渡鴉のベイラー
「そーれ! そーれ! そーれ! 」
「右だ! もっと右! 」
「壁に近すぎる! もっと幅をとれ! 」
喧騒が街の外でひっきりなしに響いている。そこには人の営みが朗らかに行われている光景はなく、誰も彼もが苛立ち、眉をひそめ、歯を食いしばっている。動ける男たちは武器を積んだ台車を運び、女たちはその男たちに飯を作ってやる。どれもこれも、このミーロの街に襲いかかる虫に対する備えのためだった。
「ロープが短いんじゃないのか! 」
「飯はまだか! 」
「少しは休ませろよ!」
ミーロの街はオアシスが近くにあるとはいえ、砂漠にあることは変わりなく、地面から炎が出ているのではないかという暑さの中で作業を行なっている。涼しさを求めて半裸で作業しようものなら、その日照りで肌が焼けてしまい、火傷と同じ怪我をおってしまう。故に照りつける日差しの中では、幾重にもかさなった布で体を隠す他なく、肉体労働をする男達の体は汗でむせかっていた。こんな環境で文句を垂れながらも、だれも逃げ出したり仕事を放り出したりしないのは、この街にやがて訪れる危機が決して夢物語ではない事を知っているからである。
「半分くらいか……武器はどうなってる! 」
「まだ蔵の中だ! 」
「さっさと運びださんと朝になるぞ」
「数を考えろよ! 」
「明日食べる物が無くなってもいいなら逃げればいい。どうする」
「っけ! やってやる! 」
怒鳴り合いが続く。不満を発散しようにもその相手がいない。襲い来るのは自分達と同じ人ではなく、大きさが25cmほどあるクチビス。バッタである。それが大軍を成して食料目掛け襲ってくるのだから、備えをするのは当然である。しかし炎天下の中で作業をするというのは人間にとってストレスがたまる。苛つきを隠せるほど彼らには余裕がなくなっていた。
「この後、弓と、壁と……あとなんだ……何をもってくれば」
「おーい! こっち手伝ってくれ! 車輪が砂噛んじまった! 」
そうこうしていると、今度はこの土地特有のトラブルに見舞われる。台車といっても木製で、多少の砂を噛んでしまえばすぐに動かなくなってしまう。その上乗っているのは超重の武器である弓弩。三重に重なり連射が可能になった設置式の武器が、その場で身動きが取れなくなっていた。
「せーの! 」
「せーの! 」
男たちが10人がかりで動かそうとするが、武器が重すぎるのもあるが、砂を噛んでしまったと同時に、その重さで砂地を掘ってしまい、ハマって動かなくなっていた。
「だーめだ。びくともしない」
「もうここで使えるようにしちまうか」
「そしたら守りが手薄になる」
「もう一個もってくればいいだろう」
「蔵まで遠いんだよ……クソ」
男達は諦めて、その場で使えるように算段をつけ始めた。
「(また、運べなくなったら)」
頭の片隅に浮かび上がる想像が体を固くしていく。疲労が頭の回転を鈍くしていた。滴る汗が砂を濡らしている。額を拭って一歩踏み出した。その時、頭上に影が落ちた
《それ、どこに運べばいいんですか? 》
「……お、おう。あの先だ」
《わかりました》
逆光で顔はよく見えないが、白い身体である事はわかった。聞きなれない木々が擦れる音が頭上を通り越していく。
「ベイ、ラー? 」
「コウ、台車はいいわ。直接持ってしまいましょう。うまくできて? 」
《お任せあれ》
頭上を通り越したベイラーから、若い男女の声が聞こえてくる。何をする気だと問いただす暇もなく、ベイラーは座礁した弓弩に手をかけた。
《よっと》
がこんと台車から外れ、ベイラーが持ち上げる。10人がかりでもてなかった物が難なく持ち上がり、周りで見ていた男たちは空いた口が閉まらないでいた。ベイラーの胸にある琥珀色をした結晶から、女の上半身が出てくる。乗り手だと気がつくのに多少の時間が必要だった。女が名乗る。
「手伝いに来たカリンと申します。そこの方、これを置く方角を教えてもらえて? 」
