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ベイラーと隙間の街

胸糞注意

《……慣れないなぁ》


 遥か空の上で、商人と仮面卿が邂逅している中、お使いを頼まれたベイラーと乗り手がいる。王城からはなれ、道を長くすすみ、門を抜けて第三地区に来ていた。


《なんで帝都の人たちって、ベイラーが歩いているのに上を見ないんだろう。足音とかで気が付かないもんかなぁ》

「まぁ、最初よりはずいぶん歩きやすくなったと思うよ」


 ナットとミーンである。ミーンは外套(マント)をなびがせながら、その健脚を活かすことはできずに、できるだけ人にぶつけないようにすり足をしながら歩いている。それでも、ミーンの足先に住人が気が付かず、体にぶつかった時点ではじめてミーンの存在を理解し、驚いて尻餅をついている。その尻餅をついた住人に、さらに住人が驚いてと、連鎖的に驚愕が続く。そんな光景が、もうミーンには見慣れた物になっていた。なにより、ミーンにピッタリ張り付いて動かない衛兵がいる。


《あの、もう少し、離れてもらえると》

「し、失礼しました」

「(……この人も慣れればいいのに)」


 龍石旅団全員にお目付け役として衛兵が1人ずつ付くことになり、部屋にいても外にいてもずっと付いてくる。ナットは、自分より年上かつ屈強な男の兵士が、じっとこちらを監視してくるの現状に不満がある。その兵士も、ミーンにくっついて歩いているが、ベイラーと共に行動するのに慣れておらず、兵士の仕草ひとつ一つに、怯えが見え隠れしている。だからこそ、こうしてミーンのコックピットの中に入り、その視線から逃れている間だけが、ナットの安息地となっていた。


「さて、このあたりだと思うんだけど」

「おーい! こっちだっこち」

 

 彼らの目的地は、流れの商人であるネルソン。あれからカリンが頼んだ品が届いたとの知らせをきき、ナットが受け取りにきたのである。


「なんだぁ。黄色いのは居ないのか」

「リクは建物つくってる。おっきいから歩くの大変なんだ」


 運搬であれば、体が大きく、力のあるリクは適任ではある。だが彼はその体を大きさゆえに道を歩けば後ろがつかえ、足が四本ある都合、ミーンより神経をとがらせないと歩くのさえままならない。走るのが得意なミーンでさえ、こうして苦労しているのに、同じ苦労をリクに課すのは酷と言えた。


「荷物は僕らでも運べるって聞いたよ? 」

「まぁ、そうだな。アレだ」


 ネルソンが、木箱に目をやった。人が運ぶには大きく、ベイラーが運ぶには多少小さい。ミーンであれば、体に括り付ければ運ぶのには苦労することはない。


「中身は? 」

「知らないのか」


 箱は単純な蓋をする構造であり、ネルソンが持ち上げるだけでかんたんにとれた。ナットが覗き込むと、そこにあるのは、大量かつ重量のある、城塞を攻略する際に用いられる矢であり、どれも新品で、傷も無い。この木箱の他にもうひとつ、さらに大きめの木箱も確認できた。


「大きい方は弓弩(ボウガン)だ」

「姫様が、コレを? 」

「のちのち必要になるだろうからって。こんなもん帝都にはいくらでもあるって言っておいたんだがな。なんでこれが欲しいのやら」

「(コレ、仮面卿が空から来るから、それを迎え撃つための道具ってことか)」


 ナットの予測どおり、カリンは、空からの敵が来ることを想定して、対空用の武器をネルソンに用意させていた。そのための城塞を打ち抜くべ作られたソレは、矢というよりはほぼ槍か杭といったような形状をしてる。これは、サルトナ砂漠のオアシスですでにカリン達が視た物と同型であり、威力に関しては、対ベイラーにも有効である。そのために、ネルソンに買い付けを頼んでいた。ネルソン本人にも、報酬はカリンから半分前払いされており、彼の仕事は、ここで荷物を引き渡せば最後となる。


