双子の成長
「なんか、坂が急」
「急だね」
勢いよく飛び出していった双子のクオとリオ。しかし最初の元気はどこかへ行ったのか、すでに疲労困憊だった。それも体力的なものではない。周りの風景が代わり映えなく、かつこの道中で誰一人として村人に出会っていない。その事が彼女らの好奇心をまるで刺激せずにいた。その結果として、2人ともが飽きていた。
「でっかい葉っぱ」
「でっかい木」
「でも岩はないねー」
「なんでだろうねー? 」
一応の変化が見られると、2人して言葉を交わす。そうしないと2人のモチベーションがさがってしまい、操作する手をとめてしまいそうだった。
「ねぇ。さっき言われてた、虫って何に会うのかなぁ」
「虫? ……なんだろ。もしかしてキルクイとか? 」
「えー!? こんなところにいるかなぁ」
当たり障りのない話題を選んで会話を続ける。キルクイとは、この世界での所謂キリギリスであり、文字通りなんでも食べる肉食の昆虫だった。この昆虫にコウは足を食い破られたことさえある。そんな虫に出会ったが最後、リクの大きな体といえどひとたまりもない。
「でも、キルクイって小さな虫をたべるんだよ? このあたりで小さな虫もいないじゃん」
「全部たべちゃってたりして! 」
「まさかぁ……まさかぁ……」
クオが冗談めいて話す。しかしその話を真に受けたリオが周りの風景を確かめ始める。何度も何度も見返しても、やはり生物らしきものを捉える事が出来ない。そのことに安堵しため息をつく。
「もう! 脅かさないで! 」
「冗談なのにー。さっきからぺしゃんこになった虫しかいないんだよ? 」
風景の中にあるのは、木々と草。その中に点々として、なぜか動物に潰されたかのような、名前もわからない小さな虫がいた。目にする数こそ多いが、その存在がこのあたりに獣がいる事の証明になりつつも、よく見ればかなり時間が経過した後の死骸であるため、危険に感じる事はないと2人は判断していた。そのまま雑談が続いていく。
「もしキルクイがいたらリクがたべられちゃうんだよ? それでもいいの? 」
「いるわけないよー! いたらもうリク食べられてるもん」
「まだ食べられてないだけかも……」
「え、ええ……そんなこと」
《ーーー? 》
「リク? 」
「どうしたの? 」
《ーーー!? 》
「何かいるの? 」
ここではじめてリクが足を止めた。周りの風景をさらに注視する。そよ吹く風、揺れる草木。先程から見えている景色に何も変わりがない。目に見える者には変わりはない。
「……おねえちゃん。なんか見える? 」
「見えない……見えないけど、なんか聞こえる」
目には見えないが、耳には聞こえてくるものがあった。それはかすかだが、確かにそこにある小さな音。それは草木の影に潜んで目に見えない。だが徐々に聞こえてくる音が大きくなっていく。
「「リク! 」」
両足を広げて何にでも対応できるようにする。その構えは、この旅で何度もみた、コウとレイダの構えを真似る。肩幅大に足を広げ、腰を落とす。拳は握らず、両手をひろげて、どこから何が襲いかかろうとも大きな腕でその身を守れるようにした。緊張が全身に行き渡り、感覚が研ぎ澄まされていく。未だに音は止まず、それどころか勢いを増してこちらに近づいてきている。
「獣? 」
「でも足跡がしないよ」
「なら、なんだろうね」
ふとリオが音の不自然さに気がつく。獣は足音を立てない時というのは肉食獣側の話である。その体を無遠慮に当てて草木を揺らすようなヘマをすれば、たちまち警戒心の強い草食獣たちは逃げ出してしまう。そのために、獣は草木の間をすり抜ける事はせず、体の間を通り抜ける事ができる細い木々の間や、低い草木の後ろに隠れながら進む。草木をかき分けていく事はあまり多くない。
