ベイラーの架け橋
《ナット! 見えてる!? 》
「わかる! なんて数だ」
砂漠を疾走するナットとミーン。ミーンは足の調子がいいのか、砂上を滑るように駆けていく。使い古しのマントは風と共になびきながら舞い上がる砂からミーンを守っている。そして眼前に迫るのは、黒い竜巻と化した虫の群れ。その数は見上げると空が見えない。それはまるで一匹の生物にさえ思えた。
《どこから集まってくるの? 》
「この砂漠にいるほとんどのクチビス達が集まってればこうもなるってことか」
走りだしてまだそんなに時間は経っていないというのに、群れの大きさがまるで変わらない。それどころか街で見た時よりもより大きくなっている。
《ナット、これ以上寄ったらまずいじゃないの? 》
「でも、せめて進行を遅らせるくらいやらなきゃ……ミーン! ジャンプだ! 」
《わかった! 》
ナットが指示を出し、それを受け入れるミーン。言われたとおりに足を使って高く飛び上がる。砂漠の真ん中で飛んだ空色をした体は砂ホコリを巻き上げる。たった一回の跳躍で街の入り口が見える程度にまで高い位置まできてしまう。郵便の仕事をしている最中でも障害物を避けるために飛んだり跳ねたりは行うが、今日ほど一瞬で高く上がったのは初めてだった。
《調子いい!……ってうぁ!? 》
ミーンが関心した直後、眼下にみえる物に思わず悲鳴をあげた。そこにはつい先ほどまでミーンがいた場所に、何十、何百のクチビスが殺到していた光景だった。間違いなくミーンに襲いかかって行っている。
「クチビスがどうしてベイラーを!? 」
《わかんないけどまたくる! 》
先程の群れから一筋、まるで生き物が舌を伸ばすかのようにクチビスの一団がミーンに向かってくる。羽音を震わせ、カチカチと小さな口をせわしなく動かしている様子は、普段の森で見るクチビスとはまるで違っていた。一気に距離をつめられ、ミーンの落下より先にクチビスがミーン自身に届いてしまう。
《どうするの!? 》
「あいつらを橋にする! 」
《橋ぃ!? 》
ナットの考えを理解するも、本当に実行するのかという驚愕を胸に、迫り来るクチビスを正面から見据える。彼はいま、クチビスを地面に見立てて踏みつけようとしている。
「タイミングさえ合わせれば、いける! 」
《やるだけやってみる! 》
2人の意思が1つになり、ミーンの目が真っ赤に輝きだす。飛び込んでくるクチビスはそのミーンの変化にまるで気がつかず、むしろ先程より勢いを増して突っ込んでくる。
「いまだ!」
《いまだ!》
2人はそのまま、クチビスを真っ向から蹴り込んだ。クチビス1匹だけなら意味のない攻撃であるが、目の前にいるのは何百という数の群れ。その数により、ミーンの足はたしかに壁を蹴ったかのような感触を得ている。想像以上にクチビス達は密集していたが、それが彼らの助けになった。
「すぐさま飛ぶ! 」
《あいあいさぁ!! 》
そしてミーンは、クチビスを足蹴にして駆け上がった。空中で疾走する不思議な感覚を得ながら、さらに上空へと走る。足蹴にされた方のクチビスはというと、ミーンの脚力による衝撃は大きかったのか、そのまま羽を潰され落下していった。気絶して動かない個体もいる。
《クチビスってびっくりさせると動かないのかも》
「たしかに。でもまだくる! 」
駆け上がった直後、背後からも迫ってくる。統率がとれているかのような行動だが、落下していく仲間を見向きをしない程度には、彼らは虫以上のものではないことをうかがわせる。それをいいことに、ミーンは空中でさらに走り出した。
「このまま街に誘導する! 」
《わかった……ナット! ナット! 》
「何か見つけた? 」
《隣ぃいい!! 》
ミーンが叫び声をあげた。それはクチビスに向けての物ではなく、完全に意識外からの物。クチビスそのものは恐ろしいことにもう見慣れてしまった。問題は、今見つけたものは、単純に生理的嫌悪感を催す種類の物が目の前に現れてしまう。
