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ベイラーと脱出口


「お兄ちゃん、もう行っちゃうの? 」

「ああ。日が暮れる前に戻らないと」

「そっか。お仕事、大変だもんね」


 奴隷の身分であるフランツが、こうして家に帰れる事は珍しい。月に一度あるかないか。それもほとんどは家に泊まる事もなく、再び奴隷王ライカンの元へと戻っている。奴隷として働けば働くほど、彼の手元に金は入ってくる。その金で、妹と二人でどこか遠い場所へ行くことが、彼の夢であり、願いであった。それを想えば、奴隷として扱われる事も、なんら苦にならない。


 そして、フランツは、ソフィアに、自分の仕事の事を話していなかった。


「だが、もう少しだ。そしたら、ソフィア。一緒にこの街を出よう」

「うん」


 ソフィア。フランツの妹であり、彼女には、あるべき両足がない。彼女たちの住むスキマ(がい)は、帝都の壁と壁の間にある、公的には認められていない、地図に存在しない街である。地区ごと焼き払う『消毒』を受け、壊滅した地区の、わずかな生き残りが、身を寄せ合ったかろうじてできているスラムである。帝都のように下水道は存在しせず、物流が存在しないため、衣食住、全てが足りていない。それでも彼らは、帝都の壁の間で、ひっそりと、息をひそめて生きている。


 フランツを含め、彼女らはそんな生き残りが世代を重ねた、スラム生まれのスラム育ちである。二人の兄弟を生んだ両親は、すでにこの世を去っており、彼らに身よりはない。そしてソフィアの両足は先天的な物ではなく、足の怪我が悪化し、切断を余儀なくされてしまった物である。スキマ街では、住人は靴を履く余裕すらなく、足先を怪我し、破傷風になってしまえば、医者はおろか薬もないこの街で、治す手立てはない。


「船に乗って、サーラまで行ければ、もう俺達の事を知ってる奴はいない」

「サーラって、どんな国? 」

「おおきな港のある、海の国だ」

「海……見た事、ないなぁ」


 彼女の両目も、また病由来の物である。下水の整備が無い為、衛生状態が酷く劣悪な事が影響していた。やはりろくな治療薬のないこの場所では、彼女の目を治す事は難しい。こうして病の進行を抑えられているのは、ひとえにフランツが持ってくる薬のおかげである。


「お山も、見てみたい」

「サーラの隣の国が、山に囲まれた国だっていうから、其処にいってみよう」

「うん……お兄ちゃん」

「どうした? 」

「さっきの靴職人さん。あんまり怒らないであげて」


 フランツの顔が、ぎゅっと歪む。


「あの靴職人さん、きっと、優しい人なんだよ」

「どうして、そんなことわかる」

「だって、あの人の声、嘘をついてるように思えなかった」


 包帯の巻かれた彼女の目が、天井を向く。


「私の両足の事、知らなかったんだよ。だから、今度会っても、許してあげて」

「……お前が」


 フランツが、妹の手を握る。弱々しくも、しっかりと握り返されるその手に、彼は誓う。


「お前が、そう言うなら、きっと、いいやつなんだな」

「そうだよ。私、人を見る目はいいんだから……いや、見えないんだけどさ」


 自傷気味に、にひひと笑うソフィアに、フランツもまた釣られて笑う。彼女は、自分の怪我の事を笑い飛ばせるだけの、精神的な強さがあった。


「……じゃぁ、そろそろ」

「うん」


 名残惜しそうにその手を放し、家を後にしようとする。


「お兄ちゃん」

「なんだ? 」

「……絶対、帰ってきてね」

「ああ」

「絶対、絶対だよ」


 もう、何度も繰り返し行われた約束。兄は、妹に帰ると約束し、妹は、その約束を胸に、この家で静かに過ごす。兄は、奴隷としてその顔に何度泥を塗られようと、妹の為に奮起し立ち上がり、妹は、幾たびの夜を不安で苦しくなりながらも、兄を信じて眠る。彼らはそうして日々を耐え忍んできた。


