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信憑破綻

物語は大きく動き出します。

調べてみると、ドラゴンっていっぱいいますね。

[9 信憑破綻(しんぴょうはたん)


小五月蝿い爺どもめが。

こんな辺境の小島まで足を運んでくるとは、余程娯楽に飢えているのか、それとも此方の動向に探りを入れに来たのか。

かび臭い壁画が、浪々と揺れている灯り照らし出された廊下を歩きながら、内で悪態を付く。

爺どもにはお似合いの場所だ。

過去の栄光にしか縋り付けぬ者どもが、この壁画と同じだ。

過ぎ去りし月日を刻むことでしか残せなかった文明の残留。

古きものは早々に消えるべきなのだ。

飛ぶ鳥後を濁さずと言うように。

そしてこの若作りの老人どもも。

後ろを神妙についてくる男どもを部屋へと招きいれる。

一様調度品に彩られた、人の生活の匂いする空間だった。

それも相手を安心させる為の、一つの趣向に過ぎないが。

広さ高さも程々にあり、十人ほどの群れが入ろうが、窮屈な印象は受けなかった。

「こんなところまでご足労願えるとは、恐縮の極みです。

で、私になにか御用ですか?」

普段つるむことのない吸血鬼が、こうして団体で私の元を訪れたのだ。

この臆病者どもには、余程私の存在が恐ろしいらしい。

建前で丁寧な言葉を使いつつも、私は見下し、侮蔑しか含んでいない瞳をこの者どもに向けた。

「何、貴様が我らの在り方を貶める所業を繰り返していると聞いてな」

「それはそれは、まるで身に覚えがございませんね」

愉快で堪らない。

私の事を少しでも知っていれば、私がこんな廃頽した場所を己の住処にするはずがないというのに。

「ふんっ、これだから新参者は。

己の身分も弁えず愚直にしか動けんとは」

「その通りだ」

不愉快だ。

大勢でなければ私の前で意見すら吐けぬ癖に、こぞって調子に乗ってくる。

「ソルフォース様、この者たちは何が言いたいのでしょう?」

素知らぬ顔で、リーダー格の男だけに話しをしてやる。

「判らぬか。

貴様の行為は目に余る。

我ら貴族になくてはならない優雅さが微塵にも感じられん」

「優雅さですか?

それは又、団体でしか私に会いにも来れない、臆病で没落しきった貴族の台詞らしくて中々味がありますね」

私は剥き出しの敵意を露にし、床に備え付けていたスイッチを足の裏で押す。

これで逃げ場所はなくなった。

「まったく貴方がたは、本当に醜いですね。

見てるだけで吐き気がする」

「小僧がその発言取り消せんぞ」

ソルフォースが殺気を漲らせ、私を睨みつけている。

他の豚どもも感化されたようにブウブウと唸っている。

「貴方は何か勘違いをしていませんか?

今まで見逃してやっていたのは貴様らではなく、私なのですよ。

不干渉なら目に余らなかったものを」

これでやっと、醜く不完全な生き物どもが消えてくれる。

それが嬉しくて、私は狂喜に満ちた笑いを盛大にあげる。

「ワアハハァ、クフゥハハハハハァ、ハハハハハァ!」

額に手を置き、のた打ち回りそうなほど愉快に笑った。

「ゆ、優雅さには確かに欠けるかもしれませんね。

これからは血の祭です。

存分に味わってくださいよ、滅び行く者たちよ!」

私は上着を破り捨て、上半身を晒す。

芸術品の域まで高められた均整のとれた躰が露になる。

「永遠などにしがみつき、進化を失った地点で貴様らの未来は閉ざされていたのだよ!」

「完成された我らに進化など必要ないわ、小僧がぁ!」

戦いの幕開けだった。

いや、惨劇の幕。

ただ一人の男が狂ったように暴れ、他のものはなす術なく殺害されていくだけの劇。

「ど、どういうことだ!

こんなことが!」

獣を凌駕した速度で部屋を蹂躙していく。

私が小太りの男の肩に爪を突きたて、骨ごと奪い取る。

「グアアアアァァァァ!!」

心地いいサウンドを後に、次の目標に飛び掛る。

次の者は私を眼で捉えたていた。

その視線が気に食わなかったので、その眼球を貫き、引き抜く。

プチュとした感触が指先を包み、透明なゼリーと、毒々しい赤が交じり合っていく。

「何故ぇ!

魔力が使えぬ!」

どうしようもない馬鹿どもだ。

なんの仕掛けもしないで、狩りを楽しむと想っていたのだろうか。

この古墳全体にアンチマジックを施してある。

魔力がなければ、簡単に狩れる。

だから木の杭などで死に絶え、水の中では身動きも取れない、欠陥だらけの生き物。

それに比べて私はより、完璧な生物に近い。

肉体も魔力も。

地上のあらゆる優秀な遺伝子を吸収し、構成された私に勝てるものなどありはしない。

近くで逃げ惑う男の腕を掴み、ジワリと力を込めていく。

プチプチと内包されている神経、筋肉が切れていく音がしてくる。

そして勢いよく引っ張ると皮膚が裂け、何本かの神経が糸のようにダランと伸びていた。

そしてドバドバと溢れ出した命の源である赤い液体が床を汚す。

「ヒィ、ヒィ、ヒィィィィ!」

出口の扉に手をかけ、逃げようとする臆病者がいた。

だが、それは無意味だ。

あれは最早扉ではなく壁なのだから。

宴に無粋なことをする者だ。

私は逃げようとした男の頭と胴体をしっかり掴み、引き裂いてみた。

首の頚動脈から勢いよく吹き出る血潮を浴びながら、薄皮一枚で繋がっていた首を毟り切る。

そして、右手に握られている事切れていない頭部を床に叩きつける。

パーンッ!

並々と注がれたグラスを落とし割れた時のように、床に中身がパアーと広がる。

中身は液体というより、不純物が混在したゼリーを連想させた。

抵抗するものもいたが、能力差が遺憾ともしがたい。

己に過信し、無駄に時を重ねたものどもに抗う力などあるはずがなかった。

私は小さく肉を刻み、ゆっくりと狩りを楽しんだ。

「貴様ぁ!

