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真話終焉

[14 真話終焉(しんわしゅうえん)


「…誰も居ませんね」

符がヒラヒラと宙を彷徨っている。

赤凪の縁を辿り、飛んできた符が何もない位置で浮遊を繰り返していた。

「確かに新宮寺ですが、…どうなっているんでしょうか?」

建物から気配が一切しない。

人気がないのはいいのだが、赤凪を辿ってきた符が虚空を彷徨っているのは、説明がつかない。

違和感はある。

何か拒絶されている。

(…エンブリオ、分かる?

ここは元々あった空間ではないわ)

エンブリオの疑問に答えるべく、テイヤノーラが話しかけてくる。

「微妙に理解はできるのですが、本質が掴めません」

(本物は狭間に移送してしまっているの。

だから、これは穴埋めね。

無空になった場所に空気が流れ込むのと同じ。

空間が引っこ抜かれてしまったのを、形だけ似せたもので埋めているの)

「…違和感の正体は?」

(恐らく、此処ではない、平行に存在する空間が完全に隔離してしまっているからよ。

時間軸や空間軸が違うけど、同種の空間。

それらは何かしら繋がりを持っていて、独立してはいないの。

だから同じ場所に在りながら、違う存在の空間が隔離され、空間が安定性を失っているの。

それが違和感。

そして拒絶感は、その隔離された空間を貴方が感じることができるからよ)

「つまり、此処にシャナがいる訳ですね」

(ご名答。

分かっていると想うけど、居ないのも確かよ)

「私が辿り着くまでに、厄介なことが起きてしまったようですね」

限界まで酷使した肉体を回復させために、休眠状態に陥ったエンブリオ。

眼が覚めれば五時間近く刻は過ぎており、日が傾いていた。

「食事なんてしてる暇は無かったかもしれませんね」

嘆息してしまう。

いくら寝て回復しても、身体に残っているエネルギーが殆ど無かった。

栄養補給にため、手短な店に入った。

…相変わらず、敬遠された。

今回は衣服が赤黒く染まっている上に、異臭を放っていたのが原因なのだが。

時間も限られていたので、手早く店の商品を指差し、くださいと簡潔に用件を述べた。

見たことも無い食べ物だったが、匂いからして甘いものだと分かった。

適当に包んでくださいと言い、包んで貰っている間に財布を出す。

…教会に用意して貰った札が、赤く染まっていた。

…これしか持ち合わせがない以上、仕方なく、汚れていて済みませんと誤りながら差し出す。

店員は脅えながら受け取り、袋いっぱいの食べ物を渡してくれた。

…あの視線は暗殺者を見るような、怯えきった眼だった。

仕方ないと言えば、仕方ない。

血塗れの衣服。

血塗られた札。

それが血だと悟らせる、生臭い匂い。

逆らえば殺されるとでも想ったのか、店員はお金を受け取らなかった。

私はお金をカウンターに置いたまま、袋を抱いて外へ出る。

お釣りを下さい、なんて台詞を言える雰囲気ではとてもなかった。

食べ物を頬張る。

疲れた体にいい、甘い味。

袋には大福屋と書かれていた。

「タイムロスは戴けなかった」

(駄目よ!

本当ならまだ安静にしてないといけないのよ!)

「約束は守らないといけませんから。

此方で何か起こっているのはシャナの焦り方で判っていましたし、もう少しだけでも速めに行動すべきでした」

(もう、自分を少しは労わってよ。

お願いだから)

「それよりも、どうにかその空間と橋渡しできませんかね」

(…無理。

空間軸、時間軸からも隔離されてしまってる。

そんな空間に接続する方法なんて知らないわ。

それに、恐らくそこは)

(現世と幽世の狭間。

普通の人間では行くことおろか、存在が弾かれ、その場に居られない。

そう、あそこは既にこの世ではないな。

あれはカオスだ)

テイヤノーラ以外に直接脳に話しかけてくるものがいた。

…聞き覚えのある、頼もしき声。

「誰です!」

内心でそんな訳がないと否定し、辺りを見回す。

人影おろか、気配すらしない。

だが、それは自分の中にあった。

(酷いな、俺の事を忘れたなんて言うんじゃねえだろうな)

乱暴な言葉使い。

人を食ったような台詞。

「デ…ミタスなのか」

(お、さすが兄弟。

いい勘してるぜ)

(ノースト!

時間がないのよ!

私だけで支えられる代物じゃないのよ!)

今度は女の声がする。

どんどん増える声に、遂に自分が壊れたのでは思えてくる。

死人の声がするより、信憑性があるというものだ。

(無粋だね。

ま、確かに時間が無い。

エンブリオ、この際細かいことは聞くな。

説明をする)

「何を言ってるんだ、デミタス!」

(いいから聞け。

シャナって小僧はお前たちが推理した通り、隔離された空間にいる。

俺がお前をそこに連れて行ってやる)

(そんなの無理よ!)

どうやら、テイヤノーラにもデミタスの声が聞こえているらしい。

ならば、幻聴という訳ではなさそうだ。

(俺はエンブリオと話をしてるんだ!

女は黙ってろ!)

(なによっ!)

「テイヤノーラ、黙って」

(ゥゥゥゥゥ)

エンブリオに言われ渋々と引き下がる。

「で、そこでは何が起こっているのですか?

私の力が必要なのですか?」

(まぁな。

俺らが空間を隔離したのは、そこに原始が蔓延っているからだ。

これが罷りこの世に広がれば、連鎖的に原始が目覚め、物質界どころか霊界まで巻き込み、カオスに帰る。

いいか、お前に頼みたいのは一つでいい、その鍵となる五行ってヤツを大地に還して欲しい。

そうすれば歪みが消え、世界の帰還は止む。

…お前しか渡れない。

魂の意味を知り、在り方が中間に位置するお前しかあの空間に行けない。

あの空間はその在り方と同種の位置に存在するからだ。

…お前になら分かるだろう。

小さなものなら世界から弾かれ、朽ち果てる。

だが、大きなものなら渦となり原始に還す。

お前が五行を還すまで、俺らが空間を隔離しておく)

「……」

余りに突拍子もない展開に、戸惑いしか浮かべられない。

(腑に落ちなさそうだな。手早く答えてやる、質問しな)

「なら、死んでしまった貴方がどうやって話しかけているのですか?」

(却下、面白くない)

「なら、先程聞こえた声は」

(俺の女、次)

「…真面目に答える気があるのですか?」

(俺様はいつも真面目だ。

ほら、次だ)

「気配が無い以上、仮定で貴方を霊体と考えましょう。

そんな人がどうやって空間隔離なんてとんでもない事をやってのけているんですか?」

(俺らじゃない。

ちょいと、協力者、違うな、俺らが協力してるんだが、そいつが空間を隔離している)

「又、得体の知れない輩とつるんでますね」

(波乱万丈だろ、死んでまで。

さて、カナエ嬢ちゃんも奮闘しているが、如何せん経験不足だな。

このままなら、嬲り殺し決定だな)

「そう言うことは先に言いなさい!

連れて行ってください!」

(あいよ。

テイヤノーラだっけ、お前もいいのか)

(エンブリオが行くと決めた以上、私は付いていくだけです)

(そうか、…なら、何も言うまい。

エンブリオ、空間に切れ目を入れる。

刻は一瞬、逃すなよ!)

「デミタス!」

(集中しないと失敗するから話しかけんなよ。

…何だ)

「…わ、私は」

逡巡の後に吐こうとした言葉を、デミタスは遮る。

吐こうとした台詞が謝罪の言葉だと悟って。

(強くなったな。

俺は満足してるよ、人生そのものにな。

それじゃダメか?)

瞳を閉じる。

瞼の裏に肩をすくめ、苦笑いを浮かべているデミタスの姿があった。

「…身勝手者が。

…ありがとう、兄弟(ブラザー)

言えた。

昔から恥ずかしくて、一度も言えなかった言葉を。

(ああ、じゃあな、(エンブリオ)

そして内から存在が消える。

二度と会えないのだなと実感した。

虚無感が胸を締め付けてくる。

(…エンブリオ)

労わりと慈しみをふんだんに含まれた声が、その傷口(虚無感)を埋めてくれる。

「大丈夫ですよ、テイヤノーラ。

私には貴女が居てくれますから」

偽りではなく、心からの言葉。

何度助けられただろう。

こんなツマラナイ言葉では言い尽くせない気持ちをいつか伝えよう。

(だから、生き延びる)

決意を新たに、眼前に生じた亀裂に身を投じるのだった。




(待たせたな、デステーラ)

遅いと責めたいのだが、どうもそんなことを言える感じではなかった。

で、口に付いたのは、

(良かったの、あれで)

だった。

可愛くない女だと自分でも想う。

蒸し返すような台詞しか想いつかない。

嫉妬からくるものだと理解できる分、余計にだ。

(ああ、心残りが無くなった。

時間を捻り出してくれて感謝だ)

(……)

何も言えなくなる。

自分の心を知れば、この人は離れていく。

それ程、自分が醜く想える。

(何を沈んだ顔してんだ)

(私は)

(どいつもこいつも、馬鹿だな。

生憎とお前の考えなんてお見通しだ。

どうして自分を責め続けるのかね。

吐いちまった方が楽だぞ。

その為に、お前の傍に俺がいて、俺の傍にお前が居るんだからな)

(…ノースト)

来世(カリ ユガ)だろうと、俺はお前の傍を離れるつもりはないからな。

借りとそんなん抜きで、俺がお前の傍にいたい)

棘が抜けていく。

ああ、私はこの人に出会うために生まれたのだと実感する。

(さて、この時代最後の仕事だ。

気合入れていくぜ!)

(はい!)

