寄り添い、慕い、たまに推す
豪風、轟音。その全てが体を痛めつける。タルタートスのくしゃみで出撃したカリンたちを襲ったのは、その衝撃ですでにこの方法でついてきた事に後悔していた。くしゃみで打ち出された船は空気を切り裂き真っ直ぐ進んでいる。しかしその道中の揺れは激しく、だれもが手すりを握って耐えている。ことさらカリンはその姿勢ゆえに支えるのに難儀した。
「やはりこの乗り方良くなくってよ!? 」
「しかし、今から変えようにも、この揺れでは! 」
カリンは今、マイヤに抱えられるようにしてヨゾラのコクピットの中にいた。体格差故にできる乗り込み方だったが、今やマイヤは必死にカリンを両腕で抱き抱えている。自分はシートベルトで支えられているが、カリンにはそれはない。しかし同性とはいえ、後ろから抱きすくめられる事にカリンは恥じらいがあった。相手は自分の幼い頃を知っているような仲だったが、積極的な体の触れ合いまではした事がない。それをこんな、空の上を飛んでいる状況で浴びてしまい、如何にかして恥ずかしさから脱出したかった。
「私なら大丈夫だから、マイヤはヨゾラを助けてやりなさいよ! 」
「ヨゾラならいまリク様が頑張っておいでです! 腕が無いヨゾラでは何も掴めませんから! 」
「それは、そうなのだけど」
「なにか問題が! 」
「ない、けれど、その、重くない? 」
「大きくなられましたね! マイヤは感激です」
「そ、そう? 」
「喋っていると舌噛みます! 今はマイヤにその身、委ねてくだされば! 」
「もう分かった! 分かったわ、頼りにしてる! 」
カリンが降参の構えをとり、コテンと体をマイヤに預けた。マイヤの抱きすくめる力がすこしだけ弱まる。このくらいであれば、そこまで力を入れなくていいだろうという判断をマイヤは下した。
「どうしたのよ」
「いいえ。さっきまでは駆け出す犬のようだったのに、突然いじらしくなりましたから」
「慣れてないのよ。それよりマイヤ。貴女は随分慣れているようだけど」
「練習です。お気になさらず」
マイヤは終始冷静に答える。その答えに満足はしないものの理解を示すカリン。
「あまり他の人にやってはダメよ? 」
「はい。男の方を見る目はあるつもりです」
「ええ。貴女の事だからいい男の方を見つけるでしょうね」
しかしマイヤが冷静なのは上辺であり、その胸に渡来する感情は激しいという言葉さえ生温いほど、揺れ動いていた。
「(こ、これは香水? なぜカリン様がこのような。手荷物の中にそんなものはなかったはず……であれば、この香りは、カリン様自身のもの!? )
密着しているからこそ、普段は考えないような事が五感に直接訴えかけてくる。カリンの香りは花とも蜜ともとれる淡く甘い香りがしてくるのを、マイヤは初めて知った。香りの由来はせいぜい洗濯の際に使っている石鹸がいいところであり、かつそこまで強い香りではない。今こうして感じる事ができるのは、ひとえに抱きしめている現状があった。五感に訴えかけてくるのは香りだけではない。
マイヤの方が背が高いために、カリンの後頭部が若干見え隠れする形になる。その際、髪の毛が頬をかすめる。
「(近くれで見れば見るほど、きれいな色をしていらっしゃる)」
カリンの母、イレーナと同じ髪色のそれが、このコクピットの中で、揺れに合わせてさらさらと右へ左へ向かうたびに、思わず目で追いかける。ふと、こんな状況だというのに、マイヤはコウの事を思い出した。
「(コウ様は普段こんなに近くにカリン様を感じていらっしゃるのですね)」