「でも、ずっと聞こえてる」
だというのに、この獣は先程からまるで楽器を鳴らすかのように草木を揺らしている。まるで獲物を狩る事など眼中にない行動だった。
「ねぇおねえちゃん」
「どうしたの? 」
「もし、ボアボアみたいなのが来たらどうする? 」
「うーん……ボアボアって泳げるかな」
「ボアボアが泳いでいるとこなんて見た事ないよ」
「じゃぁ、ボアボアだったら池まで逃げよ! 池までだったらリクを浮かせてれば追ってこない」
彼女たちがボアボアと呼ぶのは、ゲレーンでのイノシシ、キールボア。雑食性の獣であり、前に伸びる槍状(刺突用の円錐形の物である)の角。ベイラーの盾をも粉砕する脚力を備えた恐るべき動植物である。なお、現代日本に住むイノシシは基本的に海を渡ってきた種がその地で生き残った種であると言われており、事実離島でイノシシを観測する事ができることから、彼らの泳ぎは達者であり、別の世界であるガミネストであってもそれは共通で、キールボアもまた泳ぎが達者であった。さらには、その長く伸びた角を用いて、川の魚を叩くことで失神させ、その魚をたべる習性もある。
閑話休題
「ボアボアじゃなかったら? 」
「うーん……その時考えよ! 」
リオがこれ以上考えても埒があかないと判断し、構えを解かないままリクを静止させる。さらに音は大きくなり、距離が近くなっていることを予感させる。しかしまだその姿は2人とも捉えられていなかった。
「なんでだろう……音ばっかり聞こえる……あれ、クオ、何それ」
「うーん。コクピットに張り付いてるみたいなんだけど」
カリカリと内側から指で引っ掻くクオ。その先にはリクにピタリと張り付いた何かが居た。
「おねえちゃん、これなんだかわかる? 」
「なんか、気持ち悪い」
「でも、どこかで見たことなかったっけ? 」
「うん……えっと、なんだろう。お父さんと、近所のおじちゃんたちと一緒にいる時、すっごくよく見たような気がする」
「お父さんと、おじちゃん達と一緒にいて……よくみた……」
その瞬間、クオの中でその正体が判明し、同時に音の発生源に気がついた。構えは解かず、より遠くに目線を移す。
「クオ? 」
「おねえちゃん、獣じゃない! 」
「じゃぁ、何? 」
「これクチビス! お父さん達の大好きなクチビスの唐揚げ! そのクチビス! 」
「虫!? ……クオ! 今の見た!? 」
「こっちに来る! 」
そして2人ともが、音の発生源を凝視すると、ようやく何がこちらに向かってきているのかを理解した。クチビスという虫であり、本来は鮮やかな若草色をした体で、25cmほどの大きさをしている、この地でのバッタである。人前に出ない臆病な性格であるが、クチビスは時に群となって畑を食い荒らす事があり、作物を育てる者にとっては天敵になるが、幸いゲレーンに生息しているクチビスの場合は、そのクチビスを食べるキルクイ等、上位の捕食者がいるため実害はないに等しい。しかしあくまでそれはゲレーンでの話。この地方のクチビスは性質が異なっているのか、色は黄色と茶色の斑ら模様で、それがまっすぐリクの方向に向かってきている。最初は数匹が草木から飛び出してきて、たまにリクの体にぶつかって転げ落ちていくだけで何事もなく通り過ぎていく。だがそれでも音が鳴り止まない。ふと視線をさらに奥へとやったとき、リクもリオもクオも、3人揃って絶句する。
《……》
「……」
「……」
まさに大郡、ざっと見渡しても、100や200はくだらない程度の数の大群が、森の中から一斉に飛び上がって来ている。羽を大きく広げ草木をかき分け、時に飛び上がり、邪魔な他の虫はその大軍に飲み込まれて足蹴にされていく。25cmの大きさをした虫に何10回も足蹴にされた事で体を潰されている。その光景を見たリオが、先程から虫を見なかったのではなく、クチビス達の進行方向にたまたま居た虫達が次々に居なくなっていたことに気がついた。しかし冷静になるにはその光景はあまりに生理的嫌悪感を刺激しすぎた。
