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翔兄になにがあったのだろう…。
翔兄が眠っている今、この家の中に何か手がかりがあるのなら、今がそのチャンスかも知れない。
運良く隙間が開いているドアをすり抜け…部屋の外に出た。どうやら、翔兄の部屋は2階らしい。
2階は、あと2部屋あるが…ドアを押しても動かない…、あきらめて階段を下りてみた、下はリビングとキッチン、そして…和室があった…襖が少し開いていた、頭が入れば体はすんなりと、狭い隙間をなんなく通り抜けられた。そこは…二間続き和室で、畳の枚数を数えると…六枚、六畳だ。奥は…仏間だった。
仏壇に、翔兄と翔兄の両親が写っていたが…
その写真の中に、お兄ちゃんと私も写っていた…これはそうだ、
これは翔兄の両親が連れていってくれた遊園地だ…。あぁ…このあとだ…事故があったのは…このあとだ。
翔兄の両親が、両端に並びその間を、翔兄と私そしてお兄ちゃんが並んだ写真、最後の写真。
子供心に、神様を恨んだ…、あんなにやさしい翔兄の両親を連れて行った神様を、翔兄をひとりぼっちにさせた神様を許せなかった。その写真から目が離せなくて、どのくらいそこにいたのだろうか…
「平蔵…平蔵…」と呼ぶ、翔兄の声が聞こえ、私は返事をした…
まぁ猫だから…
「にゃあ~(翔兄、ここ仏間だよ。)」だったけど…私の声に気がついた翔兄が、仏間に顔を出した。
「平蔵…、ここはじいちゃんの部屋だから、入っちゃだめだよ。」
「にゃぁ、にゃぁ~(ここが?でも…おじいちゃんいないよ。)」そう言われ私は、仏壇近くの時計を見た…
時計は1時を差していた…午前一時だ、こんな時間にどこに?その疑問を翔兄はあっさり答えた。
「今、じいちゃん入院しているから、ここに入れるけど…じいちゃんがいたら追い掛け回されていたぞ。」
と笑いながら言ったつもりだったのだろうが…その顔に本当の笑みが浮かんでいなかった。
・・・おじいさんだ、おじいさんになにかあったんだ・・・入院って…病気?怪我?
翔兄が、泣いたことは…おじいさんの入院?
そう思ったら、頭の中で、翔兄が言った、不思議な言葉が次々と浮かんできた…
「おまえは最後まで、俺と一緒にいてくれよ…。」と呟く声…。
「平蔵…おまえは温かいよなぁ…。生きているって、この温かさなんだよなぁ…」
そう言うと、より私を抱きしめてきた腕…。
「…俺…決めきれない。わかっているけど…決めきれないんだ。どうしたらいいのか…」
と苦しそうに言ったあの目…。
まさか…おじいさんは…
また、また翔兄は、ひとりぼっちになってしまうの?
私は、翔兄を見つめ
「にゃぁ~(翔兄…)」と鳴いた。
翔兄は、私を抱き上げ…「平蔵…、おまえがいてくれたよかった。」と言って、仏壇の前に座ると
「両親が事故で亡くなったことで、俺の周りが次々と変わっていくことに心が追いつかなかった。
両親の死でさえ、わからないくらい…周りの変化に戸惑っていたんだ。
住んでいたアパートから、荷物がどんどん出て行くのを見たとき、俺は…あぁ一人ぼっちなったんだ。
もう、父さんや母さんはいないんだとようやく理解できた。だけど、次に感じたのは恐怖だった。
奈落の底に落ちていく感じだった…恐かった…。それを引き止めてくれた子がいたんだ。
幼馴染の女の子で…俺の手を握って泣いてくれたんだ…何かに押さえ込まれたように、俺は声も涙も出すことができなくて、出さないとこのまま…悲しみに押しつぶされ、奈落の底に落ちそうだったのを…
先に泣いて、彼女は悲しみの出し方を思い出させてくれたんだ。
俺の手を握って、一緒に泣いてくれた、大きな声で泣いて、もう戻れない幸せを見送り、新しい幸せを見つける勇気を持てと…言われたような気がした。」
そう言って、私の頭を撫で
「俺、頑張ったんだぜ。父方の祖父に引き取られてから、勉強もスポーツも、いつか彼女に会えると信じて…半年前に会えたんだけど…だけどちょうどその頃に、じいちゃんが倒れたんだ…脳腫瘍だった。」
私の頭を撫でていた、翔兄の手が震えるのがわかった。
「もう…無理だろうって…手術をするのにも体力がない。…ホスピスに…と担当医から言われた。
でも…俺には決めきれない。ホスピスはターミナルケア(終末期ケア)を行う施設だ。じいちゃんが、最後までじいちゃんらしく、尊厳をもって過ごして欲しいと思う反面、一日でも長く生きていて欲しいと…俺は、俺は思ってしまう。」
翔兄の撫でていた手が私から離れた。
「俺…彼女にあの頃とは違う、強い自分を見せたかった、そしてあの時はありがとうって言いたかったんだ。…だから会えない、もう会えない。会ってしまうと、また彼女に助けを求めてしまう。初恋の相手に、こんなカッコ悪いところをもうこれ以上見せたくないよ。
あの雨が降った日、雨の中で…またひとりになるかもしれない、また大事な人を見送ることになるのかとそう思ったら、もう耐えられなかった。
その時おまえが、俺の足元で、汚れた俺の足元で、尻尾を絡ませて来てくれた、
嬉しかった。一緒にいてくれて…ひとりぼっちじゃないと教えてくれたような気がしたんだ。…おまえは猫だもんなぁ…勝手に俺が、おまえに助けを求めて…勝手におまえを、崩れそうになる俺の心の支えにしていることもわかっている。…ごめんなぁ…平蔵。」
翔兄の目には、涙はなかったが…私には頬を伝う涙が見えた…その涙を私は舐め取るように、頬を舐めそして…翔兄の唇に…私はそっと唇を重ね…
「にゃぁ~(翔兄…私の初恋も翔兄だよ。)」と鳴いた。
初恋の翔兄との間にあった、4つ目の出来事だった。