旅路の途中で
長かった第4部もこれにておしまいです。
嵐がやみ、空には平穏が戻った。激しい雨は止み、波は静まり、風はそよぐ平和が再び訪れる。龍は海の国サーラに上がることなく姿を消し、誰も行く末を見る事は出来なかった。漁師達は船を出し、普段と同じように網をはる。船大工達は船を作る。いつもの変わらぬ日常がいつものように繰り返される。
しかしいつもと違う物もある。海の上で大きく帆を張り、全速力で向かう一隻の船。サーラが隣国ゲレーンから授かった木々をふんだんに使った豪華客船。大きな一隻の横に二隻の船が寄り添うように組み上げられ、上からみれば三隻の船が並んでいるように見えるその船は、細部の工芸も相まって、まさに豪華絢爛である。さらにはその強度もサーラの国一番であり、軍艦としての運用も視野に入れらていた。その船が、持てる力を全て使って、全速力でとある島に向かっていた。
「王! 島が見えてきました!! 」
「分かっている! 」
大きな襟を立てながら指示を聞き逃さんと兵達が走り回る。船の中心部。操舵室のある艦橋で、若い王が苛立ちを抑えながら答えた。サーラの王、ライ・バーチェスカ。この船の指揮を行なっている。
「すまないゲレーン王。私が止めなければならなかった」
「気にめさるな。クリンがそうなれば私でもとめられんよ」
となりに悠然と立つもう1人の王。ゲレーンの王であり、カリンとクリンの父、ゲーニッツ・ワイウインズ。諌めるように、それでいて自身にも経験があるかのような口ぶりで話した。
「それはカリンもだ。やるべき事を見つけたら脇目も振らずに全力を尽くす。こうなれば誰であろうと止められん。本当に彼女らは母に似たものだ……あれか」
ライが顔をあげ、その島を見る。一斉に号令をかけようとするが、その光景に息を飲んだ。
「あれが島?……あれはどうみても」
「いや、あの木は我が国にもある。間違いない」
息を飲んだのは王達だけではない。乗組員全員が驚いていた。
ひとつの国ができそうな大きな島に、真っ白い幹をした巨大が何かに煽られたのか、その身体を大きく横に曲げながらも、たしかにその場で根付いている。島は巨木を支える鉢植え程度の役目でしかなく、しかし天を目指して伸びていた。すでに青々とした葉をつけている。幹には鳥達が羽を休めに立ち止まっていた。
「あれが、ソウジュの木なのですか? まるで天と海をつなぐ橋のようだ」
「小さな島で、それもあんな大きく育つとは。我が国の城と遜色のない大きさだ」
「ロペキス! 上陸はできるか! 」
檄を飛ばすよな指示に一瞬縮みあがる、クリン直属の従者が震えながらしかし芯を持って答える。
「できます! しかし上陸先、なにか山のような物が見えます! どうしますか? 」
「すでにソウジュの木があるのだ。いまさらこの島の何に驚けというのだ。総員!上陸するぞ! 」
「「「応!! 」」」」
王の号令に対応する。訓練された洗礼さで素早く準備は行われ、浜辺についた頃にはすでに先鋭が上陸を終えていた。殿を取る形でライとゲーニッツが並んで降りる。上陸すればするほど、この島の異様さが目についた。
「焼け焦げた後だな。火事か? 」
「な、なんだこりゃぁ! ベイラーの腕だ!? こっちには足もある! 」
「こっちは薬を混ぜたみたいな匂いがしやがる! かぁーくせぇ! 」
「なんでこんなとこにクラシルスがあるんだ?? 」
まるで統一感のない島の現状が、まるで迷宮のように続いている。1つみつければひとつ迷い、1つみつけてまた迷いと、誰もこの島で一体何が起こったのか理解できなかった。そうして歩みを進めると、全く別の種類の驚きがそこにあった。
「遅かったじゃない」
