その鉄拳は誰が為に
「(急に、視界が高くなった。視界だけじゃねぇ)」
バスターベイラーの乗り手となったライカンは、己の現状を正確に理解できていなかった。降ってわいたような全能感に支配され、感情の赴くままに力を振り回している。
「(やつら、小さくなったのか? )」
自分が大きくなった事など想像できておらず、コックピットの様子は、かつてケーシィがそうなったように、ライカンの体中を細い蔦が巻き付いている。時折締め付けられている事を、ライカンは自覚していない。指先がうっ血し、肌が徐々に紫色に変色しはじめている。
「(それに、強くなった。強くなったはずなのに)」
全能感を得ている中で、目の前の小さなベイラー一人叩き潰せないことにイラついていた。そのイラつきに反応したように、ライカンの頭の中に声が響く。幼さと妖艶さが合わさったような、女の声。
「チョウダイ」
「あ? 」
「チョウダイ」
「……そうすれば、あいつを殺せるのか? 」
本来相反する性質の声が、この世の物と思えない声であることをうかがわせた。商人の気質をもったライカンであれば、この言葉を聞き、一回は冷静になれてもおかしくはない。商人は、成果と報酬をひとつのくくりとして考える。
だが今のライカンは、目の前にいる黒騎士を叩き潰すことさえできれば、もう何もいらないと、本気で思っていた。己の地位と名誉を奪った相手を、個人的に憎んでいた。
無論、権威が失墜した直接の原因は、剣聖選抜競技大会に打算で出場したライカンが悪いのだが、そんなことは本人もわかっていた。あのたった一回の敗北で、彼の治める国の信頼は駄々下がりし、腕の良い商人たちは、こぞってライカンとの商いをやめた。
「あいつさえいなければ、俺は今頃」
剣聖選抜そのものが、剣聖の生存により、前提が覆っているのにも、もはや関係なかった。黒騎士に敗北したこと。それ自体が、ライカンにとって人生の汚点とさえとられている。
それを取り除けるのならば、ほかに何もいらなかった。
「チョウダイ」
「ああ! くれてやる! だから奴を殺せる力を寄越せぇ! 」
法外な取引は、ここに成立する。ライカンの体を締め付けていた蔦から針が生え、彼の体に突き刺さる。刺さった針から、彼の血が抜き取られていく。
「がぁ、あああああ! 」
高くなったはずの視界は、高さに伴わない狭さへとかわる。急激に血が流れ出ていくその痛みさえ、ライカンには心地よかった。
◇
バスター・ベイラーの第二段階とも呼ぶべき状態。『発射口』が生成され、莫大なエネルギーを持った熱戦を放てるようになる。砂漠でも、ケーシィが同じ状態へと変化していた。
黒騎士は、とっさの判断で発射口にサイクル・ショットを当て、射線を逸らした。そうする事で、熱線は地上を焼くことなく、空へと延びる。黒騎士の目論見は見事に功を成した
「(だが、このままでは)」
あまりに早いバスターベイラーの変化に、悪い想像だけが先走っていく。砂漠での戦いを思い出しながら、バスターベイラーの変異を思い描く。
「(全身から蔦を伸ばして、生物という生物から血を抜き取ろうとする。砂漠ではまだ避難が済んでいたから、乗り手以外の血が奪われる事はなかった)」
以前と戦いでは、人々はすでに避難が終わっており、安全を確保した上で戦う事ができた。だが今は、黒騎士の背後にはまだ人がおり、かつ、その人数は、前とはくらべものにならない。
「(バスターひとりと戦うのだって大変なのにッツ! )」
巨大なベイラーがふたりいる。そう確認した後、発射口を作っていない、もう一方のベイラーを見やる。シーザァーが乗っているのが明らかになっているものの、その動きは精細さに欠け、殴るでもなく、蹴るでもなく、武器を作ることもない。
その姿は、しいて言うなら、苦しんでいるように見えた。しかしその仕草でも、50mの巨体が行えば、単純な脅威となる。地上にいる黒騎士も、気を抜けば踏み潰されてしまう。