「……あ、ああ! こっちだ! 」
《あと蔵から何丁持って来ればいい? 》
「ここはあと4丁だ。6丁並べて迎え撃つ」
《そしたら、あとはやりますから、皆さんはご飯を食べに行ってください》
「そ、それは……お前たちはどうするんだ? 」
《これが終わったら行きます。皆さんが返ってくる頃には終わってますから》
白いベイラーがことなげに告げ、武器を支持通りに置くと、今度は振り向いてしゃがみ始めた。
《カリン、蔵ってさっきのだよね? 》
「ええ。リオたちと同じ場所って聞いているわ」
《わかった。そしたら飛んで行こう》
「お、おい飛ぶって何を」
男が制したその時だった。しゃがんだように見えたコウの姿勢は、駆け出すための準備姿勢であり、その場から土煙をあげながら走っていく。5歩分ほど走った時、コウの肩に異変が起きる。赤く塗られた肩がまるで口のように開き、中から炎が吹き上がり、一瞬でコウの身体を空へと押し上げて行った。音だけがその場に響き渡る。静けさが戻る頃には、舞い上がった土煙は跡形もない。ただ空に見える一筋の光が、確かにベイラーが空に居ることを理解させた。
「あれが、手伝いに来たベイラーか」
「すげえ! あっという間に運んじまいやがった!! 」
「俺たち飯くいにいっていいってよ! ベイラーに任せて行こうぜ! 」
男たちはコウに喝采し、我先にと食事を取りにいく。彼らの中では誰も目の前で起こった現象にだれも疑問を持たず、ただ、身体を休める事が出来るのが嬉しく、早く乾きを潤したかった。
「……アイツらがいれば、大丈夫か」
コウの行動は、確かに安心を彼らに与えていた。一方のコクピットでは、カリンがため息をつきながら、仲間たちのことを憂いていた。
「オル達、うまくやってくれればいいのだけど」
《そのために俺たちがこうやって派手に動いてるんだ。信じるしかない》
「こういう時、あの男がいれば役に立つというのに、どこにいったのかしら」
最初は空を飛ぶだけで心踊っていたカリンも、今では慣れが先にきて、着地地点に人がいないかどうかを確認できる程度には余裕があった。
《あの人にだって仕事があるんだろう? 》
「そうなのでしょうけど、手伝いに来ても良くなくて? 」
《それはそうだけど、あの後一度も会ってないし、 忙しいのかも》
「どうだか。甘い物でも物色してるに違いないわ」
そんな世間話をしていると、いつのまにか蔵の前まで来ていた。サイクルジェットから出る炎をゆっくり小さくして、着地の衝撃をできるだけ小さくしていく。
《調節、うまくなったね》
「普段からこのくらい簡単ならいいのだけどね」
軽口を叩きながら、コウがボスンと間抜けな音を出しながら着地する。蔵にいた仕事中の人々がコウの姿に度肝を抜かれてるのを無視しながらカリンが声をあげた。
「手伝いに来たの。運ぶものを出してちょうだい」
◆
《みなさん忙しそうですね》
「街の命運がかかってるからな。そうもなる」
オルレイトとレイダは、街の外れで2人、じっとしている。彼らはカリンからなぜこの街にクチビスが通るようになったのかを調べていた。この喧騒の中、ベイラーであるレイダは目立ちすぎる。こうして街の中で隠れていた。
「無事にホウ族からの物資はミーロに届いたようだ。一体何を届けたのやら」
《ホウ族は施しを? 》
「いや。交換だ。食べ物と、……何か」
《何か? 》
「箱の中に入ってて見えなかったんだ」
レイダの中に入り込み、中にある飲み物を一口。さらにパンをひと噛み。悪いことをしている訳ではないというのに、このように聞き耳を立てて暴き立てる行為に、多少なりとも疲弊している。
《他には何かわかりましたか? 》
「あのボッファについてなら」
《街の長、でしたね》
「その事なんだが、どうも彼が勝手に名乗っているだけらしい」
《……なぜ、そのようなことを? 》