「ああ」


 兄の返事は決まって、短い。だがそれでいいと、ソフィアも、フランツも想っている。彼らの絆は、ベイラーと乗り手と同じか。それ以上に強く深かった。



「くっそ! なんで、どうして」


 フランツの家から駆けだしていたったナットは、自分の行いに腹を立てながら、ずっとスキマ街を走っている。


「僕は、ただ、喜んでほしかっただけなのに」


 断片的な情報から、彼は推察を行い、フランツの妹に靴をあげようとした。フランツの彼のなれそめが、『靴を寄越せ』からはじまっており、そしてナットは、『なぜ靴を欲しがっているのか』を考えた。丁度、オルレイトから商人としての知恵を授けられたばかりであり、儲け以上に、きっと世転んでもらえると思っていた彼にとって、ソフィアの体は衝撃的だった。


 そして、ずっとスキマ街を走っていると、ソフィアの事と同じ位に、如何にこの街が異様なのかも肌で感じ取り始める。


「(この街、手足の無い人が珍しくない)」


 火傷を負っている人々とは別に、病気でその四肢のいずれかを失った物。戦いで命からがらにこの場に落ち着いた者など、経緯は様々であったが、ナットからしてみれば、彼らに違いなどは分からなかった。


「……はやく、はやく帰らないと」


 この場に長居することは、自分にとって良くない事を引き超すと、ナットの直感が告げる、住人の奇異の目は、彼の清潔な服装に向けられている。


「(このまま居たら、本当に身ぐるみ剝がされる)」


 盗賊相手に使われるような言葉だが、ここの住人にとって衣服は貴重であるのは事実である。


「(でも、ここ、どうやって出ればいいんだ)」


 かなりの距離を走っていたナットであるが、一向に出口らしい物が見えない。


「(これだけ走っても同じ場所を通っていない。もしかしてこの街、僕が思うよりずっと大きい? )」

 

 彼は普段、郵便屋としてゲレーン中を駆け回っている。そのため、自然と道を覚える術を体に叩きこまれていた。道を覚えれば覚えるほど、迷う時は無くなり、より速く、より遠くに手紙を運ぶ事ができる。そうして彼は、特技としてあげられるほどに道を覚えるのが速くなった。


 ナットが道を覚える方法は、特徴的な場所に頭の中で目印をつけておくことで、その目印を基点にして、自分の走った場所をそのまま地図として描いていく者である。これは、そもそも地図が読める者でなければできない方法だが、郵便屋で一番最初に習う事は地図の読み方であるため、問題にはならなかった。


 だが、現状として、ナットはこのスキマ街を、フランツの家を基点に地図を作っている。いままで走って来た道は曲がり角などもなく、ただの一本道であり、迷う事はありえない。しかし、フランツの家からいくらはなれても、まったく街並みが変わらない。


 それもそのはず。スキマ街は文字通り壁と壁の間にある街。中央の城を囲むように、円形上に配置された12個の街。スキマ街はその城と街の間を、ぐるりと一周して広がっている、いわばドーナッツ状の街なのであった。12個分の街の内径に等しいために、広さはさておき、その長さにいたっては、とてもではないが人間の足で一周回る事は困難である。


「(この街、一体どうなっているんだ)」


 そうとは知らないナットは、ずっと細く長い道をひたすらに走り続ける。


「(ミーンがいたらこんな道一瞬なのに)」


 自分の相棒がこの場に居ない事を何より悔やみながら走る。ただでさえ鉄格子の天井のために薄暗い街が、時が経つにつれさらに暗くなっていくことに、ナットはひどく焦っていた。


「(ま、まずい。こんな場所で夜になったら、何も見えない)」


 無論、スキマ街に街灯など無い。暗闇の中で走る事は、足元が見えなくなり、危険が伴う。転ぶだけならばまだいい方で、最悪、スキマ街に点在している、出来の悪い家にありがちな、道にまで飛び出している木材の端があたれば、大怪我をしてしまう。そして怪我をしてうずくまれば最後。ここの住人に何をされるか、分かった物ではなかった。


