共有するベイラー
この世界にもロボット同士の決闘だってあるのです。
《なんとなく、体のつくりが分かった気がする》
「人間の骨と似たようなものよ、難しいことは無いわ」
コウが己の体をまじまじと観察する。7m。建物でいえば4階相当にあたるその高さは視界が高く広い。体は樹木で出来ており、ホームセンターにあるような加工された後のようなきれいな断面が見受けられた。関節にはそれぞれ回転する円盤があり、それが動く事で体が動いている。
肩を見ると、体から横に生えている分厚い板があり、それから腕が生えている。試しにコウが動かしてみると、分厚い板が動き、それに連動して腕も前に出た。
《この肩のはドでかい肩甲骨で、腰のはドでかい骨盤か》
体をひねれば、背骨のように一本太い線が走り、腰につながっていた。そして、それは骨盤らしきものにつながっている。やはり動かすと、その部品が動いて、足を上げてみせた。総じて、人体の、分厚い部分を大きくして、手足が長く、胴体は短い。だがその胴体は体と違い、半透明の琥珀色で、三面図で見た場合、側面から見ると前に伸びるように長くなっている。人間と比べ筋肉が無い分、どこか歪だった。さらには、動かすたびに、まるでやすりで木を削るような音がして、気が気でない。さらには、胴体に、どの部分の動きとも連動しない謎の半透明の物体が埋め込まれている。この物体が一体何なのかがまるで分らなかった。分からないことはまだある。
《……これ顔はどうなってるんだ? 》
「あー、湖がすぐそこにあるから、あとでみればいいわ」
《鏡は? 》
「かがみ? 」
《(ん? )》
ここで新たな違和感が発生した。自分の言っている単語が相手に理解されれない。そもそも日本語が通じている時点で不思議がるべきだったが、まだ確認せねばならないことがあった。
《えっと……いま西暦何年? 》
「せい、れき? 」
《(おっとぉ? )》
今の発言で大体は把握できてしまった。それもよくない方向にである。
《(結構、古い時代か……電線も見当たらないし、電気も無さそう)》
時代。それがどうやらコウとはだいぶ違っていることを確認させた。
異なる世界、異なる時間。そして異なる体。何もかもがコウの知っている物と違う。だがそれはそれとし、現実として受け止め、次に進まねばならない。この少女のために立ち上がったのであれば、なおのことだった。
《えっと、ここはどこ? 》
自分の声の発生方法に驚きながら、とにもかくにも情報を集めるべく質問をする。目の前の少女は、すっかり気を良くしたのか、得意げに答えを告げた。
「ここはゲレーンの奥にある深い森の中で、貴方はその中にあるソウジュの木から―――」
《ストップストップ》
「はい? 」
《ゲレーンは、その、何? 》
専門用語らしきものが出てた瞬間それをとめ、さらに説明を求めた。意気揚々と答えた少女は突然答えを遮られ、わずかに眉があがる。
「ゲレーンというのは、この国の名です」
《(国……国家の事だよな……あの青い服の人たちは、そしたら軍隊か)》
なんとなしに、あの大人たちの統率の取れた行動に納得がいった。大人たちだけであるのも、またそれが理由であった。訓練を終えた兵士たちでもあるのだ。
《ところで、僕は、どこか悪い? 》
「どうして? 」
《さっきから、動くたび変な音が鳴ってるんだけど》
「ベイラーはそう言う物なんです。動く場所を何度も生やして折れて、また生やして動くんです。長く動けば、やがて滑らかになって、音も静かになっていきます。それでもさっき立ち上がったときは、もっと大きな音が鳴ってましたよ?」
《……これで静かになったほうなのか》
「ええ」