「たしかに渡したぞ」

「うん。ありがとうネルソン」

「商人にはまず報酬を払うもんだ」

「あ、お金? えーと」


 カリンから受け取っていたお金の入った麻袋をそのままネルソンに渡す。巾着になっている袋の中には、ジャラジャラと、商人にとっては心地のいい音がしていた。ネルソンは、湧き上がる興奮を抑えながら、その袋の中身をじっと眺め、金額に相違が無いかを確かめる。


「いいねぇ。前金と合わせて丁度だ」

「ネルソンは? この後どうするの? 」

「そろそろ帝都からおさらばするさ。品物も無いしな」

「そっか」

「いい商いをさせてもらったよ。またな坊主」

「うん。また共にね」

「なんだそれ? 」

「僕らの国でのお別れの挨拶」

「ほーん」


 ネルソンは手を差し出し、ナットと握手を交わした。


「また共にな。坊主」

「うん」


 ネルソンはそのまま、振り向く事も、名残惜しむ事もなく、ただ、自分の仕事を全うのために、台車を引いていった。ネルソンの姿が見えなくなった頃、ふとミーンが気が付く。


「……あ。荷物を結んでもらうのわすれてた」

《……衛兵さん、お願いできます? 》

「じ、自分がでしょうか? 」

《コレなので、お願いします》


 ミーンが肩をちょいちょいと上げる。本来あるべき腕が彼にはない。代わりに彼の脚は誰よりも早く駆ける事が出来る。代わりに、簡単な運搬等は誰かにやってもらう必要があった。ミーンの仕草に、衛兵は戸惑いながらも、作業に加わる。


「うん。腰の部分に括り付ければ、落ちないとおもう! ミーン! ちょっと座って! ゆっくりね!」

《はーい》


 ミーンが両足を投げ出して座り込む。こうすることでナットが簡単に下りる事が出来た。衛兵とふたりがりで、ずいずいと押し出すように運んでいく。


「お、重い」


 ずるずると引きずりながら、やっとの思いでミーンの腰にたどり着く。ロープのまきつけ、さらに釘を打ち込んで、ミーンの腰に、木箱ごと打ち据える。内容物が重い為に、大きな衝撃をあたえれば壊れてしまいそうなギリギリの状態だった。


「釘は着いたら抜くからね」

《はーい》

「衛兵さん、ありがとうございました」

「ど、どういたしまして」

「立ち上がるので、ちょっと離れててください」

「は、はい! 分かりました」


 衛兵が返事を返し、十分に距離を取った事を見届けると、コックピットに入る。操縦桿を握り、静かに立ち上がろうとするも、想像以上に矢が重く、ミーンがバランスをとるのに手間取ってしまう。


《こんなことならセスでも連れてくればよかった》

「……」

《あ! 思いついてなかったね!? 》

「い、いや、でもさ、たぶん僕らがここに来る前に居なくなってたし、今日も港にいるんじゃないかな」

 

 必死に弁明するナット。彼の主張もあながち間違いでもなく、セスとサマナは朝早くにいつも港にいってしまい、最近見る事が少ない。大体は海に出て漁の手伝いか、波乗りをして遊んでるかの二択であったが、元から彼らにとって海とは常に傍にあった存在であり、吹き飛ばされて砂漠にいる事が、そもそも異常事態だった。セス達にもミーンと同じように監視の衛兵が付いているが、最近その衛兵が、連日の外出によって、サマナと揃ってこんがりと日焼けしているのを、ナットはきっちりと目撃している。


《まぁいいか。あー、全力で走りたいなぁ》

「そうだね。でも帝都て、あんま広い場所って無いんだよね」


 運河や道はあるものの、それらはすべて人間の為につくられた物であり、ミーンにとってはどれも手狭すぎる上に、道行く人が多すぎて、全力で走ろうものなら、それこそ何人を踏みつぶしてしまうか分かったものではなかった。