「(助けを呼ばなくっちゃ……そうだ、笛を)」


 ナットは、懐にしまってある、龍石旅団の全員がもつ縦笛を取り出す。この笛を吹く事により、遠くにいも、ベイラーに自身の危機を知らせる事が出来る。


「(これで、ミーンを呼んで……ミーンを呼んで、どうする? そもそもベイラーがどうやってこの街に入れる? )」


 息を吹きかけようとして思いとどまるナット。天井の高さこそあるものの、道幅がひどく狭いため、とてもベイラー1人が入れる隙間ではない。入れたとしても、ミーンが走れば、道端にいるけが人達を蹴飛ばしてしまう可能性がある。


「(どうする……どうする)」


 ナットが笛をもったまま固まっている。思考をめぐらしている彼のすぐ傍で、目の前に来ている女性に気が付かず、そのままぶつかってしまう。女性が、その拍子に、盛大に尻餅をつく。


「ご、ごめんなさい」

「いいのいいの」


 幸い、ナットも女性も両者ともに怪我はなく、ナットは女性を引き起こそうと手を伸ばした。其の時である。ぶつかって来た女性の恰好に目がいき、思わず首を傾げた。


「(全身をおおった外套(マント)……それに、包帯を巻いてない)」


 女性は体を隠すように、身の丈以上の外套をかぶり、顔を良く見えない。差し出された腕は包帯が巻かれておらず、かつ非常に美しい肌をしていた。なにより、その足元が異様であった。


「(雨もふってないのに、この人の足元、なんでこんなに濡れてるんだ? )」


 ぶつかって来た女性の足元は、ひどく濡れており、今まで歩いてきたであろう道にも、一筋の濡れ跡が残っていた。いよいよもって不信感を高めたナットが語気を強くして問う。


「貴方、誰ですか? 普通の人じゃないですよね」

「……おやおや。忘れちまったのかい。まぁ仕方ないか」

「え? 」

「こっちだ。こんなとこいたらあんたみたいな子供は明日には骨の一個も残っちゃいないよ。ここから出してやるから着いておいで」

「は、はい」

「あんまり目立たないように、ゆっくり歩くんだ」

「(……すでに貴方の恰好が結構目立っているような)」

「あと、その笛も仕舞いな。大事なもんだろう」


 突然現れた女性に手招きされながら、しばらく歩くとここではじめて、脇道へ逸れる。するとそこには、ナットがこの街に迷い込んでしまったときのような、ちいさな坂があった。


「そうだ。あんた、泳げる? 」

「え。あ、はい! 」

「じゃぁ。息をすってぇ」

「すぅーはぁー」

「止めて」

「ッツ! 」


 指示通りに空気を吸い込むと、急に背中を軽くおされ、そのまま坂を転げ落ちていく。しばらく転がっていると、地面が急になくなり、薄暗い水面が現れた。勢いに乗ったナットの体は止まる事もなく、そのまま水面へとダイブする。ぬれた服の重みで沈みそうになりながらも、どうにか縁に手を掴んで水から上がり、息を吸い込む。顔を上げて目にしたのは、見覚えのある空間。


「プハァ! こ、ここって、地下水道!? 」

「ああ。スキマ街との数少ない出入口だよ」

「あの、僕を知ってるんですか」

「おいおい。こんな美しい体を忘れちまったのかい? 」


 同じように転がってきたのか、いつの間にかナットの背中を押した女性が傍にいる。その女性は外套を外すと、そこには艶めかしくも美しい肌が見えていった。両足のようにみえたものは、尾びれを強引にうごかしていたもので、外套はその体を隠すための物だった。その姿をみて、ナットは思わず声を上げた。


「クワトロンさん! 」


 地下水道をねぐらにするシラヴァーズ、クワトロン。赤い癖っ毛が特徴の美しい彼女は、かつてナット達が地下水道に落ちたときに出会っている。クワトロンはナットの反応に大いに満足しているようで、クツクツと笑っている。


