呼ばれるベイラー
この国ではこんなふうにベイラーは過ごしています。
「《……終わった……なんかどっと疲れた……》」
「《だから、無理に動かなくていいんだって言ったのに……三回も転んで楽しいか? 》」
今日一緒に手伝っているベイラー、ナヴにお説教を受けている。薄い黄緑色で、女性の声だ。そして、何故、お説教を受けているかといえば、張り切りすぎて結局雪の上で3回転び、うち2回はわざわざ集めた雪をその場にぶちまけるという有様だ。
「雪、初めてだったんですか?」
「《はい……勝手がわからなくって……》」
「いいんです、はじめはナヴもそうでしたから」
「《日に三回も転んでないけどなぁ! 》」
乗り手のジョットが諌めてくれる。朗らかでいて、親切にこの体での雪かきの方法をおしえてくれた。無精ヒゲがにあっている。
姫さまが、お姉さんであるクリンさんとの時間がないと考え、僕は二人の時間を作ってみせた。それは、姑息にも姫さまから僕への好感度上昇を期待したのもあるが、それにしても、お二人は忙しくて、なかなか一緒になれない。ふたり揃っているのは稀なくらいだ。僕に兄弟は居なかったが、しばらく会えなかった身内が、災害の折に再会できたのだから、もっと時間をかけてその喜びを分かち合うなり、近状報告をするなりしたほうがいい。お茶をしているとこすらみないのだ。それは、なんというか、可哀想だろう。
そしてこうして、姫さまを乗せずに国を歩いていれば、「そこのベイラー!手伝ってくれないか」と言われる。そして、断る理由さえなければ、僕はこれに応じる。この関係は、この短い間で理解してきた、この国の習慣というか、風土なのだ。
基本的に、ベイラーは乗り手がいるいないにかかわらず、人の手助けをする。誰がどこに行くか決まっているわけでもなく、ただ「手が空いてるならちょっといいかい?」といったように、かなりアバウトだ。もちろん、乗り手がいるベイラーは、その乗り手のことを大体手伝う。一番多いのが、森へいっての伐採や、その取った木を丸太にする作業だ。乗り手がいれば、伐採から加工まですぐにできてしまう。反して乗り手のいない。もしくは、その日、乗り手をのせていないベイラーは、伐採した樹木を、台車をつかって運ぶ作業等、簡単だが人間がやるとひと苦労な部分を請け負う。
そして、ベイラーに仕事を頼んだ場合、頼んだ人間には、あることをする約束ごとがある。ベイラーに対する報酬だ。体を拭いてもらったり、関節に入った木屑を払ったりと、手伝ってくれたベイラーにひと手間を必ず行わなければならない。もちろん、乗り手がいる場合、その人のための食事や、硬貨を払うのとは別にで、ベイラーに報酬を与えなければならない。
これが癖もので、その仕事に対して、手厚くすぎても、少なすぎてもいけない。概ね大体三段階で
その仕事が簡単だったら拭くのは足だけ。ちょっと難しかったら加えて手のひらも。大変だったら、全身をくまなく。といったような目安がある。これは「あそこの家はちょっと仕事すれば全身拭いてくれる」とわかったベイラーが一箇所のあつまるのを防ぐためだ。逆に、報酬が疎かだと、その人の元に、ベイラーは手伝いにはいかなくなる。
ここまでくると、目に見えないしがらみが多く感じる。実際僕もそうだった。しかし一番重要なのは「ベイラーは別に断ってもいい」ということだ。
人間側のスタンスも、「手伝ってくれるならありがたい。そうでなければ仕方ない」というもので強要はしてこない。ベイラーもベイラーで「今日は手伝いません」ときっぱり断る。理由は、なんというか幾千もある。一例として
「今日は別の仕事をしたい」
「日向ぼっこしたい」
「近くにいるラブレスが怖い」
「センの実を塗ってもらいに行くからヤダ」など。
しかし、今回のように、人間が本当にこまっていれば、必ず力を貸す。そこに打算はない。ベイラーと共に生きているが、人間は決してベイラーに甘えてはいけない。ベイラーは、人間を助けるが、決して甘やかさない。
「《……でも経済がまわっているか怪しいよなぁ……》」
そう。この国には硬貨がある。お金があるのだ。でも、こうもお金のやりとりがすくないと、本当に機能しているのか疑わしい。ベイラーにお金は必要なく、報酬になりえないからだ。
