谷の入り口
「さらばだ。龍石旅団の諸君」
「また共に。ホウ族の方々」
実にあっさりした別れだった。少しの荷物と食料を与えたと思えば、占い師はさっさとカリン達を降ろしてすぐさま砂漠へと引き返していく。4つの山と見まがうほど大きな亀が怠慢な動きでゆっくりと去っていく。
《帝都が近いからって、もう少し、こうさぁ》
「仕方ないわ。レジスタンスを匿っていると知れたら彼らも大変なことになる。さんざん壊された村を見たでしょう? 」
《ホウ族を守るため。か》
「食料に水。帝都に着く分には十分なほどの量よ。それだけでもありがたいわ」
《それだけかな? 》
「何かあって? 」
《なんか、急いていたような気がして》
「まさか、もう帝都に見つかってる? 」
《違うよ。ただ、なにかこう、気張っているというか》
「占い師が? 」
《アンリーさんが、アマツさんの傍からちっとも離れなかったのも、アマツさんに何かあったのかなぁって》
「何かあったとしても、こうして送りだしてくれたのだから、私たちは元気に帝都に向かうまでよ」
《そっか》
「もし何かあったとしても、気後れさせたくなかったんでしょう。ホウ族と一緒にいてわかったけど、気を遣うことを当たり前に受け取る。それが彼らの礼儀なのよ。恩とか、人情とか、それでは厳しい砂漠を生き残れないから」
《なら、俺たちは当たり前に受け取って、さくっと次の目的地に》
「この谷の道をすすめばすぐだわ。さぁいくわよ」
6人のベイラーが谷の間を進んでいく。ほの暗い道の先に、たどり着くべき場所がある。
「目指すは帝都! 」
帝都にいき、パームが企んでいる戦いを止める。アイの行動も、そして生み出され続ける、戦うだけに使われるベイラーをこれ以上生み出すわけにはかない。悲劇を繰り返してはならない。
《(この力は、きっとそのためにある)》
背中の大太刀。そしてサイクル・リ・サイクルの力。示し合わせるかのように集ったこの力は、必ず必要になる時が来ると核心していた。
時を同じくして、一足先に役目を終えた者が眠りにつこうとしていた。
◇
「―――そこに、おるか? 」
「はい、います」
祠の奥、ベイラー達につくらせた2人で住むにはすこし手狭で、1人で住むにはすこし大きい。そんな家の一角で、息をするのもつらそうなアマツがそこに居る。占い師の技能は、儀式によって受け継がれる。しかし代わりに人としての命は短く、アマツの歳まで生きているのがむしろ稀なほどだった。
ふらふらと伸ばされる手をアンリーが握りしめる。すでにアンリーがどこにいるかわかっていない。アンリーがアマツの傍を離れなかったのは、そうしなければもうアマツは立つことすら難しかった。必死に姿勢を、表情を、感情をつくろい、笑顔で晴れやかに彼らを見送り、数時間後にはこうして倒れてしまった。
「あそこまでなら、もう迷うことはなかろう」
「はい、占い師様は最後まで、道を示したんですよ」
「そうか。そのために、この命は燃えていたのか」
「はい。きっと、きっとそうです」
「ああ、ずいぶん、急に来たの」
アンリーがアマツの手を握りしめる。すると突然、アマツが笑い出した。声を出そうとすると喉が痛み、くつくつと静かに笑う。
「どうしたんですか? 」
「お前様が死にそうなとき、てまえが同じことをしたなぁと」
「覚えてます」
「あの時はほんと、死んだかとおもったのだ」
「でも、生きてます」
「ああ、よく、生き残った……アンリー」
「はい」
「儀式を、始める。てまえを、祠につれていっておくれ」
握りしめる手が、一層強くなる。儀式を終えば、もう今のアマツの肉体は死んでしまう。精神があらたな占い師へと入り、またこの里の者たちを導いていく。そうして歴史は紡がれていった。
「アマツ」
「なんぞ」
「このまま、いっしょに旅をしよう。砂漠じゃなければどこでもいい。何もかもを捨てて、邪魔ものは剣で切り開いて、そして2人でどこまでも行こう」
「おまえさま」
虚空を映していたアマツの瞳がアンリーを捕らえた。握られていない方の手で、そっとその頬を触る。