迷いは無い。

あるのは、共に歩む未来だけ。

それを消し去れない為に、今は全力を尽くす。

私はノーストライザと共に…。




普段は、その芸術的な全身を際立たせる、白き服に身を包みでいた。

それが今では服の隅々までもが赤黒く染まり、凄惨なイメージを浮き立たせる。

だが、それは決して嫌悪すべきものではなく、逆に神秘性が崩れ、人間本来の姿を見ている気がした。

右袖がなく、剥き出しなっている腕が、土に塗れ汚れきっていた。

顔にも付着した血痕が、エンブリオさんをシュール画の主人公に仕立て上げる。

父を抱え、前鬼に警戒をしながら私の方に近づいてくる。

私はフラフラする頭を一度振る。

…余計にフラフラしてきた。

前にも似たことをした覚えがある。

…無様な過去は忘却し、重い体を引き摺りながら、出来る限り全力で駆け寄る。

「エンブリオさん、お父さんは!」

「…生きてますよ、鼎」

私の声に父が応えてくれる。

「無事と言うべきなんでしょうか。

まあ、命に別状はないと思われます」

エンブリオさんがそれに付け加えて説明してくれる。

意識がしっかりとしているのを見るに、本当に大丈夫みたいだ。

「ありがとうございます!」

「お役にたてて幸いですよ。

少しは情けなさを払拭できたでしょうかね?」

後ろの方は小声で聞き取れ無かった。

「カナエさん、この方と後ろに下がっていて下さい」

そう言うと、お父さんを私に預ける。

「…待ちな・さい。

君は・いったい」

「カナエさんの親御さんですね。

私はエンブリオ マシュカーゼ。

教会の執行者です」

あ、そうか!

お父さんとエンブリオさんが会うのは初めてだった。

「執行・者が何故・・こんなところに」

「経緯は後ほど。

カナエさん、さあ」

「はい、お父さん」

私はエンブリオさんの指示に従い、お父さんに肩を貸し下がっていく。

「鼎・。

彼は・・マシュカーゼと名乗・・りま・したか」

「喋らないで!」

お父さんの言葉を遮り、私はゼエゼエと体力の続く限りお荷物を運んでいく。

被害が及ばないと思われる地点まで来た私は、お父さんを下ろすとへたり込む。

「ハア、ハア、ハア……、治療しないと」

「大・丈夫ですよ。

傷を塞ぐぐ・らいは何・・でもありません」

とてもそうは聞こえない。

息も絶え絶えで、言葉すら綴れないでいる。

そう言うと、右袖から符を取り出し、言霊で符に篭っている力を解放する。

「変生」

出血が止まる程度に傷が塞がると、お父さんもぐったりとする。

「打ち止・めです。

もう、言霊法も・・使えません」

もう符術は遣えないと宣言し、父は私に凭れ掛かってくる。

私も似たようなものだった。

私も凭れ掛かり、Vバランスで保つ。

「マシュカーゼ、生き残りがいたのですね。

だから、この地に現われたのか」

「マシュカーゼって有名なの?」

「…マシュカーゼとは、テラングィードの出生であり、滅ぼした一族です」

「っ!」

ああ、それでかと納得した。

あんなに取り乱し、テラングィードを追いかけようとしたエンブリオさんの姿が思い返される。

「…鼎、動く位は出来ますか?」

「へっ?

まあ、それ位は」

突然の質問に戸惑いながら答える。

「私が囮に成ります。

逃げなさい」

「何を言ってるの!?」

「殺気ぐらいは感知出来るようになりなさい。

私ももっと早く気付くべきでした。

後鬼の殺意が未だ消えていないことに」

仁が重い腕を上げ、指を刺す。

その先に袈裟懸けに裂かれ、右手、右足、頭、そして半分の胴体を引きずる鬼の姿があった。

絶句した。

眼光は衰えていない。

それどころか、おぞましい光を称えギラギラとしている。

憎悪が凝縮し、瞳に収まったようだ。

理性など一片も伺えない。

「あんな状態でも、私たちより戦闘能力は上です。

まともに相手できません」

「…お父さんはもう動けないんだね」

「喋っているのがやっとですよ」

私は凭れ掛かっている父を横に退け、立ち上がる。

「私が止めるね」

「なっ!

逃げなさいと言ったでしょう!」

「秘策はあるんだ」

「止めなさい!」

父は動かない体で私に掴みかかろうとする。

私はサッと避け、地面に転がる父に大丈夫と笑いかける。

(秘策ね。

まぁ、嘘にはならないよね)

決意はしている。

無垢のままいる時代は終わった。

それに引き金はあの時に、もう引いている。

血で手を汚したい訳ではない。

でも、自分が守りたいものを守るために、汚れるなら本望。

それが決意。

「もう、大地に帰りなさい、星の子供たち」

私は必死に止めようと叫んでいる父の声が、私の背中を押す。

だって、それは守りたい人の声なのだから。

後鬼の周りに血の塊が浮かぶ。

あれが銃弾と同じ威力を秘めている。

恐怖で身が竦みそうになるが、私の足は前に進む。

「ガアアアッ!」

知性の無い咆哮が轟き、血弾が私に襲い掛かってくる。

「今度はもっと平和な世の中に生まれてきてね」

私は願いを篭め、引き金を引いた。

血の弾は私の胸に当たり、弾かれる。

私は勘違いをしていた。

土行も金行も何かに作用して本来の力を示す。

適当に流して、無駄使いしていた私は、やはり未熟者だった。

私は残り僅かな五行を掻き集め、地の土を体中に送り込んだ。

肉体という媒介を得、皮膚が硬質化させ、血の弾丸を弾いた。

そして私の銃弾は後鬼の眉間を貫いた。

土の力により強化された肉体が、完全に銃の反動を無力化し精密な射撃をものとした。

私の右腕に握られている銃は、護身用に父が渡してくれた想い。

そして最後の切り札。

中に内蔵された死滅符が後鬼の肉体を蝕んでいく。

強靭な生命力を備えた後鬼には、本来こんなものは効かないだろう。

だけど、もう身体を保つのがやっとのものに、このウイルスは致命的だった。

現代に残りし、錬金術師が生み出した殺人兵器は、陰璽星瀾の肉体を死滅させていく。

肉が腐り堕ち、原型が失われていく。

ああ、初めて自分の手で下したんだ。

罪の意識はある。

でも後悔はしていない。

私の意志でやったことだから。

圧迫感が一つ消えた。

それが後鬼の殺気だったのかは私には分からない。

だけど、間違いなくこの空間から、命が一つ消えたことは分かった。

足に力が入らない。

お尻からドスンと腰が落ちてしまう。

痛いけど、余り気にならない。

疲労感の方が酷くて、痛みまで気が回らないだけかもしれない。

これでガス欠。

お父さんと同じ状態だ。

何か引き摺る音がする。

お父さんが此方に向かっている音だろう。

動く気力もないし、お父さんが此処に来るまで、この赤い空でも眺めながら報われない命に涙しておこう。




皮膚がチリチリとしてきた。

マグマの噴出が止まり、オーガがゆっくりと私を凝視していた。

(虚ろな瞳だ)

敵の姿を投影しているその瞳には、私を投影はしていないのだろう。

操り人形。

額の刻印が意思を奪い去り、冷酷な殺人機械に仕立て上げている。

私の視界は熱で大気が掻き乱され、オーガの全貌が上手く捕らえられないでいた。

(あれの放つ炎に触れれば、消し炭ですね)

吹き上がる熱気が頬を叩く。

(来る!)

熱気の向きが変わる。

下から横に。

何かが前から押し出されてくる勢いで、大気が後ろと前に押し出されている。

微妙な空気の変化で読み取る。

陽炎の中から巨体が飛び出てくる。

その拳に炎を宿らせて。

全身の力を抜き、瞬間で入れ直す。

身体が戦闘モードに移行した。

(速いっ!)

驚くものがある。

このオーガは、テラングィードより僅かながら速度がある。

拳が脇横を抜けていく。

全身に光のカーテンを張り巡らせていなければ、衣服が燃えていただろう。

(テラングィードとは比較にならない!

純粋な力ならこのオーガが上!)

攻撃の一つ一つが必殺であり、遊び心など欠片もない。

私は、カウンターでその顔面に拳を叩きつける。

相手の勢いを完全にものにした最高のカウンター。

勿論だが拳にもコーティングは施してある。

鉄をも打ち砕く威力が拳に篭る。

タイミングでは避けられないはずだったが、オーガは首を傾げるだけでそれをあっさり躱してしまう。

計算などない。

あるのは純粋な闘争本能に預けられた、戦闘力だけ。

野生の動物が発達させている第六感が異常なのだ。

人の範疇で測っても無駄だろう。

オーガは、私の突き出した腕を取りにこようとした。

あの手に握られたら、私の腕など簡単に潰されてしまうだろう。

寸での処で拳を引き、バックステップで間をとる。

(炎を遣うだけでも厄介なのに、この身体能力は戴けませんね)

熱気で流れる汗が凍りつく。

嫌な汗だ。

これがテラングィードとの決戦前なら、とっくの前に灰になっていた。

だが、今は絶望的な感じはしない。

自分でも不思議なくらい落ち着いている。

オーガの爪が繰り出されてくる。

私はギリギリの間隔でこれを躱していく。

爪、蹴り、牙、頭突き。

身体を流し、それらを上手く避けていく。

(そうか。

この動きは)

自分の動きが、何かに似ていた。

最初にそれを目撃したのは、私とデミタスの教官にあたる男。圧倒的な人数相手の組み手を難なくこなし、その動きは華麗なダンスを彷彿とさせた。

次に見たのはシャナ。

舞台の上の殺陣であるかのように、回りを引き込み、舞を演じて見せた。

あの動きに、自分の動きがトレースしているのを感じた。

紙一重で過ぎていく強撃が手に取るように分かる。

だが、攻撃しようとする度に何か予感が奔る。

死線を潜り抜けてきた勘が、拒否反応を起こしている。

(何かあるのか)

解らないが無視できないほどに、チカチカとその危険信号が大きくなる。

(一度離れて、遠距離攻撃に切り替えましょう)

テイヤノーラの提案にエンブリオは頷き、距離を置こうとするが隙が伺えない。

これだけの連撃を繰り返しているのにも拘らず、オーガの猛攻は一向に衰える気配が無い。

最小限で避けているのに、此方の方が先に体力が尽きそうだ。

(無尽蔵なのか、この怪物の体力は!)

心拍数が異様に高まっていく。

一撃で致命傷になりうる強撃を避けているのだ。

拳が横を過ぎる度に、神経が擦り切れていく。

圧迫感でいえば、ノーストライザやテラングィードを遥かに凌駕していた。

(…一か八か)

(蛮勇、暁に死すですか…)

(……)


このまま接近戦で攻撃を加えようとすると、テイヤノーラから冷ややかな言葉が投げかけられる。

ノーストライザ戦での愚行を繰り返すのかと。

(了解しました)

両掌に光を収束させ、光球を作り上げる。

左の光球を地面に叩きつけ、爆発を起こす。

その隙に間合いを空ける。

中距離にまで何とか下がったところで、素早く右手の光球をオーガにぶつける。

このタイミングで速度なら避けられない。

確信があった。

だが、光球はオーガの周りに張り巡らされた幕により、霧散してしまう。

(あれか!)