こんなことをしてタダで済むと思っているのかぁ!」

最期の獲物として残しておいたソルフォースが、果敢にも私に意見してくる。

「済みますよ。

何故なら、誰も私に逆らおうとは想わなくなりますからね、もう直ぐ」

そうだ。

こんな辺境の小島でアカシックレコード(根源の渦)を見つけることが出来たのだ。

あれさえ手に入れば私に歯向かうものなど居なくなる。

「心配には及びませんよ。

三大術士を恐れて、篭ることしかしなかった貴様達とは違う。

全ての頂点に立つべきは私なのだから」

ソルフォースの頭に手を添えると、林檎でも割るように圧縮していく。

頭蓋骨が軋みをあげていく、パキッ。

その音と共に、眼球が圧力に負けて飛び出し、鼻の穴から大量の血と、ドロッとした物体が零れていく。

そして穴いう穴からそれが噴出していく。

それは本来あるべき場所から排除された脳髄だった。

「…貴方がたの為に用意した、過去の栄光が刻まれた墓場です。

思う存分腐り堕ちてください、クッアハハハハァァァ!」

(テラングィード)の笑い声は、血に満たされた空間に反響した。

こうして私の惨劇の幕が一つが、閉幕となるのだった。




四月も半ばに差し掛かり、新芽もしっかりとした緑を醸し出し、その青々しき匂いを振り撒いている。

父の救出から三日が流れていた。

人の住める範囲に整頓された居間で、私は気合の掛け声をあげる。

「よし、完成だ!」

溌剌とした声は居間を飛び出し、庭にもこだまする。

「…それは出来て当然だろう」

人の感動を洗い流す冷たい台詞が、私に投げかけられた。

ご機嫌斜めのご様子。

それはそうだろう。

廊下から此方を伺っている赤凪さんは、課せられた仕事を満足にこなせず、二日間も掃除に明け暮れているのだから仕方ない。

反撃はしておく。

この家での自分の立場をいうものを弁えて貰わねばならないからだ。

「壊すことしか能のない人に言われても、説得力ありません」

「うっ」

そう、惨状だったとはいえ、日がな一日も掃除すれば普通粗方は片付く。

だが、意外に不器用だった赤凪さん。

瓦礫を退かせば壁に穴をあけ、掃き掃除に取り掛かれば床を貫きと、コントでも観賞している気分にさせられた。

「それより、廊下の補修は終わりましたか?」

「自信はないが、…確認お願いします」

本当に自信無さげな声。

…わかったのだが、赤凪さんに生活能力というものが余り備わっていない。

まあ、それは現代においてで、多分自然に帰せばそれなりの生活できるだろうけど。

…この人は野生児か。

私は完成した符を縁側に持っていき、日干しにしておく。

そして、監督の視察に脅えている赤凪さんのところへ行ってみる。

因みに掃除は、私は自分の部屋と居間、お父さんはその他を担当していたが、とっくに終わっていた。

お父さんは調べものがあると、朝早くから出かけているので、私が修繕状況を判別するしかない。

「……」

思わず絶句してしまった。

確かに補修はされ、崩れかかっていた壁から床までバッチリ補強されていた。

頑強な砦の内部を彷彿とさせるような廊下。

三重ぐらいに重ね合わされた板が狭く、豪く圧迫感のある廊下へと変貌させていた。

どおりで、朝から金槌の軽快な音が鳴り響いていた訳だ。

そして板を打ち抜く破壊音も。

「おかず、一品没収です」

私は容赦なく、厳罰を与えることにする。

「何故ぇ!」

「何故はこっちの台詞です。

どうやったら、こんな原型に程遠い廊下になるんですか」

「……」

理由は簡単だ。

何度も穴を開けたのだ。

だから補修が必要となり、穴の上に板を張る。

この繰り返しが、現状を作り上げたのだろう。

どうも、あの日以来力加減を忘れた感じが見受けられる。

「反論はなしと。

厳罰は受理されました」

再度言い渡すと、赤凪さんは落胆し肩を落とす。

戻ってきた次の日、荒らされた住処をどうにかするかが問題に挙げられた。

このまま此処を離れ、本家からの襲撃から身を隠すかどうかだった。

逃げるなら、身支度だけを整えさっさと引き払うのだが、それを赤凪さんは反対した。

相手に居場所が割れている方が、あっちも警戒するだろうということらしい。

どうにもならないなら、引き払えばいいと楽観的に意見を述べていた。

(…実際のところは待ってるだろうな、静姫を)

私はあの日、赤凪さんは帰ってこないと想っていた。

あのまま何処か遠くに行ってしまうと、赤凪さんが帰ってくるまでついて離れなかった。

そして、当たり前のように「ただいま」と言われた時、正直嬉しくて涙が出そうだった。

(お父さんから本家の場所も聞かず、ここにいてくれてる。

でもそれでいいのかな)

聞けば、必ず赤凪さんは行ってしまう。

それがわかっていても、その疑問は絶えずに脳裡を翳める。

赤凪さんは、昨日私を庭先に連れて行き、あの日の出来事を掻い摘んで話してくれた。

…庭先に連れて行ったということは、お父さんには聞かせたくないようだった。

静と名乗る、凪穂さんの似姿の女のこと。

自分の中に宿っていた陰璽星瀾のこと。

そして、万さんがこの世を去ったこと。

話終えた赤凪さんに、私はどうして話してくれたのかと尋ねた。

「…お前も恐らく当事者の一人になるだろう。

だから、事情を知る権利はある。

後は自分の価値観で判断し決めろ。

これから先、何が起こるかは俺にもわからんからな」

当事者。

どう言う意味だろう?

赤凪さんのことなのに、私も含まれていると。

赤凪さんとの接点なんて、知り合い程度のもでしかない筈なのに。

赤凪さん自身、確信しているのではなく、漠然とした、それこそ蜃気楼を目指して歩いている感覚なのだろう。

そう、私たちには情報が不足しているのだ。

だからこそ、赤凪さんが此処にいてくれているのが不思議でならない。

情報を得る為に動き出してもいいもはずなのだが、家の修繕作業に余念がない状況。

傍に居てくれるのは嬉しいのだけど、不安に苛まれているもまた、事実だった。

(後は、私達の為か)

赤凪さんが此処を離れるのを反対した理由、その二。

これは予想なのだが、思い出の詰まった場所を放棄してしまう必要は無いと考えてくれたのではないだろうか。

そういった不器用な優しさが、赤凪さんの一番の持ち味なんだと。

…なんとなくそう良い方に考えてしまう。

「で、何の符を書き上げたんだ?」

赤凪の問いに、意識が呼び戻される。

「あ、符ですか。

え~とですね、水の流れを組んだものです。

初めての試みだからちょっと自信はありませんけど」

信じられないことに、私は教材を全部暗記に成功し、遂に実践へ移ろうとしていた。

自分にこんな才能があったとは驚きだった。

人間なせばなるということらしい。

この頃物騒な事件が多かったのを考慮して、身を守れるよう結界符を書き上げてみたのだ。

「水ね。

どんな効果を乗せたんだ?」

「隔離です」

「……」

あ、これは呆れた視線だ。

視線が馬鹿かと語っている。

「お前は馬鹿か」

言葉にまで出されてしまった。

「基本を学んだばかりの素人が、高等な結界術になんで手を出そうとするかな」

予想通りのお叱りを受けてしまった。

私だってわかっていた。

それでも自分の身くらい守れるように、せめて足手まといにならないようにとこれを選んだのだ。

いつ襲撃があるかわからない今、順番に手順を踏んでいる余裕はない。

赤凪さんは溜息をわざと大きくつくと、居間は入り、隅っこに立てかけれている刀を取る。

「試すんだろ。

見といてやるからやってみな」

「えっ!」

「間違っても人の見てないところで試すなよ。

何かあってからじゃ遅いからな」

私の心を汲み取ってくれたのだろうか。

無謀に近い試みをあっさりと了承してくれた。

それどころか、私のことまで気遣ってくれていた。

どちらかと言えば子供っぽかった赤凪さん。

遣ってることは同じなのに、細かな配慮が見て取れるようになった。

赤凪さんなのは間違いないのだが、唐突に他人の面影を垣間見る。

見える部分の変化は些細だけど、内面的には凄く大人びたような気がした。

「んっ?

なんだよ。

別にこれで機嫌をとって、おかずを追加して貰おうとか邪まな計画は練ってないぞ」

語るに落ちたとはこのことだ。

想っても無いことを口に出すはずがない。

不安が一気に払拭される。

やはり、この人は子供だ。

「そうですか。

せっかく増やしてあげようかと思っていたのですが、残念です」

「なぬぅ!

それは」

「赤凪さんの好意だけはありがたくいただいておくことにします。

ありがとうございます」

感情を押し殺し、冷淡な声音で淡々と告げる。

「……」

再び落胆した赤凪さん。

…こっそり、おかずを増やしといてあげよう。

「じゃ、監督お願いします」

そう言うと庭先に歩いていく。




鼎は符を眼前に構え、五行を符に流し込む。

符を確認した限り、誤った記入はされていなかった。

後は上手く五行を操作し、それを具現化させる工程をなせるかだ。

基本を忠実にこなせば、最悪の事態だけは避けれるが、こればっかりはどうしようもないだろう。

失敗する。

符の構成に誤りもなし、基本的な符の使い方も知っている。

だが、これは熟練度の差だ。

結界のように、場所と場所の隔離を目的としたものには、瞬発的な力で切り離す必要がでてくる。

だから、瞬間的に符に五行を注げない鼎には、成功させる過程が整っていないのだ。

基本修練の積み重ねが、高等な符術への昇華となる。

(身をもって知る、それが今回の目論見。

焦りは禁物だぞ、鼎)

鼎は五行を注ぎ終えると、符を発動させる。

()!」

異変は直ぐに起こる。

空間を隔離するはずのエネルギーが形を持たずに漏れ始める。

符から滲みでてくる青白い光が回転して、透明な回転鋸と化し鼎に襲い掛かる。

「せ、制御できない、どうして!」

鼎の符を掴んでいた掌の皮が千切れ飛び、服に赤い飛沫が付着する。

「くぅっ!」

必死に痛みを堪え、結界の制御をしようとしているが、青白い刃の回転は納まるどころか、ますます増していく。

「鼎、符を放せ!」

俺は頃合と見て、鼎に叫んだ。

だが鼎は、符を放すどころか確りと掴み直し、制御を何度も試みようとしている。

「馬鹿がぁ!」

俺は刀を抜き放つと、両義眼が捕らえる青白い刃の切れ目から刀を通す。

キーンッ!