「もっとひろい場所があればなぁ」


 ナットがぼけっとそんなことを考えていた時、ミーンの体が一瞬ガタンと揺れた。衝撃は腰から来ており、すぐにナットは、括り付けた荷物に何かあったのだと確信する。


「衛兵さん! 荷物どうなってる! 」

「矢が! 矢が飛び出そうです! あ! 」


 衛兵が言った直後だった。木箱から鈍い音が鳴ったとおもえば、何本かがミーンの腰からコロコロと転がっていく。周りの人々は何事かと思いながら、ベイラーが傍にいるために近寄れないでいた。ナットは、ミーンが座るより先にコックピットから飛びでて、惨状を確認する。


「あ、あちゃー……」


 思った以上に状況は悲惨だった。金属製の太い矢が、石畳みの道一面に転がり、道を塞いでいる。通行人や、衛兵は無事であり、幸いけが人が出なかったのが奇跡と言えた。


「ダメダコリャ。ミーン。別の人を呼んでこよう」

《……ごめんね》

「気にしちゃだめだって」


 ミーンが、一本一本手作業で拾い上げていく。拾うといっても、城塞用の杭と変わらないため、ほとんど抱きかかえて運ぶ形になる。


「うぁ。あんなとこまで転がってる」


 ナットがひとり、道の端まで転がっていった矢を拾おうとしたとき、壁に支えに手を付いた。其の時である。ナットが手をつけた壁の、積み上げられたレンガのひとつが、ガコっと小さな音をたてて、壁にめりこむようにして凹んだ。当然ナットは、支えを失い、体ごと壁に激突しそうになる。声を上げる暇もなく起きた現象に、目をつぶることしかできなかった。


 しかし、彼の体が壁にぶつかる寸前に、再び変化が生じる。ナットの足元が、突如として底がぬけ、穴が空いたのである。彼は、激突しそうになった体を縮めると、そのまま穴の中へと綺麗にはいっていった。ナットが穴に入ったあと、しばらくすると、ナットが押したレンガが元にもどっていき、穴も元通りに戻っていく。


《……ナット? ナット―? 》


 一向に戻ってこないナットを心配し、首だけを回転させ、先ほどナットが向かった方向を向く。しかしながら、そこにナットの姿がなく、大きな鉄の矢だけがコロコロと転がっている。


《衛兵さん。ナットしりませんか? 》

「あれ? さきほどそちらに……」


 衛兵も丁度下を向いていたようで、ナットの姿をみていない。突然、その場からナットだけが姿を消してしまった。



「うぁあああああ……あ? 」


 突然現れた穴に落ちたナットは、目の前の光景に唖然としていた。穴に落ちたはずであったが、その穴は坂になっており、それほどの距離を落下した訳ではなかった。ごろごろと滑り台を転がるような形で、着地した先には、おなじ帝都の街並みとは思えないような場所が広がっていた。


「ここ、なんだ? 」


 酷く狭い場所だった。長い通路とは対称的に幅が無い。加えて差し込む日差しが弱く、昼間だというのに薄暗い。家はどれも粗末で、まともな大工が作ったようにみえない。木材のあり合わせで、とりあえず作ったという、雨風がしのげるだけの、家というより小屋でしかなかかった。

 

住人はそれぞれ服をきているが、清潔感というものがなく、着崩れやほつれがひどく、汚れもめだつ。靴を履いている者が小数で、ほとんどに人間は裸足だった。


 なにより、道行く人の顔色が酷く暗い。とても同じ帝都の住人とは思えなかった。


「……も、もどらないと」


 ここにいてはいけない。そう直感したナットは、落ちてきた穴から這い出ようとする。しかし、その穴の先に光がなく、出口が無い。壁があるだけであり、ナットが押してもおしてもビクともせず、坂になっているために、まともに踏ん張る事ができない。


「ど、どうしよう」


 帝都の何処かにであることは確かだが、ナットの頭の中には、この光景は見たことは無かった。


「(た、たしか真ん中合わせて、13こまであるって言ってた。僕らは12個全部通って真ん中の城にいったんだから、どこかしら見た事があるはずなのに)」


 ナットの記憶力は、郵便屋として鍛えられ、特に土地勘はすぐになれてしまう。しかしそのナットをしても、この街並みは、同じ帝都の物と思えなかった。


「(……どうする? どうする)」

「おい」

「ウァ!? 」


 ナットが悩んでいると、とつぜん上から声を掛けられた。驚き声をあげたことで、住人の顔が一斉にナットへと向く。ただでさえ暗い住人の、ぎょろりとした目がナットに恐怖を与えた。