「よーく名前までおぼえていたね。いい子だ」

「ど、どうしてあなたがあの街に? 」

「どうしてって、あの子達に物を届けるのが仕事だからさ。そんくらいしかできないからね」

「あ! やらなきゃならない事って、スキマ街の人たちの事!? 」

「そういうこと……しかし、ずいぶん運が悪いね。スキマ街に戻るための罠に引っかかるなんて」

「戻る? 」

 

 スキマ街での唯一の流通。それは地下水道を通っての運搬であった。クワトロンは外套を投げすてると、ナットと同じように水の中へと入る。


「ふぅ。こんな場所でも、やっぱり水があるといいねぇ」

「あの、戻るってなんで? 」

「ああ。外じゃとてもじゃないが暮らせないあいつらは、そこら中にスキマ街に繋がる罠を用意しているのさ。レンガを押しこむと、壁がズレて、スキマの街へご招待、ってね」

「レンガ押したらって……あ! 」


 たまたま触ったレンガが、その出入口になっていた事に気が付く。


「安心しなよ。泳げさえすれば、あとは出口までいけるからね」

「は、はい」

「息継ぎはできるかい? 」

「な、なんとか」

「そうかい。じゃぁいくよ」


 クワトロンが地下水道を優雅に泳いでいく。ナットの泳ぎはいわゆる犬かきで、水をあたりにバシャバシャと飛び散らかしながら、それでも必死についていこうとしている。一方のクワトロンは、水面には一切の影響なく、その大きなヒレを一振りすれば、数メートル一気に進んでしまう。どうしても泳ぐスピードに差がでているが、クワトロンは一回進むごとにナットが付いてくるのをきちんと確認してくれるために、置いていかれることは無かった。


「うん。お上手」

「ハァー! ハァー! 」


 ナットは、泳ぐ事はできるが、得意ではない。慣れない運動に消耗しながら、なんとかクワトロンに付いていく。しばらくすると、開けた場所に出て、一帯が急に明るくなる。地下水道でありながら、明かりが上から差し込んでいた、

 

「よしよし。一回休憩だ」

「ぜぇー! はぁー!! 」

「このあたりはまだ水が綺麗だからいいね」 

「…‥下水道ってきいてたけど、綺麗だったね」


 下水。汚水を流す仕組みであるが、ナットが泳いできた道は非常に清潔な水が流れていた。


「山から引いてるのか、海から引いてるのか、まぁ両方だろうけど、綺麗な水を、ものすごい手間をかけてこの国一体にひいてるのさ。よくやるよ全く」

「……じゃぁ、このままいけば」

「ああ。海に出れる。港には出ないけど、なんとかなるさ」

「な、なんだかなぁ」


 再び泳いでいくと、明らかに水の流れが速くなっていく。ナットの水泳の技量では流れに逆らう事が困難なほどになり、そのうち泳がずとも体が流れに乗って滑るように進んでいく。


「おう。そうそう。下手に力まず、流れに任せるんだ」

「え、えへへ」

「人にしてはいい線してるよ」

「に、人にしてはね」


 人魚であるシラヴァーズに泳ぎを誉められて、悪い気はしなかったが、それはそれとして流れがさらに強くなり、ぐんぐんスピードが上がっていく。そのスピードは、もはやナットには制御不能の部類であり、おもわず危機感を覚える。同時に、遠くの方で出口の明かりが見えた。


「さぁそろそろ出口だよ……ってあれ」

「え!? 何!! 何! 」

「一回捕まりな」

「は、はい! 」


 聞き捨てならない言葉を聞きながら、ナットはクワトロンの伸ばされた手を取る。その手は人間と大差なく、魚のように鱗があるわけでもない。しかし、指と指の間に水かきのような膜があるのを見つけてしまう。


「(ああ、本当にこの人、人魚なんだなぁ)」

「……シラヴァーズの前で考え事とは悠長だね? 」

「え! あ、その」

「まぁいいさ。しっかり捕まってなよ」


 シラヴァーズは、人の心を読む事が出来る。考えている事は全てお見通しとなり、隠し事などできはしない。


 クワトロンがナットを抱きかかえるようにすると、その大きな尾びれを振るい、一気に水上へと跳ねた。一瞬水上に出たことで、流れが速くなったのは、この水路そのものが傾いており、水が流れ出るようになっているためだった。飛び上がったクワロトンは、水路の端ギリギリに、ビタンと着地する。その様子は、まさに打ち上げられた魚である。だが彼女はナットをかばったため、ナットには傷一つない。