そこには、クリンがうなだれながら座っている。その目は疲れているというより、成し遂げるはずのことをなしとげられなかった事への後悔がにじみ出ていた。
「全員は叩きのめせなかったわ……ほんと。何も出来なかった」
「そうか」
ライが一足先に前にでる。けっしてほかの者たちが前に進めないわけではない。ただその光景に、今度は足がすくんでいた。クリンの足元にあるものに気を取られて身体を動かせずにいた。
「大丈夫。殺しちゃいないわ。全員峰打ちよ。まぁ骨は何本も砕いたけど」
「ああ。上出来だとも」
クリンは、打ちのめした敵で山を作りその上で待っていた。足元から時折聞こえるうめき声が彼らがまだ生きている事を理解させる。同時に、このような状況でもまだ死なせてもらえない事に、彼女の部下であるロペキスは敵でありながら、彼らに憐れみを覚えていた。
「ああ、でも空飛ぶベイラーが逃げてったわ。さすがに飛ばれると厄介ね」
「もういい」
「おかげで武器も壊れちゃった。せっかくお気に入りだったのにまた作ってもわなくっちゃ」
「クリン。もういいと言っている」
無抵抗で倒れる人間の山の下で、ライが両手を広げて待つ。その姿を見たクリンが、俯く顔をあげて、その胸へと文字通り飛び降りた。ライは回転をかけながら勢いを殺し、かつクリンを逃がさないように掴む。懺悔は着地の落ち着いた頃に始まった。
「何もしてあげられなかった……私が来た時にはもうあの子はいなくって……でもこいつらが逃げようとしてからから、全員捕まえたけど時間かかっちゃって」
「そうだな。体調が優れなかったのだろう? 」
「ど、どうして知ってるの? 」
「君は手加減したといった。手加減しているなら敵の骨を何本も折らないからだ。加減をまちがえたな? 」
「……ごめんなさい。ひたすらに気持ち悪くて」
「そう言う日もある」
「でもカリンもコウくんも、他のみんな全員がいないの。どれだけ探してもいない……なのに私に襲いかかる奴らばっかりみつかる嫌になっちゃうわ。全部返り討ちにしてやったけど……駄目だったわ」
告白が涙とともに溢れ出る。
「私、あの子に、また何もしてあげられなかった」
「大丈夫だ。カリンにはベイラーがいる。他の仲間達もそうだ。嵐で海の上に打ち上げられても浮かんでいられる。海賊の娘が潮を読んでまた戻ってくる……そうでなくても、海を渡れれば帝都で会える」
「ありがとう……でももうちょっと、他に慰めの方法がなくって? 」
「悲しんでばかりいられないんだ。我々は」
肩を抱きとめながら、国の兵士たちに凛とした声で話す。
「あと、ごめん。やっぱりまだ気持ち悪い……ちょっと横にならせて」
「いいとも」
返事を待たず、ライがクリンを抱える。所謂お姫様抱っこ。
「横にならせてってそう言う意味ではないのだけど」
「駄目か? 」
「……もうちょっとだけなら。本当に気持ちわるいのよ」
「分かった分かった。……さて」
最愛の妻との会話を惜しみながら、兵達に指示を飛ばす。
「我らはこれより本格的に帝都へ向かう……カリンの安否が気になるが、今確認できる術が」
「あるわよ」
その時、遠くから声が聞こえてくる。透き通るような美しい声が陸以外の所から聞こえた。波打ち際から聞こえるその声の主を探し当てた者から、今度こそ腰を抜かして動けなくなっていく。人間よりも大きな体躯。宝石のかがやきを持つ肌。波を切り裂き進むために大きくなった胸ビレ。波打つ髪は海水で濡れていても軋みひとつない美しさを持つ。しかし、下半身と上半身で身体の構造が違っている。
「カリンは龍の羽ばたきで飛んでいってしまったのよ」
「あなたはまさか、シラヴァーズ、か? 」
「ええ。私はカリンの恋人……にはなれなかったから、お友達よ」
