森羅隔離
[13 森羅隔離]
(良かったな、鼎)
柄にも無いことを思いながら、俺は仕事に取り掛かる。
正直限界だが、これを行っておかないと寝覚めが悪いだろう。
俺は抱き合っている二人を余所に、式神に近づく。
(これで良かったのか)
白い影が赤凪の周りに現われる。
(有難う御座います。
何とお礼を言ったら良いか)
(気にするな。
俺が鼎を助けたかった、それだけだ。
それよりあんたはどうするつもりだ)
(…式神の法。
それが私をこの現世に縛り付けています)
(肉体(楔)を無くせば、解き放たれるのだな)
(はい。
…このまま二人を見守っていたいのは山々ですが、私は死んだ身。
いつまでも、この世に留まっている訳には参りません)
(そうか…。
礼の代わりにして貰いたいことがある)
(…構いませんが、私は肉体がありません。
大したことは出来ませんが)
(俺がお前を肉体と繋ぐ。
好きなことを喋りな)
(!
それでは私が恩を貰っているではありませんか!)
(これから家族として生きるもの達に、活力を与えて欲しい。
それが俺の願い、礼だ)
(…赤凪様)
(生憎と、鼎を呼び戻すのに力を遣い過ぎた。
一、二分が限界だ。
良いな)
(はい!
有難う御座います!)
赤凪は右手に式神、左手に白い影に手を伸ばし触れる。
すると、影は赤凪に吸い込まれ式神に影が流れていく。
そうすると焦点が定まり、生気の無かった瞳に黒点が宿る。
「急ぎな、瑚乃恵」
頷き、抱き合っている家族に恐る恐る歩み寄る。
「仁さん、鼎」
式神から流れる声音は、二人が忘れることの無い懐かしい響きをさせた。
最後、四年前に聞いたあの声と寸分も違わない声音。
嗚咽をあげていた二人は懐かしい声に反応して、泣き顔のまま声のした方向に首を傾ける。
「…驚かせて御免なさい」
「…瑚乃恵」
「…お母さん」
完全に思考が麻痺している三人に、蚊帳の外にいた赤凪が冷静に促す。
「時間は無いぞ」
「これは」
仁が呆けた様子で聞き返してくる。
普段察しがいい仁でも、この状況は範疇を越えていたのだろう。
「俺が瑚乃恵の魂と肉体を繋いだ。
後、一分も無い」
赤凪は簡潔に説明する。
「……」
だが、誰もが口を噤んでしまう。
「…瑚乃恵、私は」
沈黙を破った仁に瑚乃恵は首を横に振り、謝罪の言葉を遮る。
「言わないでください。
ずっと傍で見ていました。
だから、これ以上自分を貶めないで」
「瑚乃恵」
「鼎、…大きくなりましたね」
「…お母さん」
「…立派になりました。
自慢の娘に」
「お母さん」
鼎は躊躇いながら瑚乃恵に手を伸ばしていく。
それに合わせ、瑚乃恵も手を伸ばす。
鼎は血の通っていない瑚乃恵の指に触れた。
冷たい体温が指から伝わる。
鼎は思わず、手を引いてしまう。
「ご、ごめんなさい!」
瑚乃恵はそれに対し、首を振り、何でもないように見せる。
だが、一瞬だけ見せた悲しみを鼎は見てしまった。
「わ、わたし!」
「御免なさいね、鼎。
こんな冷たい人間なんていないわよね。
怖いのも無理ないわよね」
「ち、違う!
