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義兄の剣技

「……ん? 」

「おや、気が付いたんでさぁ? 」

「ネルソン? 」


 黒騎士としての戦いを終え、オルレイトは戻った控室で倒れていた。


「精魂疲れ果てて、ってやつですかね」

「ネルソン、僕はどれくらい寝てたんだ? 」

「大丈夫です。ほんの少しの間ですよ」


 脇からマイヤがひょこっと顔をだした。徹夜明けの顔色があれからだいぶ良くなっている。一方のオルレイトは、起き上がろうとしたときに全身に鈍い痛みを感じ、おもわず息が漏れた。


「な、んだぁ? 」

「決闘で変なベイラーに吹っ飛ばされたの、覚えてないんですかい? 」

「決闘……ベイラー…‥そうだ、カリンは! 」

「もう始まってるころかと」

「相手はあのライ王だ。せめてどんな戦いを、って痛ぁあ!!」


 脇腹、背骨がとくに痛みがひどい。服をまくってみれば、両方に手のひら以上の腫れができている。骨が折れているわけではないが、打撲としては非常に大きい。


「湿布を張ってからでも遅くはないでしょう」

「すまないマイヤ、頼む……というかネルソン。任せた仕事はどうしたんだ」

「任せてくださいよ。ちゃんと調べましたとも」


 自慢げに話すネルソンの手元には、小さな手記がある。それは彼の生命線ともいうべき、商いでもつかう重要な物だ。彼の人脈から聞き及んだ確かな情報を順番に読み上げていく。


「ライカンがベイラーを買い上げたのは結構前ですね。鉄拳王はその姿にほれ込んだようで、自ら交渉しているって話でした」

「なら、鉄拳王は敵では無いってことか」


 湿布を張りつけられながら、ネルソンが集めた情報を精査していく。


「あのベイラー両方とも、ポランドってご婦人から買い上げてるそうですぜ」

「あの珍妙な夫人からよくもまぁ」

「珍妙? いやいや、たいした美人じゃないですか」

「お前が少女趣味だというのはよくわかった」

「少女趣味!? 馬鹿言わないでください! あっしは嫁を貰うならいろんなのが大きめのがいいって決めてるんです! 」

「……いや、ポランドって人は子供めいた身長の人だぞ? 」

「背の高くってヒールのに似合う美人ですぜ! 観客席にもいるんですから! 」


 一瞬、場が停滞する。お互いの持っている情報がそれぞれ違っている。


「僕も砂漠で見たぞ。なぜかは分からないがちんちくりんの子供だ」

「ど、どうなってんです? 」


 お互いが商いをしている身であり、根拠のない嘘を言うとはおもわなかった。


「……オルレイト様もネルソン様も、観客席にいってみればいいのでは? 」

「そうしよう……マイヤ、黒騎士じゃない方の服はどこにある? 」

「こちらに」

「(なんだ? ゲレーン王が言っていたポランド夫人と、ネルソンの言っているポランド夫人は別人なのか? 特徴がなぜ一致しない? )」


 痛む体に鞭をうち、着替えていく。黒騎士のまま外にでれば、観衆の目についてしまう。


「ネルソン、そのポランド夫人がいる観客席まで案内してくれ」

「む、無理ですよぉ! あの人、なぜだか特別来賓席にいて、一般の人間が近寄れる場所じゃないんですから! 」

「なら、遠目で分かる場所でいい。どこかにないか? 

「……まぁ。それならなんとか」


 ネルソンがしぶしぶ了承しながら、控室を後にする。周りの兵士はオルレイトが黒騎士であることを知らない。彼らが戦士に興味を持つ暇はなく、ただ己の責務を全している。今は彼らのそのひたむきさに、オルレイトは感謝していた。


「(関係者といっておいて助かったな)」


 控室を通り、コロシアムに出た時、自らも感じていた熱狂を改めて肌で感じる。凄まじい人数の観客のただなかにあって、その中央で二人の剣士が戦っている。


「……あれがライ王の得物か」

「オルレイト様、その」

「どうした? 」

「あの、私は武芸に詳しくないので存じ上げないのですが」


 マイヤも、その中央にいる戦士をみて、思わずつぶやいた。


「アレは、いいのですか? ナイフと剣の二刀流というのは」

「マイヤ、あれは正確にはナイフじゃないんだ。あれは」


 ◇


「ソード、ブレイカー? 奥様。ソードブレイカーって? 」

「―――あー」


 周りを確認し、人に聞こえないように扇子で口を隠しながら、知的好奇心を刺激されたケーシィに耳打ちする。特別来賓席。ここは日差しよけも完備された、限られた人間しか入る事が許されない場所。そこに、ポランド夫人に扮した、パーム・アドモントがいる。仮面をつけ、御付きの人間はケーシィ以外だれも居ない。


