轟く悲鳴
ひと悶着あったようです。
湯あみの為、4階の一室で座りながら待つカリンの元に従者であるマイヤがやってくる。
「ああ、マイヤ。ダメならダメでいいのだけどね?その……」
「湯浴みの用意なら、さきほどクリン様が用意するようにおっしゃったので、既に準備しております」
「おね……お后様が?」
「はい。……王はご存知ありません」
「……いいの?」
「悪い訳がございません」
カリンの意図を組み、すぐに行動に移してくれるマイヤが、己の従者である事に、カリンは誇りをもっていた。マイヤがカリンの服を手早く脱がせていく。この時期、重ね着をして、熱を逃さないようにしている分、脱ぐのも手間がかかる。ふと、マイヤが服を至近距離で見過ぎている事に気が付き、カリンが思わず口を挟んだ。
「マイヤ、貴女また目を悪くしたの?」
マイヤは視力が悪く、そのせいでにらみつける癖がついてる。
「すいません。病気ではないとは言われたのですが……」
病や怪我ではなく、単純な視力の問題である為、改善しようがない。
「それでもお側に置いていただけているのは、感謝してもしきれません」
「ええ。助かっているもの」
視力が悪い為、いつも眉間にシワをよせて、目を細めて事にあたっている。その、いつも睨みを効かせているように見える顔のせいで、彼女の第一印象は「いつも怒ってる人」になっている。しかし、実際は相手のして欲しいことを事前に察知する気づかいと、手先の器用さ、要領のよさで、掃除、炊事、服の修繕まで。幅広い仕事をこなす才女である。マイヤにかかれば、歩きながらの服の着替えなどこちらが何不自由なくやってのける。事実、カリンが身動き1つせずに重ね着を服を脱がし終えている。
そしていつの間にか用意された着替えをカリンは視界の端に収め、髪を束ねて、石鹸を用意しようとした時。
「その、従者でしかない私が、言うのも、憚られるとは思いますが、カリン様にお伝えしたほうが、よいと、思いまして」
髪を一つにまとめながら、マイヤがおずおずと話しかけてきた。近い顔がさらに近くなる。カリンはこの距離感の近さに慣れていた。
「なに?言ってご覧なさい」
「では、失礼して……火事場泥棒がまた出たそうです」
「マイヤ。これから、湯浴みをしようという時にその話題を出すの?」
カリンはその話題をあまり聴きたくなかった。これからゆったりして少しでも体をほぐしたいという時に、この国の、それもあまりよろしくない噂話を聴かされるのは、いい気分に浸れる人間の方が少ない。しかし、マイヤはその話題をやめることはない。
「重要なのは、この先です。火事場泥棒の目的が分かりました」
なぜなら、噂が噂でなくなったことを伝える為である。
「それは……聞かせて」
カリンも、傾聴の姿勢を取る。
「どうやら、火事場泥棒の目的は、金でも、食べ物でもありません」
「なら、わざわざ何をしに?」
火事場泥棒は火事場から物を盗む。それは金品である事が多い。そうでないというのなら何を盗むのか。
「どうも、ベイラーとその乗り手を狙っているようなのです」
「ベイラーと乗り手? どうして?」
「理由はわかりません。ただ南の村で、ベイラーと乗り手が2人づつ、忽然と姿を消したとか」
「それは、旅にでたのではなくて?」
「作業中、ふらりといなくなったと」
「それは……不自然ね」
「今やカリン様も立派な乗り手の一人です。御用心ください」
「……ええ。気をつけるわ」
シュと、栗色の髪を一つにまとめる。湯舟に髪をつけないためだ。湯浴みといっても全身をくまなく洗うというより、先ほど流した汗を暖かい湯で流すことができれば、カリンはソレでよかった。同時に考え事をまとめていく。
「サーラからきたベイラーと乗り手にも伝えたほうがいいわね」
「はい。その方がよろしいかと」
「でも、マイヤが直接言ってしまえばいいのに」