「この街にはいくつかの派閥があって、ボッファは1番小きな派閥のリーダーだ。だがそれを快く思わない連中もいる」
《街で、誰を長にするのかで争っていると? 》
「これがまた面倒で、ボッファ以外の派閥のリーダーは、この街に好かれていない。誰も彼も私腹を肥やす事しか考えていないような奴ばかりだそうだ」
《彼らの事は悪い噂しかないのですか? もっといい噂は? 》
「うん? ボッファに関してはあるが……他のは聞かないな。というかやってることが狡い」
《狡い? 》
「レイダ、奴隷の身分のことは知ってるか? 」
《聞いた事はあります》
「どうやら、この派閥の大きさは、奴隷の数で決まっているようなんだ。1番大きな派閥は、それこそ何十人いる。ボッファのところは人はいないそうだ」
《し、しかしこの街に、奴隷に見える人はいませんが》
「そこだ。なぜかこの街には綺麗な身なりの人間しかいない……奴隷なんて見当たらない」
《なんだか、クチビスのことを調べていた筈が、街の謎を引き当ててしまいましたね》
「いや、そうでもないぞ。この後、街の外で取引がある」
《取引? 》
「ああ。それがかなりきな臭い。ホウ族の占い師が助言をくれたよ」
《助言? 》
「ええと『取引こそがキルクイの餌です』って」
パンをさらにひと噛み。水で流し込んで軽食とする。
《……あの占い師、知っているのに動いていないのですか? 》
「それもまた妙なことを言っていた『それを解決してもクチビスそのものは変わらない』だったな」
《占い師、単にもったいぶっているだけでは? 》
「奇遇だな。僕もそう思う。さて。パンを食べたら少し休む。夜にまた動くから、レイダも休んでくれ」
《はい……張り切っていますね》
「カリンからの頼みだ。これが張り切らずにいられるか」
パンを手短に食べ終えると、次に薬を取り出し、数を二回きっちり確認てから飲み下す。一息ついた後にシートを傾け、眠れるように適した角度まで調節すると、そのまま目を閉じた。
「これ、便利だよなぁ」
《ベイラー病も防げますしね》
「だな。レイダの中で死にたくはない」
《なら、死なないでくださいね? 》
「ああ……おやすみ。また共に」
《おやすみなさい。また共に》
寝息がコクピットの中から聞こえてくる。彼らの一族、それも男の方は得てして寝つきがよかった。
《張り切る貴方はかっこいいですよ》
コクピットを揺らさないように空を見上げる。灼熱を与える太陽ではあるが、晴天には違いなかった。ふと、今いる場所は日の傾きとともに日向になる事に気がつく。
《太陽はゲレーンと同じですね》
コクピットに降りかかる日差しを遮る。それはまるで腹を撫でる母に見えた。
《たまには、私のために張り切ってくださいね。レイダは拗ねてしまいますよ》
レイダが寝息を立てているオルレイトに、少しでも聞こえやしないかと思いながらも愚痴る。親子三代を見続けてきたレイダであったが、このように長いあいだ、コクピットの中で乗り手を過ごさせる事はなかった。同じ姿勢で長時間いるとかかるベイラー病、コウの世界ではエコノミー症候群が起きてしまうからだ。しかし今やその病は、カリンが考案したリクライニングシートによって解消されている。旅の最中でも乗り手は快適なコクピットの中で眠る事が出来るようになっている。
《メヒンナは、オルレイトが腹にいた時、こうしていたのでしょうか》
コクピットを撫でるレイダ。彼女は彼らの一族にずっと惹かれている。それがなぜかは自分でもわかっていない。ただ、彼女の中に最近、ある種の夢がで来た。
《もし、オルレイトの子や、その孫まで、共にいられるのなら、それはなんて……》
そのまま、レイダも眠りに落ちていく。夢を見ることはなかったが、2人ともこれほど安らかに眠れたのも久々だった。彼らが目を覚ますと、ちょうど人々が夕食を終え、眠りにつき始める頃だった。
◆