自分の勘は正しかった。

もし接近戦で攻撃を加え、あの膜が形成されていたら、攻撃を塞がれた上にその膨大な熱に焼かれ、その隙に必殺の一撃を喰らっていた。

(あれは避けられない瞬間、形成されるものなのか)

私はこれまでの情報を整理し、あの能力を分析する。

知的な行動が失われているオーガ。

それが計算づくで、膜を構造したとは考えにくい。

なら、あれは自動的であると推測するのが妥当だろう。

カウンターを放った際、炎の膜が形成されなかったところを見ると、対処不能の攻撃にだけ反応するらしい。

膜は高熱のバリア。

吹き上がる勢いと圧倒的な熱量を利用し、あらゆる攻撃を弾き、粉砕する。

…中途半端な攻撃は一切無効化してしまう。

まさに鉄壁の自動防御。

(虚を突くと、どうしてもカーテンを破るほどのエネルギーを集約できない。

かと言って、集約している時間を稼がしてくれる敵ではない。

…攻略の糸口が掴めましたよ)

思索を完了させた頃には、オーガが中距離を埋め持ち前の豪腕を振るってくる。

一握りの深呼吸をし、内に酸素を行渡らせる。

かなり薄い空気だったが、これで数秒動き回れる。

豪腕が思惑通りに眼前を掠める。

私はそれを掻い潜り、懐に飛び込み、顎に掌底を打ち込む。

それは肉体だけの、力任せの一撃。

「ゴフゥゥゥゥ!」

顎を砕く感触が伝わってくる。

ついでに私に左手首も砕けた模様。

顎を豪打され、オーガの頭部が落ちてくる。

それに天空に打ち上げる気持ちで利き手を握り込み、突き上げる。

オーガの足が浮き、巨体が舞う。

…これで両手の拳がイカれてしまった。

(成功したのね。

冷や冷やしたわ)

テイヤノーラが安堵の溜息をつく。

(正直、あれだけの熱エネルギーを無効にするのは骨でしたよ)

緊迫感、緊張感、なによりもエネルギーを無力化する為に比例して消費したエネルギーで、疲労感が肉体を蝕んでいた。

デミタス戦で見せた、運動エネルギーをゼロにする方法を使ったのだ。

だが、予想よりも余りにも膨大なエネルギーであった為に、猛攻を加えた後身体が上手く動かない。

(原子活動が開始された直後に無効化を行ったのに、これ程失ってしまうものなのか!

なんたる電源(ダイナモ)だ!)

ダメージを与えたのは此方なのに、総合的なもので見れば、此方の方が戦闘限界に近づきつつあった。

膝が折れそうになるのを気力で押さえ込み、最後にチャンスを逃さないよう、間合いを広げる。

(イメージしろ!

何もかもを突き抜ける、光の矢を!)

残り僅かな力を収集させる。

顎を砕かれ後退させられた前鬼だが、事務的に体制を立て直すと、その足でエンブリオとの距離を無くしにくる。

(遅いっ!)

先に放たれた閃光。

余りの速さに、前鬼は避けるなどという行動を行えない。

炎頸鎧が反応し、防御膜を形成する。

…膜に触れた。

光の矢は何事も無かったように膜を突き抜け、前鬼の眉間に刺さる。

そして、そのまま突き抜け光は彼方へと消えていく。

前鬼は仰向けに倒れていく。

「ハア、ハア、ハア、ハア…」

前屈みで、全身で呼吸をする。

(今日は何度生き心地しない場面に会うことか。

こんな心地は暫く遠慮したいですね)

膝に手を置き、身体を支える。

ノーストライザ、テラングィード、オーガ。

どれも楽に収めた戦いは無い。

己を信じ、自分を高めたからこそ、勝ち得た。

(と、想っていたんですけどね。

まだ、今日は続くみたいですね)

顔面に殆どが吹き飛んでいるも拘らず、オーガは立ち上がってくる。

…そして、感じたことも無い殺気がエンブリオに突き刺さる。

(いや、ありましたね。

これはシャナの殺気に酷似している。

…殺す事にだけに、意志を支配された殺気)

そして半壊している頭部がウネウネと動き、再生していく。

まるでB級ホラー映画の一シーン。

白いものが組み合わさり骨格を作り、その上に繊維が奔りあい肉で埋めていく。

そして最後に皮膚が新たに張られ、顔が復元する。

何と言う再生能力だろう。

「…こんな清清しい気分は、何百年ぶりだろうか」

初めて知性の通わせた言葉が、オーガの口からこぼれる。

虚ろだった瞳には憎悪に炎が灯り、私を凝視していた。

額の刻印が掻き消えていた。

「純粋に望んで壊せる、それがどれ程楽しいことかを思い出したよ」

物騒な言葉に、苦笑いを浮かべる。

(厄介なものを目覚めさせてしまった感じがしますね)

肉が盛り上がり、一回り体が膨れあげる。

「…最初に獲物は私ですか」

「解放して貰って悪いが、俺様は手傷を負わされて、許してやるほど寛大ではない」

リセットボタンがあるなら、押してみたい気分にさせられた。

獰猛な殺気が膨れ上がり、私を叩く。

「なあに感謝に意味を込めて、一瞬で殺してやる!」

前鬼が宣言し、地面を抉る。

操られていた時とはまるで違う。

獣のようにしなやかな動きで、その凶爪が私を仕留めに襲い掛かってくる。




馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な!

私が、何故こんな男に追い詰められる!

私は絶対者!

なのに、この男が私を追い詰めてくる!

私と凪穂が望んだのは、こんなものではない!

「もう、終わりにしよう凪穂」

一歩、一歩あの男が近づく。

その度に凪穂が表に出ようと足掻きだす。

(五月蝿い!

貴様はそこで見ていろ!)

(ばん)に五行を注ぎ込まれてから、凪穂の活動が活発化し、私と入れ替わろうとした。

この発作がここ一週間、断続的に起こり、凪穂を押さえ込むだけでいっぱいだった。

(最早、貴様に主ではないっ!

この世に絶望し、隠れた臆病者!

今更貴様などに、この肉体をくれてやるものか!)

どちらが表に出ようとも、遣ることは同じ。

狂おしい憎しみを解放し、赤凪を壊すこと。

譲れない!

私は静!

この男に殺されし者!

私は復讐の為に此処に居る!




出せ、出せ、出せぇぇっ!

あの男が、触れられる位置にいるのだ!

(五月蝿い!

貴様はそこで見ていろ!)

義姉が罵声を浴びせかけてくる。

判っている。

姉さんにとって、この瞬間が、どれほど待ちわびた刻なのかということを。

だけど、私もそれは同じ。

(最早、貴様に主ではないっ!

この世に絶望し、隠れた臆病者!

今更貴様などに、この肉体をくれてやるものか!)

姉さんの目を通して、愛しき者の姿が投影される。

一週間前とは比べ物にならない、感情が埋め尽くしていく。

誰よりも愛おしい!

溺れるほどに。

そして、憎い!

憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い……。

どれ程言葉にしても足りない!

この思い抑える方法は一つだけ!

出せ、出せ、出せぇぇっ!

あの人がこの世に私を縛りつけた!

何もかも無くなったこの世に!

私は約束を只、守り通した!

あの人の最後の言葉を守って!

涙が枯れれば楽になれる。

あの人が亡くなって何日目だっただろうか。

ふと、気が付いた。

もう零すものがないことを。

いつも間に乾いてしまっていた頬がそれを証明していた。

涙すら、私の悲しみを流しきれないのだと。

私の中からあの人を消すことなんて出来ない。

消してしまえば、それは私ではない。

そして、それは永遠に悲しみを背負うということ。

だから願った!

あの人にもう一度会いたい!

只、それだけだった。

その方法の果てに失われていく、私。

私が私である為に、忘れてはならないことは、あの人。

だが、無常にも月日と失われた能力が、あの人すら掠れさせ、虚へと導いていく。

厭だ、厭だ、厭だ、厭だ、厭だぁぁっ!

私が消えていく!

あの人との思い出ごと、私を葬り去ろうと流れていく!

どうして、こんなに辛い想いをしないといけないの!

私はどうして、消えようとしているの!

…あの人が、そうだ、あの人が置き去りにしたんだ!

私を苦しみの途に、置き去りにしたのだ!

そこから抜け出せないように、呪縛したまま!

憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い……!

どうだろう、先程まで薄らいでいたあの人(私)が鮮明に蘇ってくる!

この想いが私を繋ぎとめてくれる!

憎しみだけが、私にあの人を残してくれる!

憎しめば、あの人に辿り着ける!

…元の形は何だっただろう?

それは思い出せない。

只、姉さんの見詰めるあの人が私を駆り立てる。

そうか、この人が、あの人なんだ。

狂おしい憎悪が私を満たして、溢れていく。

そして、残っていた形が私に思い出させてくれる。

ああ、そうか、私はこの人が、赤凪が恋しいんだ。

―――だから、殺させて―――

ここから出してっ!

私に赤凪を殺させてっ!

そうでなければ私は、私は…。

そんな私を嘲笑い、四行が肉体を離れ、具現化していく。

土が創造したのは、一握りの肉。

金がそれを急成長させていく。

火が命を吹き込み、躍動し始める。

水が全身を巡り、誕生する。

人が創造せし、神の身姿。

神誕(しんたん)

姉さんが静かにその名と告げる。

神威(かむい)

もう、全てが消える。

天の四行を遣いし、最高の秘術。

神の脅威をそのまま姿にした、殺戮兵器。

いままでの玩具とは違う。

あれは、人には殺せない。

もう、私の望みを叶える方法は途絶えた。

愕然と私は、姉さんの瞳から見詰める光景を眺めるしかなかった。




「神誕」

その圧倒的な存在感。

「神威」

見るものには畏怖を与え、戦慄の坩堝に貶める。

形は人のそれ。

だが、中身は別物。

圧倒的なプレッシャーの中、平然と受胎した神の造りものを指差し、赤凪はこう言う。

「未完成で無様な神だな、それは」

「なんだと!」

静は、自分の中にある絶対的な力、その集大成に自信があった。

その筈が、赤凪の一言で亀裂が生まれる。

この男は先程、四聖獣を跳ね除け見せたのだ。

(そんな馬鹿なことがあるものか!