手のひらをグーとパー交互に繰り返す。確かに少女の説明どおり、何度か繰り返すと、やがて動きはなめらかに、音は静かになっていく。それでも無音になるわけではなく、木の葉をゆらすようやささやかな音は成り続けていた。
《静かにするには結構時間が要りそうだ》
「大丈夫。そのために、私たち人間がいます」
《……どういう事? 》
「ソウジュの木、あなたはあの木の果実であり花であり、種なのです。そして」
そういって少女はコウの足元まで近寄る。7m対、目測150cm弱の人間では、足元に立たれただけでも、ちょっとしたはずみで踏みつぶしてしまいそうなサイズ差がある。それを知ってか知らずか、少女はコウの脚に手を添え、安心させるように言葉をつづけた。
「あなたは立ち上がってくれました。その足で、この世界を歩いて、遠くに行って、その体を大きなソウジュの木として成すために……それとは別に、パートナーを選ぶのです」
《パートナー? 》
「ソウジュベイラーは、人間を乗せるスペースを用意して生まれるのです。もし、もしよかったら、私を、貴方のパートナーに、乗り手に、してくださらない?」
ようやく、胴体の謎が解き明かされた。どの関節とも連動しないのは、単につながっていないだけでなく、それは本来自分以外の物を格納するために存在していた。だからこそ胴体は7mの大きさに人間を納めるべくして大きくなっていた。
《乗り手ってことは、僕に乗るの?》
「駄目? 」
彼女には、その問いかけが否定に聞こえたようで、顔が曇った。無論コウの問いは、どうやって乗り込むのかの手段を問うものであったが、意図が通じていないこと、少女の曇った顔で悟る。7mの巨体であることを忘れ、大いに焦り、手振り身振りで誤解を解くべく動いた。
《ああちがくて! その、どうやって乗るのかなぁって》
「……乗って、いいの? 」
手をブンブンとふりながら、突如投げかけられた少女の、その不安そうな顔を払拭すべく、しっかりと目を合わせて、応えた。
《もちろん。どうすればいい? 》
「え、えっと! 膝立ちになって! 」
《お任せあれ》
立ち上がる時よりはずいぶんと動くようになった体であれば、膝立ちのなんと楽なことか。ガキガキと不快な音をだしながらも、膝をついた。
《なったけど、どうす―――》
「よっと」
次の指示を聞こうとしたとき、少女はその高いヒールにも関わらず、コウの巨体を軽々と駆け上がって見せた。壁を駆け上がるように軽快に、そして颯爽としてる。ひらりと舞い上がったドレスが、また見事に翻り、少女の姿を可憐に見せた。
思わぬ身体能力に目を点にするコウであったが、少女はすぐさま、その琥珀色をした胴体に、ゆっくりと手を触れる。
「私を、受け入れてくれるなら、開いて迎えて。私のベイラー」
それは指示というより、呪文を唱えるような仕草だった。コウも、その言葉をうけ、ただひたすら頭の中でその言葉を反芻する。
《迎え入れる……迎え入れる》
やがて、少女の手が、琥珀の上で波打ったかとおもえば、静かに水の中に沈んでいくようにして、コウの中に入っていく。コウにとってはじめて人間を中にいれた形になるが、異物感はまるでなく、むしろ人一人分の重さで重心が安定して立ち上がりやすいまであった。
「やった! ついにベイラーに乗り込んだぞ!!」
「でも、あのベイラーでほんとうに大丈夫なのかぁ? 色もあまり見ない色だぞ」
少女がベイラーに乗り込んだのを見た大人たちが色めき立つ。おおむね肯定的な態度だが、中にはコウの色を気にする者や、半ば中傷するような物言いをする輩もいた。
だが、そのどれも、コウには些細なことだった。半透明の琥珀の中にいる少女は、中に納まるや否や、それはそれは大いに喜んで、笑っていた。琥珀の中の防音はさほどでもないのか、笑い声がよく聞こえていた。コウには、それで十分だった。