下半身がイルカ、上半身が人間の身体になっているシラヴァーズ。名前をメイロォと言った。心を読むことのできる彼女がここにきたのは、事の顛末を伝える為であった。同時に、彼女は確認をしにやってきた。
「ここにサーラの王様はいるかしら? 」
「それは私だ」
「あら。ずいぶんと若いのね。大変でしょう」
「充実はしているな。しかし、シラヴァーズに用を作った覚えはないのだが」
「ええ。あなたにはないわ。でもあなたの国にはある」
海から一瞬で跳ね上がってでてくる。着地と同時に水しぶきがあがり、あたり一面の兵を水浸しにしてみせる。同時に人間との体躯の差は明らかにした。身長だけでも2倍はあり、体重に至っては4倍ではきかないほどの差がライとの間で生まれている。体格差でどうしても見下すような形になりながら、メイロォが問いかける
「あなた、レイミールという名をご存知? 」
「レイミール? 知っているとも。彼は我が国で始めて造船所をつくった賢者だ」
「ぞうせんじょ? 何よそれ」
「船をつくる施設だ。大きな船を作るために彼がこしらえた」
「船? なんでそんなものを? 」
疑問が彼女を包む。ライが嘘を言っていないのは心を読んで分かっている。だからこそなぜレイミールが造船所を作ったのか理解できていない。だがそれも次の言葉を聞くまでだった。
「彼は、海で会いたい人がいるからと言って聞かなかったそうだ。昔遭難したところを誰かに助けられ、再び会う約束をしていたが、当時の小さな手漕ぎ船ではとても遠くまでいけなかった。だから彼、レイミールは造船所を作ったと聞いている」
「会いたい人? で、でもなんで海に出なかったの? 」
「彼が海に出るには、造船所を作るのにあまりに時間をかけすぎた。沖まで行ける丈夫な船が出来るころ、すでに彼は海に出れるほどの年齢ではなかったそうだ」
「そんな……そんなことって」
「彼には妻子もいた。婚姻の理由も語り草だったな」
「理由? 愛しあっていたのではなくって? 」
「これは、ゲレーンの方にはぴんとくるらしいのだが……わたし達にはよくわからない。彼は元はゲレーン生まれである事も関わってくるのだろうが」
「いいから早く言って」
メイロォが急かす。それは半分の期待と、半分の諦め。何一つ嘘を言わないこの王の言葉に耳を傾けられるのは、半分の諦めを信じ、何も驚かないと心に決めていたから。だから、次の言葉をきくまでまるで信じられなかった。
「俺の子孫が彼女に会うために結婚してくれ。彼はそう婚姻を申し込んだらしい……こんな話だから、サーラの女性からはあまりいい評判がないのだ。レイミールという名は」
「……その、彼女の名前は、わかる?」
意を決してきく。嘘を一瞬でもまぜたら首を跳ねてやると決意しながら、それでも一抹の期待を胸に抱かずにはいられなかった。そして、名前を聞いた。
「メイロォ……海でまつ彼女の名はそう言う響きの名だ」
「嘘、じゃないのね」
「もちろんだとも」
「嘘、じゃないのね……ああ。もう。なによ。結局わたしが1人で悩み続けただけだったのね。あーあ。もう……やになっちゃう。本当に。ねぇ」
呆れたような声とは裏腹に、笑いが止まらなくなる。どうでもよくなったという投げやりな感情ではなく、ただ、納得のいく答えを得たことで溢れ出る笑い。だが笑っているのに同時に涙が出てくるのは、メイロォにとってもうレイミールは会う事のできない人物であると完全に理解できたからであり、笑いがでるのは、その子孫に、メイロォは幾度となくちょっかいを出していた事に今更ながらに気がついたからであった。その姿は幼い少女のように明るく、しかし儚げで、サーラの兵士たちが何人か一瞬で恋に落ちてしまうほどだった。