「クソ! なんでこいつはケーシィのようにならねぇ! 」
苦しみもだえるバスターを目に、悪態をつくパーム。彼の目論見は、バスターベイラーへの変異を意図的に起こし、乗り手の正気を失わせ、帝都の街を蹂躙するつもりだった。実際にライカンの方は綺麗にその意図通りに事が運んでいる。彼が苛立っているのは、シーザァーの方。
「(こいつは俺への憎しみでバスターになったはずだ。なのにどうして)」
シーザァーの弟子を、パームは殺していた。その怒りに応えるように、シーザァーによって、アレックスと名付けられたベイラーは、巨大なバスターへと変貌している。
「(どうして、さっきから苦しんでるだけなんだ)」
シーザァーが乗っている方のバスターベイラーは、パームを積極的に狙うような事はせず、ただ体の痛みをこらえるように、もがき苦しんで、時折、地団駄を踏んでいた。
《つまんないわねぇ。いっそ殺したら? 》
「……駒がなくなるのは痛いが」
アイの無慈悲な提案に、パームが一瞬だけ難色を示す。バスターベイラーが居る今の状況は、帝都を侵略する側としては、絶好の機会である。絶大な力を持つバスターベイラーと歩調を合わせ、侵略していけば、勝利は確実なものとなる。
「(バスターはそのうち乗り手の事を無視しはじめる)」
怒りの感情を植え付けられた彼らバスターベイラーは、ある一定の変化を遂げたあと、乗り手の意思とは無関係に、勝手に動き始めてしまう。そうなった場合は、敵味方の区別なく、バスターベイラーは無差別に襲い掛かってくる。ケーシィが、砂漠で仲間を惨殺したように。
「そうなったら、流石に面倒か」
《なら、どうするの? 》
「焼き払う。できるな? 」
《しょうがないわねぇ! 》
アイが返事と共に、両手と右腕をバスターベイラーへと向けた。体中に、光を伴うエネルギーが凝縮していく。全方位へ拡散させるサイクルノヴァを、一点に集約し放つ、アイ独自の技。彼女の右手、両足にはそれぞれコックピットの欠片が埋め込まれている。エネルギーの解放場所を、その三か所に絞る事で、より高威力の遠距離射撃を可能とし、さらに空中で一瞬静止することで、狙いをより正確にする。
《「サイクル―――」》
狙いを定め、いざ撃ちこもうとしたとき、アイの体を、6本の湾曲剣が襲い掛かった。高速で回転した刃が、アイの腕にガツンと当たる。
「なんだ今の!? 」
投擲されたそれらの剣は、アイの手足を斬っただけに収まらず、ぐるりと半周して、背後から再び迫ってくる。致命傷には至らないものの、サイクル・ノヴァの発射体制を崩されただけでなく、静止していた都合、推力を失い、空中で姿勢が保てなくなる。
「アイ! 」
《髪でなんとかしろってんでしょ! 》
「わかってるならやれぇ! 」
状況を飲み込むよりさきに、アイが己の髪の毛を操った。長くつややかな黒髪が、迫る6本の剣からその身を守ろうと行く手を阻む。如何に変幻自在に動く黒髪も、落下しながらの操作は困難を極め、湾曲剣はたき落とすだけにとどまる。
「今のは、何だ? 」
《いいから着地! 》
「っと」
パームは、自分が落下中であるのを思い出す。地表に無造作に墜落するのだけは避けるべく、両肩のサイクル・ジェットを最大限に稼働させ、逆噴射とした。そうしてなんとか着地するものの、両手両足を髪の毛で繋げているアイでは、着地の衝撃を、受け身で躱すこともできず、四肢がバラバラに弾けてしまう。
「だぁあ! またこれか! 」
《わめくな! すぐ繋ぐ! 》
四肢がバラバラに飛び散る様をまじまじと眺めながら、6本の湾曲剣を投擲した張本人がつぶやく。
《アレ、黒いベイラー、だよな? 》
「また、恐ろしい存在になったもんだ」
赤い肌のベイラーの中から、サマナの声が響いた。黒騎士の隣に降り立つと、投げたシミターが弧を描いて戻ってくる。
「サマナか!? いままで何処に? 」
