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ベイラーと前夜祭


 剣聖選抜闘技大会は、その規模を大きさを前夜祭という形で盛り上げていた。


「サーラ王、ライ・バーチェスカ。ゲレーンの姫君、カリン・ワイウインズ」


 帝都では、この大会に便乗した出店の準備が、大体的に行われている。ただでさえ遠征にきた他国からの人々が集まり、いつも以上に賑わっている事に加え、この剣聖選抜でだれが勝ち残るのか。次の剣聖が誰になるのか。帝都に住む人々は、平民から貴族に至るまで、だれしもがその対戦カードを気にしている。


 そしてその期待感が頂点に達した頃を見計らうように、皇帝陛下から直々のお触れが張り出された。皇帝の名が記されたそのお触れこそ、剣聖選抜大会出場者を告げる物だった。


「おお! シーザァー様の名はちゃんとあるぞ! 」

「商人の国から、あのライカン・ジェラルドヒートが出るってよ! 」

「で、他のメンバーは……」


 それぞれ、身分が高く、公表されたのは4人。彼らは、帝都屈指の絵師によって描かれた似顔絵がかかれ、帝都中にばらまかれた。出場者の人相は明るみにでる。しかしながら、他に応募してきた者は2人しかいなかった。だがそれは、帝都の人々には、驚きをもって迎えられる。


「平民から()()()応募がでてるのか! 」


 選抜大会の応募のハードルは、皇帝の鶴の一声によって下がりに下がった。身分を問わないという時点ですさまじい譲歩である。故にこの大会は、最後まで参加を悩んだ者も多かった。しかし、そのほとんどが剣聖という名を恐れ、慄き、結局は身を引いている。さらには、帝都でも指折りの実力と人気を誇る鉄拳王が出場することはすでに噂が広まっており、生半可な武芸の腕では、太刀打ちすらできない。この状況で追加で二名も応募があったこと自体、帝都の民である彼らにとっては信じがたい出来事であった。


「命知らずなのか、それとも本物か」

「なになに……フランツ? 知ってるか? 」

「いや」


 多くの帝都の人々は、その、ライカンの奴隷である彼の名を知らない。フランツに関しては最初の4人と違い、似顔絵はついぞ配られることはなかった。これはフランツ自身が拒否したのもあるが、彼の場合、暗殺という任を帯びている以上、大衆に顔を晒すわけにはいかなかったという事情もあるが、何より、絵師の前でじっと椅子にすわって待っているという苦行を、彼は望まなかった。


「もう1人は……なんだこりゃ」


 そしてもう1人の参加者の名を見て首をかしげる。


「黒騎士オール? 誰だ? 」

「そんな騎士いたか? 」


 平民であればまだしも、名のある騎士であれば帝都のいずれかの軍に入っていることになる。それが近衛兵にしろ遠征兵にしろ、実力に関しては文句は出ない。


「辺境の騎士か? 」

「にしたって、この人相は」


 そして、誰もがその人相に目を疑った。 


 黒騎士の名の通り、その騎士は全身が黒い装束で固められ、片腕にローブを纏っている。右手にもつレイピアが彼の武具であるのは一目瞭然であった。


 そしてなにより、彼の顔は仮面で隠れている。黒騎士オール。突如現れたその名も無い黒い騎士に、市民は動揺を隠せないでいた。



「……いい趣味、とは言い難いわね」

「人相について条件は無かったからな」

「だからといって、何もそんな恰好をする必要があって? 」


 第十二番街。港町の一角にある空き地に、カリン達はいた。カリンは選抜大会で自分の力を発揮すべく、すでに素振りを終え気力を充填し終えていた。


 そして同じくその場にいる、黒騎士オール。それはあのオルレイトが変装した姿である。黒装束は動きやすさと丈夫さ、そして見栄えを兼ね備えた、マイヤ謹製の一品。今日は出来栄えと動きを確認するべく、王城から外に出ていた。


「男物を縫うのは久しぶりでしたから、少し時間がかかってしまいました。でも、二人が手伝ってくれて」

「頑張ったー」

「たー」


 両指にみみずばれを作りながらも、Vサインで応えるリオとクオ。


「見事だ。まさかここまでとは……いや本当に、これどうなってるんだ? 」


 オルレイトは、服の構造に明るくない。自分の体のサイズにぴたりと合ったデザインで、動きずらさや、服の脆さを感じさせないその造りに、身に着けている物がその外見以上の品であることを感覚で理解するものの、理屈が分からなかった。体のおよそ半分。両膝、両肘、右手首、胸当てが板金鎧として組み込まれたその構造は、鎧としては、ともすれば中途半端な出来と言える。