「ナイフの背に、凸凹をつくって、そこに相手の刃をかませて、叩き折る道具だ」

「へぇー! なんかとっても強そうな武器ですね。でもなんでみんなその武器を使わないんですか? 」

「……まぁ、いろいろあるが、ひとつは面倒だからな」

「面倒なんですか? 」


 無垢な瞳で問われてしまい、パームは思わずため息をつきながらつらつらと説明してみせる。


「ソードブレイカーは攻撃を受けなきゃ相手の武器を折れないわけだが、そもそも相手の剣をナイフ一本で受けれるなら苦労は無ぇ」

「……無いんですか? 」

「攻撃を受けたきゃ盾を使え盾を」

「あー、そっか」

「そうでなくとも両手を使った武器を受け止めるにはナイフじゃ小さいし軽い。だから盾ってのは大体は剣より重く大きくできてる」

「なら、おっきなソードブレイカーを作ればよくありませんか? 」

「武器は構造が複雑になればなるほど、どんどん脆くなる。あの凸凹で大きくつくったらこんどはソードブレイカーそのものが脆くなっちまう。相手の剣を折るより先にこっちが折れるのが関の山だな」

「……でも」


 目の前で繰り広げられている戦いを指さして問う。


「あの王様はなんでああまで優勢なんです? 」

「それが分からねぇから、俺様もさっきから首をひねってんだ。どうなってんだありゃぁ」



「(利き手が肩から上に上がらないという話はなんだったのか! )」


 剣を振るうカリンが、その問いを真っ先に投げかけたかった。全身全霊でもって挑む義兄は、ソードブレイカーと長剣の二刀流であった。しかしその実、両方を一度に使う事がない。


「ズィァアアアアアア!! 」


 裂帛の気合を込め、大地を両断せんと振るう剣。その剣を、ライは避ける事をしない。


「気合は十分。だが」


 ソードブレイカーで受ける事もしない。ただカリンの振るう剣の平を、コツンと、まるで楽器でもたたくような軽快さで叩く。剣は縦への力には強いが、横からの力にはめっぽう弱い。それはカリンも承知であり、先ほどから速さでそれを補っている。逸らされた剣が地面へと向かい、刃が地面を切り裂いていく。


 どれだけ速く剣を振ろうとも、どれだけ強く振ろうとも、こうしてソードブレイカーで剣閃を逸らされ続けている。


「荒い!! 」


 そして、下段の、足元へと振るわれる長剣。喰らえば戦闘不能は必定であるその剣を、カリンはギリギリのタイミングで反応し、跳躍で避けてみせる。


「(なんどやっても、手を変えても必ず逸らされる……それはつまり)」


 カリンが、一旦間合いをとり、両手で愛刀を構え、思案する。


「(こちらの動きを完全に読まれている……だから、動作の起こりを潰される)」


 ライも追撃をせず、悠々と構える。左手にソードブレイカー、右手に長剣。いずれも順手でもっている。カリンと間合いはそこまで差はない。その上で攻撃の手を潰されている事実に、嫌が応でも技量差を感じざる負えなかった。


「良い腕だ。君の剣は大地すら砕こうとする意志を感じる」

「……お世辞? それとも呆れていらっしゃる? 」

「まさか、本心だとも」


 両手をひろげわざとらしくおどけてみせるライ。そこにはたしかに嘲りは感じられない。


「その気迫のこもった剣戟、君の姉でさえ届いていないだろう」

「……私の、剣戟がお姉様以上? 」

「ああ。君の腕ならば、おそらく本当に岩も砕けるだろう」


 カリンは、その思わぬ賛美に、頬が緩むのを耐えるために奥歯を噛んだ。


「それは、どうも」

「だが」


 両手でくるんくるんと剣をまわし、順手であった剣を逆手に持ち直す。


「俺は大地ではない。人はそんなことをせずとも斬れる」


 一瞬身をかがませたとおもうと、ライは一足飛びで間合いへと飛び込んでくる。


「(また下段が来る!? )」


 カリンは飛びのこうとしたその時、剣が強引に押さえつけられているのを感じる。よく見れば間合いに入られたその瞬間、ライはソードブレイカーでカリンの剣を押さえつけていた。