「ポランドってやつに海に叩き落された」
サマナはヨゾラ達と共に、ケーシィ達と空で戦っていたが、ヨゾラ達は王城に、サマナ達は海へとそれぞれ墜落していた。
「で、戻ってきてみれば、何だこの状況」
「何かわかるか? 」
「バスターベイラー、に見えるけど」
戦線復帰したサマナは状況を飲み込むべく、戦場を観察する。巨大化したベイラーに対し、さほど驚いた表情も見せず、淡々と観察し続ける。
「やっぱり変だ」
「変? 」
「あの苦しんでる方のバスター、砂漠で見たやつと『流れ』が違う」
「それって、乗り手がまだ正気ってことか」
「たぶんね」
あっけからんと答えるサマナ。もしシーザァーが正気ならば、暴走を防げる可能性が高い。すくなくとも、バスターベイラー2体を相手にするよりずっと戦況は改善される。
「でも、もう片方のは、砂漠でみたやつと同じ。いやもっと悪いかも」
「そんなに? 」
「黒騎士を相当恨んでる」
「だろうな」
恨まれている理由もは、黒騎士にも理解できた。その矛先が己に向くのも、また理解できる。だが一点、憎しみひとつで、人間がここまでの力を発揮できてしまう事。その一点にのみ、黒騎士はまったく理解が追いつかなかった。
「(これも、あのアイの力なのか? それとも、怒りに任せてしまたったら、僕も同じようになるのか? )」
《絶対にそんな事にはなりませんよ》
黒騎士の考えに釘をさすようにレイダが続けた。
《第一、アレは逆恨みというのです。ちょっと力をつけたからといって、いい気になりすぎているのです》
「だが、アレに踏み潰されたら終わりだろう? 」
「いや、踏み潰されたほうがマシかも」
「それって」
サマナの声で、空を見上げる。そこには、シーザァーが乗っている、あの苦しみ続けていたバスターベイラーが、力なく倒れようとしていた。人間と同じように、膝から落ち、倒れこむような動き。問題は、それが全長50mの体で行う事にある。
「あいつ、このまま倒れる気か!? 」
片膝をつき、脱力された体の上半身が倒れこもうとしていた。巨大な体に見合った巨大なコックピットが迫ってくる。
「みんな逃げろ! でかいベイラーが倒れてくるぞ! 」
「わ、わぁああああ!? 」
人々はなんとかして、この巨体の下敷きにならないように、半狂乱しながら駆け出していく。生存本能が刺激された事で、背中に抱えた家財を捨て、できるかぎり身軽になっていく。だがその大きさと通路の幅では、避けるには場所が狭すぎて、どう考えても逃げるのは間に合わなかった。
「レイダ! 受け止められるか!? 」
《無理です! 私ごと潰されます! 》
黒騎士は、どうにか受け止めようと両手をあげたものの、レイダの提言で手を止めた。レイダが射撃の名人であっても、巨大なベイラーを受け止められるほどの頑丈さも力もない。
明確な死を前にし、だれもが諦めながら、それでも逃げる足を止められないでいる中、その流れに逆らうようにして、黄色いベイラーが、人々の頭上を通りぬけた。
「「いけぇえええ 」」
《―――ッツ! 》
それは、黄色い肌をしたリク。四本の腕を天へと掲げ、倒れこんでくるベイラーから人々を守らんとしている。乗り手であるリオ、クオの二人も直前まで、逃げ惑う人々と同じように、恐怖で胸がしめつけられていた。
しかし彼女らは、落ちてくるバスターベイラーを受け止める手段をぎりぎりで思いつけたために、こうして人々の前へと躍り出た。失敗すれば、ふたりはおろか、リクをふくめここにいる全員が潰されてしまう。
それは嫌だと、二人の心は叫んでいた。
そして、リクは己を柱とするようにして、全身でぶつかった。けたたましい音が、リクの4本の腕から鳴る。バスターベイラーの巨大な体を支えるには、リクの腕はあまりに細く、本来なら拮抗するはずのない重量差がある。頭が半分つぶれ、視界の上半分がみえなくなりながら、双子は力の限り吠えた。