夜。砂漠の灼熱が嘘のように冷え、人々は早々に眠りに落ちる。日中に活動した疲れを癒すのもあるが、単純にこの極寒で活動するのはあまりに非効率だった。しかしその非効率の極みにあるこの夜中に人影が街でうごめいている。あかりもない中で集まる彼らは、この街の井戸を管理する者達。オルレイトの言っていた派閥とは、井戸の管理者に集まる寄り合いのことであった。だれも彼もが太り、ヒゲを蓄えている。水がなければ生きていけない。彼らはその水を管理する絶対者として街に君臨していた。
「ボッファ。ホウ族どもから品物はもらったのだろうな」
「ここにある。疑うのなら中身を見るがいい」
小太りの男がボッファにキツく当たる。そして我先にとボッファの背後にある木箱を開けた。
「お、おお! これが」
「なんと上質な」
「こんな複雑に加工が出来るものなのか」
中身を見た者達から感激の声があがる。そこにあるのは、調理器具から調度品。果ては鎧に至るまで、様々な物であるが、全て鉄でできていた。
「ホウ族の金物だ……本当に取引するのか」
「反対しているのはお前だけだ。なぜそこまで拒む。すでに我らに武具はいらぬ。ならば、必要な物と交換するのが利口というものだ」
「利口かもしれんが、あまりにも」
老人達が小さな口論をしている中、1人、壁から聞き耳を立てている者がいる。オルレイトだ。
「(取引……ホウ族の連中が作った金物と、一体何を? そもそも誰と交換するんだ? )」
調査がどんどん明後日の方向に行ってしまい睥睨しながらも、結局突き止めた取引場所に来てしまった。そして想像どおりクチビスの情報はまるでなく、目の前に広がるのは権力者達がさらに私腹を肥やそうとしている場面だった。
「(占い師はもったいぶってただけか……帰ろう。カリンにはなんて言えば)」
期待した成果が望めずに帰ることを詫びながらその場を後にしようとしたその時だった。別方向から一団がやってきた。徒歩であるが、服装がその異様さを物語っている。
「(鎧の騎士だ……それも、全身……初めてみた)」
オルレイトの出身であるゲレーンで鎧を全身につける事は少ない。山が多い彼の地では鎧は重りしかならず、かつ国での加工技術が不足しているため、全身を覆う鎧そののもを作れても、着たまま動ける鎧を作る技術がない。
「(すごい。着たまま戦列が組めてる……一糸の乱れもない)」
鋼の色をした鎧騎士達が立ち止まる。そしてその後ろから、これまた珍妙な姿をした女性が現れた。
「この時間ならまぁ涼しいね。物はどこだい? 」
「(……子供? )」
騎士達の前に出てきたのは、リオ達と同じくらいの背丈である子供が、まるで騎士達の主人のように振舞っている。くりくりとした癖毛が幼い印象をさらに加速させている。
「御機嫌ようバルバロッサ卿。このような場所まではるばる」
「お世辞はいいから。早くお見せよ」
「は、はい。こちらにございます」
「(なんで子供に媚びを売ってるんだ? 僕は薬を飲みすぎたか?? )」
オルレイトの頭が痛くなってくる。その場にいる彼女、ポランド・バルバロッサの事が何一つ分からず混乱していた。そんな彼のことなど知らず、ポランドは調度品の数々を見定める。
「まぁ、いい出来だね。金貨はこれくらいでいいかい? 」
「お、おお! みんな見てみろ!! 」
「か、金だぁ! 」
騎士が持ってきた鞄の中には、この土地では一生かけて手に入るか否かの量の金貨が入っていた。
「これでまた奴隷が手に入る……ちょうど氷室に人出が足らなかったんだ」
「俺は商談の護衛を買うぞ! 」
「俺は! 」
「私は!」
各々、金の使い道を考えている。そんな中でオルレイトは聞こえてくる単語を聞き逃さなかった。
「ひむろ……氷をつくるっていう、あれか……氷……水……」
思い起こされるのは、自分達の土地で起きた珍事。クチビスが山から降りて来た時の原因。それは彼らが安心して飲める水場がなくなったことだった。