「な、なに!? 」

「いい靴だな。片方くれ」

「……ん? 」

 

 ナットは、最初、質問の意図が分からず、聞き返す事もできなかった。フードをかぶった青年が、同じ言葉を繰り替えす。


「いい靴だな。片方くれよ」

「……靴? 」


 ナットは、自分の足元と、そのフードの青年の足元をみた。彼の足は頑丈そうなブーツで包まれていおり、他の住人と違っている。それはそれとして、ナットには、片方だけを要求された理由が分からなかった。


「なんだよ」

「片方? 」

「お前両方持ってるんだろ? なら片方だけでいいからくれよ」

「えっと」


 言葉に詰まりながら、ナットが続ける。


「これ、仕事で使うんだ。だから、片方無くなると、困る」

「何言ってるんだ。()()()()()()()()()


 こんどこそ、ナットは言葉が続かなかった。ナットにとって、靴とは両方なければ意味がなく、郵便屋として、悪路を走ることもある彼には必需の品である。ミーンの乗り手になった後でも、靴が不要になったことはない。ミーンが入れない路地や山の上、ゴロゴロした岩の多い川辺など、ミーンから降りて、自分の足で行くこともある。


 だが、目の前のフードの青年は、両方あるのが、そもそも普通ではないと主張してきている。靴は片方あれば、その目的を果たせるだろうと言っている。


「もう煩いなぁ」


 フードの青年が、その手にナイフを持つ。ぎらりと鈍く光るソレは、鉄製で、持ち手のロープだけ巻いてあるような粗末な造りである。


「選べよ。その靴おいていくか、それとも」

「ま、まってまって! 」

「命乞いかよ」


 フードの青年が、決して脅しでそのナイフをかざしている訳では無い事を、ナットは見抜いている。手にされたナイフはよく手入れされており、握り手部分のロープは擦り切れている。少年が過去このナイフで、自分と同じ言葉で揺さぶりをかけていたこを悟る。


「ち、ちがう! 」

「じゃぁはやく」

「両方! 両方あげる! 」

「……は? 」

「その代わりに! 」


 ナットは、自分の喉が急激に乾いていくのを感じる。心臓の鼓動が早まり、頬を冷や汗が伝っている。血液が体を駆け巡りながらも、緊張で体がこわばっていく。


「ここの事と! 君の事を教えて! 」

「……なら、いらねぇ。片方だけよこせ」


 再び、ナットの言葉が拒絶される。じりじりと迫る青年のナイフ。だが、ナットはそれにめげなかった。彼は今、オルレイトから教わった需要と供給、そして商売の話を、この土壇場で応用し、交渉という形で実践している。フードの青年が何を欲しているのか、自分がその青年に与える事が出来るものは何か。そして、双方が納得できる場所はどこか。


 それを、ナットはいま探っている。


「僕は迷ったんだ」

「迷った? 」

「だから、もと居た場所にもどれたら、君に、靴をもっとあげられる! 服もだ! 」

「……服? 」

「うん! だから、代わりに、ここの事と、君の事を教えてほしい」

「金なんてないぞ」

「いらない! 僕のこの靴と交換だ! その上で、さっきの約束も果たす! 」

「嘘だな。こんな場所にもどってくるもんか」

「絶対にもどる! 」

「……」


 ナットの言葉を遮るかのように、少年のナイフが、ナットのほほをかすめた。ツゥと一筋の線とともに、血がナットの唇へど垂れる。だが、彼はその血をなめるでもなく拭うでもなく、ただじっと少年の目を見ていた。フードで隠れてるにも関わらず、ナットは少年から目を離さない。


