世代を超えて
唇にちいさなカップが触れて、淡い香りのお茶が口の中へと入っていく。嗜好品をゆったりとした姿勢で、誰にも邪魔されずに飲むことができる。贅沢といっていい時間の使い方。一口飲み終えると、コトリとコップを置いた。
カリン達に与えられた宿は、城というには小さく、館というにはおおきい、20人ほどが宿泊できるような建物だった。それも、本館とは別に、ベイラー用の小屋が用意され、ともすればちいさな村にも見える。その、全員かかってピカピカに磨き上げた本館二階には、ささやかなテラスが備え付けられ、そこでカリンが優雅にお茶をしていた。
「まさか、砂漠の真ん中でお茶をするなんてね」
「しかも生き物の背の上ときた。不思議なこともあるもんだ」
対面にはサマナが座っている。肘を付きながら、だらだらとお茶をしている。行儀の悪さを指摘するような事はしない。彼女はカリンにとって対等の友人であり、荒々しさは海賊の中での品格といえる。物事の計りが一つではない。それを知りえたのも、旅の成果の一つであった。
「砂漠は明日で終わり。そこから2、3日いけば、帝都の入り口だそうだ」
「ここまでは、なんの騒動もなく進めているわね。運がいいのか、はたまた」
「嵐の前の静けさか。どちらにしろ、ゆっくりしようや」
「ええ」
「カリン様。サマナ様。ミルフィーユが焼き上がりました。いかがですか? 」
「あら! よく卵があったわね!? 」
「新鮮なものを今朝持ってきていただきました。食事に使うには少し多かったので、余ったものを少々」
「ミルフィーユ? 」
マイヤが更の上に卵で作り上げた生地を重ねたお菓子を持ってくる。ミルフィーユといっても、この世界ではパイ生地がまだ発明されておらず、外見としてはクレープのソレに似ている。
「そんなものまで作れたのか!?……初めてみた」
「果物があれば、ジャムが作れるのですが」
「十分よ。さて、皆を呼んできましょう」
「座ってなよ。あたしが呼んできてやる」
カリンを制すると、サマナが駆け出す。懐から、ベイラーを呼ぶための笛を取り出し、そして一息で吹き鳴らす。すると、テラスを横切るように、真っ赤な体をしたセスが飛んでくる。ここまでくる道も、龍石旅団の全員の手で、まっすぐ綺麗に整備されていた。
《なにかあったか? 》
「お茶会だ。他の連中は? 」
《白いのと鳥のやつは日課になった空の散歩。黄色いのと緑色の、あと空色のは湖だ》
「あー、2人は空に行ってるのか。さすがに呼べそうにないな」
《狼煙でもあげるか? 》
「まぁ、二人とも日が落ちるより前にはもどってくるだろ。そら乗せな」
《もちろん》
笛をしまい込むと、テラスからなんの躊躇もなく飛び降りる。その行動はセスにとっても、なんら疑問に思わない行動であった。勢いよく飛び降りたサマナを着地させるために、つま先をあげた。サマナがその伸ばされたつま先に綺麗着地するのを見届けると、その勢いが殺されるより前に、足全体を跳ねあげる。その跳ね上げた勢いと自分の跳躍とで、サマナがサッカーボールのように飛び上がり、一気にコクピットに収まった。
一連の動きを終え、そのまま走り去っていくサマナ達。それをお茶を飲みながら眺めていたカリンが、空いた席に、マイヤを誘った。
「貴女もどう? 」
「いいえ、私は」
「給仕は主と一緒にお茶はできない? 」
「意地の悪いことを言うんですね」
「あら、ごめんなさい」
「……失礼します」
マイヤが対面に座る。その姿勢は、先ほどのサマナとちがい、背筋も伸び、指先まで意識がある、まさに手本となるような姿勢だった。おもわずその姿勢をみて、カリンが笑い出す。
「フフッ」
「どうかなさいました? 」
「いえね、食事の姿勢については、貴方に教わったなぁって」
「……初耳です」
「でしょうね。初めて言いましたから」
悪びれる様子もなく、コップを手に持つ。湯気が立ち上るお茶は、ホウ族の里では一般的なお茶で、分類としては半発酵茶、早い話がウーロン茶と同じである。
「初めて貴方が給仕としてきたとき、休憩時間をのぞき見したの」
「そ、そんなことを!? 」
「あの時、貴方が一番新しい給仕さんだったから、どんな人かなぁって。そしたら貴方」
まるでその時を真似するように、背筋をやりすぎなくらいピンと伸ばし、両肘は90度を保ったまま、お茶を飲み始める。姿勢としてはキレイだが、あまりに余裕のないその仕草はまるで人形のようだった。
「だれも見てないのに、そんなきっちりしているのをみて、なんだか可笑しくなっちゃって」
「緊張していたのです」