「まさか、今回もそれが関係してるのか? 氷室か。もしこの街の先に氷室があるなら、それを求めてクチビスが移動するようになったのも納得がいく……でも、10年前は普通だったってことは、また別の要因が……だめだ。情報が少ない。もう少し調べてから」
初めて聞く単語が解決の糸口だと信じながらその場を後にしようとした時、オルレイトは背中側から怖気を感じる。その怖気は、人間が人間に向けて放つある種の感情。それを感じ取り振り向くと同時に剣を抜いた。その判断は正しかったと知る。
響き渡る金属音。耳をつんざくその音は目の前で起こる、大上段からの一撃をかろうじて小剣で防ぎ起こった音。
「(さっきの騎士の1人!? )」
先ほどまで観察していた鎧騎士。その1人が、オルレイトのすぐそばまで来ていた。その目的は邪魔者の排除であることは、息を殺して近付いて、頭上から振り下ろした剣が言葉より悠然と語っている。
「(こいつ、このまま僕を殺す気だ!? )」
一瞬でざわめく取引現場。見つかるのは時間の問題だった。フルプレートの顔面からは表情などは見えないしかし押し込んでくる剣の強さはさらに強くなっている。オルレイトが使う小ぶりな剣では強引には押し返せなかった。
「(ならばぁ! )」
「ツ!?」
あえて、押し込んできた勢いを殺さずに受け流してみせる。腰を使い体をひねって剣閃から逃れる。地面には空ぶった剣が地面を切り裂いた。そのまま、地面に刺さった剣を足で踏み、さらに身動きを取れなくさせる。そして今度は自由になった剣をオルレイトが振り抜く。
「いかな全身鎧でも! 」
全身に包まれた鎧の硬度は剣を弾き、弓を弾く。しかし奇しくもつい先日、オルレイトは対鎧の戦いをしたばかりだった。その体で叩き込んだセオリーを対人で行う。動くために薄手になった脇腹へ、剣を峰にして叩き込んだ。鎧の騎士は肺の空気を強制的に吐き出され咳き込んだ。全身が隙だらけになる。本来ならば追撃を行うべき場面だが、今は状況が違っている。
「逃げる! 」
うずくまって倒れる騎士を尻目に、オルレイトは全速力でそこから逃げ出した。このまま戦い続ければ、たしかにあの騎士1人は倒す事ができたかもしれない。しかし相手はまだ何十人といた。仲間を呼ばれれば袋叩きに会うのは明白だった。
「(レイダのところまで行けばやり過ごせる……でもなんなんだ奴ら。身にまとうものが高価すぎる。それにあの金貨の山……あんな量どこから)」
走りながら疑問を羅列する。解決をしないならしないなりに、疑問を明確にしておければ、解決策がふと湧いてくる可能性もある。
「(金貨……全身の鎧……僕らは何か、大きな何かと戦っている)」
やがて走っていると、もうすぐレイダに出会える距離にまで到達した。希望が見えた瞬間、オルレイトの耳には、聞き慣れた、しかしこの場では聞こえるはずのない音が聞こえて来た。
「この、空気が震えるような音は、サイクルジェット……コウが来たのか? 」
炎が空気を焼き、轟音が空を震わせている。しかし、その音の持ち主が曲がり角から現れた時、オルレイトは今度こそ、状況など鑑みずに叫んでしまった。聞き慣れた音。見慣れた姿。しかし仲間でない。炎をあげる翼が月明かりに照らされ、その姿をありありとみせる。鳥のような姿を一瞬で変え、人の形へと変わり、1つしかない目が怪しく光った。
「アーリィ・ベイラーだってぇ!? 」
見間違うはずもない青黒いその体。それが今目の前にいる。明らかにオルレイトを追いかけて来ており、その目的が捕縛では無い事も、次の行動で理解する。サイクルショットが作られ、オルレイトに向けられた。熟練されたサイクルショットであれば、家屋をやすやすと破壊する威力を持ったそれを、人間に向けて放てばどうなるか、想像してしまった。
全力で逃げるオルレイト。打ち込まれるサイクルショット。1発、また1発と放たれるも、人という的が小さいためにかろうじて当たっていない。だが、1発でもあたれば、致命傷足り得た。