「ッツぅ」

「だ、大丈夫? 」

「こう見えてシラヴァーズは、人間より、ずっと丈夫にできてる……それより、参ったねぇこりゃ」


 クワトロンが途方に暮れているのは、水路の出口の構造にある。


「前はこんなものなかったんだが……どうしたもんかなぁ」


 外の明かりが差し込んでいるが、その明かりはまばらになっている。クワトロンが知らない間に、水路の出口に鉄格子が備わっており、外に出るのが困難になっていた。鉄格子は網目状になっており、大きさは縦横5mほど。格子の隙間は狭く、体躯が小さいナットといえど、どうがんばってもすり抜ける事ができなかった。

 

「よし。あんた、笛を吹きな」

「え? 」

「それしかないだろう。相棒さんにこの鉄格子をぶっ飛ばしてもらうのさ」

「で、でも、ここがどこかも分からないのに、ミーンが来れる訳がないよ」

「……さっきも心の中でそう言ってたね。だが、イイことを教えてやろう」


 強かに打ち付けた体を休めるように、壁にもたれかかりながら、クワトロンは言う。


「あんた、ベイラーと乗り手に距離が関係あると思うのかい? 」

「え? 」

「そら、初めて乗った頃はそうだろうさ。だが、その笛で呼ぶあんたの相棒はそうじゃないだろう? 他のベイラーだってそうだ。乗り手と長い間一緒にいればいるほど、距離なんてものは関係なくなる」

「……」

「人間は、いっつも心が荒むと、大事な事を忘れる」

「そ、それは」

「陸で会ったとき、あんたは信じられないくらいに心がぐちゃぐちゃだった。あの街で何を見たかはしらないが……」


 ナットを指さし、その胸へと、こつんとあてる。水滴がわずかに染みを作る。


「信じてくれる奴がいる事を、忘れちゃいけないよ」

「で、でも、僕がやったことは、きっと酷いことで」

「相棒に、話しておやり。それが酷い事かどうか。聞いてみるんだ。心が荒んだ時は、誰かに話すのが一番だ。その上で、どうしたいかを考える」

「どう、したいか」

「どうせ人間は心が読めやしないんだ。口にだして言った方いい」

「……そ、っかぁ」


 ナットは、笛をにぎりしめると、息を大きく吸い込んだ。そして、その、赤い龍石が埋め込まれた笛に、一気に息を吹き込む。甲高い音色が、狭い水路の中で反響し、あたり一帯に響き渡った。クワトロンはおもわず耳を塞いでる。


「笛を鳴らせって言ったけど、もうちょっと優しく吹けないのかい」

「あ、ごめんなさい」

「まぁ、その甲斐はあったようだけどね」

「え? 」


 ナットがきょとんとした直後である。入口の鉄格子が、突然外側から、何者かによって吹き飛ばされた。笛の音とは違う、耳をつんざく甲高い音と共に、頑丈であるはずの鉄の格子がいとも簡単にひしゃげる。


 その何者かは、両目を虹色に光らせ佇んでいる。足で文字通り鉄格子を蹴飛ばしてみせていた。どうやら水路の出口は、入り組んだ街の中にあったようで、流れはそのまま大きな運河へとつながっている。ナットにとっては見慣れた、外套(マント)をなびかせている。ナットの姿を認めると、心底安心したような声を上げた。