「従者の口から出た言葉は、噂以上の力をもちえません。しかし。カリン様ならば、それは」
「噂以上の力になると。……わかった。伝えておきます」
「重ねて、御用心ください。サーラからきたベイラーがソレとも限りません」
マイヤは、サーラからきた者たちの中に火事場泥棒がいると踏んでいた。推察としては十分にありえる線である。だがカリンはやんわりと諫める
「マイヤ。考えはわかるけれど、それ以上は我が姉の侮辱とみなします。サーラを貶めるような発言は控えなさい」
無論カリンもマイヤの考え方は理解している。彼等は部外者であり、それが悪さをするというのは、想像に難しくない。
「……申し訳ありません」
マイヤは素直に己の非礼を詫びる。
「部外者だから、といって、疑うのも無理はないけれど、彼等のおかげで、この国の復興は進んでいます。むしろ、我々は感謝すべきですよ」
「はい。失礼しました」
「でも火事場泥棒がベイラー専門の盗賊……一体なんでそんな……」
服をすべて脱ぎ終えると、体に籠っていた熱が、どんどん逃げていくのを感じ、おもわず吐息がもれた。体の強張りなどおこさないまま、下着の状態になったカリンに、マイヤがローブをかけたその時。
ゴゴゴゴゴ……ゴゴゴゴゴ……
カリンが、聞き覚えのある音を聞いた。ベイラーが鳴らす関節の音。マイヤも聞き、疑問が浮かぶ。
「郵便のベイラーが迷い込んだのでしょうか。入口は……」
「反対側よ。マイヤ。案内してあげて。私は1人でもいけるわ」
「しかし……」
「湯浴みしている最中に迷い込まれるよりいいもの」
「では、私の代わりを呼んできますので、何卒、お待ちください」
マイヤは、その見えにくいであろう目を伏せる。カリンの身を案じている。
「心配性ね。でもいいわ。待ちます。ローブは暖かいけど、まだ寒いのだからすぐにね?」
「かしこまりました。すぐに」
一礼をして、マイヤはすたすたと部屋を出る。マイヤが身を案じた理由も見当がつている。
「火事場泥棒のこと、心配しているのね。でも、おかしなマイヤ。この城、もう火事場でもなんでもないのに」
この城は、土砂でうまっていたり、雨で崩れていたりなどしていない。そうしないためにベイラー達が頑張っている。そしてコウが頑張っている。それをわざわざ火事場泥棒が狙うとは考えにくい。それに、この城は堀で囲まれている。その周りにはベイラーも歩いている。もし不審者が近づけば、そこでまずわかる。
「だから、大丈夫なのに」
だがカリンの中に別の疑問が湧く。ベイラーとその乗り手を狙う泥棒は、一体どうやって攫うのか。ベイラーを運ぶ為ならば、ベイラーを使っているのは、想像に難しくない。だがそれにしても、ベイラー1人を運ぶのには、相当な労力がいる。
「仲間がいるのかしら。ひとりふたりじゃなく、5人、10人……ベイラーもそのくらいいる?ああ、でも、大人数だと目立つか……隠れるにしても、その人数じゃとても……」
仮にベイラー5人と、乗り手が5人の盗賊団のようなものが、火事場泥棒だったとして、ゲレーンでベイラーと乗り手をさらう。
だがカリンには、どうしてもその先の事が思いつけなかった。攫った後に考えられるのは、働かせることだが、彼等を無理やり働かせようとしても意味がない。ベイラーは根本的に乗り手がいなければ動くのが苦手である。
「だから乗り手もいっしょに? 捕まえて奴隷にでもするのかしら」
そもそも、ベイラーがその気になれば、人間を踏み潰すなんて簡単であり、乗り手が乗った時点で逃げるは容易なはずであった。
「……でも、噂が流れ始めたのは最近。そして、いま2人づつ、合計4人さらわれてる……もしかして、まだ報せが無いだけで、もっとさらわれてる? でも、そんな人数を一体どこにどうやって隠れてるの……」
ベイラー攫いが連続して行われておるということは、この国のどこかに潜伏していると見ていい。しかしベイラーは目立ち、隠れようがない。大人数ならなおの事であった。
