人とセブンと
初代剣聖と対峙した黒騎士達。バケツ状の兜はそのままに、両手に二本、背中五本、計七本の爪を持つセブン・ディザスターの体は変容していた。肘から下をそのまま爪に変えたような形。背中も同様の爪が生えており、セブンの体は、単純に七本の腕が生えているような状態だった。
およそ人体にはあり得ぬ姿。特に背中から生えた爪がどれほどの範囲で攻撃してくるのか未知数であり、接近戦は分が悪いのは目に見えている。
「一度、撤退するか」
「は? 」
黒騎士は真っ先に撤退を選んだ。勝利する手段が思いつかない以上、逃げる選択肢が浮かぶ。決して彼に立ち向かう勇気が無い訳ではない。彼が腰抜けで勇気が無いのであれば、セブンとの闘い、初手でセブンの隠し技を見抜き、一撃をお見舞いする事はできなかった。撤退の判断は、全く別の理由である。
「僕らの足元が気になる」
「この『獣』の事か? 」
「アレから動きがない。這い出てくるにしたって、全く動かないなんて変だ」
気にしているのは、勝敗よりも、自分達が今、なし崩し的に足場にしている『獣』についてだった。片腕が現れてから、たしかに『獣』は身動きひとつ取っていない。
「動かないのか。それとも、動けないのか」
「――ふむ」
「「「ッ!? 」」」
ほかでもないセブンが返事したことで、一同の緊張感が一気に引き上がる。しかし、セブン本人の口調は居たって平坦で、聞く者にどこか心地よさすら与える。
「全員でかかってこないのだな」
「そんな事したら、その爪で八つ裂きにしてくるだろ」
「当然だな、この姿を見せた以上、君たちを生かして返す理由がない。だが、『彼女』が現れるまでの、余興としては、これほど面白いものはない」
あっけからんと答えるセブンの言葉。多勢に無勢の状態になってい上で彼は余裕を見せている。
「嘘、だな」
「――」
しかし、それはあくまで表面上の話。心を見透かすサマナは、セブンの真意を推し量る。
「お前は、この場に私たちを釘付けにしたいんだ」
「――」
「この『獣』が地上に現れるっているのは、あんたにとっては嬉しい事だろうが、私たちにとっては、恐ろしい事が起きるんだろ? 」
「――」
「ただ、まだ時間がかかる。あたしたちが、この『獣』に直接攻撃を仕掛けられるより前に戦う事で、注意を自分に向けている。逃げられて面倒なのは、逃げた後、武器でも持ってきて獣を攻撃してくるかもしれないと考えているからだ。そうだろう? 初代剣聖様」
「――その口ぶり。その心を見透かしたやり口、思い出したぞ」
平坦だったセブンの口調が、わずかに荒れ始める。
「サーラの生産工場で、私ごと島を飲み込んだ、あのシラヴァーズと同じ。君もまた、シラヴァーズの呪いを受けた者か」
「ッハ! ようやく気が付いたか。おばあちゃんが世話になったね」
「おばあちゃん。なるほど」
凪いでいた水面に、一滴の水滴が落ちたような、わずかな、だが確実な変化だった。
「あの時、パーム君がいなければ脱出もできなかった。彼がいなければ、私はあの時点で全ての計画が無に帰す所だったのだ」
「へぇ、そいつは結構な事で」
「そうでなくても、脱出してからというもの、龍の妨害でアイ君とパーム君の捜索に予想外の時間が掛かった。計画は大幅に変更せざる終えなかった」
「どんな計画だったか知らないし、知りたくもないけど、人を殺す事を平気でやるような計画なんか成功する訳ないんだ」
「ああ。計画は何度も何度も頓挫しかけた」
平坦な声が、わざとらしさすら感じるほど揺れた。
「だが私はあきらめなかった。何度くじけても立ち上がった。『彼女』の為ならば、この身を捧げると決めたのだから! 」