「あーあ! 笑った笑った。ほんとうに、嫌になっちゃったわぁ」
「それにしては随分たのしそうだったが? 」
「そうかしら。さてサーラの王様。わたし是非お礼がしたいの。恋人にならなくてもいいわ。ただ、貴方達に、安全な航路を教えてあげる」
「安全な航路? そんなものがあるのか? 」
「ええ。かつて海賊達に教えたちょっと古い、でもたしかな航路。魚も取れるし、島を転々とできる貴方達がいくのは帝都なのでしょう? なら大いに役にたつわ」
「それはありがたいが……だがなぜそこまで? 」
「なぜ?だってカリンはわたしの友達なんだもの。それが理由では駄目?」
「いいや。素晴らしいと思うとも……よければ、この島で何が起こったのか教えてくれないか? 」
「ええ。全部ではないけれど、それでいいなら」
こうして、200年以上の時を経てメイロォは恋人の行方を知った。同時に友人の行方は分からなくなるも、今生の別れではない事を直感している。朗らかに笑うメイロォを見て、父であるゲーニッツも心配をしていない。決して娘の事にかんして無関心な訳ではない。ただ、自分の娘がこうして友人を作り信じている事の嬉しさが優っていた。
「カリンはいい友を持った……だが人間以外にも出来るとはさすがに予想していなかったぞ」
ゲーニッツ関心しているのもつかの間。クリンがライの胸の中で苦しみ始めた。
「ごめんなさいライ。やっぱり下ろして。冗談ではなくって」
「そこまでか? どこか怪我を…… 君に怪我を負わせる猛者がいたとも思えないが」
「失礼ね。1発も貰ってないわ……でもなんだか……酔ってしまったみたいで」
「酔った? 何にだ?」
「さぁ……とにかく、戻しそうなの……うぅ」
「分かった。従者のもの! あーロペキスが居たか。こちらに! 船酔いの薬を」
「は、はい! ロペキスこちらにいますとも」
ロペキスが手早く準備し、岩陰へとクリンを誘導する。その普段とはあまりに違うクリンの様子に、ライが冷や汗を隠せずにいる。だが同時に、別の種類の汗をゲーニッツがかいているのを、メイロォは目ざとく見つけていた。
「流石のクリンも疲れが出たか。まぁこれだけの人数相手ならそうもなるか……ゲーニッツ王。私は帰ってから滋養にきく薬を用意させます。今晩は貴方のそばでクリンを寝かせてやってください。私は少々この島で調べる事がありますので」
「あ、ああ! そうだな! そ、それがいいと思うぞ」
「……ゲーニッツ王? 」
「な、なんでもないとも! ああそうだとも。心づもりはしていたからな! いつかは来る物だと! 」
「さっきから何をおっしゃっているので? 」
「教えてあげればいいのに」
メイロォが頬杖しながら応える。その顔は、これからいたずらをする子供のソレと同じ顔をしていた。タチが悪いのは、そのいたずらは必ず成功するものだと、ゲーニッツの心を読んで分かっている所であった。
「彼女、身重よ。仕草がおんなじなんでしょう? 貴方の奥さんの時と。よかったわねぇ。貴方おじいちゃんになれるわよ」
「……」
…………
……………………
「だれか水を持ってきてくれませんか! 手持ちの水じゃ足りなくって……どうしたんです? 」
ライの狂乱っぷりは、その後メイロォの手によって余すことなく語られた。最初の犠牲者はロペキスである。強烈なハグによって全治1週間の怪我を負った。
そしてサーラがこの後、1週間お祭り騒ぎであたったのは言うまでもない。
◆
《……どこだここ? 》
うつ伏せの状態から立ち上がるベイラーが1人。緑色をした身体をもつ彼が立ち上がろうとする。しかし傷だらけと言う言葉では生温いほどの裂傷の数々を抱えた彼は、思うように立ち上がれず、膝立ちでその場に佇む。彼の名はガイン。あの嵐で黒いベイラーのアイと共に吹き飛ばされていた。その彼が着地した場所に、アイはいなかった。すでに右腕はなく、半身もかろうじて形を保っているような状態だった。