「でしょうね。でも、とてもそのピンとした背筋は、きれいだなぁって。だからお稽古の時参考にしたのよ。そしたらね、先生にほめられて、それからずっと」
「そう、でしたか」
「……この際だから、聞いてしまいたいのだけど」
「はい」
何を聞かれるのか。今きいた話も初耳であったが、それでも、自分の姿勢がカリンの為になっていることを想えば、それはなんと心地のいいことか。そんな穏やかな気持ちでお茶をすすっていると、突如カリンから爆弾が投げられる。
「貴方、オルレイトのこと好きなの? 」
口に含んだお茶が胃に落ちることはなく、いっきに外へと霧状に噴出される。思いもよらないどころの話題ではなかった。
「いえ、やっぱり確かめておこうかと思って。前ははぐらかされたし」
「そ、そんなことも、ありましたね」
「最近も、夜中にまた出かけているようだし。それに! 」
びしぃとカリンがマイヤに指をさす。
「ヨゾラは誰とでも合体できるのに! ミーロの街を復興させる時もいっつもレイダと! 」
「そ、それにはきちんと訳がありまして! 」
「あら、そうなの? 」
噴き出したお茶を拭い、その点についてはキチンと釈明する。
「ヨゾラはその乗り手と共有化したうえで、操縦権も、相手に譲渡するのです」
「そうね。コウと一緒になったときもそうだった」
「であれば、自力で空を飛べるセス様は意味がありません」
「ならミーンは? あの子なら足も速いし、空に上がるのは簡単そうだけど」
「その、外套が」
「外套」
「アレのせいで、背中にくっつけないんです」
「……あー」
カリンがおもわず唸る。ミーンの外套はただの外套ではない。ナットが手ずから仕上げた品だ。ぺらおぺらな一枚布ではなく、きちんと二枚の布をつかって裏地もある。艶や肌触りにはこだわらず、耐久性一辺倒のものだが、こと森の中を走り回るミーンにはそれで十分だった。
「まさか合体するために外套を外せといいだせず」
「それは、そうね……ならリクは? どうしても走るのが苦手なあの子ならぴったりだと思うけど」
「それも問題が」
「どんな」
「姫様、リクの背中を見たことがおありで? 」
「リクの背中? そりゃもちろん……」
リクは4本脚の4本腕。その背中側は、肩甲骨に該当する部品が4つ所せましと並んでいる。腕の起点がその肩甲骨であり、固定してしまえば自由に動かせない。
「……単純に合体できないのね」
「はい……ヨゾラも「どこにくっつけばいいのかわからない」と言われてしまい」
「なるほど」
「消去法的にレイダ様に」
「……よくわかったわ」
「恐れ入ります」
「で、オルレイトのことだけど」
「(話が逸れない! であれば! )」
カリンの攻勢に、マイヤが己の持つ唯一持つ手札を切る。
「姫様こそ。お相手はいらっしゃらないのですか? 」
「うぐぅ」
「数年引きこもりがちでお相手はおろか同じ年齢の男性と話したことすらないでしょうに」
「あ、あるわよそのくらい! 」
「どなたですか? 」
「え、えっと、サーラのお義兄様……」
「身内ではありませんか。それも年下の」
「……いないわね」
「カリン様、酷かもしれませんが、姉上様も嫁がれている現状ですと、その」
「な、何よ」
「正直、行き遅れかと」
「あああ!! 聞こえないいいい!! 」
あれだけ姿勢のことを言及していたカリンが頭を抱えて唸る。
「わかっていたことなのよ! ちゃんと理解してるの! いやでも私18よ?? 」
「クリン様がお嫁に行かれたのも同じお年頃でしたね」
「……帝都での旅は、帝都の行いを止めてもらうためにいくのよ。そこはわかっていて? 」
「はい。それを手助けすべく、我々はこうしてお供しているのです」
「もしかして、いや、考えすぎかもしれないけど」
「はて。一体何を? 」
「お父様が私を旅に同行を許したのって……まさか相手探しをさせるため? それとも、もうお相手をお父様は決めていて、私にそれをみせようと……」
ひとり、わなわなと振るえるカリン。その様子をお茶を飲みながら静観する。
「(そこまで計算高い方とも思いませんが……)」
そう考えるのには根拠がある。3年前のサーラでの大決闘。じつに一昼夜行われたその決闘で、クリンとライはお互いを認め合い、婚姻に至った。そこに、父であるゲーニッツはなんの計略もなかったと聞く。
