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予期せぬ謁見

 


 剣聖選抜大会が終わり、三日が過ぎた。王城。謁見の間にて。皇帝カミノガエにかしずく剣聖がそこに居る。カミノガエの隣には秘書官であるコルブラッドが、その殺気をうけて意識を落とさぬように必死に手の皮をつまんでいる。


「なんだ貴君。まだ剣爺に慣れぬのか」

「恐れながら、陛下。自分は剣士ではありませぬので」

「左様か。余にとっては剣爺の殺気ならばむしろ心地良いくらいだがな」


 自分の拳を頬にそえ、ひじ掛けに退屈そうにしている皇帝は、剣聖の殺気を受けて動じていない。それは、殺気に耐えているのではない。己の首がいつなんどき落ちるのかなど、謀略の最中にいた彼にとって日常の光景である。切り揃えられてまっすぐでしなやかな銀髪、宝石のような赤い瞳。だがその瞳はどこか虚で、輝きは失われている。好き嫌いが激しく、偏食家のせいで少し骨張っているその手は、12歳という年齢を差し置いても細かった。


「まだ姿が見えるだけ毒より楽というものだ」

「は、はぁ」

「余の母は誰がいれたかもわからぬ毒で死んだ。真正面から殺気をぶつける剣爺のなんと小気味よいことか」


 この時、コルブラッドは、謀略の中で生きながらえてきたのは、この己の死を自覚しながらも立ち向かう精神性にあると感じていた。それがどれだけすり減ろうとも、カミノガエが謀殺される事は決してない。


「ではローディザイア。顔をあげよ」

「ははぁ」


 皇帝の許しを得て、跪いていた剣聖が顔をあげた。109歳という年齢相応の皺であるが、体中から放つ殺気がそれを感じさせない。


「不肖このローディザイア。招集に応じまして、ございます」

「剣爺よ。息災であるな? 」

「はい。少々、難儀を」

「ほう」


 カミノガエがはじめて退屈そうな顔をゆがめた。


「お前が倒れたのは病という事にしてあるが、やはりそうか」

「はい。なにやら地下が騒がしく」

「そうか。苦労をかけるな」

「労いの御言葉、ありがたく頂戴します……して、陛下。曲者(くせもの)が1人」

「何? 」


 その瞬間。皇帝が動いた。剣が天上の一部に突き刺さったと思えば、しばらく後。ポタポタと血が流れ落ちる。


「陛下。ここは私が」

「良い。剣爺も手を出すな」

「ははぁ」

「真向から、それも剣爺が要る時に現れるとは運のない奴よ。その姿を見せれば、少なくともこの場で処刑することは止してやろう」


 流れ落ちた血が止まるのと同時に、天井から1人の男が降ってくる。からす羽をあしらった詰襟の服。その方には深々と剣聖は投げは成った剣が刺さっている。どうにか踏ん張りを聞かせ倒れる事はないが、その男は心底、信じられないといった顔をしていた。


「……殺せ」

「お主は、余を殺すつもりでここに来たのではないな」

「……何を、言っている? 」

「殺すつもりならばなにも剣爺が来るときを狙わずともよいのだ」


 その男……オージェン・フェイラスは、ただこの場をどうするか考えあぐねていた。


「(剣聖、これほどとは‥…しかしこれでは)」


 流れ出る血がオージェンの時間を無くしていく。ついに観念したのか。オージェンは両手を地面に投げすて、降伏した。


「名を名乗れ。余が許す」

「……オージェン・フェイラスと申します。皇帝陛下」

「オージェンとやら。ほしいのは余の命か? 」

「否でございます」

「であればこの場に居る者の誰かか? 」

「それも、また否であります」


 オージェンの顔には、単純な血液不足によるくまと、冷や汗が滝のように流れている。彼は部下が残した情報を元に、城を調べていた。悉くを調べ尽くし、そしてついに残った謁見の間を調べていた矢先の出来事だった。


「(調べ残るはこの間のみ。危険は承知の上であったが、まさか)」


 調べている最中に、剣聖が謁見の間に現れてしまい、逃げる術が無くなっていた。皇帝が玉座から立ち上がる。オージェンの顔を強引につかみ、その目を覗き込んだ。その際、オージェンの懐から(からす)の羽が舞い落ちる。その黒い羽をみて、皇帝はオージェンの呼び方を決めた。


