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ベイラーのねぐら

  雲が手の届く距離にある。地上から見えるあの白い形は、目の前に現れると、特になにをするでもなく、ただ自分の身体をすり抜けていく。ふときがつけば、身体がわずかに湿っている事だけは分かった。


  少年は、目をぎゅっと閉じて、ただただ振り落とされないようにしがみついている。少年……ミーンの乗り手、ナットは、空を飛ぶベイラー、アーリィベイラーの上に居た。ベイラーのわずかな肌の突起にしがみつき、横風で何度も何度も振り落とされそうになるのをこらえている。パーム達の帰る場所を探るために、接敵された一瞬の隙を突き、ミーンから飛び移っていた。それが、カリン達の助けになると信じて疑っていない。疑っていないからこそ、上空で、仲間が居ない孤独に耐えることができていた。


  鳥と同じか、それ以上の速度で、アーリィベイラーは一定の高度を保って飛び続けている。コクピットの中はすでにパームの一味でいっぱいになり、時折内側から何かを蹴り飛ばすような振動が聞こえてくる。縄ばしごが外され、仲間が上がって来た時、見つかるのではないかとミーンは気が気でなかったが、今のところ、彼がベイラーに乗り移っている事は発見されていない。証拠に、アーリィベイラーの飛行は緩やかで、振り落とす気であればすでにナットは海の藻屑となっている。無論、そう思わせるパームの策略である可能性もあったが、ナットにはそれを確かめる術はなかった。


  かろうじて残っている頭の冷静な部分は、未だにこの行動を悔いている。それでも飛び移るのに躊躇が無かったのは、ミーンのハンディを知っていてなお、自分がカリン率いる旅団でなんの役目を果たして居ないと感じる事が多々あった。戦いではそれが顕著であり、他のベイラーは全員何かしらの特技をもって戦いに挑んでいる。早く走れるだけでは、自分は旅団にいる必要などないのだと、ナットは精神的に追い詰められていた。パームが逐一、ミーンを出来損ないと煽っていた事も拍車をかけている。


  「雲って、水でできてるんだ……あとでリオにも教えてやろう」


  自然と多くなる独り言で孤独を紛らわせながら、空を生身で通りすぎる。アーリィベイラーはサーラから離れ、沖合に向かって飛んでおり、真下の風景は変わっていない。真っ青な海のまま。かろうじて空の形が変わっていく程度で、変わらない景色はナットの心労を重ねるに十分だった。


  しかし、疲弊と混濁を郵便上がりの根性で覆し続けた結果、彼にもようやく報いが訪れる。


「……島だ……大きい……」


  初めは小さな点にしか見えなかった陸地が、徐々にその全容を明らかにしていく。つきあがるようにできた山に沿うように、木々が生い茂る孤島。長年の波風によって風化したのか、巨大なアーチが出来上がっている。そのアーチの中へと、アーリィベイラーは進路をとった。


  ベイラー1人分が通れるほどの大きさに、アーリィベイラーが器用にくぐり抜ける。空を飛べる上に曲芸まがいの事すらやってのけるアーリィベイラーにナットは驚嘆にするが、同時に、このアーリィベイラーを操る乗り手もまた、尋常ではない技量を持っている事も理解する。


「(なんでそんな人がパームのそばに……)」


  今、この青黒いベイラーを操っているのは、戦いの直後にパームの妻だと宣言した女性であるとはナットも知っている。なぜ、パームと共にいるのか、ナットは知りたくないわけではないが、それ以上に、理解できないという想いが先行して思考を乱す。そのために、耳元で聞こえる、サイクルの甲高い音に気がつくのが遅くなる。


  「(不味い! また形が変わる! )」


  寒さでかじかむ手に鞭をいれ、体勢を変える。その瞬間、ナットが居た場所が山折りになって無くなり、代わりに壁が迫り、ナットを押しつぶすギリギリの手前で押し止まる。地上に近づくにつれ、アーリィベイラーが変形をし始めていた。翼は折りたたまれ、逆に折り畳んだ足が伸びていく。水平だった身体は徐々に大地と並行になり、二本足で立つために姿勢を整え始める。アーリィベイラーのわずかな隙間に入り込んだナットにとって、この状態は、乗り移った時にすでに想定はしてあった。ナットにとって、変形をする常識はずれのベイラーが、このように変形した時、いかに自分が地面に落下しないようにするか。精神を苛まされならがらも考え続けていた。