ガラスでも引っかいたような不愉快な音がすると、あっさりと回転鋸は四散していた。

「…まったく、この頑固者が」

嘆息してする。

鼎は少し呆然とした後、ボロボロと涙を流しだす。

「お、おい。傷が痛むのか?」

鼎はキュッと唇を結び、首を横に何度も振る。

そして、血の滴る掌を強く握り締める。

「く、くやしいです。

…私は満足に何も出来ない。

それが、くやしい」

薬が効きすぎたらしい。

俺は鼎の握り締めた拳を取り、開いてやる。

掌の皮は根こそぎ剥ぎ取られており、赤々しい肉が見え痛々しかった。

そこに用意しておいた符を翳し、治療しておく。

剥けた皮は元に戻り、出血が止まる。

「いいか。

焦ってもしょうがないんだ。

符術もそうだが、物事は積み重ねが一番重要だ。

だから、一足飛びには進めない。

できるのは天才と呼ばれる人種だけだ」

これから先は自分にも言い聞かせるようにして語る。

「確かに時間は限られていて、辛いかもしれない。

だけど自分を見失ってしまったら、それこそ意味がない。

だから、俺らは足掻き限られた時間を生きるしかない。

焦らず、足掻け。

悔しい気持ちがあるなら、お前は進んでいけるのだから」

掌に残った血を拭ってやりながら、俺は言った。

そして気づいた。

鼎に触れる事である事実に、そして思惑に。

「焦らず、足掻くですか。

ヘンテコな言葉ですね。

…でも私、これ以上赤凪さんやお父さんの迷惑かけたくないんです」

「誰が迷惑だと言った。

それはお前の独りよがりだ。

少なくとも俺は迷惑なんて想ってない」

これは本心だ。

迷惑ならとっくにこんな家から出て行ってる。

遣るべきことがあるのに、此処に残っている理由は鼎だ。

「順に足掻けるだけ、足掻け。

そうすれば後悔だけは免れる。

そう言うもんだ」

そう言うと、俺は鼎の柔らかそうな髪を撫でる。

鼎が落ち着くのを待ちながら、俺は先ほど気づいた事実を確認すべきか迷っていた。

もし、これが事実なら鼎は。

俺の中で仁に対する不信感が、確信に変わっていくのだった。




気まずい。

それは私の戸惑いの所為だ。

昼食を終えるまで、私はろくに赤凪さんの顔を見ることができないでいた。

赤凪さんの優しさに触れる度に、加速していく鼓動は疑いようもない。

…遣ってしまった。

好意が想いに変わってしまったのだ。

「鼎、話があるんだが、いいか?」

これが切っ掛けで、私は顔をあげ赤凪さんを見ることができた。

だけど、上気してくる熱で真っ赤になるのを抑えられない。

「な、なんですか」

落ち着かなく、まともな口調で受け応えも儘ならない。

と、その時赤凪さんの真剣な眼差しがジッとこちらを捕らえていた。

「聞きたいことが何点かと、言っておきたいことがある」

覚悟を決めた瞳が、私の浮かれていた気持ちを押し留め、自然と真剣なものへとなっていく。

「俺がこの時代に来たときのことを、もう一度詳しく聞かせてくれないか?

お前の視点で」

それが最初の質問だった。

「…えっとですね、あの日、お父さんが本家、つまり静姫に宣戦布告したんです。

それで毒島の雇ったテラングィードという吸血鬼が襲撃をかけてきたんです」

思い出しながらゆっくりと語っていく。

「それで私、…失敗したんです。

私の安全を考えたお父さんは、龍脈を利用した結界を御神木の周りに張り、私はその中に居ろと言われたんです。

…覚えてますか?

あの日、大きな変わった生き物がいたでしょう?

グリフォンと呼ばれる空想の生き物なんですけど、それがお父さんに襲い掛かって、それで心配でうっかりその結果に触れてしまったんです。

そうしたら結界に弾かれて、御神木にぶつかって気絶したんです。

その時、不思議な夢を見ました。

昔の私とお父さんとお母さんがいて、自分でも忘れていた小さな頃の夢を。

あ、ここはどうでもいいですね」

「いや、そこも含めて話してくれ」

「そ、そうですか?

え~と、そこでこの神社に伝わるお話、お父さんが脚色した伝承聞いたんです。

女の子を庇って動けなくなった男の子。

女の子は男の子を助けてくれるよう御神木にお願いして、御神木はその願いを受け入れ、三百年後に男の子を助けてあげると約束した、童話のような話。

それは、この神社に伝わる鬼の話と全く違っていたけど、お父さんは実話だと。

夢はそこまでで、目を覚ますと、お父さんが血を流して苦戦していたんです。

だから私、神社に正統に伝わる鬼の力を借りようと思い、伝承通りに御神木から生えであろう手を捜しました。

見つけた時、御神木から声がしたんです。

それが(ばん)さん。

どうも、結界に弾かれた時、背中に刺さった御神木の枝が媒介になって、万さんと会話できたらしいんですけど。

万さんの言われるままに、その手に触れると記憶が流れ込んできたんです。

女の子を守る為に命を掛けて闘った男の子の記憶が」

「そうか。

知りたいことはわかった、ありがとう」

赤凪さんは感謝を述べた。

だけど、表情は暗いものに変わっていた。




鼎の話で、全ては揃ってしまった。

否定する要素を見つけるどころか、確信しか得られなかった。

吐き気がしてくる。

もし、予想が正しいなら。

「鼎、傷つくとしても、真実をいうものは明かされた方がいいのだろうか?」

俺は神妙に切り出す。

俺なら即答できる。

どんなに辛い事実であれ、自分の手の届くものなら手にする。

だが、鼎はどうだろう?