「こ、これは、もしかしてクチビスのお弁当? 」
《うへぇ……》
そこには、クチビスによって食い荒らされたであろう動植物が、クチビスの背に乗っかっている。道中さまざまな動物を捕食してきたのか、ナット達の知る鎧竜の形をしたラブレス、小動物でリスのような形をしたジュリィ。ほかにも知らない生物達が、みるも無残な姿で空中で運ばれている。ふと見れば、この群れの流動的な流れの中には、この食事を取りに戻るグループと、食事を終え飛び立つグループとが入れ替わりが頻繁に行われている事がわかった。彼らが広大な砂漠を行き来できていたのは、この食事場がある為であった。
《オルレイトあたりにでも話すと面白そうだね》
「そうだね」
ナットがオルレイトにどう話そうか考えていた時、ふとお弁当の中に不可思議な点が有るのを見つけた。何十匹もの獣の残骸がある中、まだどのクチビスも食べていない物がある。単に順番に食べているだけだと思っていたが、その数種類の獣だけ明らかに様子がおかしかった。彼らはこの惨状で、クチビスに食べられていない。それどころか、まるで彼らをもてなすかのように、クチビスが献身的に毛ずくろいや、甲羅の手入れをしている。さらに驚くべき事が起こった。
数匹のクチビスがわざと獣達の口に飛び込み、自分を相手に食べさせたのである。獣側もそれを当然と受け入れ、クチビスを数回咀嚼し、飲み込んでいる。臆病な性格で知られるクチビスであるが、群れの中で起こるこの異様な光景に、ミーンもナットも、ただ理解できずに思考が停止していた。
「こ、これはなんだ? 僕らはなにを見ている? 」
《わ、わからない! 》
思考が停止した事で、動きが一瞬止まってしまう。その瞬間、ほかのクチビス達が、ミーンめがけ一斉に飛びかかってきた。カチカチと不気味に牙を威嚇しながら突進してくるのを、間一髪で避ける。先ほどの空間から逃げるように駆け出すと、ナットは先ほどの光景を振り払い、本来の目的を果たすべく行動する。
「このまま姫さま達のところに! 」
《うん! 》
クチビスを足蹴にしながらクチビスから逃げる。駆け出す空色がさらに早く疾くなる。ミーロの街は眼前まで迫っていた。そこには、仲間のベイラー達が仁王立ちで待っている。
◆
《カリン! きた!! 》
「そのようね」
その5人のベイラーのうちの1人、コウが迫り来るクチビスを認める。その数は遠くで見た時よりも多く見え巨大な生物に見える。
《まるで龍みたいだ》
「代わりないでしょうね。作戦は覚えていて? 」
《ああ。まず俺たちが壁を作る。そのあと、俺とヨゾラを乗せたレイダが上に上がって、壁を空で支える。そして、あとはひたすら耐える……えっと、これ作戦? 》
「さ、作戦でしょう! 」
《カリンって考えられてるけど最後は根性前提の作戦だよね》
「そ、そう? でも結局最後に勝利を決めるのは根性があるほうが勝つのよ」
《……それもオージェンさん? 》
「いいえ。誓って自前よ」
いわゆるドヤ顔をするカリン。ひさびさに自信満々のカリンをみたコウはあきれるが、その姿さえ可愛く思えて思わず口に出す
《可愛い》
「ええ。もっとおっしゃって」
《めちゃくちゃ可愛い》
「……あなた、どうしたの? 頭でも打った? 」
《わからない。でも、こう言うの口に出してたほうがいいって最近は思うんだ。》
「そう。まぁ、いいんじゃないの」
《うん。続きはクチビス退治が終わってからで。俺の中に》
コウがいつもの仕草で手差し伸べ、いつものように駆け上がる。琥珀色のコクピットに自分を沈めると、波紋が広がりながら体が中に吸い込まれていく。修繕したコクピットシートに座り、ベルトを締めて体を固定する。このシートの存在による新たな動作もカリンは慣れてきた。声を張り上げ、カリンが皆に号令をかける。
「ミーンがこっちにきたその瞬間に、全員でサイクルシールドを作ります! 準備はよろしい!? 」