これは人の境地ではないのだ!)

静は己を奮い立たせる。

「貴様とて、この神威の前では赤子も同然よ!」

これは、陰璽星瀾すら地に伏せさ、服従させしもの。

(人間如きに何が出来るものか!)

確信し、静の張り詰めた表情が緩む。

(それが、完成品なら俺には勝ち目はないだろう。

だが、半分しかなかった部品が四つしか使われていない)

そして、赤凪から神威と同等のプレッシャーが迸る。

「なっ!」

静の緩んでいた表情が一瞬で驚愕に染まる。

(半分と完成品とは根本的に質が違う。

故に、それは模造品なんだよ)

赤凪は臆することなく、その神体に近づいていく。

神体の瞳に光が宿り、起動する。

天と地が振るえ、空間が慄く。

赤凪穂を神体に向け、臨戦態勢に入る。

そして、決戦が始まる。




前鬼が掌から炎の剛球を一発だけ、見舞う。

エンブリオは倦怠感しかもようさない肉体で、横に飛びそれを避ける。

ドドドドドオオオオオオオオオオ――――――――!

地面の触れた途端、大型爆弾を思わせる爆発が横手からエンブリオを叩く。

「グッ」

咄嗟に光のカーテンを展開し膨大な熱風を防ぐが、余りの爆風に身体が三十メートル以上も吹き飛ばされ、仰向けに地面へ叩きつけられる。

「カハッ!」

衝撃が肺から空気が吐き出され、呼吸が途切れる。

一瞬、ブラックアウトする視界。

コンマ何秒の世界だが、その間に前鬼が再び剛球を射ち込んでくる。

(エンブリオ、右手で地面をいっぱいに弾いて!)

視界が回復する前に、告げられテイヤノーラの言葉に反応し、エンブリオは右手で地面を叩き左に転がる。

(防御幕を形成して!)

指示されるままに幕張り、衝撃に備える。

ドドドドドオオオオオオオオオオ――――――――!

又も肉体が爆風で放物線を描き、そして地面に落ちる。

寸前に回復した視界が、地を映し出す。

両手を広げ、地面を想いっきり叩き、衝撃を和らげる。

受身に成功したエンブリオはその勢いで立ち上がり、殺気が飛んでくる方向に視線を向ける。

前鬼がもう次のモーションに転じている。

確実に削られていく力と精神。

このままジリ貧を続ければ、直ぐにでも致命傷を貰う。

(しかし、肉体に残されたエネルギーは僅か)

頭に過ぎる。

だが、それは禁じ手としたもの。

下手をすれば、この場と同化してしまう恐れもある。

その兆候が肉体を犯し始めていた。

袖が無くなって、露出している左腕を通して向こう側が見える。

(肉体が楔を失いかけている!)

物質界と隔離された空間で、肉体こそが物質界との唯一の繋がり。

それを失えば、二度と現世には戻れない。

それどころか、この空間が元の姿に戻ると同時に、エンブリオの存在が現実から弾かれ、消滅してしまう恐れがある。

(ですが、このままではカオスに呑み込まれてしまう。

それだけは避けねば)

(駄目よ、エンブリオ!

それだけは駄目!

苦しみから逃げないと約束したじゃない!)

(テイヤノーラ、本当はもう肉体から痛みを感じないのですよ)

(そ、そんな!)

(痛みを受け止めたくとも、私の存在がこの空間と同調してしまい、物質としての機能を迫害してしまったみたいです。

もう、私は一線を越えてしまったらしい)

(…ああ)

テイヤノーラの絶望的な声がした。

(…だから、私は最後の役目を果たしたい)

向かってくる剛球が光の幕に閉じ困られ、圧縮され、内部爆発する。

あの途方も無い爆発が起こっても、幕は平然とその形を保ったままで、その威力を押さえ込んだ。

それと同時にエンブリオに左腕が透明になっていく。

(この力なら、オーガ相手でも引けを取らない)

自分の透けた左腕を見ながら、エンブリオはテイヤノーラに告げる。

(約束を守れないで済みません)

未来永劫に果たせぬ約束になる。

何度生まれ変わろうとも、エンブリオはこの世に受胎することは無い。

輪廻からも消え去り、二度と巡り合うことも無い。

それでもかまわない。

大事な者が住まう地が守れるなら。

(止めときなさい、エンブリオ)

突然、脳裡に走る攻撃的な言霊。

(誰です、貴方は)

(私はデステーラ。

心底貴方を憎んでいるものよ)

唐突に告げられる、嫌悪宣言。

(貴方は私のことを知らないでしょうけどね)

どこかで聞き覚えにある声。

(ま、そんな事はどうでもいいわ。

それより、止めておきなさい)

(憎んでいるなら、別に私がどうしようが関係ないでしょう)

(無関係ならどんなにいいか。

私としては、その方が好ましい。

…でもそれじゃ、ノーストは納得してくれない)

(ノースト、…ノーストライザ!)

デミタスの昔の名。

そしてエンブリオは思い出す。

(デミタスの女か!)

確かこんな声だったと記憶している。

(デミタスじゃないわ!

ノーストよ!)

憮然として言い返してくる。

(エンブリオ!

ノーストがどうして、こんな空間隔離なんて無茶苦茶なことを引き受けたと思う!

全て、貴方がこの世界にいるから!

それを守るためにノーストはこの依頼を引き受けたの!

それなのに貴方が世界から消えてしまったら、ノーストが行っていることは無意味になるのよ!

ふざけないで!)

怒涛に罵倒が頭の中にこだまする。

(ですが、これ以外に手段が残されていないのです)

(その様子だと、そこの女も諦めているのね)

(エンブリオが決めたことですから)

(あっそ、これがノーストと私を破ったコンビとは、泣けてくるわ。

勝手にしなさい)

散々貶しておきながら、あっさりと引き下がる。

(最後にこれだけは教えといてあげる。

魂には意味があり、形があるわ。

その形こそ、意味を本当の力を発現させられる、唯一の方法。

意味を理解した者なら、形を見つけることが出来るかもしれないわね)

そう告げると、エンブリオの中から女の存在が消える。

魂の形。

エンブリオの頭にこびり付いた、その言葉がリピートする。

「遅くないですよね、未だ」

(エンブリオ)

「望みがある。

それに、捨てるには勿体無いですからね、貴女との未来は!」

高らかに宣言し、エンブリオは魂を詮索する。

確かにある。

ぼんやりと、漂うように彷徨う無形の魂が。

それは自分の姿を幾億の昔に置き忘れ、液体のように器の中に満たされていた。

(お前の本当の姿はなんだ)

液体は何も答えない。

それは在るだけ。

(違う!

お前には何か持って生まれた形があるんだ!)

器からはみ出すことなく、悠然と在るだけ。

(答えてくれ!)

(エンブリオ、違う!

そうじゃないよ!)

テイヤノーラが急にエンブリオのやり方を否定してくる。

(それは、貴方なの!

他でもない、貴方なのよ!

それを自分と違うものとして扱わないで!

それも貴方なのだから)

(ああ、そうか。

私は魂と言う別物と話をしていたのか。

そうだ、これは私自身なのだから、それでは駄目だ。

答えを待つのではなく、呼び覚ませ!

私の本当の姿を!)

前鬼が剛球を連打してくる。

これだけの連弾の喰らえば、肉の一片もなく消し飛んでしまうだろう。航空爆撃で、ナパームボムが山のように落ちてきているのと変わらない。

それに眼もくれない。

眼を閉じ集中する。

魂が次第にある形をとる。

長細く、それでいてがっしりとした形状。

先端に尖った刃物があった。

そう、これは槍。

皮肉にもエンブリオが一番苦手とする武器の形状。

故に納得した。

これが自分の形なのだと。

エンブリオは胸に手を当て、一気に引き抜く!

何の装飾も施されていない、シンプルな形。

最後まで引き抜き、槍の先端が現われる。

そこに刃は無く、代わりに蒼い光が宿っていた。

そして、{志}をその武器に注ぎ込む。

「―――――――――っ!」

声にならない咆哮をあげ、槍を一線する。

蒼き閃光が迸り、剛球を片っ端から切断していく。

「これは」

オーガの声を掻き消し、爆裂音が鼓膜を突く。

途方も無い、快音が満たす中、エンブリオは薄れる手でシッカリと蒼槍を握り返し、殺気が伝わってくる方向に突きの構えを取る。

爆炎で前鬼の姿が見えない。

だが、エンブリオは前鬼の姿を完全に捉えていた。

(いくら姿をとったとはいえ、肉体が朽ち果てかけているのには変わりない。

この一撃で決める!)

弓を引き絞るように半身になり、槍を右腕の限界まで下げる。

穂先の手前を左手に置き、狙いを定める。

(解る、この槍に貫けないものはない。

私が信念を曲げない限り)

エンブリオは確信した。

そして槍を突き出す!

蒼き閃光は槍の先端から迸り、戦野を奔る。

前鬼には光が膨れ上がるのしか認識できなかっただろう。

真に光速で迫るものを避ける術はない。

何も反応できない。

炎頸鎧すらその速度に付いて行けず、形勢されることは無かった。

真正面から迫る閃光が前鬼を飲み込む。

…そこには何も残っていなかった。

(エンブリオ、無事!)

