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伝承覚醒

[2 伝承覚醒(でんしょうかくせい)]


それは天からの贈り物に見えた。

昨日まで翠の欠片すら窺えなかった大木が今、満開の花で彩られていた。

陽光に照らされ、雄雄しく咲き乱れた桜の木。

それを見た私は悲鳴をあげていた。

「お、お父さん!」

この異常事態に、私は奇声に近い声を上げながら二階の書庫で惰眠を貪っているであろう父親を呼びに走っていた。

髪が後ろになびく程の速度で家に駆け込み、最大音量の足音で階段を駆け上がる。

最早、自分が何を口走っているのか理解できていない。

頭の中が真っ白で、この驚きを伝える言葉など微塵も浮かんでこない。

父親の元に向かったのは、この非現実を否定して欲しかったのだろう。

襖が最大限に打ち鳴らす程に、叩きつけられて開け放たれた。

コ――ン!

木と木の織りなす小気味良い音が家中にこだまする。

「お父さん!」

最後に喉の痛みを伴う声を張り上げる。

「…聞こえてますよ。第一声から」

所狭しと積み上げられている本の隙間から、無精ひげとしかめっ面を兼ね備えた男がのそりと身を起こす。

欠伸を噛み殺し、床に手をはわす。

目的の物を掴むと、それを両耳に引っ掛ける。

そんなのん気な父親の行動に苛立ち、腕を掴むと神木のある庭に駆け出だしていた。

待ちなさいやら、階段は危ないから手を離しなさいやらの抗議は一切無視を決め込み、庭に引っ張って来た。

ずり落ちそうな眼鏡を正位置に戻し、父は庭の御神木を見た。

「……、これは又綺麗に咲き誇って」

「…どうして、そんな平凡な反応ができるの」

普通の、余りに普通の反応を返す父に娘は呆れ、興奮が冷めていくのを感じた。

「神主がそんなこと言ってていいの!」

気を取り直し、父親に他のリアクションを求めた。

「…今日は花見ですね」

「昨日まで葉の一枚すらなかった御神木が花咲かせてるのよ! 驚いてよ!」

「驚いてるさ。

わ~、ほらね」

「……」

この父親の感性に頭が痛くなってくる。

(かなえ)、咲いてしまったものに文句も言っても仕方ありませんよ。

在りのままを受け止めようじゃないですか」

もっともらしいことを口にし、自分の言葉に頷く。

かなえと呼ばれた少女は、分かってもらえない苦悩を抱え問題の御神木を見上げる。

代々新宮寺(しんぐうじ)が奉ってきた、樹齢千年を越す逸話が盛りだくさんな御神木。

記録によれば、ここ三百年近く蕾、葉ですらつけることは無かったとされている。

それが今、全長五十メートルはあろう大木に満開の桜を咲き誇らせているのだ。

幻想的な光景だ。

思わず見とれていると一陣の風が通り過ぎる。

バサバサバサ。

桜の花びらが風に乗り舞い上がると思いきや、咲き誇った花は固まりその重さで地面に落ちた。

(…私が掃除をするの)