その場にいる乗り手もベイラーも全員が首で肯定する。自分がやるべき事を全て理解しているからこそ、短い返事で事は済んだ。各々準備を終えるたころ、彼方からミーンが走ってくる。砂ホコリをあげながら疾走してくるその姿を追いかけるように、クチビス達の群れが細く長く追いかけてくる。それはまるで大蛇が舌を伸ばしてるようだった。しかしこの状況でも、ミーンは全く諦めていない。その証拠に走る速度がまるで落ちていない。そして街のすぐそばまで来たその時に、ミーンがスライディングの要領で突っ込んでくる。そして全員に叫んだ
《構えぇえええ! 》
ミーンの全身が自分たちの後ろ側に来た事を確認した瞬間。コウが、レイダが、セスが、リクが叫ぶ
《サイクル・シールドォオオオオ》
《ーーーーーーーーーッツ!!!》
声のあげられないリクが、しかしサイクルの回転がまるで雄叫びのように聞こえながらサイクルシールドを作っていく。様々な色したベイラー達が作り上げる鮮やかな色の壁が一瞬で出来上がりながら、雲がかかったのかと住人達が空を見上げると、突然出来上がった壁に尻餅をついた。たしかにベイラー達が巨大な、実に巨大な壁を作り上げて見せた。この街が出来上がった時からそこにあるかのような自然さで現れたその壁は、分厚さもさることながら、その高さきさもまた凄まじかった。高すぎて街全体が影ができている。これがベイラーの手で行われた事という事実を住民は一瞬認めなかった。
変化はそれだけではない。壁が出来上がった直後、凄まじい衝撃が壁に襲いかかった。それは空をも覆うほどのあつまったクチビス達がコウ達の作った壁に激突したことによるものだと言うことは言うまでもなかった。しかしあの数名のベイラーで作り上げた壁が、たった数名で支えている壁が耐え切っている事実を認めるのに、ほんの少しだけ時間が必要だった。
《は、はは!! レイダさん! 耐えてる! 耐えてるよ!! 》
《その、ようで! 》
《たかだか虫と侮っていたが、存外やる》
「ひとまずこれでいいわ! レイダ! ヨゾラととも上へ!リク! 街をまもってやって! 」
《ーーーーー!! 》
リクが自分の役割を理解し、巨大な壁を、四本の腕で支える。
《リオ! クオ! ここは任せた! 》
「がんばる! 」
「かんばれる! 」
双子に激励の言葉を投げかけ、コウは空へと向かう。巨大な壁で街を守るにあたり、地面からだけでは支える力が弱いことを懸念し、空中で力を加える為であった。そしてそれにはもう1人選出されている。
「さて。初めて空をとぶが、大丈夫かレイダ? 」
《はい。オルレイト様の方こそよろしいのですか? さすがに下着の替えまでは面倒見きれませんが》
「その軽口が叩けるなら大丈夫だな……やるぞ!」
《仰せのままに》
「マイヤ! やってくれ!」
「はい! ヨゾラ! 」
《ウエヨセシマス》
レイダの背にひっつくようにヨゾラが止まる。数本の管がレイダへと伸び、体を固定すると、自身を空へ導くための翼をレイダへと分け与える。同時に、意識と視界の共有が2人から4人へと増加し、見ている風景が倍になっていく。
《ウエヨセオワリ。トベル》
《わかりました……オルレイト様! 》
「とべよぉおおお!! 」
そして初めて、レイダが、オルレイトが空へと飛んだ。方向はマイヤとヨゾラが補助し、スムーズに飛行が開始される。視点がぐんぐん上になるのを感じながら、オルレイトは歓喜に包まれる。
「は、はは! 空だ! レイダ! 僕らは空を飛んでいるぞ!」
《このまま散歩をしたくなりますね》
「ああ。だがまた今度だ! 今は! 」
ぐんぐん高度をあげ、自分たちが作り上げた壁に沿って垂直に飛ぶ。スピードはさほどでもないが、初めての感覚にひたすら感動している。そうこうしていうる内に視界にコウを認めた。
《レイダさん! 来たんですね! 》
《御機嫌ようコウ様。地上は任せて来ました。こちらはこちらの仕事を致しましょう》
《はい! 》