「命ではなく、何を求める。カラスのような男よ」


 もはや、策を弄する暇もない。故にオージェンは賭けに出た。


「ただ、地下に眠る物が何かを、知る為に」


 皇帝に対して、嘘や見栄は死を意味する。であるならば、もはや事を正直に話し、せめて少しでも情報を引き出すしかない。オージェンの言葉に、皇帝は一瞬虚を突かれた顔するも、この場で、唯一、にやりを笑いを返してみせた。


「ほう。わが血と共にある秘密を知りたいか。カラスよ」

「陛下。即刻こやつの首を落とします」

「佳い」

「陛下!? 」


 コルブラッドが声を荒げ抗議する。


「方便にすぎません。暗殺者を生かす道理などどこにもありませぬ」

「暗殺したいならこのような白昼堂々やってくるものか……こやつ、命も、金も欲しいと言わなかった。ただ地下に眠る物と。こやつは、()()にたどり着いたのだ。どうやってかは知らぬが」


 どこか、愉快そうに肩を震わせながら、オージェンの顔から手を離した。


「コルブラッド。貴君(けい)が手当をしてやれ。その後、こやつを連れていく」

「良いのですか? 」

「なぁに。知ったところでどうしようもできまい……カラスよ」

「……は」

「今から知るのは、我が帝都でも一部の者しか知りえぬ事。だが、健気にも真正面からやって来た褒美だ。見て聞いたものを触れ廻るもよし、胸にとどめるもよし。だがひとつ約束してもらう」

「なんなりと」

「アレは長くみていると気が触れる。簡単に狂ってくれるなよ? 」

「しかと、しかと胸に刻みましてございます」


 オージェンにもはや拒否権はなかった。背後には剣聖がにらみを利かせ、前には皇帝が仁王立ちで文字通り見下している。逃げようとすれば最後、剣聖によって首が落ちるのは明白。もはや思案している暇もなかった。


 いつの間にかコルブラッドがオージェンの手当をすませ、皇帝の傍らに寄り添っている。出血が終える頃。おもむろに皇帝が歩き出した。玉座のすぐ裏。そこにあるタイルを二回。こつこつと足で叩くと、城の奥底から鋼鉄の歯車が回る音が響いたとおもえば、謁見の間に、今までなかった地下への入り口が現れる。


「(城そのものにこんな仕掛けが)」


 探しても見つからない筈だとオージェンが1人納得していると。皇帝はすたすたとその地下への入り口へと向かっていく。ふと何かに気が付いたように振り返った。


「剣爺。すぐ戻る」

「は。お早いお戻りを」

「分かっている。そう心配するな」


 剣聖に一言告げおえると、皇帝はオージェンをみて不敵に笑った。それはいままで退屈そうな顔を続けていた彼の、明確な表情の変化だった。笑顔とは裏腹に、地下に続くその入り口にたたずむその姿は、オージェンを帰らぬ旅に誘惑するような、尋常ならざる振る舞いに見えた。


「さぁ。ついてまれ。カラスよ」


 地下への入り口は石段で出来ている。ともすれば足元が見えないこの場所で、皇帝の足取りはとても軽かった。


 ◇


「(……惨い匂いだ……なんの匂いだ? )」


 地下への入り口から、長い石段でできた階段をしばらく歩いていると、まず最初に鼻を突く匂いに顔をゆがめた。階段を下りるたびにその匂いは強烈になっていく。


「血と、何かがまざったような」

「さすがに、カラスでも鼻が利かぬと見えるな」


 先導する皇帝は、すでにこの階段を何度も行き来しているのか、明かりが無いも関わらず、壁に手を添えることもなくずんずん進んでいく。最後尾にはコルブラッドが、オージェンを帰さぬように背後で短剣を突き付けていた。