 

  そして出した答えは、単純に道具に頼る事だった。


「こ、のぉ!! 」


  懐から、普段の仕事道具を取り出す。片手に収まる程度の小さなナイフ。それは、彼の本職である、郵便の仕事の際、手紙を纏めた紐を切ったり、自分に宛られた手紙の封を切る為の物。そして、彼が郵便の仕事に就いた際、彼の叔父から贈られた物。


  それを、ベイラーの肌へと突き刺す。一度では深く刺さらず、弾かれてしまうも、二度、三度と打ち込む事で、簡単には引き抜けない程に突き刺さる。その事を確認すると両手でしっかりと握りしめ、両足もベイラーにしがみつき、ひたすら揺れが来るのを待つ。下を見ると、地面がすぐそばまで来ている。


「(……着地する!! )」


  両目をぎゅっとつぶり、衝撃に備えた。


 ◆


「……着いたぁ!! 」

「おうらコレ使ってさっさと降りろ! おりろってんだよ!! 」


 小さな樽を投げつけながら、コクピットの中でパームがどやす。同時に、ケーシィは長時間の飛行で凝り固まった肩をほぐすべく、ひしめき合った中でも関係なくぐるぐると肩を回す。結果として人を押し出す形になり、コクピットの中から人が弾き出されていく。普通のベイラーであれば、このまま外に出れるが、アーリィベイラーは、外に出るのに、液体が必要なようで、パームの一味は投げつけられた樽の中から必死に粘り気のつよい汁をすくい取って擦り付ける。しばらくすると、翡翠色をしたコクピットが豆腐のように柔らかくなり、日差しの下へとおどり出ることに成功する、


「……よくやった」

「へぁ? どうしたんですか急に? 」

「なんでもない……しかし、アーリィを失いすぎた……旦那にどやされるなこりゃ」

「なーんかすごい事になってましたね。あの白いの」

「それだ。毎回毎回なんなんだあのやろう」


  際限ない悪態をつきながら、二人も外にでる。


「クラシルスの在庫ももうすくないですねぇ」

「こいつに必要だって言われて集めてたが、こいつは便利だ。ベイラーを簡単に掻っ攫える」

「ダメですー。これはアーリィちゃんにつかうんですー。旦那様はつかったらいけませーん」


  彼らが海賊をしてまで海藻を集めていた理由。それは、アーリィベイラーの乗り降りのためであった。


「だがさすがに長居しすぎだ。そろそろ移動したほうがいいだろう……っと」


  着陸したアーリィベイラーの元に、一人の男がやってくる。サーラの伝統的な服ではなく、首を覆う豪華な襟。その襟もきっちりと止められ、正装と呼ぶに相応しい雰囲気を醸し出している。だがその正装に、鈍色に光る鉄の仮面が台無しにしていた。ところどころ煤け、本来の輝きとは程通いその仮面の下には同じく怪しく光る眼光がある。


「よう。帰ったぜぇ鉄仮面の旦那ぁ」

「君は損得計算が得意だったはずだがね。アーリィが一人しかいないがどうした」


  声色はその姿にしては優しかった。しかし内容は決して甘くない。誤魔化しを許さない言葉で詰め寄る。


「……あー、落とされた」

「落とした? 誰が」

「まぁ、ベイラーにだ……あの、白いベイラーに、ほとんどな」


  パームは顔を下げ、悪びれながら、そして心底悔しがるそぶりをみせながら報告する。傍らでおろおろしながら見守るケーシィを尻目に、鉄仮面の男はゆっくりとパームに近寄った。


「白い、ベイラーが、アーリィを、ましてや、貴重なザンアーリィを倒した、と? 」

「ああ……旦那。今回ばかりはこのパーム様痛恨のミスだぜ……すまなかった」

「素晴らしい!! 」

「……あ? 」


 両肩を掴まれ、強引に立たされる形でパームが顔を挙げた。鉄仮面は歓喜に満ち溢れながらパームに感謝を続け始める。原因も、その感情に至る工程もわからないパームはただ疑問ばかりが浮かんでいる。