七本の爪が、わなわなと動いた。多関節の昆虫が動き出すのに似て、その姿は不気味を通り越し、不快感すら煽ってくる。
「来るぞ!! 」
「黒騎士殿! ここはお任せを! 」
最前に躍り出たのは、鉄拳王シーザァーのアレックス。両腕を鉄で固めたその拳を構え、愚直に前へと間合いを詰める。
「(如何に強靭な刃物であろうとも、動きは見える! )」
シーザァーには自身があった。シーザァーが放った正拳突きは、さきほど確かにセブンの爪を叩き折り、黒騎士の窮地を救っている。
「何より、奴は生身! ベイラーの一撃に耐えうるはずもない! 」
「――」
「受けよ! 帝都近衛格闘術」
拳を腰に貯め、一歩を踏み込む。すでに爪の間合いよりは内側。この状態では、切り払うのも、避けるのも不可能。。
「正拳突き!! 」
そして、鉄拳は正確にセブンへと突き出された。
「や、やったか? 」
「いや、アレは」
シーザァーが懐に飛び込んでからセブンへ攻撃するまでは一瞬であった。黒騎士も、他の皆も、誰もがその攻撃が避けられるなど思っていない。拳が振るわれる直前まで、セブンは動いてすらいなかった。
「――拳打をここまで練り上げたのは賞賛に値する」
実際、彼は避けなかった。右手の爪で正確に、拳の中心に突き立て防いでいる。生身からしてみれば、巨大であるはずのベイラーの拳を、真正面から受けて立っている。
黒騎士が驚いたのは、防御できた事だけでなく、その爪を振るうセブンの技量である。
「(剣先の一点だけで、あの正拳突きを止めたのか!? )」
シーザァーは武人としても一流。その正拳突きはアイにさえ通用する。セブンがもし、爪の腹で受けていたらば、シーザァーはその爪ごと粉砕し、セブンを打ち砕いていた。
セブンは、正拳突きに拮抗できるほどの力を、正確に拳の中心に打ち立てなければ、正面から防ぐ事などできはしない。
「だが、私を剣の間合いで考えないでいただく」
「離れろシーザァー殿! 」
「ッツ! 帝都近衛格闘術ッツ」
次の瞬間、拳を止めていない、残り六本の爪がシーザァーを襲った。四方から迫る爪は、拳を止めた正確さで真っ直ぐシーザァーが納まるコックピットへと向かってきている。剣は、その根元は勢いが乗らず、間合いの内側であれば、本来の威力を失ってしまう。だが、セブンの爪は、切っ先から根本に至るまで同じ切れ味であり、さらには、一節の、人間の肘に該当する関節により、剣先を自在に動かす事が出来る。
それはすなわち、間合いであれば、たとえ本来対応できない懐であろうと、自由に切り刻む事ができるのである。
シーザァーは、頭でこの事を理解するより先に、本能で咄嗟に防御の構えとった。
「『月流し』ッツ! 」
六本の爪の側面を叩くように、両腕で弧を描く。両手でちょうど月を描くその技は、近衛格闘術の中でも、最高の守りの構えである。シーザァーから見て右手側にあった爪は頭の上へ、左手側にあった爪は足元へと、それぞれ叩き弾かれる。
「(セブンの爪を防いだ!? それにあの技は! )」
月流し。両腕で弧を描き、敵の攻撃を弾く物であり、防御の構えでありながら、すぐに攻撃へと転じる事ができる。下へ叩き弾いた左手を、よどみない動作で腰へと据え戻す事で、構えは再び攻撃へと変わる。
「接続ッツ、正拳突き! 」
今度は、左手の正拳突きがセブンへと向かった。今度の狙いは、セブンの体でなく、さきほど防がれた、七本目の爪そのもの。
「何」
「(一本でも多くこの場で壊す! )」
体を狙えば、先ほどのように、一点で拮抗され防がれてしまう。だが、爪その物を狙えば、防ぎようがない。