桜の絨毯は新宮寺全体を網羅していた。

「なんでこんなことに」

呆然と呟く娘に、困り顔の父親が答える。

「鼎、それでも新宮司の娘ですか。

日ごろから符術の鍛錬を怠っているから、この状況が理解出来ないのですよ」

「…小言は後で聞くから、教えてよ。

どうして急に咲いたの?」

父親が驚かないのは、この異常事態を引き起こした原因が分かっていたからなのだ。

なら、直ぐに教えてくれてもいいのにと内心腹が立ってくる。

「…誰か来たようですね」

家でののんびりした雰囲気が、父の中から消える。

豹変し何気なく懐に手を差込、新宮寺の入り口にあたる鳥居を睨み付けている。

鼎もそれに習い、鳥居の方を見るが人影はなかった。

しばらく後に、コツコツと革靴が石と接触する音が聞こえてくる。

「おおと、これは豪勢なお出迎えですな」

いやらしい笑いを湛えた小太りな男と、その右後ろについて屈強な体格の男とが鳥居を潜り現れる。

「誰かと思えば、毒島じゃないですか。

相変わらず、苗字通りの毒々しい面をしていますね」

敵意むき出しの口調で父の厭味が小太りの男に向けられる。

父の第一声に頬を引きつらせたぶすじまは、拳を震わせながら耐えていた。

「これは来た早々に凄い言い草だね、仁君。

客に対して失礼ではないか」

「招かざる者を客と称するほど、私はお人よしではないですよ」

「くっ、ま、良いわ。

しかし、大した眺めだね。

確か、新宮寺の御神木でしたかな、流石」

辺り一面の風景に感嘆する毒島に、父は小馬鹿かにした笑みを浮かべ、辛辣な台詞を繰り出す。

「感想はそれだけですか。

龍脈(りゅうみゃく)の流れも読めないとは。

ここに来る使いとしては、役不足ですね。

姫君もどんな酔狂でこんな男を配下に加えたやら、狸殿」

「貴様!」

その台詞に怒りを露にしたのは、隣の屈強な男だった。

主人を馬鹿にされ懐に手を差し込む。

「止めておけ。

死にたくないならな」

意外にも、その行動を止めたのは毒島だった。

「やれやれ、芸の込んだ事だ」

父は懐から取り出した黒光りする鉄の塊をボディーガードに向け構えていた。

「小型だからと馬鹿にしない方が身のためだよ。

弾は私が作った特別製だ。

止縛符(しばくふ)なんて生易しいものは織り込んでませんよ。」

表情だけで、笑っていない眼が本気を物語っていた。

「仁君、神を祭る地で殺生は無かろうが」

「身元に早く逝けて結構でしょう」

正直、怖いと思った。

いつもの父親の姿はなく、冷徹な殺し屋のように振舞うその姿に。

春の麗らかな朝は一転して、背筋の凍る空気に変わっていく。

「ふっ、口論に来たわけではない。

最終通告にワシ自ら来てやったのだ」

「ああ、あれですか。

返答は銃口が答えているでしょう。

帰って、本家に伝えておいてください。

昔には戻れないと」

「取り消せんぞ、その台詞。

二度目らしいな、新宮司に対する裏切りは」

「構いませんよ」

「良かろう、伝えておこう。

話は変わるが、テラングィードという名に聞き覚えはないかね」

今までで一番の下碑な笑いを浮かべる毒島。

「…それが執行者の名ですか」

「その様子だと覚えはあるようだな。

今宵は赤い月が見られそうだな。

君とは今日でお別れだと思うと、寂しいよ」

「私は口惜しいですよ。

又、君の毒々しい顔を見ることになると思うと」

「くっ、…その自信、君の異名からかね、稀世(きせい)の魔術師」

「歓迎会を模様して待っていますよ、テラングィード」

直後、銃声が響いた。

硝煙を吐き出しているのは父の目線の先からだった。

「死者には効果はないか」

「あっ」

私は思わず掠れた声を上げていた。

父が放った銃弾は毒島の隣に立っている男の眉間にめり込んでいた。

「朝は弱いものでね。

使い魔から挨拶をさせてもらおう。

新宮司 仁さん」

屈強な男の声が変わった。

先ほどの怒りに任せた野太い声から、芯に響くようなソプラノの声に。

「紹介はいいですよ。

君は有名人だからね。

新種の吸血鬼君」

「私も伺っておりますよ。

現代の錬金術師(れんきんじゅつし)の名を」

気持ちが悪い。

眉間に刺さった銃弾をそのままに、男が喋っている。

恐らく私の顔は青ざめているだろう。

何がなんだか分からない中、状況だけは確実に進行していく。

「さて、これ以上の会話は無意味。

毒島さん、戻りましょうか」

「うむ。

仁君、木霊の書は今夜貰い受けに行くよ」

「…姫に伝言を頼んでもいいですかね、毒島」

「何だね、命乞いかね」

「新宮寺に伝わる伝承を覚えているかと」

「それだけか」

「ええ。

他に用件はありません。

その面を見ていると気分が悪くなります。

早々に立ち去ってください」

「よ、良かろう。

最後の戯言だ。

叶えてやろう、帰るぞ!」

憤慨で顔を赤く染め、毒島は新宮寺を後にする。

「お、お父さん。

これって」

「…どうやら、勢いに任せて本家を敵に回したようです。

いや~、失敗、失敗」

白々しく冗談を飛ばす親父。

その内容をかみ締める娘。

「本家を敵に………、てっ、どうするの!」

「うむぅ、ここは伝承にでも頼りますか」

「…伝承って、なに?」

「……本当にこの神社の娘ですか?」

ワザと大きなため息をついて見せ、父、新宮司 仁は回り始めた歯車を見つめるのだった。

新宮司に伝わる、鬼の住まう神木を。




西暦1689年。

東洋の小さな島国から変革が起こる。

その島国を日本と呼ばれ、徳川家の江戸幕府が治めていた。

だが、変革は国を飲み込み大きく世界の在りようをも変えていくことに成った。

これまで世界の影となり、支え、されど異端として忌み嫌われていた術者が表舞台に出没を始める。

当初は三体の鬼を引き連れた、一人の術者が巷で暴れていると言うものだった。

誰もが陰陽師(おんみょうじ)の一団が幕府から差し向けられた時、直ぐにでも記憶の底に沈むものと想っていた。

だが、事態はそんな簡単なものでは無かった。

伝令の早馬が幕府に恐怖を運んできた。

陰陽師(おんみょうじ)一団の壊滅。

鬼は尚、幕府に向かい進撃中と。

幕府は兵をかき集め、これに対抗。

いや、最早抵抗と言ったほうが正しかった。

鬼達にとって万の兵も、肉の壁にしか成らなかった。

その絶大な力の差は、闇に生きてきた術者の心に復讐の火を灯らせた。

次第に鬼を使役する者の下に集い始めた術者。

唯でさえ戦力差の開きが決定的なものへなった。

幕府と、当時の天皇だった東山天皇はあえなく打たれたのだった。

この時より、年号は伍馬(ごうま)と名を変えた。

鬼を使役した者を中心とした術者の国家が誕生したのだった。

その噂は瞬く間に世界へと伝わり、魑魅魍魎(ちみもうりょう)、怪物、妖怪、魔術師、闇に住まうもの達が一斉に声を上げた。

互いを牽制し合い身動きの取れなかった者どもが、一致団結し世界の中核を牛耳るようになった。

世界は変革していく。

不確かな術や超能力、言霊が世界に当たり前に存在するようになった。

その中で世界のパワーバランスを担う、三大術士がいた。

八掛方陣(はちかけほうじん)をメインに仙術(せんじゅつ)を行使する仙人、カイ セイラン。

四元元素(しげんげんそ)を自在に操る大魔術師、マイセル リカラ。

最後に五行(ごぎょう)を極め、三体の鬼を操る者、新宮司 静。

西暦1988年、四月。

未だ、この均衡は破られていない。




「本家だよ! あの静姫がいる本家を敵に回したんだよ」

恐々とした叫び。

だが元凶である者には、私の思いは届いていなかった。

「ああ、そうですね」

曖昧な返事だけ返し、せっせっと書庫の発掘作業に勤しんでいる我が父。

そのいい加減な態度に堪忍袋の尾が切れそうだった。

「分かってない! 歴史上の人物なんだよ! 命なんて幾ら在っても足りない相手なんだよ!」

「はい、はい。

だよだよ五月蝿いですよ」

全く取り合わずに探し物をする。

「それに歴史上とは何ですか。

現存している人なんですから、失礼じゃないですか」

「論点をずらさないでよ!」

「……、お、これです」

ヒョイと本の山から見事に一つの本だけを抜き取る。

それは本というより、紙の束と言った方がしっくりくる代物だった。

それを脇に挟むと、本の影に隠れた窓を開ける。

「鼎、順を追って話しましょう。

先ずは朝の質問です」

そう言うと、私に手招きをしてくる。

渋々従い、窓辺に近づく。

「ほら、この眼鏡を付けて地面を見てみなさい」

父は掛けていた眼鏡を渡してくる。

「度は入ってませんから」

「えっ、伊達だったの!」

記憶にある限り、父は必ずといって良いほど欠かさず眼鏡をしていた。

それが伊達とは思いもしなかった。

「はい。両視力共に2.5ですよ、私は」

「…騙された」

「失礼な。

…そんなことより、ほら付けて、外を見る」

言うとおりに眼鏡を付ける。

レンズを通して観る世界は、至る所に青い線が有った。

それは流れていて、血管を連想させた。

「なにこれ!」

「そうですね。

生命の流れ、生命線と言うべきでしょうかね。

人間でいう、血管に当たるものですね」

「生命線」

「生きとし生けるものには、必ずこれが存在します。

では、地表を眺めてください」

直接体内を見ているような錯覚に襲われ、軽い吐き気がしてくる。

脈打つ生命線を出来るだけ気にしないように、二階の窓枠から顔を出し地面をみる。

「………」

御神木の異変を見たときよりも、衝撃的なものが網膜に飛び込んできた。

新宮寺を覆いつくす青い波がそこには在った。

海の上にいるみたいに一面が青く、それ以外のものは無かった。

「刺激が強すぎましたかね。

…鼎、…鼎!」

「はひっ!」

「しっかりしてください」

父は私から眼鏡を取り去り、自分に掛け直す。

そして優しく頭を撫ぜながら落ち着くのを待ってくれた。

「落ち着きましたか」

「…うん、ありがと」

いつもは性質の悪い冗談ばかり飛ばしているが、こうしていると父親なんだと実感する。

照れて、頬に熱が篭る。

照れ隠しに、先程の海のことを聞いてみることにする。

「あれは星の生命線、龍脈(りゅうみゃく)です」

「あれが龍脈か」

話には聞いたことがあったが、眼で見る日が来るとは思わなかった。

「本当なら、こんな眼鏡が無くても、感じれる位には成ってもらわないと困ります」

「あうぅ…」

「修練をサボってばかりいるから」

「そ、それより新宮寺って、龍脈のポイントだったんだね」

「違います。

こうなったのは今朝からですよ」

「……え~と、どういうこと?」

「龍脈は星の生命線。

つまり、大地のパワーポイントとなるわけです。

龍脈が通っている地は活性化され、そこに花が在れば咲き誇り、店でも在れば運気が上昇し、商売繁盛するという優れものな生命線なのです。

昨日まで枯渇し、死に掛けていた御神木が何故息を吹き返したか」

「龍脈のおかげだね。

あれ?

なら今まで此処に龍脈は無かったの?」

「ええ、通ってませんでしたよ。

言ったでしょ、今朝からだと」

父は窓辺から離れ適当に本を積むと、それを椅子代わりにする。

私もそれに習い、椅子を作り上げ座る。

「でも、急に龍脈が新宮寺に通ったの?」

「通っているだけでは有りません。

何本もの龍脈が線を引き、この地に点を作っているのですよ。

鼎、本当に新宮寺に伝わる伝承を知らないのかね」

「……あ、…頭の片隅に記憶がある気がするような、無いような」

「思わせぶりはいいです。

簡単に説明すると、ある日から数えて三百年後に、御神木に祈りを捧げると、鬼が蘇るといった伝承です」

「お父さん、はしょってない?」

「おお! いつの間にそんな言い回しを覚えたんだ。

父さんは嬉しい!」

演技で涙を流せる父に、呆れた視線を送る。

「…はあ。

で、その三百年後が今日だとでも」

「それは解りません。

只、龍脈というのは時間さえ掛ければ、動かせるものなのです。

誰かが今日、この日に全てが揃うように計画し、伝承を残したとしても不思議は無いのですよ」

「じゃあ、鬼の復活は本当なの!」

鬼。

現在でこれを使役しているのは、生ける伝説である新宮司 静、唯一人。

それがこの神社にいると聞いて、私は興奮していた。

ここへ冷水を浴びせかけるのが、父の趣味みたいなものなのを忘れて。

「あり得ませんね。

鬼は居ませんよ、此処には」

「え―――! なんで。

さっき、伝承の為に仕組まれたて!」

「別に全否定いる訳ではありませんよ。

私が言いたいのは、鬼という言葉が比喩だということですよ」

「例え?」

「私はこれでも研究家でしてね、鬼についていろいろ調べたことがあるんですよ。

鬼の条件下は、角、黄金の眼、強靭な肉体と、これだけならそこら辺の怪物も見劣りしません。

鬼と呼ばれるに、最後に五行の烙印が押され、その力を我が物としている所にあります。

静姫の使役する、前鬼(ぜんき)は火、後鬼ごき)は水、否掌鬼(ひしょうき)は土をとね。

烙印は術者の想念を結集し、刻み込むもの。

つまり、それは契約の印でもあるのですよ。

もし、伝承通りに何かが復活したとしても、それは鬼の外見を持つものと言うだけでしょう。

術者に使役されていない鬼は、鬼にして鬼に有らずといった感じですね」

「…そうなの」

「はい、だから今回の夜襲には伝承は当てに成りません」

「ど、どうするの!」

本家を相手にドンパチ遣って生き延びれるはずが無い。

絶望に近い混濁した思いが胸に飛来する。

そんな私に気遣う?ように、朗らかな声で励ましてくる。

「なにも、悲観的に考えることはありませんよ。

どうせ姫は動けないし、本家に私以上の使い手は居ません。

問題は、あの雇われ者のテラングィードの方です」

「あっ」

今日、ワースト3に入る刺激的映像集、ランキング2位が思い出される。

眉間にめり込んだ弾丸をものともしなかった男。

眩暈がしてきそうだ。

「対策を講じておかないと」

珍しく、真剣な表情になる父。

たまに見せるこの表情が、私は好きだった。

眩暈も何処かに消え、頼もしい父親を眺めることにした。

「んぅ、鼎、私の顔に何か付いていますか?」

眼、鼻、口と言いそうになるのを堪える。

子供じみた発言を堪えている私を怪訝そうに見てくる。

その後、何か思い出したように懐から小径銃を取り出し、チャンバーを開ける。

バラバラと散らばる弾薬を無視し、また懐から物を取り出した。

そこには綺麗な装飾が施された銀色の弾が並んでいた。

「ドラキュラ対策です。

銀甲弾(ぎんこうだん)浄化符(じょうかふ)を混ぜ込んだ一品です」

チャンバーにそれを全部詰め込むと、安全装置を掛け銃口を自分に向け私に渡してくる。

「護身用ですよ。

持っていなさい」

生命の通わない、無骨で命を奪う為だけに存在を作られた物。

身を守る道具として渡そうとしているのは理解しているが、心がそれを拒否していた。

「…正直、庇いながら戦う自身がありあません。

貴女にこんな物は使わせないよう努力はします。

でも、実際どうなるか解りません。

いざという時の為、持っていてください」

悲痛な面持ちで、差し出したままで私の眼を見つめてくる。

(…お父さん、ごめんね)

そんな表情をさせてしまった事に心で謝り、冷たい塊を受け取る。

「済みませんね。

頼りない親で」

私は首を直ぐに横に振り、

「うんん、誰よりも頼りにしてるよ、お父さん」

と本心を口にする。

「ありがとう。

最高の賛辞ですよ」

嬉しそうにそう言ってくれた。

「なら、全力で歓迎会の準備をしますか」

父は即席椅子から腰を上げ、下に散らばった弾薬を回収すると、部屋を出て行く。

私は手伝いをしようと、その後に続く。

父が向かったのは、術具(じゅぐ)が満載に格納されている地下工房ではなく、玄関を潜り外へとでていってしまった。

「どうしたの」

「保険を掛けておこうかと」

そう言うと、脇に抱えていた紙の束を手にし、懐から筆ペンを取り出す。

(あの浴衣の下はどうなっているのだろう?)

