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ベイラーと影響

「(また、ここなのね)」


 星が瞬く遥か宇宙の彼方、ふわふわと軽い綿毛の上で目を覚ます。手のひらの収まる小さな種の上に綿毛がついた植物。それがいくつも寄り添い合って、川のように流れている。


 ここは人の心の故郷。綿毛の川。流れる綿毛の種ひとつひとつが、やがて生まれる肉体に宿る心。


「力を使い過ぎたみたい。そうよねコウ」


 サイクル・リ・サイクルを使うと、必ずこの世界へと導かれる。カリンの魂が肉体を離れ、こうして心の故郷、言うなれば精神世界に存在する事が、果たして良い事なのかどうかは、まだ彼女自身も判断できない。それでも、寂しいと思う事が無いのは、隣には相棒であるコウが居たから。


「コウ? 」


 だが、今回はいつもと様子が違っていた。


 隣にいる青年は、確かにコウであるが、体がおかしかった。半分はたしかに、彼が人間であったころの姿。もう半分、蜃気楼に朧気ながら、彼がベイラーになった後の姿になっている。丁寧に帝都にきてから彫り込んだエングレービングもある。


 今までも、こうして2人並んで心の故郷に来たことはある。2人以外には、カリンとコウ以外、他の誰もいない、2人きりの世界。


「一体どうしたの」

「そんな気がしていたんだ」


 コウは、自身に起きている変化を、淡々と受け入れてるようで、特に慌てる事もなく、自分の手の、物珍しいそうに、ひらをじっと眺めている。


「サイクル・リ・サイクルは命の後押しする力。そして俺の、ベイラーの体をさらに強くする」

「コウ? 」

「それってつまり、人間だった部分が少しずつベイラーに置き換わっていくって事なんじゃないかって」


 振り向いたその顔も、半分は人間の、半分はベイラーの物。まだベイラーの側が輪郭が朧気である為に、かろうじてまだ人間だと言い切れるものの、本来の姿がどちらなのか分からない不明瞭さがあった。


 カリンはこの時、サイクル・リ・サイクルの力を誤解していたことに気が付く。その強力な力の代償は、自分の身にのみ降りかかるのだと。視界と感覚の共有は、今や五感におよび、コウが怪我をすれば、乗り手のカリンも怪我をしてしまう。コウの手が切り落とされたならば、自分の腕も切り落とされ、足を貫かれたならば、自分の足もまた貫かれる。元々、体が欠けるような大きな怪我のしやすいベイラーと同じように、人間が怪我をすれば、ほとんどが致命傷たりえ、特に痛みに関しては、幾度の無く修羅場をくぐり抜けたカリンでさえ叫び声が抑えきれない。だが、コウのコックピットにいる限り、サイクル・リ・サイクルを用いることで、瞬時に怪我は治る。痛みと、心の故郷に向かってしまうことは、この強大なサイクル・リ・サイクルの力を使う上で、避けようのない自分への代償なのだと。


「(あの力を使うと、もしかしたらコウが)」 


 しかし、その納得が今や揺らいでいる。自分とは違う形で、コウもまた代償を払っているのだとすれば。その代償が、心の変容ならば。心のありようが、人間の物からベイラーの物に変わってしまうのうのが、代償なのでは。確認もしていないのに、そんな疑念ばかりが頭をよぎる。確実な事は、すでにベイラーの体に変化し始めているのならば、サイクル・リ・サイクルの力を使い続ければ、こうして綿毛の川で、隣り合って話す事が出来なくなるであろう事。なぜならば、綿毛の川は、あくまで人の心の故郷。ベイラーの心の故郷はまた別に存在している。


 ふと、カリンは頭の中で想像する。綿毛の川に1人佇む己を。同じように、ベイラーの姿で1人佇むコウを。カリンの中で、自分が1人になってしまう事も寂しいが、コウが1人になってしまう事の方がもっと寂しく感じてしまった。想像の中でも、それは痛みより堪え難い。


「コウ。サイクル・リ・サイクルは」

「約束、したからさ」


 サイクル・リ・サイクルの力は絶大であるが、コウの力はそれだけではない。飛行能力。武器を作る器用さ。速さ、力強さ。どれも並みのベイラーでは歯が立たないレベルで備わっている。さらには、サイクルの力を増幅する龍殺しの大太刀。サイクル・リ・サイクルを使わずとも、コウは充分戦える。


「君と約束した」  

「それは」

「この力を使うべき時は、迷わず使えって」


 カリンは、一瞬でもコウに、サイクル・リ・サイクルを使わないように懇願しようとした自分を恥じた。今のコウと一緒に戦えばどんな敵とでも戦える。


 だが、どんな相手でも、必ず勝利できるかは分からなかった。日に日に増していく仮面卿の軍勢。戦略を用いるアーリィベイラーたち。アイの存在。パームの脅威。戦う相手はより強く多くなる。一方で、サイクル・リ・サイクルはコウ以外にも治療に使うことができる。治療によって怪我した仲間を助ける事も使用でき、実際に腹に致命傷となる大穴をあけたオルレイトを、医者を呼ぶより先にその場で即座に治療している。無論、最初から怪我をする前にオルレイトを守る事ができるのが最善であるが、戦いの中でそれを求めるのは、勝利を掴むことよりも難しい。


