眠りの淵で
カリン達の住む世界。ガミネストと呼ばれるその世界には、魂と肉体の概念がある。肉体が無くなっても、魂は滅びることはなく、長い年月をへて再び肉体に宿る。カリンの故郷、ゲレーンではこの輪廻転生の考えが色濃く伝わっており、別れの挨拶ひとつとっても、再び出会うことを祈って「また共に」と言葉を交わすのである。また共に生きよう。また共に過ごそう。たとえそれが何百年後だろうと必ず。そんな切なる祈りが込められている。
ここでよく疑問視される。魂の在処について。肉体が無いとき、果たして魂はどこにあるのか。
「ああ、ここか」
現実世界でその在処を探すことは難しい。だがここガミネストでは、明確にその場所には名前がある。肉体とはまた違う、魂の故郷。人間の魂はすべてここから肉体へと宿る。
「綿毛の川か」
「ここに来るのも久しぶり」
「ああ」
2人が、コウとカリンが会話している。ここガミネストでの、魂だけの世界で。
◇
不思議と取り乱す事はなかった。コウもカリンも、ここに来たのは初めてではない。時折、何かがトリガーとなり、この場所へと2人は誘われれる。いつもとは一つだけ勝手が違っている。
「その姿の貴方と話すは、やっぱり変な感じね」
「普段はベイラーだから」
「身長、結構あるのね。オルレイトほどではないにしろ」
「悔しい事を言わないでほしい」
「何が悔しいの? 」
「オルレイトの方が背が高いのが、だ」
「どうして? 」
「俺の世界では男は背が高い方のがチヤホヤされるんだ」
「私以外からチヤホヤされたいの? 」
「―――そうじゃ、ないけど」
「ならいいでしょ」
コウの姿は、ベイラーのものでない。かつて人間だった頃の姿。見上げる空には、瞬く星々。むしろ、コウ達は地面に立っていない。ふわふわと両足を浮かせ、綿毛の川を眺めている。2人して眺めていると、コウがぼやいた。
「川幅が、減ったな」
「やっぱりそうお思う? 」
「綿毛そのものが減った気もする。密度が薄いっていうか」
コウが指さすさきに流れる巨大な綿毛たち。種を運ぶ役目をするその真っ白な綿毛が列をなしてながれていく。だが、前にこの川を見たとき、もっと綿毛は密集し、まるで人の手がはいっていない雪化粧のような荘厳さがあった。だが今、綿毛と綿毛の間にはすき間が空き、この宇宙で光る星々が透けてみえている。
「どうしてかしら」
「アイがここで綿毛を燃やしたことがある。あの時はずっと上の方だったけど」
「上流で水が途切れたから、下流の水が減る、って話? 」
「そう、だと思う。この綿毛がどうやって流れを作っているのかは、分からないけど」
「それってつまり」
「どうなるかは、わからない」
燃えてしまった魂がどうなるのか。2人の知る由もない。だが言いようのない不安が2人をつつんだ。
「力をもらった。きっと役に立つ」
「怪我をしてもすぐ治るのね。腕が真っ二つになっても、すぐ戻ったのには驚いたけど」
裾をまくり、自分の腕を触る。うっすらと傷が残るその場所は、バスターベイラーによって切り落とされたコウの腕と一致している。そしてコウもまた、同じ位置に傷が残っている。
言い出すか悩んでいた。だが言うのであれば、今なのだと覚悟を決める。
「カリン。きっとあの力は、すさまじい物だ」
「でしょうね」
「使う度にこうして、肉体から魂が離れるなんて、絶対に良くない」
「きっと、良くないわね」
「それでも」
ずっと眺めていた川から目をカリンへと目を向ける。それに応えるようにカリンもまた顔を向けた。
「君は、この力を使い続けるのか? 」
「ええ」
「何が起こるか分からない」
「そうね」
「下手をすれば死ぬ。いや、死ぬよりひどい目にあう」
「それでもいいと思ったから、ここにいるのよ」
説得にも似た、確認だった。サイクル・リ・サイクルを使い続けることへのリスク。今回はこうして肉体から魂が離れただけにとどまっている。次はどうなるか分からない。だが、それでもいいと、お互いが確かに認識しあっているかの確認だった。操縦桿を握ればお互いの思考も、目に映るものもすべて共有される。だが、何度共有を行っても、思いだけは共有されなかった。それが原因でコウはカリンの元を離れた。彼女を傷つけることを恐れたために。