カリンはコウの乗り手である。であれば普段からコクピットの中で感覚の共有を行い、自分の目で見たもの、頭で考えた事を共有できる。だからこそ、ベイラーの力は人間の手を借りることで真の力を発揮し、人間はベイラーの力を借りる事ができる。しかしこのシステムにはある種の弊害がある。それは、お互いに考えている事が筒抜けであり、隠し事などできない。操縦桿を握っている限りベイラーと乗り手では嘘をつく事ができない。それは信頼関係を築く上では重要ではあるが、乗り手側には、ベイラーに語りたく事情があったとしても、それを考えた瞬間にベイラーに知られてしまう。それは心の中を勝手に覗かれるのと同じだった。
「(であれば、コウ様がカリン様を遠ざけたのは、なにか知られたくない理由があったという事なのでしょうか)」
コウはカリンにだけ理由を告げ、1人で戦いへと赴いた。サイクルジェットがいかに特異な物であったとしても、カリン抜きで空が飛べるほどの物だとは誰も、乗り手のカリンですらしらなかった。
「(それとも、カリン様の事を考えてからこその事なのか……考えてもしょうがないか)」
ここで、目の前のカリンに、ついに聴いてしまうことを思いつく。このままカリンの元を離れたコウを何も知らなずに糾弾するのは無知の招く災いなりかねないと考える。気まずさを飲み込んでカリンに問いかける。
「カリン様。答えたくなければ答えなくて構いません」
「改まってどうしたの」
「コウ様が、お一人で行かれたのは、やはり何か理由が? 」
「その事ね」
「不躾なのは承知の上でお聞きしています」
「コウは、私を傷つけないために、1人で向かったのよ」
「1人で戦う事が、なぜカリン様を傷つけない事につながるのですか? 」
「……砂漠で私が怪我をしたのを覚えている? 」
「はい。カリン様はコクピットに居たはずなのに、なぜか腕を」
「あれだけではないの。コウは、特に黒いベイラーに出会ってから、私の体に異変が良く起きていたの。それを、コウは嫌がったのよ」
「コウ様の中にいれば、カリン様はさらに傷つけると? 」
「ええ。だから、1人でむかったのよ」
揺れが徐々に治まってくる。高度が下がっていく。飛翔が落下へと変化していくのを感じながら、カリンが自分の膝を抱えた。その肩がわずかに震えているのをマイヤは見逃さなかった。
「私の話も聞かずにいってしまったわ。それが、たまらなく寂しいのよ」
「寂しい、ですか」
膝を抱えたその腕を撫でる。そこにはこの砂漠でついた傷跡がまだ残っている。
「この傷はコウのせいでついた訳じゃない。2人で背負うような傷だった。それをコウは許してはくれないのよ。でも、私は、どうにもできない」
「……カリン様は」
小さくなったカリンを抱き抱える。震える肩と、その頬は一筋だけ濡れている。
「それでもいいと、お思いなのですか」
「だって、コウは約束したのだもの。私のために立ってくれると。コウはずっと私の為に動いてくれていたわ。今回のも、私を想ってくれての行動。何も間違っていないの、コウは約束を守ってくれているだけ。なのに、なのにこんなに寂しい。悔しい」
「……ずっと、一緒でしたからね」
「そうよ。コウがゲレーンに来てからずっと一緒だった。でも今、私が乗っているのはコウじゃない。それだけの事なのに、なんでこんなに心がぐちゃぐちゃになるの? 」
寂しさ、悔しさ、悲しさ、ひたすらに下を向いてしまうような感情がないまぜになってカリンの胸に渦巻いている。こんな時、マイヤはかける言葉を見つけられない。代わりに、その体を包むようにマイヤはカリンの頭を撫でる。それは稽古で怪我をしているカリンに、こっそりやっていたまじない。
「カリン様」
「なぁに」
「私は貴女のその心を癒す術はありませんが、こうして寄り添うことはできます。しばらくはこうしていましょう。昔のように」
「……そうしていて。辿り着くまででていいから」
「大役、おおせつかりました」
言葉で表すのがどれだけ難しいか、マイヤは痛いほど理解している。マイヤはその痛みをいつからか避けるような生き方をしていた。どれだけ付き合いが長くとも、給仕の立場をあくまで崩さず、一定以上の距離を保つ。そうする事で他人との衝突を避ける術を覚えた。しかしカリンは違う。