私は」
「有難う、鼎。
私のことを母と呼んでくれて」
それを聞いた途端、鼎は瑚乃恵の胸に飛び込んでいた。
「…鼎」
胸に顔を埋め泣く娘。
「ごめん、…お母さん」
抱いて良いのか迷っている瑚乃恵に、鼎が先に腰に手を回して抱き着く。
冷たい。
だけど、誰よりも暖かな温もりを感じる。
逡巡している瑚乃恵の顔を仁に向ける。
仁は四年前に閉じ込めていた、穏やかな笑顔で頷いてみせる。
彷徨っている手の矛先は鼎を抱くようにと。
「鼎」
我慢する必要がなくなったのだと、その手を鼎に回す。
(ああ、温かい)
温もりが全身を駆け抜ける。
至福の瞬間なのだと噛み締めるように、鼎を抱く力を少し強める。
「ありがとう、お母さん。
私を望んでくれて。
…幸せでした」
涙など通っていない為に零れることはなかったが、胸を満たす喜びが溢れる。
「私こそ、鼎の親になれて幸せでした」
どちらともなく、再度ギュと抱きしめ合い離れる。
鼎は瑚乃恵から離れ、道をあける。
その先には仁が待っていた。
「…仁さん」
「瑚乃恵、……有難う」
巡る色々な言葉。
沢山の、それこそ一日かけても足りない程の想いがあったが、瑚乃恵が望む最高の言葉を捜し、それを送る。
そして仁はそっと凍えた手を取り、自分の中に残っていた凍った部分を洗い流すように熱い涙を零した。
その手を握り返し、瑚乃恵は満面の笑みを浮かべる。
「仁さん、私はこの世で一番幸せでした。
…こんな素晴らしい家族が持てたのですもの」
「……」
言葉が出なかった。
只只、瑚乃恵の手を握り溢れるモノに身を任せるのみ。
不意に仁の手から粉が零れていく。
その粉は地面に落ちきることなく、この世から失せていく。
「瑚乃恵!」
…瑚乃恵の掌が無数の砂になり、物質界から消失しようとしていた。
繋ぎ止めたい!
だが、その手段は無い。
そして、それを瑚乃恵が望んでいないことも判っていた。
だから、向かい合う二人は精一杯の笑顔を送る。
それが手向けになるならば。
急いで瑚乃恵の正面に回りこむ鼎。
そして、微笑んでいる母の姿に泣き顔の笑顔を送る。
薄れていく存在。
だが、それは確かに居た。
二人の心には決して消えることの無い、大切な人として。
蜃気楼のように姿が空間に溶け込んでいく。
そして、最後に一際胸を打つ微笑みを浮かべた瑚乃恵は現世から旅立っていった。
(今度、生まれ変わってもこの二人と共にあるように)
赤凪は瑚乃恵が居なくなった場所に浮かぶ球体を眺めながら、そう祈る。
宙に浮かぶ球体は、引かれるように鼎に近づいていく。
それが母の形見であるかのように、鼎はその球体を受け入れ吸い込まれていく。
(土と金の陰は鼎に引かれ、ひとまずは収まったか。
…まったく、無茶が過ぎたか)
赤凪の意識が朦朧としてくる。
これ以上の力を行使すれば、記憶障害を起こしかねない。
赤凪はふらつく足取りで母屋の縁側まで来ると、身を投げ出す。
「しゃ、赤凪さん!」
鼎の声がするが、遠のく意識を留めることは出来ず、眠りの彼方に誘われていくのだった。
西日が傾き、縁側沿いを暖かな日差しで照らす。
その奥、居間では真剣な面持ちで仁が赤凪の脈を計っていた。
「お父さん、赤凪さんは」
「…恐らく、力の遣い過ぎでしょう。
…膨大な人の精神を繋ぎ合わす、そんな無茶苦茶な作業をこなし、その上で瑚乃恵に僅かながら時間をくれたのです。
赤凪君でなければ死んでいてもおかしくない」
仁は危惧した。
実際星に分散していたとは言え、赤凪を復活させるのに三百年の月日と、大地に精が命がけで行った作業を、ほんの一時間ぐらいで遣って退けたのだ。
いくら赤凪が太一の木行をその身に宿しているとは考えても、状況は芳しくない。
もしかしたら、二度と目を覚まさない恐れもあった。
「だ、大丈夫だよね」
「迂闊な事は言えません。
正直、赤凪君の回復力に賭けるしかないですね」
「…送れないかな、五行を」
「気持ちは分かりますが、止めておきなさい。
波長が合う人間でもない限り、五行は送り込めません。
色に染まってしまっている、他人のものでは相殺しあい、逆に衰弱を促してしまいます」
鼎は押し黙り、布団に横たわっている赤凪を見つめる。
呼吸は正しく刻まれている。
顔色も悪くない。
外面だけ見れば、正常な人間でしかないが、内面がそれに比例しているか疑わしい。
「…鼎、小腹が空きましたね」
「…うん、そうだね」
生返事を返してくる鼎に、仁は付け加える。
「きっと赤凪君、目を覚ましたらお腹を空かせていると思います。
冷めても美味しいものを用意しておけば、喜ぶかもしれませんよ」
「っ、そうだね!