「撃! 」
「――」
裂帛の気合と共に、セブンの爪めがけ正拳突きが炸裂する。鉄拳をモロの受けたセブンの爪は、甲高い音を立てながら、パリンと砕け散る。
それは、爪というより、ガラスを壊したときの音によく似ていた。
「まずは一本」
「(もしかして、勝てるかもしれない)」
黒騎士の認識が少しずつ変わっていく。
「(シーザァー殿の帝都近衛格闘術は、その拳を、如何に剣戟相手に叩き込むのかを研究してきた。あの爪の威力は確かにすごいが、それでも、対応できないほどじゃない)」
砕け散った爪を、セブンは茫然と眺めて、誰に聞かせるでもなくつぶやいた。
「賞賛に値する」
「ん? 」
「すばらしい。この姿を見せてなお、恐れず私に挑み、あまつさえ七本のうち一本を手折るとは、いやはや、いやはや」
セブンは、爪と折れた爪とを打ち鳴らす。それが拍手の真似事であると気が付くのに、黒騎士達は時間が必要だった。
「サマナ、コレもあいつの作戦なのか? 」
「時間稼ぎしたいのは、変わってない。変わってないんだけど」
黒騎士は思わずサマナの力を頼る。彼の突飛な行動に、なにか戦略的な理由があると踏んでの事だった。
「ありゃ本心だ。本心で、シーザァーの事をほめてる」
「は、はぁ? 」
嘘偽りなく、セブンはシーザァーを、ひいては黒騎士達をセブンはたたえていた。
「(な、なんだコイツ)」
不気味。それ以上の言葉が見当たらなかった。憎しみで戦っていたかとおもえば、突然こちらを称え始める。黒騎士にはセブンの思考回路が全く理解できない。
「(なんで殺し合いしている相手に拍手を送るんだコイツ? )」
「(理解できないかぁ)」
サマナは、黒騎士の心もきっちり見る事ができる。黒騎士が今感じている不気味さも把握している。把握した上で、サマナは続けた・
「黒騎士。理解なんてしなくっていいぞ」
「しなくていい? 」
「あいつは、たしかに褒めてる。本心だ。でもそれは、例えるなら、自分の飼っている動物が、芸を覚えたのを褒めてるのと、なんら変わりないんだ」
「? 」
「あいつは、人間を徹底的に下に見ているって事だよ」
純然たる意識の差。自分以外の人間を下に見る行為を、セブンは当然のごとく行っていただけに過ぎない。
「あー、そっか」
それを聞いて、理解不能に陥っていた黒騎士を後目に、不思議と腑に落ちていたのは、かつてセブンに助けられたナットだった。
「セブンさん、僕の事を覚えてますか? 」
「ああ、覚えているとも。アジトに単身乗り込んできただろう? 」
「あの時、砂だらけだった僕に食事や服、寝床まで貸してくれましたね」
「食事は質素になってしまって済まなかった。あそこはあまり食料は豊富でなくってね」
「でも、貴方に協力しないと言ったとたん、部下に矢を持たせて追いかけた」
「――」
「助けてくれた時、嬉しかった。でも、なんでパームと一緒にいるのか全然わからなかった」
「――」
「でも、サマナの言葉で、やっとわかった」
誰かを助ける。その行動をずっと続けている者を、ナットは知っている。
「誰かを助ける時、手を差し伸べるだけで助けられるならいい。簡単だし、きっと助けた人から感謝される。僕も、あの時、貴方には感謝したんだ」
「ああ。言ってくれたね」
「だからだ」
「ん? 」
「貴方が欲しいのは感謝の言葉だけだ。姫様とは、コウとは違う」
カリンとコウは、誰かを助ける時、自分たちの事など二の次である。
「貴方は、手を差し伸べられるときにしか差し伸べない。なぜなら、誰かを助けたって優越感を得たいだけだからだ。感謝されたいだけだ。人間を下に見る貴方は、自分の身を削ってまで、誰かを助ける事なんでしない。するはずもない」