「それができんことを、おまえ様が一番よくわかっているだろうに」
「そう、ですね」
「……ありがとう。その言葉だけで、てまえの命があった理由になる」
「わかっていたんです。その時が近いことだって知っていた。でも」
ほほがぬれていく。頭で理解していても、心が追いつかない。
「もう会えなくなるなんて、嫌だぁ……」
「まったく」
その頬を、すこしだけつねった。
「てまえが折れたのだ。ならばおまえさまの強情を通せ」
「……ごうじょう? 」
「てまえは、こうなる事が分かっていたから、だれかを好きになるわけにはいかんかった。好きになってはいかなかったのだ……だがおまさまのおかげで、変わったぞ」
「変わった? 一体、何が? 」
「てまえは、誰かに好かれるほど良い女だったということだ。それを知れた」
その言葉に、つねられた頬の痛みを忘れ、アンリーが応える。
「アマツは、かっこよくて、かわいくて、最高の女ですよ!」
「最後だけちがう」
「え? 」
「最高の、お前さまの、女だ」
「……はい! 」
「だから、その最高の女の、最後の頼みを聞け」
もう、何も言えなくなってしまった。握りしめる手ばかり強くなっていく。そして頼みなど、言わずとも知れていた。アマツの体を、祠までもっていかねばならない。それが亡骸であろうとなかろうと、儀式には前の術者が必要だった。それが占い師生涯で最後の仕事である。
「ずるいなぁ」
「そうであろう。そうであろう」
「でも、そういうとこも、好きになったんです」
「―――いい趣味をしておるよ、ほんとうに」
「さぁ、いきますよ」
「ああ。頼む」
もう朧気になった目で、アンリーを見る。半身に火傷を負いながらも剣の腕はまったく衰えないでいた。そのアンリーが、アマツを所謂お姫様抱っこで運んでいく。ゆっくりと、優しく運んでいく。
「(こやつは、亡骸となったてまえとでさえ旅にいきそうだな)」
すでに祠には、何人も人が集まっている。占い師としての仕事を手助けする使者や、里の者たち。そして、その最前列には、次の占い師となる少女が片膝をついている。その両脇には、おそらく両親であろう。娘が占い師に選ばれたことは栄誉であると同時に、これから娘との別れを意味する。
「―――おぬしら、もしや」
「アマツ様? 」
「いや、そんなことが」
その両親を、アマツは知っている。親しいわけではない。だがその顔を覚える出来事があった。
「(あの時コウが助けたのは次の占い師の両親だったか)」
まだコウの事を信用していなかったころ。タルタートスの中で事故が起こることが分かったアマツが、コウを向かわせたことがある。不幸中の幸いで、事故で人が怪我をすることはなかったが、それは今思えば、事故で怪我をすることがないのではなく、コウが行ったことで怪我人が出なくなったともとれる。
「かような、事もあるのか」
「は? 」
「いや、もう、ここでよいぞ」
アマツが、最後の力で立ち上がる。アンリーはそれを見届ける。それが彼女の願いであり、その最後の一瞬まで、瞬きさえするつもりもなかった。
「あらたな、占い師よ。里を、頼む」
「は、はい! 占い師様! 」
「そなたら、子が占い師になること、よく、承諾してくれた」
「いいえ、これも里の為」
本心が半分である。本当は占い師などにならず、元気に成長してほしいという親の願いがある。しかしこの砂漠の中、タルタートスだけに任せてはすぐにこの里は滅びてしまう。当たり前のことであるが、人間が飲める水だけをタルタートスは選んでいないのだ。故に導き、そして先導しなければならない。
震える子の頭を、ゆっくり撫でる。
「これより、てまえの記憶を、技術を、その体に継がせる。皆、灯を灯せ」
祠の中で一斉に松明が燃やされる。その中央、グレート・レターの座る前で、2人のもうすぐ占い師をやめる者と、これから占い師になるものがお互いに顔を見合う。最後にグレート・レターに顔を合わせる。すでに焦点が合っていないためにうまく視点が合わない。もう声すら霞んでいく。