「…………」

全てが荒い息に掻き消され、答えることも儘ならない。

槍を握る力が無くなり、手から離れた途端に消え失せる。

大の字に転がり、天を仰ぐ。

ゆっくりと左手を眼前に持って行き、見る。

薄らいではいるが、もう向こう側は見えない。

「だ・・じょうぶ・・みたいですよ」

(…よ、良かった)

痛みが蘇ってくる。

どうやら爆風で、身体のあちらこちらが火傷をしてしまっていたらしく、全身がヒリヒリとしてくる。

背中も左手の付け根からも痛みがぶり返してくる。

生きている実感が湧いてくる。

「安息が・欲し・・いで・すね」

責めて、傷が完治し痛みが無くなるその日まではと、エンブリオは切に願った。




これで何度目だろうか。

赤凪はぼんやりした思考で計算する。

十回を超えたあたりから、数えるのを止めた。

自分の足元を点々としているのが、血反吐だということも理解できる。

想ったよりも、深刻なダメージではないようだ。

だからといって楽観はできない。

此方は一度として、相手に触れてすらいないのだから。

その間に転がされたのが、十数回。

眼では追いきれない速度で移動を繰り返し、急所目掛けて振り下ろされる手刀。

悉く紙一重で急所を外しているが、その手刀が身体を打つ度に、皮膚と肉が裂け、骨が軋む。

(速度負けしたのは始めてかもしてないな)

嬲り殺しが展開される。

赤凪は首筋に掠める手刀を躱し、赤凪穂を振るう。

残像だけを残し、神体が消える。

下の方から生まれる殺意に身を反らす。

手刀が胸元を裂き上がってくる。

攻撃されている先を赤凪穂で突く。

だが、手ごたえは無い。

後方に生まれる気配。

前に跳ぶと同時に、灼熱の痛みが背中に走る。

こんな調子で全身を切り裂かれ、赤凪は血まみれになっていた。

着物はボロボロになっていたが、それを気にしている暇は無い。

血反吐は吐いたものの、内臓が破壊された訳ではない。

転がされているが、殆どは自分から転がったものが多い。

上から機嫌を良くした静が、嘲笑していた。

「でかい口を叩いたわりには、情けない姿よのう」

赤凪はまったくだと毒付きながら、神体の攻撃から致命傷を負わないように避け続ける。

まるで相手にならない。

(大分慣れては来たんだがな)

神体の身体能力は、陰璽星瀾の比ではない。

あらゆる者凌駕した位置にそれは在った。

それを紙一重でかわしている赤凪も驚愕すべきだろう。

(こいつが戦神なら、とっくの前に勝負は着いていただろうが、所詮は入れ物だな。

戦いのいろはも知れないときたものだ)

赤凪が致命傷を負わない理由は二つある。

一つは赤凪が戦というものを熟知した人間だからだ。

故に、最小の動きで最大の攻撃と防御を成す方法が体中に染み付いている。

その為、避けきれないなりにも、最小限の被害で留めれるように分析し、即行えることがダメージを軽減させていた。

もう一つは神体の方にある。

戦術も何もなく、身体能力のみで繰り返す神体の攻撃が、余りに稚拙であるためだろう。

計画的に敵を追い詰めるといった過程を持ち合わせていない神体には、赤凪に王手をかけるまで踏み込まない状況を作り出していた。

此れまでは、神体の身体能力のみで制覇できる相手だった為に、そんな状況に陥ることは無かった。

だが、確実に致命傷をさけ、反撃を企てるだけの能力を持ったものが現われたのだ。

それに静は未だ気付いていない。

赤凪の感覚が次第に神体を捕え始めていた。

その証拠に肉を裂いていた手刀が、皮膚しか掠めなくなっていた。

(未だだ!

もっと速く、流れるように動け!)

集中力を高めていく。

そして神体は巻き込まれていく。

赤凪が演じる舞台の上に。

観客は静。

演じるは赤凪と神体。

肉薄する互いの肉体が、舞台を盛り上げていく。

神体の手刀が、赤凪を袈裟懸けに切り裂こうとする。

それを潜り込んで躱す。

テンプルに衝撃が走るが、構わずに僅かな隙間から赤凪穂を振り上げる。

チッ。

擦れる音と共に、神体が消える。

(もっと速く!)

横手に膨れる気配。

赤凪はバックステップし、そちらに刀を振るう。

頬が裂け、又擦れる音がして、気配が消える。

(速く!)

後ろ生まれる気配に足を伸ばし、体当たりをする勢いで下段から赤凪穂を振り上げる。

シュッ。

肉を裂いた感触が先端からしてくる。

(もっと!)

もうその場に居ない敵を求め、空気の流れを読む。

皮膚を撫でる疾風。

それらが示す先に神体がいる。

気配が蔓延る前に、赤凪穂が虚空を斬る。

バシュッ!

手応えが刀を通し伝わってきた。

神体の胸元に一筋に裂傷が入る。

(疾く!)

神体の手刀が乱雑に振り下ろされてくる。

だが、空を切るのみで、赤凪の身体に掠らなくなっていく。

「そ、そんな」

静の驚愕した呻きが漏れる。

(もっと!)

気配の流れ、相手の挙動、大氣の揺らめきまでもが、赤凪には手に取るように解った。

(そこだっ!)

流れが渦を巻き、一点を指す。

赤凪の眼球が神体を捉え、五行の流れを読み取る。

赤凪穂が遂に、神体を完全に奔った!

(逃したっ!)

振り下ろした刀が額を割るが、赤凪は舌打ちし、次なる攻撃に備える。

(流石に疾い!

正確に流れを斬らせてはくれないか)

神体は何事も無かったように、胸の裂傷と額の傷が閉じていく。

赤凪を嘲笑うように。

「神威!

手加減止めじゃ!

ひとおもいに殺してしまえ!」

神体はその命令に従い、宙へと身を泳がせていく。

今までは静の命で嬲り殺そうとしていたが、神体が頭を割られ静に余裕が失われた。

(失敗した!

今ので葬れなかったのは痛い!)

赤凪は離れていく神体に追い縋ろうとするが、速度がある上に空中移動している為に追いつけない。

(拙い!

離れられたら、どんなものが降り注いでくるか知れたものではない!)

確かに赤凪の能力は人のそれを超えているが、それが発揮されるのは接近戦のみ。

離れられ、その上手の届かない場所から砲撃されれば、幾ら赤凪でもひとたまりも無い。

(接近戦だったら引けは取らないのに、糞っ!)

神体が空中で立ち止まり、赤凪を見下ろす。

その様は雄々しき神の如し。

神体が両腕を天に掲げる。

すると天が集まっていく。

正確には大気が翳した掌に集まりだしたのだ。

(あんなもの撃ち落とされたら、半径五キロは吹っ飛ぶぞ!)

神体は気圧を異様なほどに凝縮させいく。

(有効範囲から抜け出すには時間が無さ過ぎる!)

かといって、あの圧縮された気圧を切り裂いても、溢れ出した圧力に押し潰されてしまう。

(万事休すか!

責めて、接近戦に持ち込めたら…、っ!)

視界の隅に何かが掠める。

(あれは、…そうか全て足場にしてしまえば勝機はある!)

赤凪は懐から、全ての符を取り出す。

(時間が無い!

手加減無しでいくぞ!)

神体が透明な玉を放つ。

その中には嵐が凝縮して詰まっているのと変わりない。

地を薙ぎ払う神の身業が、赤凪に神罰を下す。

「潰れるがよい!」

静の勝ち誇った声が聞こえる。

それらを打ち破る轟音が鳴り響く。

その音の正体は木だった。

赤凪がありったけ注いだ木行に反応し、天を突かんばかりの勢いで、巨木が空間を占めていく。

気圧球が大木に一つにぶつかると、そこから嵐が吹き出し、木々をなぎ倒していく。

だが、何度打ち倒されても成長を止めない木々。

仕舞いには嵐を呑み込み、空間をも呑み込んでいく。

生命を産み落とした世界樹、それを彷彿とさせる巨木が聳え立つ。

神体の足元まで成長した森の天辺に、赤凪は赤凪穂を肩に担いだ状態で立っていた。

「今度こそ終わりだ」

そう告げると、赤凪は神体に向かい駆け出す。

赤凪が一歩、一歩と前に進む度に、森がざわめき、神体に枝を伸ばして赤凪が走る道を創っていく。

神体が天に向かい上昇しようとしたところを、足に枝が絡みついてくる。

それで大した時間を稼げるわけでもないが、このコンマ何秒の世界では致命的な間となる。

(ちち)の元に還れ!」

黄金に光る瞳が神体の源を捉える。

心臓に一つ。

子宮に一つ。

両足に一つずつ。

神体の手刀が赤凪の頭を割ろうと振り下ろされてくる。

構わずに踏み込み、両足を突き刺した。

「リイィィィィィィ!」

額を割っても悲鳴一つあげなかった神体から、絶叫が迸る。

神体の手刀が額を霞め、鮮血が赤凪の顔を濡らす。

凄まじい形相で、次に子宮に赤凪穂が突き刺さす。

刀を通して、ある形が失われていくのを感じる。

最後の一つを刺し貫くために赤凪穂を抜こうとしたが、びくともしない。

(こんな古典的な方法で!)

神体は筋肉に力を入れ、赤凪穂を封じた。

そして、神体の手刀が今度こそ赤凪の頭を真っ二つにしようと、振り下ろされる。

(赤凪穂!

とっ捕まる場合か!

力を見せろっ!)

赤凪は五行を流し込むと、赤凪穂が黄金に輝く。

「でえりゃああああああぁぁぁぁぁ!!!」

腹部から心臓目掛けて振り上げる。

そこには肉を裂く感触はない。

激流の流れを押し切る感覚で、神体の内部を斬り上げて行く。

心臓に刀が到達するのと、手刀が額を割るのとが同時だった。

パックリと額が割れ、血の滴りが赤凪の両目に入り込んでくる。

…それだけだった。

心臓にあった天の五行、水が裂かれると、神体の機能は停止し崩れ落ちていく。

手刀は頭を割るまでに至らなかった。

「こんなことが…」

呆然と呟き、木の上に舞い降りる静。

もう天の五行は存在しない。

あそこに居るのは、人の子だった。

空間のよじれが修正されていく。

天の五行の内、四行が天に還り、地の五行の内、二行が大地へ還った。

最早、始原を呼び覚ます呼び水は崩壊したのだ。

侵食が停止し、世界から排除されていく。




そして、空間が元の世界に帰還する。




「静、いや、凪穂。

もう、終わりだな」

幕引きの時はきた。

「寄るな、化け物めが!」

足場の悪い木の上で、静が怯えている。

これが三大勢力を有していた女の成れの果て。

確かに昔の赤凪なら葬るに十分な力を有しているだろうが、今の赤凪を押さえ込む程の能力は凪穂には無い。

「もういい。

俺との約束を守らなくても」

赤凪の鮮血に染まった顔が、悲壮に歪む。

「楽になればいい」

悲しみの渦が胸を締め付ける。

(俺が、…下してやらないと)

罪滅ぼし。

自分が傷つく事こそ、凪穂が望んだこと。

ならば、赤凪自身が手に掛けなければならない。

赤凪が一歩踏み出した時、その声がした。

「それならば、この美酒、私が貰い受けましょう!」

赤凪は静に気を捕られ、静は赤凪に気を捕られていた。

その所為で、この刻を虎視眈々と狙っていた者の接近に気が付かなかった。

「あ、ああ、あああああああ!!!」

赤凪が絶叫した。

静の背後に迫った影が、静の身体を突き破る。

静は状況を理解していない。

その場で一人微笑を浮かべ、テラングィードが静の首筋に噛み付いていた。




なにが起こっているのだろうか。

胸から飛び出ているものが、何なのかも分からない。

只、異物が背中から胸板まで突き抜け、赤く染まっているぐらいにしか認識出来なかった。

喉元を突く液体。

止めどなく溢れ、ゴボゴボと口を伝い落ちていく。

(ああ、折角口紅を塗ったのに)

口を伝う液体が赤いために、口元を飾っていた色が押しつぶされてしまった。

よく考えれば、同じ色をしていた気がする。

(どう言う事だ?