「なんか、初めて見る感じの服だね」

「ナットもそう思うか? 」

「うん。ゲレーンで鎧なんか見なかったからなぁ」


 ナットがその恰好をしげしげと見つめる。そもそもまだ鎧というものを眺めた事が少ない彼にとって、この装束はとても珍しく思えた。


「マイヤ、この服、あえて片方に重心を寄せてあるのか? 」

「はい。オルレイト様の剣術であれば、全身鎧より、そちらの方が良いかと」

「なるほど」

「それに、裏地にすこし工夫をしてありますから、見た目よりずっと伸びます」

「そ、そうなのか? 」

「回し蹴りくらいなんともございませんよ」

「こ、この格好で蹴りを? 」

「いいわね。オルレイト、やってごらんなさい」

「か、簡単に言ってくれるなぁ」


 オルレイトが着心地を確かめながら、言われた通りに足を蹴り上げる。股下はともすれば一番布が引っ張られる。ゆえに二重三重に織り込んで縫うが、あまり硬く縫ってしまえば、今度は突っ張った時に負荷に耐えきれず、すぐ破けてしまう。ある程度の遊びと丈夫さを必要とする、縫った人間の腕が露骨に出る部位である。


 そしてマイヤが縫った渾身の作は、オルレイトの蹴りを受けてもなんらびくともしない。


「こ、これは……ひざ下に鎧があった上で、この軽さか」

「はい。生地も鎧も、よい品を扱う方を紹介していただけましたので」

「感謝してくださいよー。まったく」


 この中で唯一踏ん反りかえっている男が1人。旅商人のネルソンである。


「こっちの商いの途中に、いきなり腕利きの鍛冶屋と布屋を教えろなんて押しかけてこられれ、こっちはいい迷惑だ」


 ネルソンはあの後、休憩所を何回か行い、それなりの利益を出していた。だが、彼の歯切れが悪いのには理由がある。


「その商いとやらも、パンの質がずいぶん落ちてたようだが」

「ぎくぅ! 」

「おおかた、パン屋がお前と同じことを始めて、お前に卸してくれるパン屋が無くなったかな」

「ど、どうしてそれを」

「おお。当たっていたか」

「……あと、まだ言ってないことがあるなそいつ」


 じとーっと眺めるサマナ。彼女の警戒心はこの中で人一倍強い。その場の流れを読める事もあるが、彼女の中でネルソンの評価はあれからまったく上がっていない。むしろこの場にいる事を認めていない。カリンの許しさえでればすぐにでも叩きだすつもりでいた。


