アイの弱点
剣聖ローディザイア。グレート・ブレイダー。帝都ナガラで名実共に最強の名を欲しいままにしていた彼らが、アイの手によって葬られた。三つのサイクルノヴァを束ねた攻撃によってなのか、両者は影も形もなく消え去り、彼らが生きてた痕跡ひとつ残っていない。
「け、剣聖が、負けた? 」
だれもがその事実を受け入れるのに多大な時間を要した。剣聖とパームの戦いは終始剣聖の優位で進んでいた。剣聖の奥義によりその四肢はバラバラに砕け散ってなお戦った。アイとパーム、二人の執念が、剣聖から勝利を奪い去った。
「(これは、何かの間違いだ)」
アイたちの勝利に、一番憤慨していたのは、民衆でも、皇帝でもなく、近衛兵を任されていた鉄拳王の異名をとる、シーザァーである。幼い頃から、彼は剣聖に挑み、破れ続けた。決して超える事のできない壁として、生涯眼前にあり続けるのだと思っていた。自分が勝てない相手を知りつつ、いつかは寿命で剣聖が先に死に、自分が剣聖の跡を継ぐのだと、漠然とした未来図を描いていた。
「(なぜ負けたのだ? 戦術も、剣技も、奥義も、剣聖は何一つ劣っていない)」
民衆が、ようやく事の重体さを理解しはじめ、ざわつきが大きくなっていく。剣聖の死。それは帝都にとって、この戦争の勝利が揺らいだ事につながる。剣聖さえいれば、どんな敵が来ようとも、この国は安泰であると誰もが信じていた。
それが、脆くも崩れさった。剣聖はいなくなり、代わりに不気味な黒いベイラーが勝利の雄たけびを上げている。うねうね揺らめく手足は、ベイラー本来の樹木の体を、内側から浸食するように、髪の毛が細部まで入り込んでいる。
「(あのような相手に、剣聖は、負けたというのか)」
闘いにおいて、外見で強さが決まるわけでない。筋肉質な武人が、その力を誤り、線の細い枯れ木のような男性に負ける事もある。だが、シーザァーの知る剣聖は、少なくとも、人の形を外れたベイラーに負けるような男ではなかった。
事実、アイはもはや人が持つ戦法をはるかに超えた領域の戦いを展開していた。ベイラーは、人間と感覚と視界を共有する都合、戦いでは常に人間の戦術が利用でされる。乗り手の武術が洗礼されていればされているほど、ベイラーもまた強くなる。
アイは、そうではなかった。四肢を飛ばし、手の平、足の裏からサイクル・ノヴァと言う光線を自在に放ってくる。手足は非常に長く伸び、相手の前後左右、360度をカバーしている。それはたった一人で十字砲火を可能であることを意味していた。いままでこの世界のどこに、そんな人間がいようか。いるわけがない。
「(剣聖が勝てなかった相手に、勝てるのか)」
そしてシーザァーの乗るベイラー、アレックスは、元はといえば商会同盟軍側から提供された物で、アイのように空を飛ぶ事もなく、四肢を繋ぎとめる事ができるわけでもない。ただ両拳が鋼鉄でできているだけの、アーリィ―の派生型である。性能上、アイはシーザァーの駆るアレックスをほぼすべて凌駕している。
「(勝てるわけがない)」
自明の理であった。無様に負ける姿しか、シーザァーには想像できない。拳の間合いに入るまえに、アイの攻撃が届き、剣聖と同じように、遺体も残らず跡形もなく消え去ってしまう。恐怖が身を包み、シーザァーの足がすくむ。生涯勝つ事のできなかった相手が、敗れた相手。
「(死ぬ、死んでしまう)」
後ろに下がろうし、アレックスの足元を見やった、その時である。剣聖を信じていた民衆の目が、一斉にアレックスに向いているのに気が付いた。
彼らが縋りつける存在は、すでにこの場にはシーザァー以外いなくなっていた。近衛兵を束ねる、由緒正しき拳しか、もう彼らは信じる事ができない。
「(白いベイラーがいまだ起きず、民衆をかくまう場所もない。空から再び責められれば、もはや逃げる場所もない)」
もはや退路も、勝算もない。シーザァーは今、戦って負ける事だけが頭に浮かんでいる。
「(どうすればよい。どうすれば)」
ほんの僅かな間、彼は悩んだ。自らの行動を決めらずにいると、彼らの背後からすさまじい音が響き渡る
それは、先ほど、皇帝カミノガエが打った。活路への一手。
「サイクル! 」
「すごぃい!」
「「パアァアアアンチ! 」」
門と道を広げるべく、四本腕のベイラー、リクがその拳をふるう。鋼鉄でできた門が、甲高い音をたててひしゃげていく。門にそなわった石造りの壁を拡張するように、無理やりに叩き壊していく。
「「もう一回ぁああい! 」」
双子の叫び声と共に、リクが壁を突き崩していく。その両拳は、先ほどの第四地区の壁を壊した際に負った傷がまだ言えておらず、一撃の威力は半分ほどになってしまっている。どれほど強い力であろうと、拳そのものが壊れてしまっていれば、威力は落ちてしまう。