乗り越えてくれることを切に願う。

俺には、そんなに脆い絆ではないと考えていた。

例え、偽りで始まったものだとしても。

「それは、…知りたいとい思います」

鼎ならそう答えると知っていての問いだった。

知りながらこんな問いで、自分を正当化しようとした。

卑屈な人間だと、自分を詰ってしまいた衝動に駆られそうになる。

「それが自分の価値観を全て消し去るものでもか?」

これは最期の通告だ。

「…はい」

か細いが、確りとした口調でそう告げる鼎。

これで俺も逃げ道を無くしたことになる。

「鼎、さっきの話に夢を見たといったな」

遂に始まった。

終わった時に何が残るのか、それは知る由もない。

「はい」

「そして、それは鼎自身、覚えていなかったと」

「はい」

一つずつ確かめてから進めていく。




「鼎、記憶というのはあるキーワードを元に、記録の引き出しから該当するものを取り出し、イメージを固める。

漠然とした映像しか人が覚えてないのは、人が映像すらワードや記号に変換して、収納し易く、容量を最小限に留める形体することを無意識に行っているからだ」

違和感。

そう、赤凪さんが日本語以外の言葉を使っているのだ。

その発言が奇妙に思える。

何でも陰璽星瀾(いんじせいらん)と融合した記憶、それは膨大な星の記憶。

故に古今東西の語から歴史まで収まっているらしい。

その恩恵からか、赤凪さんはこうした単語を交えることが出来るようになっていた。

「形体が変わったとは言え、記憶は確かなものだ。

だから、引き出したい記憶が残っていれば、キーワードで検索にかけ呼び出すことが出来る。

そして、それに自分の中に存在するイメージを肉付けすることにより、記憶は再生される。

その情報が同一のものなら再認して記憶は成立する。

そして夢は、その記憶の部品を元に構成された現象だ。

あれは記憶が創り上げた空想世界。

だから、忘れていたことは夢に見ない」

「でも、忘れていただけで、残っていたんじゃないんですか?」

私の何かが、これに反論する情報を求めている。

「…それは小さい頃の夢だったんだろう?」

「ええ、六歳ぐらいだと思います」

「恐らく一字一句、綺麗に再生されていたと思われるが、どうだ?」

「…はい。

そんな感じがしました」

否定したい。

それなのに肯定する言葉しか出てこない。

「物心付いた頃、幼子がそんなに確りした記憶を留めておけると思うか?」

カラカラに乾いてくる喉に唾を流し込み、首を横に振る。

「そして、夢を見ていた時、自分の思い出だと確証はできても、実感は沸かなかったんじゃないか?」

首肯してしまう。

確かに自分のことなのに、何故か映画を、非現実を眺めている気分だった。

そう、余りに鮮明過ぎたのだ、あの夢は。

「…そうか」

赤凪さんは一度俯き、一拍おいてから瞳をあげる。

そこには深い深い悲しみと歯痒さに苦しんでいる、黄金の瞳があった。

「結論から言おう。

鼎、お前の脳には術が施されている」

術?

何で私の頭にそんなものが?

「しかもこれは抑制を促す、つまり押さえ込む為にものだ。

…余りに常駐が長い術だったので、肉体が依存している節があった。

その所為で五行の流れか、術の流れかが判別できなかった」

駄目…、この先を聞いては駄目!

そんな警告が頭の中で何度も繰り返される。

「万爺の声が聞えたと言ったな。

確かに肉体に木片が進入することで媒介になったかもしれないが、理由は別のところにあったと俺は睨んでいる。

俺や凪穂が万爺と話しを可能としたのは、先天的に特出して備わっていた木行にある。

恐らく、お前は結界に吹き飛ばされた時、背中及び頭部も強打したのだろう。

それが切っ掛けで、術の効果が薄まり抑制されていた五行が開放されだした。

…覚えはないか?

それ以来自分の中で変化があったことを」

ある。

あんなに苦手だった暗記が得意になり、訓練もしていない抗の行をこなすことができた。

…まるで、それが当たり前のように。

「昔の記憶に欠落があったはずだ。

術によって切り離された木行に記憶が含まれていたのだからな。

切り離されてから育った記憶は、分かれていた記憶を自分のものとは認識が働かず、他人の映像(きおく)を見ているように感じただろう」

ある。

今は鮮明に再認できる昔の思い出。

それは最近になってからだった。

「…誰がそんなことを」

擦れた声。

自分に止めを刺す言葉が紡がれていた。

考えるまでもない。そんな高等な芸当ができ、且つ私の身近にいる人物。

「…仁だろうな」

…まだ、出口はある。

理由が無い。

そう思った私は急ぎそれを口にする。

「お、お父さんが私にそんなことする理由がありません。

あったとしても、それはきっと私の為で」

「生まれながらにある流れを抑制するのが、体にどれだけ負担を掛けると思う。

本来あるべきものが欠けることは、運が悪ければ鼎、お前は今日まで生きていなかったかもしれないんだぞ!」

赤凪さんは怒鳴っていた。

それは私に向けたものではなく、此処にいないお父さんに向けて放たれた憤慨だった。

「…そして理由もある。

毒島がヒントをくれた。

…鼎、それが答えだった」

「…私が答え」

本当は気になっていた。

毒島が私に言った言葉。

母が死んだ日以来見向きもしなかった国語辞典を手に取って調べた。

(かなえ)

飲食物を煮るのに用いた金属製の器。

古代中国の祭器。

帝位、権威の象徴と。

「全て揃いつつあるんだ。

この時代に俺が降り立つことにより、陰陽五行が。

後はそれを注ぐ器があれば、太一が生まれる」

太一、根源ともも言うべき混沌の別名。

それを生み出す器。

「…なにですかそれ、わからないよ」

私は器。

だから、からっぽな方がよかった?

だから、抑制されていた?

「それに、お父さんがそんなことするわけないもん」

最後の拠り所。

それを無残に砕く一言。

「…する訳。

それはお前達が親子だからか?

残念だがお前と仁に血の連なりは、僅かにしか無い。

親子が持つ縁、お前たちの血からは感じられない」

赤凪さんは断言する。

「なにを言ってるですか?

それになんで赤凪さんにそんなことわかるのですか!」

熱を失っていた声音が、怒りに染まっていく。

それを受けても赤凪さんは目を逸らすことなかった。

「仁とお前の血に触れたことがある。

俺は木行の化身みたいなものだ。

だから触れただけで血の紡がれ方がわかる。

血族ではあるが、お前は仁の子供ではない」




俺は壊そうとしている。

築き上げてきた絆そのものが抹消される。

偽る方がどれだけ楽だろう。

真実とは刺だらけで、優しくない。

優しさはいつも偽りと共にあるのではと、勘ぐるほどに。

(それに、血の連なりがなんになるというのだろう。

それは逆に憎しみを強める。

そう、俺の場合のように。

だから、信じてみたかったのかもしれない。

俺や凪穂のような殺伐とした環境にいなかった、穏やかなるものを)

「嘘だ、嘘だ、嘘だ…」

現実から目を逸らそうと鼎は、偽りの言葉をぶつぶつと呟き、耳を手で覆う。

その光景は正直目を逸らしたいが、自分の犯した罪に抗う為、俺は視線を逸らさない。

「嘘じゃない。

仁とお前に血が繋がっていないのも、器として育てたのも」

「なんでそんなこと言うんですか!

やめてください!」

逆鱗に触れたように鼎は叫んだ。

そして耳を塞いでいた掌が俺の頬目掛けて飛来してくる。

勿論、俺にこれをかわす気など更々ない。

パァーン!

居間に全てを静寂に貶める快音が響く。

「……出てってください」

叩いた手を握り締め、俯いた鼎はそう言った。

「嫌いです。

赤凪さんなんて嫌いです。

…出てって、…出て行ってぇ!」

その怒声は次第に嗚咽に変わり、畳を濡らしていく。

俺にそれを拒否することは出来なかった。

唯一の所持品、赤凪穂を手に取り俺は新宮寺を後にした。




新宮寺を見上げると、頬の熱さがジクジクと胸に沁みていく。

自分の裁量の無さにほとほと呆れてくる。

直線すぎる物言い。

急がねばならないと、他人への気遣いが明らかに怠慢していたこと。

あんな方法しかとれない自分の経験不足が歯痒かった。

どんなに足掻いても、所詮十五の小僧なのだと卑下するしかなかった。

(…感傷には浸らせて貰えないらしいな)

赤凪の五感が、敏感に気配を嗅ぎ分ける。

(…此処には高度な結界が張っていたようだな。

お陰で外に出るまで、この神社が囲まれているのにも気づかなかった)

新宮寺から歩を進めてみる。

そうすると気配もついて進んでくる。

(目的は俺の方か。

都合がいい、これで鼎の危険が減る)

これは気休めにしかならない。

敵になりうる者が多すぎて、一人で対処するには無理が生じている。

新宮司家を率いる静。

秘密を嗅ぎ付け参戦してくるであろうテラングィード。

そして、獅子身中の虫こと仁。

一つに追われている間に他が動き出せば、俺にはどうすることもできない。

(救いは誰も、鼎の命まで獲らないことだろう)

鼎から引き離すように、山沿いにある新宮寺を離れていく。

傾斜を下りながら、相手に動きをしっかりと感じ取る。

(数は七つ。

どれも獣の動きだ。

相手はテラングィードか)

新宮寺前にたむろっていた気配が全てこちらを付けてくる。

内で安堵のため息を吐き、都合の良い地形を探す。

(人気が無いのが最低条件だな。

不確定要素の少ない戦いが好ましいが、どうしたものか)

ここら辺の地理に詳しくないので、そんなに都合のよい場所など浮かんでこない。

(しかも太陽が中間点をまわったばかりの時刻。

…探すだけ無駄かもしれんな。

あそこならどうだろうか?)