「ほう。一体なにを隠してるんだぁ? 」

「あ、あれからまっとうに商いしてるんだぁ。やましいことなんてなにも」

「……ん。なんだ。借金か」

「げぇ!? 」

「お前なぁ」

「ち、ちがうんでさぁ! 最近また宿の値があがっちまって、仕方なく」

「休憩所の売上はどうした」

「そ、その日の酒に」

「「「……」」」


 この場にいるネルソン以外の人間が押し黙り、肩を組んだ。ひそひそとネルソンに聞こえないように会話が始まる。


「オル。率直な意見を聞かせて」

「あれは酒で駄目になる種類の大人」

「海賊も、ああなったら仲間に見捨てられる」

「リオ、お父さんに一回、お酒臭いの嫌いって言ったらお酒飲まなくなったよ」

「クオもいった。それからぱったり」

「リオ、ネルソンに言ってあげたほうがいいかな? 」

「それともクオがいう? 」

「やめてあげろ」

「(……ジョット。お気の毒に)」


 顔も知る彼らの父に哀愁を覚えながら、会話が続く。


「少なくとも、彼は仮面卿の仲間でなはいのは確かね。隠し事や嘘は出来そうにないし」

「ああ。それは僕も保障する」

「なんだのっぽ。やけにあいつの肩をもつな」

「マイヤ、この衣装に使われた布や鎧のは、あいつの紹介だと言ってて手に入れたんだろう? 」

「はい。正直、その、かなり割のより買い物をさせて頂きました」

「それだ」


 肩を組みながらもぞもぞと左手で指さす。左手にはとくに装飾はなく、五指はむき出しで、右手を覆っている都合、細かな動きを補佐することができた。


「あいつは商人としての才は本物だ……そして、この衣装を作るのを手伝ったのは、なにかあいつが僕らと商いをしたがっているからだと思う」

「面倒だな。追い出すか? 」 

「いや、商いは双方の利益を手に入れてこそ。あいつに商機があるなら、僕らにも何か利のある事を持ち掛ければいい。例えば、そう」

「……人探し」


 ナットが、オルレイトの続く言葉を言い当てて見せた。


「あいつの話を受ける代わりに、僕らが捜している敵を探させる、っていうのは」

「それは……名案ではなくて? 」

「ああ。本当にそうだ。ナット、冴えてるじゃないか」


 突然カリンとオルレイト双方に褒められ、気恥ずかしさでもぞもぞもしてしまうナット。


「で、でもまずはあいつの話を聞かないと」

「そうだな」

《こっちも終わったよー》


 コウ達も、戦いの為にある支度を終え、合流していた。コウの後ろにセス、ミーン、リクと続き、最後尾に、レイダとヨゾラがいる。まっさきにヨゾラの変化にマイヤが気付く。


「まぁ! センの実をつかったのですね! 」

《ミドリイロ! ミドリイロ! 》


 ヨゾラの体に、ゲレーンのベイラー達と同じようにセンの実で着色を行った。元の色が嫌いと言うわけではなく、マイヤが故郷のベイラー達は皆がそのようにすると話たところ、ヨゾラも同じようにしたいと言って聞かなかったのである。


《ドウ? ドウ? 》

「ええ、似合っていますよ」


 マイヤが言葉を飾る事なく告げる。ヨゾラはうれしそうに体を左右に振った。


《言われるがままにされましたが、私のは一体なんなでしょうか》

「それは僕からだ。レイダ」


 そしてもう1人。レイダにも変化が加わっている。体の淵に、銀であしらった彫刻が付けられている。それは、城のパラディンベイラー達と同じ、エングレーヴィングであった。これはオルレイトのアイディアである。なお、戦術的な意図は全くない。


「うん。金より銀にして正解だったな。お前の深緑の肌に良く似合っている」

《ありがとう、ございます》


 端に、レイダに同じようにしてやりたいという、ただの贈り物であった。


《でも》

「なんだ」

《黒騎士なら、私も黒く塗ったほうがいいのでは》

「バカを言うな」


 即座に否定が入り、レイダが目をまくるする。


「お前の色が見れないなんて冗談じゃない。赤ん坊のころから知ってる色なんだぞ。それを今さら変えろなだなんてごめん被る」

《……まったく。いつのまにか大きくなっているんだから》


 レイダが取り付けられたエングレーヴィングを撫でる。


《これなら、コウ様にだって負ける気はしませんね》

「だろう? 」

《オルレイト、ちゃんと騎士っぽいね》

「っぽい、じゃなくて、騎士なんだよ」


 新たな装いとなったレイダを後目に、ネルソンがおずおずと話しかける。


「えー、それでね、オルレイトさん、おいらの話をちょーっと聞いてはくれませんかね」

「……なんだ」


 オルレイトの心が一瞬ざわつく。予想通り、ネルソンが相談を持ち掛けてきた。


「(なんだ……どんな話だ)」

「その、剣聖選抜大会にでるんでしょう? そこで、おいらの名前をだしちゃくれませんかね? 」

「……なるほど。大体的な宣伝だな」

「そう! ネルソンの休憩所ってのがあるっての、帝都中が集まってる場所で言ってくれれば、もういっきに人が増える! ひとが増えれば金は増える! 」

「なる、ほど」

「代わりに、休憩所の利益の1割をさしあげます。いかがです? 」

「(……内容そのものは、悪くない)」


 オルレイトは、ただ黒騎士としてネルソンの名を出せばいい。そうすればなにもせずとも手元に利益が入ってくる。状況が許せばすぐに首を縦に降る内容だった。


「(だめだ。ネルソンの名前を大々的に出したら、ネルソンに調べものをさせたとき、僕とのつながりがすぐばれる。そしたら意味がない)」


 ネルソンの名を出さずに、如何に商いをするか。金にそこまで困窮していない彼らにとっては、今は情報の方が重要だった。


「(もっといい代案をださないと……僕ならどうする? )」


 ネルソンの顔があきらかに歪み始める。


「あちゃー。1割じゃだめですかい? 」

「そ、それは」

「なら3割! これなら文句ないでしょう! 」

「さ、3割!? 」

「ええ! 」

「(あのとき見た客入りはほぼ満席。それでパンと水の代金を出したとしても)」


 ネルソンの言葉に、反射的に頭の中で損得計算が入るオルレイト。そしてその計算が彼の思考を徐々に鈍らせていく。


「(で、でかい! 3割! 昼間に一度人が昼食でいなくなると考えても、朝に一回、昼過ぎに一回、休憩所が満員になればかなりの利益になる……それの3割! あまりに大きい! )」