だが、もうこの二人は、理解し合うことで傷付け合うこともあると体感した。どれだけ滑稽だろうと、恥ずかしかろうと打ち明け合うことを恐れない。
「貴方は? まだ自分が怖い? 」
「いいや。俺は、俺を信じる。まだ、慣れないけれど」
「ええ。なら、貴方が信じた貴方を、私も信じる」
「君は、冗談じゃ無く痛い目を見る」
「そうね。めちゃくちゃ痛いわ。でもそれでも成し遂げなければならないことがあるなら」
こつんと、拳をコウの胸にあてた。
「その力。使うべき時に、迷わず使いなさい」
「ああ。必ず」
「ところで、貴方、自分の事、俺って言うようになったの、気が付いてる? 」
「……あれ? そうだっけ」
「最初会ったときは僕って言ってたわ」
「いや、え……そうだったかな」
「ええ」
「戻した方がいい? 」
「お好きにどうぞ」
「―――なら、このままで」
胸にあてられた拳をつかむ。その手を大切に、大切に握り返した。やがて、2人の上空が明るく瞬きだした。その輝きは、以前もこうして魂の場所にいた時に見たものだ
「時間がくれば、出口が見えるって仕組みなのね」
「残念」
「どうして? 」
「もっと君と話したかった」
「何を言ってるのよ」
握り返されたコウの手を引っ張るように、光り輝く空へと向かう。宇宙のようなこの空間で、どちらが上なのか、どうやって推力を得ているのかは、カリン自身もわかっていない。だがこうすればあの輝きの元へと行けることを理解していた。
「何度だってこうして話せるわ」
「二人きりって意味だ」
「なぁに? 独り占めしたいの? 」
「悪い? 」
「いいえ。でもねコウ。私、助かったの。こうして出口が出てきてくれて」
「どうしてだ」
「もう大変だったのよ」
見下げる形になり、コウはカリンの顔色が逆光で見えなくなる。その声色だけがやけに耳に残った。
「私、とてもドキドキしてたから」
どんな顔をしてそんな言葉を言ったのか。想像するだけで胸がときめいていた。
◇
「お。起きたか」
目覚めたとき、カリンが一番最初に見たのは占い師アマツの姿だった。
「ええと、ごきげんよう? 」
「寝坊もいいとこだな。もう昼だ」
「半日寝ていたのね」
「3日と半分だな」
「3日!? 」
カリンが驚きながら立ち上がる。ペタペタと肌に触れ、寝ぐせが付いていないかを確認する。同時に、さきほどのコウとのやり取りを思い出す。
「それほどの力だっということだ。疲れもあったのだろうな」
「そ、そうね」
「どうした。顔が赤いぞ? 」
「お、お気になさらないで! ちょっと出ます」
「食事は? 用意させてはいるが」
「後でいただくわ! それよりマイヤを知らない? 」
「宿におるよ。最初に止めたあの宿だ」
「ありがとう! コウ! そこから動いちゃだめ! いいこと! 」
びしぃ! と指をさした後に、駆け足で去っていくカリン。指をさされたコウの方は、カリンが驚いたあたりから起きており、動いてはいけない理由をぼーっと考えていた。アマツの方はカリンの寝起きながらの祠を一瞬で出ていった脚力に関心しながら、ぼーっとしているコウに尋ねる。
「お前様、ただ寝ていた訳ではあるまい? 」
《はい。綿毛の川にいました》
「綿毛……人の魂が肉体に宿る前の、川にいたと? 」
《ああ、さすが占い師さん。そんなことも知ってるんですね》
「なぜそんな場所に」
《多分、あの力のせいです》
「力? 」
《俺はアレを、サイクル・リ・サイクルと名付けました》
「アンリーを治した、あの力か」
コウがアマツに説明する。サイクル・リ・サイクルは、サイクルそのものを活性化させ、その作用によって急激な再生を可能にしたこと。それは人間にもおよび、傷を癒す力を与える事。
《命そのものが持つ力、それを新たに増やすことができる。俺はこの力をそう理解してます》
「命が持つ、力か……なるほど。いろいろ納得がいく」