私、何か作るよ!」
「あ、私の分も宜しくお願いしますよ」
「分かってる!
飛びきり美味しいもの用意するね!」
遣ることが出来た鼎は元気よく立ち上がり、台所に消えていく。
(身体でも動かしておけば、紛れるでしょう)
それを見送る仁。
こういうナーバス状況でジッとしておくと、碌な考えを浮かべない。
しかもそれは悪化の一途を辿る。
(倒れた原因が私達にある以上、マイナス思考にしか偏らないでしょうしね)
娘の心情を気遣う。
その行為を自然と出来ることに、仁は長年胸に抱えていたしこりが無くなっていく。
(戻ってきて下さい、赤凪君。
…私はお礼の一言すら伝えてない)
仁は神妙な面持ちで赤凪の診察をする。
…異常な箇所は見当たらず、やはり待つ以外に手立てが無いことを悟るのだった。
黄昏がゆっくりと世界を包む。
あれから三時間、微動にしない赤凪。
「鼎、根を詰めるなとは言いません。
貴女も疲れているのです、責めて食事くらいとりなさい」
「……食欲がわかないの」
「なら、休みなさい」
「ごめん、それは嫌」
仁は思わず溜息をついてしまう。
予想通りの受け応えだったからだ。
仁が倒れた時、三日間着きっきりで看病していた頃と変わらない。
(この頑固者を説得する方法はないものですかね)
「…赤凪君も戸惑うでしょうね、そんな悲壮な面持ちのやつれた顔が目の前にあったら」
「……」
「看病するのも体力が必要です。
本当は休む事を薦めますが、食事だけでも無理やり詰めなさい。
それが鼎が今遣らなければならない事です。
採れる内に採りなさい。
赤凪君に笑われますよ」
「…そうだね。
赤凪さんが教えてくれたこと、忘れてたよ。
食べるよ、お父さん」
(そうだ!
時間は限られているんだ!
焦らず、足掻く。
私の出来ることをしないと)
「宜しい。
私が温め直してきますよ」
「ついでに俺にも何か食い物をくれ。
空腹が辛い…」
「赤凪さん!」
「赤凪君!」
二人して声のした方向に目を向けると、パッチリと目を開けた赤凪がいた。
「五月蝿いな。
傍で叫ばれたら耳がいたいぞ」
耳を塞ぐジェスチャーをしながら、赤凪は掛け布団を除け、上半身を起こす。
「大丈夫なんですか?」
「ああ、爽快なくらいだ」
(大した回復力ですね。
…まるで、混沌と直接繋がっているかのようです)
全く危惧する必要も無かった。
それ程、赤凪の調子は良さそうだった。
「…鼎、悪いが少し席を外せ」
「えっ!」
赤凪に唐突に告げられたこと、鼎は驚く。
「仁に訊いておきたいことがある。
その間に飯でも用意しといてくれ」
有無も言わさぬ迫力が赤凪にあり、鼎には聞かれたくない個人的な質問をしようとしているのが分かった。
「…う、うん。
分かりました」
「済まないな」
「いいです。
…赤凪さん、一言だけいいですか?」
「何だ?」
「ありがとうございます」
「堅苦しいな。
それに礼なんて別に要らない。
これは俺が遣りたくて遣ったことだ。
気にするな」
「それは駄目です!