空を飛ぶベイラーはまだ数えるほどしか出会っていない。セスは波に乗ることで空を飛ぶが、その性質上対空というのが苦手だった。ヨゾラは一緒に飛ぶ事はあるが、隣に並ぶ事はすくない。彼は背中にくっつくことのほうが多かった。他には、こちらに毎回敵意を持って相対するアーリィベイラーとザンアーリィベイラー。そして黒いベイラーのアイ。こうしてみると、空を飛ぶベイラーの大半は敵と言っていい。そんな中、この世界に来てから見知った仲であるレイダが、こうして空で隣にいる事がなにより心強い。
《やることは簡単! 支える! 以上! 》
《かしこまりました! いざ! 》
手立てを伝えたと同時に、壁が傾き始めた。クチビスの大半が壁に押し寄せたのか、作り上げた壁に寄りかかりり、壁に圧力がかかっている。そして、コウが、ヨゾラの力を借りたレイダが壁に向かって突進する。両腕で確かに壁をつき、サイクルジェットを最大にする。炎が2人のベイラーから尾を引くように大きく伸びる。傾いてきた壁がコウ達によって立て直されつつある。しかし、支えに入ったコウはその手応えにある種の危機感を覚えていた。
《虫って、集まったらこんなに力強いのか! 》
支える壁は、明らかにこちらの力と拮抗していた。クチビスの突進を侮っていたコウは、この状況をあまり良いものではないと考えた。
《修繕しながら、いくしかない》
考えが逸れた瞬間、壁に向かう圧力が弱くなった。不審に思いながらさらに力を込めて待っていると、先程とは比べ物にならない衝撃が壁全体を襲う。炸裂したような音が響き、壁の一部が歪む。
《体を、叩きつけてきた!? 》
「いろいろやる! 」
カリンがさらに力を込め、壁を支える手のサイクルを回す。
「コウ! シールドを作りながら支えられて!? 」
《ミルフィーユシールドか! お任せあれぇ! 》
コウの目が真っ赤に輝く。同時に、コウの手からシールドが作り出される。それは歪んだシールドの場所にぴたりと埋まるよに伸びていき、全員で作り上げたシールドを修繕していく。
《コウ様、何を? 》
《シールドを重ねてる! 壊れた所はまかせてくれていいから、レイダさんは》
《支えます! コウ様、よしなに》
短い会話の合間にも、クチビスが行う叩きつけは止むことはない。壁が徐々に脆くなっていくが、その度にコウは新たなシールドを作り上げて修復していく。その様子を見たレイダが感心する。
《(コウ様、いつの間にこんなに早くシールドを展開できるように……)》
サイクルシールドを教えていたのはレイダであり、当時はまだ作り上げる壁も薄く、壁としてはあまり効果がなかった。しかし今や、コウがいなければこの街はクチビスに食い荒らされていたであろう事を、目の前の出来ごとが証明している。
《しかし、私たちの手の回るところはいいとして、地上の方は大丈夫でしょうか》
レイダの懸念は、コウの手の届かない、地上部分の場所だった。そしてそれは現実となってしまう。それは、壁に生まれた小さなほころびから始まった。
◆
《ははは! 壁を支えるだけというに疲れるものだな! 》
「無駄口を開くなぁ! 」
コウ達の眼下。地上ではサマナ達が気張っていた。赤い体をしたセスが押し寄せる虫達を防ぐべく壁に両腕をつき耐えている。
《ーー! ーー!! 》
「リク! がんばって! リオ達もがんばるから! 」
「クチビスあっちいけぇ!!」
リクがその巨体を生かして壁に4本の手をついている。
《ナット! なんか懐かしいね! 》
「追われ嵐の時と同じだけど、雨に濡れないだけましかな! 」
故郷でもこのように壁を支えていたなと思い出しながらナットとミーンが気張る。
《でもこの調子なら大丈夫だよね? 》
「うん。上でコウ達が頑張ってくれてるぼくたちも」
《空色の。そうはいかないみたいだぞ》
《え? なに? 》
ミーンが間抜けな声をあげた時と、足元で聞きたくない音が聴こえてきたのは同時だった。羽音が足元を通り過ぎ、街へと向かっている。クチビスが壁を抜けていた。
《いつのまに! 》
《あそこだ! 》
