天地穂種
[15 天地穂種]
樹海の中にその樹はあった。
新宮寺の周りは深い森に成ってしまっていた。
空間を切り離された時に赤凪が生み出した樹海は、現世に空間に復帰する時一緒に着いてきてしまった為、新宮寺は深森と化していた。
枯果てた姿で、聳えるその樹の下で赤凪はそっと手を合わせ、黙祷する。
赤凪が長袖の黒いシャツにジーパンという、現代風の格好をしていた。
それが何かのケジメであるかのように。
(凪穂、今日でお別れだ。
今度帰ってくるのはいつか分からないけど、又来る)
それだけ告げると、新宮寺の御神木に一礼しから、離れていく。
「で、何か用でもあるのか?」
(気付いていたんですね)
「お前だろ、空間を閉じ、そして俺に木の霧を造るように語り掛けてきたのは」
赤凪の頭に直接響いてくる声。
(肉体はここにはありませんので、声だけで失礼させて貰います)
「名は」
(パンドラ ボックス。
人はPBと呼びます)
パンドラ ボックス。
千の絶望を解き放ち、底に眠っていた一つの希望を兼ね備えた、人の描いた箱。
「聴きたいことがあってな、実は接触してくるのを待っていた」
(それで一人でここに、まんまと誘いだされた訳ですね)
「別に、お別れを言いに来ただけだ。
で、…お前は何者なんだ?」
(さあ、僕自身それを知りたい。
僕がPBなんて呼ばれるのはそれが理由です。
マスター、僕の生みの親はカオスの集合体と、故に絶望と希望の入り混じり者、PBと名付けたのです)
「…助けて貰ったお礼に、良いことを教えてやる。
絶望と希望を持ち合わせて生まれたもの、それを生命、そして人と呼ぶんだよ」
(死ぬことも無い、そして揺れることの無い者である僕が人だと?)
「お前は自覚が無いんだよ。
それを言う前に、もう一つ質問だ。
何故、手助けをした」
(…最初は監視でした。
しかし、僕自身この結末を見たくなっていた。
こんな感情は初めてだった)
「どこら辺が、揺れることの無い者なんだ。
お前は事象を見て、感情を揺らめかした。
それが何よりの証拠だと想うがな」
(……)
「青臭い台詞は苦手だな。
…人というものは、支えられて人になる。
一人で、支えられないで生きられるなんて言う奴は、傲慢でしかない。
人は生まれた時と、死ぬ時しか一人にしかなれる瞬間はないのだから。
お前の中にもその定義が当て嵌まる事があるんじゃないか?」
万が、昔赤凪に投げかけた言葉をそのままPBに送る。
あの時は鼻で笑ったが、今ならその意味が分かる気がする。
(…僕が人)
「それを本当にするかはお前さん次第だ。
それにな、世界は俺らが守らなくても良いくらいには強い。
お前が空間を隔離しなくても、俺が混沌を押さえ込まなくても、世界は在り続けた」
(なら、どうして戦ったのですか?)
「私怨だよ。
もう一つ理由があるなら、俺が人だからだな。
確かに、世界は無くなりはしない。
だが、人が生きるには厳しい環境にはなってしまうだろう。
俺は天を地を、凪穂が見たかった世界を守りたかった。
それも一つの支えだろう」
(あの少女の為にもですか?)
「…まあ、そう言う事にしといてやるよ」
ぶっきらぼうに、赤凪は続ける。
「実のところ、混沌なんて集合体は天地創造がなされた時に失われている。
…生命には、混沌の欠片が備わっているんだよ。
だから五行が揃い、門が開かれたとしても、そこにあるのはものけの空だ。
…基盤となる世界の定義は、生命一つ一つに散りばめられ、その理を世界に反映している。
だから命にはそれぞれ役目と、意味があるんだ。
どんな小さな命にもな。
…混沌とは、人なのかもしれないな。
世界を創るのも、壊すのも、所詮は人(混沌)である俺達なんだろう。
もしお前が混沌というならば、それこそ人の証明だろう」
(…混沌が人。
そして、僕も…。
何か見えてきた気がします。
貴方と話せて良かった)
「そうか…」
(シャナ、これから貴方はどうするのですか?)