「これが、これがベイラーの操縦席……やっと、やっと乗れたわ!」
《えっと、おめでとう》
「ありがとうベイラー! もうこれで貴方は、私だけのベイラーよ」
《ベイラーって言うのは他にもいるの? 》
「居るわよ。でも、私を乗り手にしてくれるベイラーはいなかったの、貴方が初めて」
《その、ベイラーって言うのやめない? 》
「あら。お嫌い? 」
《人間のこと、『おい人間』とは呼ばないでしょう? 》
「それもそうね。なら名前をつけなくちゃ。どんな名前にしようかしら」
コックピットに入った少女は、さきほどからコロコロの表情が変わっている。最初にあった時の事が嘘のようだった。きっとこちらの方が、より彼女らしい振る舞いであるのは見て取れた。自分の中に入った途端に、立場を忘れ本来の姿を見せてくれることが、なにやらむずかゆく、しかしうれしかった。
だがここまで来て、コウは、少女の名前を知らないことに思い当たる。
《……僕はコウ。泉コウだ》
「あら! 貴方名前があるの!? でも素敵なお名前」
《あ、ありがとう》
「名付けられないのは、ちょっと残念」
《まだ》
「はい? 」
《まだ、君の名前を聞いていなかった》
「……貴方、名乗っていない女を乗せたの? そりゃ、名乗らなかった私も悪いけれど」
あれほどしおらしかった彼女が、今度はわずかに不機嫌に、というよりむくれだした。だがすでにもコウにとっては、もうどの表情も新鮮で、可愛らしく見えてしまい逆効果である。
《名乗っていてもいなくても乗せたよ》
「口の巧いベイラーだこと……カリンよ」
《カリン》
「私は、カリン・ワイウインズ」
《どっちで呼べばいい? 》
「カリンの方」
《じゃぁカリン。なんで人を乗せるの? 僕はうごけるよ? 》
「でもあんまり動けないでしょう?」
図星だった。立ち上がるだけでも一苦労。身振り手振りもぎこちない。もし今から歩けと言われて歩ける自信がコウにはなかった。
「ベイラーは体を動かすのが苦手なの。慣れれば歩いたり、走ったりくらいは出来るけれど、物を持ったり、障害物をよけたり、複雑な動きが苦手」
《……やってみないと、僕はなんとも》
「大丈夫。そのために私たち人間が補助するの。それで、ベイラーは遠くに行けて、私たちはその力を借りられる。種を運ぶには、遠くに行かなくてはならないから」
《いい関係だね》
「私たちも、そうなれる?」
《……そうなれるといい》
それは心の底からの同意と願いだった。
《よろしく。カリン》
「よろしくね。コウ!」
こつんと、カリンがコックピットと叩いた。人間でいうところのハイタッチの疑似的な再現であることに、しばらくコウは気が付かなかった。
◇
「ソウジュの木と同じ白い色のベイラー。これはなにかの暗示なのでしょうか」
「珍しくはあるが……それでも、姫様が乗るベイラーとして申し分ない。なんとも美しい色じゃないか」
カリンが乗り込んだ後も、しばらく野次めいた声が聞こえていた。
《いろいろ言われてるみたいだ。でもこれから、どうすればいい?》
「帰るわ! お父様に紹介するの!」
《わかった。どっちに行く?》
「ちょっと待って! 号令かけるから」
《号令?》
コウが問いかけるより前に、カリンはするりとコックピットから抜け出していた。一度入ることができれば、どうやらオンオフは人間側で可能らしく、コウは別段なにも動作をしていない。コックピットから出たカリンは、コウの肩で仁王立つになると、軍人らに高らかに宣言した。
「皆! このベイラーは私をパートナーとした! 私もこのベイラー、《コウ》をパートナーとした。いかがか!!」