  ネルソンもこれ以上は割増をしてこない。だが、一度1割という数字を出したうえで、その三倍の利益を与えると申し出ている。ここでネルソンとオルレイトでは計算式が違っていた。


「(くくく。あの休憩所は朝には2回満員の人数が入れ替わるのさ。夕方まで粘れば。それこそ5.6回の回数満員になる。一日でそれだけパンを仕入れるのはきついが、それ以上の利益だ。その3割くらいくれてやっても、おいらの借金を返してもおつりがくる)」


 それは、あの休憩所を実際に経営した彼の経験値。帝都で商いを続ける彼だからこそ持ち得る知恵だった。そして、彼はダメ押しを図る。


「こんなおいしい話、商人として乗らないなんてどうかしてますぜ」

「(ッツ!? こいつ人の気も知らないで!! )」


 ネルソンは、オルレイトの気性をこの短い間で理解していた。


「(貴族の坊ちゃんは、どいつもこいつも、()()って奴を持ってる。まぁ悪くはないが、旅商人にとっちゃ、ここが弱点ですって札をぶら下げてるようなもんさ)」


 心の機敏を感じ、それを利用する。こと人心掌握を術をネルソンは持っていた。対してオルレイトは、帝都での、その桁外れの商いに目がくらんでいる。


「(のっぽのやつ、あの商人の奴に完全に飲まれてる)」


 外野から眺めていたサマナがその様子を見る。流れは完全にネルソンが握ってる。ここから流れを変えるには、本人が相手を言いくるめるか、外野から介入するしかない。


《ネルソン、なんかやるの? 》

「(ちぃ、旅木は黙っててほしいね)」


 ネルソンが内心で舌打ちし、その舌打ちに気づいたサマナが、おもわず拳を振り上げ始める。次の言葉次第ではこのままネルソンに殴りかかり、叩きだしてやる気迫があった。


「へい。ちょっと休憩所を」

《へー。喫茶店みたいな? 》

「き、きっさ? 」

《でも、せっかく大会なんだから、帝都もなんかグッズ出せばいいのに》

「そ、そうですね……はい? なんです? ぐっず? 」


 だが、コウが、思わぬ形で介入を果たした。


《そうそう。剣聖バッジとか。剣聖選抜大会記念品、とか》

「……記念品? 」

《うん。あれ、もしかして無い? 》


 コウがおもわずカリンに目線を移す。カリンもその意図は分かるものの、名前を繰り返すだけにとどまった。


「ぐっず、と言うのは、聞いた事が無いわ」

《なんか残念。いい記念になるのに》

「ま、まてまて。剣聖様の記念品なんかおいらたちが扱えるはずがねぇ! いやーびっくりした。旅木にしちゃいい考えだったが、惜しかったな」


 ネルソンが一瞬高まった期待をなでおろす。記念品は帝都からも発行されることがある。主に記念硬貨や、郵便の絵葉書など。しかしそれらは厳重な品質管理という名の検閲が入る。偽造品を製造し、さらには流通させたとあれば、ネルソンの首は明日には飛んで行ってしまう。


「まぁまぁ。とりあえず、オルレイトさん、商いの方を」

《あれ。じゃぁ黒騎士のは? 》

「「……」」


 オルレイト、ネルソンが、その言葉を聞いて全身に衝撃が走った。


《黒騎士のぬいぐるみとか、バッジとか》

「ぬいぐるみ」

「ばっじ」


 さらにその衝撃は大きく連続して彼らの身を襲う。


「(そうだよ! 剣聖の名が入った記念品を売ろうものなら即刻処刑! だが、黒騎士は、()()()!! おいらが作って、おいらが売る! それなら、なんの問題もない! むしろあり! 全然あり!  )」

「(黒騎士の記念品なら、僕が言うまでもなく、このネルソンが売りに出せる! 何より休憩所とちがって、その仕事は誰かに変われる! その間にネルソンに調べものをさせられる! そして利益の少しが僕らに入る!! )」