余りにポンポンといろんな物がでてくるので、不思議でしかたがない。

私が悶々と悩んでいる内に、父は紙の束に筆ペンを走らす。

「それ、なんなの?」

「これですか。

これは私が書いた木霊(こだま)の書と呼ばれる代物です」

「…確か毒島が欲しがっていた」

「そうです。

…さて、これで良し」

父は筆ペンをしまうと、紙の束を軽く宙に投げる。

そうすると、突如紙の束は炎に包まれる。

ガソリンをしみ込ませておいたのかのように、勢いよく全体を覆った。

放物線を描き地面に落ちる頃には、跡形も無く燃え尽きていた。

「えっ、いいのそんなことして!」

「はい、これで木霊の書の記録はここにしか無くなりました」

自分の頭を指しながら、そう答える。

「自己暗示で脳にロックをかけましたから、自白剤の類は無意味。

これで、私や鼎にもしものことがあれば、毒島は任務を完遂できなくなります」

唖然とした。

親に向かって思うのもなんだが、この人を敵に回すと碌な事がない。

「尊敬しましたか」

嬉々として聞いてくる父に、私は言葉を失っていた。




それから、忙しく時は流れた。

私に出来た事はせいぜい指定された場所にものを運ぶことくらいだった。

父がどんな思いで本家を裏切ったのか知りたかったが、そこに踏み込むには私は無力過ぎて言葉を紡げないでいた。

唯、間違っても私欲の為に事を起しているのではないと信じられた。

今はそれでいいと想えた。

夕食時、父が敵について話してくれた。

テラングィード。

新種とされる吸血鬼の由来は、古代種とされる吸血鬼に噛まれ吸血鬼化したのではなく、伝説の秘薬エリクシルを自ら生成し、吸血鬼へと昇華したことから来ている。

そこで、私と父はこんな会話をしていた。

「鼎、吸血鬼の弱点と言ったら何を想い浮かべますか」

「え?と、十字架、ニンニク。

他には、…あっ、確か木の杭を胸に刺されると灰になるんだよね。

う?と、…そうそう、忘れちゃいけないのが太陽の光に弱くて夜しか活動できない。

そんなもんかな」

「シンプルなところを突いてきましたね。

他に上げれば、水にも弱く泳げないとかもあります。

ま、これにはそれぞれ理由があります。

十字架は古来より聖なる物として扱われ、それ故に浄化作用を及ぼす法術(ほうじゅつ)を込めやすい性質を持っています。

ニンニクは人間の数十倍鼻の効く吸血鬼には耐え難い匂いなのでしょう。

次に木は生命を流しやすい特性を有しているため、胸など命が凝縮している部位に刺されると木を通して外へ流れ落ちてしまうのです。

…太陽に光ですが、よく解りません。

説に由れば、紫外線に敏感だとか、単に光に弱いとか。

…うそ臭いですね」

「そうだよね、光なんて言ったら今の世の中、夜も歩けないもんね。

紫外線もピンとこないよね」

「ごもっとも。

どういう訳か太陽の元に出ると、その強大な再生能力が反転します。

昔は太陽は神、故にその光が邪悪な存在を浄化するなど言われていましたが、現在でそれを言う人はいませんね」

「そうだね」

「さて続きですが、…水ですね。

これは木に似た事が言えます。

水は魔力を取り込む性質があります。

だから、水に落ちた吸血鬼は己の魔力を水に奪われ、力尽きてしまうのです。

教会に聖なる力と水の性質を兼ね備えた聖水という武器があります。

これなんか、古種の吸血鬼なんかには良く効きますね」

「…新種には効かない?」

「根本から違いますからね、これらの方法でテラングィードを殺すことは出来ないでしょうね」

「根本から違う?」

「吸血鬼の由来は、その名の通り血を吸うことにあります。

だから、血さえ吸っていれば吸血鬼なのですよ。

喩え、昼間に町を歩いていようが、平気で風呂に浸かっていようがね」

「それって詐欺ぽいね」

「古種が吸血する理由は、能力に比例し失われていく遺伝子情報の補給にあります。

吸血鬼の体は生物よりも死体に近い状態にあります。

自らの生成能力が枯渇してしまった吸血鬼にとって、吸血行為は遺伝子情報の採取と言うより、体の形態を維持する為、命を紡ぐ為の必要不可欠な行動なのです。

血は的確により多くの遺伝子情報を含んでいる為に吸血鬼は好んで血を吸います」

「…新種はどうして吸血行為に及ぶの?」

「新種の体は生体として成り立っています。

死体の古種と違い、遺伝子情報を必要としていません。

それでも吸血行為に及ぶのは、…より多くの力を誇示するためだと思います」

「えっ、必要ないの!」

「有りませんね。

新型のエリクシルは生態として吸血鬼化を可能としました。

奴が血を吸うのは、吸血鬼の持つ遺伝子適応能力で己の能力を肥大化させるためだけです。

人間は得て不得手が存在します。

だが適応能力を使えば、ある分野が得意な者の遺伝子を取り込めば、それを己のものに出来るのです」

「……」

「弱点なんてものが存在するなら、それはテラングィードが生き物だという事と、太陽の下に出てこない所を見ると、魔の存在だという事でしょうね。

魔の者は日中、能力が低下しますからね」

等と、夕食を取りながらする会話ではなかった。

因みに今日の夕食は祈願を籠めて、カツを揚げてみた。

それを見た父は白い目で私を見たが別に気にしない。

そんな事で少しでもご利益があって、父と生き残れるならそれに越したことは無い。

そう、今夜は間違いなく死が飛び交う空間に身を置くことになるのだから。




「鼎、そこを動いてはいけませんよ」

夜は深け、静けさが滲みる時刻。

腕時計を見ると午前1時を指していた。

私は父に言葉に従い御神木の前に座っていた。

御神木の周りには五本の鉄の杭と、それを伝いロープが引かれていた。

「その結界(けっかい)なら物理遮断もしてくれます。

私のオリジナル方陣、名付けて五龍結界(ごりゅうけっかい)

自慢そうに話す。

集まっている龍脈を使わない手はないと、地のエネルギーを引き出す杭を打ちたて、全体を網羅出来るようロープで流れを行き渡らしている。

この結界に触れるものは吹き上がる龍脈のエネルギーに弾き飛ばされるらしい。

「…お父さんも結界に入ろうよ」

戦って欲しくない。

拒否されると分かっていても言わずにはいられなかった。

「無理ですよ。

もう結界を張りましたから、私は中に入れません」

父は小石を拾うと、こちらに向かって投げる。

バチッ。

弾けるような音と共に小石は父の横を、投げた倍のスピードぐらいで抜けていった。

「ほらね。

それにどんなに強固な結界でも耐久値は存在しますから、誰かが戦力を殺がないととても持ちませんよ」

「…そんな」

「心配そうな顔をしなさんな。

どんなことをしても生き延びますから、ね」

悲壮な私と正反対の朗らかな笑みを浮かべる。

それが決意の表れだった。

こうなると、私には祈ること以外なにもできない。

「さて、お喋りはお終いですね。

…千客万来ですか」

神妙な面持ちに変わると、いつの間にか手にしたボタンをなんの躊躇もなく押す。

ドッゴゴゴゴォォ―――!

夜を震撼させる爆音と、視界に飛び込んでくる朱色の光源。

「うん、中々のオープニングですね」

どうやら、神社の階段の辺りで爆発があったようだ。

しかも起こしたのは、要らなくなったスイッチを放り投げている父のご様子。

(か、神主が逡巡もなく自分の神社を破壊している!)

濛々と煙が階段から立ち昇ってくる。

それをバックに人影が姿を現す。

「ひっ!」

悲鳴は喉でつっかえて、まともに出てこなかった。

異常な光景がそこにはあった。

最初に現れた人間、いや人形と称するべきだろうか、それには頭部が見当たらなかった。

他にも下半身を失い両腕で這いずり回るもの。

全身の皮膚が高熱で爛れ、その皮を引きずるもの。

次々と現れる人形は五体満足なものは存在しなかった。

地獄絵図、そんな言葉がしっくりくる悲惨な光景。

「爆薬の調達が出来ていれば、残骸を残すことも無かったのに」

父は冷徹にそう言い放つと、素早く指を交差させ印を組む。

すると、鳥居から光が放たれる。

四方浄符(しほうじょうふ)

鳥居の間に光の膜が形成され、人形がそこを通過しようとすると、早送りの風化シーンを見るかのように白い塵と化し、消え失せて行く。

「こそこそしてないで、姿を現したらどうです!」

猛然と言い放つと、裏庭の方からゾロゾロと人形の群れが出てくる。

生気の無い灰色な血色。

一目で生物としての終焉を迎えたもの達だと解る。

「よくもまあ、これだけの数を揃えたものです」

静だが、怒りを秘めた声。

「貴方達の怨み、私が背負います。そして(ごう)も」

懐から二丁の拳銃を取り出すと、狙いもそこそこに引金を絞る。

バンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンァ―――!