「きゃああああああああ!?!?!? 」
「リク! 逃げて! 逃げてってばぁ!!」
2人の悲鳴とともに駆け出すリク。占い師の元から駆け出してきた時とは違い、必死の形相で駆け出していく。道中にある倒れた木々を飛び越え、進行方向にある巨木をなぎ倒しながらも、迫り来るクチビス達から全速力で逃げていく。
「おねえちゃん! どこいくの! 」
「どこでもいいから走るの! 」
行き先などどうでもよくなりながら走らせていく。逃げる者の本能が働いたのか、やがて光を求めてひらけた場所に出る。森の外へ外へと走って行った結果だった。しかしここはホウ族の移り里。巨大なタルタートスの上とはいえ、端へ端へと走っていけば、いつかは淵へとたどり着く。
「リク! リク! 止まってぇええええ!! 」
《! 》
四本の腕を地面に叩きつけ急制動をするリク。前につんのめりそうになるのをこらえながら土煙を上げていく。体重の重いリクが止まるにはそれなり以上の距離がいる。ようやく体が停止した頃、目の前には荒れ狂う砂嵐。眼下には何も見えず、代わりに足元には崖があった。細かな破片がパラパラと地上へと落ちていく。タルタートスの背中、その淵に知らず知らずのうちにたどり着いてしまう。だが双子は、ここが生き物の上であることまだ知らない。
「おねえちゃん! 飛びこえよう! 」
「でも、向こうが見えない! 」
クオは今、ここは山の中腹で、向こう側にまだ道があるものだと思っている。ゲレーンでの山には似たような箇所もあり、今回もそれであると考えていた。しかしリオは、向こう側に何も見えない事に一抹の不安を覚えていた。
「でもこのままじゃ」
「クチビスって、ベイラー、食べないよね? 」
「そ、そうかもしれない、けど、ずっと追いかけてきてるよ? 」
「……もし、もしね、追いかけてるだけだったら? 」
「ただこっち来てるだけってこと? 」
「だって、リオが始めてクチビス見たとき、リクのコクピットにいたもん。何にもしないよ」
「で、でもおねえちゃん、怖いよぉリクが潰されちゃうよ」
「大丈夫、リクは頑丈だもん」
《ーーー! 》
リクが応えるように4つの腕を天高く突き上げる。その様子を見たクオが、不安を飲み込むように操縦桿を握りしめる。
「わかった。リクが頑張るなら、クオも頑張る」
「うん。……来た! 」
決意を新たにした直後、クチビスの大軍が再び大挙して押し寄せてくる。それも先程よりも数が多くなっている。他の群れと合流し、まるで川の流れのように大きなうねりとなってリクの方へまっすぐ突っ込んでくる。
「リク! じっとしててね! 」
「怖がらないでね! クオも頑張るから! 」
《ーー! ーー!! 》
四本の腕を交差し、体を守るリク。そして、想像より速くその時は訪れた。100や200の羽音がリクの体にぶち当たっていく。時に頭からぶつかって落ち、時に足が引っかかってうまく飛べずに停滞したり、時に仲間通しで交通事故を起こしながら、クチビスの大軍がリクの体を通り抜けていく。その最中も、大軍によってリクの体が徐々に徐々に削られていく。
「リク! 」
「もう少し! もう少しだから! 」
黄色い破片が足元に散らばりならが、それでも耐えるリク。何匹か衝突の際失神したのか足元でピクピクとしている。永遠にも似た一瞬。最後尾にいたクチビスがコテンとコクピットに真正面からぶつかり、落っこちながらも再び羽音を響かせて空へと舞い上がった頃、ようやく終わりを告げた。
「……なんともないね」