「(素直すぎる。自分の内から溢れるものを無視して。無理をしている)」
彼女の性質ともよべるそのあり方と、コウのあり方がここまで顕著にぶつかる事など今までなかった。それがさらに悪い方向に作用し現状を作り出している。
「(これは、私がどうこうできる問題ではないのが、また歯痒い)」
「楽しい話をしましょうよ。どうせなら」
「楽しい、ですか」
「そうね」
頭を撫でながらカリンの言葉の続きをまつ。云々うなってカリンの口から出てきた人物に思わず首を傾げた。冷や汗をかきながら。
「オルレイトとはどうなの? 」
「オルレイト様ですか?? 」
「良い仲なの? 」
「良い仲!? 私とオルレイト様が!? 」
思わず撫でる手を止めて大声を出してしまう。
「だって貴女達、たまにふらっと2人していなくなるじゃない? 逢引というのでしょう? 」
「そ、それは」
思わず言い澱んでしまう。その事がさらにカリンの好奇心を刺激してしまった。先ほどまで甘えていた姿はどこに行ったのか。遊び道具を見つけた猫のように目を爛々と輝かせている。対してマイヤはこの状況に頭を抱えていた。理由は2人で抜け出している理由にある。けっしてカリンの考えるような逢引なのではない。むしろ、それならどれだけ良かったか。
「(ま、まさかカリン様が今日どんな事をしていたかの報告会をしているなどと、言えるわけが! 言えるわけがない! ましてや本人の目の前で! )」
以下、数ある報告会の一部である。
◆
「尾行は? 」
「いません。ベイラー達は? 」
「大丈夫だ。全員寝ているのを確認した」
「なら、始めましょうか。オルレイト様」
「ああ。はじめようマイヤ」
「剣術を教わる、なんて! しかも直々に! 」
「ひたすらに強い! いつか勝ってみせると意気込むがまるで勝てない! 」
「私は剣は扱えませんので、そのようなことは一生ないでしょうね」
「姫さまの咆哮は何度浴びても身が震える」
「わかる」
「わかるのか」
「稽古場で聞いた事があります。普段の利発な表情がまるで獣のような荒々しさを伴って剣を振るう様は、とても、その」
「良い、か」
「ええ」
「オルレイト様、こちらをご覧ください」
「これは……いいのか。男の僕がみて」
「問題ありません。このドレスはまだ試作。これから色を決めるのですが、新しい布が入りまして」
「珍しい色だな。紫に、白か。しかもかなりいい白だな」
「どちらがより映えるでしょうか」
「マイヤの意見を聞きたい」
「この白は丈夫ではありません。踊りの際に万が一、ということがございます。その場で仕立て直す訳にはいきませんので」
「しかし、いい色ではある。と」
「そうなんです! ここまで見事な白色はなかなか手にはいらなくって! 」
「お、、おう」
「しかし、このようにすこし擦れるだけで痛みが」
「目に見えて痛むな。紫の方はどうだ? 」
「こちらは生地は丈夫です、ただ、艶が劣ります」
「悩ましいな」
「どう思われます? 」
「どう、と言われてもなぁ。これはどちらか選ばないと駄目なのかな」
「と、いいますと」
「前のドレスにつかった生地、まだ余ってるか? 」
「は、はい。あの黒とレースの物が」
「白い生地をベースに、紫を、つかって、あと、黒い布を間であわせるようにする。とか」
「なるほど」
「どうだマイヤ」
「天才か。形はお任せを」
◆
「(そんな、カリン様のあれやこれやをひたすら報告するだけの会をいまここで暴露せよと!? オルレイト様がどうなろうとしったこっちゃありませんが私への不信感が!! )」