次々に吐き出される薬莢と硝煙。

銃声が鼓膜に痺れを残し、止む。

弾丸を受けた人形は悪質なウイルスに感染したみたいに、体中に血管を浮び上がらせのた打ち回る。

黒い汚物を吐き散らし痙攣を繰り返す。

最後にはその身体をどす黒く染め、操り人形から死体へと戻っていく。

「ちっ!」

短く舌打ちし、父はその場から飛びのく。

先程まで父のいた場所に上空から物体が降り注いでくる。

重たい物が落ちたような鈍重な音がし、土煙が巻き上がる。

「ゾンビの中に使い魔を混ぜてくるとは、性格が悪いですね」

減らず口を叩き右手の銃を捨てると、袖口から符が滑り出る。

使い魔と呼ばれたそれの動きは、そこらの人形と違い人を凌駕した速度で土煙を裂き、父に飛び掛る。

(はつ)っ!」

父の掛け声は符に伝わる。

圧倒的な膂力で振り下ろされる使い魔の爪。

しかし、その爪は触れることなく、微かに見える淡い藍の幕に阻まれる。

それどころか、使い魔の体は後方へ弾かれた。

すかさずに銃声が轟く。

もろに銃弾を受けた使い魔は、他の人形と同じく地に伏した。

「ほう、これは凄い。

私の使い魔すら一撃とは。

君があらゆるものに死を与えられると噂されるのが判った気がしますよ」

聞き覚えのある魅惑の声。

聴く者の精神を魅了する為に調律されたとしか思えない、心地いい音色。

「御託はいいですよ。

そんな所にいないで降りて来たらどうです」

父がキッと見上げる視線を追う。

何の変哲も無い木の頂点に敵はいた。

テラングィードは優々とした仕草で佇んでいた。

その姿に私は恐怖した。

本能で理解できる。

あれは天敵。

もう少し厳密に言えば捕食者に当たる存在だと。

美しい外見と裏腹に獣よりも餓えた獰猛さが感じ取れた。

「それは、貴方が私の用意した亡者どもから生き延びられたら考えましょう」

「そうですか。

貴方にもご馳走を振舞おうと思いましたが、残念ですよ」

余裕そうに話している内に、父はゾンビに取り囲まれていた。

その数、優に三十。

一斉に襲われれば、生き延びる術は無い。

「その状況下でも、もてなしてくれるのですか」

「歓迎会は始まったばかりですよ」

左手の銃も棄て去ると、両手で印を組みだす。

「おやおや、今更間に合うとお思いですか?」

ゾンビが猛攻を仕掛けてくる。

肉の壁が父に覆いかぶさっていく。

「お父さぁーーーーん!」

私の叫びを打ち消す力強い声が凛と響く。

(ばく)!」

その声の意味を成すように、木々から伸びてきた黄土色の線がゾンビを束縛していく。

それと同じくして、大型の方陣が父の半径5メートルに浮かび上がっていた。

「勘違いをしているようだね。

符術の在り方を」

淡々と述べながら父は印を切り続けていた。

そう、両手の印は未だ完成を見せていない。

それに反応して、方陣が輝きを増していく。

浄天聖法(じょうてんせいほう)!」

方陣全体に光の柱が立ち昇る。

神の裁きを受け塩に変えられていく罪人の如く、三十体ものゾンビが塵と化していく。

父の無事に私は安堵のため息をつく。

「こ、これは」

驚愕の声。

それも仕方ないだろう。

あれだけのゾンビを一掃されてしまったのだ。

私が言うとファーザーコンプレックスとか言われそうだが、父は符術の使い手としては静姫に続く実力者だ。

そんじょそこらの符術士とは格が違うのだ。

「さて、ご本人にもセレモニーに参加して貰おうか」

「クッ、クックックックックッ。

…成る程、確かに勘違いをしていたようだ。

符は法術の選択、声は導火線、印は効果の増大を図っていたのか。

それに此処は貴方のホームグラウンド。

敷地内に符を仕掛けて置けば、声を発するだけで術が発動できるという訳ですか」

「御高説、痛み入ります。

種明かしも終わりましたし、パーティーのご出席を」

テラングィードは優雅に首を横に振ると、甲高く指を鳴らす。

「あれ」

突然暗闇が視界を覆う。

何事かと思い空を見上げると、月明かりの斜線を遮るものがそこにはいた。

バサバサと大気を地上に叩きつける程の大きな翼。

その生き物は獣の体に、鷹の顔を供えていた。

「グッ、グリフォン!」

私は大声でその生き物の名を叫んでいた。

伝説の生物。

それは空想の中の存在。

だが、目の前に羽ばたいているのは紛れも無くグリフォンだった。

「私が使役する中でも最高クラスの使い魔の一体です。

白熱した闘技を見学する為に、一つ情報を与えましょう。

これまでの使い魔と違い、こいつは生きています。

多大に法力を消費する浄化系の術は徒労に終わるので、掛けないことをお勧めしますよ」

「余裕ですね。

なら、期待に答えましょうか」

月を塞ぐ化け物に迎い、数枚の符を投げる。

炎蝶招来(えんちょうしょうらい)!」

符は火に包まれると、煌びやかに羽ばたく蒼き蝶へと姿を変える。

綺麗だった。

夜の闇を照らし、渡る蝶の群。

「キィ―――!」

一声鳴くと両幅4メートルはある翼を羽ばたかせる。

それは突風を巻き起こし、火の蝶は余りの風圧に四散してしまう。

その勢いで体を上昇させたグリフォンは翼を畳み、父に向かい急降下を仕掛けてくる。

父は両袖から符を引き出し、胸の前で交差させる。

甲壁召(こうへきしょう)迅雷符(じんらいふ)!」

父とグリフォンを隔てる光の壁が出現する。

そのことにまるで構うことなく、グリフォンの体が壁に激突する。

バチバチバチッ!

凄まじいまでの弾ける音がする。

光の壁が電気を帯びていたらしく、それに突っ込んだグリフォンが感電している音だった。

「なっ!」

父の表情が崩れる。

キヒァ―――と苦痛の叫びをあげながらも、グリフォンの急降下は止まることは無かった。

次の瞬間、光の壁が消失してしまっていた。

ドオオォ―――!

地上を振るがす物量が、地を抉った。

「ああっ!」

体当たりを避けたものの、抉り舞い上がった土が父を飲み込んでいくのが見えた。

「お父さ―――ん!」

理性が旨く働かない。

頭にあるのは只、あの土を掘り返し父を救い出すことだけ。

小型爆弾でも投下されたような大穴。

その分の大量の土を被ったのだ。

普通の人間の筋力で這い上がるのは無理だ。

恐怖、父を失ってしまうかも知れない喪失感。

「いやだ、いやだ、いやだ、いやだぁ!」

震えていた膝がピタリと止まり、私は駆け出していた。

父の元へ。

早く、速く、ハヤク。

「鼎止まりなさい!」

今まで聞いたことも無い、父の焦る声。

それが意味するものは、直ぐに体感できた。

気づいた時には私は空中にいた。

(声、父さんの声が聞こえた。

ぶじだったのかな)

迂闊にも五龍結界に触れてしまった私は弾き飛ばされ、背に強烈な衝撃を感じると、自分の意思ではどうしようもなく、意識が落ちていくのだった。




ミーン、ミーン、ミーン。

肌を焼く、暑い日ざし。

チリンと縁側越しに吊るされた風鈴の音色が夏を彩る。

(あれ、ここは)

「かなえ、眼が覚めたの」

優しく包み込む声。

私が好きだった声。

自分が膝枕されていることに気付き、膝の主を見上げる。

(あ、お母さん)

「お母さん、おはようございます」

少したどたどしい口調で目覚めの挨拶をする私。

「はい、おはよう。

よく眠れた?」

私の好きだった笑顔。

「うん。

お母さんのひざでねむると、うんとね、そう、あんしんできるの」

幼い私が母に微笑み返している。

(そうか、これは夢なんだ)

幼い私が上半身を起こし、居間で書きものをしている父を見る。

居間には私の成長を毎年記した柱や、悪戯をして破いた襖などがあった。

後は、カタカタと回る扇風機が妙な動きで首を振っていた。

「お父さん、おしごとおわらないの」

「ん、ああ。

少し手間取っていてね。

未だ掛かりそうだ」

幼い私は小難しい顔をすると、う?んと悩む。

それから名案を思いついたようにニシシと笑う。

それで子供ならではの発言をする。

「じゃあ、あたしがおてつだいする。

そしたらあそぼ」

それを聴いた母はクスクスと本当に可笑しそうに笑った。

父は困った顔をしながら、頭を掻く。

「そうね、一息いれましょう。

根を詰めるのは良くないわ」

「…そうですね、瑚之恵(このえ)

お茶をお願いできますか?」

「はい、冷たいものをお持ちいたしますね」

「あ、あたしにも」

「はい、はい」

母が台所へと姿を消し、父は背筋を伸ばしてから私を手招きしている。

遊んで貰えると思い、駆け寄る私。

「ほら、ここにお座り」

胡坐をかいている上を指す。

「うん!」と返事をし、勢いよく飛び込む。

「おっと。

ん、鼎、太りましたか」

「しつれいだぞ、れじぃにむかって!」

旨く回りきらない舌でよく知らない単語を喋る。

それが間違いだともこの頃の私に分かるはずも無かった。

「失礼しました、お姫様」

「うむ、よろしい。

で、なにしてあそぶ」

「そうですね…、では、お話をしてあげましょう」

てっきり遊んで貰えると思っていたので、ブゥーと頬を膨らませる。

「おやおや、可愛い顔が台無しですよ。

それにね、これからするお話は、この神社に古くから伝わるお話で、実話でもあるんですよ」

(えっ!)