「わからないわ……」
様々な考えが浮かんでは消え、さらに考えに沈み込もうとしたとき、ふと、周りが静かになってカリンが気がつく。マイヤが帰ってこない。
「もう。マイヤはどこまで探しにいったの」
服を着ようとして、その複雑な構造を思い出して断念する。重ね着の事もあり、1人で着るのもおっくうな服装ではあった。仕方なしにカリンはローブ煤型のまま歩き出す。すると、先ほども聞こえた音がまた響いた。
ゴゴゴゴ……ゴゴゴゴ……
「……足音が外から?」
ベイラーの関節音。さきほどよりかなり近い。迷い込んだのではなく、外にいる。
「見張りのベイラーかしら?」
ゴゴゴゴ……ゴゴゴゴ……
音は止まない。むしろもっと近づいている気配がある。ここでカリンが違和感に気が付く。見張りにあたってくれるベイラーがわざわざ城に近づく必要はない。入口も別にある。ここに用があるとは考えにくい。
「……」
火事場泥棒はベイラーと乗り手を狙っているとマイヤはいっていた。……なら、まさか用があるのは……狙いは。
「(乗り手の私!?)」
カリンは、正気であればコレが突飛な案だと気が付いただろう。だが、現状聞こえてくる迫りくるベイラーの音と、マイヤとの会話、そして己の思考がたまたま深みにはまっていた為に、この突飛な案は己の中で正当化さてた。
ゴゴゴゴ……ゴゴゴゴ……
音はさらに近づき、正当化された案によって、カリンの頭は勝手にストーリーを組み上げていく。
「(そうか。いままでのは練習。どうやって効率よくベイラーをさらうかを研究していた。そして……なんどかの練習で、火事場泥棒の彼等は『コツ』をつかんで、いよいよ本命である私をさらいに来た。……目的は人質か。なるほど。しっくりくる。)」
およそ冷静な思考とは呼べなかったが、それでもベイラーの関節音がカリンを焦燥させていく。
ゴゴゴゴ……ゴゴゴゴ……ゴゴ
やがて、音が止まった。止まった位置は窓の前。1本1本が平たい、格子状になった窓から確かにベイラーの横顔が見える。よくは見えないが、たしかにベイラーである事はわかった。
「(大声を出して助けを呼ぶ? ……だめ。仲間がいる可能性がある。見張りのベイラーがなにもしないっていうことは、まさか倒されている!?)」
ここにきて、カリンは自分が孤立無援である可能性に気がつき、最悪の想像が頭によぎった。その瞬間だった、ベイラーの横顔がこちらを向いた。そしてそのベイラーが、指をつかって、窓を開けようとしくる。
カリンの中で、いよいよ相手が自分のその手でつかみ掛かろうとしていると感じてしまった。同時に思考がさらにあらぬ方向に回っていく。
「(逃げる? ……でも、どこへ? 相手があのベイラーだけとは限らない)」
カリ、カリ、カリと、指で窓をけずっていくベイラー。窓が破られれば、そのまま侵入されてしまう。
「(だめだ !逃げたらそのまま、ここを壊される! ここには何人のベイラーも人もいるのに……マイヤ! マイヤが人をよこしてくれている! 誰かがここに来るまで、私が時間を稼いで、すこしでもこちらの味方を増やす。そうすれば、火事場泥棒の仲間も、把握できる! )」
そこまで考えてカリンは気がつく。あのベイラーは一気に窓を破ってこない。やったとしても、窓の枠についた大きなつららが落ちているだけ。
「(なぜ一気に壊さない? 私の恐怖を煽るため?それとも……)」
カリンは、一つの可能性をおもいつく。それは、あのベイラーには乗り手がいないという可能性。
「(なら……私ひとりでできる。この位置、この高さだからこそできる)」
カリンはローブを手にし、息を殺して、徐々に窓に近づいていく。距離にして10歩。ここが人のスペースで、4階部分なのが幸いしている。ちょうどベイラーの頭の高さ。
「(乗り手のいないベイラーは、転倒しやすい。……それが例え、少しの力を加えられたとしても)」