場所を決めると、包囲が解かれないようなスピードで移動を開始するのだった。




(私は、私は、私は)

呆然と、ただひたすらに伝う涙は重力に引かていた。

赤凪さんが去ってからどれくらいたっただろうか?

それを計る感覚は麻痺していた。

体中の水分を涙に変換しようとするように、泣き続けていた。

充血した眼球は痛みを伴わない。

それ程に胸が込み上げてくる負の感情に押し潰されそうになり、軋んでいた。

「鼎、そんなに泣いてどうしたんですか?」

その声は現実に引き戻す。

「…お、お父さん」

父はいつもの微笑みを浮かべている。

「おや、赤凪君はどうしましたか?

見当たりませんが」

私は何故か、ゾッとした。

微笑みを称えている父の瞳は凍ったままで、何の感情も映し出していなかったからだ。

そう、いつも見ているものと寸分も違わない、凍りついた仮面。

それが父から受ける印象だった。

「鼎、どうしました?」

その言葉と一緒に凍りついた印象が消え去っていた。

「・・お・父さんなの」

「変なことを言いますね。

私が新宮司 仁以外に見えますか?」

見えた。

感情の欠片すら仮面の裏に隠した道化師。

だからこそ、ずっと笑っていられる。

赤凪さんの言葉が現実味を帯びてくる。

いつもこんな仮面と対峙していたなら、誰がこの男を疑わずにいられるだろうか。

(違うぅ!

そんなこと無い!)

肯定的な思惟が脳裡に生まれるのを必死に否定する。

「大丈夫ですか?

顔が真っ青ですよ」

鼓膜を震わす優しき言葉。

どうしてか、それが表面的な辞令にしか聞えてこない。

疑っている。

疑ったことすらなかった者が、いつの間にか付けていた仮面。

それが、私の中の疑念を大きく広げていく。

(信じてる!

いつも傍にいてくれて、守ってくれたのは紛れも無くお父さんなんだ!)

思い出。

それが私を支える柱となり、不安を払拭する為に言葉を紡ぐ。

「お父さん…」

そこで唾を胸に流し込む。

「私とお父さんは血が繋がってないって、本当?」

唇が振るえ、言い終えた歯がガチガチと打ち鳴らす。

自分の性格が恨めしかった。

なんでこんな馬鹿げたこと確かめようとしているのかと。

でも信じていた者を、これから疑いの眼を向け続けるかもしれない、それよりマシだと思った。

「…赤凪君が言ってましたね」

私の聞きたかった否定の言葉は出て来ず、代わりに納得したように父の表情が仮面に戻る。

「そろそろ潮時だとは考えていましたが、雅かこんなに早く露呈するとは思いませんでしたね」

「えっ」

(潮時、露呈、それって)

愕然とする私の前で、父は顎に手を当て、思案のポーズをとる。

「流石は、新宮司の歴史から抹消された使い手だけはある。

これは青帝(せいてい)と言った方が正しいかのしれませんね。

完璧な家族ごっこを演じていたと思ったのですが、上手くは隠し通せませんでした。

鼎もそう思いませんか?」

(家族ごっこ)

テラングィードが襲撃をしてくる前に、護身用にと銃を渡すときの苦悩に満ちた父の表情。

…それは演技?

結界に弾かれ、聞えてきた悲壮な父の声。

…それは器である私を気遣って?

十四年間組み上げられてきた関係が偽りのもので…。

「激怒した貴女が、赤凪君を追い出してしまいましたか。

惹かれていたものが吐く、家族の罵詈雑言を聞くのは辛かったでしょうね。

…やはり、遺伝子は覚えているのかもしれませんね」

「……なに…をい…てるの」

「貴女が知りたがっている真実というやつですよ。

そうですね、概ね赤凪君の言ったことは正しい。

貴女の名の由来から、在り方までね」

まるで、その場面を見ていたかのような物言いをする父。

その手には符が一枚握られていた。

その符の文様は、居間の端を支えている柱に刻まれている模様と告示していた。

居間はいつでも父の監視下にあった。

「強いて言うなら、本来の目的から逸脱してしまったのが、今の状況だということだけですね」

網膜は何も映し出していない。

鼓膜が振るえ、聞きたくも無い真実だけがはっきりと跡を残す。

ボロボロと崩れていく自分に歯止めが利かなくなっていく。

「貴女のことは本当の娘と思っていましたよ。

只ね、私の優先事項の第一が復讐、第二が救済だった、それだけですよ」

胸が張り裂けそうに痛い。

激しく打つ付ける鼓動だけがそれを代弁していた。

「瑚乃恵が死んだことで依頼は破棄、そしてこの現実の在り方が許せないものだと気づいた。

初めから優劣の定められ世界。

足掻けば足掻くほどに抜け出せなくなる現実の沼。

在るのはいつも絶望的な結果だけだった」

淡々とは語っているが、血を吐きそうな悲痛な叫びに聞えてくる。

「絶望を絶望と認識できなければいい。

そうすれば、定めの中でも人は生きていける。

それが出した答えだった。

馬鹿でしょう?

稀世の魔術師と誉れ高い私の出した答えが、所詮この程度でしかない。

人は愚考しか繰り返せない。

だから、壊す」

パチンッ。

父は高らかに指を鳴らした。

そうすると、玄関と反対方向の廊下の突き当たりから、バキッ、バキッと壁を破壊する音がする。

その音に私は少し正気を取り戻し、廊下に続く入り口に目をやる。

破壊音が消えると、廊下をズリズリと引きずる音が迫ってくる。

そして居間にたどり着いた者を目にした瞬間、絶叫した。



脆くなっていた人格が崩壊していく。

そして鼎の慟哭はこの世から消え去った。

「この式神を使い、私は目的を果たす。

もう、私に残されているのはそれだけですから」

人格が無くなり、事切れた人形(かなえ)の空ろな視線の先には、無表情なまま固まった人形(ひとかた)があった。

拘束帯で身を固められた人形は、生き物としての色を無くしており、その肉が二度と熱を持つことがないことを示していた。

…立っているものは死体だった。

それは、生前は新宮司 瑚乃恵と呼ばれていた者の肉(死体)だった。




公園にまで来た赤凪は、そこには意外な人物がベンチに腰掛けているのを見つけた

(この公園はこの男との縁があるな)

あれから三日しか経っていなかったが、随分とやつれた印象がある。

「エンブリオ、鼎が心配していたぞ」

掛けるべき言葉が浮かばないので、赤凪は差し障りのない挨拶をする。

「…そうですか。

申し訳ないことをしましたね」

見るからに好青年だったエンブリオは一機に老け込み、倦怠感しか伺えないでいた。

「デミタスだったかな、あの男はどうした?」

「あれから会ってません。

テラングィードと共に行方不明です」

その発言に、赤凪の燻っていた感情が目を覚まそうとする。

「…正気か?

いつからそんな腑抜けになったお前は」

余裕がない為に、童子見たく当り散らしそうになるのを堪えながら、赤凪は棘のある言葉を吐く。

(腑抜けはどっちだぁ!

引き摺って心乱しかけているのは俺じゃないか!)

自分に叱咤し、深呼吸をして落ち着ける。

「これだけテラングィードの影に囲まれながらそれでいいのか?