突然、ゲレーンの第一皇女が嫁ぐとなって当時城は大騒ぎだった。ゲーニッツは娘に政略結婚させたに違いないと根も葉もない噂までながれた始末である。もし政略結婚させるなら、はなから決闘など行わない。一生ものの怪我を負わせる危険があり、その怪我次第で結婚などできなくなってしまうからだ。ありもしない噂を鎮めるの奔走するゲレーン王をしり目に、クリンはサーラでの実権も人気までも手に入れ、クリンは晴れてサーラの女王として君臨した。
こうなると、問題になるのはゲレーンの後継ぎである。父兄となるゲーニッツは、その思想がないとはいえ実質的なサーラ王の上、いわゆる上皇にあたる地位をまったくの不本意に手で入れた。もしライとクリンの間に男児がうまれたならば、それを強引にゲレーンの王子として迎えてしまうことも、それがどれだけサーラとゲレーンの間で軋轢を生もうとも、できてしまう。
「(となると、カリン様を妃として我が国に迎え入れる婿殿が必要になり、さらには男児がうまれれば丸く収まる、と……)」
しかして、そんな事をカリンが望むか。
「(まったくそんな未来が思い描けませんね……それに)」
そんなことを望むのは、国を想っていないのではないかと批判されるのを覚悟の上で、マイヤは考える。もし、カリンが望むのであれば。
「(コウ様と、心行くまで旅を続けてくれれば、きっと)」
ここまで表情が明るくなったのは、コウが傍にいたから。あのベイラーがいなければ、今も城の中でふさぎ込んでいたかもしれない。
「(それに、コウ様も、だれにもカリン様を渡しそうにありませんし)」
これは難儀するだろうなぁと。コップの中に入ったお茶を飲み干していく。見れば、カリンのお茶も底をついている。お代わりを理由に立ち去ることができた。
「さて、人数分のお茶を用意してきますね」
「お、お願いね」
「(そういえば、ひとり、ベイラーでもずっと同じ一族に仕えているのがいますね)」
コップを軽く洗い、お湯を沸かす。こんどは人数分の茶葉を用意し、大きめのティーポットを用意する。まだぬるいままのお湯を器にいれておき、お茶を煮だすときの温度との差を無くしておく。
「(いったい、どんな気持ちなのでしょうか。自分の乗り手が代替わりしていくというのは)」
◇
「これはまた、どうなってるんだ? 」
サマナが湖に来たとき、そこには、人が川の字になって寝転んでいる光景があった。双子に、サマナに、オルレイト。どうやらオルレイトは3人の遊び相手になったらしく、周りには書いてそのままの風景画が転がっている。
《どうしましたかサマナ様》
「あー、カリンがお茶しないかって」
《なるほど。もうすぐ起きると思いますので、そのままで》
「わかった」
セスから降りたサマナが、寝転んでいるオルレイトの顔をマジマジと見る。
「……なんか死にそうな顔してるけど本当に大丈夫なのか? 」
《子供相手で疲弊はしたようです。ただ、オルレイト様も鍛えていますから。少し寝れば大丈夫でしょう》
「そんなもんかね」
川の字に加わるように、ドカリを座り込む。セスは湖をみてさっさと自分はボートで波に乗りに行ってしまった。あくまで湖であり、海とは違い波など起こるはずはないのだが、それを差し置いても、彼にとってあまりに魅力的だった。
「あいつを連れて帰る方が難しそうだ」
《そうかもしれません》
「一つ、聞いていいか? 」
《はい? 》
「レイダは、オルレイトで乗り手は何人目になる? 」
《オルレイト様のひいお爺さまからですので、4代目になりますね。100年ほど、ガレットリーサーの家にいる事になります》
「……長いな」
《私より、ゲレーンの王のベイラーの方がもっとです。なにせ国が出来上がる前からですから》
「なぁ、長生きするって、どんな感じだ? 」
何気ない質問だった。しかしその意図は、決して軽くない。
「みんな、忘れられたり、忘れたりするのか? 」
《……シラヴァースの、呪いのことを、気になさっているのですか? 》
サマナは、シラヴァースの呪いを受け継いでいる。彼女達の呪いはそのまま、自分の種族に変えてしまうもの。その特性も受け継ぐ形になる。寿命に関しては、本来のシラヴァースよりは長生きできないそうだが、彼女の祖母であるタームの外見がまだ若々しい女性であったこと考えると、普通の人間との寿命の差はかなりものもであるのが窺える。
「気にならない、わけじゃない……最近、ここにないハズの目が随分痛む」
こんこんと、自分の顔、眼帯で隠された、すでに無いはずの右目を指で叩く。
「シラヴァースに近くなっていく。それが肌で感じ取れる。もしおばあちゃん見たく長い時を生きるとして、あたしはどう生きればいいのか、想像がつかない」
《……サマナ様。この話は、他言しないでいただきたいのですが》
「何さ」