「(逃げられない!? でも下段なら踏みつぶしてッツ! )」


 先ほどから、カリンの脚を狙ってくるライ。それは、下段であれば利き腕を肩から上へとあげなくて良いという、過去の事情がある事を知っているカリンであれば、当然の結論であった。


 ゆえに、()()()剣戟が来た時、カリンは全身の産毛が逆立つのを感じた。


 己の武器はすでにソードブレイカーで押さえつけられ、間合いから逃れる事を許されない。そしてまったく予想していない上段、頭上からの攻撃。両刃であることは立ち合いから知っている。であればこのまま脳天に喰らう事は死を意味した。


「―――ハァ!! 」


 カリンは、剣から片手を離し、半身捻り強引に剣閃から逃れた。振り下げられた剣と共に、拘束も緩み、己の手に剣を取り戻す。そして、同時に今の一撃がどうやって行われたのかを見た。


「(逆手で、剣を上から振り下した? 肩から上に腕をあげないまま? )」


 当然、そのように剣をふれば、体は『く』の字にまがり、姿勢はまがる。姿勢がまっすぐでない状態で剣を振るえば、剣に振り回されるか、十全に力が乗らずに剣が弾かれるかの二択であるが、ライの剣はどちらにもなっていない。

 

「(それを成すのは、体幹と平衡感覚! )」


 それは、鍛えに鍛え抜かれた体幹と、平衡感覚が研ぎ澄まさてなければ叶わない超常の剣技である。


「さらに、行くぞ」

「(これが、お義兄様の剣術! )」


 間合いにはいってソードブレイカーで得物を押さえ、長剣で確実に相手を斬る。それは彼の、対人剣として行き着いた数ある答えの一つであった。盾では抑えることはできず、一本の剣では追いつかない。故に、ソードブレイカーを持ち、そして二刀流へと自然に行き着いたのである。


「―――フゥ!! 」


 短いながらも深い呼吸が行われると、ふたたびカリンを間合いにとらえる。ソードブレイカーがカリンの刀を押さえるべく伸びてくる。


「(腕が上がる上がらないの話ではない! この強さ! この速さ! )」


 一瞬で、なすすべなく愛刀がソードブレイカーにとらえられる。ガチガチと不快な音が鳴りながら、しかし力では振りほどけない。この、相手の剣を受けるのではなく、()()()()いく時点で、ライの動作がどれだけ精密さがうかがえる。

  

 そして、今度は長剣を用いて、上段でも下段でもなく、突きを放ってくる。逆手になった状態で間合いに入る前に左の脇まで腕をもっていた。そして胴体から腕を離す要領で突きを放っている。その姿勢は自分を抱きしめているようで、しかしその剣先はまったくブレていない。


「(両刃の平突き! 横に逃げれば剣で追われる! )」


 ライがおこなったのは、剣の面を上にした平突きである。刺突としての威力は、刃が左右にあるためにそこまででもないが、突きにたいして対応が想定される横に避ける動きに、そのまま横薙ぎに対応できる利点がある。この技巧は、中世以降の日本でも行われている。


 それほど、間合いの中で剣閃を自在に、それも威力をそのままで変えられるというのは、圧倒的な戦術的優位であった。


「(さぁどうする!! )」


 ライは、その対応方法の答えに胸をときめかせていた。同じ事を彼女の姉であり、己の妻になった女性であるクリンにしたときは、剣を抑えた瞬間に、ソードブレイカーを持つ手を指で瞬時に穿たれ、その隙に拘束から逃れたのである。


 早業、神業。どんな称賛の言葉をならべてもあの時の衝撃は計り知れない。


「(アレはまぁ例外であろうが、君はどうする! )」


 一遍の驕りもなく、あざけりもなく、ライは全力でカリンに向かっている。この手を覆してみせろと。できるものならばしてみせろと。完全に決闘であることを忘れているのだが、もはや彼らにとってそこは重要ではなった。そして、突きがカリンの体に刺さろうとしたとき。


 ()()()()()()()()()()()()


 群衆が押し黙る。一瞬何が起きたのか誰も理解できなかった。

 