デミタスが言っていた悲願だの(かたき)の手がかりを前に、当の貴様が悲壮を抱えてなにを成す」

ゆっくり表を上げたエンブリオは、自分の置かれた状況に初めて気付く。

「これはまた盛大に追いかけられてますね。

ファンは選んだほうが良いですよ」

「どうやら此処に誘き出されたらしい。

数が二匹も増えてやがる。

…お前も大概だと思うがな」

悪態をつき、余裕が二人に生まれる。

微妙な笑みを互いに浮かべる。

「これでも優等生で通ってましてね、私は逆境に弱いのかもしれません」

「なら俺は反対だな。

劣等生の赤札を貼られている。

生憎と逆境しか舞い込んでこないもので、打たれ強いのが取り柄だからな」

「…羨ましい、というのは失礼ですね。

でも、正直羨ましいですよ。

肝心なところで踏ん張れる強さを持っている者が」

「なら、成ればいい。

最後の一線を退かない覚悟さえあれば、強さが入り込む余地などありはしない」

「…不思議な人だ。

それほどの混沌を抱えながら、狂気に堕ちない眼差し。

それこそ逆境から這い上がった者が手にする強さかもしれませんね」

「どうかな。

致命傷に至らなかっただけで、瘡蓋が剥がれればいつも苦しんでいるよ、俺は。

そして今回は致命傷かもしれない」

「…カナエさんに何かありしたか?」

「あった、というか、俺が傷つけた。

だから、この場を片付けたい。

手を貸してくれ」

「…お安い御用ですよ。

カナエさんには醜態ばかり晒してますからね。

それにあの時のお礼が未だです。

借りは返すものですからね」

吹っ切れた顔をしたエンブリオは席を立つと、眼球を反転させヌール ジャハンを発動させる。

赤凪も赤凪穂を抜き放ち、臨戦態勢を整える。

「待たせたな。

…それともコソコソと隠れているほうがお好みか?」

「手厳しいですね。

まあ、その虚け者が立ち直らせてくれたのには感謝しますよ、混沌の主よ。

…いえ、赤凪と言いましたかね」

デミタスに匹敵する隠形術(おんぎょうじゅつ)で気配を同化させていたテラングィードが、姿を現す。

エンブリオがギリと音がするほど歯噛みする。

それはテラングィードの気配を感知できない自分に対するものだった。

テラングィードの出現と共に、尾行をしていた獣たちのもゾロゾロと姿を見せ始める。

三時方向の空から、毒蛇に似た毒々しい皮膚の色をした小型の飛翔竜が。

前足がなく、その代わり発達した後ろ足には鋭い爪を供えていた。

軽く飛んで見せているだけなのに、その飛行速度は眼を見張るものがああった。

彼の者の名は、ワイバーン。

六時方向から二体のドラゴンが。

長くとがったワニに似た口に、ライオンのような鼻。

身体は鱗に覆われており頑強さが伺える。

尾は矢尻のように鋭い。

一体は蝙蝠のような翼で自在に空を翔る。

そして鷲の前足で獲物を狩ろうとしている。

彼の者の名は、リンドブルム。

もう一体はライオンの後ろ足を持ち、俊敏さでこちらの喉笛を狙っている。

彼の者の名は、リンドドレイク。

九時方向からは足も翼もない蛇のようなフォルムをした、ワームに似た容姿のドラゴンが現れる。

ワームと異なるのは、牛すら一飲みにしてしまいそうな凶悪な口が、獲物を噛み砕くのを今か今かと待ち受けている点だった。

彼の者の名は、ストーアウォーム。

十一時方向から出現したのは一言で表すなら、空飛ぶ蛇。

だが、その背に備え付けてある翼は見るものを魅了するような孔雀に似た色鮮やかなもので、尾羽に目がある。

キラキラ輝く翼を似つかわしくない眼光を称えていた。

彼の者の名は、アンフィプテール。

一時方向には、身体の後ろから伸びた尾が、全身に何重にも巻きつけられている。

そして尾の先端は槍を彷彿とさせた。

人間の顔を持ち、人を食べる鳥の意を持つもの。

彼の者の名は、ピサア。

四時方向からは、地上に大きな影を落とすものが現れる。

四枚の翼に足には殺傷力が高そうな鍵爪がある。

身体が余りにも大きいため、強靭な(あぎと)は象をも一咬みで殺してしまえる超級のドラゴン。

彼の者の名は、エチオピアン ドリーム。

八時方向では色違いの首を持つ、双頭の竜が飛んでくる。

指揮系統が統一されている為、その連携は目を見張るものがある。

一体でありながら二体のドラゴン。

彼の者の名は、アンフィスビーナ。

最後に十二時方向から黄金の鱗を持つ竜だった。

見るものを圧倒する存在感がそれには備わっており、抵抗力のないものは直視するだけで失神していまうだろう。

テラングィードの最高傑作、神々の母。

其が名は、ティアマト。

地上最強の幻獣、ドラゴン。

総勢九匹が、この公園を取り囲むようにして配置されている。

「前回のような小物とは違いますよ」

自慢げに語るテラングィードに赤凪は退屈そうに辺りを見回す。

「…これだけか、手駒は」

「これは凄い自信ですね。それとも強がりですか?」

自尊心を傷つけられたテラングィードは、それを受けて挑発してくる。

「俺一人で十分だ。

エンブリオ、お前はあの口五月蝿い化け物を何とかしろ」

と、赤凪はテラングィードを親指で指差しながらそう言う。

「なっ、幾らなんでもそれは!」

「必要ないものは必要ない。

それより、あいつ一人の方が厄介だ。

気を引き締めていけ」

別段気負いもなくそう告げると、赤凪は一歩前に出る。

「死にたい奴から掛かってきな。

今日は蟲の居所が悪い」

そして赤凪の眼光に黄金の光が宿る。

威圧的に感じていたティアマトですら生ぬるい、凶悪な雰囲気があたりを包む。

殺気などではなく、根本から怯えを触発させるようなそんな雰囲気が。

テラングィードは自分の細胞が怯えているのに気が付く。

噴出してくる冷や汗が止まらず、衣服が肌に張り付いてくる。

(こ、これがアカシックレコードに近づくということなのか!)

この体になってから初めて体感する恐怖に支配されそうになり、テラングィードは己の手の甲に爪を立て痛みによりその現象を否定する。

(どういうことだ!

以前とは比べ物にならない。

この男に何があったのだ!)

エンブリオは雰囲気に呑まれ、体が金縛りにあったように動けないでいた。

あれだけ激しく反応していた男の気配に、ヌール ジャハーンはまるで反応を示さなくなっていた。

「エンブリオ、行け!」

この言葉を受け、エンブリオは体の自由が戻る。




正直、本調子には程遠い状態だったが、気持ちが吹っ切れた分、身体が想い描くように動く。

テラングィードに手痛い敗北を記し、後ろしか観なかった私をデミタスが愛想を付かしたのは仕方ないことだろう。

随分と立ち直るのに時間は掛かったが、まだ遅くない。

生きている内は、まだ取り返しがつくのだから。

私は、自由を取り戻していないテラングィードに向かいダッシュをかけ、青き刃を出現させる。

(いける!)

テラングィードの防御は間に合わない。

卑怯だとかそんなことを言っていられるほど、私に余裕は存在しない。

だから、チャンスをものにしなければならない。

(貰ったぁ!)

しかし、テラングィードと私に間に違和感が生じる。

(何かいる!)