《あったけぇなぁ……南の方に飛ばされたのか? 》
足を踏ん張り、どうにか立ち上あがる。いたるところから軋みがあがり、動く度に破片が舞い散りながら、仁王立ちになって着地地点を見極めた。しかし自分がどこにいるのかがまるで分からない。原因はその風景にあった。そよ風を受け舞い上がるのは黒い砂で覆われた大地。見渡せばどの角度からも海が見える。そのことで、ここが島であることがわかった。しかしガインは地図を持っていない。一体どの島で、島のどこにいるのかなどわからなかった。奇妙なのは、海辺の方にしかかすかに草木が生えていない事だった。
《普通は島の真ん中に森はできるんじゃねぇか? なんでこんな浜辺に? 》
足を引きずりながら、やたらと柔らかい土を踏んで歩き出す。いつもの何十倍もの遅いスピードで歩いているが、速度をあげることも叶わなかった。やがて草木がある場所まで着くと、違和感の正体が目に飛び込んでくる。
《崖だ。崖がありやがる。ここは島でも端っこの方なのか》
すぐ下から打ち付ける波の音が、自分のいる島の位置を確認する。かなり縁に居ることを認識すると、先程から身体に受けているそよ風が潮風である事に気がついた。
《流石にこの身体じゃ泳げねぇなぁ……治るまで待つかぁ》
そして、自分の出来る行動を確認し、その上で座り込んだ。ドスンと大きな音を立てて土煙が出る。やがて誰も邪魔をしないゆったりとした時間が流れ始める。するとこの場所の異常さがわかり始めた。ガインの周りにまるで生き物がいない。いたとしても虫や小鳥であり、大型の哺乳類に類する動植物がいなかった。さらに、背の高い木が1つもない。鳥が居るのに止まり木になる木が無いのがまた異様だった。さらには一番最初からあった黒い砂。どれもこれも彼の知らない風景の組み合わせだった。
《しかし、島かぁ……悪くねぇかなぁ》
ゆったりした時間の中で風景を眺めていると、突如地面が揺れ始めた。同時に地響きが空へと響いていく。揺れる地面で横たわっている為に立ち上がれなくなり、身体を転がして音の震源地を探す。そしてソレを見つけて、彼は身震いした。
《ハハハ……そうか。ここはそう言う島かよ! 》
振動はこの島の中央で起こっていた。原因が一目でわかった。いままで分からなかったのは、ガインの中でその形が、島の中にあるものとあまりに色も形も違っていたから。
その島の中央には火山があった。それがたった今噴火し、島のあちこちに岩が落ちていく。マグマが噴火するような規模ではないが、それでも巨大な岩が空に舞い上がるほどの力をもっていた。先ほどま見ていた黒い光景は火山灰であった。
《島だぜ相棒! あったけぇ火山がある島だ! お前が行きたかった場所だぜ!! 》
仰向けになりながら笑う。彼の乗り手が行きたがっていた場所に、偶然ながら到着した。
《想像の何倍もいい景色だぞネイラ!お前はこれが見たかったんだな! すげぇぞおい! 》
降り注ぐ火山灰を気にもとめず、ただ笑う。しかしその声はどんどん小さくなっていく。理由はわかっていた。彼はこの光景を彼ひとりで見たい訳ではなかった。
《なぁ。お前はこれを見てどう思うんだ? 綺麗とかすげぇとか思うのか? 》