「あの白いベイラーは私の想像以上に成長している! 計画はもっともっと前倒しでいいかもしれんなぁ!! はっはっは! ありがとうパームくん! 君のお陰で計画は順調を保証してくれたのだ! 」

「お、おう。そいつはよかったな」


 パームが訳もわからず同意しながら、揺らされるままに応答する。


「どこまで成長していた? 」

「アーリィじゃ追い付けねぇほど早かった」

「おお! 」

「あと、やたら白かったな。眩しいくらいだ」

「おお! おお!! 」


  がくんがくんと揺らされつづけ、パームの顔色が悪くなっていく。代わりに、鉄仮面はどんどん興奮したようにうわ言を繰り返す。


「もうそこまで……ではもうそろそろ喚んでもいいかもしれん……そうすれば……そうすれば……」

「だ、旦那ぁ。もういいかい」

「おっとすまない」


  解放されるパーム。オロオロしたままだったケーシィがちかより。心配そうに顔をよせた。そして鉄仮面に言う。


「あ、あのぉ。この子、油きらしちゃって。まだあります? 」

「ああ。ちょうどその事でパームくんに話しがあったんだ。私とともに船が来ている」

「船……てこたぁ!」


  パームが活力を取り戻し、その目をらんらんと光らせる


「察しがいいな。そうだ。補給だとも……それに、しばらく君にはサーラにいてもらうよ」

「このパーム様はお払い箱かな」

「そんなことしないさ。ただ、代わりのベイラーを用意するのにも時間が必要なだけだよ。了承してくれるかね? 」

「鉄仮面の旦那にはいい思いをさせてもらってるからな。いいぜ」

「あのぉ。もう一個、あのベイラーについて、いいですかぁ」


  パームとの話が終わると、おずおずとケーシィが切り出してきた。その瞬間、鉄仮面から覗く瞳が、嫌悪に満ちる。その瞳は、まだケーシィが奴隷だった頃の、人を人と思っていないような男たちを思い出したじろいでしまう。


「あ、あのぉ……」

「旦那。こいつはこのパーム様よりずっと空を飛ばすのが上手いんだ。こいつ以外にここに着地出来ないんだからな」


  そこに、パームが助け舟を出した。


「そのこいつがあのベイラーについていいてぇ事があるんだ。聞いてやんなよ」

「……ふむ。パームくんがそう言うなら」

「じゃ、じゃぁ! えっと……」


  ケーシィが砂浜に簡単な絵を書き始める。男二人が雁首をそろえ覗き込み、その完成を待つ。ケーシィが書いたのは、アーリィベイラーを簡単にしたもので、特徴はとらえているものの、どこか気の抜けた姿をしていた。


「鉄仮面の人が連れてきたあのベイラーちゃん、いい子なんですけど、すっごく軽いんです。飛んでる時は風で揺れちゃうし、戦うと簡単に吹き飛ばされちゃう。旦那様はうまくできるけど、他の人はそうじゃないし……」

「ふむ。君が何を言いたいのかいまいち理解に苦しむが……」

「えっと、だから、重くした方がいいと思うんです。で、こうやって……」


  そのベイラーの絵に、ケーシィは一つ書き加えていく。


「こうやって、武器を持たせれば、重くなるし、わざわざサイクルショットを覚えさせなくて、いいのかなぁって……」

「武器……武器か。どのようなものかな? 」

「人間が使っているのでいいんです。それをちょっと大きくして……」


  その手には、弓弩が描かれ始める。


「で、大きくできるから、中に弓矢をいれて……とか、できないかなぁって」

「ほう。つがえることをしないものか……空から使えばかなり有用だな……」

「あと、白い子、この前は鎧を着てたんです」

「鎧!? ベイラーにか!? 」

「ひ、ぃい……」

「旦那」


  大きな声を出したことで、ケーシィが怯え切る。話の続きを促しても、口をぱくぱくさせて何も物言えなくなる。仕方ないといった調子で、パームが肩代わりする形で鎧の詳細を伝え始める。


