少し先の話
皇帝結婚の報は、瞬く間に帝都ナガラ中を駆け巡った。まだ式も挙げていないというのに、町中では祝福ムードが漂っている。先の若干12歳の皇帝に、年上の女性が嫁として迎え居られることにわずかな悪評があった。だがしかしそれ以上に、あの毎日退屈そうにしている皇帝が、人らしからぬ側近や、100歳を超える剣聖を従えているそんな彼が、結婚という人間らしい行事に興味があったことに、民衆は驚いていた。
「カリン・フォン・イレーナ・ナガラ……そうか。イレーナの名を」
「はい。正式に名乗るのはもう少し先になると思います」
目まぐるしく変わる日々が過ぎ、カリンの結婚式まであとはや2日。ゲレーン王により、客室に集められた龍石旅団。衛兵も、同じ場所に人数分いるのは非効率極まりないために、別所で待機している。一時期は、各国が地位欲しさにカリンへの結婚を申し入れる手紙で埋もれていたが、今はその殆どが片付けられえていた。
「……いいんだな? 」
「はい。陛下とお話して決めたことです」
「あの陛下とか」
結婚を申し出てきた国からしてみれば、大会で剣聖と対等に渡り合ったカリンは、他国からしてみれば、金と権力を生み出す木であり、何としても手入れようと水面下で動きは活発におこなわれたいた。だがそれも、今回の婚姻によって各所に激震が走る。婚姻の事実だけでも凄まじいのに、相手は皇帝というのだから、カリンを手に入れようとした大勢の国家は、口を閉ざす他なかった。
そして、カリンが皇帝との婚姻が決まったということは、ゲーニッツは立場上、上皇と同等の地位を得ることになる。
「(図らずとも、他の国が欲しくてたまらなかった地位か手に入った訳だ……背中には気を付けておくとしよう)」
「あの、王様。この方は? 」
「……ああ。マイヤ君は面識がなかったのか。紹介しよう」
夜道で背中を刺される事が大いにありえると、頭の片隅に置いておくと、マイヤがおずおずと手をあげ問いかける。龍石旅団の面々と合わせて、もう1人。なくてはならない人物がいる。黒衣をまとい、影のように佇む男。
「オージェン・フェイラスという」
「まぁ! オージェン様! そんなお顔をなさってたのですね! 」
「……目が悪いという話だったな」
「はい。でも、眼鏡のおかげで助かっているんです……しかし、オージェン様までいるとなると、私達はなぜ集められたのでしょうか? 」
「ああ、それは、キャラバンの今後についてな」
「そういや、旅が終わったんだから、お役目はお終いってことだな」
ひとり離れた位置でソファーに座り込むサマナ。しきりに右目の眼帯をさすっている。
「サマナちゃん、おめめまだ痛い? 」
「お薬いる? 」
「……ありがとうな。でも大丈夫だ」
双子の頭をわしゃわしゃとなでるサマナ。
「(最近ずっとおめめ痛そう。病気かなぁ)」
「(でも大丈夫っていってるし)」
声に出していない、双子が心の中で思っている事が、サマナには分かるようになっている。
「(……いよいよもってだなぁ)」
心が読めるようなる。それは祖母から聞かされていた事であった。だが実際に人の心が透けて見えるようになると、そのつもりがなくても、覗き見をしているようで気分がよくない。
「(陛下は、あの肉をたべてくれたのだろうか)」
「(部屋の隅に埃が……やはりお手伝いするべきだった)」
オルレイトは牧場から連れてきたラブレスがきちんと陛下の口にあったかどうかをきにしており、マイヤは部屋の汚れが気になって仕方ない様子だった。
「(スキマ街の事、結局みんなにまだ話してないな)」
ナットは、自身の体験を話すタイミングを逃しており、そわそわしている。
この数人しかいない空間でも、これだけの情報が常時、頭の中を駆け巡る。まだ顔と名前が一致した間柄であり、誰が何を考えているのかが区別がつく。しかし町中になると、誰とも分からない考えが、まるで洪水のように浴びせられてしまうため、サマナにとっては心労がすさまじかった。
「(漁に出るのは楽でいい……みんな魚の事だけ考えてる)」