オルレイトに対するマイヤのスタンスは雑に尽きる。なにもかもが慣れすぎて距離感が狂っている。それは近しい意味ではなく、他人行儀な割には辺なところで息が合っている。今回はカリンの件について。現代の言い方であればマイヤにとってカリンはいわゆる推しとなり、応援できるところは応援し、陰ながら見守るときはじっと見守る。時折、付き合いの長さゆえに現れる、さきほどのようなカリンとの触れ合い以外に関しては、内心嬉しくて躍り狂っている事がある。メガネをもらった日は、日がな一日中贈り物の眼鏡を眺めるだけで休日が終わったことすらあった。
「(なんとしても、あの集まりの事を知られる訳にはいかない。どうすれば)」
その中でも、オルレイトのとカリンについての語り合いは、マイヤにとって日ごろの炊事洗濯により発生する疲れを癒す効果を持っていた。けっして、この語らいのことを秘匿することを主目的にしている訳ではない。問題はこの会合がカリンに知られたが最後。
「(絶対に来る! 姫さまはそう言うお人柄の方!! )」
それは心が休まらないどころか興奮して眠れない程になってしまうのでマイヤにとっては刺激が強すぎる。あくまで、気の知った仲の者との語らいがマイヤはしたいのである。勝手に窮地に陥るマイヤであったが、この事態を想定していない訳ではなかった。
「(しかたない。オルレイト様には犠牲になっていただく)」
意をけっして、前からかんがえていた物語を読み出す。
「あれは、オルレイト様の服を仕立てていたのです」
「服を? 」
「はい。オルレイト様の新しい剣術はご存知ですか? 」
「突きに特化した物でしょう。知っているわ」
「あの剣術、普段あまり伸ばさない部分の生地が伸びてしまい、すぐに服が駄目になってしまうと相談を受けたのです。今はその調整中なのです」
「わざわざ隠れて会う必要があるの? 」
「姫様に勝ちたい一心で、練習もしているのですよ」
「そうなの」
マイヤの言葉に嘘はない。事実オルレイトの発案した新たな剣技。レイピアを用いての剣術は特に足
をよく伸ばすため、生地によっては簡単に傷んだり伸びたりしてしまう。それをマイヤはその都度調整を兼ねて仕立て直している。
「あまり、茶化さないでやってくださいね。オルレイト様も殿方なので」
「そう言うものなのかしらね」
マイヤの言葉に納得し、前を向くカリン。こうしてマイヤは、カリンに対する報告会の事実は隠蔽に成功した。かに見えた。
「あれ。でもあの剣術ができる前から、よく会ってなかった? 」
「そ、それはぁ! 」
あまりに拙い出来の話だった。簡単に矛盾点を指摘され焦るマイヤ。どう答えたか悩んでいると、状況がマイヤに味方する。船がどんどん地上へと迫ってきていた。
「お話はまた今度に! 衝撃きます! 」
「え、ええ! でも絶対教えてね! 」
マイヤをむいてはにかむカリン。
「(……ほんとうに、似合う)」
ころころと表情が変わり、たくさんの心配事をさせながらも、この笑顔で全て許せてしまう。それほどまでにマイヤはカリンを慕っていた。そして同時にコウに若干の不満があった。
「(コウ様も、もっと上手くできなかったものか)」
別れを告げるにもあまりに一方的だったその方法に少しばかり腹をたてていると、船の中から馬鹿でかい声が聞こえた。先頭にいたホウ族のアンリーだ。
「着地するぞぉおお! 全員つかまれぇえええ!! 」
忠告どおり、乗り手の全員が手すりに捕まる。たっぷり間を開けたのち、船が砂の大地へと盛大に着陸する。長い距離を滑ってようやく止まった頃、その村は見えた。
「奥に見えるのがメイビット村だ。すでに帝都のベイラーがきているかもしれない。全員、気をつけろ! 」
アンリーが歯を食いしばりながらも伝える。見えているのは、すでに朽ちかけの建物。骨組みを残して今にも風で飛ばされそうな小屋。おそらく今はもう使えないであろう井戸が真ん中にぽつんと点在している。メイビット村。かつて帝都が正義の名の元に虐殺を行った村である。