「旅に出るよ。
凪穂と約束していたんだ。
鬼退治が終わったら、いろんな世界を見て周ろうと。
だから、凪穂が見たかった世界を沢山見て周ろうと想う。
凪穂の分まで」
赤凪は吹っ切れたような顔をしていた。
恐らく何日も悩み、苦しみ、その上で自分を許せたから出来る顔なのだろう。
(そうですか…。
何処かで会えるといいですね)
「俺は静かに観賞して周りたい。
面倒事に巻き込まれるのは勘弁だ。
だから、厭だね」
(意地悪な人ですね。
…良い旅を)
「ああ」
赤凪はこうして、凪穂と赤凪穂の眠る御神木の元から去っていった。
枯れ果てていた樹の下に、新しい命が芽吹いていた。
それがこの御神木の周りを埋め尽くし、穂を山ほど付け、海原のように凪ぐ頃には、此処へ帰ってこようと。
母屋は意外にも無事で、樹海の隅で日の光すら浴びれないで、健在していた。
その玄関を赤凪が潜る。
「行くのですか?」
リュックを背負った赤凪に向かい、後ろから玄関を潜って来た仁が訊ねる。
「ああ。
悪いな、いろいろと準備して貰って」
「なあに、これ位は何のことはありませんよ」
そう言うと、仁は少し困ったような顔をする。
「鼎には何も言わないで行くのですか?」
「どうせ文句しか飛んでこないさ。
折角の門出だ。
晴れ晴れとした気持ちで迎えたくてね。
文句は帰ってきてから纏めて聞くとするよ」
「そうですか」
「ああ。
だから、それまで凪穂のことを頼むよ」
「綺麗な花を咲かせておきますよ。
安心して行って来てください」
「ありがとう。
じゃ、鼎に見つかる前に行くとする」
「ええ、頼みましたよ」
「?、ああ」
何を頼まれたのか分からないままに返事をし、赤凪は樹海に囲まれた母屋から旅立っていく。
「寂しくなりますね。
…やっぱり、瑚乃恵の子ですね。
一途で、頑固者。
本当に頼みましたよ、赤凪君」
(やっぱり親より、好きな者を取りますか。
寂しいですね)
ちょっとだけ感傷に浸る仁。
「さて、字菟螺もう出てきていいですよ」
「約束を破り、申し訳御座いません」
仁が下した命令、此処に二度と来るなという約束を字菟螺は今まで守り通していた。
「呼んだのは私ですよ。
で、現状は」
「静様のご崩御により、派閥争いが活発化しております」
「はあ」
大げさに溜息をつき、仁は呆れ顔をする。
「勢力分布が大幅に変わり、静姫により良い目を見ていたこの国は、その煽りを諸に受けるというのに、暇なことだ。
字菟螺、貴方には協力して貰いますよ」
「はっ、何なりと」
「まさか、鼎と赤凪君が帰ってくる頃には、国が無くなっていたなんて話は洒落になりませんからね。
忙しくなりそうです」
「では」
「新宮司は私が纏めます。
そして、最低限の自主権をこの国に築かないといけません。
やることは山のようにありますよ。
覚悟してください」
「はい」
「それと、字菟螺」
「はっ」
「今まで、新宮司を守り通してくれてありがとう。
お前も辛かっただろうに、感謝しています」
仁は知っていた。
字菟螺が瑚乃恵のことを実の姉のように慕っていたとこを。
それなのに心を殺し、己の職務を全うしてくれていた。
「勿体無いお言葉です」
字菟螺は本気でそう想っているらしく、片膝を着き、頭を垂れる。
「止してください。
それより、これから貴方は私の右腕です。
しっかり働いて貰いますよ」
仁はそう告げると、微かな木漏れ日が忍び込んでくる隙間から空を見上げる。
(今日は、絶好の旅日和だ。
良い門出になりましたね)
仁は大切な者達の祝福を祈り、そっと伊達眼鏡を外す。
もう、世界を隔てて見る必要も無いのだと。
樹海を抜けた先に、破壊された階段が姿を現す。
流石に此処まで修繕作業は終わっておらず、鳥居は未だこの神社には存在しなかった。
瓦礫の一つに腰掛けて、一人の男が筒を口にし、そこから煙を上げていた。
「何を吸っているんだ、エンブリオ」
「身体に有害しか影響を及ぼさない、人間の文明ですよ」