「「サイクル・パワーあああああああ!! 」」
それは武器や技でもない。ただ、とにかくリクの力を最大限に発揮しようとして、咄嗟に出た言葉だった。サイクルの、生えては削る、一連の回転する流れ。それを何よりも高め、物理的な力を用意するのは、ベイラーとっては基本的な動きである。
リクは、先天的に腕力が強かった。彼がもともと双子であり、いまでは兄か姉かもわからない、片方の分が、そのまま1つの体になっている。手足と目をそれぞれ受け継いだだけでなく、その力も、並みのベイラーの二倍に相当した。
重要なのは、乗り手を伴わずに、二倍に相当している点である。ベイラーと乗り手は、その心を通わせる事で、単純な加算で力を増すでのはない。視界を、意思を、想いを重ねる事で、何倍にもその力を跳ね上げる事ができる。それはコウが、カリンと心を通わたせた事で、その体を空へと飛ばせたように。
ベイラーの力は加算ではなく、乗算で増していく。ベイラーの力をい1としたとき、乗り手の力が1ならば、それは1の力しか発揮しないが、もしそれぞれが2の力をもっていたら、足し算では2だが、掛け算ならば4となる。
であれば、もし乗り手が二人いるのであれば。それが可能なベイラーがいたとすれば、どうなるか。
「――――ッツオオオオオオオ! 」
リクの喉からでた、声なき声が震える。物言わぬはずのベイラーが声を出すほど、不可能を可能にかえてしまうほどの力でもってして、バスターベイラーの体が、地面に接地するより先に、リクの体で阻まれた。人柱ならぬ、ベイラー柱である。
「がんばれぇえ、リク! 」
「まけるなぁあ、リク! 」
操縦桿を握りしめながら、双子は声の限り、自分たちの相棒を鼓舞し続ける。リクの目は真っ赤に輝き、双子の声に応え、バスターベイラーの上半身を支え続けている。だが、どれほどの力があっても、体の強度までは変えられない。彼らの木製の体は、しなやかやで壊れにくくも、折れない訳ではない。
4本腕は肘から先が砕け、 頭はほとんどつぶれてしまい、もう視界も確保できているのが不思議なほどぺしゃんこになっている。全身がひび割れはじめ、パキパキと肌が砕け散っていく。
「(みんな、これで逃げられたかな)」
リオが、頭のなかで、誰に告げるでもなくつぶやいた言葉は、もうすぐリクが限界をむかえ、押しつぶされてしまう事を悟ってのこと。だが彼女には、不思議と死への恐れは感じなかった。いまこの瞬間まで、人々を守ったのだという自覚が彼女にはあり、それは、リクと共に生きた証であるのだと納得していた。
ただひとつの心残りは、いまだ告げた事のない想いが胸の内にあった事。
「(まだ、ナットに何も言ってなかったなぁ)」
ナット・シング。本気で自分たちを叱ってくれた、自分たちと同じ子供だけど、かっこいいと思えた人。いつか縦穴に落ちたのを救ってくれたあの日から、ずっと気になっていた人。
「(でも、それはきっとクオも同じ)」
双子だから、好みも似通ったのか、それとも、ただの偶然か、リオもクオも、ナットの事が、この旅の中で、いつしか好きになっていた。
「お姉ちゃん! 」
「どうしたのクオ」
双子は、見ている物を共有できた。コクピットの構造上、二人は隣りあわせで座っている。首だけをつかって、お互いがお互いに向き合った。いつもみていた顔が、それぞれの目線で向かい合う。お互いが、瞳の中で鏡写しとなる。
「絶対に、いっしょに言うからね! だから」
ベイラーに乗っている限り、お互いの胸の内さえ共有される事を、リオは失念していた。その上で、クオは、お互いあと腐れないように、かつ、この状況を、絶対に二人で潜り抜けるという意思を見せる。
「抜け駆けしたら、許さないんだからぁ! 」
クオの声で、励まされたのか、それとも対抗心がでたのか。リオは、この絶望的な状況で、わずかに笑ってしまった。
「なぁにそれぇ」