セスが指差すと、ごく小さな穴が壁から空いている。その小さな穴から、1匹づつ、整列でもしているかのように出てきている。
《穴をふさげ!! 》
「ミーン! 」
《わかってる! 》
ミーンが一直線に穴の空いた箇所に走り込み、蹴り込んでサイクルを回した。小さな穴に蓋をする。
「ミーン! 僕らはこのまま修繕係だ! 」
《それがいいと思う! 》
「言ったそばから! こんどは左だ! 」
せわしなく動くミーン。穴ができては塞ぎ、穴が出来ては塞ぎを繰り返す。しかしどうしても数匹、間に合わずに見逃してしまう。
「く、くっそぉ! 」
《さすがにキリがない》
すでに何箇所も崩落が始まっている。その全ての穴を塞ぎながら走り回る。だが危機がその後に訪れる。
《な、なんだ? 地響き? 》
《これは、大きい! 》
セスが顔を上げた時だった。さっきまで支えていた場所が突如として食い破られ、セスの前身にクチビスが降りかかった。クチビスの突然の攻勢に訳も分からずにいると、サマナが信じられないものを見た。
「な、なに? こいつら、自分の顎が壊れてる?? 」
セスに降りかかってきたクチビスは、セスに襲って来なかった、それどころかそこで事切れている。見れば彼らの顎は酷使しすぎてすでに使い物にならなくなっていた。そうなるまで、この壁を食い破るのに使っていたことになる。
「そんなになってまで、どうして!」
サマナが叫んだ。その時、彼女だけに見える流れが、その答えの一端を教える。1匹1匹は小さな虫でも、これだけ集まれば、流れの一部を垣間見せる。
「なに? ……捧げる? 怪我をしているから??……セス! 」
《聴こえている! この先になにがあるというのだ》
「分からないけど、この子達、餌が欲しいだけじゃないみたい」
《怒り狂っているのではないのか? 》
「違うの! 悲しんでいるの! どうして邪魔をするのって! 」
《邪魔? セス達が邪魔なのか》
「橋があればいいの! 」
《橋ぃ!?そんなものどうやって……いや、白いのならもしや 》
セスがサマナの言葉を汲み取ろうとするも、近くの叫び声に遮られた。
《ーーッツ!! ーーッツ! 》
「リク! リク!! 」
見ればリクがクチビス達に足を取られ、その体制を崩されている。セスが体にまとわりついたかつてクチビスだったもの達を振りはらり。リクを立たせてやる。
《大丈夫か黄色いの! 》
《ーー! 》
声をかければ、リクは両腕でサムズアップを返してくる。未だにセスはリクの言葉を理解できていないが、彼が元気だと言うことくらいはわかった。
《ならばもう少し気張ってくれ……しかしジリ貧だがなぁ! 》
気を取直し、壁を再び支える。ミーンは引き続き修繕に明け暮れ、リクとセスは2人でこの壁を支えている。後ろに逃してしまったクチビスの事が気がかりだった。
《しかし、どうしろというのだ》
《ーー! ーー! 》
《どうした黄色いの? 》
ふと、リクが驚愕しているように固まっている。力こそ込めているが、その視点が一点から動いていない。なにがあったのかと思うと、ふと壁に意識を集中すれば、ほんのわずかに、しかし確実に壁からくる力が弱くなっているのを感じる。それはクチビスの攻勢が弱まったわけではない。支える側の力が強くなっている
証拠だった。
《しかし、どこから……》
「あ、足元だよセス」
《足元? 》
そして、その原因を見た。ミーロの街の住人が、動ける者達が、いつクチビスが降ってくるかも分からないこの状況で、壁を全身全霊で支えてくれている。人間1人の力は微々たる物であるが、それが、あの準備を手伝った男たち全員だというのなら話はべつだった。彼らはたしかに、リクたちを助けている。
「ど、どうして」
「ここが、俺たちの、街だからだ! 」
「ベイラーだけに任せてちゃ、ガキに笑われる! 」
「お前らが必死にやってるのに、俺たちがなにもしないなんて馬鹿げてるぜ! 」
《しかし危険だ! 》