「(隠れる場所は!? 隠れる場所はどこだ!? )」
ここでオルレイトがミスを犯す。サイクルショットに邪魔され、レイダのいる方向へと向かう事が出来なかった。再び街に戻るようなルートを辿ってしまう。ひとまず家屋のからだを滑り込ませ、迫るアーリィベイラーをやり過ごす。中は灯がなく、幸い無人であった。
「(なんでこんな所にアーリィベイラーがいるんだ……もうあの島はサマナのお婆さんがソウジュの木にしたから、誰も生み出せないはずだ……まさか……あの島は、あそこだけじゃない? ほかにもあるのか、あれと同じことをしている場所が……それなら合点がいく)」
現状と、情報が合致していく。そして、最後に、自分が考える中で最悪の想定がなされていく。
「(大きな後ろ盾……資金を持っていて……物が集まって……人が集まる……そんな事が出来る場所なんて……まさか)」
答えを出そうとしたその瞬間、足音がすぐそばまで聞こえてきた。アーリィベイラーの軽い足音が、地面を滑るように一歩一歩近づいてくる
「(まずい。こうなったらレイダを呼んで戦うしか無いのか!?)」
さらに音が近づく。オルレイトのいる家まで、あと3歩
「(仲間を呼ばれる前に速攻をかけるしか……サイクルショットで牽制して、ブレードで……)」
構想を練っていると、ふと足音が止まった事に気がつく。代わりに、ちょろちょろと家の目の前を水音が聞こえて来た。
「(雨でも降って来たのか……それにしては周りが……いやそれより、この香りはどこかで)」
その液体は、家の中にも染み込んできた。しかし不思議な事に、その液体は垂れてきたそばからカチカチと音を立てながら凍っていく。おもわず息をひそめるのも忘れその液体をまじまじと見た。
「なんだこれ……水じゃないぞ……寒い場所で固まる……まさか!? 」
その瞬間、垂れてきた液体から一瞬で炎が上がった。アーリィベイラーの乗り手が低温で固まる油、チシャ油を垂らしそこに火をかけている。一瞬で家屋は燃え上がり、その場を焼き尽くす。
「こんな、こんな事が!? 」
《ーーー面白そうだナ》
オルレイトの身体が炎に包まれそうになったその瞬間、聞いたことの無い声が聞こえたと思えば、身体を強引に引っ張られ、家屋から引き出された。その後、視界が一瞬暗転する。目をつぶった訳ではない。オルレイトの視界が暗黒に包まれた。
「(一体、何が……)」
同時に、意識まで遠のいていく。最後に聞こえた声だけが異様に頭に響いていた。
◆
「起きろ。起きないか」
「……んが? 」
「私がわかるか? 」
「……貴方は……ここは 」
「ミーロの外れにある納屋だ。空飛ぶベイラーはもういない。安心しろ」
声が聞こえるまま起き上がる。そこには生活に最低限必要な物だけ揃っているだけの簡素な作りの部屋に寝かされていた。そして声の主を見上げると今度こそ驚く。
「オージェンおじさん!? 」
「ああ」
「ど、どうしてここに? いや、僕はどれくらい寝てしまったんですか? 」
「落ち着け。まだ夜だ。少ししか経っていない。」
「夜……ええと、助けてくれたんですか? 」
オルレイトがオージェンに問いかけると、たっぷり間を開けた後に、まるで苦虫でも噛み潰したような顔して答えた。
「火が上がる中からな。無茶をしたものだ」
「あ、ありがとうございます。」
「で、何をしていた? 」
「クチビスがどうしてこの街を通るようになったのかを調べていたんです。そしたらあの取引を……オージェンさんはどうして? 」
「調査だ。ゲレーン王の命でな。内容は教えられん」
「そ、そうですか」
「早くレイダを呼んで安心してやれ」
「わかりました……おじさん。ありがとうございます」
「ふん……」
オージェンが立ち上がり、ごそごそと棚の中を漁り始めると、瓶を一つ投げてよこした。中身は蜂蜜で浸かった果物が入っている。
