アイの暗躍
カリンが皇帝と友になるべくその手を差し伸べている頃。陸路で帝都に向かう際にかならず通る谷に、騒動が起きていた。
「シーザァー様! よく来てくださいました」
「状況はどうなっている」
「正直、よくありません」
第四地区の門番を担当している者が、シーザァーを迎え入れる。
「陸路で帰って来た商船団が捕まっています」
「ええい。ままならんな」
第四地区には、帝都に入るための門があり、そして帝都から、なんらかの理由で追い出された者たちが強引に入り込もうとする事件が幾度となく起きていた。帝都から追われたのは、決して圧制の結果ではなく、そうされるだけの相応の理由があり、追い出されている。
だが追い出された身からすれば、帝都に戻るのは悲願であり、どんな手段を取ろうとも成し遂げるべき目標であった。そして彼らは、商人達が帰ってくるこの時期を狙い、彼らを人質として帝都への帰国を強いてきたのである。
「どうしましょうシーザァー様」
「交渉の余地はない……奴らの居場所は」
「谷の入り口で籠城しています」
「籠城? 」
聞かされた言葉と状況が一致せずにシーザァーが顔をしかめる。
「城なぞあったか? 」
「信じがたいことに、あやつらは自前で城を築いたのです。城というよりは、砦に近いかと」
「ええい。没落貴族共が小癪な真似を」
「どういたしましょう」
「あまり長引かせて陛下の御耳汚しをするわけにもいかんが、まずは砦の構造を知りたい。間者をおくり、内部を探らせよ。人質の居場所もだ」
「はッ! 」
「しかる後に、闇夜に紛れて奇襲をかけるぞ。今のうちに腹を膨らませておけ」
その身をひるがえし、文字通り鉄拳を備えるベイラーに乗り込んでいく。
「真正面から突破しては人質と荷物が危うい……ええい歯がゆい」
鉄拳王の駆るベイラーは、その出自をアーリィベイラーと同じくするものであるが、変形することはない。代わりに溶かした鉄を拳を筆頭に随所にまとわせることで、本体を強化した試作品である。開発したポランド夫人の狙いは、元であるアーリィベイラーの物理的強度の向上を目指した試作品であったが、肝心のアーリィの利点であった飛行機能が無くなってしまい、本末転倒の品になってしまった。戦力としては申し分ないものの、航空戦力の確保が急務であったポランド夫人らにとって、この品は倉庫の肥やしでしかない。そこに目をつけたパームが、近衛兵にこれを売りさばく事だった。
「さて、アレックスよ。お前の力を存分に発揮する時が来たぞ」
シーザァーはその外見をいたく気に入り、ベイラーにアレックスの名付け、見事に操っている。その造り主が、よもや帝都の転覆をもくろんでいるとは、考えてもいなかった。パラディン・ベイラーを3人をしたがえ、シーザァーは策を労じていく。状況は深夜になって動いた。
◇
「これは、鉱石か? 」
「こっちは武具だ。使えそうだな」
谷の入り口に構える、没落貴族たちが建てた城は、およそ城という形をなしていなかった。単純に土を掘り起こして山にしただけの盛り土に、雑多にならべらた柵。遠くを見通すには低すぎる見張り台。どれもこれもが基礎がなっていない。この城もどきを作り上げた彼らは、元が貴族であり、大工経験など一切なく、自分たちが見たことのある形を、その場でどうにか再現しようとした結果だった。
そんな彼らでも、雨風をしのぐための屋根をつけることは忘れておらず、火を絶やさずにいることで、暗がりでも獣に襲われることは無い。皮肉にも彼らが没落して帝都から追い出された後の方が、彼ら自身の生存能力が各段に上がっている。知恵を絞り、団結して狩りを行い、今日今まで生き残って来た。
「パ、パンだ! パンがあるぞ! 」
「何年ぶりだ……美味い……」
帝都に戻ろうしていた商人達を捕らえ、その荷物を奪い、さらには人質をして帰国を迫る。その行いは悪逆非道でり商人からしてみればたまったものではない。だが彼らにとってのは唯一の生きる術である。年中商人が道を通るわけでもなく、冬になれば食べ物も取れなくなる。