「うん。なんともない」
「リク、大丈夫? 」
《ーー! 》
「よかったぁ」
「頑張ったねリク」
リクが元気に返事を返す。多少肌が削れた以外は特に外傷もなく、体のどこかが欠けていることもない。
「今の、なんだったんだろ」
「どこいくのかな。あのクチビスのみんな」
「……戻る? 」
「うん」
クチビスが飛んで行った方向に行くのはやめ、双子は元来た道を一旦引き返す事のした。その背後で一瞬砂嵐が止み、崖の向こうには何もない事があらわになるが、それを3人は見る事はなかった。
◆
「坂に、ちっちゃな谷に……なんだろうねこの山」
「お父さんは山に入ったら川を見つけるのがいいって言ってたけど……」
「さっきの池に続く川しかないね」
「それもぜーんぶちっちゃい川。このお山が小さいのかなぁ」
その後、元来た道を戻るも、池の方角が見えては元に戻って山に入り、少し回って川を見つけて下流に行けばまた池に戻り、再び山に戻って探索しを繰り返していた。
「クオ、さっきの占い覚えてる? 」
「ええと……虫にあって、そのあと……なんかに会う」
「うん。そのなんかってなんだっけ」
「……わかんない」
「リオもわかんない……でも、占いやってくれたおばさん、虫に会うっていうのは当たってたね」
「そしたら、そのあとに会うのも本当に当たるのかな……でもなんだっけ……何に」
クオが必死に思い出そうとしている最中、今度はリオの耳に、聴き間違えではない音が入った。
「クオ! リク! 何かくる! 今度は虫じゃない! 」
「こっちからは見えないよ! 」
「……あれ! あれだよクオ! 」
わかりやすい変化が視界の中で現れる。草木を強引にかき分け、一直線にこちらへとやってくる獣。二本足の跳躍でリクへと飛びかかってくる。
「リク! 」
「やっちゃぇえ! 」
リクが大振りに拳を振るう。するとその獣は空中であるにもかかわらず、拳に対応するかのように攻撃を合わせてみせる。リクの拳と、その獣の攻撃がぶつかりあい、反動で獣が飛び退いた。
「リクのパンチが! 」
「おねえちゃん! あれ! 」
リクの拳をみれば、まるで判子を押されたように丸いくぼみが出来上がっている。その獣もまた、ゲレーンでは有名な、かつ、出会ってしまうと最悪な状況である事を認識せざるおえない存在だった。
「キルギルス!! お父さんをいじめたやつ! 」
二本足の恐竜といった外見であり、鋭い牙が並ぶ肉食。目を惹くのは、獲物を押さえつける為に進化した結果、獲物を殴り殺すように発展した鉄槌状の前足が特徴であった。眼前にいるのは体長は4mほど。ベイラーよりは小さいが、人間からみれば十分巨大だった。
「でも、一匹ならなんとか……」
「おねえちゃん! 右から! 」
「SHAAAAAAA!!! 」
右方向から襲いかかるキルギルスの拳が振り下ろされる。警告が功を成し、間一髪で二本の腕で防ぎ、もう一本の腕で反撃しようとした時、視界に新たな影を見つける。
「違うクオ!もう一匹いる! 」
今度は警告が間に合わなかった。左方向からきたキルクイのしなやかな尾による攻撃がリクの腹へとしたたかに打ち付けられ、後ろへと吹き飛ばされる。倒れる事はないが、それでもコクピットの中での激しい振動は避けられなかった。
「キルギルスが、3匹……」
「どうしようおねえちゃん」
ギラリと光る牙を見せつける三匹のキルギルス。ベイラーの中には彼らにとってのご馳走がある事をわかっているのか、それとも縄張りを侵されて怒っているのかはわからない。ただ、この場から逃げ出せそうにないのは確かだった。
そして容赦ない攻撃が始まる。一匹が上空から、他二匹目が左右からそれぞれ襲いかかる。鉄槌状になった両拳を振り下ろすキルギルスと、リクの足に向かって嚙みつこうとする二匹。拳を防げば足を、足を浮かせれば拳を喰らうような、見事な連携を見せつけてくる。