「カラス。悪く思うな。コルブラッドは小心なのだ」


 それはおよそ、謁見の間に隠れていたオージェンに向けての発言とは思えなかった。


「陛下、この男、武器は持っていない事は確認しておりますが、お気をつけて」

「この場で余を殺せばどうなるかわからぬほど、頭が弱いわけでもなかろう。であるな? カラス」

「……」

「沈黙か。まぁおしゃべり好きにも見えぬな」


 しばらく歩いていると、目の前に明かりが見え始める。ずっと地下にむかっているため、地上の明かりではなかった。狭い入り口を潜り抜けると、そこにはなんとも広大な地下空間が現れた。ドーム状に石がつみあげられ、この空間を作り上げている。さらに中央部はくぼんでおり、そこから熱気が噴き上げている。故にこの空間は長いすればするほど息が苦しくなるようだった。空気の通り道があるようで、酸欠には陥っていない。


「……城の地下に、このような」

「その昔、あの大仰な城を作った後に、この場所を見つけたそうだ」

「(よく城が傾かないものだ)」


 地下には、全身を覆った作業着のようなものを着た者たちが忙しそうに働いている。何をしているのかははたから見ても分からなかった。ただ、全身を覆うためにいささか肥大になった作業着に、さらに顔すべてを覆うべく、目元に大きなゴーグルまでついた特殊なマスクは、目は見る者を威圧するに十分な迫力があった。


「(あれは、医者か? ……一体ここで何が)」

「陛下!? 」

「おお、陛下! 申し訳ございません! お出迎えできずに! 」

「佳い。邪魔をするが、余の事は気にせず、そのまま研究を続けよ」


 一瞬、一同が皇帝が現れたことに対して、返礼をしたものの、おなじく皇帝の一言によってふたたび 作業に戻る。


「何か聞きたそうだなカラス。佳いぞ、問いを許す」

「では陛下。彼らは一体」

「あれか。あれは医者だ……元な」

「元? 」

「あやつらは何年も人を診ておらぬ。もはや病人1人治せまい」


 顔全体を覆う独特なマスクは、薬品を顔に付着させないようにするための工夫であった。手袋も分厚い革製であり、それが一層、この場所で行われている作業が危険を伴うものだと理解する。


「(医者を集めて何を研究させているのだ)」


 いよいよ、部下が命からがら見出した答えにたどり着こうとしているのを肌で感じ取る。間違いなくただ事ではない何かが、ここで行われいる。


「(だが一体何だ?……帝都の地下で何を調べてる)」

「さて。ついたぞカラスよ」


 作業に没頭している異形な医者たちを眺めながら歩いていると、そこにたどりついた。この空間の中央。一番熱気が噴き出るその場所はさらに奥底まで吹き抜けになっている。


「(熱気はさらに奥深くから……どれだけ深くなっているのか)」

「さて。どうするカラス」


 たどりついたその場所で、皇帝が振り返る。12歳という年齢にしては達観した口調で、しかし確かに熱のある言葉が紡がれていく。


「この先の穴に、貴君の求める秘密がある。見たければよし。秘密がある事それ自体を確認したいだけだったならば、このまま引き返すもよし」

「(秘密はたしかにあった。部下の言っていた通りだった……だが)」


 もはやオージェンには、思案する暇もなかった。


「この眼で、確かめます」

「それでこそ、連れてきた甲斐がある」


 その答えに満足したかのか、それ以上問いかけるのをやめた。そしてオージェンが一歩を踏み出し、中央部にみえるソレを見た。


「(……あれは……まさかマグマか? )」


 穴を覗き込み、まず最初に目についたのは、地下に潜ったさらに先にみえる真っ赤に煮える溶岩であった。はるか遠く、奥深くに、わずかにみえるマグマのたまり場。ぽこぽこと未だにうごめき、熱気を放っている。中央から溢れる熱気の元であるのは間違いなかった。


「(マグマが秘密、なのか……ならここは火山? 火山の上に国が出来たのか)」


 城の奥底にマグマが噴き出ている。この事実がどれほどの事か。地形の不安定さを考えれば十分な秘密であった。しかし、帝都は今やその類い稀なる建築様式により、道路は整備され、建物も丈夫。川すら上に通っている。それは、少なくとも皇帝自らが秘密と称するほどの事ではないと判断しようとしたとき、視界の中に奇妙な違和感を感じる。