だが、彼らはあきらめず、何度も、何度も壁を殴り続ける。
「がんばれリク! 」
「もうちょっとだリク! 」
《―――! 》
かつて、何かを壊すしか教わる事をしなかったリクが、その壊す方法で、活路を見出し始めている。その光景に、シーザァーは思わず己の頬を叩いた。鍛錬により分厚くなった手のひらが、同じように鍛錬で分厚くなった顔を皮膚をしたたかに打ちのめす。
「(なんたる無様。なんたる不始末。なんたる不覚悟)」
彼は自分の後ろを見た。そして、自分の役職を思い出す。民を守る帝都近衛兵。その総大将こそ自分であるのだと。もしここで戦わねば、あの黒いベイラーによって民が失われる。
「ならば、わが道はひとつ」
◇
「こりゃ、関節全部がグニャグニャだな」
《いま何とかしてるでしょう! 》
「おう。このままじゃ歩けもしねぇ」
黒いベイラーの乗り手、パームは新たな力を手に入れたアイの制御に四苦八苦していた。手足を切り取られ、髪の毛でつなぎとめたとはいえ、どうしても踏ん張りが効いていない。
《とりあえず、これで何とか》
「おお。マシになってきた」
髪の毛で手足をよりキツく縛り上げ、動かす。それでも、少々手足が震えながら立ち上がろうとする。今のアイは、パームの共有している感覚で動かしているのではなく、あくまで髪の毛を操っているアイ単体で動いている。
「(これならまだ戦ってるときのほうがよく動くな)」
ベイラーの共有は人間の動きを最適化するためにある。その大前提を覆しているアイは、闘う以外の行動の精度が限りなく低くなってしまった。もう彼女は、ふつうのベイラーのように走り回る事はできない。
「まぁ気にしないが……ん」
アイがゆっくりと立ち上がると、その視線の先に、ひとりのベイラーがやってくる。その両手拳を鉄で固めた、鉄拳王のベイラー、アレックスである。アイを前にし、仁王立ちして立ちふさがる。
「ここから先は通さぬ」
「ほうぉ。こいつはまた」
パームは、己の顔が笑みで歪むのを絶えた。剣聖を倒したアイの前に立つその声色は、鉄拳王の戦士しての覚悟を感じさせる。だが、パームの策略により、すでにこの戦いは勝敗が決まっている。
「(すでにこいつにはアイの欠片が入っている。あのベイラーはすぐに、あの砂漠で起きた事を同じ事がおきる)」
バスターベイラー。高ぶる感情に応じ、巨大化したベイラーに名付けられた破壊の化身。鉄拳王のベイラーには、その欠片がすでに埋め込まれている。巨大化のメカニズムは完全には解明されていないが、きっかけとして、憎しみの感情に反応するのは、前回バスターベイラーへと姿を変えた時の乗り手であるケーシィからの経験でわかっている。
「いまさらそのベイラーで俺たちに盾突こうってのか? 死ぬぜあんた」
どれだけの手を打とうと、鉄拳王のベイラーその物が、すでにパームたちの術中にある。
「ああ、死ぬだろう」
「あ? 」
「むごたらしく死ぬかもしれぬ。跡形もなく消え去るかもしれぬ」
腰を落とし、右手を前に、左手を腰に。帝都近衛格闘術で、一番最初に覚える構え。
「だが、戦う。剣聖がそうであったように」
シーザァーが、己の役目を果たすべく
「馬鹿が! なら死ねやぁ! 」
パームはその覚悟をあざ笑うように、否。実際にあざ笑い、アイの右手を向けた。コックピットの破片が怪しく光る。ただのベイラー相手であれば、サイクルノヴァの一撃ですべてカタが付く。
「サイクル・ノ―――」
「帝都近衛格闘術! 」
しかし右手を向けられた直後、シーザァーが拳を地面へと、えぐりこむように穿った。石畳でできた地面が一撃で粉々になり、破片が宙を突き進む。
「岩牙! 」
『岩牙』。地面を砕き、石つぶてとして相手にたたきつける。帝都近衛格闘術の中で、通常、石の多い川辺などでしか使えない。闘う場所を選ばなけばならない技である。だが、王城のような石畳でできている場所であれば問題ない。無数の石つぶてがアイの右手にあたり、わずかにサイクル・ノヴァが上へと逸れた。激しい光が空へと伸びる。
「クソ! 外された」
《ちょっと前見なさい前! 》
「ああ!? 」
この技が、アイに通用しないのはシーザァーもわかっていた。『岩牙』は対人でも、致命傷を与える技でもない。重要なのは、『岩牙』は拳の間合いより遠くから攻撃できることにあり、かつ、『岩牙』が当たったその瞬間まで、拳の間合いまで踏み込む事ができる。間合いを詰めるには絶好の技であった。
「帝都近衛格闘術! 」
「(こ、この技は!? )」
シーザァーが構えたその瞬間。パームの脳裏に、かつての戦いが蘇る。己の右足を失った原因の技。忌まわしき記憶。
「アイ! バラけろ! アレはやばい! 」
《簡単に言うな! 》
