風にしろ、彼以外の力を利用する必要があった。今、この崩落し、『獣』が立ち上がろうとしている場所には、風も吹いていない。
「(せめて、上に吹き上がる風があれば)」
サマナも必死に流れを読み解こうとしているが、辺りを見回しても、とてもベイラーを乗せたこの船を持ち上げるだけの風は見えなかった。心を、潮を、風を読むサマナの目には、この状況を打破できる力が見えていない。
「ねぇねぇサマナちゃん」
「なんか下から来ない? 」
「下? 一体なにが」
リオとクオが、サイクル・ボートの淵を覗き込みながらつぶやいた。サマナの、双子の言葉が気になり、同じように下を眺める。
次の瞬間、ボードを押しのけるように、強い力が下から突き上げるように吹き抜けた。ガコンと船体が大きく揺れながらも、サイクルボートが徐々に高度を上げていく。
「な、なんだ? 何も見えないぞ」
「粒つぶ! 」
「まっしろ! 」
「粒? 白い? セス、掴める? 」
《やってはみるが》
突然訪れた力に戸惑いながら、セスが手をかざす。ボートを上へと押し上げていたのは、双子のいうように、一粒一粒がとても細かく、砂漠の砂のようにみえた。
《砂、か? 》
「瓦礫から出た砂が、上に押し上げてくれてる? でもそんなことって」
「(いや、コレ、砂じゃないぞ)」
オルレイトだけが、その違和感に気が付く。砂の色が、この帝都で使われている石畳の色とまったく異なっていた。もし瓦礫から出た砂であれば、石畳と同じどんよりとした灰色をしている。だが、サマナ達を押し上げている砂は、白く美しかった。その砂に、オルレイトは心当たりがある。
「(コレ、灰だ)」
「灰? 灰が、私達を手助けしてくれてるってのか」
「(でも一体どうやって)」
小さな灰が、まるで群生している魚のように寄り集まり、一体となってサマナ達を押し上げてくれていた。灰はまるで意思を持っているかのような動きだった。
「こ、このまま登り切れるかな」
《いや、そう簡単にはいかないようだ》
淡い期待はすぐに打ち砕かれる。白い灰は確かに意思をもっているかのように動いているが、その灰は、サマナ達をサポートしているというより、進行方向に、たまたまサマナ達が居たというのが正しかった。ある程度の高度まで達すると、灰はボートを通りぬけてしまい、上昇する力が失われていく。
「さっきのは、一体なんだったんだ」
《サマナ、問答は後だ。灰のおかげで高度が稼げた》
「なら、さっきよりうんと速く上にいける! 」
《そういう事だ》
突然のサポートにより、サマナ達が浮上する時間はぐっと短縮された。それでも、初代剣聖が上に登りきる方が速い。
「(でも、なんで灰が動物みたく動いたんだ? アレは、一体)」
カミノガエの安否もさることながら、初代剣聖と同じように上昇していった白い灰。下から吹き上がってきたのが灰だと、オルレイトが確信できたのは、この戦いで、ついさっき灰を見た為であった。
「(あの灰、陛下の周りに漂っていた灰とそっくりだった。何か関係あるのか? )」
体の痺れがいまだ解けないまま、彼らは必至に上昇しつづけていった。