「んー! の、喉につまったぁ! 」
「水だ、ほら飲め」
「あわてるな。パンくらい帝都に戻れればいくらでも食べれる」
この人質作戦は、彼らにとっての一世一代の賭けであった。日が落ち、辺りが暗くなると、人質の周りにあつまり、警戒をさらに厳重にする。
「ベイラーの用意は? 」
「できてる! やつらに目に物をみせてやるさ」
城の中で、半壊になったアーリィ―ベイラーが立ち上がる。墜落しコクピットがむき出しになっているソレは、堕ちベイラーと呼ばれ、その手にはボウガンを備えている。人の手では決して引く事が出来ないような大きなものでも、ベイラーの力であれば軽々と扱う事ができる。人間用の物とは単純に大きさが違い、代わりに刃がなく、先端を削った丸太のような弓矢ではあるが、その威力は城壁さえ穿つ事が出来る。
「でも、こんなもの用意する意味あるのか? 」
「連中は人質を取り返しにくるに決まってる。そうはさせるかってんだ」
毒々しい翡翠色をした、本来球体状になっているはずの、今は欠けて中の人間が丸見えになっているコックピット。その中に納まった貴族の1人が、ベイラーの調子を確かめながら決意を硬くする。日が沈んでからしばらくたっており、すで双子月が大地を淡く照らしている。
両手両足を縄で縛られた商人が、怯えた様子で貴族に問いかけた。
「俺の荷物はどうした? 荷台にあった黒いやつだ」
商人であれば、荷物の重要性は命と等価である。荷物を無くすことは信用と仕事を失い、生きる術が無くなってしまう。
「荷台……ああ、あのやけにデカいやつか」
「あれは帝都に献上するもので、お前たちには無用の長物のはず」
「デカいし、何個も布でくるまってたが、あれはベイラーだろう? 」
「そ、そうだ」
「……そうか、おい、何人かついてこい」
「な、何を」
「いい事を思い付いたのさ。よし。往くぞ」
堕ちベイラーを駆り、その場から商人の荷物の元へと急ぐ貴族たち。一方、両手両足を縛られた男は、どかりとその場にすわりこんで、ため息をついた。
「(……まったく。なぜこのパーム様がこんな目にあってるんだ)」
周りの商人達の目を盗み、服の裾からナイフを取り出すと、縛られた手足を慎重にほどいていく。商人を装った、この男、パーム・アドモントは、陸路でこの帝都にやってきたのには理由がある。
「(サルトナ砂漠で売れ残ったアーリィを回収してもどってみればこのざまだ……クソ。アイがもうちょっと融通を利かせればこんなことには)」
事の始まりは、パームが一度、空中母艦に帰った下りに、ポランド夫人からの依頼を受けたことだった。砂漠で売れ残ったアーリィを回収し、できれば帝都に戻る道すがらに売りさばいてほしいという、武器商人の仕事である。パームも女装して社交界に出るのに飽きが来た頃合いであったために、二つ返事で了承し、アーリィを回収するまではスムーズに済んだ者の、肝心の顧客に出会う事がなく、結局買い手がつかなかった。運よく帝都の商船団に合流したまではいいものの、こうして没落貴族たちに捕まってしまい、今に至る。
「(顔もバレちゃいない。女装にまさかこんな効果があるとは)」
夫人に化け、帝都の貴族たちのコネを得る作戦の副次的な効果として、パームの顔を世間の目から隠す目的があったが、まさかそれを肌で実感するとは夢にも思っていなかった。縛られた手足をほどき、商人達から離れ、自分の荷台へと急ぐ。荷台には、回収したアーリィベイラー3人分と、アイがいる。
「あいつ、まだ寝てるじゃないだろうな? 」
パームも、自ら好んで没落貴族たちに捕まったわけではない。彼と共に行動していた黒いベイラー。アイが、道中で眠ってしまい、そのまま起きることがなく、すでに3日が経過している。
「アイを置いていくと仮面の旦那になんて言われるか」
パーム1人であれば遅れは捕らなかったが、アイがパームにとって貴重な移動手段でもある以上、離れる事は難しかった。