それは今までとは比べられないほど凛とした、かつ覇気を伴った声だった。一瞬前までコックピットの中で無邪気に微笑んでいた少女と同一人物であることが疑わしいほどの変わり身の早さ。それはある種のカリスマ性であり、人の上に立ち先導できる者だけがもつ才能。カリンはそれを身に着けていた。
大人たちはその言葉で一瞬ざわめく。どうやらコウが立ち上がることそれ自体が彼らにとって予想外の事態のようで、カリンの言葉に対して態度を決めあぐねていた。
だがその中で1人だけ、軍人たちをかき分け、前に出てきた者がいる。屈強な男たちより、さらに頭ひとつ大きい。
「我! 姫さまを、カリン・ワイウインズ様をこの白のベイラーの乗り手と認める! 異論あるものは名乗り出ろ!!」
怒号に近い声が森で響き、鳥が羽ばたいていく。怒鳴り声に等しいその声の主は、眉間に深く皺がより、声とおなじほど怒りに身をやつしているように見えてしまう。身長が2mほどの長身であることをふまえても、威圧感はすさまじかった。
《あの人、なんか怒ってるの? 》
「いつもの事だから気にしないで」
《(あれでいつものって、熊だってもうちょっと静かな声だぞ)》
コウの中で、彼の事を熊男とあだ名をきめた瞬間であり、またコウにとって、聞き捨てならない単語を言っていた。
《……姫さま? 今、あの人が君の事を姫さまって》
「当 方 に 異 議 ぞ あ る !! 」
先の熊男の声よりも、さらに大きな声が、真反対から聞こえた。その声の大きさに驚き、コウがそのまま首だけをつかって振り向く。
それは人間であれば当然の動きであり、むしろ体を動かさないのが不自然なほどだった。
しかし今、コウは人間ではなく7mのベイラーである。そして肩にはまだカリンが居た
コウが思った以上に、ベイラーの頭は横にものびており、その伸びた部分がカリンを押し出すような形になった。結果、カリンは完全に不意打ちで宙に放り出される。
「きゃあ!?」
「おお! カリン様! 」
《だぁあごめん!! 》
とっさに、空いた手を地面とカリンの間に滑り込ませる。カリンも、自らの身体能力をいかんなく発揮し、コウの手の上で受け身を見事に取って見せる。そのまま転がるようにして地面へと着地した。
《(これ知ってる……ヒヤリハットだ……いやすでにアウトだ。それより)》
「ふぅ! なんとかなったわ」
《怪我はない? 》
「ええ大丈夫。貴方こそ、よく手が動いたわね。上出来よ」
《よかったぁ》
「でも、今度からは動きときは先に言ってくださる? 」
《もちろん、そうする》
「よしなに……では」
カリンが軽く埃をはらうと、意義を唱えた軍人と真向から向かい合った。
「バイツ! 何の意義があって前にでる! 」
その軍人、バイツは、また他の軍人と違っていた。身長はさほどでもない。むしろ周りより頭ひとつ小さい。
だがそれを補ってあまりある筋肉が全身をおおっていた。胸筋、腹筋、二の腕、太ももにいたるすべてが太い。胴体部分が一番太く、手のひらや足がさほど大きくないため、その体系を一言でいえば『樽』であった。その顔にはたっぷりと髭が蓄えられており、一目で覚えやすい人間といえた。そのバイツと呼ばれた軍人が応える。そこから先は言葉の応酬だった。
「そのベイラー、姫様が乗るにはいささか気が回らないと存じる。もっと良きソウジュベイラーが生まれるのを待つとよかろう」
「では、次いつ生まれるかわからぬベイラーを待てと? それはいつだ。明日か、それとも1年か。10年か。もう次はない」
「しかし、いま先程のようなことがこれから何度起こりましょう。多少体の滑りがよくとも、乗り手を蔑ろにするような……そう」
バイツは、わざと言葉を区切り、明らかな敵意と悪意をこめて言い放った。
「出来損ないのベイラーなど! 」
《―――おお》
コウは、一瞬意味がわからず間抜けな声をだした。その言葉が自分を非難した言葉と理解するのに時間がかかってしまう。やがてその言葉の意図を理解し終えた後。ふとカリンを見た。