「《逆に、それが発展しすぎるのを抑えているのか……? 》」
この国の科学力は、中世のソレだ。もちろん電気などない。でも、ふと考えることがある。この国で、人間が発達しすぎた場合、ベイラーはどうなるのだろう。
車ができれば、運搬にベイラーを使わなくなる。
重機ができれば、建築にベイラーを使わなくなる。
……元の世界にあった機械たちは、ベイラーの代わりをつとめられる。つとめてしまう。
「《そうなったら、どうなるんだろうな。……グ!? 》」
不意に、木の上に積もっていた雪が顔面を襲った。物思いにふけりすぎて気がつかなかった。視界が雪一面に覆われる。クックックと、笑いを堪える声も聞こえた。
「《よけられないでやんの》」
「《……ナヴさん。見ていたなら言ってくれても》」
「《考え事の邪魔したくなかったんだよ。なんだ? 悩み事か? 》」
「《悩みというか、まぁ、これからどうなるのかなぁといったものです》」
「《なんかすげぇこと考えてるな》」
「《そうですか? 》」
「《そう思うぜ。で、答えでそうか? 》」
「《……さぁ? 》」
「《さぁってお前なあ……》」
……確かに、答えなど出ないかもしれない。顔を拭っていると、ナヴの足元に人影が現れる。ナヴの乗り手のジョットだ。
「体を拭くので、少しまっていてくださいね。あー……」
「《どうしました?》」
ジョットが、その無精ひげをはやした頬をぽりぽりと掻きなが、その先の言葉を言うべきか言わないべきかを悩んでいる。どうしたのだろう。
「《いいですよ? まだやることがあるなら、言ってください》」
「ち、違います! そうじゃないんです! ただ……娘にやらせてやっていいですか? 」
「《娘さん? いつもはナヴさんがやってもらってるんですか? 》」
「《やってもらってねぇよ! あたしは絶対嫌だからな! あいつら雑なんだよ! 》」
「ナヴがこうでして。でも、娘たちはやりたくてしょうがないんです。どうでしょう? 」
「《いいですよ。ああ、でも、できれば顔もやってもらっていいですか。さっきかぶっちゃって》」
「もちろん。じゃぁ呼んできますね」
ナヴの股下を通って、ジョットは行ってしまった。……子供のころからベイラーと触れ合っていれば、7mの体の大きさは怖くないのだろう。
「《あーあ。しらねぇぞあたしはぁ》」
「《いいんです。拭いてもらうのすきなんですか……ら……》」
頭の奥で、突然、笛の音が鳴らされる。思わず、耳もないのに顔の側面を抑えた。うるさくはない、でもどうも心がざわつく。ここにいるのが、おかしい。早く向かわねば。そう、誰に言われたでもなく急かされる。
……頭の奥から聞こえたソレは、「向かう」と考えたとたん、明瞭に方角を示した。城だ。この笛の音は、城から聞こえている。そして、その音を聞いて、どうしても行かねばならないと、焦燥感を煽られた。この音は一体なんだ?なんで城に向かえとおもう?……呼ばれている?誰に??
「《ナヴさん。明日また来ます。では》」
「《ど、どうしたんだ?急に》」
「《呼ばれた気がします。行かなくてはならないのです。それでは》」
「娘たちはいま寝こけていたよ、。だから、僕がそのまま……あれ? ナヴ。手伝ってくれたベイラーは? 」
「《行っちまった。行かなきゃならないとか、なんとか。、》」
「あー、乗り手さんが呼んだのかな? 」
「《……呼んだ? 笛でか? 》」
「乗り手が出す息からでた音ならなんでもいいみたいだけど。僕は口笛でナヴを呼ぶだろう? 」
「《でも、なにも聞こえなかったんだぜ? 》」
「……耳がいいのかもね。あのベイラー。もしくは」
「《もしくは? 》」
「乗り手の出す音がよっぽど好きなんじゃないかな?」
「《なんだぁそりゃぁ……》」
「でも参ったな。結局拭いてあげてない」
「《べつに、あいつから居なくなったんだから、律儀にやらなくたっていいじゃねぇか》」
「あの子らがやりたがっているんだ……もう10年になるのに、まだなれないかい?」
「《おんなじ顔したふたりでギャーギャーやられて、なれるもなにもあるか!双子ってどこもああなのか! 》」
「賑やかだけどねぇ」
◆
ゴゴゴゴ……ゴゴゴゴ……
「《結局城に逆戻りしちゃったぞ……音も聞こえなくなっちゃったし、この体、どうしたんだ? 》」