「さて、貴族共はちゃんとアーリィに喰いついてくれたかな? 」
物陰から荷台を見ると、パームの目論見通り、貴族たちはアーリィベイラーをみつけ、乗り込もうとしている。だが、堕ちベイラーと違いコックピットに入る事ができず、貴族たちは四苦八苦していた。そこですかさず、パームが商人を装って割り込んでいく。
「そいつは簡単には乗れるようにできて無いぜ」
「こ、こいついつの間に!? 」
自分たちが縄で縛ったはずの商人が目の前に突然現れた事に、貴族たちは大いに動揺する。商人に扮したパームはそれを承知の上で、ゆっくりとした口調で話し始めた。ややトーンを抑え、丁寧に、はっきりと聞こえるように話す。
「まぁまぁ落ち着いて。商人として、話がしたいだけだよ。な? 」
「商人として? 」
「そのベイラーを操るには、この液体が必要だ」
懐から、アーリィベイラーに乗り込む際には必須である専用の液体を見せる。この液体の由来が、海で腐るほど取れるただの海藻の煮汁であり、生成に特に設備なども不要である事など、没落貴族たちには想像もできていない。パームはそこに付け込み、話を続けていく。
「こいつを、金貨5枚。いいや3枚で、くれてやる」
「そ、それっぽっちの液体に、金貨をふんだくるつもりか!? 」
「そんなめっそうもない。液体は荷台の隠し棚にもっとある。それも金貨をいただければ、くれてやろうってんだ……おっと」
貴族の一人が、おもむろに荷台を探し始めたのをみつけ、瓶を高く掲げた。
「隠し棚を探しても無駄だぜ。頑丈な金庫に入ってる。無理やりこじ開けようとしたり、金庫そのものを壊そうとすれば、中身のほうが無事で済まない」
「な、ならお前を」
「殺して奪おうって言うなら、、この瓶は今すぐ捨てるぜ」
パームは何重にも予防線を張り巡らせることで、相手の思考を狭めていくのを得意としている。それは彼の才能がそうさせるたのもあるが、長年の、成功を失敗を重ねた、まごうことなき研磨の成果であった。
「さぁ? どうする? 」
「……金貨、3枚でいいんだな? 」
「商人だからな。約束は破らない。ただ、先に金貨の方をもらえないとな」
「いいだろう。商談成立だ」
没落貴族が懐から、薄汚れたなけなしの金貨を投げてよこす。パームはそれを大層ありがたがったフリをしながら受け取り、瓶と、金庫の鍵を差し出した。
「小樽が金庫に入ってる。ベイラー3つ分でおつりがくる量だ」
「どうすればいい? 」
「コクピットに液体を塗ればいい。しばらくすれば中に入れる」
没落貴族たちが不満だだ漏れな顔をしながら、手に取った鍵をつかい、金庫をあけると、パームの言う通り、確かに小さな樽がある。2Lの水が入るか入らないかくらいの小さな樽であったが、物がある事を確かめた没落貴族たちは、こぞってその樽を取り出し、膝立ちでたたずむアーリィのコックピットに競うようにして塗り始めた。没落貴族の一人が、コックピットの色が違うアーリィをみつけ、ソレに乗り込もうとするのを、パームがやんわりと制する。
「なんだよ! 」
「そのベイラーは特別なんだ」
「こいつが一番強そうじゃないか」
《……なんか言った? 》
突如として、頭上から声がしたことに没落貴族たちは黄色い悲鳴を上げて腰を抜かした。パームは、半分は没落貴族たちの声に、半分は、今まで目覚めていなかったアイが起きたことに驚いてしまう。アイは周囲を省みず立ち上がり、まるで人間のように伸びをし、首を回す。血流がないベイラーにとって、寝起きの伸び運動はさほど重要ではないが、生前の、アイがまだ人間の肉体を持っていた頃の癖が、まだ抜けていなかった。口がない顔でおおきなあくびさえしてる。
《ふぁーよく寝たぁ》
「寝すぎだ」
《何よ。夕方に寝て、まだ夜じゃない 》
「あれからもう3日たってる」
《あっそう…… ここはどこ? 》
「帝都の入り口にある谷だ」
《ああ。着いたの。で? 足元にいるこの小汚い連中は何? 》
