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洗浄されるベイラー

お湯で流すのが有効です。

「《チシャ油を頭からかぶったって、また、へんなことになるもんだ。流すよ》」

「《お願いします》」 


 翌日、オージェンの進言通り、カリンは休養し、コウも、シーシャに油をとかしてもう作業を受けていた。チシャ油とは、チシャと呼ばれる花から取れる油で、この国では一般に使われる調理油だ。しかし、冬場はガチガチに固まってしまうため、主に夜、ランタンのようにして流用したりする。そして、固まってしまった落とすに一番いい方法は、暖かいお湯で流すこと。


 もちろん、ベイラー用の浴槽などは、この街道にはない。しかし、雪なら大量にある。火を灯し、陶器製に見える鍋で、お湯を作る。食事用に使う大人数用の鍋でも、ベイラーの体を流すとなると、これでも小さいほどだ。


 頭の上から、すでに何度目かの熱湯をコウがかぶる。足元の雪はとっくにとけて、チシャ油だけが浮かんでいる。


「《すっごい量だね……どれだけかぶったのさ》」

「《樽1個分はあったかな》」

「《樽!? 冬だって越せる量じゃないか! そこの宿はよくもまぁ間違ったとはいえ、そんな量をもってたもんだ》」


 カリンが、宿屋に潜入し盗賊を出し抜く作戦は、そもそもこの街道で作業する者たちいには

伝わっていない。しかし、あのあと戻ってきたオージェンがつじつま合わせで別の話をしてくれたようだ。僕がこうなっているのも、『宿を見に行ったら誤って油をかぶってしまった。』『カリンは油で気分を悪くしている。』ということになっている。


「《チシャ油って、冬だとどれくらい使うんです? 》」

「《ああ、知らないのも当然か。冬は初めてなんだもんなー》」

「《はい。雪を歩くのだって苦労してしまって》」

「《最初はみんなそうだよ。ええと、チシャ油だっけ。そうだねー、樽1つがあれば、冬の間なら毎晩灯りが使える》」

「《暖炉には使わないんですね》」

「《薪があるから、使っているとこはすくないんじゃないかな。でも、最初の種火の時に、薪に少しだけかけてやると火のめぐりが早いね》」

「《やっぱり、こう、高いんですか? 》」

「《1回分は別にそうでもないんだけど、それが樽となると……丸二週間以上ベイラーが働いてやっともらえるかってくらいかな》」

「《そう、ですか》」

「《宿屋のことなら、オージェンさんが何とかしてくれてるとは思うけど。別に悪気はなかったんだろう? 》」

「《も、もちろん。悪気なんて》」

「《なら、あとで謝りに行けば許してもらえるさ。ほら、流すぞー》」


2個目の鍋で、再びお湯を被る。


「《許す。許すかぁ》」

「《大体おわったかな。アネット、細かいとこを見てやってくれないか? 》」

「あいよ」


 シーシャの乗り手であるアネットが、コウの体を見て、油が残っていないか確認をする。膝の裏、足の付け根など、ベイラーでは見えにくい部分も、こうして人間がみてやれば、抜けが少ない。


「油は大丈夫。関節はどうだい? 」

「《もう、だいぶ動きます》」

「そりゃよかった。カリン様を見ないけど、今日はお休みに? 」

「《そ、そうです》」

「いっつも頑張っていますから。少し位私たちを信用して休んでくれた方がいいんです」

「《別に、みなさんを信じていない訳じゃないですよ》」

「お、怒んないでくださいね? カリン様がお疲れになるくらいなら、まだ私たちが頑張ったほうがいくらかマシなんです。シーシャだってそうでしょう? 」

「《ボロボロな姫様はみたくないねぇ》」

「《……あの、みなさんて、カリンとお話とか、あまりしないのですか? 》」

「しませんよ! こうして同じ班になれただけでも幸運なのに! それに、噂のベイラー攫いが出たって話もあるもんですから、もう心配なんです」

「《そんな、噂になっているんですか? ベイラー攫いのこと》」

「この先になるハの村で出たって。でも、男の人のベイラーが攫われそうになったけど、そこを別のベイラーが助けたとかで」

「《……そういう話にしたのか》」

「まぁ、君の泊まった宿にそのベイラー攫いが出なくてよかったねぇ」

「《そ、そうですね。でもその言い方だと、僕以外の別のベイラーならいいってことになっちゃいますよ》」

「おお。なかなか意地悪いことをいうね。シーシャ。背中にまだ残ってるけど、もう拭いてやらなくていいよ! 」

「《はーい》」

「《え!? ああちょっと!! 》」

「お取り込み中ですかね」

「うひゃぁ!? 」


 コウが思わぬ反撃でたじろいでいると、アネットが短い悲鳴をあげた。背後に2mの大柄な男がぬっと立っていたらそうなるだろう。それもいつもの口調にもどっているオージェンだ。宿屋でみせた友愛的な笑顔も一緒になくなっている為に、その顔には威圧感すらある。