「ええ。約束だもの」

「ああ」


 何より、その約束を取り付けたのは、他ならぬカリン自身である。コウが自分を心配してくれている事を知りながら、自らそれを覆すなど、あまりに一方的で、虫が良すぎると言えた。


「ん。今回は速いな」

「そうみたいね」


 まだ話したいことが山のように積もっているのに、時間がソレを許さない。頭上から光が降り注ぐように溢れていく。これはカリンたちの肉体が目覚める時に決まって現れる、一種の予兆。しばらくすれば、2人は目覚め、現実の世界へと帰っていく。


「カリン。また共に」

「もう、どうせすぐ会えるのに」

「ハハ。そうだな」


 カリンに向け、コウガ別れのあいさつを告げる。いつからか、コウはこの世界の挨拶が身に染みこみ、カリン以外にも、頻繁にゲレーンの挨拶を使っている。カリンにとってソレは喜ばしい事のはずだったが、コウの変容を見て、気がかりがの方が大きくなっていた。


 初めの頃。コウはまだ現代の言葉をよく使っていた。コウは元からそこまでコミュニケーションが得意ではなく、自己愛も薄い。さらには日本の価値観のまま、ゲレーンの人々と会話するため、衝突こそしなかったが、時にすれ違い、時に意図が羽からない会話を重ねた。次第に経験を積んだことでその傾向は薄れ、カリンへの告白を経て、今のコウがなりなっている。


「(でも最近、めっきりコウの故郷について共有されてない)」


 コウの故郷。現代の日本。ふとした瞬間に、垣間見る事ができた景色を、カリンは最近見ていない。帝都や仮面卿のことで頭がいっぱいで、単に思い出してしないのか。


「(人は成長する。ベイラーもそう。でも)」


 もしかしてコウはサイクル・リ・サイクルを使いつづけることで、昔の記憶を忘れてしまっているのではないかと考える。サイクル・リ・サイクルの発現は、お互いにお互いが歩み寄ったからこその力であり、間違いなく成長したからこそ生み出せたものと断言できる。


 しかし、ソレを使い続けることが良い事なのか悪い事なのかは、カリンは判断できずにいた。


「(私は貴方を、変えてはいけない方向に変えてしまったの? )」


 カリンと長い間共に過ごした結果なのか。ソレすらサイクル・リ・サイクルの影響なのか。ざわつく心が鎮まる暇もなく、やがて光がふたりを包み込んだ。



「こ、ここは? 」

《戦いは、どうなった》


 薄暗いほろ穴のような場所で目を覚ます。明かりが無く、周りを照らすものが何も無いため、寝起きの目を擦りながら、カリンがコックピットから出てランプをつける。スイッチを押せば中で火打ち石がはぜ、燃料に火が灯った。


「洞窟、じゃ無いわね。人の手が加わってる」

《ここ、もしかして地下水道じゃないか? 》

「そういえば、このレンガの積み方には見覚えがあわるわね」


 カリンがランプであたりと照らすと、自分達が眠っていた場所を目にする。地下水道が流れる傍で組み上げられた、非常に簡素な作りの寝床。麻袋の上には、山のように置かれた宝石の数々。枕元には隅々まで丁寧に食べられたであろう小魚の骨。部屋というにはテントで行うキャンプの様だった。上を見上げれば、縦穴がぽっかりとあいており、奥からぬるい風を感じる。


 ふとカリンがランプを地下水道を流れる下水に向けると、頭の先っぽと目だけを出し、2人を品定めするかのように見る、その相手をみて、コウもカリンも心底驚き声を上げた。


「貴女、クワトロン!? 」

「お前たちは本当、いい反応をするねぇ」

《どうしてここに!? 》

「おいおい。人の家にあがっておいて、どうしては無いだろう」

「クワトロンの家? 」

「眼帯の女の子に頼まれて、お前たちを匿ってたんだ」

「(眼帯、サマナの事ね)」

《あ、ありがとうございます》

「気にしなくていいさ。ちょど荷物をまとめたかったし」


 クワトロンは、大きな二枚貝でできた鞄を下げている。人間と違い引っ越しにはさほど荷物は要らないようで、手荷物というにはとても小さかった。


《まとめるって》

「きな臭いから一旦おさらばするのさ」

「それは……すこし寂しいわね」

「何。サーラにでも居着くさ。だから」


 赤く波打つ髪は、薄暗がりでもよく映えた。


「こんどサーラに遊びにおいで」

「ええ、そうさせてもらうわ」

「それに、メイロォお姉様と仲直りしたいから、そのとき、あんたみたいなのが口添えしてくれると、事がいいように運ぶんだ」

《(ああ、シラヴァースの人って感じ)》


 コウの心を、クワトロンは即座に読み取るが、口に出す事はしなかった。


《ところで、俺たちはどれくらい寝てた? 》

「今頃は太陽が真上にあるね」

「もうお昼!? 」

《すぐ戻ろうカリン! 》

「そ、そうね。クワトロン! 出口は!? 」

「ここの真上さ」

「お前たちなら飛んでいけるだろう」

「ありがとうクワトロン! また共に! 」


 2人は慌ただしくねぐらから去る。コウはサイクルジェットを使い、縦穴を一気に駆け上がる。やがてクワトロンの頭上で少々盛大な衝突音が聞こえたが、彼女は特に気にしなかった。出口があると言ったが、あくまで人間用であり、ベイラーがそのまま通れるとは言っていない。蓋を強引にぶち壊し外へと出たのだと予想できた。