「何だ、それは?」
「ちょっと忘れたくない思い出を噛み締めたい時に吸うものですよ」
エンブリオは吸いかけのタバコを擦り付けて消す。
そして、手の中で転がしていたジッポをポケットに仕舞い込み、立ち上がり赤凪に向き合う。
「教会に戻るので、挨拶でもと想いましてね」
「…そうか。
もう、俺の命は狙わないのか?」
「生憎と。
私の信念に基づく戦いになりそうに無いので、遠慮させて貰いますよ」
「これから如何するつもりだ?」
「戻ってから、少し考えてみます。
…恐らく、教会という機関を辞めるでしょう。
あそこでは、私の信念は貫けなくなりますから」
「まあ、属するとはそんなもんだろ。
不都合は生じて当たり前だ」
「難しいですね、人とは。
誰一人、同じ理念を持つものはいないのだから。
仕方ないと言えばそれまでですが、それを統合する事は無理なんでしょうね」
「まあな。
だが、それこそ人の持ち味なんだろ、個性という」
「なるほど、そうかもしれません。
社会は人を統合しようとするが、個人は個性を大事にする。
全くの矛盾で成り立っているのが世界。
だから、私みたいなはみ出し者がいても不思議ではないかもしれませんね」
「自分で言うか」
赤凪は朗らかに笑った。
エンブリオも釣られて笑う。
「じゃあ、縁があったらな」
「ええ、縁があったら」
二人で階段の下まで降りると、互いに違う方向に歩き出した。
…冗談だろと想った。
ニッコリと微笑みを浮かべている人影が、道の先に腰を下ろして待ち構えていた。
その横には明らかに旅行用のバッグが置かれており、何の為にそこに待ち伏せしているのか一目瞭然だった。
(あの糞親父が!
頼むとはこの事か!)
「遅いですよ、赤凪さん。
待ち草臥れました」
「何をしているのかな、鼎?」
頬を引き攣らせながら、赤凪は理性で質問をする。
「見て分かりません。
赤凪さんを待っていたんです」
「帰れ!
俺は独りで行く!」
即効で宣告し、赤凪は鼎の横を通り過ぎようとする。
「酷い!
約束を違える気ですね!」
「…約束だ~」
不審な台詞に、赤凪がうっかり反応してしまう。
「はい!
傍に居てくれるって言ったじゃないですか」
人格が崩壊した時、鼎に言った言葉。
(…確かに、あの時そんなことを)
「あ、あれは」
「それに私も約束をしましたよ、傍に居ますって」
嗚咽する赤凪を抱きながら、約束した言葉。
「あ、あああ」
開いた口が塞がらない。
赤凪が反論できないように全部用意していたのだ。
そこに追い討ちがくる。
「それに赤凪さんは、現代を余りに知らな過ぎます。
だから、私が着いていって教えて上げます!」
「あ、あのな~、いつ戻れるか分からんのだぞ」
完全に立場が転落した赤凪は、一途の望みをかけて言ってみる。
「戻ってくる気はあるんですよね」
勝利を確信した笑顔で鼎が告げる。
完敗だ。
無いとは言えない自分に残された道は一つしかなかった。
「はあ~」
赤凪から大きな嘆息が漏れてしまう。
(つくづく相性が悪いな)
負けを認め、鼎の横にあるバックを拾う。
「分かったよ、行くぞ」
荷物を肩に担ぎ、歩き出す。
「あっ、待ってください!」
慌てて、鼎が後から着いてくる。
「ところで、最初は何処に行くんですか?」
「そうだな、宛ての無い旅だからな。
…そうだ、あそこにするか。
仁と瑚乃恵が見ていた絶景の谷」
「イギリスですか。
…お父さん達の思い出の地、良いですね!」
二人が共有する、大自然の光景。
何と無く、そこをスタート地点にしようと考え、鼎も賛同した。
そこから未だ見ぬ地。
場所に拠って違う顔をする空。
天と地が彩る世界に心躍らせ、二人は踏み出した。
未熟で発展途上の二人が、穂を為し、種を世界に撒くための旅が始まったのだった。
これで、「赤く染まりし地に稲穂凪ぐ」は終焉となります。
暫くは誤字脱字の修正を行い、その後違う小説をあげていこうかと思います。