「じつわ?」

「本当のお話ということです」

「…ここであったこと?」

「そうです。

聞いてくれますか?」

「しかたないなぁ。

聞いてあげよう」

膝の上で偉そうに踏ん反り返る。

「昔、昔、そう三百年位前のことです。

この新宮司の家に生まれた一人の女の子がいました。

その子は類まれなる才能、…えーと、凄いことの出来る子だったのです」

「すごいこと?」

「はい。

私にもある程度は出来ますが、その子は更に凄いことが出来たのです」

「お父さんより!」

この頃の私はこの世で一番凄いのは父だと信じていた。

だから、この言葉に驚いている私がいた。

「はい。

でも、その子は新宮司の家の決まり事で、偉い人の身代わりになってしまう運命が待っていました」

人柱。

朝廷に降り注ぐ、病や呪。

時の権力者達を災いから守るために、捧げられる人身御供(ひとみごくう)

権力者に向かう筈の呪は、朝廷に敷かれ強大な結界に阻まれる。

人を呪わば穴二つと言うように、その呪いが術者に帰れば問題は無いが、偶に行き場を失い次々に呪いを取り込み増大していくものもある。

いつか結界を打ち破る程に成長するものを阻止する為に作られたのが、人柱システム。

朝廷から跳ね返り行き場を失った呪いを、引き寄せ、その身に受ける。

人柱に選出された者は呪いをひたすら受け、耐える。

死に、呪いごとあの世に旅立つまで。

術者は大概が呪いに対する耐性を備えており、法力が高ければ高いほどその能力は高くなる。

だからよく、麻薬を使い能力を引き出すなどされていた。

新宮司は道具として存在を許された家系だったと、父に聴かされたことがあった。

「…みがわりなんてだめだよ!」

「そうですね。

だけど、その子は凄い子。

知らない内に、責任を押し付けようとした悪い人達を懲らしめていました」

(確か静姫クラスになると、呪力(じゅりょく)に勝手に反応して結界を張るとか)

うろ覚えの知識から父の話に合いそうなものを引用してくる。

子供の頃とでは受け取り方まるで違っていた。

「すごい!さすがすごい子だね!」

私は手を叩き喜んでいた。

何も知らない無邪気な私が。

よく解らない。

だけど、その無邪気さが無性に許せないと思った。

「……そうですね。

その子は余りに凄いので、偉い人たちは疎んで、…嫌って、山の奥に閉じ込めてしまいました」

「…かわいそうだよ」

「その子は山奥で一人淋しい毎日を過ごしていると、そこに少年が遣ってきました。

その少年も偉い人に嫌われて、山奥へと遣ってきたのでした。

二人は直ぐに仲良くなり、一緒に過ごすようになりました」

「めでたし、めでたしだね」

「勝手に話を終わらないでください」

「続きがあるの?」

「寧ろ、これからがお話したい所なんですが」

「しかたないなぁ、聞いてあげよう」

再び、踏ん反り返る。

「ははは、ありがとうございます」

乾いた笑いと、お礼を述べると先を話し出す。

「女の子は少年の話す、いろんなお話が大好きでした。

山奥にいては解らない数々の出来事。

見ることの出来ない風景。

どれも、女の子には知ることすらなかった世界。

女の子は山奥から外に出たい、そして少年の話す幾つものを見たいと願いました。

少年は女の子に外を見せてあげたいと想い、頑張った末に女の子と外に出られるようにして貰いました」

「よかった!」

「女の子には外は楽しく、少年と見て周る日々は幸せでした。

だけど、少年は残念なことに事故に合い、動けなく成ってしまいました」

(…動けないか。

流石に六歳の子供に命を失ったとは言えないか)

「そんな、せっかくお外に出れたのに」

「女の子は少年を助けたくて、元気に成りますようにとお願いをしました。

熱心にお祈りする女の子。

木の神様は可哀相に思い、少年を助ける方法を教えてくれました。

{私に少年を預けなさい。

そうすれば、三百年後に少年を助けてあげよう}と、木の神様は言いました」

「それで!」

「どうしても少年を助けたい女の子は木の神様に預けました。

その神様は今も女の子との約束を果たすために、この神社に生き続けているのです」

「あの枯れてる大きな木がかみさま」

私が指差す先には、新宮寺の御神木があった。

「そうですよ。

少年はあの木の中で眠っているのです。

神様が約束した日まで」

(何処に鬼の話があったのよ! 騙したな、あのクソ親父!)

これでは覚えている筈もない。

まともに話を聞いた覚えがないのだから。

「やくそくの日はいつなの」

「もう直ぐですよ。

その時が来たら、少年の手が木から出してくれと現れる筈です。

見付けたら助けてあげてください。

鼎、女の子の願いを叶えてあげましょうね」

もしこの事が現実に起こったら、恐ろしい光景にしかならない。

(なにも知らずにそんなの見たら、死体が埋め込まれてるとしか思わないって)

正直、想像しただけでもゾっとする・

「うん。

しょうねんさんをたすけてあげる。

そして、女の子に会わせてあげるの」

「……そうだね」

叶わぬ願い。

無邪気な私が口にしている。

そのことに腹が立つ。

「かなえ、頑張ってね」

お盆に氷とお茶がたっぷり入ったコップを三つ乗せ戻ってきた母が、私に励ましの言葉を送る。

(お母さんまで、そんな無責任なことを)

「うん!」

「はい、良いお返事です。

さあ、氷が溶けちゃわない内に飲みましょう」

「頂きますよ」

「いただきます!」

「仁さん、先ほどのお話はあの方から聞いた話でしょう。

それを伝承にするのは」

「そうですか?

この物語は伝承に重なると知っていますし。

だから、嘘ではありません」

「…そうかもしれませんね。

…私はあのお方を救って差し上げたい」

「そんな顔をしないでください。

木霊の書が完成すれば、進展がありますよ。

その為に私の元に嫁いでくれたのでしょう」

「…仁さん、怒りますよ」

静かな声音。

本気で母が怒っている。

「失言でした。

済みません」

「…私が信用できませんか」

「信頼していますよ、誰よりも」

微かに息を呑む母。

「こらこら、子供の前で泣く奴がいますか」

「お母さん、どうしたの。

お父さんにいじめられた」

口元に手をやり、首を横に振る母。

「…違うの。

これは嬉しいから」

「うれしいのになくの」

「そうよ。

本当に嬉しいと泣けてくるの」

「そうなんだ。

…ほんとうだ。

お母さん、ないてるけどうれしそう」

幸せな記憶の一場面。

困り顔の父。

嬉しそうに泣く母。

その中に包まれ、活き活きとしている私。

夢なのに、幼い頃の私なのに嫉妬してしまいそうだ。

(…戻れない過去。

……!

そうだ、此処は私の居るところじゃない!)

無力な自分。

それでも父の元に居たい。

(そうか、嫌いなんだ。

何も知らないで、無邪気なままでいる自分が。

苛立ちを感じていたのは私自身にだ)

「帰らないと、何も出来なくても現実に」

声に出したら、光景に靄が掛かる。

薄れていく夢の形。

(お母さん、行って来ます。

又、夢で会いたいな)

白く塗りつぶされていく世界。

そして、私の意識は覚醒していく。




最初に感じたのは痛み。

背中から鈍痛がしてくる。

背骨は正常に健在しているみたいだ。

後頭部も結構痛んだが、背中ほどではなかった。

目蓋が重く、中々開けられないので先に大きく呼吸をする。

ズキッ。

肺から思わぬ痛みが走る。

その為、呼吸困難に陥る。

ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ、…ヒィイ、ヒィイ。

肺が落ち着きを取り戻してきた。

「キィィィィ―――!」

怪鳥の雄叫びに、心臓が跳ね上がる。

(そうだ、お父さんは!)

あれほど重かった目蓋がすんなり開く。

(これは!)

網膜に飛び込んできたのは、空襲の跡地のように変わり果てた庭だった。

大穴が転々しており、神社に至っては全壊していた。

この視界に父の姿を捉えることは無かった。

(何処!)

ドオオオォ―――!

体が浮き上がりそうな衝撃が地面から伝わってくる。

(戦いは続いてる。

なら、お父さんは生きてる)

直ぐに体を起こそうとする。

ズキッ、ズキッと背中から脳に痛みを訴える信号が送られ、変換されて戻ってくる。

「大丈夫、大丈夫、動く、動く」

声に出し、自分に活を入れる。

手をつき、体を押し上げる。

かなり強く背中を打ちつけたらしく、息が滞るぐらいの痛みが引っ切り無しに押し寄せてくる。

痛みに反応して、涙が零れていく。

(なんでもない、なんでもない、なんでもない)

一度固く眼を瞑り、覚悟を決める。

唇を噛み、背中以外の所に痛みを発生させ、意識を背中から逸らす。

地面に涙と血がポタポタと滴る。

「うりゃあぁーーー!」

掛け声一発。

その勢いに乗り、立ち上がる。

ハア、ハア、ハア。

息を切らしながらも立つことに成功。

(…乗り越えた。

行ける)

先ずは父の安否の確認。

同じ過ちは犯さないように、結界に触れないようにしながら、御神木の周りを歩く。

(確か、グリフォンの声は御神木の裏からした)

(ばく)!」

父の声。

私は痛みを忘れ、裏側に急いだ。

そこには地上に黄土色の鎖に繋ぎ止められたグリフォンがいた。

もう少し先に視線を送ると、父を発見した。

「!」

私は何とか言葉を飲み込んだ。

声を出せば、父が此方に気取れ致命的な隙を生じさせてしまうかもしれないと踏んでだ。

堪えることが出来たが、左腕を覆っていた袖を紅く染め上げている父を見て震える。

(私の所為。

結界に吹き飛ばされた時、お父さんは動揺したんじゃ)

父の表情に焦りがありありと表れている。

無事を報せるべきか、終局まで沈黙を守るか。

判断を誤れば、大切な者が再び失われてしまう。

(…どうすればいいの。

どうすれば)

焦燥感にじりじりと高まっていく。

そこへ、事態は悪化を辿る。

「キイイイイイィ―――!」

鼓膜が悲鳴をあげそうな、大音量の叫び。

その叫びは、グリフォンを束縛していた鎖を希薄にさせる。

次ぎの瞬間、グリフォンは鎖を千切り飛ばした。

「無駄ですよ。

そいつは貴方の為に用意した幻獣です。

術法障壁能力、法力拡散能力、極め付けに法術抗体をも備えた優れものです。

殆どの術を無効にしてしまう怪物相手に、人間が勝てますかな」

胸糞悪いテラングィードの説明が聴こえてくる。

(そうか、グリフォンの叫びは法力を分散させてしまうんだ。

だから、障壁も束縛も受け付けなかった。

お父さんに勝ち目がない!)

翼を羽ばたかせ、空中へと身を翻すグリフォン。

(何とかしないと……)

焦りが心を支配していく。

冷静にと叱咤し、持ち物を確認。

普段使わない符。

因みに符には遠見の符、つまり視力を上昇させる符が一枚。

役に立たない。

父から渡された小径銃。

物理攻撃にも対応する五龍結界に遮断されるがおち。

……無い。

ポケットの中身は打ち止めだった。

(なら、知識を絞り出せ)

どうもサボり癖がついて、最近まともに勉強した覚えが無い。

符術の知識は基本中の基本しか記憶されていなかった。

ならばと、いろんな分野から役に立ちそうな知恵を探る。

……焦っているに浮かんでくる筈もなく。

(ああ、他に、他に!)