「クオ! 足あげて! 」
「わかった! 」
言葉少なく指示をだすと、4本ずつある手足を起用に動かし始める。まず噛み付いていくる足2本だけを浮かせ、二匹のキルギルスを素通りさせる。前足二本足で体を支えるように、まるでバイクのウィリーのような形になる。そして拳で殴りかかってくるキルギルスに対しては、別の武具で対応する。
「「サイクルシールドぉ! 」」
舌ったらずな言葉で叫ぶと、リクの眼前に大きな木の板が生み出された。盾として生み出されたそれは出来上がるのに少々時間を要し、キルギルスの攻撃にはギリギリ間に合う形となる。しかし、強度は褒められた物ではなく、あっけなく砕かれて破片が飛び散ってしまう。だが、この盾は守る為に生み出したものではない。
「「せーの! 」」
《ーーー!! 》
舞い散る破片に隠れて、リオに操作権のある腕がまっすぐキルギルスの顔面へと叩き込まれる。前歯の何本かが折れ、木々へと突き刺さった。手痛い反撃をくらい、後ずさるキルギルス。これ幸いとリオとクオがが叫ぶ。
「後ろに下がる!」
「リク! スキップ! 」
返事をするでもなく、行動ですぐさま返すリク。来た時の同じように一瞬で跳躍してみ、キルギルスと距離をとってみせる。だが、その場に予想だにしないものを見てしまった。
「これなんとか……なん……」
「おねえちゃん、コレ……」
跳躍し茂みの向こう側へと行った事で、別の風景がそこに広がっていた。目の前のキルギルスが行ったであろう狩り。その残骸が、たまたまそこにあった。虫が湧いており、羽音がうるさく響いている。まだ時間が経っていないのか、鮮血が地面を濡らしている。
「……死んじゃってる」
「もう、動かないね」
「もう、動かない……死んじゃったら、獣も動かない……なら……」
死に絶えた生き物の死骸を見つめるリオ。自分たちの両親が持ってくる獣は、すぐに食べられるように血抜きをしてあり、生々しさを感じさせないように彼女らの父が家に持って帰る時は細心注意を払っていた。彼女たちはまだ、獣を狩った直後の姿を見たことがない。漠然と生き物は狩ると死ぬ。としか認識していない。こうしてまざまざと死体を見るのは初めてだった。そして、その死体を見たことで、双子にある記憶が半数される。それは先の、あの黒いベイラーが現れたアジトでの戦いの折の事。凶悪な武器によって仲間の1人、ネイラとガインが動かなくなってしまった。
彼女たちはまだ、その動かなくなったという事が、死んだということを理解していなかった。漠然とまた出会えるだろうとしか思っていない。しかし今、この状況で、まだ死んだばかりの死体をみて初めて、生き物が死ぬという事を理解し、そして理解した故に、混乱した。
「死んでる……ネイラも……ツルツルもそうだったんだ」
「おねえちゃん……やめてよ……そう言う事言わないでよぉ!」
「ツルツルはあの時、寝ちゃったんじゃないんだ……ああやって動かなくなっちゃったんだ」
「おねえちゃん、おねえちゃん! 」
「もう、もう、会えないんだ……動いてるネイラには会えないんだ」
《ーー! ーー! 》
リクが鼓舞するように叫ぶも、2人とも混乱して動かない。この土壇場で死の概念を理解し、溢れ出る涙で体が言うことを聞かず、事実を受け止めきれずにいて、ついには操縦桿を離してしまった。がくんと力が抜けていくリク。しかし人間の都合などお構いなしに、獣たちは襲いくる。リクに向かって身もよだつような咆哮を浴びせる三匹。もう殴る事さえ飽き飽きしたのか、直接噛み砕きにくる。疾走してくるキルギルスに為すすべもないリクをよそに、二匹が4本あるうちの2本を噛みつき、残りの足を鉄槌となった拳で強引に押さえつけた。ジタバタと暴れるリクに向かって、最後の一匹が、コクピットに向かって両腕を振り上げる。無論防ごうとするが、中にいる双子が操作する気配がない。力が入らず防御できる状態じゃなかった。