こちらにもケジメがありますから!」
(…俺、礼を言われているのか?
それとも説教されてるのか?)
「なら、言っとけ」
「はい!
本当にありがとうございます!」
「あ、ああ」
(…お礼ね。
俺にその資格があったのだろうか)
そう告げた鼎は居間から出て行く。
「…ケジメか。
鼎も良いこと言う。
赤凪君、ありがとう」
「…複雑だな、正直」
「私達がお礼を言うことが変ですか?」
「…これまでの行為は罪滅ぼしでしかない」
「罪滅ぼし?
どうして貴方が罪悪感に苛まれているのですか?」
「鼎を呼び戻すので、お前の記憶を覗かせて貰った…」
「それを気に病んでいる、と言う訳ではなさそうですね」
「…俺が死にさえしなければ」
「まさか、事の発端を、元凶が自分であるとでも思っているのですか?」
「その通りだろう」
それを聞いた仁は苦笑を浮かべ、その後軽く笑った。
「…いや済みません。
いつも大人びた意見ばかり述べるから、君が子供だと言うことを忘れていましたよ」
「確かに俺は餓鬼だが」
「なら、気遣い無用です。
子供は子供らしくしてなさい。
…確かに責任の一端は、貴方が担っているでしょう。
言うなれば一端だけです。
決して貴方一人の責任ではありません。
凪穂少女が君を生き返らそうとした事は、あくまで彼女の意志に拠るものです。
それは彼女の責任であり、事の関わっていない貴方の何処に罪がありますか?
何もかもが重なってしまった。
少女に手段を提示した大地の精、それを実行した少女。
新宮司を飛び出したにも関わらず、おめおめと戻ってきた私。
どれも自分で考え、成した答えです。
…怨んでいないかと言われれば、私にも黒い感情もありますから、いますと言えるでしょう。
ですが、私は感謝を言いたい。
其方の方が圧倒的に大きい。
そのお蔭でかけがえの無い家族を持つことが出来たのですから」
「だが、俺の存在がそれを壊した」
「違います。
壊したのではなく、生んだのですよ。
…鼎のことは知っているのですね」
「…ああ」
「鼎が産まれた経緯、つまりそのことが無ければ起点すら生まれなかった。
簡単な理屈でしょう」
「…俺は」
「自分を赦してあげなさい。
貴方が想うほど、恨んでいる人はいません。
筵、感謝しています。
瑚乃恵も鼎も、そして私も」
「……」
「さて、余談は終わりにして、訊きたい事とは何でしょう」
この事は終わりと言わんばかりに、仁はこの話題を断ち切る。
「…その前にケジメだからな、ありがとう、な」
相談に乗ったことを言っているのだろう。
それを聞いた仁は再び苦笑してしまう。
(律儀というか、強情というか)
「訊きたいこととは、凪穂のことなんだが。
…あれは、静と名乗ったあの女が本当に凪穂なのか?」
「新宮司の守護神が言うにはですが」
「だが、掌に刺し貫いた傷があった。
あれは俺が静にやったものだ」
「…医学的な話になりますが、聖印現象というものがあります。
例を挙げるならば、赤凪君、貴方はこの筆で火傷をすることがありますか?」
仁は袖から取り出した筆を赤凪に渡す。
受け取った赤凪は何の変哲もない筆を見てから、
「これでか?