私は感の告げるままに体を捻り、テラングィードの直線上から身を躱す。

そして、そこに紅き閃光が薙ぎ払う。

地を抉り、ジャングルジムを粉砕した閃光はテラングィード正面から発射されていた。

私は素早く身を起こし、五感を総動員させ、そこに存在する者を捉えようとする。

輪郭が浮き彫りになり、次第に姿がハッキリしてくる。

(そんな、何故…)

私の思考が真っ白になっていく。

「サスガだな。

カンゼンにトらえたとオモったのに」

テラングィードを庇うように立ちはだかった者は、懐からタバコを取り出し悠々と火を付ける。

煙を吐き出すと、此方に向き合う。

「だが、キヅくのがオソいな。

ま、それでもゴウカクテンはやろう。

オレのホンキのオンギョウジュツをミヌいたのはおマエがハジめてだ」

そう告げると吸いかけのタバコを投げ捨て、指先から発せられた閃光で打ち抜く。

「…どういうことだ、デミタス」

唾を必死に飲み込み、掠れた声を何とか出す。

いつも身の纏っている黒ずくめもいでたち。

皮肉げに釣りあがった口元。

人を小馬鹿にしたような口調。

どれも私の知っているデミタスに当て嵌まる。

唯一違うとすれば、抉れてポッカリと空いていた左眼窩に嵌め込まれた、紅く輝く宝石があることだった。

「…そうだな、オレとおマエ、どちらがスグれているかをキめる。

そういうことなんだろうな、このウラギりのイミは」

そう告げてきた。

その言葉は私の中にあった罪悪感を浮き彫りにする。

「ナットクしたつもりでいた。

だが、ユウワクされてわかった。

フリをしていただけなんだと。

オレはイチドもおマエとユウレツをキめていなかったことにキがついてしまった。

それがヒきガネだ。

そう、そんなチュトハンパなカンケイならつけるべきだったんだ、こんなヒジョウジになるマエに」

デミタスは物悲しげな瞳を向けながら語る。

「このヒダリメにウめコまれたのはホープダイヤ。

キいたことぐらいあるだろう。

2つのオウチョウをハメツにオいやったという、ユイショタダしきノロわれたダイヤさ。

おマエのヌール ジャハーンとはタイキョクにある、ジャをヒめたコウセキだ。

ヌール ジャハーンにヒッテキ、イヤ、ツカいこなせるブン、オレタチのホウがウエかな」

デミタスは不適な笑みに称え、右手に紅き槍を出現させる。

「おあつらいむきだろう。

ハンディはナしだ。

あるのは、おマエとオレのギリョウとジツリョクのみ。

アンシンしろ、オレがイきノコったらおマエのヒガンはかなえてやる。

ヤクソクどおり、テラングィードはコロしてやる。

だが、そのマエにケッチャクをつけないと、オレはサキにススめない。

それだけだ」

冷気を想わす殺気が、肌に刺さる。

「…デミタス」

「このゴにオヨんでナニかクチにするつもりか。

カクゴはかわらんよ。

オレはチュチョなく、おマエをコロす」

そう断言すると、デミタスは血に飢えた紅槍を私に振り翳すのだった。




獣どもは赤凪の気配に触発されたかのように、天地を震わせそうな雄叫びをあげあう。

それが開始の合図となり、一斉攻撃が展開される。

高速飛行を可能とするワイバーンが先行して襲い掛かってくる。

ドラゴンの中では比較的小柄であるワイバーンだが、それでも人間の三倍の大きさを有していた。

そんな巨体が機敏な動きで旋回してくる。

赤凪は左足を摺り足で前にやり、半身をとる。

そして赤凪穂を利き手で掴み、頭上から左膝に通じるように刀を構える。

空に刃を向け、その峯に左手を添える。

ワイバーンが左方向から、赤凪に鍵爪で攻撃をする。

半身でいる為、左サイドからの攻撃は背中を向けているのと変わりない。

完全に死角を突いた攻撃だった。

だが、鍵爪が赤凪の肉を抉ることはなかった。

それどころか赤凪の姿は忽然と消え、ワイバーンは空を裂く。

そしてワイバーンの背中に線が走る。その線は脊髄を綺麗に二分しており、折れ曲がっていた尻尾以外は中枢線をきっちりと奔っていた。

ワイバーンが空中に駆け上がるとその線は沿って体がずれていく。

「ェェェェエッェェエッェェッl

意味不明な叫びがこだまし、ワイバーンは真っ二つになって地上に墜落した。

落ちたショックで思い出したように体液が断面から溢れだす。

赤凪は、ワイバーンに襲われた場所から二歩下がった位置で、刀を振り上げた状態でいた。

あの瞬間、サッと右足を支点にして、コンパスの要領で左足をワイバーンの向けた。

鍵爪の攻撃範囲より二歩下がり視界から逸れ、そして爪が眼前を通過する中ワイバーンの中心を切り上げたのだ。

一ミリの狂いもないほどの寸分の見きり。

地上で、まな板の鯉のようにのた打ち回るワイバーン。

次第に余力を無くし、力尽きる。

波状攻撃とばかりに、飛び込んできたピアサの長い尾が赤凪を貫こうと、上空から飛来してくる。

そして地上からはリンドドレイクが距離を詰め、大口を開け、赤凪を丸齧りしようと迫る。

赤凪は微かに身を逸らすだけでピアサの尾をかわし、その尻尾を無造作に掴みとる。

だが伸縮自在のピアサの尾は、掴んだ部位から先が伸び、赤凪の顔面目掛けて尖った刃を突きつける。

首を傾げ躱すが、頬の肉を幾分か持っていかれる。

そこへリンドドレイクの牙が、赤凪の頭を噛み砕こうとする。

赤凪はチッと舌打ちし、尾を掴んでいる左拳を握り締める。

ピアサの尾が拳の内で、ブチュというか異音をさせながら潰れる。

そしてその左手でリンドドレイクの顎をピンポイントで殴りつける。

左拳の皮が千切れ飛び、リンドドレイクの首があらぬ方向に曲がる。

半回転近く回った首から神経の引き千切れる音がし、リンドドレイクの三メートルある巨体が赤凪の前に転がる。

ピアサは尾を握り潰されながらも、尾を伸ばし左手に絡みつかせ上空に引っ張りあげようとする。

だが、赤凪は素早く赤凪穂で尻尾を切り落とし、その引力から逃れる。

切り落とされた先端部は力を失い、赤凪は束縛逃れた。

そしてピアサの尾の伸縮が止まる。

切断部から腐りだし、ピアサの尾を侵食していく。

自分の意思で動かなくなった尻尾に苛立ったのか、ピサアが肉食獣の牙を持ちて、赤凪に襲い掛かる。

赤凪はその下降に合わせ跳び退き、上段からギロチンの如くその首を刎ねる。

それが終了すると同時に、赤凪は全力でその場から退避する。

赤凪の居た場所にキラキラ輝く鱗粉に覆われていた。

その鱗粉は、未だ絶命を逃れていたリンドドレイクが全身を痙攣させ、最後には口から盛大に血を吐き事切れさせる。

上空で、優雅にアンフィプテールが孔雀の羽から毒の粉を撒き散らしていた。

赤凪は風上に位置をとり、転がっている掌サイズの大石を拾う。

そして赤凪穂を左手に持ち替えると、振りかぶって利き腕で投擲をする。

空気の壁を突き破った石は、アンフィプテールの右翼を正確に打ち抜く。

羽根を撒き散らしながら、バランスを崩したアンフィプテールが墜落していく。

落ちていくアンフィプテール目掛けて駆け出しながら、赤凪は符を一枚取り出す。

()!」

体の周りに、空気の壁が生まれる。

これにより毒の粉は赤凪に触れることすら出来なくなった。

それを確認した赤凪は、アンフィプテールの落下地点に走りこみ、縦横無尽に赤凪穂を振るう。

アンフィプテールの毒素を含んだ翼と、散った羽根に対して刃を通していく。

流れを断たれたものから腐り堕ち、鱗粉ごと地上から抹消されていく。

蛇に似た本体は頭を蹴り潰し、その上に赤凪穂を突き刺す。

アンフィプテールの毒素の所為か、赤凪のいる区域に近寄るものはいなかった。

その間に残り五体となった竜の配置を確認する。

最早、包囲網は完全に淘汰されていた。

アンフィプテールが創り上げた空間が幸いし、その隙間から包囲を脱出した赤凪。

前方に広がった竜の群れは、憎憎しげに赤凪を睨みつけ、ジリジリと距離を縮めようとしている。

その瞳は絶対捕食者の立場を覆され、自分達のプライドを偉く傷つけられたような感じだった。

(気に食わないな。

全てが自分の思い通りになると勘違いしてやがる輩は)