「ねぇ、だれか教えて……リオもそうなっちゃうの? 」
「やめておねえちゃん……そんな事考えないでぇ」
「リオ、怖いよぉ……動かなくなっちゃうの怖いよぉ」
「クオも怖いよぉ……だれか。だれか」
1発目の攻撃がコクピットを襲う。衝撃は全身に伝わり、双子は強く体を打ってしまう。それでも、悲しみに打ち震えて反撃も、ましてや防御などできなかった。ひたすらに怯え、恐怖している。ただ、2人とも、のぞみは捨てていない。
「だれか……助けて……助けてよぉ」
だれかがくると思っている。しかしここは山の中。助けを呼んだところでだれかが聞いてくれるような場所でもない。ましてやキルギルスから身を守ってくれるような人間はこの場にはいなかった。
「やだ、やだよぉ、ナット、たすけてよぉ! 」
リオが、ナットの名を呼ぶ。助けてほしいと願ったのは、憧れの姫さまでもなく、遊んでくれるコウでもない。惹かれている少年に、来てくれる訳は無いと心のどこかでは思っているが、それでも願わずにはいられなかった。キルギルスがもう一度その拳を振り上げる。如何にベイラーのコクピットが丈夫でも、何度も何度も叩かれればひび割れも傷もできる。そして両足はすでに半分ほど噛み砕かれつつあり、逃げることも、その身を守ることも叶わないでいた。
「SHAAAAAAAA!! 」
おお振りに拳を振り上げるキルギルス。中の人間を引きずりだして食事にありつくことしか考えていなかった。これほど無防備な獲物を前にして興奮しない獣などいない。それは同時に、獲物を狩る為に視野が狭くなった肉食の欠点だった。
「サイクルキックだぁああ!! 」
《はぁあああああ!! 》
リクの体に乗り上げていたキルギルスを、空色をしやベイラーが全体重の乗った飛び蹴りをお見舞いさせる。ベイラーの体重が乗った蹴撃の威力は獣にとって致命傷となりえ、事実今の攻撃でキルギルスの肋骨の数本が砕かれた。痛みにのたうち回るキルギルス。はためく外套がそのベイラーの存在をありありと示し、同時に雄々しさを感じさせた。双子が声をそろえて思わず名を叫ぶ
「「ナット!! 」」
「探してみればコレだ! まったくもう。帰ったら姫さまに怒られてもらえ」
「ナット、どうやってここに? 」
「占い師に教えてもらった。今はこの辺りにいるだろうって……話は後だ! ミーン! 」
《はいはーい! 》
「1発ずつでいい! 兎にも角にもここを離れる! 」
《わかったー! 》
ミーンが朗らかに返事する。その陽気な声とは裏腹に、疾走を開始するミーン。通り魔的に残りの二匹を蹴り飛ばし、さっきほどからのたうち回るキルギルスと同じところへと吹き飛ばす。ドミノだおしのように重なりあうキルギルス達。そしてそこに、全力疾走で向かっていくミーン。
「わるいけど遠くに行ってもらう! 」
《ナット、いける! 》
「アレを試す! 」
《はいはーい! 》
ミーンの目が赤く灯り、さらに加速していく。そして最高速度まで達すると、三匹のキルギルスに向かって跳躍した。両足を揃え、足をたたみ、目標に脚力を最大限の力で叩き込む準備を空中で一瞬のうちに終える。たたむことで足のバネを使えるようにし、両足を揃える事で点ではなく面で威力を伝えることができる。キックであることには変わりないが、この新たな攻撃にナットはすでに名前をつけていた。
「サイクルジェットキック! 」
《せいやあああああ!! 》