《良かったぁ……無事だったぁ》

「ミーン! 」

《どこ行ってたのさ……心配した》


 明るい空色をしたミーンが、笛の音を聞きつけ、一瞬でたどり着き、即座に乗りてが其処にいる事を理解し、両足が水に濡れるのも厭わず、即座に行動に移した結果だった。


「ほんとうに、距離なんて関係ないんだ……」

《何いってるのさ》

「ねぇミーン、ここどこ? 」

《えっと、たしか第3地区だったかな。運河の近く。よくわかんないけど》

「よくわかんないのに、来れたの? 」

《当たり前だよ。だって、ミーンは、ナットのベイラーだから》


 さも当然のように答えるその姿に、ナットは呆けてしまった。


《それより帰ろうよ。今日の夕食の後、姫様からなんかお話があるって》

「……うん。帰ろう」


 ミーンが、その体を滑り込ませるようにして水路の入り口に立つ。手のない彼でも、出入口そのものをコックピットでふさげば、問題はなかった。


「じゃあね。いろいろ話すんだよ」

「うん。ありがとう。クワトロンさん」


 最後に、ここまで付き添ってくれたクワトロンに礼を言う。


「今度手紙を書いてあげる! 僕、郵便屋なんだ! 」

「そうかい、そりゃ楽しみだ」

「じゃぁ、また共に! 」

《また共に! 》


 2人は、すでに体に染みついた、故郷の別れの言葉をつげ、王城へと帰っていった。クワトロンは、ベイラーの姿を見届けると、水の流れに身を任せ、そのまま運河の奥、水位の深い場所へと身をひそめる。船の往来から身を守るためでもあるが、一番は、人間に見つからない為である。


「そうさ。距離なんて関係ないのさ……ベイラーと人は、それこそ月にだって」


 水の中から見上げる双子月は、時刻が夕方であることも相まって、まだおぼろげで良く見えない。夜になれば、その月明りが揺らめいて、幻想的な風景を見せてくれる。


「そういえば、居たな……月にいったベイラーが。あの、剣士の乗り手、人間ならもういい爺さんになってるころか……もしかしたら、乗り手は代を変えてるかな……それにしてもいい男だったなぁ。()()()()でなけりゃ、恋人にしてもよかったなぁ」


 月にいったベイラーとは、剣聖のベイラー、グレート・ブレイダーの事であり、そして剣士の乗り手とは、帝都の攻めの要である、剣聖ローディザイアの事である。クワトロンは、ローディザイアが未だ現役の剣士であることを知らなかった。


 だが、今では帝都の皆が覚えていない事を、クワトロンは覚えていた。剣聖ローディザイアには、かつて、恋人がおり、その恋人は、しかしスキマ街出身であった。その途方もない身分の違いにより、ローディザイアと結ばれる事なく、彼が遠征中に姿を消していた。もう40年以上前の事である。

 


 その夜。ナットはミーンにスキマ街の事を話した。ベイラーであるミーンは、黙ってその言葉を一つ一つを噛みしめ、話が終わると、静かに、確認するかのように問いかけた。


《ナットは、その兄妹に、悪い事をしちゃったって思ってるんだね? 》

「……うん。だから、謝りたいんだ。でも、二度と来るなって言われちゃって」

《謝りたい事と、二度と会っちゃいけない事は、別の事だよね》

「……そう、かも」

《あやまって、その上で二度と会わないかどうかは、その兄妹と話せばいいんじゃないかな》

「……そうか」


 ナットは、コックピットの中でつぶやく。


「話していいんだ。謝って、今度は、靴職人じゃなくって、郵便屋として、僕は、ちゃんとあいさつしたいんだ」

《その時、ミーンも一緒に挨拶したい》

「うん! そうしてくれると、嬉しい」

《でもすごいね。そのスキマ街って》

「そう。なんかもう、家もすごかったんだ」


 ナットとミーンは、その夜。カリンの呼び出しを受けるまで、なんら目的の無い事を話し続けた。話す事がこんなに楽しい事だと、ナットは初めてしった。


 「(話す。話すって、大事なんだなぁ)」


 だがその喜びも、次に訪れた驚愕で吹き飛んでしまう。王城で、カリン・ワイウインズと、カミノガエ・フォン・アルバス・ナガラの2人が、はじめて会食を行ったその日。とある行事の日程が決まり、その旨を、カリンは、自身の率いるキャラバンである龍石旅団である仲間達に伝えたのである。


 その日程とは、カミノガエとカリンとの、結婚式を挙げる日程であった。

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