帝都に来てからというもの、連日漁を手伝うのは、まだ町中より海の方が人が少ないという単純な理由だった。
「カリン。君のキャラバンについてだが」
「はい」
ゲーニッツが切り出す。
「招集が終われば、私はゲレーンに帰る事になる」
「ええ」
「君のキャラバンも、それはおなじだ」
「……ええ」
「だが、君は、招集が終わっても、この館で暮らすことになるだろう」
「そう、なりますね」
カリンは帝都に嫁ぐ。それはカリン帝都ナガラに住むという事になる。かつて彼女の姉もそうしたように。そして、旅の同伴をしていた龍石旅団は、その任を終える。
つまり、キャラバンの解散である。
「ゲレーン王、僕らが残る事は、できないのでしょうか? 」
「オルレイト君。君には牧場があるだろう? 」
「それは」
「マイヤ君も、城に戻って後進の育成に携わってほしい」
「……そうですね」
オルレイトとマイヤには、帰らねばならない明確な理由があった。
「ぼ、僕は、残ってもいいかなぁって。郵便屋として働ければ……」
「ナット君。この街に郵便屋はいないんだ。運河で働く人がそれを担っている」
ナットは食い下がろうとするが、ぴしゃりと言い渡されてしまう。
「リオ、クオ、お前たちだって、残りたいだろう」
「……残りたい、けど」
「ゲレーンに、お母さんも、お父さんもいる」
ナットの声に、少しだけ怯えながら、リオが、しっかりと言葉にする。
「あのねナット、リオが住んでるところって、キルギルスだったり、キールボアだったり、他にもいろんなのが山から下りてきちゃうの。畑を荒らしちゃったり……大人だって怪我したりしちゃうの。だから、お父さんと一緒に罠を仕掛けて、こっちに来たら駄目だよってしてあげないと」
「クオも、そうなのか? 」
「お、お父さん、前に、大怪我しちゃってるの」
「……知ってる」
一年前の冬。リオとクオの父親であるジョットは雪の降りしきる山の中で大怪我をおった。キルギルスとキールボアが原因である。
「お父さんのお手伝いって、お父さんが生きている間にしかできないんだって」
「……そう、だな」
「もう、ネイラちゃんのお手伝いできないから」
ふたりが涙ぐむ。リオとクオにとって、ネイラの死は、未だに衝撃的な体験であった。そして、その体験をしたからこそ、両親の仕事が、あの国ではどれだけ重要だったのかを理解していた。
「姫様と離れ離れになるの、リオもヤダよ。でも、ゲレーンでお父さんもお母さんも待ってる」
「……いいよな。2人には待ってくれてる人がいてさぁ。僕は、僕には」
「ストップストップ」
ナットの言葉を遮るようにサマナが割って入る。ナットは天涯孤独であり、ゲレーンに帰っても、確かに待つ人はいない。だが、それを口に出させる訳には、いかなかった。
「そっから先は言わない方がいい。喧嘩じゃ済まないぞ」
「……え? 」
言わんとしている事を遮られ、ナットは、憤るより先に、つい先日体験した会話を思い出していた。心を読まれることで、言いたい事を先に言われる、シラヴァース特有の会話テンポ。
「なんで? 」
「まぁ、隠すような事じゃないか」
観念するようにサマナが右目をさする。
「おばあちゃんが言ってた通りだ。あたしもシラヴァースと同じになりつつある。人の心が最近よく見えるようになったんだ」
「なら、僕の言いたい事なんて分かるんじゃ? 」
「ああ。よく分かる。だから、お前がゲレーンに帰る理由をつくってやるよ」
「理由? 」
「この旅が終わって、すぐにサーラに帰るつもりだったが」
サマナ屈む。いくら彼女の身長が低くとも、ナットよりは高い。目線を合わせて、しっかりと聞かせるために目を合わせる。
「カリンの故郷に行くのも悪くない。其の時、案内してくれる奴がいないと不便だろう? 」
「……なんだよ、それ」
「郵便屋で土地勘があるし、なにより文字が読める。それでだ」
その頭をくしゃりとなでる。
「落ち着いたら、カリンに会いに行こう。何も今生の別れじゃない。船さえあれば、サーラから帝都なんてすぐなんだからよ」
「……みんな、勝手だ」