《納得? 》
「お前様の力、アンリーを治したとき、傷が治ったというより、傷そのものが無い体に戻っていったようだった。それに、あやつは火傷の跡が消えておらん」
《親父から聞いたことがあります。火傷の跡って、体から組織そのものが無くなってしまうそうです。
「おやじ? 」
《ああ、何でもないです》
綿毛の川に行くと、どうにも過去の自分の関わりのある、特に肉親についての記憶が鮮明によみがえる。ジャーナリストであり、ときおり戦場カメラマンのような事までしていた彼の父は、知識を見せびらかすような事はしなかったが、聞いたことにはどんな些細な事でも真摯に答える真面目な父親だった
《どもかく、俺の力は、たぶん、無くしたものを取り戻すものじゃない。今生きている人の背中を押してやる力なんです》
コウは自分の力についておおむね理解し始めていた。あの緑の炎こそ、コウ本来が持つ力であること。そしてその力は万能ではないこと。そしてもう一つ。
「それが、望む望まないにかかわらず、といったところか」
もし今のコウに歯があったなら、その歯を噛み砕かんとするほどに噛みしめている。アマツの言葉が自分の力を正確に表しており、かつ、その分析は彼の、アイという恐ろしい存在を生み出した原因でもある。まるで自分の生き方を直に反映されているようであまりに質が悪かった。
「お前様がどのような力を持っているのかこれで把握できた。できることなら頼ろうかとも思うたが、そうもいくまい」
《頼る? 》
「今やミーロの街はけが人だらけの瓦礫だらけ。ベイラーの手はおろかどんな手だろうと足りないのだ。そんな折に、お前様のような力を持つベイラーがいれば、少なくともけが人はどうにかなるのだからな」
《……いいえ》
「ん? 」
コウは一瞬、これから伝える言葉が考えが浅はかなのではと思った。実際力を使うの際にはカリンの助力は不可欠であり、カリンの同意なしに事を運ぶのは身勝手にも思う。だが同時に、カリンはあの綿毛の川で確かに言ったのだ。
使うべき時に迷わず使えと。
《カリンが戻ってきたら、けが人を治しにいきましょう。そのあと、また俺たちは眠ってしまうかもしれませんけど》
「……お前様がそういうなら、まぁよかろう」
アマツにとっては、すでに占いで視えていた結果である。だが同時に、その結果に至るまでの経緯は視えていなかった。
「(やはり占いの精度。もそっと上がってくれんかな。視える物と視えない物の境目が無さ過ぎて心労がひどい)」
占い師。アマツのソレは、未来予知となんら変わりない。未来が視えることで民に道筋を示し、民を守る。そこに心があってしまっては未来を認めることができなくなる。ゆえに、アマツは何度も心を殺してきた。だが今回の戦いで、否が応でも自分に心があり、それを認めざるおえなかった。
「(コウの行ってることが本当ならば、あの力の代償は未知数。それをてまえから頼まざるおえないこの状況は、なんとまぁ恥知らずな……アンリーを救ってくれた恩人だというに)」
彼女の正確無比な占いが、未来予知が初めて、外れたのである。アンリーはあの戦いで死ぬはずだった。それをアンリーが生きる事をあきらめず、そしてコウが助けたころで覆った。最初、占い師としての力が無くなったのかとも思ったアマツであったが、戦いの後で占いを行ってもなんら変わりはない。
「(占いばかりに目を向けていたが、彼らのおかげで違う物の見方ができるようになったのには、感謝せねばならないのだろうな)」
占いの力も使い、人の力も信じる。両方を今度からはこなそうと、アマツは決意していた。
「しかし、姫様もせわしないことだ。いきなりメイドを呼びつけるなど」
《あー、それについてはなんとなく》
「なんだ。わかるのかえ? 」
《カリン、お風呂好きだから……3日入ってないって聞いて急いでお風呂に入りにいったのかなぁって》
「ほう……それはそれは」
決意と同時に、このベイラーと乗り手は永遠にからかい続けてやろうとも誓った。それほどまでにこの人とベイラーは、面白く愉快だった。