「さらばだ」
《ええ。貴女に、龍の導きがあらんことを》
それを言うのが精いっぱいだった。
《サイクル・レター……その魂の中、記憶を、定めを移し取ろう》
儀式。それはグレート・レターの移動の力を使う。
彼女の瞬間移動は、物に限らない。なぜ今まで古の記憶が、この星の歴史すら正確に継がせられるのか。
それは彼女が、そのサイクルの力は精神にさえ及ぶからである。サイクル・レターの真骨頂はこの精神移動にあった。グレート・ギフトとは方向性の違う、圧倒的な能力である。だが万能ではない。一つの肉体には一つの精神しか移すことはできず、なにより複製ではなく移動であるため、移動された側の肉体は滅んでしまう。そして移動された側にも影響はおよび、その寿命を減らし、健全に生きることなど不可能になってしまう。
ベイラーが人の命を省みないこの行為は、非人道的といって過言ではない。だが、それはこの土地で生きる者たちが求めた力。グレート・レターはそれに応じているだけに過ぎない。占い師がいなければ、この厳しい土地で迷う事もなく、豊に過ごすことはできはしない。
《(やがて、この身を裁くものが現れるでしょう)》
いわば、人が発展さえすれば、グレート・レターの儀式は不要となる。その時までは力を行使することをいとわない。いずれ人の価値観の元で断罪されるその日まで、グレート・レターは何度でも占い師を作り上げる。自らの力を行使することをいとわないのは、彼女もまたベイラーであり、そしてベイラーは、人間が好きなのだ。
好きな人が困っている。ならば手を貸す。それが彼女であった。
《さぁ、新たな器へとお向かい》
アマツと、少女を中心として巨大な花弁が花開く。そしてまるで芽にもどるかのように、徐々につぼみへと戻っていく。少女の傍にいた両親はそれを見届け、離れる。アンリーもまた、その花に巻き込まれぬように離れた。
花弁の中は、目を閉じていてもわかるほど、それこそ光の濁流ともいうべきまばゆい灯りで満ちている。
「新たな占い師よ。皆をよく導きたまへ」
「はい。古い占い師よ。おやすみなさい」
2人の会話が短く終わる。やがて光が小さくなり、花弁が再び開いた。
額を合わせあった2人のうち、1人の体がばたりと横に倒れる。いうまでもなく、かつてアマツだったもの。そしてその体は、服だけをのこし、塵と消えていった。膝を折って祈っていた少女が、花弁の上に立ち上がる。大勢の人々が息をのみその姿を仰ぎ見る。
「今ここに儀式は成った」
いままで幼さの残る少女の面影はなく、すでに貫禄すら感じさせる声をあげた。その声は、儀式はなんら問題なく進んだことを意味している。
「いまから、……てまえがアマツ・サキカゲである。てまえは、流れを読み、風を読み、星を詠んで道を示し、決して迷わせないことを、代々受け継いだこの名に懸けて誓う」
静かな祠の中で行われた宣誓に、1人が拍手で答えた。拍手はやがて数が増え、祠の中でおおきく響いた。
「終わった、のか」
アンリーはひとり、涙をぬぐい立ち去ろうとする。しかしその袖をつかむものがいる。
「なにをしておる」
「……はい? 」
「こんな幼いてまえを置いてお主はどこへ行こうとしている?」
記憶の引継ぎには、個人の記憶は含まれない。あくまで占いの術と引き継ぐべき歴史だけにすぎない。アンリーは、自分のことを『お主』と呼んだこのアマツは、本当に自分の知るアマツではない事を突き付けられたようで、今すぐにでもこの場を離れ、心の整理の時間が欲しかった。
「まだ占い師として日は浅い」
「そうで、しょうとも」
しかし、あらたなアマツが、それを許さなかった。
「どうか傍におってくれぬか? みるに、お主戦士であろう? 」
「……それは、なぜ」
さんざん聞かされていた個人の記憶の有無。だが今のアマツは、まるで前のアマツの記憶があるかのようなふるまいに見える。ゆえに問う。
「まさか、記憶が」