「ナット」
カリンがナットへと向き直る。
「私からも、サマナの案内をお願いします。山道は大変でしょうし、それに、貴方なら、ゲレーンのいいところ、たくさん教えてあげられるでしょう? 」
「姫様からそう言われたら、もう何も言えないじゃないですかぁ」
ナットは、静かに頷き、応えた。
「手紙、書きます」
「ええ。待ってるわ」
「それに、郵便屋以外でも、なにか商売ができるようになったら、僕も帝都に住みます! それなら、問題ないはずです! 」
「―――ナットが、商売を? 」
思わぬ進言に目を丸くするカリン。オルレイトは、肩をすくめながら補足した。
「ずいぶん気に入ったんだな」
「貴方が教えたの? 」
「弟より飲み込みが速かったから、つい」
「もう。ナットがネルソンみたいになったらどうするのよ」
「彼の商人の腕としては大したものだぞ」
「それに、姫様もネルソンから武器を買ってくるように言ってましたよね?」
「た、確かに頼みましたけど」
ネルソンの人脈と商才は、カリンも認めている部分がある。そうでなければ、対空用の武器を集める事ができていない。だがカリンが不満に思っているのは、ネルソンの素行にある。金があればすぐ酒に走るその悪癖を、ナットに真似してほしくなかった。
「ネルソンの悪いところは似ないように」
「はい。姫様」
「キャラバンを解散しても、まだ仮面卿との決着が残ってるだろ」
仮面卿。その名前が出た途端に、皆の顔が険しくなる。そして、その話題を待ちかねていたように、オージェンが口を開いた。
「西の空に、あの巨大な船が高度を落として接近中だ」
「……やはり、結婚式に彼らは来ると? なぜ? 」
「おそらく、そのタイミングが一番被害が大きいからだろう」
「被害? 」
「彼らの動きは、反乱といよりは、もっと大がかりな物に思えてならない。内部で暗躍していたポランド夫人の取り巻き達が、近日ごっそりいなくなっているのも気になる」
「なら……目的は帝国そのものの崩壊? 」
「可能性として、十分にあるだろう」
「そんなこと、させはしないわ」
カリンが歯を食いしばる。これから先、故郷ゲレーンで、海の国サーラで、サルトナ砂漠で様々な事がおきた。そのすべてが、ここ帝都の滅亡の下準備だったのであれば、容認することなど出来るはずもない。
「皆。キャラバンは終わってしまうけれど、もう少しの間、共にいてくださる?」
カリンが全員を見渡す。生まれも背丈も性別も違う。国を超え、海を越え、砂漠を超えた彼ら彼女らと、この帝都で過ごすのは、もう少しの時間しかないのだと。
その少しの時間の内訳は、ほとんど戦いで消費されてしまう事が、何より心残りだった。
「最後まで、共にいます。姫様」
オルレイトが、サマナが、マイヤが、ナットが、リオが、クオが、ゲーニッツが、オージェンが。
この場にいる全員の言葉が、重なった。
◇
キャラバンの解散が告げられたその翌日。婚姻の前夜。
「あら、見違えたじゃない」
《コレ、本当にやらないとだめ? 》
「貴方も式典に出るのだから、それ相応の装いがあるでしょう」
王城の離れ。カリンの為に用意されたその館が、遂に完成した。二階建てであるが、一階の屋根は広く、コウ達ベイラーの背丈でも余裕で入る事ができる。二階部分は一階を上から見渡せるテラスになっており。カリンはそこからコウの姿をまじまじと見ていた。
王城に比べれば、豪華絢爛な家具が置いているわけではない。中央のシャンデリアはずっと小さく、廊下には絵画や調度品の類は飾られず、敷かれた絨毯は刺繍もない。
この離れに使われた予算を、皇帝が別段ケチった訳ではない。離れの構造については、カリンの進言によるところが大きい。素材そのものが非常によくできており、こと特別製の絨毯においては、ベイラーが踏んでも破けることはない、非常に強度の高い布を使っていた。外見の良し悪しより、共に住む者が快適に過ごせるようにと、カリンなりの考えである。