何故、赤凪がそんなに怯えた顔をしている?)

先程までわらわを追い詰めていた者が、蒼白な顔でこちらを見ている。

(この顔が見たかった。

だが、恐怖に屈しないこの男が、何に怯えている?

この胸から生えているものが原因なのだろうか?)

喉を突く液体の所為で、声が出ない。

問い質したくとも、身体が動かない。

自分の身に何が起こったのだろう?

(熱い、胸が熱くて狂いそうだ)

灼熱の棒が胸に突っ込まれたようだ。

なら、これは高温の棒なのだろうか?

そして、首筋にもその灼熱が押し寄せる。

「きっ、きさまぁぁぁ!」

赤凪が激怒していた。

これ程怒りを露にした赤凪に覚えが無い。

それよりも、首筋に差し込まれた針から、何か抜き取られていく。

それに伴い全身の力が抜け、気持ち良くなっていく。

胸の熱さも次第に沈静化していく。

(赤凪のことすらどうでも良くなってきた)

そしてわらわは、闇に沈んでいく。

「凪穂おおおおおおおお!!!!」

その叫びが、本当の私を呼び覚ましていく。

「しゃ・・・な」

(やっ・・と言・・えた)

薄れ行く意識と共に、私の肉体も地上目掛けて落ちていく。

最後に愛しき者の姿を瞳に焼き付けて。




テラングィードに投げ出され、地上へと落ちていく凪穂の姿に赤凪は赤凪穂を投げ捨て、駆け出していた。

木々に打ち付けられながらも、止まることなく地上へと落ちていく。

(凪穂、凪穂、凪穂、凪穂、凪穂、凪穂ぉ!!!)

頭の中が真っ白になっていた。

だから、傷を負うことなど厭わずに、ひたすらに追っていた。

枝が皮膚を裂き、葉が視界を遮る。

幹に身体をぶつけ、それでも速度を緩めない。

途中で巨木の枝に引っかかった凪穂。

その手前まで来て、赤凪は震える手で凪穂を抱えあげる。

胸に空いた穴から止めどなく零れる命の元。

落下途中で打ちつけ、手があらぬ方向に曲がっていたりと、無事な部分を探す方が大変だった。

「な、凪穂」

(目を開けてくれよ)

出血を止めようとしたが、符を使い果たしてしまっていた。

ボロボロの着物を脱ぎ、それで胸元を押さえる。

只でさえ自分の血で赤かった布が、直ぐに全体を赤く染め上げた。

(落ち着け!

…そうだ!

葉を遣えば!)

取り乱しかけていた自分に言い聞かせ、思案を出す。

手に届くものを素早く摘み、そこに術式を書き込んでいく。

「変生」

風穴の開いている胸に翳し、五行を解放する。

そして、血の流出が止める。

(駄目だ!

喪失した血液が多すぎる!)

顔色が青いまま、棺桶に半分以上足を入れている。

「こ、こんなことってありかよ」

瞳を強く瞑る。

凪穂の有様を見るに耐えない。

胸の奥から何かが出てきて、押さえようが無くなっていく。

「く、くう、くううううううううう」

硬く瞑った瞼を通り抜け、滴がボトボトと落ちていく。

噛み締めた歯の隙間から嗚咽が零れていく。

(俺は、お前に何もしてやれなかった!

あんなにも想っていたのに!

あんなに大切だったのに!

あんなに愛していたのに!)

「しゃ・・な」

小さな囁きにハッと瞳を開く。

そこには弱弱しい視線を赤凪に向ける凪穂の姿があった。

「…そんなに泣いてど・うしたの」

たどたどしい口調で話しかけてくる。

違った。

その喋り方は静ではなく、凪穂のものだった。

刺々しさもなく、惹かれ合い互いを気遣うようになった、あの頃のような慈しみがあった。

「…居なくなるな」

凪穂の胸元に熱い滴が幾つも零れ落ちていく。

「俺の傍にいてくれよ、…凪穂」

赤凪は知った。

こんなにも辛い思いを凪穂はしてきたのだと。

目の前で失われていく大事な者の姿がこんなにも苦しいものだと。

「…怖い夢を見たの。

赤凪が消えてなくなる夢。

だから、安心した」

(‥・凪穂、忘れているのか)

瀕死の状態を向かえ、凪穂の五行も弱まっていた。

それが憎しみの日々の記憶を忘れさせ、最も輝いていた頃の記憶を鮮明にしていた。

「私はいつでも傍にいるよ、…赤凪の傍に」

冷たくなっていく凪穂の身体を抱きしめる。

少しでも、僅かな期間だけでも、凪穂を留めておくために。

(赤凪…、泣けるようになったんだ)

知り合って間もない頃、赤凪がポツリと漏らした言葉があった。

人の命を紙屑のように奪おうとする赤凪に警告した際に、凪穂は言った。

「自分の大切な人が居なくなったら、涙が流れるでしょ」

「俺には大切なものなどない。

それにその為に流すものもな。

涙なんてものは出やしない」

そう言って、赤凪はつまらなそうにそっぽを向いた。

(これなら安心して行けるかな)

こんなにも感情を露にして、泣く赤凪がいる。

出会った時には考えられなかった。

(私の役目は終わったんだ)

凪穂は自分の命が残り少ないことは判っていた。

だから、安堵した。

そして寂しいものが込み上げてきた。

赤凪が自分から離れて、それでも成長していくのがわかったから。

「…赤凪」

この先の言葉を言うと、赤凪を縛り付けてしまう。

だから敢えて名前だけ、愛しい人の名前だけを口にする。

(愛してるよ)

「・・・な・・ほ」

嗚咽に混じり、確かに凪穂の名前が告げられる。

そこに篭っている想いで凪穂の胸が満たされる。

満ち足りた表情のまま、凪穂は三百十六年の生涯を終えた。




(この気配は!

馬鹿な、あの男は滅ぼしたはず!)

疲労困憊の身体を起こし、エンブリオは密林地帯と化した場所を凝視する。

(…間違いない!

テラングィード、生きていたのか!)

離脱を封じ、確かに肉体ごと滅ぼした者の気配が、前にも増して強大でおぞましく満ち満ちていた。

(何だ、この気配はまるでカオス!)

これは赤凪よりも、先程までいた空間に近い気配があった。

エンブリオは疾走した。

密林に着くと、素早く木々の間を飛び、枝を蔦って登っていく。

生い茂る青き匂いが充満した中を駆け上っていく。

深森の隙間から、赤き日差しが差し込んでくる。

そこに向かい、森を抜ける。

「漸く来ましたか。

待ちくたびれましたよ、エンブリオ」

血のように滲んだ夕日をバックに、惨劇の王がそこに慄然していた。

「…テラングィード、貴様が何故」

「正直、死を覚悟しましたよ。

まさか、貴方があそこまでやるとは検討も付きませんでしたから。

詰めも甘くなかった。

偶然にもあれを見つけていなければ、私は今頃地獄(ゲヘナ)に堕ちていたことでしょう」

エンブリオは幾つかの予測を立てていた。

あの時仕留めたテラングィードは偽者だったという線。

だが、今の会話の端々からそれを否定するものがあった。

ならば、あの時張ったフィールドが甘かったと言う線。

それは詰めが甘くなかったというテラングィードの発言から、否定できた。

それらの発言から、この男が紛れも無くテラングィードだと言うことが伺えた。

(なら、こいつが何故生きている!)

「おやおや、眉間に皴を寄せてお悩みですか、エンブリオォ。

さしもの貴方も、あの状況下を逃れる方法が想いつかないようですね」

愉快そうにテラングィードが会話を進めていく。

「プライドはズタズタに引き裂かれましたよ。

この私が地べたを這い蹲り、あの滴を舐めたのですからね。

ですが、プライドで買える命を言うのも、面白い体験でしたね」

「何が言いたいのです」

要領の得ない台詞に苛立ちを募らせながら、エンブリオは臨戦態勢に入っていく。

戦う力など一握り程しか残されていないながらも。

「貴方の血ですよ、エンブリオォ!

大量に地に染込んでいた貴方の血が、貴方の力を軽減してくれたのですよ」

(同調したのか!

私の波長と!)

テラングィードはエンブリオの血から遺伝子情報を読み取り、それが刻む波長と同調することでエンブリオの張ったフィールドの効力を薄め、アストラルサイドに脱出することに成功していたのだ。

「寸前で逃げおうせることができましたよ。

スペアボディでは少々不足が否めませんでしたが、今のボディは前のを遥かに凌駕しています。

この湧き上がるエネルギー、素晴らしいぃ!」

歓喜に打ち震え、テラングィードの気配が異様さを増す。

「マシュカーゼの純血、混沌の巫女、そしてあの混沌の主。

どれもが最高の域まで高められた美酒ぅぅ!

私は遂に神の領域に踏み入れたのだぁぁ!」

気配が広がるに連れて、厭な雰囲気が世界を侵食していく。

(この男、呑み込まれている!)

エンブリオは、テラングィードの雰囲気があの隔離されていた空間と一致していくのを感じる。

肉体はカオスが組み上げられ、侵されていることにテラングィードは気付いていない。

(どうしてテラングィードの体内に、あんなものが育ったんだ!

混沌(カオス)とはいったいなんだんだ!)

漠然とした知識でしか現されていない混沌。

それが根源であり、始原であるとされ、それに辿り着くことを魔術師は最終目的としている。

だが、それに触れるということは、世界が帰還するということ。

それ故に、禁忌の一つとして扱われている。

もし、世界にこれ程混沌への道があるならば、世界は常に細長い綱の上を歩んでいることになる。

(そんな危ういものなのか、世界とは!)