コウの肩にあるジェットから名前を取ったその技を、三匹のキルギルスは真正面から受けてしまう。技の実情としては、全力疾走した上で全力で飛び上がって全力で蹴り込むだけの攻撃であるが、ミーンの脚力を最大限に生かした、かつ飛び蹴りという繰り出した直後には隙が大きいつかう局面が難しいこの技をこれ以上ないタイミングで放ってみせる。そして、両足を叩き込まれたキルギルスが凄まじい勢いで吹き飛ばされ、巻き込まれる形で他のキルギルスも吹き飛び、草木の向こう側へと行ってしまった。断末魔ではなくとも、痛みによる咆哮が森の向こうから聞こえてくる。だがそれ以上の声も、ましてや追撃もなかった。着地しあたりを見回し、安全を確認するナット。
「……追い返せたか。ミーン、ちょっとリクの様子みてきていい? 」
《足をやられたみたいだから、行ってあげて》
ミーンが足を投げ出すように座り込み、ナットが降りてリクの元へと向かう。リクの足は幸いまだ砕かれておらず、歩く事くらいはできそうな状態だった。しかしそれより酷い状態だったのは乗り手の方。いつのまにかコクピットから降りて、2人いともリクのそばでうずくまっている。ナットを認めると、いままで胸の中で留まっていた言葉達がするすると溢れ出て行く。
「ねぇナット。ツルツルって……ネイラって、死んじゃったの? 」
「……知らなかったのか」
「ううん。知ってたの。知ってたけど、分からなかったの。獣を狩れば、死んじゃうけど、リオ達はお肉を食べれる。でもネイラが死んじゃってもリオ達には何もなかった」
「人間が死んじゃったからね」
「……もう、ネイラは遊んでくれないの? 」
「うん」
「もう、あのおっきな腕にぶら下がったり、怪我の治し方教えてくれたり、変な顔して笑わせてくれたり、そう言う事、できなくなっちゃったの?? 」
「うん」
「リオね、いま初めてわかったの。これが、死んじゃうってことなんだね」
「うん」
「……リオね、泣き虫じゃないんだよ? でも、さっきからずっとないちゃうんだ」
「いいだよ。人が死んじゃったら、そう言う風になるんだ」
「ナットも、なったことあるの? 」
「ある……僕も、おじさんが死んじゃったこと、あるから」
「そう、なんだ」
一瞬、森の中が静かになる。だがそれは、子供がどうしていいか分からず、行動を決められなかったから。そして行動を決めると、すぐに静けさはなくなった。
「……うう……うう」
「ネイラ……ネイラ……」
2人とも、ふらふらと立ち上がり、ナットのそばによる。年齢はナットの方が上であるが、成長期の関係でまだ身長差はない。だが、その目は涙でぐちゃぐちゃ担っている。
「ネイラが、死んじゃった……死んじゃったんだよぉ……」
「ああ……あああ……あああ!! 」
リオが口にした言葉の直後、双子の涙が決壊した。わんわんと泣き出して止まらずにいる。ナットはどうするべきか考えるよりさきに、だれかが泣いている時にするべき事を、自分が泣いた時に同じようにしてくれた大人と同じ事をする。
「うん……死んじゃったんだ」
「うぁああん!! うぁああああああああ」
「ヒッグ……ヒッグ……ああ! あああ! 」
2人を抱きしめる。服が涙と鼻水でグチャグチャになることも厭わず、ただ気の済むまでそうしていた。この方法を教えてくれたは、ナットの育ての親である叔父であった。
「人が死んじゃった時は、そうやって泣いていいんだ……いいだよ」
そしてナットもまた、もう二度と会えない2人に涙が止まらなくなる。3人の子供はまだ幼いが、今日ここで、人が死ぬ事がどう言う事か理解し、そして悲しむ事ができるようになる程度には、この旅で成長していた。3人が泣き止む頃には日が暮れており、迎えにきた占い師がその場で見たのは、泣きに泣いて疲れ果てて疲れて眠る3人の姿であった。