そうして完成した離れは、王城と比べ、外観は非常に質素な見た目となった。しかし、中にはベイラーが悠々と入れる入り口があり、中の天井は二階部分まで吹き抜けになっているため、コウ達が頭をぶつける事もない。人とベイラーが共存できる家。それは最終的には、カリンの故郷、ゲレーンの城と、ほぼ似た造りになっていた。
出来上がったばかりの館でコウを待っていたのは、とある調節だった。カリンの婚姻が決まり、結婚式の日取りも決まった。そしてその式典にこの館が使われることも決まっている。結婚式と、妃の住む館のお披露目も兼ねていた。コウも参加する事になったが、彼にも、専用の礼装を拵える運びとなった。
《俺はレイダさんと同じ銀色でいいと思うんだけどなぁ》
「いいじゃない。金でやってくれるっていうんだから、御言葉に甘えなさい」
《なんだかなぁ》
ベイラー用の礼装として、ゲレーンでは厚手の外套を使う事があるが、ここ帝都では、それに加えて、別の物を用意する。彫刻した体に埋めこんでいく、エングレービング。レイダも帝都についてからおこなったベイラー用の装飾品である。あらかじめ用意された細い金細工を、ベイラーの肌を掘って溝をつくり、その溝へと金細工を埋め込んでいく。感覚的は、人間でいうところの刺青に近い。
「それに、金なら錆びたりしないでしょう? 」
《それはそうだけどさぁ》
「……そんなにイヤ? 」
《嫌というより》
すでに右肩には、職人よってつくられた見事なエングレービングが施され、白一辺倒だったコウの体は、その部分だけでも非常に華やかになっている。だが、コウが気にしてるのは外見の事ではなく、もっと根本的な事だった。
《重くなるから、空飛ぶとき大変じゃないかなぁって》
「……それは考えて無かったわね」
王城の周りには、パラディン・ベイラーがおり、明るい橙色をした彼らの体にも、金のエングレービングが施されている。その風景に慣れ過ぎていたために、コウにエングレービングを施す事でデメリットが生まれることなど頭になかった。
《だからさ、レイダさん見たく、全身にじゃなくって、半分くらいの量でやってもらったほうが、カリンも乗りやすいと思う》
「エングレービングがイヤというわけではないのね」
《うん。白地に金って、まるで騎士になったみたいでカッコいいし》
「フフ、そうね」
カリンが口元を抑えながら微笑む。この婚姻には、帝都の食糧難を解決するという大義名分があった。ソレを盾にして婚姻を迫られたのであれば、龍石旅団全員が引き留めている。
だが、皇帝は違った。隣で過ごしてほしいと、純粋に願っての申し出だった。
「でも、二か月くらいはバタバタして、夫婦らしいことなんかできないそうよ」
《それって、政治の話? 》
「政治の話。私が口出せるかどうかは、怪しいけど」
《反乱の事は? 話せた? 》
「ええ。そのあたりはなんとか」
《いっそ誰も呼ばずにやればいいのに》
「それも提案したんだけど、妃の姿を国民に見せないでどうするんだって、もっともらしい理由で押しのけられちゃった」
《あのコルブラッドって人にだろう? 》
「ええ。最後はこの国をぐるりと回るそうよ」
《うわぁ。それだけで一日が終わりそうだ》
「でも、その間は地区ごとの門は全部あけておいてくれるって」
《え? よく皇帝さんが許可を出したね》
「シーザァーさんの口添えよ。……いざとなったら、皆、帝都から逃げれる」
《……》
「二か月先に、どうなるかもわからないのにね」
空から来る敵。12個ある地区ごと避難させるより階段を降り、カリンがコウの足元に寄りかかる。一度深呼吸して、呼吸を整えたと思えば、顔を見上げ、コウと目線を合わせた。
「コウ、私がお嫁に行っちゃったら、寂しい? 」
《そりゃぁ、寂しいよ》
「怒ってる? 」
《……怒っていいなら、怒る》
「じゃぁ、どうして? 」
《……俺がベイラーの体だから……ううん。違う》
目線をあわせたまま、コウが膝立ちになる。それでもやはり、どうしてもカリンがコウを見上げる形になった。
《逆に聞くけどさ》
「なぁに? 」
《カリンがお嫁さんになっても、俺から下りる事はないだろう? 》