 ふたりの利害が、突如として一致する。


「お、おい旅木! さっきいってたバッジってどんなだ」

《え? 薄い金属に彫り物をしてあって、身につけられたりするんだよ》

「おお! それなら」

「マイヤ。この装束をつくった時の布は、まだ残っているな」

「は、はい。ぬいぐるみをつくるなら、綿がなければなりませんが」

「そっちは、おいらがなんとかなる」


 2人の商人が顔を見合わせる。


「だがこの商いには、たった1つだけ穴がある」

「……そうだな」


 衝撃の走った商い。だがその構築にはあるひとつの不安要素がある。


「もし、黒騎士様が、選抜大会で無様に負ければ、せっかく作った物はぜんぷパァ! 売れ残ってだれも買いやしない。そうしたら、損、いや大損! そうしたらどうしてくれる」

「ネルソン。でしたわね」


 2人の商人の間に入るように、今度はカリンが介入する。腕組みしながら放ったその言葉は、コウと違い、刃のような鋭さと凄み、なにより威圧感がある。


「いい事を教えてあげましょう」

「教えてもらおうじゃないの」

「そこにいる男は、まだ私に一度も勝ったことがありません」

「なんだいなんだい。ならこの商いは駄目だな」

「でも、他の相手なら、その男は負けないわ」


 最後の言葉は、毒気の抜けた、柔らかな声だった。


「オル。いえ黒騎士。勝ってみせなさい」


 剣聖選抜大会は勝ち抜けである。黒騎士が勝つという事は、その後、カリンと当たる可能性があるという事。そして、お互いに、大会が近づくにつれ、それを望み始めている。


「なら、ライ様と戦えるように努力しよう」

「あら。私が負けると? 」

「誰よりも君がそう思っているだろう? 」

「「―――」」

 

 2人の目線が重なる。言葉で気合がお互いに入り始める。その気合はさきほどの商いの話など放り捨て、2人の手を、自然と己の得物へと導いた。呼吸がとまり、一拍の間。


「ま、まっ―――」


 ネルソンが怯え、おもわず身をかがめたその瞬間。


 オルレイトのレイピアと、カリンの刀が、その頭上で交差した。瞬きのその瞬間。二人は、それぞれ最高の技をもってして火花を散らす。


「(速い!! )」

「(重い!! )」


 それぞれカリン、オルレイトの所感であった。ふたりともまったく遠慮のない一撃。すこしでも手を抜いていればどちらかが怪我をしていたが、そうなっていない。それはお互いが出せる最速の技を出す事こそ、転じて身を守ることにつながる事を即座に感じ取っていた為であった。しかし五分と五分に見えるこの剣戟は、僅差が生じたからこその物。


「(最初から振り上げていたら、負けていた)」


 カリンは、刀をそのまま振りぬく居合の形。だが、最初は得意の大上段からの一撃を見舞おうとしていた。居合はあくまで返し(カウンター)。相対的意な速さで敵を切り伏せる技であり、大上段からの一撃こそ、カリンの最も得意とし、そして最高の威力を持つ。


「(最初から居合をされていたら、負けていた)」


 オルレイトは、レイピアの突きの形。己の最速を技を放った。突きは動作の起こりが大きく、返し(カウンター)しやすい。踏み込む瞬間を見極められてしまえばそれでお終い。だがオルレイトは、カリンが大上段で来るであろうという予測をした上で、愚直に突きを放った。


 すなわり、カリンがオルレイトに対応した事により、状況が拮抗した。大上段に移行するより先に、カリンは振りぬく事を選んだ。


 否。()()()()()


「よくぞここまで」


 たった一合の切り結びで、その実力を確かめ合える。達人同士の息遣いが、確かにそこにあった。その上で、カリンは心の底からのその腕を称える。剣の修めはじめ、オルレイトは1年あまり。その1年で潜った修羅場の数で、彼はカリンの修練に追いつきつつあった。


「「まっている」」


 2人は剣を仕舞う。カリンには、もうライに対する気負いは失せている。オルレイトは、商いで心が曇ることは無い。


「ネルソン。商いの話を詰めよう。品物は昼前には用意できるはずだ」

「へ、へい! 」

「オル。手伝えることはある? 」

「いくらでも。コウ! お前のアイディア、使わせてもらうぞ」

《もちろん》


 大会前夜。それは2人の剣士が、お互いを高め合った夜であった。

 

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