その結論に達すると、エンブリオは悪寒で全身の鳥肌が総立ちする。

(違うわ、エンブリオ。

世界は、そして私たちは、そんな柔に出来ていないわ。

未曾有にそんな事が起きていないのが、その証拠。

私たちは、過ちを見つめ、乗り越える力がある。

だから、世界は構成されたの)

(感情と理性。

それこそが神が与えた試練であり、抑止力という命題になるか。

感情とはその為にあるのかもしれない)

「私は神に生まれ変わったのだ!」

「神、それは存在してはならないもの。

だからこそ、神秘的で畏怖であり続ける。

そうは想いませんか、テラングィード」

「貴方は私を否定したいのですね」

「正論を述べただけですよ。

肉は神秘性を失わせ、言葉は矛盾を生む。

ならば、存在自体が神であることを否定する。

この世界は不安定で、絶対的なものを受け止められる程、強固には出来ていない。

だから、足掻き、より高みを目指す。

先人が築いたものを受け継ぎながら。

世界はそう成り立っているのだから」

「先人だと、下らないぃぃ!

滅び、歴史などと大層なものに刻まれるのに何の意味があるぅぅ!

負け犬などの戯言が世界を紡ぐなど笑止ぃぃ!」

「それこそ笑止!

過去から何も学ばないものは、破滅の道しか残されていない!

それを分からない貴様も、破滅しか残されていない!」

「小童が、吼えよったなぁぁ!

良かろう、貴様と私のどちらが正しいか此処で証明し、その歴史とやらに刻んでくれるはぁぁ!

恐怖と共になぁぁ!」

「葬りましょう。

穢れてしまったマシュカーゼの名と共に」

(テイヤノーラ、私は貴女を信じます!

この世界がこんなものに負けない強さを秘めていることを!)

エンブリオの決意が痛いほど伝わってくる。

その結果が終末に繋がっていることも。

それが、エンブリオ マシュカーゼの姿なのだと。

(共に)

最後の一瞬までもその姿を見詰める。

それがテイヤノーラの決意だった。




私達は、いつの間にか夕焼けの見える空間に戻ってきていた。

存在そのものを締め付けるような圧迫感も消え、それが戦いの終焉を物語っていた。

「お父さん、終わったみたいだね」

「…辛いことが、ですね」

「……」

お父さんの意味する事を思い出し、私は沈黙してしまう。

戦いの終結。

それが報われない命が一つ散り、あの人の心に消えない深い傷を負わせたということを。

「赤凪さん、無事だよね」

「領域が消えたことを考えれば、赤凪君が勝者でしょうね」

一先ずその言葉安堵しておく。

「っ!

何、これ!」

「領域!

静姫、否、違いますね」

再び辺りを満たす圧迫感。

静姫とは別物の、禍々しい気配が私達を押さえつける。

「これは、…テラングィードか!」

「えっ!

でも領域って、静姫独特のものじゃ」

「…そんなことが、ですがそれしか」

「ああああ、もったいぶった言い方はいいから、教えてよ!」

「私の予想が正しいなら、テラングィードは静姫の能力を手にしたことになります。

…恐らく、赤凪君との戦いで弱った瞬間を狙って、その遺伝子を奪ったのでしょう」

「血を吸ったってこと?」

「そうです。

人として並ぶ者の無い静姫の器。

並外れた適応能力を誇るテラングィード。

正直、器までも適応できるとは…。

ですが、そんなことをすれば」

思案し、仁は結論を言う。

「もしかしたらテラングィードは、当の昔に人格は失われているのかもしれません」

「意味がわからないよ」

「あれはテラングィードの皮を被った別物だということです。

新型のエレクシルがテラングィードに与えた能力、驚異的な適応能力。

それ故に、あらゆる者の器すらコピーしていったのです。

結果、テラングィードの人格を強調する繁栄心だけを表面上に残し、他は混じり合った変色体に取って代わられていたのかもしれません。

本来器とは、阿頼耶識(あらやしき)という集合意識から魂を受け取り、適した人格(かたち)にするものなのです。

それを無茶苦茶に取り入れれば、その先に待つものは混沌への帰路」

「ど、どうなるの」

「私にはわかりません。

只、テラングィードは最早個人ではなく、集合意識体といっても過言ではないでしょう。

その器、静姫をも上回ると考えて間違いないでしょう」

「しゃ、赤凪さん!」

私は駆け出して行きたい衝動を堪える。

後鬼戦で殆ど遣い果たしてしまった術力。

これでは足手まといになるのは目に見えている。

(無力が恨めしい!)

「あれは、赤凪君!」

「えっ!」

お父さんが指差す方向に視線を向けると、誰かを抱きかかえた赤凪さんが此方に歩いてくるのが見えた。

上半身裸で、全身が鋭利な刃物で斬り刻まれたような傷があり、出血で染まっていた。

特に額の傷からは未だ血が流れており、深いものだと遠目からも解った。

「赤凪さん!」

私はふらつく体を起こし、赤凪さんに歩み寄る。

お父さんも歩く位には回復していたらしく、私の後をついてくる。

近づくに連れて鮮血に染まっていた表情が見て取れ、私は固まってしまった。

どう見ても、泣いていたからだ。

今は止めていたが、涙の跡があり、胸を締め付ける悲痛な顔で歩いてくる。

「しゃ・なさん」

「鼎、凪穂を頼む」

そう告げると、赤凪さんはゆっくりと抱いていた人を地面に降ろし、横にする。

私はその人を除きこむ。

(なんて穏やかな顔なんだろう)

とても、赤凪さんを殺そうとしていた静姫ものとは思えない。

だから、赤凪さんはこの人のことを凪穂と言ったのかもしれない。

「凪穂はこんな辛い想いを何年もしてきたのか。

俺は、それも知れないで」

「でも、満足していると想いますよ、凪穂さん」

「何を」

私は、赤凪さんの自責など聞こうとはしなかった。

それよりも、凪穂さんの顔を確りと見えるように、ポケットからハンカチを取り出し、赤凪さんの汚れてしまっていた顔を綺麗に拭く。

「見てくださいよ。

こんなに穏やかな笑顔。

お母さんもこんな顔をしていた」

それを聞いた赤凪さんが、凪穂さんの顔を見る。

そして初めて凪穂さんが微笑んでいることに気が付いたのか、(かぶり)を振り、大粒の涙を流す。

「俺は…」

「生きてください。

それが凪穂さんの残したものです」

「…ああ、…ああ」

二度ほど頷き、赤凪さんはゆっくりと凪穂さんの唇に唇を合わせる。

その悲しい光景に、私も涙していた。

「凪穂、行ってくる」

赤凪さんは立ち上がり、禍々しい気配の中枢に向かって歩みだす。

「赤凪さん!」

私は射ても立ってもいられず、呼び止めていた。

「帰って来る」

後ろも向かずに、赤凪さんはそう告げた。

「待ってますから!」

深い森の中に消えていく赤凪さん。

その後姿が必ずと返事してくれているように、大きく見えた。




(エンブリオォ!)

今日、テイヤノーラの悲鳴は何度目だろうか。

エンブリオの半ばまで跳びかけていた意識が呼び戻される。

側頭部に痛みが奔っていた。

テンプルに攻撃を貰い、意識が途切れかけていたらしい。

前鬼よりも素早い動きで、エンブリオを翻弄していくテラングィード。

(これはシャナの疾さと同格)

残像しか捕えられぬ眼では追いつかない。

第六感に頼った避け方では、何度もこの身に攻撃を喰らってしまっていた。

(頭蓋骨に罅程度で済みましたか、まだ運に見放されていないようですね)

「如何しましたぁぁ!

その程度が貴方の限界ですかぁぁ?」

下劣な高笑いがこだましている。

だが、エンブリオにはこれを止める力が残されていない。

「溢れ出して、収まりませんよぉぉ!

何と言う力でしょうぅぅ!」

己の力に酔いしれるテラングィード。

その圧倒的な暴力がエンブリオに襲い掛かる。

不安定な足場で、尚且つ獣のように縦横無尽に襲いかかる者相手では、なす術がない。

肩に痛みが奔る。

ごっそりと肉が抉り取られ、鮮血が舞う。

(ヤバイ!

これ以上の出血は!)

ノーストライザ戦に流しすぎた血。

最早、絶対量を超えて流血していた。

身体中の力が抜け、眩暈まで誘発してくる。

(肉体を捨てるしか、勝ち目が無い!)

「おや、これは又、面白い玩具が転がっているではないですかぁぁ」

テラングィードの猛攻が一時停止した。

その間に肩の出血を止め、テラングィードの動向を窺う。

そこには瘴気を吐き出す妖刀が突き刺さっていた。

(あれはシャナが使っていた剣では)

エンブリオは、その刀の余りの変貌振りに慄いた。

赤凪の手の内にある時は穏やかな感じだったが、今は解き放たれた幾億の獣を彷彿とさせる雰囲気が、その刀から吐き出されていた。

(…狂気を剥き出しにした時のシャナそっくりだ!)

「これは素晴らしいぃぃ!

一つ、貴方で試し斬りでもして見ましょうぅぅ」

テラングィードがその刀を手に取る。

抜き放たれた刀が頭上に掲げられた。

(き・さ・ま・だ・け・は・ゆ・る・さ・ん!!!!!!!!!!!!!!)

テラングィードに強烈な意志が流れ込んでくる。

「な、なんですか、これはアア!

グアアアアアアアアア!!!」

狂ったようにテラングィードが暴れだす。

突如、発狂したテラングィードにエンブリオは呆然とした。

「コ、コノ、カタナカアアアア!

コンナモノオオオ!!」

テラングィードが刀を投げ捨てようとするが、手に張り付いたようにまるで離れる気配がない。

「ガアアアアア!!!

ソンナアアアアアバカナアアアアアアア!!!!」

片手で頭を押さえ込み、絶叫を上げ続ける。

テラングィードは右肘目掛けて、手刀を落とし、右手ごと刀を切り離した。

「ハア、ハア、ハア、ハア!!」

赤凪穂がテラングィードの右手と共に樹海に落ちていく。

「俺達の怒りは届いたか、テラングィード」

赤凪穂が男の手に収まる。

男は柄を掴んでいた手を剥ぎ取り、自分の手に収める。

そうすると、今まで瘴気を吐き続けていた妖刀が大人しくなっていく。

(生きていたのか、シャナ!)