「あれ? コウくんじゃないか! どうしたんだ! 今日は姫さまを乗せずに行ったんじゃなかったのか? 」
城の門番が、僕を認めて声をかけてきた。城での知名度は、かなりあるようだ。……それより、さっきおきた現象がわからなすぎて、混乱しているのだけども。
「《いや……それが、なんか城に戻ってきたくなっちゃって》」
「どうしたんです? 」
「《……さぁ? 》」
「さぁって……」
「《どうしてもどってきたくなったかわからないんです》」
言葉にすると本当に妙だ。でも、僕自身、理由もわかっていないから、なんとも言えない。
「もう姫さまのとこに戻るんですかい? 」
「《いや、今日は姫さまは、サーラの国のお后様と一緒に過ごすことになっているんだ》」
「そうですかい……あー、そしたら、なんですがね。ちょっとやってほしいことがあるんです」
「《やってほしいこと? どんな? 雪かきは、さっきやってきたから、正直……》」
「いやね、つららを落としてほしんですわ」
「《つらら? どこかにできてるの? 》」
「人側の4階、窓のとこデカイのができちゃって、俺ら門番は巡回するとき、落ちてこないかひやひやもんなんです。どうですかね? 指でちょちょいとやってくれるだけでもいいんです」
「《そうゆうことなら、やっておくよ》」
「ありがとうね! 今度、サーラからきたいい布があるんだ。それで拭いてあげるからさ! 」
「《……そうだ。それで思い出した。顔をそれでやってくれる? 》」
「もちろん! 」
約束は成った。あとは、果たすだけだ。ガゴンガコンゴゴゴゴゴと、城の周りを歩く。人間スペース、その4階の窓。
「《……この体だと、目線にそのままあるはずだけど……あった》」
みれば、大きな窓、現代でいうと、ブラインドににているその窓のその淵に、いくつものつららが出来ている。それも、人間の腕ほどある長さで、たしかにこれが落ちてくるのは怖い。
「《……指で、ちょい、ちょい》」
下に人がいないことを確認してから、窓にゆっくりと近づいて、つららを落とす。……が、ここで問題が起きる。つららがこの体に対して結構小さい。
「《ちょ……い……ちょ……い》」
人差し指をつかって、ひっかくように落としていくが、たまに距離感を間違えて空振りをおこしたり、はたまた、窓に指を押し付けてしまったりする。
「《……》」
集中するために黙りこくってしまう。こうゆう時、指先の感覚すら不自由するベイラーの体が憎たらしい。人間ならこんなのさくっと終わるのに、微調整がきかなすぎてうまくいかない。……イチかバチか、指を横走らせて、いっぺんにやればいいのか。指を窓にあわせ、ガリガリガリと削っていく。うまくいきそうだ。そう思ったのがまずかった。力加減をまちがえて、つららだけでなく、窓ごと突き破ってしまった。
「《しまった……》」
その瞬間、なぜか布が飛んできた。向こう側から抑えでもしていたのか。左腕でその飛んできた布を払うと……そこに、想像だにしなかった光景が飛び込んできた。
猛スピードで迫ってくるカリンだ。ものすごい形相をしている。でも、なにより。なぜか。
下着だった。白い。おもわず、後ずさった。……見える! いろいろ! 普段隠れてる太腿とか!二の腕とか! 汗でもかいていたのか、なんか張り付いて色っぽいというか! 太陽がちょうど差し込んでいろいろ反射しているとか。ああ、こうして窓破ってしまったから寒いだろうなとか
いろいろな思想が渦を巻いているが、それ以上に! こう! どうしても視線が釘付けになる!!
ほんとにでかいし、揺れてる!! あと際どい!! 見えそう!! そんな格好で走らないで!!
そんな僕のことなど知らず。カリンが、窓から飛ぶ、惚れ惚れする跳躍距離だ。しかし、その格好は、抱きつくとかではない。それは……
飛び蹴りの、それだ。
「シャヤァアアアアアアアアアアア!! 」
その、女の子の声帯からどうやって出したのか疑わしい、かっこよすぎる気合と共に、こうして僕は、カリンの飛び蹴りを甘んじて受けた。
重心の頂点を蹴られ、バランスを崩し、無様に倒れた。
「《誤解だとか、いろいろ言えるけども……みちゃったしなぁ……いろ……いろ……》」
……そこから先は、覚えていない。いろいろ処理できなかったのだと思う。