「嘘じゃないな? 」

「大丈夫。嘘をついたらすぐばれる人たちがずっと傍にいたから、嘘がつけない」

「そうかよ」

「僕はナット。君は? 」

「……フランツだ」

「フランツ! カッコいい! 」

「……名前でそんなはしゃいでいる奴、初めて見た」



 ナットの言葉に、ひとまず納得したのか、フードの青年はナイフを仕舞い、そのまま歩き出した。ナットは後に続くように、てくてくと歩いていく。


「ねぇフランツ。ここって何番地区? 」


 真っ先に浮かんだ疑問を、ナットは即座に問いかける。フードの青年……奴隷王ライカンに買われた彼、フランツは、その問いかけそのものが、ひどく珍しい様子で、目深くかぶったフードの裾から、驚きの表情が見える。


「……本当に知らないのか」

「知らないから聞いてるのに」

「ここは、どこでもない。13個の街、どれにも入ってない」

「……どういうこと? 」

「アレをみろ」


 ナットが、ここではじめて、上を見上げることでソレを確認する。薄暗さの原因は、空を遮るように、鉄格子がはめられていた。


「あれって……地区の壁? 」

「そうだ。ここは、王城と、それ以外の地区の、間だ」

「間って……え? 」

「スキマ街。ここは帝都に無かったことにされた連中の、吹き溜まりだ」


 街と街、壁と壁との間にできたわずかなすき間。蓋をされ、水路も通らず、日も差さないこの場所は、貧困層が身を寄せ合って、場所に対しては人が多すぎる、いわばスラム街であった。


「ふき、だまり? 」

「あまりじろじろ見るな」


 ナットが好奇心に負けそうになるのを抑え、目だけであたりを見回す。


「(……ここ……ほとんどの人が怪我してる)」


 まだわずかに歩いただけだが、それでも、道で座り込んでいるほとんどがけが人であり、包帯を体に巻き付けていた。しかし、長年巻かれているのか、すでに包帯としての機能をはたしておらず、傷口が見えてしまっていた。その怪我に、ナットは見覚えがあった。


「(火傷の跡だ。ここにいる人たち、みんな火傷してる)」


 ケロイド状に溶けた肌は、火傷の典型的な例である。スキマ街いるけが人のほとんどは、火傷し、体を上手く動かせないでいる人々ばかりであった。


「(なんで、皆こんなに火傷してるんだろう)」

「……ひとまずあがれ」

「え? あ、はい」


 考えがぐるぐる回っていると、いつのまにかフランツの家についたようで、急いで後をついていく。他の家と変わらず、やはり大工の手で作られた物ではなく、ありあわせをどうにかしてくみ上げただけでの代物であり、一階部分に至っては半壊し、生活できるような状態ではなく、かろうじて二階であれば人間が寝泊りができる造りであった。

 

 その二階で、唯一窓がある部屋に、部屋に不相応な大きなベットに寝かされた、小さな体躯の少女がいた。ゆっくりと顔むけたその少女の目には、包帯が巻かれている。


「だぁれ!? 」


 ナットは、目を背けたくなった。他の住人と同じように全身に火傷を負っており、そして、目の見えないその少女は、そこに居る人間の数も分からず、故に距離も分からず、音量の調節できないまま、声をかけることで、相手の存在を確認していた。その声すら掠れており、ひどく弱々しい。


「フランツだ。帰ったぞ」

「あぁ、お兄ちゃん、帰って来たの? 」

「ああ。酷い事されてないか? 」

「うん。みんな、やさしいよ」

「そうか」


 フランツは、ベットに寄り添い、ただその少女の手をにぎり、まかれた包帯越しにその頬をなでた。撫でられたフランツの妹は、くすぐったそうにしながらも、嬉しそうに微笑んでいる。ナットはその光景と、この家に、あるべきはずのものと、フランツの要求を思い出していた。

 