《100年近く一緒にいました。しかし》
レイダの手が、オルレイトの方に伸びる。眠っているオルレイトの顔に日差しがかかっているのを遮ってやるように、ゆっくりと音を立てずに、慎重に。
《この人たち、示し合わせたように、同じ言葉で私を口説くんですよ》
「……口説く? 」
《美しいお前に乗せてくれって》
「……それで? 」
《仰せのままに。そう答えて、彼らの営みを見ていたら、いつの間にか100年過ぎてしまいました。全く不思議なものです》
あっけからんと答えるレイダの声色は、今まで聞いた彼女の声より優しかった。
「惚れてるなぁ」
《ええ。ぞっこんですとも》
「お熱いこって」
《でも酷いんですよ。いつの間にか女の人を口説いて夫婦になって子供を産んでるんです》
「そりゃひどい」
《でもいいんです》
しかしながら、優しい声色が、少しだけ、意味合いが変わる。
《最後には私のところに戻ってきているんです。全く、仕方のない人たちですよ》
彼女は、ガレットリーサーの血に惹かれている。そしてまた、ガレットリーサーの男達もまた、レイダに惹かれている。それがたとえどれだけ血族としての世代を重ねようとも戻ってくることを、さも当たり前のように受け入れている彼らの関係。
サマナは、とてもではないが参考にできないのを感じていた。
「そこまでご執心と知らなかった」
《ええ。毎回毎回、奥方のことを一回は恨むんです。よくもよくも、って》
「おいおい」
そろそろ冗談ではすみそうにない発言が飛び出し始める。ベイラーが人を恨む。それゲレーンの国のあり方にとって望むべきではない関わり方である。だがレイダがその後に続ける言葉で、全くの杞憂であることを知る。
《でも、だれもかれも、本当に、素晴らしい方達でした。女を見る目は確かなようです》
「そ、そうか」
《オルレイトのお母様、メヒンナ様というんですが、今のところ、彼女が1番不思議で、よく出会ったものだなと、感心しますね》
「どんな人なんだ? 」
《まるで全てを見透かすです……ちょうど、アマツ様に似ているかもしれません》
「そいつも占い師なのか? 」
《いいえ。でも、最後には『私は知っているんですよ』っと煙に巻いてしまう。》
「会って見たいなぁ……やっぱり、一度はいくかな。カリンの故郷」
《歓迎しますよ》
「そりゃ楽しみだ」
「……ん」
会話が終わるちょうどその頃に、オルレイトガ目を覚ました。双子の方に目をやり、ナットの方に目をやり、最後に、自分の頭上に控えていたレイダを見る。
「しまった。寝過ぎたか」
《いいえ》
「のっぽ。体力つけた方がいいんじゃないかぁ? 」
「……全面的に同意するが、こいつらの相手をしてから言って欲しい」
ゆっくりと立ち上がり、服についた埃を払う。ふと、オルレイトがレイダの姿を見て立ち止まる。じっとその顔を見つめ、顎に手をやり、うんうん唸り始める。
《どうかなさいましたか? 》
「いや、コウの炎に当たってから、お前、また一段と綺麗になったなぁと」
オルレイトの発言の瞬間、サマナの顔が一瞬呆ける。同時に、先ほどまでのレイダの言葉は全くの真実であることを理解した。
「どっちもどっちなわけだ」
「なんだ急に」
「別にー。ほら。宿に戻るよ。マイヤが作った焼き菓子が待ってる」
「良いなそれ。すぐ戻ろう。レイダ! 乗せてくれ」
《仰せのままに》
いつの間にか、声色は元の、普通の声にもどっている。だがそれとは別に、サマナに向けて、人差し指でジェスチャーをしたのを見逃さなかった。
「(秘密は守るよ)」
それに返すように、サマナの人差し指を唇に当てる。
「さぁ、いくぞレイダ」
《仰せのままに》
2人はそのまま、ゆっくりとした足取りで宿へともどっていく。
「これは参考にならないなぁ」
思わず肩をすくめるサマナ。だが不思議と落胆をしていない。人より長い寿命を持つことの不安が、少し軽くなったのを感じている。
「……私の場合は、あいつになるわけか」
遠くで、1人、湖をボードですいすいわたるセス。真っ赤な体は遠くからでもよく見えた。向こうもサマナを認識したようで、大きく手を振っている。
「しかし、どうしたもんかな」
人間より長い寿命を得たことで思い馳せるのは、その時間の使い道。一族とともに生きる道を選んだレイダのような選択をするのか。はたまた、本来の海賊に戻るか。それとも、セスと一緒に、ベイラーの本懐と同じように遂げるか。
「なんなら全部やっていいのか。時間はそれこそ100年以上はあるしな」
もはや、寿命の不安など微塵も感じていないサマナが、そこにいた。