そこには、奥歯を噛みしめ、自分の何倍もの怒気をはらんだカリンがそこに居た。自分が非難されたかどうか気が付く時間で、カリンは、もうすでに怒っていた。
「出来損ない! いま出来損ないといったのか!? 私のベイラーを!?」
「言った。言いましたとも。乗り手がいなければ遠くに行く前に体を壊すベイラーが、乗り手を大切にしないなど、あってはならぬことです」
「コウは、まだ生まれたて間もないだけです!」
「もうベイラーに名前をつけなさったか。気の早い姫様であらせられる」
「なにを!」
「俺のベイラー、『レイダ』は、肩にのっても振り落とすなどしませんでしたぞ」
「コウ以上のベイラーなど、もう生まれはしない!」
「ならば、力比べといたしましょう。俺のベイラーと、その姫様をパートナーとしたベイラー、どちらが優れたるかは、競えばすぐわかるというもの、このバイツが駆るベイラーより劣るとなれば、姫様が乗るに値しないもとわかりましょうぞ」
「言ったなバイツ! では、ベイラーによる決闘を成す! 」
「しからば!!」
売り言葉に買い言葉。あまりのやり取りの激しさに圧倒されていると、いつのまにコウの同意なく、かつとんでもない事が決まっていた。
《ちょっと待って待って!? 決闘!? 戦うのか!? 》
「コウ! あなたは今、あなたの事を何も知らないどころか、出来損ないなどと言われ名誉を汚されたのです。私のベイラーなら、正々堂々と決闘をお受けなさい」
《あの、姫様、もしかして怒ってます?》
「当たり前です! 私を選んでくれた! ベイラーが! 出来損ないですって!? そんな貶されかたをされて、なぜ黙っていられますか!! 」
《僕は気にしてません。実際、不注意だったのは事実だし》
「わたしが! 気にするのです!」
《は、はぁ》
「ようやく私を前に立ち上がることを選んでくれたベイラーを! 私をパートナーにしてくれると言ったベイラーを、出来損ないなどと言われて! 腹が立たない訳がありません!!」
《そんな大それたことは》
「それとも、あなたは、私以外が声をかけても立ち上がりましたか? 私であったから乗せてくれたわけではないと!?」
《……》
カリンの気迫は、まさに獅子のソレであり、今まさに獲物の喉元に食らいつこうするかのような迫力がある。バイツという男はこれを真正面から受けていたのだから、その胆力は素直に賞賛するべきところであった。
だがそれとは別に、コウを見つめるカリンの瞳は、怒りに身を任せた叫びから生じたものとはべつに、悔し涙が浮かんでいた。その涙をこぼすまいと、またドレスの裾を握っている。
《(……僕のために、そこまで)》
ここで、コウがバイツの言を認め決闘を受けない事を選ぶのは簡単であった。先も言った通り、今の事故はコウの完全なる不注意であり、バイツの指摘は正論以外の何物でもない。もし、バイツに非があるとすれば、それこそ、カリンが今まさに怒っている理由。
《出来損ないなんて言われて、黙ってる訳にはいかないよな》
「コウ、貴方」
《でも、正直どうなるか分からない。決闘なんかしたことないぞ》
「大丈夫。貴方は私の声を聞いて立ち上がってくれたのだから、できます!」
もうそこには、ドレスの裾を握りしめるカリンはいなかった。それだけで十分だった。
《わかった……カリン! 僕の中へ!》
「はい!」
膝立ちのコウをヒールで駆け上がり、コックピットに素早く乗り込んだ
《で、どうすればいい? どうやって僕は補助を受ける?》
「それは……説明するより試した方が速いわ」