苛立ちを隠そうともせずに、アイは足元にいる没落貴族たちをにらみつける。外装を施し、アーリィ同様の不気味な一つ目になっている彼女に今度こそ彼らは腰を抜かす。
「こいつは、一体」
「いいから、いいから」
「あとで説明してもらうからなぁ! 」
もはやパームは状況を説明するのさえ億劫になり、没落貴族たちをせかす。彼らは捨て台詞を吐きながら、慣れない手つきでコックピットに入っていった。アイはその様子を、最後まで見届けることなく、突然無造作にパームをヒョイと掴みとり、そのまま強引にコックピットの中にぶち込んでしまう。当然パームからしてみれば体中を痛める結果になるが、そんなことはアイにとって関係無かった。
「物みたく扱うんじゃねぇ! 」
《アレをみてそんなこと言える? 》
「アレ? 」
激昂するパームを無視し、目線を空に向ける。パームが操縦桿を握り、視界と感覚を共有すると、アイが何を見ていたのがを即座に理解した。
それは、この暗闇でもよく見える火矢の雨。まっすぐこの急造された砦へと降りそそごうとしている。丁寧に荷物だけを狙ったその攻撃に、パームは思わずため息をついた。
「ッケ。見られてたってわけだ。面倒だがシールドを使え」
《嫌よ》
パームの指図を真向から否定し行動する。パームとアイは、表面上は限りなく仲が悪い。お互いに容赦がなく、情けもない。提案もほぼ否定し合う。だがその否定は、拒絶ではない。
《面倒だから、全部燃やしててやる》
それは、より良い案を常に考え続ける、アイの根本的な性格の部分であった。かつて抑圧されていたアイの知的好奇心や行動力が、よってパームの予想を常に上回るという形で、遺憾なく発揮されている。迫りくる火矢に恐れることなく前を向き、シールドで防ぐのではなく、矢そのものを焼き付くす手段をとる。
《喰らえぇ!! 》
右手をかざし、サイクルを回す。コウが緑の炎を操るように、アイもまた、炎を操る。それは他者を徹底的に排除しようという排他的な、血のような赤黒い業火である。火炎放射のように炎がのび、迫りくる火矢のことごとくを焼き尽くしていく。やがて灰も残らずに完全燃焼させた事で、アイは満足げに胸を張った。
《楽勝。それにしてもこの世界、まだ銃が無いのね》
「銃? 」
《鉄砲。ガン。この際呼び方なんてどうでもいいわ》
「飛び道具が何かか? 」
《そうよ。火薬があればまぁ似たようなものは作れるんじゃない? 》
「火薬? 爆発するやつか」
《なんだ。あるんじゃない。それならそうと先に……って》
それは、再び空から降って来た。先ほどの火矢よりも数がおおく、また一つ一つの大きさが大きい。麻袋に包まれており、細い紐の先がチリチリと燃えている。
細い紐とは、導火線であり、その外見は酷く幼稚で、かつ雑多であったが、アイはそれを即座に爆弾か、それに類する何かと見抜く。だが彼らには、行動に移すだけの時間が無かった。急造の砦がいっきに燃え広がっていく。油をしみこませ、着弾の際にあたりに散らばり、引火する。類義品では火炎瓶に相当する。
「発火袋。アレのおかげで火計がずいぶんしやすくなったものだ」
「シーザァー様! 商人は全員確保しました」
「うむ」
道具の名前は発火袋。鉄拳王シーザァーが、あらかじめ用意させたの武具の一つである。本来は敵陣にある食料、いわゆる兵糧を燃やす為に仕様される。発火袋の大きさでは、人に向けるには大きく、遠間ではまた狙いが定まらない。石積みでできた城相手ではそもそも火が付かない。
「さて、このままあぶり出てくれればいいが」
「シーザァー様! 敵が出てきました! 」
「よぉし! 逆賊を成敗する! 続けぇ! 」
パラディンベイラー3人を引き連れ、シーザァーが吶喊していく。没落貴族が作り上げた城が燃え盛っている中で、おぼつかない足取りで、アーリィベイラーがのろのろと歩いてくる。すでに炎が体にうつっており、その体はロクに動かす事が叶わない。燃える炎を前に、乗り手である貴族たちの戦意は喪失しており、そのまま倒れこんでしまった。酸素を求めるようにコックピットから這い出て、思わず、没落貴族たちはシーザァーの乗るベイラーを見上げた。