「(……なんだ? 何をされた? )」


 ライは遠のきそうになる意識をなんとかつなぎ止め、倒れそうになった体をその鍛えた体幹で耐える。ぐっと体をひねり戻してふたたび構えた時、何が起きたのかを悟る。


「……剣を、捨てたのか」


 そこには、両手に何も持たないカリン。さきほどまでソードブレイカーで押さえていたはずの剣はまだ宙に舞っている。そして、何も持たないカリンの両手は、わずかに血で滲んでいる。


「(剣を離し、俺の突きを両手で止め、そして蹴った? )」


 顔面に叩き込まれたせいで流れ出る鼻血を拭いながら、思わず頬が緩む。カリンは、避けられず受けられないと知るや否や、両手から剣を離し、白羽取りの要領で刃を止め、さらに間合いが刀より内側の至近距離になった事で、ライ側の攻撃手段が無いと踏んで、蹴りで迎撃して見せた。


「(さっきのよけ方といい。この義妹殿は)」


 剣を両手で持つというのは剣士の最初に習う基本動作。ライでさえ最初はそうした動きを体に叩き込んだうえでの二刀流である。カリンのように一刀流、それもその一撃に何もかもを込めるような剣戟を放つ剣士が、およそ行う回避ではなかった。


「剣士が剣を捨てるか普通? 」

「私の姉は、普通でしたか? 」

「―――なるほど。そりゃそうだ」


 宙を舞っていた刀がカリンの手に戻る。その血で柄が湿っていく。


「肩から上に腕が上がらないと教えていただきました」

「まぁ。うちの国では有名になってしまった話だ」

「だから、どうしたというのか。なんと」


 カリンの顔は、両手が血で滲んでいてなお、晴れやかだった。


「素晴らしい剣技」

「だろう? 」


 目がチカチカしながらも、ライは応える。カリンは、決してライをふらつかせるために蹴りを放ったのではない。その一撃でライを倒してしまうべく、ヒール付きの靴での容赦ない蹴りである。その蹴りをうけなお立っていられるのは、脳天に一撃をうけてなお平衡感覚を失わない超常の感覚と、ひとえにライの矜持であった。


「(たった一発の蹴りでのされてしまいましたなどと、妻に言えるものか)」


 言えば最後、妻に失望されかねない。それはだけは許せなかった。


「(血が止まらない……突きを白羽取るとこうなるのね)」


 両手からポタポタと流れ出る血が止まらない。その傷はカリンが思っている以上に深い。白羽取りで手が切れないのは、通常刃が前後せず、かつ剣閃にたいして垂直に手のひらをあてることで止めるのが白羽取りであり、決して剣閃に対して平行にするものでなく、ましてや突きに対して白羽取りすることは、自らの手を切りにいくような自傷行為に等しい。


「(たぶんお義兄様やお姉様ならできるのでしょうけど)」


 その瞬間を見た訳では無いが、想像するには容易かった。相手の剣を噛ませにいけるライと、それと渡り合った姉。動作の精密さは言うに及ばない。武芸に指針があるとするならば、その一つとして、精密さは何よりの武器である。己の手足の長さを知り、武器を知り、そして振るう。相手によって間合いを図る。そのすべてを可能にするのは、肉体動作の精密さに他ならない。


「(さてどうする……大上段からの一撃は躱され、かといってさっきと同じ手は通用するとは思えない)」


 カリンが状況を冷静に判断していき、そしてひとつの解を導き出す。


「(お義兄様にこちらから仕掛ければ負ける……ならば)」


 宙より舞い戻った刀を、するすると鞘に納め、足を開き姿勢を低く保つ。


「(よくぞ気が付いた義妹殿)」


 ライは、その解を導き出したカリンを、もし蹴りの痛みがなければ両手を叩いて絶賛していた。


「(俺のソードブレイカーに捕まらない為には、剣を隠し、速さで俺の上をいかねばならない。であればば返し(カウンター)……居合斬りは必定)」


 カリンは、ライに対して、居合斬りにこの勝負を賭けた。間合いをはかり、半歩づつ、カリンが近づいてくる。


「(もっとも、義妹殿の血が止まらないのであれば、俺が間合いから遠のき続けば勝機はこちらにあるのだが)」 

 

 剣をにぎりなおし、その考えを振り払う。


「(ふざけろ。そんな事、妻が、いや、俺が許さない)」


 左手のソードブレイカーを前にだしつつ、逆手にもった右手の長剣を地面に刺さした。ライの、居合斬りに対する回答は、この逆手での大上段。地面に刺すことで、片手であるハンデを補い、全身の勢いを乗せる事が叶う。