帰ってこない感想を聞き、そしてコクピットの中で帰ってこないことを確認する。彼の乗り手、ネイラの返事は無い。それはすでに何度も確認していた。ただ認めたくなかった。この島で目を覚ましてから一度も共有は行われていない。また気合いで起き上がるのではないかと期待していたが、その希望は儚く消えていく。しかし悲しくはなかった。それよりも、自分のコクピットの中にある唯一確かめられるたしかな人間1人分の重みが、彼を慰める。同時に彼に眠気が襲ってくる。昼夜を問わずに苛烈な戦いが続いた為に、ベイラーとしての癖付けが悪い方向に働いた。ただ、眠る前に、声に出したい言葉があった。
《なんでここにお前がいねぇんだよ……会いてぇよ相棒……また共になんて悠長なこと言ってねぇでよ……俺は今、お前に会いてぇんだ……お前が見たかった景色だぞ……お前が行きたがってた島だぞ……孫なんか俺に会わせなくていいからよ……今会ってくれよ……なぁオイ……答えてくれよ……ネイラ》
やがて、うつ伏せの体から力が抜けていく。眠気と同時に、身体が限界だった。そして同時に、ある考えがガインの中で生まれる。ここで彼がソウジュの木となれば、ネイラが見たがっていた景色をずっと見ていられる事に気がついた。気がついてしまってからは、もうそれ以外考えられなかった。
《ここで暮らそうぜ。相棒》
目を閉じ、自分があの白いソウジュの木になろうとしたまさにその時。ガインの指先に何かが触れた。景色の中で触れられる物など見ていない為に、気になって指を動かすと、その先には、小さな植物が、白い花をつけていた。この潮風にさらされながらそれでも力強く咲いた花は、ガインの指先を撫でている。
《よく、咲いたもんだ》
その指先で、だれかが立っていた。
《……相棒? 》
うつ伏せで見上げる事が出来ないガインは、その姿をみる事が出来ない。ただその人物は一言ガインに向かって話す。
’’もしお前たちに助けが必要なら、その手を伸ばしてくれ。必ず掴んでやるから’’
やがて、一歩一歩花から離れていく誰か。その言葉は、自分がコウに向けて行った言葉だった。
《くそ……俺はコウと約束しちまってたんだ……ここで木にはなれねぇ……なったらコウを助けられ無い……思い出させてくれたのかよ相棒……このおせっかいめ》
指を撫でる花からゆっくりと離れる。やがてガインは両腕に力を込め、乗り手の居ない身体で、すでにサイクルもボロボロの状態になりながら、ゆっくりと立ち上がる。火山灰が降りかかるのも無視し、ただここで横になっている事だけは出来ないと決意を固め立ち上がる。
《傷は深いが……治してやる。まってろコウ。必ず戻ってやるからな》
指先に、サイクルツールセットを作り出す。ネイラと共にいた時は20個の道具を作り出せたが、今は1つの道具。ノコギリが限界だった。
《だが一個ある。大丈夫だ……ここで諦めたらネイラに笑われる》
これからどれくらいの時間がかかるか分からない。乗り手もいないベイラーがどれだけ傷を治せるか検討もつかない。しかしガインは治さないという選択肢を取ることだけはしなかった。小さな孤島での、1人になったベイラーが約束を果たすべく動き始めた。
◆
「本当に上から降ってきたぞ」
「占い師の言っていた通りだ……どうする? 」
「長老に報告しよう。あれで身動きが取れるとは思えない」
地平線が伸びる大地。気温高く灼熱といっていい。その小高い丘で己の目だけを頼りに対象を見つめる人物が2人。2人とも分厚い外套と、大きな水筒を腰に下げている。気温が高いのに肌を晒さないのは、日の光が強すぎて肌を焦がしかねない為であった。そして何より、2人の身体に付着する物がこの場所の特徴を理解させる。
砂。砂。砂。どこを見ても砂があり、どこを触っても砂を掴める。
ここはサルトナ砂漠。ゲレーンはおろか、サーラからも程遠いここは、龍に吹き飛ばされた龍石旅団が不時着した地であった。
次回! 第5部開始! 砂漠! 砂漠です! でもその前に登場人物紹介3が挟まります!