「ああ。さらば」


 サーラの別れの挨拶を告げ、クワトロンもねぐらを後にする。テントに置かれた装飾品にもめくれず、腰に下げた二枚貝のポーチの中身を確認する。どれも彼女のお気に入りの化粧道具たち。


「これさえあれば、宝の山はいつでも手に入るし」


 積み上げられた宝石は、かつて彼女に求婚しようとした男性から贈られた品々である。宝石にさほど興味がないクワトロンにとって、宝石の価値は貝殻よりも低い。


「あー、なんか上が変なことになってる」


 地上では人の思念がそこら中に飛び交っており、戦いが少しずつ苛烈になっているのを示していた。


「(まぁ、関係ないね)」


 彼女は今まで、地下水道に暮らし、その街中に張り巡らされた水道脈を生かして、スキマ街に通じ、貧しい彼らに食べ物などを率先して分け与えていた。はたから見れば、聖人のような行為だが、彼女の場合、正義感や義務感、ましてや使命感からくる行動ではない。スキマ街が物資に乏しく、明日食べるパンさえ困窮する彼らにとって、クワトロンのような存在は神よりも偉大に見え、こぞって溢れんばかりの感謝と尊敬の念を抱き、口々に彼女を讃える。


 彼女が物を恵む最大の理由はその賛美の言葉であり、そこに一切他の感情はない。弱者に物を恵んだという優越感を得るのが目的の、長い時間の中で見つけた、とても都合のいい暇つぶしにすぎない。少なくとも、スキマ街の貧しい人々を真に救いたいのならば、食べ物を恵むことより先に、帝都から脱出させる方が良い。よしんば助けるとしても、まずは不衛生の温床となっているスキマ街をどうにか改革する必要がある。


「ヤダァそんな面倒なこと」


 彼女は改革を望んでいない。むしろスキマ街は現状を維持した方が、クワトロンが食べ物を恵む機会がさらに増え、より讃える声は大きくなると踏んでいた。

 


「でも、カリンはきっとあの街をどうにかするんだろうなぁ」


 人間の何倍も長く生きる長寿のシラヴァーズにとって、カリンは恋人でも、ましてや友人でも無い。まだ数回しか顔を合わせてい無く、邪険に扱う事はしなくても、これ以上深く関わる理由がクワトロには無い。


「(最悪、あの娘が死んでしまっても、メイロォお姉様に告げたら、さぞいい顔をするだろうなぁ)」


 戦いで命を落とすのは、特に珍しい事ではない。戦争ならばなおの事。頭ではわかっているはずなのに、カリンが命を落とす想像をした瞬間、クワトロンは、自分の胸が一瞬、ちくりと痛んだ。

 

「(あらら、知らない間に、あたしも入れ込んでたんだねぇ)」


 ちくりと痛んだ胸と連鎖するように、瞳からじわりと涙が溢れる。考えいる事と、感じている事が全く異なっている。カリンに死んで欲しくない。しかし、己はシラヴァーズ。海の上ならまだしも、陸の上ではなんら役に立たない。


「アタシに何ができるか分からんけどさ」


 ただ、あの娘はメイロォと知り合いだった。


 サーラにいるメイロォならば、あるいは。


「久々に全力で泳ぐとするか! 」


 あの、美しくも、傲慢で、頭も良く働く、あのメイロォであれば、何か知っているはず。もしくは、あの娘の為に何かしようと動くはず。


 打算なのか、それともメイロォに対する期待なのかはわからない。それでも、動かずにはいられなかった。彼女は地下水道を越え、いつか空色のベイラーが打ちこわした柵を越え、海へと躍り出る。その優雅になびくヒレは波をかき分け、潮の流れをとらえ、クワトロンを前へ前へと押し進める。


 目指すいとしの故郷まで、自分の泳ぎであれば、3日もあれば到達する。


「それまで死んだらいけないよ、カリン」


 海を越えるべく泳ぐその姿は、気品と優雅さを兼ね備えながら、前を横切る魚たちを邪魔だと言わんばかりに、かき分ける水飛沫の水圧で吹き飛ばす、なんとも荒々しい泳ぎだった。沖に出るに、魚の数も種類も多くなるにつれ、クワトロンが起こすその海の交通事故も、同じように激増していった。時折衝撃に耐えきれなかった小魚たちが命をおとしプカプカと水面で漂っている。


 しかしながら、見ているものが恋に落ちてしまうほど、泳ぎひとつとっても、彼女はやはり綺麗だった。


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