セスが警告したまさにその時、通り抜けたクチビスが住人に向け襲いかかってきた。まだ顎が動くクチビスが、少しでも進路を妨害するものを排除せんと飛びかかる。しかし、住人たちに覆い被さろうとした時、横から轟音と共に弓矢が飛んできた。それは空中で炸裂し、複数のクチビスを一斉に叩き落とす。
《これは》
「口先だけの代表と思われたくはない」
弓矢を放ったのは、台車を引っ張り狙いをつけていたボッファだった。
「通り越したクチビスはいい! 壁を頼むぞ龍石旅団! 」
「は、はい!」
《は、はは! みたかサマナ! こいつら、悪くないぞ! 》
「うん! 」
《よしサマナ!! 上に行くぞ! コウにさっきみた物を伝える! 》
「わ、わかった! 」
◆
《カリン! 街のみんなが! 》
「手伝ってくれているわ……あんなに怖がっていたのに」
上空でもその様子ははっきりと見えていた。ベイラーの足元で体全身をぶつけて支える住人たち。襲いかかるクチビスを撃つボッファたち。全員がベイラーたちを信じてくれている。
《みんなが、俺たちを……みんなを信じてくれている! 》
「ええ。ええ! 」
コウにとって、それは久しく忘れていた。砂漠にきてからはずっと世界を破壊する者だとされ禁忌され、その事実と、自分の行いとが重なり、どうしても自分を信じられずにいた。自分を信じてくれる存在がこの世にいないのではないかとさえ思えた。それが今、このミーロの街の住人が、龍石旅団の全員が信じてくれている。それに、コウは応えたいと思った。
《俺の為じゃない! 信じてくれる皆がいるなら、俺はぁああああ!! 》
コウの目が赤く輝き、炎がさらに強くなる。
《うぁああああああああああ!! 》
コウの力が、さらに高まる。支えていた壁は、コウを起点にしてどんどん街の外へと傾いていく。コウは高まった力のまま、この壁を向こう側へと押し退けようとしていた。
《これでぇええ》
「だ、だめよ! 」
《な、なんで!? 》
「このままじゃクチビスが壁に押しつぶされる! 」
《でも、どうすれば》
「カリン! コウ! 」
コウの炎の下から、セスがサイクルボードで上がってきた。コクピットから顔を出し、サマナが叫ぶ。
「カリン! この子らは街を襲いたいんじゃない! この先に行きたいだけなんだ! 」
「でも、どうすればいいの? 」
「橋だ! この子たちには橋が必要なんだ! 」
《橋……そうか! 》
コウが何か得心がいったのか、カリンを乗せさらに上空へと飛んでいく。突然の行動にカリンが驚きながら問いかける。半分の疑念と、半分のワクワクが入り混じっている。
「コウ、どうするの? 」
《この街の上にサイクルシールドで橋をかける》
「……この大きさの街を、ひとりで? 」
カリンが確認をとる。村一つだったらまだ可能性はあった。しかしここは巨大な街である。さらには橋となると、支えが必要であり、それはここにいるベイラーではとても賄えない。その意図を汲んだ上で、コウが答えた。
《1人だったら無理だ……でも、今はカリンが居る。カリンだけじゃない。旅団の人たちも、この街の人たちも、ベイラーを信じてくれてる。なら俺は、それに応えたい》
「人にはよく無茶するなって言うくせに」
《ごめん》
「付き合うわ」
一瞬の間が空く。そして思わず間抜けな声で聞き返した。
《……へ? 》
「付き合うといったの。きこえて?」
《……信じてくれるの? 》
「もちろん。あなたは私のベイラーで、私はあなたの乗り手だもの。だから」
カリンが、顔をあげ、コクピットの中でコウと目を合わせた。
「貴方を自身を、信じなさい。」
《……お任せあれ。おまかせ、あれ!! 》
コウが飛び上がる。その上昇は壁を超え、クチビスを眼下に認めるに至る。すでにあれだけいたはずのクチビスはその数を減らしていた。壁に激突した衝撃で命を亡くしたモノがいる。悲しんでいる暇もなく、コウを認めたクチビスたちが一斉にコウへと向かう。
「いくわよコウ! 」
《いくぞカリン! 》