「なんだ。一緒にいってやらぬのか? 」
《いいえ。約束、したので》
「約束? どんな? 」
《お化粧とかの時間は一人にしてくれって。カリン、お風呂のあと、薄くメイクをするんだと思うんです。身だしなみとして、というのもあるんでしょうけど、きっとカリン、メイクの時間も好きなんだと思います。その好きな時間を、俺が一緒にいると楽しめないのなら、俺はここにいます》
「―――ほー!! 」
からかおうとしたら直球ののろけが返ってきて思わず声がでるアマツ。のろけものろけ。酒でも飲んでしまわねばこちらの身が持たないといった風だった。
「なんだ、ずいぶん進んだんじゃないか」
《はい。告白もしました》
「……は? 」
《はい。告白です。両想いだったみたいです》
「みたいです、って、お前様、それだけか? 」
《はい? 》
「思いを伝えて、成就した、のだよな? 」
《はい。多分、しました》
先ほどまでのろけを食らっていたはずなのに、そののろけてきた本人から頓珍漢なことを言われアマツの頭は混乱してきた。
「成就して、それだけか? 」
《はい……今は、それだけでもいいと、カリンは言ってくれました。俺も、まだそれ以上の事は考えてません》
「そ、そうかぁ……欲がないのぉ」
《ないわけじゃないんです。でも、カリンの考えがあって、俺の考えもある。その二つのことを言葉でわかり合う。そんな些細なことが、とてもうれしんです。これ以上のことを望むと、嬉しすぎてどうにななってしまいそうで……グダグダ言っておいてなんですが、慣れてないので》
「お、おう」
慣れた跡が大変そうだと呑気に構えていると、今度はコウがアマツに不意打ちをくらわした。
《ところで、抱き枕になってあげてるんですか? 》
「な、なにを? 」
《アンリーさんの怪我を治したとき、そうさせてあげるんだって意気込んでたじゃないですか》
「そ、それはだなぁ」
思わぬ反撃に言葉が濁るアマツ。確かにアマツは、その命を無くしそうなアンリーに向かって、ほぼ無条件で要件を飲んでいた。抱き枕が顕著であろう。無論、アマツがアンリーの抱き枕になる。つまるところ同衾である。
《今度、話を聞かせてください》
「なぜだ? 」
《参考になるかなぁって》
「なるものか! ベイラーと人だぞ! 」
《いや、アマツさんが取り乱すのは、アンリーさんの事だって十分わかったので、その上でお話を》
ここで、ようやくコウのやり口に気が付くアマツ。アマツが行うからかいを同じ手段をコウが用いてきた。だか時はすでに遅く、ここまで来てしまえば反論すればするほど墓穴を掘る。どうしようもない状態に自ら陥ってしまった事で、アマツは思わず悪態をついた。
「てまえの真似とは! 姑息! 」
《最初にその姑息な手を使ったのはアマツさんじゃないか》
「ええい! 事実が事実なだけ否定できん! 」
《だから、ですね。俺が言いたいのは、ええと》
言葉を考える。どのように伝えるのがいいのか。どんな風に伝えばいいのか。懸命に考える。語彙力がそれほどおおいわけでもないコウは、この言葉選びがどれほど大切なのかを知っている。
《アンリーさんとの時間、大切にしてください》
伝えたいことを、こうして伝えられるのを、うれしく思っていた。
「―――いわれずとも」
そして、コウが選んだ言葉で、きちんと、伝わった。
《よかった》
コウは今、伝わったことに、伝えらたことに、本当に感謝している。この小さな積み重ねを繰り返していかなければならない。それが、必ずカリンを大切にすることにもつながるのだと確信していた。
◇
数時間後、彼らはけが人をあつめ、サイクル・リ・サイクルを使用した。病床が足りなかったほどのけが人が一斉に治り、人手も増え、龍石旅団全員が復帰したことで、街の復旧作業は加速度的に進んでいく。あの壊滅的な状況下で、家の屋根は治り、くぼみは埋め立てられていった。そして、あの戦いから一か月が過ぎ、人々の営みにも平穏が取り戻された頃。この砂漠で、ついに雨季が、やってきた。