「いいや、お主とは初対面だ。だが、なぜか落ち着く。これは提案なのだが、どうか傍におってくれぬか? 祠の奥で過ごすのだろうが、まだ慣れぬでの」
世代を超え、記憶をこえ、ただ求められた。
奇跡というにはあまりに儚く、偶然というにはあまりに都合がよかった。
「お主、名前は? 」
「ホウ族の戦士、アンリー・ウォローといいます。アマツ様」
「ではアンリー。これからお主はホウ族の戦士であり、このアマツの戦士でもある。てまえをよく助け、戦いのときはその身を貸しておくれ」
あらたな占い師が手を差し伸べた。その姿は先代となんら変わりなく、しかし決定的に違う。それでも、アンリーはかしずいた。
「この血にかけて」
新たな占い師と共に、その占い師のために戦士が生まれた。ホウ族の戦士であり、アマツの戦士である。こうしてまたホウ族に、新たな歴史が紡がれた。
◇
場所は変わり、谷あいをすすむカリン達。
帝都に向かう道は一本道。林とよべるていどの木々の先にには断崖絶壁。そんな道にベイラーが足跡をつけていく。ヨゾラが先に偵察に行こうとしたが、地形特有の不規則な風がそれを困難にしていた。
「道が荒いわね」
《唯一の街道にしてはずいぶん粗末だ》
薄暗がりの中、慎重にすすんでいくカリン達。林の奥にみえる崖から落ちてきたのか、すでにいくつもの岩が道を半分ほど塞いでいた。幸いベイラーのおかげでその岩をどかしながら進むことができているが、ここまで道があれていると、いつ落石がおきてもおかしくない事がみてとれた。
《砂漠から来る人たちはこの道を通るんだよね? 》
「そのはずよ。現に私たちもこうして砂漠から来たのだし」
《あんまり人がこないのかなぁ》
カリン達とすれ違う一団もなく、砂漠とはまた別の意味で代わり映えしない景色を眺めまがら進んでいく。
しばらく進んでいくと、一行の目の前に、二輪でできた荷車が立ち往生していた。荷車の持ち主であろう男が道端に投げ出されている。
「岩に足をとられたのかしら」
《行ってみよう》
警戒しつつ近づくカリン達。荷車は車輪の軸が折れており、このまま引っ張っていくのは不可能な状態だった。カリンがコウから降り、男に話かける。
「もし。大丈夫ですか? 」
「あ、あなたは」
「通りすがりのものです。どうなさいました? 」
「落石で、荷台が」
男が指さすさきには、確かに大きい岩が車輪をおしつぶしていた
「お怪我はない? 」
「ああ、何とか」
「コウ! 荷台の方はどうなの? 」
《軸は折れてるし、車輪もぼこぼこだ。取り替えないと無理だな》
「そ、そんなぁ! 商売道具をそんなぽんぽん変えられねぇよ」
「安心なさって。コウ」
《大きさは、このくらいか。で軸がこの長さなら……》
カリンの言いたいことを受け取りすぐさま作業に取り掛かる。作業といっても、荷台の部品をサイクルで作り上げ、取り外すだけ。以前のコウならばいざしらず、今のコウであれば一人で家も作り上げることができる。車輪と棒一本であれば簡単な事であった。
《これでよし》
「ベイラーかい? 初めてみた……ほんとうに直っちまった」
「商人かしら。道中きをつけるのよ」
「へ、へい。では」
商人であることを明かしたあと、直った荷台を引いて帝都へと向かっていく。しかしとつぜん、その荷台から煙が上がりだした。炎上しているわけではなく、狼煙として使われている。
「あれが返礼なのかしら」
《カリン。あの人、帝都にむかったよね》
「そうね」
《荷台だったよね》
「そうね……まって」
《そうなんだよ。俺たちあの人の足跡をみてない! 》
一本道で同じ目的地。であるならば自分たちの先には、今助けた商人がつけた足跡があるはずである。
それが無いという事は、この場にカリンらをとどまらせる必要があったから。その次の瞬間、両脇の木々から数人、武器をもった男たちが現れる。
「罠! 」
《狼煙は合図! 》
「野郎ども! 食い物と金を奪え! 」
「全員ベイラーの中へ! 」
帝都が目の前だというのに、カリン達は直前でだまし討ちを受けた。