妹の言葉が、これほど心地よいとは夢にも思わなかった。
「だって、好きなんでしょ」
「そうだけど」
「クオも、そうだから、だから、絶対に負けない」
「うん。リオも負けない」
2人の心は、いつになく奮い立ってた。ひとりではきっと心折れていた。姉が、妹が、そして、リクがいたから、三人は決してあきらめなかった。
その三人をみて、もうひとりのベイラーが、柱となるべく手を添える。
「オルオル!? 」
「黒騎士だ。まったく」
呆れながら、それでも、手を貸している自分を冷笑する黒騎士。
「でも、レイダちゃんだけじゃ」
「僕らだけじゃないさ」
「え? 」
「無茶するよ、ほんとにさ」
リクの体にぴったりと寄りながら、赤い肌のセスがバスターベイラーを支え、その乗り手であるサマナは、黒騎士と同じように愚痴を垂れた。
「でも、大したもんだ」
黒騎士やサマナだけではなく、この帝都を守っていたウォリア-やパラディンといった兵士たちのベイラーが、リクの力になるべく、兵士達は危険を顧みず手を貸している。
「子供が命を懸けているのに、我ら帝都の守り手が命を懸けずにいられようか! 」
「そうだ! きっと、隊長も、今は必死に抗っている! 」
「(兵士達は、まだシーザァーをあきらめていない)」
リクのひび割れた手をささえるように、数多のベイラー達が支えていく。倒れこんだ巨体が、そのままぴたりと動きを止める。ついに、リク達の力は、バスターベイラーの落下に対して均衡した。
「よし、このまま」
「お前らぁ」
頭上で、顔もみえぬ相手の声が空に響いた。おどろおどろしいその声は、もうひとりのバスターベイラーから聞こえてくる。今まで事の成り行きを傍観していたライカンが、好機とばかりに、倒れた方のバスターベイラーを足蹴にしようとした。
「まとめて仲良くつぶれちまいなぁ! 」
「ま、まずい!? 」
ライカンの方のバスターベイラーは、躊躇なく攻撃を行う。もとより、シーザァーの事など眼中になく、仲間とさえ思っていないからこその、無慈悲な踏み付けだった。あまたのベイラーがようやく支えている中で、バスターベイラーの踏み付けが加わってしまえば、もはや抗う術はない。
そして、バスターベイラーの背中を、バスターベイラーが踏みつける、ふたりの巨人でしかみれない景色ができあがる。もちろん、胸元に集まっている黒騎士たちからは、見る事ができない。
「なんで、衝撃が、来ないんだ? 」
一瞬で地面とキスする事を予期した黒騎士であるが、一向にその瞬間が訪れなかった。状況を確認しようにも、頭上はバスターベイラーの胸部分しか見ることができず、何も把握できず、静寂の原因が分からなかった。
《黒騎士様。アレを》
「アレ? 」
すると、レイダが、体をささえていた手を片方だけ離して指さす。その先には、倒れこもうとしてるバスターベイラーの右腕がある。
「バスターベイラーの、腕だろう」
《腕を見てほしいのではなくて、アレは》
黒騎士がよくみると、その腕は、地面に触れながら、拳をしっかりと握りしめ、肘で体を支えるようにしている。そしてなにより、肘にあるサイクルが、ガリガリと音を立てて回っているのが目にはいった。
「まさか、立ち上がろうとしてくれてるのか。シーザァー殿は」
《おそらく。ですが、このままでは》
「どいつも、こいつも」
シーザァーが、正気であり、バスターベイラーを操っているかもしれないと言う、わずかな希望をもかき消すかのように、ライカンが踏みつける。先ほどよりも大きく強く、足蹴にする力を増大させる。
「つぶれろ! つぶれろ! つぶれろぉおお! 」
ガリガリガリと、その巨体にふさわしい、まるで雷雲のようなサイクルの音を上げ、バスターベイラーを踏みつけた。
一回、二回、三回。すさまじい質量同士がぶつかり合い、空気の震えが止まらない。リクの体はすでにひび割れていない箇所がなくなり、レイダは左腕が、サマナは両腕が、ウォリアーたちにいたっては数名、そのふみつけの衝撃で、木っ端みじんに吹き飛んでいる。