 彼は、靴を寄越せと言ってきた。だが、よくみれば、フランツの方が足が大きく、ナットの靴が入りようもなかった。そして、ひとつの可能性を見出した。


「……」

「おにいちゃん、他に誰かいるの? また怖い人? 」

「違うよ。あいつは」

「ぼ、僕は、靴職人です! 」


 ナットは、自分の靴を脱ぎ捨て、両足をそろえ、ベットで寝たきりのフランツの妹に綺麗に差し出した。その手は震え、声もわずかに震えながら、それでも続けた。


「妹さんに、靴をプレゼントしたいと、お兄さんに、いわれました」

「お兄ちゃんが? 」

「きょ、きょうは! まだ、お試しで、丈夫な靴しか、用意、できなくて」


 なぜ、フランツが、ナットの靴を欲しがったのか。ナットはそれを、妹の為にと思った。この家には靴がなく、妹の足であれば、ナットの大きさでも入る可能性がある。そう見込んでの演技だった。きっと、感動してくれるに違いないと。もしうまくいけば、姫様に頼んで、この街の人たちの為に靴を用意できるだろうか。そんな、少し大きな願望を描き始めていた。交渉が上手くいき、ナットは、言ってしまえば、調子に乗っていたのである。

 

「今度、きっと、貴方に、合う、綺麗な靴を、お渡し、できます」

「あの、えっと、おにいちゃん? 」

「―――」

「ええと、靴職人さん、ありがとう。でも、受け取れないんです」

「……それは、どう」


 フランツの妹は、困ったように断る。


 そしてナットは、言葉が、最後まで紡げなかった。


 フランツの妹は体躯が小さい。少女であれば致し方ない。だが、大きなベットである事を省みても、明らかに背丈が足りていない。正確にいえば、毛布のふくらみが途中で止まっている。あるべきものが、そこにない。


「あ……ああ! 」


 ナットは、ソレで悟った。もっと速く、気が付く事ができた。だが、彼はわずかに先走ってしまった。片方だけ靴を求めたフランツは、本当にだた、自分の分がもう片方欲しかっただけだった。フランツからしてみれば、踵を踏んでしまえばそれで良く、最低限以上の働きをする靴としてしか、ナットの靴を見ていなかった。


 なぜならフランツの妹には、そもそも足がなく、歩く事さえできないのだから。

  

「ぼ、ぼくは、ただ」

「……帰れ」


 ナットは、きっと喜んでもらえるという予測のまま動いた。そしてそれが、思わぬ形かつ、望まぬ形で、結果として現れた。妹の為にと思って差し出された靴は、行き場を無くし、そのままナットの手から零れ落ちる。一方のフランツは、激昂するでもなく、ただ、憤慨するでもなく、確認した。


「お前、()()()()()()() 」

「―――ッツ! 」

「出ていけ。二度とこの街に来るな」


 ナットは、フランツの言葉にはじき出されるように、その場から駆け出す。靴を拾う事もできず、勢い余って階段から転げ落ち、両膝をすりむきながら、ナットは自らの発言と、思慮の浅さに嫌悪し、ただとめどなくあふれる涙が、拭う事もできずに、ただスキマ街を走って、走って、走っていった。


「お兄ちゃん? 靴職人さんは? 」

「気にするな。それより、またお金が入ったから、包帯と薬を買って来たんだ」

「ありがとう、お兄ちゃん」

「いいんだ。それに、今度の仕事が終われば、もっといい薬が手にはいる。そうすれば、お前の目だってきっと良くなる」

「……うん。そうだね」

「次の仕事は、ちょっと大変だけど、それが終われば、お前と一緒に、この国をでて、別のところにいけるだけの金が入る……だから、もうちょっと、我慢してくれないか」

「ううん、我慢なんかしてないよ」

「そっか」

「えっと、ジョウってベイラーは元気? 」

「元気だよ。でもあいつ、口数が少ないんだ」


 フランツが奴隷となったのは、学もなく、身分もない身で、この妹を守るためには、その道しか開けていなかった。奴隷王ライカンの払いは、このスキマ街出身の中でも飛び切り良く、フランツの妹が、他の住人によって蔑ろにされないもの、彼が回りの住人に駄賃を渡しているからであった。


 スキマ街。帝都ナガラのスラムであり、その実態は、過去12地区で発生した病を防ぐべく、住民もろとも、『消毒』と称して焼き払われた。ここに住まう者達は、その生き残りであること、ナットはまだ知らない。

 

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