「もはや、これまでか」
他のアーリィベイラーも、同じように炎で焼けてしまい、変形を披露することなく崩れ去っていく。これにより、没落貴族たちは、戦意と共に矜持さえなくなってしまった。
「なんだ。他愛もない」
「シーザァー様! まだおります! 」
「ほう。骨のあるやつなら良いのだがな」
シーザァーは、愛機アレックスの力を振えるのであれば、もはやどうでもよかった。選抜闘技大会では結局戦うことができず、鬱憤がたまっている。
「この鉄拳が何もかもを砕いてくれる」
炎の中から現れるそのベイラーを見るまでは、シーザァーは確かに、高揚していた。現れたそのベイラーは、先ほどの没落貴族が乗っていたアーリィベイラーと同じように、体に炎が移り、チリチリと燃えている。だが他のベイラーとは様子が違った。炎と共に、まるで爬虫類がパリパリと音と立てて、皮がむけていくように、ベイラーの表面が剥けていく。
「ったく。せっかくの外装がパァだ」
《それに助けられたのよ。あー癪にさわる》
「……ベイラー、なのか? 」
青黒い装甲を脱ぎ捨て、そこに現れたのは、漆黒の肌と、それよりさらに黒く長い髪を持つベイラー。
《アレ? なんか見覚えがあるベイラーがいる》
「あー……まずったな。そいつが出てくるのは考えてなかった」
鉄拳王のベイラーを見てパームが眉をひそめる。
「あのデカいのは見逃せ」
《他のは? 》
「好きにすりゃいい」
《ふーん》
パームの言葉に気を良くしたのか、アイが人差し指で、パラディンたちを挑発する。指だけを、カンフー映画よろしくちょいちょいと動かすその動作は、兵士たちを奮起させるのに十分だった。
「シーザァー様! ここは我らにお任せを! 」
「お、おう! 近衛兵の力を見せてやれ! 」
「「「うぉおおおおおお!! 」」」
怒号をあげて、巨大な円錐状のランスを突き出していく。鎧と武具の総量に任せた単純な質量突進。その馬力と威力は、当たればひとたまりもない。アイは、それを避けるでもなく、防ぐでもなく、ただまっすぐ立っているだけで、反応らしい反応をしていない。
「我らの突きを受けよ! 」
ランスをその胴体に突き刺すべく、全力疾走していった彼の前で、すさまじい衝撃音が鳴った。アイに攻撃が当たったのでがない。
「な、なぜだ!? なぜ動かん!? 」
《アッハッハッハ! この髪は私の思う通りに動いてくれる! 》
パラディンベイラーの関節が、アイの髪によって絡めとられている。ランスは体に届く寸前で止まり、そのまま全く動かせない。パームは、アイの行動をあらかじめ知ってたにも関わらず、目の前の光景が信じられないでいる。
「(こいつ、前よりずっと扱いが巧くなってやがる)」
アイの髪は、アイの思うがままに、自在に動かすことができた。しかし、毛束には限度があり、強度も不安定であった。しかし今、アイは、三人のベイラーを同時に、しかも気づかれることなく、すさまじい速度でからめとって見せたのである。その鮮やかな手並みを、憎まれ口も忘れて褒めそうになる。
《ぼさっとしない》
「っけ! 少しは戦いが分かったからっていい気になるな! 」
だがアイの言葉でその誉め言葉も掻き消え、対応に追われるパームであった。
「サイクルマチェットぉ! 」
《押し切ってやる! 》
アイの手から、刃渡りの大きな鉈を生み出す。重厚な鎧では真正面から打ち合うは叶わない。故に関節に無理やり刃を差し込み、アイの宣言どおり、押し切って見せる。片腕分の重さが無くなったパラディンベイラーは、乗り手の浅い練度も相まって、バランスが取れずに倒れこんでしまう。
「お、おのれぇ! 」
アイの自在に動く髪の弱点として、自分が他の動作をしている場合が意識が他に向く為に、その形が保てないことがある。今のように、拘束後すぐに攻撃すれば問題ないが、一体複数では話が変わってくる。拘束が解けたことにより、パラディンの1人がランスを叩きつけるように振るう。