周りを見渡す。

(あっ!)

花びらが視線中を通過する。

突如咲き乱れた御神木、鬼の伝承、木に眠る少年、約束の刻。

(手、手はどこにあるの!)

最後の望み。

藁をも掴む状態だった。

何の確証もない。

しかも、鬼が復活したところで、味方に出来るとも限らない。

でも、これ以下には成らないだろう。

(そうだ、遠見の符!)

無雑作に突っこんでおいた自分に感謝。

ポケットからクシャクシャの符を取り出し、皴を伸ばす。

前方に翳し、神経を集中させる。

身体から符に力が注ぎ込まれていくようにイメージする。

(繋がった、いける)

言霊を送る前に眼を瞑る。

眼開(がんか)

小声で発動のキーワードを紡ぐ。

ゆっくりと見開いていく。

設定の通りなら、視力4.0位になる筈。

バンッと年季を漂わせる樹皮が飛び込んでくる。

(せ、成功)

「キイイイイィ―――!」

プツンとテレビの電源が消えるように視界が暗くなる。

(あの怪鳥がぁ!)

法力拡散音波により、私の術は無残に消え失せた。

一度眼を閉じ、開く。

元通りの視力。

(探そう)

動き出すと体が次第に重くなって行く気がする。

(あれぇ、変だな。

背中の痛みは和らいできたのに)

背中の傷は想ったよりも酷いのかもしれないと、急いで鬼の手を捜す。

(木の神様、約束の時は今日だよ)

一回り三十メートルはある御神木だ。

簡単に見つかる筈が、

「あった」

その部分は木ではなく、間違いなく人の皮膚で構成された手が生えていた。

(そんな、こんな事って)

捜しておいてなんだが、現実に見ると信じられない。

(お嬢さん、こいつを引っ張り出しては貰えんかの)

「誰なの」

(変だな。

大声したつもりなのに。

意識が朦朧としてきた。

だから、こんな幻覚と幻聴がダブルパンチしてくるのかな)

弱弱しい自分の声音。

限界が近い。

(ばん)と呼ばれる大地の精じゃよ。

お譲ちゃんの目の前に居る)

「あ、木の神様だね」

(…生命波動が低いのう。

ワシの一部が体内にあるから会話出来るとは言え、少々不味い…。

脈拍も低下してきておる。

これ以上の出血は命に係わる。

…此方に来なさい)

(出血?

…なんだ、ズボンが濡れてるのはその所為か。

道理で体が重い訳だ)

思考が麻痺しているせいか、冷静に自分を見つめれた。

「それよりも、神様お父さんを助けて」

(…ワシには何も出来ん)

私の願い一蹴されてしまう。

都合のいい事だとは判っていたが、それこそ私には何も出来ない。

「お願いします。

私じゃ、非力な私じゃ何も出来ない!」

体の苦痛ではなく、心が悲鳴を上げている。

頬についた涙の跡に、また雫が流れる。

(…この結界を破ることぐらいなら出来る。

後、記憶に細工を施しておこう。

旨く行けば、助けに成ってくれる。

その為にもせめて止血を行おう。

傍に寄りなさい)

私は素直に従った。

もし、これが悪魔の誘いでも父を救えるのなら、乗っていただろう。

(さあ、ワシに触れなさい)

言われるままに、御神木に右手を添える。

(あれ、体が熱くなっていく)

体中の細胞が発熱しているような、そんな感覚だった。

背中の痛みがぶり返してくる。

(痛みを感じるなら、大丈夫。

回復している証拠じゃ)

(もしかして、かなり危なかった?)

痛みすら麻痺し体中が冷えきっていた事に、今更想到し怖くなってきた。

(よし、止血は終了じゃ)

だるさや痛みは残っているが、先程までの目眩や朦朧とした感覚は抜けていた。

(さて、本題に入ろう。

ワシの周りに張り巡らされた結界は地脈を利用したものじゃ。

これからお嬢ちゃんにはそこの手を引っ張って貰う。

そうすると、龍脈が一斉にワシ目掛けて駆け上る算段になっておる。

馬鹿でかい力の奔流じゃから、あの杭など吹き飛んでしまうじゃろう。

そうすれば、結界は破れる)

(…結界が解ける。

後はこの銃で)

早速、手に手を掛ける。

(待ちなさい。

お嬢ちゃんの体は致死量を超えなかっただけで、大量の血液を失っておる。

まともに動ける訳がない)

「でも、これしか考えられないの。

私馬鹿だから」

左手に握った銃に眼を落とす。

(助けになるか判らんが、頼んで見なさい。

その手の赤凪(しゃな)という人物に。

無理をするなと言っても無駄じゃろうが、無駄死にはするなよ。

凪穂(なほ)に良く似たお譲ちゃん)

鬼に助けを請う。

それは、最初の目的。

「ばんさん、ありがとう」

生きてお礼を人?に述べるのはこれで最後かなぁと思い、悔いの無いうちにしておく。

(私の命を挙げる。

だから、私の願いを叶えて!)

右手でガッチリと生気の無い手を掴むと、御神木に足かけ全力で引っ張ろうとする。

その行為は儀式みたいなもので、きっかけに過ぎないのだろう。

(凪穂、逃げろ!)

脳裏に埋め尽くす、感情の塊。

相手のことを必死に想い、悲痛な叫びをあげている。

生えている手が痛いぐらいに私の手を握る。

(これって!)

途方もないイメージが流れ込んでくる。




火の手が被いつくし、逃げ場の無い只中に私はいた。

私が見ているのは対峙する者達。

一人は2メートルを超える大男。

大地さえ打ち砕きそうな拳と、あらゆるものを跳ね返しそうな鋼の体。

極めつけは頭部に雄雄しくそそり立つ角。

(これが鬼)

鬼の憎しみしか映し出さない瞳に晒されているのは、…息を呑むほどに美しい少女だった。

大きめの瞳は一片の脅えを湛えておらず、それどころか挑発的に微笑すら浮かべている。

だが、それは

「強がるな!」

分っていた。

少女に力は残っていない。

あれは唯の時間稼ぎだと。

「今は引け!」

私の叫びを少女が受け入れない。

額から流れる血が私の視界を片方奪う。

額や右腕、腹部に太ももから激痛が迸る。

心音が頭の中で酷く響く。

「赤凪、楽しかったよ。

この一年は本当の意味で生きていた。

恩返しには成らないけど、せめて貴方は生きて」

「馬鹿を言うな!」

(動け、動け、どうせ助かる体じゃない。

なら、凪穂だけでも!)

理解した。

これは赤凪と呼ばれた人の視点。

私が見ているのは彼の心。

刀身を地に突きたて、体を起こす。

赤凪穂(しゃなほ)、わが半身よ。

力を遣せ!)

それに応えるように刀身が赤光を放つ。

芯から抜け落ちていくものと引き換えに、身体が活性化していく。

蝋燭の末端のように輝き。

「たかが鬼風情が、俺の大事な者に手を出すんじゃねえ!」

「赤凪、駄目よ!」

地を揺るがすような跳躍。

穴の空いた太ももからブチブチと神経の断たれていく音がする。

「馬鹿め!」

鬼がこちらに標的を鞍替えし、凶悪な爪で刺し貫こうとしてくる。

…爪は私の胸を貫通し、鬼の腕に串刺しとなっていた。

「イヤァァァ!」

悲鳴が火の粉と共に舞い上がる。

「馬鹿は貴様だ!」

鬼は凍りついた。

絶命している筈の者からの言葉。

そして、力を宿す少年の瞳を鬼の瞳の中に私は見た。

紅き刀身は鬼の胸に吸い込まれる。

「こんなもので!」

(無駄だ。

こいつは鬼切り刀。

如何なる鬼もその呪力から逃れられない)

ぼろ屑のように投げ捨てられる。

上下左右に地面が回っていた。

何もかも抜け落ちた体に痛みなど大層なものを感じるはずもなく、幾度か全身を打ちつけた所で止まる。

「抜けぬ、抜けぬぞ!」

(五月蝿いな!その口黙らせてやる!)

刺さった刀にもがき苦しんでいる鬼。

私の視点が立ちあがる。

「何故、何故死なぬ!」

驚愕を通り越し、恐怖に表情が固まる。

憎しみに歪んでいた瞳には恐れしか浮かべていない。

(馬鹿には言うことは無い!)

「凪穂、生きろよ!」

放心状態の少女にこの世に残す最後の言葉を吐くと、大地に掌を当て、意識を龍脈に這わす。

(同化して彷徨っても構わねぇ!これが、最後だ!)

龍脈の流れが、私に向かい集まってくる。

それに伴い、地鳴りと地響きが増していく。

「止めろ、止めろ、止めろぉ―――!」

言い知れぬ恐怖に負けた鬼が、必死の形相で襲いかかってくる。

突然地割れが生じ、鬼と私を呑み込んでいく。

落下をしながら、鬼の胸に刺さっている刀の柄を掴む。

(死ね!)

地割れの中は龍脈のエネルギーが充満していた。

それを身に受け、刀を通し流し込む。

「ゴッフッ、フッギアアアアアアアアァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

天地をも揺るがしそうな悲鳴。

だが、その悲鳴は直ぐに聴こえなくなる。

意識は龍脈に打ち消され、跡形も無く流されていく。

そこで映像が途切れる。




ゴゴゴゴゴォォォォ!

地震が私を現実に呼び戻す。

(今度は夢じゃない。

龍脈がばんさんに流れ込んでいく音だ)

あんな光景を目の当たりにしたのに、意外と冷静な自分がいた。

いろんなことが在りすぎて、麻痺しているに違いない。

(もうすぐ、結界が吹き飛ぶ)

左手の銃を胸に抱き、右手で少年の手を握り返す。

(この手は少女を守った、偉大な手なんだ)

握っていると安心できた。

こんな地震なんか、まるで怖くない。

「・・・・・・・・・・・・・」

誰かの声がするが、地鳴りが凄過ぎて聞き取れない。

(お父さん、今行くから!)