「オ、オージェン様!? ど、どうしたのです? 」

「すこしカリン様のベイラーと話がしたいのです。よろしいかな? 」

「は、はい! せ、背中だけ流しますので、それの後でいいなら! 」

「頼みます」


 アネットが怯えながらもてきぱきと仕事をこなした。そのまま、足早にその場を後にする。


「《……体がおおきいんですから、怯えさせるのはよくないと思います》」

「ひと払いも兼ねてだ。こうゆう時この体は便利に使える」

「《別に、アネットさんに聞かせても良かったんじゃ? 》」

「いや、あの宿屋でわかった事を、あまり大人数に共有するべきではない」

「《なにか、わかったんですか? 》」

「ベイラーが一人いなくなっていること。そして他には『何も知らなかった』というのがな」

「《……おかしくありませんか? あの村の宿屋に実際ナキム……パームはいたんですよ? 》」

「宿を管理している村長も、パームどころか、その偽名であるナキムという名前すら知らなかった。嘘を言っているかとも思ったが、実際に被害にあっている村だ。もし賄賂をもらったとして。、盗賊団に手を貸しても、結局は金しか手に入らない。その金もついこの間、サーラからの輸送団からたっぷりもらって潤っている。それもこの冬中にもう一度来て、忙しくなるのが分かっている以上、いま必要なのは金ではなく人手だ。それがわからない村長ではない」

「《どうゆうことなんでしょう》」

「あの男が誰にも不審がられずに、あの村に溶け込んでいたということだ。信じがたいがな」

「《そんなことが、あるんですか? 》」

「私は実際に顔を見たわけではないが、君は会った筈だな。どんな男だった? 」

「《どんな、どんなといえば……背が高くって、線の細い人でした》」

「それ以外は? 」


 オージェンにその先を促されて、コウは言葉に詰まってしまう。商人めいた言葉使いであったくらいで、それが特徴的だったかと言われると、コウにとっては、そうではなかった。それよりも、印象に残ってしまっていることがある。


「《……ずっと、笑っていました》」

「それはあの時、私も聞いた。それ以外はないか? 」

「《……思いつけません。ずっとケラケラ笑っているような人だったとしか》」

「そう言う男なのだろうな。笑い声以外印象に残らない。逆にいえば、笑わないようにすれば誰も気に止めない」

「《そんなこと、出来るのでしょうか》」

「それが出来るから、こんなことになっているのだろうな」

「《どうすればいいんでしょう》」

「だから言っただろう。準備を整え次第捕まえると」

「《どこにいるか、わかったんですか》」

「今朝報告があがった。やはり盗賊は根城を構えているのではなく、バラバラに潜伏していたようだ。しかし、定期的に一箇所に集まっている。連絡を密にするためだろう。そこを叩く」

「《僕は、連れて行ってもらえなさそうですね》」

「当然だ。カリン様も回復しきっていないのにベイラーだけ連れて何になる」

「《すいません。出すぎた真似を言いました。……少し、いいですか? 》」

「なにかね? 」

「《オージェンさんは、カリンの、教育係だったんですよね? 》」

「そう言ったね」

「《なんというか、カリンは自分を、必要以上に卑下することがよくあるんですが、それは昔からなんでしょうか》」

「ああ……カリン様は、ご自分を出来の悪い妹だとずっと思っていらっしゃる。それも昔から。君はクリン様を知っているな? 」

「《はい。なんというか、溌溂としているというか、なんというか》」

「言葉を選んでそれなら上出来だ。あの方は昔からああでな。カリン様もよく振り回されていた」

「《カリンが……想像しにくいです》」

「だろうな。だが、クリン様は、誇張でもなんでもなく、何でも出来た。覚えが早く、上達も早い。贔屓目抜きでも、凄まじい人だった。……そして、嫌でも、その妹という肩書きはついて回った」

「《何個も稽古をしているのは、あれはクリン様の影響なんですか? 》」

「それもあるだろうが、あれでも数はだいぶ減ったのだ。特に武芸に至っては半分まで削った」

「《あれで……削った? 》」

「クリン様は、特に武芸では天武の才とでも言うべきモノを持っていた。武器を扱いだけでなく、人に教えるのもまたうまかった。他類まれなる才能と人々はもてはやしたものだ。だが、カリン様は、そうではなかった」