カリンは足を伸ばし、自分の筋肉を伸ばす。
「(バランスを崩してしまえば、すぐに倒れてしまう……狙うのは、頭。人間と同じく、頭は体の中でも重い。それを支えるのに、体は存外苦労している)」
作戦を、頭で組みたてていく。しかし、それはあまりにも単純な作戦だった。それは、隙を作って飛び蹴りで蹴飛ばすというものだ。
「(重心が動いた時、頭を少し押してやれば、そのまま倒れてくれる。その為に!)」
そうこうしている内に、ベイラーの指が、窓を突き破り、引き抜く。その際に顔が見えた。その瞬間、カリンは走った。そして、その手にもつローブを、ベイラーに投げつける。
「(視界を封じる! コレで驚いてくれれば!)」
乗り手のいないベイラーは、ただでさえ動きが鈍い。だがその不意打ちは、いとも簡単に、ローブを手で払われて対応されてしまった。
「しまっ―――」
丁度逆光で、敵と認めたベイラーの顔も、体の色さえわからない。ローブは払われ、目論見は失敗したかに見えた。
しかし、なぜかベイラーは動き、一歩後ろに下がった。不意打ちに完璧に対応したにも関わらず、まるで狼狽えるかのように、重心が後ろに移動した。
その瞬間を、カリンは待ち望んでいた。
「シャヤァアアアアアアアアアアア!! 」
それは、果たして女性が出していい声なのかわからない怒号と共に、そのベイラーの眉間に飛び蹴りを食らわした。重心を移動させた直後に、頂点が後ろに押される。人間ならば足を後ろに動かして踏ん張れる。だが相手は乗り手のいないベイラーであった。
踏ん張れず、後方へ転倒する。蹴飛ばしたあと、そのまま部屋に文字通り舞い戻ったカリンが、勝ち誇った顔で叫ぶ。
「残念だったわね! あなたたちのような卑劣な者に捕まるような私じゃないの!! 」
「カリン様!何事ですか! 」
マイヤが帰ってくる。怒号と転倒した音はあたりに酷く響いた様子だった。
「マイヤ!火事場泥棒を退治してやったわ! わざわざ湯浴みのときに狙ってくるなんて敵ながら用意周到なことよね! 」
「は、はぁ」
「バイツの『生身でのベイラー対策』が、こんな形で生きるとはおもわなかった! さて、今度はあのベイラーの乗り手を探さなきゃね……なに? どうしたのマイヤ?」
「その、カリン様。大変申し上げにくいのですが……いえ、その前にまず確認を」
「ええ。どうぞ」
「カリン様のベイラーは、何色でしょうか?」
「白よ。それが?」
「で、今、火事場泥棒を退治なさったと」
「さっきからそう言ってるじゃない」
「ならば、カリン様の白いベイラーは、火事場泥棒ではありませんね? 」
「……なに言っているの? 私のベイラーよ? 火事場泥棒なわけないじゃない」
「えーでは……」
やたらとマイヤが勿体付ける。そして、すこし、本当に言うべきか悩んだような素振りを見せたあとで、口を出した。
「いまそこで伸びているのは、その白いベイラーのようにみえるのですが」
「……はい?」
バタバタバタと走って、窓から顔をのぞけば……そこにいるのは……たしかに相棒のベイラー。
「コウ! あなたが火事場泥棒だったの!? 」
コウが、そこで無様に転がっていた。
「そして、ローブはどうなさったので? 」
「え? ああ、さっき目くらましに投げて……」
目くらましで隙をつくって、その頭頂部に飛び蹴りを喰らわせて倒すというのが、カリンの作戦。そしてその作戦は見事に成功した。
そう。成功したのだ。だから、体を覆うローブはない。そして、さっきまで、カリンは湯浴みをしようとしていた所なのだ。つまり、ローブの下は何もない。
……何も、ない。
「―――ッ!! 」
自分が今どんな格好をしているのかに気がついたカリンが、今度は怒号ではなく、悲鳴をあげた。
その声は、城中に響いた。「長くお仕えしているが、あんな声は初めて聞いた」とは、マイヤの談である。