ゴゴゴゴゴォォォォーーーー!

遠くから、一段と大きな地鳴りがしてくる。

(来た!)

(お嬢ちゃん、しっかり?まっておれ)

万の声を合図に巨大な波が来る。

…大地に罅が奔り、裂け、そこから大木と変らないほどの木の根がうねりながら地上に姿を現す。

世界中の轟音が集結したかのような音、音、音。

目まぐるしく大地は胎動を繰り返す。

母屋の方も大地の怒りともいえる揺れに傾いてきている。

崩壊した神社は横滑りに地を徘徊している。

結界を維持していた杭がエネルギーの蓄積許容範囲を超え、砕け散る。

最早、新宮寺の内苑にまともな形状を残したものは存在していなかった。

………永遠に続くと想われた地震は唐突に止まり、辺りを静寂に誘う。

バサーーー。

今頃になって反応を取り戻した花びらの群れが、私を生き埋めにする。

(く、口の中に)

「ぺっ、ぺっ、ぺっ、…はあ~」

胸の辺りまでが完全に埋もれていた。

一つ一つが軽い花びらでも、ここまで量があると、身動きも出来ないほどの重圧が掛かる。

(あ、あれ?

あれれ?

動けない!)

溜まりに溜まった鬱憤を晴らすために叫びたいが、寸でのところで思い留まる。

そんなことをすれば居場所がばれ、足手まといどころか人質にされかねない。

(…どうする、ここに隠れて射撃チャンスでも待つか?

…なにか忘れているような?)

埋もれた右腕を動かす。

ザザザァ。

重い。

右腕に掛かる重量が半端じゃない。

人を抱えているぐらいの重さはある。

それは握っているものの所為だ。

(……ああ、忘れてた!)

この事態を打開する秘密兵器、になるやもしれない人物。

「しゃなさん!」

息を吸い込み、桜風呂に潜る。

潜ると言っても、顔を埋め、力の入りやすい体勢を取り、右腕に左手を添えただけだ。

予感はあった。

木から生えていた手の高さは、私の胸の辺り。

それが今は腰の辺りにある。

なら、答えは一つ。

(出て来たんだ!)

全力で引っ張り上げる。

だが、女の細腕に殆ど残っていない体力。

その上に花弁のプールから人を引き上げるのだ。

(重い、びくともしない!)

「んんんんんん!!!」

握力の臨界点。

もう、握ってもいられない。

その時、握り潰されるかと思うほどの圧力が右手を襲う。

「ギィヤアアアア!」

怪鳥の如き悲鳴をあげる私。

今の私に、見付からないように声を張り上げないなんて項目は無い。

在るのは、骨が軋みをあげる万力のような圧力の痛みを、大声で逃がすことだけだった。

「…悪い。

万爺め、俺を窒息させるきか。

花弁に埋もれてたのを助けてもらってたんだな。

何事かと思ったぜ」

緩まる圧力。

私は直ぐに右手を引っ込め、左手で擦る。

「で、誰なんだ、お前」

目の前の男が何やら喋っているがそれ所ではない。

……それ所だった。

「しゃなさんですか?」

いつの間にか花弁の海から顔を出し、こちらに敵意の眼差しを送っている若い男がいた。

黒き瞳に太い眉。

(あ、やっぱり鬼じゃない)

黄金の瞳に天に雄雄しく向かう角。

彼はそのどちらも有していなかった。

意地悪そうに釣りあがった口元が妙に子供ぽい。

それとは裏腹に何処と無く大人びた雰囲気が漂っている。

同い年位の私とは豪い違いだ。

正直、この男の人が赤凪少年か分からない。

何故なら、私が見たのは鬼の瞳に写る姿のみ。

赤凪少年を正面から確認したのはこれが始めてだった。

「…ですかか。

刺客ではなさそうだな」

「…あの」

違和感を感じる。

「伝令の者か。

…なら、凪穂の方にいくか。

…、何者だ」

(…記憶が後退してる?)

違和感の正体。

それは現状に対する対応だった。

彼は盛大な死を遂げた後の筈。

なのに私の存在や、今の状況に疑問を感じていない様子だった。

「変わった着物を纏っているな。

京はそんなのが流行なのか?」

(そんな事はどうでも…、良くないけど、今は)

「お願いがあります、ばんさんが貴方に頼めと」

「万爺の知りあいか。

…万爺には借りがあるからな」

細工、その言葉が脳裏に過ぎる。

(ばんさんが記憶に細工をしておくって、この事かな)

昨日の父のように、いきなり鋭い目つき変貌すると、私の腕を掴み抱き抱える。

顔の毛細血管が全開に開いていく。

「なっ」

文句が口に出る前に彼は私を抱いて、全て花散ってしまった御神木に飛び上がっていた。

「鼎ぇ!」

父の声がビュゥーという風斬り音と共に微かに聞こえる。

ドフゥ。

花びらが舞い上げる巨大な生物が先程までいた所に埋没していた。

「妖魔か、…濁念が渦巻いているな」

人を抱えているのに、身軽に枝から枝に飛び移っていく。

私は怖くてその体にしがみ付いた。

(……は、は、はだか!)

素肌に触れて分かったが、彼は一糸も身に着けていない。

それは当然と言えば当然だ。

半壊している母屋に屋根に着地すると、私を降ろす。

「何だね、露出狂かね。君は」

冷静で的確なツッコミが吸血鬼から飛ぶ。

「ろしゅつきょう?

何だ、それは」

現代語彙を知るはずも無い。

隙を見せず、彼が徐に聞いてくる。

「…恥ずかしげも無く、服を着ないで出歩く人のことです」

間違いではないだろう説明を、視線を逸らしながら言う。

「…うを! 何で裸なんだ!」

気付いていなかったらしく、うろたえまくる彼。

可哀想に想えた。

私は上着を脱ぐ。

背中の部分は裂けた上に血のりがべったりと付いていた。

(まあ、無いよりましだろう)

私は「下半身を隠してください」と上着を渡し、催促する。

受け取るといそいそと腰巻に仕立て上げる。

「何者かね、君は」

「その台詞、そのまま返す」

少し頬を赤らめた彼が、月並な台詞で切り返す。

「私の結界網に架からないとは」

寒い。

血液が失われ体温が落ちているとか、上着を貸してあげたとか、そんなレベルではない。

蛇に睨まれた蛙。

天敵が牙を剥いてきた時に感じる、最高峰の恐怖。

吸血鬼の放つ異様な雰囲気に彼は少しも動じて折らず、感情の片鱗すらかき消した声を発する。

「妖魔の親玉か。

…大した罪だな」

「ほおぅ、因果が見えるのですか」

「……」

彼が押し黙ると、息苦しくなっていく。

全身の毛穴から冷たい汗が噴出していく。

(変だな。体の震えが止まらない)

それに伴い、吐き気が込みあげてくる。

(居たくない、此処に居たくないよ!)

「下がっていろ」

その声に反応できないほど、恐怖に心を巣食われていた。

思考が停止寸前のところで、理解した。

赤凪が物静かに吐きだしているもの。

それは殺気。

向けられていないのに、侵食し、蝕み、犯していく。

こんな殺気を直接向けられたら、自ら命を絶って開放されたいと願うだろう。

(怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、こわい、こわい、こわい、こわい、こわい、コワイ、コワイ、コワイ、コワイ、コワイ)

立つことも儘なら無くなり、瓦に膝を付く。

「おやおや、そちらのお嬢さんは耐え切れないようだよ。

君は表に出し過ぎですね」

両腕で体を抱きしめ、汚物が逆流してくるのを耐える。

涙腺から止めどなく溢れる涙、喉が渇きすぎてひりひりしてくる。

生を拒否し、死滅の想いだけで構成されている気配が身体異状を促している。

(コ、ワ、イ、コ、ワ、イ、コ、ワ、イ、・・・・・・・・・・・・・・・・)

最早、言葉に意味すら忘れた脳が、ひたすらに羅列を掲示する。

知らない内に、舌に歯を食い込ませ噛み切ろうとしていた。

…頬に押さえつけられ、顎が上げられなくなる。

切れた気配と、顎の痛み、何より舌から滲みでる血の味が、私を正気へと戻らせる。

「…悪い。

大丈夫か?」

「ひゃい」

頬を両側から挟まれているので、間抜けな返事しか出来なかった。

噛み切る寸前で彼が頬を押さえ、開口させてくれたのだ。

命を拾った代わりに、押さえられた勢いと、噛み切ろうとした顎の力で歯が肉を削り取り、口内は血の海。

鉄の味しかしない。

「済まない、自制しきれていなくて。

又、凪穂に説教を受けるな…」

謝罪し、ぼやく。

私の眼球を除き、焦点が戻ったのを確認すると、赤凪さんは再びテラングィードと対峙する。

今度は微量にしか感じない殺気。

僅かに気分を害するが、耐えられないほどではない。

「…私に劣らないほどの罪の因果。

どれほどの命を糧に生きてきたのか、興味がそそられますね」

罪の因果。

生きとし生けるものは、その生涯において罪を背負う。

その中でも同族殺しは大きな罪を背負う。

因みに最大の罪は同種食い。

種族の尊厳に関わるこの行為され、最も重い罪を被る事となる。

「能書きはいい。

お前を見ていると、吐き気がする。

消えろ」

「そうですね、彼の相手もそろそろ飽きた所です。

換わりに貴方が、私の使い魔を相手してくださいますか。

もし、貴方が勝利を収める事が出来れば、その言葉呑みましょう」

(そうだ、お父さんは!)

最重要項目がすっかり抜けていた。

疲労困憊、満身創痍、そんな体に鞭を打ち、私は立ち上がる。

(グリフォンがいる辺り、…居た!)