「頭を使った後は甘いものがいい」
「本当に、好きなんですね。ウチの屋敷でもたべてませんでしたっけ? 」
「甘いからな」
「……ありがとうございました。このお礼は、必ず」
「オルレイト」
そそくさと出て行こうとするオルレイト。納屋からでて、共に外にでる。服を正して走り出そうとするオルレイトに対し、オージェンがぶっきらぼうに、しかし丁寧に助言を与える。
「クチビスはこの街そのものには興味はない。その先、氷室のさらに奥が彼らのいく道だ」
「氷室……一体なにがあるんですか? 」
「お前であれば、私の口から答えを貰いたがらないとおもったがな」
「……ええ。そうでした。僕は自分の目で確かめます」
「ああ……行け。姫さまに、くれぐれも無茶はするなと……まぁ言っても無駄だろうが」
「そんな事はないと思いますけど……言っておきます。では。また共に」
「また共に」
オルレイトが頭を下げ、納屋から去っていく。その姿が見えなくなった頃。突然オージェンが怒鳴った。
「なぜ姿を見せた、ナイア!? 」
《ーーーどうした契約者》
突然、納屋の外に、何もなかった場所から物音がし始める。その場は突如蜃気楼のように揺らめき、砂と空気の境目が曖昧になる。そして揺らめきが大きくなると、景色がその場だけ一瞬で変わり始める。砂漠の上に、足を投げ出して座るベイラーがそこに現れた。異様なのはその色。ベイラーの色は単色がほとんどで、上から色を塗る以外は多色になる事が少ない。コウは例外中の例外であった。しかしこの場に現れたベイラーは、色がまだら模様にバラバラに散っている。灰色が主な色であるが、他の色が、背景と同化している。この、ナイアと呼ばれたベイラーには、色というものがなかった。身体の特徴はベイラーと同じだが、バイザーには光が映らず、声もくぐもって男性なのか、女性なのかよくわからない。オージェンを契約者と呼ぶそのベイラーが答える。
《ーーーあそこで、ああすることが、契約者が苦んで面白いからサ》
「貴様……俺との契約があるだろう」
《ーーー契約はやぶってないサ。きちんと見られていない。普通みつからない。もしかしたら声は、聞こえたかもしれないがネ。あの姉妹が例外なのサ》
「……次に勝手に動いたら、貴様もあの家と同じように燃やしてやる」
《ーーーおお。恐い恐い》
「茶化すな! 」
《ーーーでも契約を打ち切らない。そのあたり、契約者を気に入っている。でも燃やされたくないから勝手に動くのは辞めにするサ》
「……ふん。移り里に戻るぞ」
《ーーー拘束と引き換えに、力を与える。契約は続いている。そして、対価も同じ》
「忘れていないとも」
《ーーーそうサ。契約者の重さ。それが拘束の源となる。よく食べなくてはナ》
「黙っていろ……貴様を見ていると虫酸が走る」
《ーーーそれは契約者が見ているこの姿に? それとも契約者自身がかナ? 》
茶化すように両腕を広げる。動くたびにそのベイラーの模様は移ろい、まるで肌そのものがうごめいているようであった。
「いい加減にしろ。さもなくばあの本を」
《ーーーおーッと! それはいけないのサ! 》
おどけた仕草が一変したと思えば、その姿が再び消えていく。砂の上にあったはずの足跡も、座り込んでいたならばできるはずの跡もなにもかも、痕跡が消え、まるでなにも無かったかのように、ナイアと呼ばれたベイラーは消えていなくなった。
「これでいい。これで……」
オージェンはミーロの街へと向かう。再び調査を行うために。傍にはあのベイラーがいつもそばにいた。クリンを助けたサイクルショットも、このベイラーが行なっている。オージェンが時折姿を消せるのも、このベイラーの中に入ることで姿を消す事ができるからであった。
ナイア。姿を消す事ができる異様なオージェンのベイラー。彼がどうやってこのベイラーと出会ったのか、どうやって乗り手になったのか、誰も知らない。