「《サイクルシールドぉおお!! 》」
眼前にと言うよりは、斜めに立てかけるようにシールドを作り出す。坂となったシールドへクチビスが殺到する。その時、ぶつかってきた衝撃を確認したが最後、シールドを、長く細く作り上げていく。
《伸びろぉおおおおおおお! 》
コウが必死にシールドをささえ、どんどん伸びる橋は、さらに長くなる。
《コウ、ナンカヤッテル》
《コウ様は何を!? 》
「シールドを、まるで橋のように伸ばして……」
「クチビスのために橋をかけようというのか! 無茶だ! 」
空にいるレイダが駆けつけようとするも、未だ襲い来るクチビスが壁を打ちこわさんとする。それを見逃すにはあまりに威力が強い。レイダが一喝する。
《坊や! 》
「わかってる! 信じてやれって言うんだろう! 」
橋をかける様子は地上でもよく見えた。
「コウが、クチビスのために橋を? 」
《ーー! ーー! 》
「コウがんばれー!」
「がんばれー!! 」
《応援以外でもセスたちにはやれることがある! 》
「クチビスはまだ壁を押してくる!支えるよ! 」
「修繕は任せて! ミーン! 」
《あいあいさー!》
「ベイラーたちだけにまかせるなぁ! 」
「「「おう! 」」」
旅団の全員が、住人が、コウを信じて壁を支える。サマナがその光景を見ていると、とある事に気がつく。目の前に広がる無秩序だった流れが、一点に集まっていく。その一点は……
「(人の流れが、コウに集まっている……人だけじゃない、クチビスの流れまで!? )」
そして上空で橋をかけるコウにも異変が起きる。巨大な橋を1人で支えているために、ついに関節が悲鳴を上げ始めた。バキバキとサイクルが軋み始める。重くのしかかるクチビスの数は増える一方である。しかし彼はまったく諦めていない。彼だけではない。乗り手のカリンもまた、コウの考えの成功を信じている。
《俺は……俺は……》
込める力が際限なく上がっていく。
《世界を壊さない……壊したくない……こんなに、俺を信じてくれる世界を! 》
そしてついに力が発現する。炎は色を変え、より大きく巨大になる。その色をカリンは知っている。
「これは……緑色の炎」
《いけええええええ! 》
そしてコウは、その炎を、街の外側へ、たった今まで作り上げていた橋へと伸ばした。大きく伸びる炎は、まるで虹のように光を伴い伸びていく。炎であることは変わらないのに、そこに焼ける恐ろしさはない。クチビスがその事を理解すると、緑色の炎の上を、クチビス達が渡っていく。
《いけクチビス達! お前たちの行きたい場所へ! 》
壁に襲いかかっていたクチビスたちがその声を聞き、一斉に橋へと舞い上がった。壁にかかる圧力が次第に弱くなる。街へと流れていったクチビスまでもが空へと飛び上がり、その緑の橋へと駆けていく。
「ベイラーが橋をかけた……」
「炎の、橋だ」
「でも、燃えてないぞ」
住人たちはただその光景に圧倒されている。白いベイラーが、炎でできた橋を架けた。
《炎だというのに、なんて、暖かい》
「……これに、僕らは一度助けられてる」
コウを見つめながら、オルレイトが思い出していく。
「あの炎が、僕らを包んで、砂漠に落ちても誰一人として怪我しなかったんだ……最初はヨゾラがやったことだってコウは言っていたが、今ヨゾラはレイダの背中にいる」
《と言うことはやはり、あの力はコウ様自身の》
「と、言うことになるな……でもまぁ、これで占い師の言っている事は間違ってるってわかった」
《なぜです? 》
「こんな事する奴が、どうやって世界をほろぼせるって言うんだ」
《それも、そうですね》
空には未だ緑色のはしがかかっている。クチビス達が無事渡りきるのに、たっぷり夕方までかかった。人々の目に焼きついたこの光景は、のちに『白い旅木の虫渡り橋』と名付けられ、絵描きによって描かれる事になる。そこには、5人のベイラーに支えられ、1人の白いベイラーが橋をかける姿が描かれている。その橋はなぜか緑色の炎だった。