左腕が使いものに為らなくなりながらも、奮闘する父を発見。

上空からの襲撃を紙一重で躱し、爆風を片手で張った結界で防いでいる。

「…貴様の目は節穴か。

あの者の何処に助けがいるんだ」

悪い冗談だと想った。

どこら辺が助けを必要としてないのか分からない。

「…ほう、貴方は私の使い魔が負けると」

「ああ。

万が一にも敗れるようなら、俺が相手してやる」

「お願い、お父さんを助けて、しゃなさん!」

「…頼みごとって、そのことか。

なら、鳥越し苦労だ」

冷淡に言い放つ。

「これでも符術戦は熟知している。

集中している限りあの者は死なない。

それより、こいつが横槍を入れないよう見張っている方が利になるだろう」

「あっ」

思い出す。

何処と無く焦燥感に駆られていた父を。

(もしかして、五龍結界に飛ばされて大怪我をした私を見て焦ったんじゃ。

…私の有様に冷静さを欠いて、その結果が左腕負傷と戦いの遅れ。

この人の言うことが本当なら、マイナス要因を作ったのは全部私だ…)

顔面蒼白。

赤凪の記憶に触れたことで、彼が戦闘に関して素人ではないのは解っている。

なら、私の推理は肯定されることに。

精神にも多大なダメージが蓄積されていく。

「どうやら納得してくれたようだな。

…ところで、何をそんなに消沈している」

「…自己嫌悪に苛まれているだけです。

気にしないでください」

「……そうか」

不振人物でも監視するような視線を感じる。

止めを刺された気分だ。

「一つだけ出来ることがあるぞ」

意外な申し出に、私は沈んでいた顔を上げる。

「あの者にとって、お前が大切な存在という自信があるなら、無事を知らせてやれ」

「…どうやって?」

「馬鹿か、お前は。

その口は飾りか?」

ぶっきらぼうに私の道を示してくれる。

もう我慢する必要は無いと言われた気がした。

私はカラカラの喉に、血の循環液を流し込む。

肺に空気を溜め、今夜最後の力を振り絞る。

「お父さんぁ―――ん、私は無事だよぉ―――!

そんな怪鳥に負けるなぁ―――!」

怪鳥の叫びに負けない音量。

父は一度だけこちらに視線を向け、親指を立てる。

了解との返事だ。

(…限界かな、足に力が入んないや)

弱音が脳裏を過ぎる。

崩れそうに成る私を横から赤凪が支えてくれる。

「未だだ。

自分の足で立ち、気丈にしていろ。

そんな格好を見せたら、逆に動揺させかねない」

厳しい叱咤。

今の私には酷な注文だ。

「きついだろうが、耐えるんだな」

(…今、優しく言葉をかけられたら、それに転がってしまう。

けど、もう少し優しくしてくれても、…え!)

父の居る方角から見えないように軽くて手を添え、支えてくれる。

(はあ、…この人、不器用だな)

言葉は厳しく、行動は優しい。

何だか活力が少し沸いてきた気がする。

「はい」

意思表示をし、ガクガクする足に力を入れる。

(大丈夫、勝負が着くまで私、頑張るからね。

お父さんも負けるな!)

隣から微かに含んだような笑いがしたような気がした。

視界の先では、稀世の魔術師VS幻獣グリフォンの対決が終局に差し掛かっていた。

「手加減はお終いです。

止めを刺しなさい」

テラングィードの命令を受け、グリフォンは高らかに吼える。

大空へと身を翻し、地上の獲物に狙いを定める。

父は走り、鳥居の前で急停止する。

「廃業ですね。

神社も鳥居も全壊。

まあ、責任の殆どが私にあるのですから、何とも言えませんが」

父の久々の減らず口。

調子が出てきたようだ。

「テラングィード、貴方が自慢した三大能力、打ち砕いてあげましょう」

「…これは面白いことを。

では、披露願おうか」

符を一枚出すと、左肩に貼り付ける。

(そう)

軽く発動音を言う。

「では、遠慮無く披露しましょう」

父は宣言すると、両腕で印を切り始める。

それに触発されるようにグリフォンが怒涛の急降下を決行してくる。

(ばく)

地面から5本の鎖が踊り出て、グリフォンの捕縛しに舞い上がる。

「懲りない人だ。

無駄だというのに」

吸血鬼の余裕の笑みを浮かべた。

「無駄?

…やれやれ、研究室に篭りすぎて、戦いを忘れた吸血鬼ですか。

滑稽ですね」

束縛は確かに行われた。

だが、テラングィードの言う通り、それも怪鳥の一鳴きで、霧散してしまうのだ。

解清陣(かいせいじん)天爛(てんらん)

ここで、印を完成させた父が術を発動させる。

鳥居を囲うように幾つもの線が宙に引かれていく。

それは立体型の方陣を作り上げていく。

「キイィィィ―――!」

その叫びは鎖の効力を弱体化させ、直ぐに千切れ飛ぶ。

「遅いですよ」

叫びに立体方陣は打ち消されず、父の声を合図にグリフォン目掛けて浮遊していく。

方陣にすっぽりとグリフォンを捉えた。

(かい)!」

眼が眩む銀発光が、夜空に飛来する。

父は天爛発動を確認後、踵を返しその場から離脱。

目測を見失ったグリフォンが落下して、鳥居に激突する。

ガンッ、ゴトゴト!

これで神社らしきものは全て打ち壊されたことになる。

「僅かな隙が命取りになる。

これは戦場の基本ルールですよ」

階段部まで転げていくグリフォン尻目に、テラングィードに講釈を垂れる父。

「それと、過信と慢心も戦場で不要な項目ですよ」

「過信、慢心ですか。

そんなものは持ち合わせた覚えは有りませんが?」

「貴方はやはり、元魔術師と言うことですね。

思考が研究者向けですよ」

「…どういう意味ですか」

鋭い眼光が宿り、父を射抜く。

だが、父の口は止まらない。

「研究者というのは、自分の作品にどうも自信過剰なところが見受けられる。

故に、見落としに気づかない。

それに」

「……」

「現実は、貴方の計りで全て測れるほど簡単に出来てませんよ」

父の言葉は、相対する者の奥底を抉るような鋭利さを秘めている。

「…なら、立証して貰いましょうか」

バサ、バサ。

大気が巨大な翼に叩かれ、押し流されてくる。

空中に佇むグリフォンにダメージらしきものは見受けられない。

月明かりに照らされた幻獣は、夜の魔力を増幅させて私の心を打ち振るわせる。

(怖くないもん。

お父さんの饒舌が炸裂しているかぎり、大丈夫だもん)

恐怖に打ち勝ち、視線を逸らさない。

これが私の戦い。

見守ることしか出来ない悔しさが幾重にも心を苛む。

視界が曇る。

知らない内に私は泣いていた。

(こんな想い、二度とするもんか!)

涙を拭い、歯を食いしばり残り僅かな力で毅然と立つ。

(ばく)!」

再び束縛の鎖がグリフォンに飛来する。

いったいどれ程の符がこの敷地にセットされているのだろうか。

父はグリフォンに眼も呉れず二枚の符を地面に貼り付ける

宙で束縛の鎖に絡めてられたグリフォンの様子が、いつもとと違っていた。

鎖はこれまで薄皮一枚で止まり、動きを完全に封じることが出来ないでいた。

だが、今回は鎖が食い込んでいた。

「キッ、キキイィィィィ―――!」

初めて聞く、苦痛の叫び。

「なっ!」

テラングィードが驚愕する。

「なるほど、声そのものが法力拡散音波という訳ではありませんね」

冷静で冷酷な声音。

それは昆虫を観察し解剖していく、実験者のような響きがある。

父の説明が真実である証明として、苦痛の叫びは術の鎖は分解する事なくその場に顕現し、グリフォンを束縛していた。

「完全に封じてしまいますか、縛操線(ばくそうせん)

地に張り付いた二枚の符からそれぞれ青い縄が迸る。

蛇の如く黄土色の鎖を這い上がり、グリフォンの首に絡みつく。

「ッッッッッッ!」

青き縄に声帯を押さえ込まれ、声に変換できなくなっていく。

「これで二つ目。

後は法術抗体のみ。

グリフォンに使われた肉体の性質ですから、解術では剥がせませんね。

私の趣味ではありませんが、力押しでいきましょう」

右袖から束で符が出て来る。

三枚掴み取ると、宙に放り

貫侵槍(ついしんそう)!」

符は光の槍に化け、翼に三つの風穴を穿つ。

浮力を失ったグリフォンが墜落し、地をのたまう。

「お次は、風靭符(ふうじんふ)

四枚の符がカマイタチに起し、四肢を半切していく。

「やはり、抗体の所為で切断に及びませんでしたか」

グリフォンは半死半生といった体で、完全に勝負はついていた。

「抗体がなければ、苦しまずにいけたものを」

「…もう、いいです。役に立たない粗悪品が!」

その言葉がスイッチになり、グリフォンの頭部が内側から弾ける。

大量のトマトが散乱し潰れたように辺りを紅く染め上げた。

「見事というしか有りませんね」

「レクチャーはいるかね?」

「お土産として頂いておきましょう」

「敗因は術法障壁が魔術だったことですよ。

なら、その場で解術してやればいいだけの事」

「…解除法術ですか。

高度な術をあれだけの短時間に行使するとは。

傲慢、確かに思い上がっていました」

 それを聞き、父が眉を顰める。

「私は臆病者なので、これで退散させて貰います。

二対一では分が悪いのでね」

「予想と違って君は厄介な相手のようだね」

「お褒めに預かり光栄ですよ、ジン シングウジ。

また、お遭いしましょう」

テラングィードは身を翻し、闇夜に紛れる。

恰も、彼が闇に混じっていく印象を受けた。

それを確認し終えた父は、こちらへと走ってくる。

それを見た私は、限界を許容した。

「鼎!」

これで今夜はお仕舞い。

父の叫びを引き金に、私は緊張を解いてしまったからだ。

意識が遠のき、体を支えていられない。

誰かが支えてくれる。

暖かな体温が冷め切った体に心地いい。

安心感が胸を満たし、深い眠りに落ちていけた。

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