侮蔑を吐きたいところだが、撒かれた鱗粉が浮揚している場所でのんびりするわけには行かなかった。

赤凪は赤凪穂を肩に担ぎ、体重を前方に傾けると疾走を開始する。

その速度は最速を誇ったワイバーンと同等か、それ以上だった。

ジグザグに走りこみ、五匹の死角、死角へと移動していく。

その動きを捉えられたのはティアマトだけで、他のドラゴンには赤凪の神速走行についていけているものはいなかった。

初めに地上に居座っているものを駆除すべく、赤凪はストーアウォームに迫る。

赤凪を捉えることができないながらも、ストーアウォームは意外に敏感な勘を働かせ、赤凪を迎え撃つ。

ストーアウォームは開口し、あらゆるものを噛み砕く牙が見える。

赤凪はその開口される前にストーアウォームの上に乗り、刀を突き刺した。開口しかけていた口は縫い止められる形で閉口する。

ストーアウォームは必死に開こうとするが、接合したかのようにビクともしなかった。

それどころか、縫いとめられた場所から動くことすら(まま)ならなくなっていた。

赤凪は刀に木行を通し、地面にストーアウォームを繋ぎ止めたのだ。

赤凪は身動きを封じられたストーアウォームの拳大の眼に、手刀を突っ込む。

「ウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥ!」

呻きがこだまし、赤凪の腕は肘の辺りまでめり込んだところで、ストーアウォームは一度大きく痙攣すると、動きを停止する。

(後、四)

赤凪の四感が警報を打ち鳴らす。

嗅覚が生物の匂いを、視覚が地面に映る影を、聴覚には質量が空気にぶつかる音を、感覚が温度変化を感じ取る。

赤凪は赤凪穂を素早く抜き取ると、横に跳び去る。

そしてストーアウォームの死体に白い霧が降りかかる。

ストーアウォームのなめかしい皮膚が瞬間で凍りつく。

双頭竜、アンフィスビーナの青き首が吐き出した白い霧は、液体窒素に似た成分を吐き出していた。

赤凪は寸前で退避できたが、体制を立て直す前にもう一つの赤き首が炎を吐き出し、赤凪を焼き殺そうとする。

赤凪は符を眼前に翳し、五行を一気に流し込む。

符は肥大し、木の壁が生まれる。

その壁が一瞬炎を防いでいてくれる間に、地面を蹴りつけ後方に逃れる。

木の壁はあっさりと燃え尽きた。

アンフィスビーナは赤凪を追い詰めるために、ブレス攻撃を再び加えようとする。

赤凪は踵を返し、アンビィスビーナに直進する。

そしてアンフィスビーナの真下に飛び込む。虚を突かれた両首が真下にブレスを吐く。

だが、赤凪の姿は最早なく、無理な体制で行ったブレス攻撃が祟りバランスを崩す。

そして飛行高度の下がったアンフィスビーナの背中に重みが生じる。

背中の重みを確認する間もなく、両首が根元から切り取られ、地上に血の雨を降らせる。

赤凪はアンフィスビーナの首を切断後、リンドブルムの凶口が迫っているのに対処が遅れた。

背後からくるリンドブルムの攻撃を、未だ滑空をしているアンフィスビーナから落ちることで逃れる。

落ちる最中、リンドブルムの爪が赤凪の右肩を抉る

「つっ」

皮が剥がれ、白い骨の破片が飛び散る。

そして落下した赤凪は受身を取ることも出来ずに、地面にまともに激突をする。

全身を走る衝撃。

それが肺の空気を押し出し、呼吸が途切れる。

「くっはぁっ!」

そこに赤凪を覆い尽くす影がさす。

赤凪は衝撃で痺れた感覚の残る体に鞭打ち、足のつま先と稼動している左手で地面をかき転がる。

赤凪の居た場所の影は濃くなり、そこに巨大な質量が爆風を起こし落下していた。

ギリギリでそれをかわした赤凪だが、その質量、エチオピアン ドリームが巻き起こした爆風に煽られ二十メートル強ほどの距離を舞った。

肩の抉られた傷から液体が流れ、血の華が空を飾る。

(くっ、融合している分、陰璽星瀾より再生が劣るか)

赤凪は身を反らし、背筋と腹筋を使い反動で空中にて体制を整え、膝から着地を決める。

(右肩上部の神経から鎖骨まで根こそぎ持っていかれたか。右腕は使い物にならんな)

握っていた赤凪穂を左手に移し替える。

(出血、利き腕損傷、それにさっきの衝撃がまだ躰に燻っている)

赤凪は自己分析をし、肉体の機能を正確に把握していく。

(僧帽筋の再生まで、傾けても三分は要する。

固定し切断(カット)する)

赤凪は金行で右腕を硬直化させる。

間接部が固まり、これにより激しく動いても右腕が振り回されることはなくなった。

次に木行の流れを切る。

繋がりを無くし、右肩が発する痛みを消す。

そして右腕を伝い流れ落ちていた血が止まる。

(血液の供給を停止。

さて、右腕が腐り落ちる前に、肩をつけよう)

旋回してきたリンドブルムは、赤凪に向かい突撃してくる。

赤凪は左手で赤凪穂を握り返し、リンドブルムの方に走り出す。

正面から睨む赤凪の両義眼は、リンドブルムの五行の流れを読み取る。

間合いに入る寸前に赤凪は急停止をかけ、右半身に構え、リンドブルムの喉に通る流れへ赤凪穂を突き刺す。

刺し終えた赤凪は赤凪穂を手放し、リンドブルムの体当りを仰向けに寝転びながら躱し、左手で地面に突き放し体を逆さに立て、リンドブルムの腹に強烈な蹴り炸裂させる。

「――――――――!」

リンドブルムは横の勢いを殺され、くの字に体を折り曲げられて上に跳ね上がる。

ワニの口から大量の血が吐き出され、赤凪に降り注ぐ。

赤凪は落ちてくるリンドブルムを避ける。

ズシンと重音をさせて、息絶えたリンドブルムが転がる。

赤凪は生死だけ確認すると、赤凪穂を引き抜いて回収し、自分の四十倍はありそうな凶獣に向かい疾走する。

エチオピアン ドリームはそんな赤凪の向かい前足を振るう。

(遅いっ!)

赤凪は速度が加速していく。

前足が赤凪のいた箇所を掻く間に、赤凪はエチオピアン ドリーム体を駆け上がり、六十メートルはありそうな巨大な翼の一枚に刃を奔らす。

五行の流れを切断された翼は腐り、侵食する毒のように翼を蝕んでいく。

エチオピアン ドリームの飛行能力を奪った赤凪は、全力でエチオピアン ドリームの周りを駆け出す。

その巨体が災いし、エチオピアン ドリームは赤凪を捉えることは出来ないでいた。

俊足で移動を続け、体中に奔る五行の流れに切れ目をいれていく。

ものの五秒もしない内に、赤凪は仕事を完了させると離れ、エチオピアン ドリームの全体を見る。

全身がヘドロに包まれたように、腐り堕ちていくドームがそこにはあった。

腐った肉は現世に留まることを許されず消滅していく。

そして肉の隙間から内包されていた体液が噴出し、公園を沼に変えていく。

外壁が剥がされていく。

「ボボオオオオオオオォォォォォ!!」

赤凪は剥がされていく肉の中から、致命傷に成りうる流れを見つけ出し、そこに赤凪穂を奔らせる。

瞬間、エチオピアン ドリームの咆哮は途絶え、静寂が訪れるのだった。

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