刀だけ置き去りにされた現状では、想像する安否は碌なものではない。

正直、テラングィードの手にかかってしまったとエンブリオは考えていた。

赤凪はどす黒いモノで世界を侵食する手を宙に上げ、一閃する。

すると、跡形もなく世界からカオスの一部が消えていく。

「シャ、シャナアアアアア!!!

コノカミニムカッテユルサン!!!!」

失った肘の部分から、混沌が世界を埋め尽くそうと食み出していく。

「解放してもいいぞ、赤凪穂。

凪穂の弔い合戦だ」

それに答え、赤凪穂が瘴気を吐き始める。

(このままでは、世界が!)

エンブリオが危惧を余所に、黒い靄が辺りを包み込む。

(これは!)

瘴気が樹海全土に広がっていく。

それがある種のフィールドを作り上げていく。

そして、世界を侵食しかけていた混沌の動きが止まる。

(瘴気がカオスを封じているのか!

だが、そんなことが!)

エンブリオは勘違いをしていた。

赤凪穂から吐き出されているものは、感覚こそ似てはいるが物質界を侵食する瘴気とは別ものだった。

これは赤凪と赤凪穂が生み出した、木の霧。

これにより肉体に繋ぎ止められた混沌。

「お前に輪廻は優しすぎる。

無に還してやる」

「ゲセンガ、チョウシニノルナヨオオオオオオオ!!!!」

テラングィードの中で何かが狂いだしていた。

表面層にあった主人格を食い破り、多重の意思が浮き彫りになっていく。

「ゴロズ、ゴロジテヤドウウウウウウウウウウ!!!!」

一度溢れ出したものが肉を食い破りだしていた。

額が膨れ上がり、腕が三倍ぐらいに太くなり、腹の皮膚がボコボコと溢れあがっていく。

「ゴオオオがアオガゴアゴイゴアイゴゴイガオゴア!!!!」

赤凪穂を手にしたことで、主人格に多大なダメージを受けたテラングィードは、多大な意志を束ねることが出来なくなっていた。

暴走した意志が肉体を凌駕し始めていた。

腕が裂け、内部から血管が肥大化し、赤凪とエンブリオに襲い掛かってくる。

バキバキババババキキバアバババキキキ!!!!!

辺りにあった木々をなぎ倒し、管が振り回される。

管から吐き出された血液は硫酸の如く、木々を溶かしつけていく。

赤凪もエンブリオもそれを躱し、間を置く。

異臭が鼻に付く。

テラングィードの肥大化は留まるところを知らない。

「ガペゴアオイコアジアゴパゴアエイガジェパオグ!!!!」

意志の通わぬ言葉を吐き、テラングィードの膨張していく。

体積が増え、足場が重さに耐え切れなくなり、テラングィードの本体が樹海の森に落ちていく。

「エンブリオ!!

これ以上肥大化させると、消滅させれなくなる!

俺が統合し瞬間を造る!

後は頼む!!」

テラングィードの周りを巻き込んで落ちていく轟音に負けない声で、赤凪は指示を飛ばす。

言い終えた赤凪は、テラングィードを追いダイブしていく。

「シャナ!」

エンブリオの声が一瞬で聞こえなくなる。

(貴様だけは許さねぇ!)

下降しながら、下の方で膨張していくテラングィードを凝視する。

赤凪は一度眼を閉じ、そして黄金に輝く瞳を開く。

(二度と遣うまいと想っていたが、こいつだけは!)

下から、幅一メートルはある管が赤凪目掛けて襲い掛かってくる。

赤凪は下降中に、傍にある木の触れる。

枝が伸び、管と赤凪の間に壁を形成する。

壁に管が激突し、それを破壊する。

その僅かな隙間に赤凪は木々を蹴り、テラングィードに驀進していく。

(ちっ!

あれで毛細血管か!

今度は動脈といったところか!)

桁外れの太さの管が、赤凪の正面から迫る。

「ああああああああぁぁぁ!!!!」

キィ――――――――――ン!!

赤凪と赤凪穂の咆哮が響き、赤凪を覆い尽くす程の管が裂けていく。

そこから溢れ出る粘液が飛び散り、赤凪の皮膚に付着し、煙を上げ溶かす。

半ばまで裂くと、飛び退き、次々に来る管を斬り伏せていく。

(きりが無い上に、時間も無い!

残りの木行、くれてやる!)

管の猛攻から場を離し、近場の木に手を添える。

「頼む、同胞達よ!」

それに森が答える。

ざわめきが樹海にこだました。

赤凪に襲い掛かる管に枝や蔓が絡みつき、押さえ込む。

そして、赤凪に道を開かせる。

赤凪は、その出来た道を疾走した。

テラングィードの本体まで後もう少し。

その間にゴトリと何かが落ちてくる。

巨大な白い球体で、大きさは赤凪の五倍ほどもあった。

上の部分に管が引っ付いて、本体に繋がっていた。

球体には黒い部分があり、それがグルリと動き赤凪の方向にむく。

赤凪は、それが眼球だと理解した。

未だ視神経が繋がっているみたいだ。

「ジャパエピオアエアゴパエモジョピ!!!」

赤凪が視界に入った所為か、物凄い暴音がテラングィードから吐き出される。

それが赤凪の鼓膜を破り、三半規管狂わす。

足元がおぼつかなくなり、其処に管が赤凪を横薙ぎする。

「ぐぅっ!」

右の肋骨が全て持っていかれた。

粉々に砕けた骨が内臓を突き刺さっていた。

吹き飛ばされ、そのまま木に激突する瞬間、背中に柔軟なものが差し挟まれ、衝撃を軽減してくれる。

(何が…?、!)

そこには、何重にも敷き詰められた枝蔓(しまん)が存在していた。

(お前ら!)

森が一段とざわめき、動き出す。

赤凪の意志とは関係無しに、森が赤凪を救った。

そして枝蔓の群れがテラングィードを包む込み、赤凪の活路を開いてくれる。

(同胞よ、行くが良い)

赤凪の脳裡に木々の声がする。

「…、ああ!」

赤凪穂を杖にし、身を起こす。

三半規管が狂わされた所為で、まともに立ち上がれない。

その上に脇腹に激痛がした。

だが、湧き上がる笑みは押さえられなかった。

テラングィードの眼球が此方を凝視し、大気と森を震わす。

轟音が未だ鳴り響いているらしい。

「…お前には自分の姿が受け止められるか!」

赤凪の瞳が黄金から赤へと変色していく。

そして赤凪は己が禁じていた、邪眼を解き放つ。

テラングィードの眼球が、諸にその眼光を捉えてしまう。

「ハイカジマパジヒペアホコパエコアエギファコアヒカコカオゴホダフォマジャ!!!」

殆ど理性の欠片すら残っていないテラングィードが、完全に壊れる。

絶叫が木々に亀裂を奔らせ、己の身体さえ砕いていく。

赤凪の周りに枝が集まり振動波の直撃を防いでくれる。

それでも電子レンジに放り込まれたように、血液が沸騰して傷口から吹き出していく。

「ぐうううううううううう!!」

歯を食いしばり、その状況に耐える。

(どうだ、己の姿を知った感想は!)

危機的状況の中、赤凪は皮肉げに顔を歪める。

生まれたその日に、その眼が持つ力の為に人を狂わせた魔性の瞳。

そして、怒りに任せ静を狂わせた。

その瞳が持つ力は鏡の力だった。

己の奥底にある真実を映し出す、それが赤凪の瞳に宿っていた本当の力だった。

邪眼故に、その真実は己の醜悪さを露呈させ、自分の価値観そのものを根底から破壊する。

過去二回、これを受けて正気を保っていた者はいない。

それが意識集合体のテラングィードなら、その効力は絶大なものであろう。

意識体が互いに鬩ぎあい、肉体を破壊していく。

管が縮み、細くなり、眼球が萎んでいく。

本体も絶叫と共にその巨体を破壊していく。

聴覚が破戒されている為に、何も聞こえない。

だが、絶叫が弱まっていることが皮膚感覚で伝わってきた。

それを感じ取ったのか、赤凪を包んでいた木々が開かれ、テラングィードへの道を開く。

一歩踏み出す。

勝手に身体が傾き、倒れかける。

(糞が!

身体がまともに機能しねえ!)

耳穴から血が垂れてくる。

普通の人間なら脳がシェイクされ、絶命していてもおかしくない状態だった。

立っているだけでも奇跡に近い。

(我らの力、お主に!)

倒れかけた背中に枝蔓が群がり、体内に木行が流れ込んでくる。

切れていた神経が繋がり、肉体が機能を少し取り戻してくる。

自分が一人ではなく、支えられていることを実感する。

あの頃のように、全てが敵だと認識し、闇の中を彷徨っていた自分とは違うのだと。

凪穂に出会い、開かれた(えん)の世界。

(お前さんは、一人ではないんじゃ)

記憶の片隅にあった(ばん)の言葉が沁みこんで来る。

赤凪は踏み出した。

己の成すべきことを果たす為に。

萎み、木々に押さえ込まれたテラングィードになす術は無い。

赤凪は疾走した。

そして、テラングィードの固まりの上に乗ると、赤凪穂を振り上げ突き刺した。

(これからは我の仕事、さらばだ赤凪)

(ああ、赤凪穂)

短く別れを告げ、赤凪はテラングィードから飛び退き、その場から離れていく。

赤凪穂が刺さると同時に、テラングィードの身体が硬直する。

もがいているようにも見えるが、微動にしない。

赤凪穂により、その場に繋ぎとめられたのだ。

そしてそれは、アストラルサイドにも行き来が出来るテラングィードを現実に繋ぎとめたことも意味していた。

「エンブリオォ!!!」

赤凪が遥か上層にいる、エンブリオに合図を送る。

(あばよ、赤凪穂!)

エンブリオはこの一瞬を逃さず、魂の槍でテラングィードを投擲する。

シュンッ!

光が駆けた。

テラングィードに槍が刺さると、エンブリオの声がこだました。

「ジャッジメンッ!」

そして辺りは光に渦に包まれる。

膨大な光が回転し、周りを巻き込んでいく。

管などの器官が、テラングィードの影が呑み込んでいく。

…光の渦が消えた。

そこには一つの紅い金属片があるだけで、後は何も残っていなかった。

そして霧が晴れ、黄昏が終わりを告げる。

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