「《僕に乗るときの剣術は、凄まじいものだとおもうんですが》」

「残念ならが、稽古で1度もカリン様はクリン様に勝ったことがない。おそらく、この国で勝てるものもいないだろうな」

「《……そんなに? 》」

「そんなにだ。……5度習って身に付けるかどうかというカリン様と、1度習えばすぐに覚えてさらには発展させるクリン様。周りはその2人をみて比べた者もいた。心無い者だと叱るべきなのだろが、あろうことかカリン様自身が比べてしまった。自分と、あまりにも違う姉をだ」

「《そんなの、どうしようもないじゃないですか》」

「ああ。コウ君が来るまでは、気落ちしていたどころではなかったのだ」

「《……僕の前に、3人のベイラーがカリンの前で立ち上がらなかったっていうのも、あるんでしょうか》」

「知っているなら話は早い。一時期はそれで少しの間塞ぎ込んでしまった。食事の回数も減り、ひたすらに思い悩んでいたんだ」


 コウは、その言葉で、自分が初めて会ったときのカリンを思い出した。飛び跳ねて全身で喜んぶカリン。悲痛そうな顔で泣きそうになるカリン。あれは、そうゆう事の積み重ねで出たことだった。


「《……何が、出来るのでしょうか。僕に、カリンにしてやれることがあるんでしょうか》」

「君は、自分がどんな立場にいるか、少し理解が及んでいないようだ」

「《と、いいますと》」

「君はカリン様のベイラーだ。カリン様と共にいてよいと、カリン様自身が許可している唯一の存在なんだ。いずれこの国を出るにしろ出ないにしろ、君はカリン様に望まれて、そして君が望んで乗り手としたんだ。なら、カリン様を乗り手じゃなくすようなことさえしなければ、もうそれだけで心の支え足り得る」

「《僕は、そんな大層なことはしていないんですが》」

「傍にいるというのが、どれだけ大きなことか、考えもしないのだな。君は」

「《……しなかったです》」


 コウが、オージェンを見ると、カリンのことを話すオージェンは、どこか穏やかで、それでいて、寂しさをにじませているような。普段の、冷徹さを身にまとっているかのような表情とは想像できない顔をしていた。


「気は難しいが、間違いなく退屈はしない人だ。お節介だが、そばにいてやって欲しい」

「《僕に、どこまでできるか、わかりませんよ? 》」

「私ではできなかった。君ならばできるさ」


オージェンがそこまで言うと、もう用はなないと言わんばかりにその場から立ち去ろうとする。しかし、コウには、他にもどうしても確かめねばならないことがあった。


「《オージェンさん》」

「今度は何かな? 」

「《カリン様の初恋の相手って、本当ですか? 》」

「……また、なんてことを君は聞いてくるんだ」

「《カリン様が、そうだと》」

「全く、あの娘は……」


 オージェンが、再びいつもと違う表情を垣間見せ、あまつさえ頭を掻いた。ここまできてコウは、このオージェンという男は、冷徹さが前面に出ているだけで、人並の表情はいくつも持っていることを知った。しかし、本当に知りたいことはそれではない。


「《どうなんですか? 》」

「あー、君たちベイラーには、ピンと来ないかもしれないが、とりあえずだ。5歳になったばかりの娘が告白してきて、『はいそうですか私もです』と答える大人がどれだけいる? 」

「《5歳》」

「主義主張趣向は様々だろう。だが少なくとも私は違った。それだけだ」

「《……はい? 》」

「この通り、もう何年も前の話なんだが、君はこの答えで満足するかな? 」

「《……しました》」

「不満がにじみ出ているんだが」

「《いや、かき乱されすぎてなにがなんだか》」

「女性の初恋がどうのこうの詮索するのは、褒められた行為ではない。今後は控えるように……まさかカリン様に直接聴いていないだろうな? 」

「《聞きませんよ!! 》」

「なら、良し。まぁ今日は休むといい。みな休暇に入る。あとでアネットとシーシャには礼をいうんだぞ。休暇返上で体をふいてくれたのだからな」

「《はい》」

「あとでカリン様のとこにも顔を出すんだな」


 言うことは言ったとばかりに、オージェンはその場を後にした。コウはコウで、未だに思考がまとまらないでいた。


 突然休めと言われても、この体が睡眠の真似事が出来るだけで、昼寝ができるわけではない。ましてや、外はいまだに寒い冬だ。こうして濡れたまま外にいたら、人間ならすぐに風邪をひくだろうが、そもそも人間より遥かに丈夫で、そのおかげでありあらゆる感覚が鈍いこの体では、寒いとすら感じない。だというのに、見当違いも甚だしい勘ぐりをしていたことで、体の奥が熱くなっていた。

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