「が、んばれぇ。リク! 」
「まけるなぁ!! 」
それでもなお、双子はシーザァーのベイラーを支え続けた。4本脚も、膝から下は石畳に削られ、もう歩くことさえできない。戦局は変わらず、このまま、ライカンが押しつぶしてしまえば、勝敗は決していた。 彼女たちがあきらめずに、バスターベイラーの体をささえたのは、ほんのわずかな時間に過ぎない。
だがそのわずかな時間が、彼らには必要だった。
「この、炎は」
その足元に灯った緑の炎に、真っ先に気づいたのは、黒騎士である。ほかにも、支え続けた兵士達のベイラーに、セスに、レイダに、なによりリクに、炎が伝っていく。その炎を浴びて、傷だらけだった肌が、見る見るうちに生え変わる。
「まさか」
だが、なにより驚いたのは、その炎が、シーザァーのベイラーにも及び始めた事である。その体に、蜘蛛の巣のように細く、長く、緑の炎が全身に張り巡らされていく。やがてその炎は、全身を一巡した後、コックピットへと集まり、最後にたき火のように激しく燃え盛った。
《もう、バスターベイラーよりは前に、もどれないかもしれない》
「ええ。そうかもしれないわね」
戦場に似つかわしくない、悲しげな声が聞こえる。
《シーザァさん。その衝動に飲まれたらいけない》
眠りから覚めたカリンとコウが、バスターベイラーの中にいるシーザァーに語り掛ける。返事が聞こえるほど近くにいるわけではなく、また、バスターベイラーの巨大さを前に、普通の声で乗り手の耳に届くはずがない。だというのに、コウ達の語り口は、ひどく穏やかで、優しかった。
「あなたの、闘う理由を思い出して」
目覚めたカリン達は、状況を把握しているわけではない。ただ、目の前で倒れているの相手が、助けを欲していると知り、手を貸したに過ぎない。
「白い、ベイラー! お前も邪魔をするのか! 」
もはや、誰の言葉も耳に届かないライカンには、まるで心に響かず、ただ激情のまま、バスターベイラーに血を捧げた事で得た力を振るう。
口を大きく広げ、白いベイラー、コウに狙いをつけると、発射口に膨大な光が集まっていく。
「消しとべぇえええええ!! 」
やがて、収束を終え、熱線が放たれようとした時。その大口をあけた顔めがけ、同じように巨大な拳が、真正面から叩き込まれた。突然の攻撃に反応できず、モロに食らってしまう。収束された熱量は行き場を無くして霧塵していく。
殴られた方のバスターベイラーは、態勢を崩して、盛大に壁にぶつかっていく。
そして、殴った方のバスターベイラーは、その両拳を握りしめてている。
「あの技は! 」
一番その技を待ち望んでいたのは、ほかでもない、帝都の兵士達であった。帝都近衛格闘術、正拳突き。近衛兵が一番最初に習う拳打の技巧。そしてその技を最も極めた者こそが、彼らの隊長。
「ここより先は」
バスターベイラーとなっても、乗り手のシーザァーが正気を保った。サイクル・リ・サリクルの力により、彼の心は、怒りに任せることなく、ただ己の信念を押し通していく。
そして、バスターベイラー、否。彼のベイラー、アレックスが拳を構える。
「シーザァー・バルクハッツァーが、お相手仕る! 」
鉄拳王は思い出した。かの力は、なんの為に手に入れたのか。
剣聖となり替わる為はない。剣を拳と変えたのは紛れもなく事実であるが、あくまで最初の願いではない。まだ彼が、鉄拳王の異名を取るより以前、一兵士に成ろうとした理由。
「我が拳は、我が為ににあらず! 戦えぬ者たちの為にこそ! 」
拳を鍛え上げる事で、誰かの事を守れるのなら。戦えぬ誰かの為に、己が戦えるのであればと、シーザァーは進んで鍛錬していった。故に彼の拳は、いつも彼以外の者の為にある。
最初の理由を思い出し、彼は立ち上がる。相棒のアレックスと共に。