「(なんだ? 今、何が違和感になった? )」


 一瞬感じたその奇妙な感覚は、ともすれば無視しても問題ないような些細な物だった。しかしこの場、王城の地下において、秘密裏に勧められている研究。その輪郭をオージェンは掴もうとしている。皇帝がそれに気が付き、気を良くした。


「ほう。目が良いのだな。カラスは森で生まれたのか」

「……生まれ?」

「剣爺が言っておった。森で生まれた者は眼がよいと……秘密が大事ではない。どうせ明かしても民は理解せん」

「理解、しない? 」

「カラスよ。貴君はどうかな? 」


 この時、オージェンがなぜ秘密を明かそうとしているのか、その真意を悟る。


「(皇帝は秘密を理解させようとしている? だがなぜ? )」

「ほれ。目が効くのだろう? よく見てみろ」


 オージェンは、進められるままその目を見開き、じっとマグマがほとばしる地下をにらむ。明かりもなく、マグマ特有の淡い光が、ぼこぼこと常に蠢いていおり、その光景はたき火を思わせた。だが、最初に感じた違和感が先ほどより強くなっている。


「(……マグマの中から、煙が上がっている? )」


 違和感の正体が少しずつはっきりしていく。突然オーゼンはあたりを見回し、適当な紙の切れ端をちぎると、燃える地底の奥底へと投げ込んだ。当然紙はマグマの熱で燃え盛り、そのまま灰となって消えていく。それをみた皇帝が、したり顔でつぶやく。


「おお、佳いぞ佳いぞ」

「(やはりそうだ。中央から煙が上がっている。つまりそれは、あのマグマの中で()()()()()()()()()()()()()())」



 オージェンが正体不明の違和感に気が付き、視点が変わる。ずっと見ていたのは、マグマの赤い部分。しかし今、煙の元へと視点がずれていく。


 そしてついに、ソレを見つけた。


「なん、だ」


 ソレは、マグマの中で確かに燃え続けていた。どす黒く、生臭く、そしてなまめかしい。ぐねぐねと蠢き、這いずり回っている。眼があり、口があり、鼻もある。だがそれらが顔としての正しい位置に備わっておらず、すべてバラバラに配置され、体は体としての外見をたもっておらず、黒い塊にそのままとってつけように手足が生えている。


「……あれは、なんだ?」

「卑しき何か。罪の証。罰を受けた黒き何か」


 オージェンがそれを見出したことに、ひとまず安堵したかのように、皇帝はコルブラッドが用意した椅子に座る。足を組んで、彼がいつもそうしているように、ひじ掛けに肘をおき、左手で頭を支えるように、退屈そうにしながら続けた。


「喜べカラス。貴君は今、余の期待に応え、その眼に獣を見出した」

「獣……? まさか、あれは」

「そうだ。あれは」


 オージェンの問いに、爛々と応える。


「あれは生きている。マグマの中で()()()()()()()()()()()()()()()()

「……研究というのは」

「余は、そして余の一族はアレを殺す術を探し続けておる」


 皇帝が指を鳴らすと、即座に机が運ばれ、オージェンの前に一枚の紙が広げられる。研究者たちが目の前にいる予期せぬ来訪者に警戒しながら、その紙が皇帝の息で飛ばぬように文鎮を置いた。


「だが、見ての通りなかなかに難儀しておる。こと生きる事においてアレは我が強い。マグマの熱さに耐える体を持ちながら、眠る事もなく、腹を空かすこともない。何を食べているのか、なぜ生きているのか見当もつかない。かろうじてあの塊には牙があることから、人間とは違う歯の形だとしか分かっておらぬ」

「牙……ゆえに、獣」

「然り。さらには、アレは繁殖する」

「……繁殖? 」

「他の者は寄生といっているが、余はそう思っておる。それを見るがいい」


 オージェンはその、机の上に置かれた紙をみて、オージェンは自分の見たものと、記憶に刻まれた光景が合致する。その合致は予感こそあれ、決して合致してほしいものではなく、だが目の前に溶岩で焼かれ続ける黒い何かをみて、それが確信に変わった。