帝都近衛格闘術、正拳突き。低い重心から。真っすぐに放つ、単純な拳打である。故に、その威力もさることながら、非常に速く隙もない。如何に強くなったアイでも、無傷では済まない。一撃を受ければどうなるかわからない。だが今のアイでは、その拳を受ける術がない。
故に、アイは再び髪の毛をほどき、四肢を分離させた。剣聖によって切り裂かれた手足は、だらんと力なく落ち、胴体だけにシーザァーの正拳突きを受ける。手足をなくした事で、重量一気に軽くなり、胴体だけになったアイは、ボールのように遠くに弾きとばされる。
「(受け流された! )」
「(受け流せたぁ! )」
両者の感想が奇しくも同じものになる。踏ん張りが効かないということは、力を簡単に受け流せるという事。殴り飛ばされたパームは、コックピットの中でしっちゃかめっちゃたになりながら、アイの頭を探はじめる。頭だけは共有をしている都合、ぎりぎりまで髪の毛をほどいていない。
「アイ! 両足のサイクルノヴァを撃てぇ! 」
《しょうがないわねぇ! 》
見つけた頭にむけ、パームが指示を飛ばす。バラバラになった両足を、髪の毛を這わせて再び繋ぎ、シーザァーへと狙いをつける。両足にも、右手と同じようにコクピットの破片が括り付けてある。膨大な威力をもったサイクル・ノヴァ。それによる十字砲火を行うべく、アイが大まかな狙いをつけた。
「ソレは見ている! 『岩牙』ぁ! 」
その両足をにむけ、地面を素早く二回叩きつけることで、石つぶてが襲った。破壊するにはいたらずとも、衝撃を与えた事でわずかに射線を逸らす。シーザァーを狙ったサイクル・ノヴァは再び虚空へと消え、不発に終わる。
「(やはり、あの攻撃は、万能ではない)」
二度にわたる『岩牙』による射線の妨害。それが想像以上にうまくいき、シーザァーの中で、ある種の疑念が確信に変わる。
「(わずだが、隙がある)」
サイクル・ノヴァの圧倒的な威力に隠れた、構造的欠陥。エネルギーを貯めて放出するために、発射までの1秒にも満たない、わずかなタイムラグが生じている。それをシーザァーは土壇場で見抜いて見せた。
「(そしてその隙あらば、この拳は届く! )」
シーザァーは、いまだ決定打足りえないとはいえ、闘う術を発見した。そして、この戦いでの勝機をわずかに見出している。
「(アイは、速いやつと相性が悪い! )」
パームは、この連戦の中でアイの明確な弱点を発見した。ミーンの暴風形態に手も足も出なかった事。素早い攻撃にも対応が難しい事など、彼にとっても初の経験を得ていた。
「(ひとまずは! )」
《空に! 》
そして、冷静になったパームの取った手は、この戦いでアイが勝つための最適解。空へと逃れれば、当然、徒手空拳は当たらない。『岩牙』も、空までは届かない。そしてサイクル・ノヴァによる一方的な蹂躙を行える。分離した肩に備わるサイクルジェットに追従するように。髪の毛でつないだ体が浮かびあがる。
「逃すかぁ! 」
だがシーザァーもまた、その行動は百も承知であった。さいきほど自分を狙った足を、まるで魚でも捕まえるように抱え込み、空に飛ぼうとしているアイを離さない。アイの細い黒髪は、指のないアレックスでは鷲掴みすることはできない。足を抱え込んだ後、腕でグルグルと巻きとめるようにして、強引に引き留める。
そうして、四肢をバラバラにしたアイと、シーザァーのアレックスとが地上と空とで綱引きをする。地上で踏ん張りの効くアレックスと、推力があるとはいえ、バラバラで方向のさだまらないサイクルジェット。
綱引きは、いとも簡単に決着した。
「こ、こいつ! 」
「うぉおおお! 」
シーザァーが雄たけびをあげ、巻き取ったアイに、可能な限り接近する。
パームの最適解が距離を取ることなら、シーザァーの最適解は、距離を離さない事。徒手空拳の間合いであることに加え、至近距離であるならば、アイの十字砲火を受ける事もない。
「この距離ではあのけったいな技を使えまい! 」
「このパーム様を舐めるなぁ! 」
パームの抵抗は、コックピットを直接握りつぶす事。アイの右手ならばそれが叶う。武器を生み出す暇も、隙もない。
《「強奪の指ぁああ!!」》
右手を、シーザーのいるコックピットにそのままたたきつける。液体を滴らせた指先は、アーリィ由来の翡翠色をしたコックピットの中へと沈みこむ、はずであった。
「ッツ!? 」
「舐めてなど、いない! 」
その感触は、柔らかい人体ではなく、硬い鋼鉄。コックピットと、アイの右手の間に、滑り込ませるようにして、シーザァーは、アレックスの左手を差し込んでいた。至近距離での攻防を予期し、パームの行動を読んだ上での対応だった。
そして、まだアレックスには、まだ右腕が残っている。
「帝都近衛格闘術! 正拳突きぃいい! 」
間合いも、タイミングも完璧にとらえた正拳突きが、アイを捉えた。