カリンがおもむろに、コックピットの中にある二つの操縦桿を見つめる。車のハンドルと違い、戦闘機の中央にあるような棒状の物で、ある程度前後には動くが、あまり遊びがあるように見えなかった。足元にはペダルのような物はなにもない。
「操縦桿を握れば私たちは動ける。戦えるわ」
《操縦桿? ずいぶんとアナログな動かし方を僕はされるのか》
「いい? 視界が二つあるような感覚よ。けっして混ぜ合わせて考えてはだめ。コウと私は別々で考えて、見て、行動できるのよ。そこを忘れないで」
《……妙な注文をするんだね》
「大事なことよ。それじゃ……行くわよ」
ゆっくりと、その操縦桿を握りしめる。五指すべてを握りしめたその瞬間。
コウの頭の中で、静電気のような、短く火花が散るように眩い閃光が走る。それは人間の片頭痛のような。ずんと重く鈍い痛みを伴った。だが痛みそのものが長引くことはなく、やがて痛みが完全になくなると、今度は目の前が真っ暗で何も見えなくなっていた。
《ま、前が見えなくなった! 》
「落ち着いて……目を開いて」
《開く? 》
「瞼をあけて……共有は始まってるから、瞼を開ければ見える」
《瞼? 》
カリンの言う通りに、瞼を開ける。今まで、忘れていたはずの、人間としての体の動かし方がいつのまにか思い出されており、瞼を動かすことは容易だった。
《目をあけろ! 》
コウは自らの目を開くころで、ようやく事態を飲み込み、そして驚嘆した。
《視界が二つある!? 》
「目を開けたわね。あー! ベイラーの視界って目線が高くて素敵」
《ま、まってくれ。なんでカリンの声がこんな近くに感じるんだ? 》
「近くというより、頭の中で響いていない? 」
《そういえば、そんな気がする》
「感覚と、意識の共有。これがベイラーが人間を乗せる理由」
《共有? まさか、もう一個の視界は》
「それは私。貴方が見ているものは私も見える。逆も同じ」
《カリンが、見ているのは、これコックピットの内側か》
「そう。だからこうすれば」
カリンが顔をあげた。そこには、人間とは違う、目がバイザー状になった顔のような何かが映し出される。それが、ベイラーの、ひいては自分の頭部であることに気が付いた。
《これ、僕の顔か》
「そして私の顔」
《コックピットは意外と広いんだな……これ背中も見えるのか》
「ええ。下だって見えるわよ」
《思った以上に便利な造りしてるな。下も見えるなら歩くのもかなり楽に……》
カリンの宣言通り、下を見ようとしたとき、些細な違和感を覚えた。確かにカリンの言う通り、半透明のコックピットは外界を映し、背中側や股下も見えるようになっている。ある種の全方位の視認性はかなり高くできていた。加えて、ベイラー側の視点も共有されるため、コックピットの視点とベイラーの視点を合わせることで死角を無くすことができる。
……はずなのだが、思った以上にコクピットから見た視点での真下の視認性が悪い。ベイラー側は、真下を向くと見えるのは前に出っ張ったコックピットそのものであるため、真下の視認はできない。故に乗り手の補助は必要不可欠になっているが、今カリンが乗っている状態でも視認ができないでいた。
その理由が分かるまで、たっぷり5秒かかり、同時に、コウは感動していた。
《すげぇ!! 》
「どこ見た! 今どこ見てそう思った!?」
《いや、その……すごいなぁって》
「私だって、好きでこうなったわけじゃないの! 」
カリン・ワイウイズは人間として恵体であった。
なお、余談であるが、一部の女性は階段の上り下りが非常に困難であるとされている。理由は体の一部が単純に視界の妨げになり、足元がみえないため。
つまりは、そういう事である。
《すげぇ、本当に下が見えない》
「あんまりそういう考えをしないで!? いま共有してるんだから、全部私に丸聞こえなのよ!? 聞いてる!? 」
《すげぇ》
「こらぁ!! 」