 紙には、研究内容の一部が大雑把に書かれている。あの黒い何を、研究者たちは便宜上獣と称して研究を続け、判明した事実が並べられている。


「(獣の肉片は、体から切り離されても、まだいきており)」


 読み進めて、その情報は確かな物へと変わる。


「(それは……他の生き物に寄生し……やがて寄生された生き物は……その肉片と()()()()()()()()())」


 オージェンの背中に、ぞくりとしたものが走る。


「……ああ。コルブラッド」

「はい。なんでしょうか」

「いつだったか、貴君が血相を変えて余に報告を上げてきたのは」

「あの時は、お見苦しい姿をお見せしてしまい、申し訳ありませんでした」

「佳い。あれはそれほどの事態であった……()()()()()()()()()()()()()()()()

「暗部の者が逃げるさい、足を滑らせ、底へと真っ逆さまに落ちてしまいました」


 オージェンの奥歯が、わずかに震えはじめる。あの時、オージェンがみた部下は手酷い有様だった。今の今まで、それが拷問を受けた物だと思っていた。


 それは誤りであった。因果が逆である。あれだけやっても()()()()()()()()()()()


「その者はどうなった? 」

「はい。そのものは獣に飲み込まれたかとおもえば、()()()マグマから脱出いたしました。我らが捕らえるも、その体は人間の非ではなく、強靭でありました」

「そして、貴君の元からも逃げ出したと」

「面目次第もございません」

「一体アレは何者だったのだろうな……まぁ今となっては誰もわからぬ。さて」


 退屈そうな声色のまま、皇帝は告げた。あの時、オージェンがみた部下は手酷い有様だった。今の今まで、それが拷問を受けた物だと思っていた。


 それは誤りであった。因果が逆である。あれだけやっても死()()()()()()()()()()


「カラスよ。これが秘密だ。民に説明して、理解されると思うか? 」

「それは……」


 オージェンはその問いに沈黙で応えるほかなかった。獣の実態が想像を絶する物であったからではない。皇帝は、オージェンを見つけてから、すでに見当をつけていた。いつかコルブラッドの元から逃げ出した暗部の者と、オージェンとがなんらかの関りがあると睨み、ここに誘いだしている。


「コルブラッド。暗部の者は、死体は見つかったのか? 」

「はい。山の中で見つかりました。ご報告した通りにございます」

「そうであったそうであった……さてカラス。余は貴君に問う。あの獣を殺すだけの力を持つ者を、貴君知っておらぬか? 」


 決定的な問いを投げかけられる。沈黙は応えにならない。オージェンはこの場で是を唱えれば、そくざに捕らえれ、あの獣を殺すまで、それこそ骨の髄まで使われるのは想像に容易かった。


「いいえ。存じあげませぬ」

「……まあ、そうであるな。殺せるものなら、こんな手を焼いておらぬか」


 声色は、どこか諦めたまま、やはり皇帝は退屈そうな顔で目を細める。


「貴君の止まり木に戻るがいい。カラスよ」

「……寛大な計らい、痛み入ります」


 胸に手をあて、オージェンが跪いて、礼を述べたその時である。それまでは聞こえていなかった音が、耳元でささやくように小さく聞こえはじめる。


 ―――オオオオオオ!! オオオオオ!!! 


「(……なんだ……なんの……)」


 それは、よく耳を澄まさなければ聞こえない、小さな何者かの悲鳴だった。地鳴りのように低く、心臓に直接届くようなオージェンが耳を押さえたその仕草をした瞬間、皇帝の目が見開かれた。すぐあと、今までずっと退屈そうにしていた皇帝が、この場で初めて笑い始めた。あざけりと失笑を混ぜてあわせたような、偏屈で妙な笑いだった。


「へっへっへっへっへ……そうか。カラス! お前にも聞こえるか! 奴の声が! 」

「奴? まさか」

「余の審美眼は中々どうして悪くないようだ! この世であの悲鳴を聞こえる者が余の他にも居るとは思わなんだ! へっへっへっへっへ!! 」


 退屈そうにしていた皇帝の姿はそこになく、玩具を見つけてはしゃいでいる、年相応にしてはいささか歪んではいるものの、確かに上機嫌になっているカミノガエ。研究者たちも、そして秘書官のコルブラットも、その光景は珍しいらしく、皆がそろって口を開けて呆けていた。