「白いやつな。多分甲羅かなんかだとはおもうんだが、とにかく着込んでてよ。こっちの攻撃を一回は完全にふせぎやがったんだ」

「鎧……鎧か……全身だと鋳造するのに手間がかかりすぎる……なら、部分的ならば……」


  鉄仮面の男は詳細を聞き、今度は考え込んでしまう。そのまま、しばらく怯えるケーシィと、考え込んでいる鉄仮面との間で時間が経っていく。


  その沈黙は、パームの腹の音で中断された。


「……旦那。飯はまだあるか? 」

「あ。ああ。もちろん。その前に、アーリィベイラーを一通りみていいかね。鎧を着せるならば再度確認しい部分がある」

「手早くたのむぜ」


  鉄仮面はアーリィベイラーのそばにより、状態を確認しはじめる。肌を手で叩き、眺め、時に触り、劣化具合を確かめている、


 そしてもちろん、それは()()()()()()()()にも及んだ。


  鉄仮面が、背後のある部分に目が止まり、おもむろによじ登りはじめる。それは、何かを見つけたような動きだった。


「……旦那?」

「おいおい言ったじゃないかパームくん」


  声がすこし低くなり、距離こそ遠いが、パームに詰め寄るように声を荒げた。そして、鉄仮面は片手を掲げで叫ぶ。


「ベイラーを無意味に傷つけるのはやめ給えと! またナイフが刺さったままだったぞ! 」

「……お、おう。そいつは悪い」

「全く。困ったものだ……食事の準備をさせる。そのベイラーを倉庫にもどしておくことだ」


  パームにそのナイフを渡して、鉄仮面はその場を後にする。その足取りは軽く、先程までの怒号が嘘のような軽やかさだった。


「……機嫌いいですね」

「旦那は毎日ベイラーのことで頭がいっぱいなんだとよ」

「そう、ですかぁ……それ、刺さってたナイフですか?」

「ああ……こんなちっこい……あー、でもナイフなんざいちいち覚えちゃいないしなぁ……」

「私、そのナイフ好きですよ。なんかちっちゃくて、でもちゃんと使い込まれてて」

「お前も大概変なやつだな……なら、やるよ」

「い、いいんですか!?」


  突然の事で驚くケーシィに、耳元で驚かれたことでその声の大きさに睥睨するパーム。


「俺は俺でまだ持ってる……いらねぇからやる」

「あ、ありがとうございます! 」

「ナイフ一本で変な奴だな」

「いいえ! 変じゃありません! だって、だって」

「先行ってるぞ。ベイラー運んでおけよ」


  感極まるケーシィをよそに、心底くたびれた様子でベイラーを後にする。その頭には、すでにこれから食べる飯の事しかなく、ナイフの事など片隅にもなかった。


「だって、旦那さまが旦那さまになって、始めて私にくださったものですから……」


  パームにとってそんな扱いのナイフもケーシィにとっては贈り物の一つとして、大切な記憶になっている。胸に抱きしめて、その刃に触れ、落とさないようにしっかりと懐にしまい込む。

 

「さて。また中にはいらなきゃ」


 ケーシィが、そのあふれんばかりの幸せを感じながら、アーリィベイラーへと乗り込む。着地した姿勢から変わり、一歩一歩。砂浜に足を取られないように慎重に、かつ大胆に歩いていった。


 ◆


  ベイラーがその場を去った頃。砂浜の一部が盛り上がり、一人の少年が中から這い出てきた。砂が口に入ったのか、なんども何度も咳き込んで、喉に入り込んだ砂粒を吐き出していく。


「ハァー! ハァー!! ……あぶなかったぁ……」


  呼吸が落ち着き始めたナットが、深呼吸で体の中の空気を入れ替える。彼は、アーリィベイラーが着地をしたその瞬間、自身もまた大地へと飛び降り、今度は見つからないように、ベイラーがえぐった砂浜へと潜り込んでいた。


「ナイフ忘れちゃったけど……でも、着いた……ここが、やつらのねぐら……ここで、何があるのか、全部みて……あのアーリィベイラーで、サーラに帰ってやる……大丈夫。アーリィベイラーだってきっと分かってくれる」


  ナットの、たった一人の戦いが、始まろうとしていた。そしてこの島で行われていた秘密も、そして今までパームが行ってきた事の集約である事もまた、知ることになった。

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