「ええ。当然でしょう? 」
《たぶん、ソコなんだ》
「はい? 」
コウが、頬をぽりぽりと掻く。木の皮であるはずのコウの肌は、まるでニスを塗ったかのように艶やかであるが、ひっかけば当然木屑が落ちる。パラパラと地面に白い木皮が落ちながら、コウはつづけた。
《カリンが僕を好きになってくれた。それは嬉しい》
「そ、そうね」
《でも同じ位、皇帝がカリンを好きになってくれた事が、とっても嬉しんだ》
それは、独占欲からもっとも離れた、すこし大きすぎるくらいの好意だった。
《そして、そんな君が、俺にまだ乗ってくれる。その事実だけで、今は胸が一杯になる……理由がコレじゃ、だめかなぁ? 》
「貴方、嫉妬とかしないの? 」
《……前の俺ならしてたとおもう》
「今は、違うの? 」
《うん。だってそれって、結局俺にはどうしようもできないんだ。俺が今すぐ皇帝みたいな人間になれる訳でもないし、皇帝だって、俺みたいなベイラーになる事は出来ない。……言ってて気が付いたんだけど、だから嫉妬って、実はすっごく不毛な事かもしれない。だって、他の人を妬んだからって、何か変わる事はないんだよ》
それは、実体験と達観が入り混じった、しかしコウ自身がたどり着いた答えだった。
《だから、今の俺なら、君が綺麗な花嫁衣裳を着て、皇帝と並んで歩いている所を、拍手で迎えることができるよ。おめでとうって》
「……そう」
《あの、ここまで言っておいてなんだけど、やっぱり嫉妬した方がよかった? 》
「……それ、全部台無しになってるって気が付いてる? 」
《わかんないや。でも、口に出した方がいいかなって》
「もう。乗ればどうせ分かるのに」
《それに甘えたくないんだ。一緒にいる間は、特に……カリン。明日早いんだろう? 部屋に戻った方がいいんじゃないか? 》
「……私も、口に出して言葉にした方がいいわね? 」
《カリン? 》
片膝をついたコウのコクピットへと、いつものように乗り込もうとするが、コウの膝に手をかけようとして、その動きをとめた。
「今日は貴方の中で寝たいの。ダメ? 」
《なんか、皇帝に嫉妬で殺されそうだ》
「で、お答はいただける? 」
ゆっくりと時間が過ぎる。夜、消灯されて明かりも無い中、コウの、虹色に光る目だけがカリンの顔を照らしている。
《……もう俺が君を拒むことはないよ》
「つまり? 」
答えは分かり切っていたが、わずかにコウがはぐらかそうとしている。その退路を断つかのようなカリンのふるまいに、コウは観念して、きちんと答えた。
《……いいよ》
「何? 恥ずかしいの? 」
《……そうだよ。ちょっと恥ずかしい。でも、甘んじて受け入れるとも》
「じゃぁ、入るわね」
《うん》
コウは、自分に乗り込みやすいように手を差し伸べる。もう何度も行い、慣れた仕草であるが、何度やっても気が抜けない。怪我をさせてしまうのではないかと頭をよぎらない日はない。
カリンも、差し出された手をしっかりと握り、コックピットに入る。
見慣れたシート、見慣れた景色。だが今はそれが心地よかった。
「コウ。おやすみなさい。また共に」
《ああ。おやすみ。また共に》
コックピットに取り付けたシートを傾け、横になれるようにする。コウ発案の稼働式シートの寝心地は、お世辞にも良い物ではないが、それでも、コウの中で眠れる事が、今のカリンには何よりうれしい事であった。夜が明ければ、カリンは名を変え、そして、西の空から迫る敵との、これまでにない、激しい戦いが待っている。
時が止まれば、どれほど良いのだろうと、カリンは過ぎた願いを胸に目を閉じた。決して口に出す事のない願いであり、どれだけ望もうと誰も手に入れる事のできない願いであった。
◇
かくして夜が明ける。コウが目覚めたとき、カリンの姿はすでになく、すでに軽い朝食を済ませ、数十の人間に囲まれながら、身支度が始まっていた。
新に妃として迎え入れる女性の姿を一目見ようと、大勢の貴族たちが集まった。だが彼らの背後から、文字通り巨大な敵意が来ている事を、カリン達以外は、まだ誰も知らない。