 オージェンは気が付いてしまった。今、聞こえてきたのは、あの地下奥深くのマグマで体を焼かれながらも生きている黒い獣の声なのだと。苦しみに悶える悲鳴なのだと。


「へっへっへっへ……カラス、いやオージェン。気に入ったぞ。またいつでも来るがよい。寝首を掻こうが他の者が謁見に来ていようが構わぬ。ああだが、剣爺が傍にいるときは辞めておけ。もはや言って聞くような歳ではないでな。首が落ちるぞ」

「……では、またいずれ」

「うむ。佳きに計らえ。コルブラッド。戻るぞ」

「はい陛下」


 12歳の皇帝の後ろにかしずく大人たちを後目に、オージェンはただ、耳に残った黒い獣の悲鳴がずっとこびりついているのを感じている。階段を上がる最中、ずっと黙っていた、彼と道中をずっと共にしている、相棒というにはうさん臭く、商売仲間というにはつながりが強すぎる、しいて言うのであれば、相方と呼ぶべき名を呼ぶ


「(……ナイア。聞こえているな)」

《(いやぁ、すごいねぇ。契約者と共にいた中で、一番汚らしくも強い生き物だ。あんな生き物がこの星にいたとはねぇ)》

「(アレはお前の同類か? )」

《(うーん。その問いにはこう答えよう)》


 影の中で、ベイラーの形をとりあえず保っているナニカ。オージェンはそれをいつも『ナイア』

と呼んでいるが、それはオージェンが発音できる一部に過ぎない。正体不明加減では先ほどの黒い獣と大差なかった。


《(()()()。契約者が見ているこの体と、あの黒い物は違う)》

「(お前なら殺せるのか)」

《(それについても、こう答えよう)》


 ナイアが楽しげに答える。


《(()()()。アレは無理)》

「(……部下に寄生していた分はなんとかなっただろう)」

《(契約者の天秤でいえば、『量』が違う。すまないけど)》


 謝っておきながら、まったく反省しているそぶりがない。


「(まったく……どうしたものか)」

《(契約者はずいぶん悩むことが多い。契約者が見ているこの体は、この星と契約者がもつ天秤に当てはめて存在できている。それもあの日、本を読んでくれたからだ。もう何度も言っているけど、お礼を言うよありがとう)》

「(……)」

《(お礼をいうといつも黙る。口でも、心の中も)》

「(黙れ)」

《(おお、怖い怖い)》

「黙れと言っている!! 」


 オージェンが声を荒げた。その瞬間、コルブラッドが即座に短剣を引き抜き、その喉元に当てようとする。だがその行動を制止する声が飛んだ。


「やめよ! 」


 オージェンの喉元に刃が触れ、再び血が滴り落ちる。皇帝が止めていなければ、オージェンの喉は切り裂かれていた……しかし。


「……申し訳ありません」

「命拾いしたな貴君よ」

「は? 」

「よく見ろ」


 オージェンの手の平が、コルブラッドの胸元にすでに触れていた。皇帝が止めなければ、喉元を切り裂くより先に、コルブラッドの体は粉砕されている。


「オージェンは無手の使い手か。なるほど……コルブラッド。貴君の計らいはいつも助けられているが、いささか血気が盛んよな」

「お言葉、痛み入ります」

「オージェン。もはや、もう狂ったのではあるまいな? 」

「……いいえ」

「ならば余の名を持って貴君らに命ずる。双方武器を仕舞え。コルブラッドは短剣を、オージェンはその手を収めよ。そしてこの日、再び解き放つ事を禁ずる。佳いな? 」

「は」

「……は」

「日を跨いだ後は、余の知る所ではない。好きにいたせ」


 階段を上る皇帝は、先ほどの笑い声を発してからというもの、上機嫌なままだった。それもそのはず。この日、天涯孤独だったカミノガエに、この世でまたとない隣人を得た。己の耳を苛み、狂気に飲まれる黒き獣の悲鳴。その苦痛を分かち合う事が出来る。それは、皇帝を守り続けていたコルブラッドも剣聖ローディザイアさえも、ついぞ知ることができなかった領域。


 だが、その隣人も、すでに狂気に飲まれている事は、まだカミノガエの知るところではなかった。



卿-けい-って実際に使っている人は見ないけど貴君はメールでみる。謎。

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