「(大上段で居合斬りもろとも叩き伏せる)」

「(大上段がくるより前に、この刀をお義兄様へと届かせる)」


 じりじりと、間合いが詰まっていく。あの2歩。観衆は、さきほどまでの黒騎士の戦いと打って変わり、勝負の行く末をじっと見守っている。歓声を上げるにはこの空気はひたすらに重く鋭い。


 両者の間合いまであと1歩。


「(感覚を研ぎ澄ませ。お義兄様の動きを指一本見逃すな)」


 カリンが刀に手をかける。


「(俺の最大の一撃をいまここに)」


 ライが、間合いを図る。ソードブレイカーをカリンが放つ剣閃の先に置く。大上段がとどかずとも、ソードブレイカーで居合を防ぐ二段構え。二刀流の優位性をこれでもかと発揮する。


 間合いまで、あと半歩。


 カリンの血が地面へと流れ染みる。ライの汗が頬をつたい落ちる。両者の呼吸が、一瞬止まる。


 間合いに、両者が入った。


「「―――ッツ!! 」」

 

 事の起こりは同時であった。どちらかが負けるうる動き。どちらかが勝ちうる動き。瞬き一つで、勝敗は決していた。


 だが、両者ともに倒れていない。


「……なんだ? 」

「あいつらなにやってるんだ? 」


 あれだけ重苦しかった空気が群衆によってかき乱される。というのも、その両者、カリンとライは、攻撃を放っていない。動作は、構えの向きを変えている。それぞれ、このコロシアムに続く通路へと。


「おい。誰か来るぞ? 」


 群衆の1人が声をあげ、その人物に注視した。


「なんだ。杖をついた爺様じゃないか」


 生きているのかどうか不思議なほど、その老人の線は長く、細かった。白い装束を身に着けた老人。骨と皮、僅かな肉付きしかないその体を、大きな杖で支えながら、一歩、また一歩と進み、コロシアムに入ってくる。身長は2mを超え、そしてその杖は身長より高い。右手には、根本で『コ』の字型に湾曲し、ふたたびまっすぐに伸びた異形の剣が握られている。コロシアムに出てきたその人物に、ただ1人、いままでずっと退屈そうだった、皇帝カミノガエが反応した。


「あ、剣爺だ」


 その一言がどれほどの意味を持つのか。群衆が、このコロシアムにいる全員が理解するのに少々の時間を要した。そして誰もが、その口を開くのをためらう。


 一番最初に口を開いたのは、その、剣爺と呼ばれたそのひとだった。


「若人よ。剣の稽古なら、まぜてはくれまいか」

 

 左手にもった剣を、肩に置いた。構えというにはいささか無作法に過ぎる姿。しかし剣を握るその手は、皺らだけでありながら、血管が浮き彫りになっている。


 カリンは、その相対した相手を知り、全身から脂汗が噴き出ている。


「(あれが剣聖ローディザイア! 本当に百を超える老人なの!? )」


 その老人から、隠そうともしない殺気で、カリンは即座に反応せざる負えなかった。二人の人間としての本能がそうさせていた。戦うべきは目の前にいる相手ではなく、奥から来る敵であると。  


「(これが剣聖の殺気!? 剣を持つ手が震える)」


 カリンはただ、現れた剣聖に肝が抜かれている。その剣聖から出る殺気をもろに浴びたならば、常人では息ができなくなっているであろうソレを受け、ただ体が震えないようにするのが限度だった。


 それはライも同じである。しかし、カリンとは違う意味で驚いていた。


「(そんな馬鹿な。なぜだ)」


 全く違う意味で、彼は反応していた。彼も殺気に反応したのは同じ。違うのは、殺気の質。カリンは同質の殺気を受けたことが無く、また向けられたことが無いために気が付く事ができなかった。だが、ライは違う。同質の殺気を、以前受けた事があり、それを放つ人物が来たと思い、反応してしまったのである。


「(なぜ剣聖からクリンと同じ殺気が!? )」


 姉は努めて妹に殺気を放つ事は無かった。それは自分のもつ生来の殺気がどんなものかを知った上での事。だがライは違う。その殺気を受けた後に、果敢に挑み、そして求婚した。


 目の前にいる剣聖は、その求婚した人物と同じ質の殺気を放っていた。

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