ナットの言葉をきき、セブンは、拍手をやめ、無言のまま、首を傾げ始めた。戦意は感じられず、ナットの言葉を己の中で咀嚼している様子だった。何度か首がかくんかくんとまがり、ようやく彼なりの答えにたどり着いたのか、元の平坦な声のまま続ける。
「いや、少々、面食らっている」
「なんで? 」
「以前、はるか昔に、同じような事を、言われた気がする」
曲がった首が戻る事なく、首を傾げたまま続けた。
「君たちはどうにも、その点が許せないらしい。時代を、世代を経ても変わらないのは、なかなか面白い。ポランド君あたりに話したら、目を輝かせそうだ」
「貴方はそうやって、どこまでも人を見下して」
「だが、君たちを見下しているのではないよ」
バケツ状の兜から、わずかに見える目は、どこか虚ろで熔けている。
「シラヴァーズの娘がいるのなら、隠すような真似はもうできないな」
「何を隠してたんだよ。バケツ頭」
「私は、何も人間を見下しているのではない。この星を見下している」
ズレ続けていた相違点。理解不能の原点。それこそ、セブンの認識。
「『彼女』が目覚めれば、この星など簡単に食い尽す。君たちはその短い命を存分に楽しむべきだと、私は思っているのだがね」
「さ、サマナ」
「本気だ。奴の言葉に嘘はない」
「そ、それじゃか、この、俺たちの足元にいる『獣』は」
『獣』の存在。それが、人を超え、星に影響を与えるとは、黒騎士を含め、全員が面食らっていた。星という概念すら、彼らにとってはまだ浸透していないのに、この星を喰らうなど、絵空事としか思えなかった。これが酒場の席で、酔っ払いが言ったのであれば、世迷言を切り捨てられる。しかし、この場には心を読むサマナがいる。言葉の成否を、簡単に判別できてしまう。
つまり、セブンの言っている事は、嘘やはったりではないという事。
「本当に、この星をどうにかできるっていうのか」
「で、でもどうやって」
「それは――」
セブンの言葉に動揺が隠せないでいると。突然足元が大きく揺れ始める。彼らは今、『獣』の暫定腕の上で戦っている。あくまで腕に見えていた為に、正式にはコレが腕なのかどうかすら怪しい。その腕とは逆方向に、もう一本、別の腕がマグマから這い上がるようにして沸き上がった。ダラダラとこぼれる高熱のマグマが滴り落ちる。表面のブヨブヨした質感も、現在黒騎士達が足場にしている場所と特徴が同じだった。
「こ、こいつ、やっぱり立ち上がろうとしてるんじゃ」
「でも、こんなデカイやつ、倒すにしたってどうすればいいんだ」
未だ両腕しか姿を現さない獣。しかし、セブンの言葉通りであれば、獣はこの星を、手段は不明だが、食らい尽す事ができるという。
「さて、大いなる時間稼ぎの続きをしようか諸君」
初代剣聖の士気は未だ高いものの、攻略の糸口は見つかった。
「(あの爪を全て折って、生身の部分に致命傷を負わせるしかない。ないけど)」
黒騎士は、さきほどまでとはうってちがい、セブンの剣戟を何度も見た事によって、突破口は見つかっている、問題は、セブンが時間稼ぎを公言している以上、他の手を打たれたら、対策が消え去ってしまう事にある。
「(撤退もできない。カリン達の援護にも行けない。そんな中、どうすれば、短時間であのセブンを攻略できる)」
さしもの黒騎士も、上空でアイを相手にしているコウも援軍を頼む事はできず、今はただ、目の前のセブンを相手するので、手一杯だった。
「(せめて、コウがいれば)」
一方、黒騎士達の上空では、アイとコウの長年の戦い、その決着が今まさに着こうとしていた。