《そんな物が効くかぁ! 》
巨大なランスは、打撃武器としても優秀であるが、その性質上刃がついていない。つまり、力が勝ってさえいれば、振り下ろされたランスをつかむ事は容易である。アイが左手一本で、鋼鉄製のランスを軽々ようけとめてしまう。
「そんな馬鹿なぁ!? 」
《吹きとべぇ! 》
兵士の驚きなど目もくれず、掴んだランスを引きつけ、パラディンベイラーを横蹴りで空へと蹴飛ばす。重厚な鎧を着ていても、打撃の衝撃からは逃れる事は出来ない。パラディンは受け身を取る暇もなく、地面へと激突し中にいる近衛兵はもろに衝撃をうけ、そのまま気を失ってしまった。
「これで2人……っておい! 」
《何よ―――ッツ!? 》
アイに抱き着くような形で、最後に残ったパラディンベイラーが突っ込んでいく。両手で腰をがっちりとつかみ、離れようとしない。
《気色悪い事をするなぁ! 》
「今ですシーザァー様! 私ごと、奴を! 」
「……よかろう!! 」
近衛兵の1人が、その身を挺してシーザァーに一撃を託すべく動いた。パラディンベイラーの重量は鎧により超重量。さらには、振り払うより先に、シーザァーのベイラーであれば、正確無比な一撃を相手に食らわせてられる。そう踏んでの行動だった。シーザァーもソレを理解し、兵士に惜しみない敬意をささげるとともに、両こぶしを構えた。その時。
《強奪のぉ》
アイの右手に、液体が滴っていく。この技は拘束されよういとも、間合いが無くとも放つ事が出来る、この状況化で考え得る最適解、かつ、最悪の技。
《「指ぁあああああ!! 」》
アイが、その開いた指を、パラディンベイラーのコックピットへと突き入れ、そのまま握りしめた。クラシルスの煮汁を指にまとわせ、本来ベイラーで最も丈夫なコックピットを貫通し、乗り手を直接殺害する技巧である。瞬間、パラディンのコックピットから鮮血が溢れ、アイの漆黒の肌を伝い、地面へと落ちていく。
《アッハッハッハァア!! 》
アイは、引き抜いた手のひらに咲いた真っ赤な花をみて、心の底から愉快そうに笑う。アイを拘束していたパラディンベイラーは力を無くし、バタリとアイの足元に倒れた。
炎の中でたたずむアイの右手は、遠目から見てもよく見えるほど真っ赤に染まっている。シーザァーは、たった今起こった事と、その情景が一瞬結びつかずに、ひと呼吸分だけ、動作が遅れた。そのコンマ一秒の遅さは、接近戦において致命的であった。
「せ、正拳―――」
《当たるかぁ! 》
鉄拳はアイの頬を掠めるにとどまり、シーザァーのコックピットに、アイが正拳より速くその指を入り込む。シーザァーの目と鼻の先に、人間の血で染まったベイラーの指が現れ、シーザァーの体を掴みかかった。一番外側にある両腕が真っ先に潰され、その骨が折れる。
「うぉ、おおおおお!? 」
それは悲鳴というよりは、状況を理解できずにあふれ出た驚嘆の声だった。アイがそのままに握りしめれば、シーザァーは先ほどの近衛兵と同じ道をたどる事になる。
「何やってんだ! 見逃せって言ったろうが! 」
《アレ? そうだっけ? 》
「とぼけやがって」
《はいはい》
だが、パームがソレを許さなかった。アイは、興味を失ったように、コックピットから文字通り手を引き抜いた。アイはそのまま暗闇に紛れて、ゆっくりと去っていく。
「まだ頑張ってもらわないとな。じゃぁな鉄拳王」
「ま、まて……お前たちは、一体‥…」
砕けた両腕による激痛と、部下の物であろう血生臭さとで、去っていく漆黒のベイラーの輪郭だけが脳裏に焼き付きながら、シーザァーの意識が途切れた。
この日、商人は無事に保護されたものの、パラディン3名の全損。さらには1名の殉職。そして鉄拳王シーザァーの、回復の見込みが立たない大怪我により、一時休養となった。これにより帝都の防衛には、一抹の不安が拭えない事態となる。
帝都に、拭いようのない陰りが、見え始めていた。