筆で火傷など出来ないだろう」
と、最もな答えを言う。
「その通りです。
ですが、想い込みの力は凄いものでね、この筆を皮膚が焼け焦げる熱く熱された棒と想い込み、皮膚に触れると、想い込んだ本人はその通りの効果を皮膚に及ぼし、火傷を負います。
勿論、他の人には只の筆ですけどね」
「…それと何の関係が」
「凪穂少女の中に芽生えた人格、静は、自分を本当の静だと想い込むようになる。
それが次第に身体にまで影響を及ぼしだした。
その代表が、貴方に貫かれた手の傷ということでしょう。
憎しみ程持続し、強いイメージを湧き立たせるものはありませんから」
「…そうか。
あれはやはり凪穂なんだな」
これで全ての辻褄が合った。
三百年前に現われた混沌の巫女、静。
五行を極め、鬼を使役している。
赤凪の知る静にそんなことが出来る筈が無い。
それが出来る可能性があったのは凪穂。
そして静と名乗るものがしている姿は、凪穂そのもの。
疑うまでもない。
「…仁、お前がしようとした方法で凪穂を救えないのか?」
「…済みません。
鼎に施しておいた術が消えてしまった地点で、全てご破算になってしまいました。
もう、木行は鼎の器として確立してしまいました。
この状況で鼎の器を切り取ってしまえば、記憶、人格が消滅してしまいます」
「…そうか」
凪穂を救えない。
その事実が赤凪を打ちのめす。
(…逃げる訳にはいかないよな)
仁は赤凪の瞳に宿る、決意を固めた光を見る。
「どうする気ですか?」
「決着を着ける。
それが、俺が凪穂にしてやれる最後のことだ」
「…そうですか」
(残酷ですね。
強さと優しさ故に、この子は一番苦しい道を選んでいく。
運命と称して、逃げていた私とは違う。
…その所為で誰よりも傷付き、それを背負って生きていく)
「仁、確かに感情は厄介なものかもしれない。
…だけど、俺はこれを捨てられない。
それが俺を形作り、育んだ大切な記憶だ。
…感情(凪穂との思い出)は捨てられないよ。
それにな、これはこの世界で唯一、運命と言う馬鹿げた歯車を壊せる武器だ」
「…そうかもしれませんね。
本当に貴方は強い」
「どうかな、お前も十分だと想うが」
「私がですか?」
「ああ。
狂おしい葛藤の中、お前が死という逃避に走らなかったのは如何してだ?
気付いなかったかもしれないが、それは鼎の為だった」
「鼎、どう意味ですか?」
「捨てられなかったんだよ、幼い娘を置いてこの世を去ることが」
「…未練たらたらですね」
「それでいい。
本当の強さは、そう言ったモノを捨てられないことだ。
何でも捨て去れる奴は、只の臆病者だ」
「…救われますね、そう言ってもらえると」
仁の肩の荷が下りたような表情に、赤凪は頬を緩める。
「…そろそろ、時間だな」
先程までの打って変わり、赤凪の瞳に緊迫した眼光が宿っていた
「どう言うことですか?」
「俺が突然目を覚ました理由がそれだ。
鼎もそろそろ感じているだろう」
「!!
来てるのですか!」
赤凪は布団から出ると、横に添えてあった赤凪穂を手にする。
「お前たちを巻き込みたくない。
避難しといてくれ」
「一人で戦う気ですか?」
「ああ、これは俺の戦いだからな」
赤凪穂を腰に挿すと、赤凪は縁側から庭に出て行く。
素足で土の上に降り立ち、神木の方に歩いていく。
次第に高まっていく圧迫感。
静が生み出す領域が迫っているのだ。
「余り時間がない、急げよ」
「生憎とそう言う訳にいかないのですよ」
仁が赤凪に付き従いながら、そう答える。
「どう言う意味だ?」
「恩返しですよ。
貴方が気を失っている間に鼎と話し合いましてね、君の手助けをしようと決めたのです」
「馬鹿を言うな!
鼎を巻き込む気か!」
「これは私の意志です!」
振り返ると、鼎が威風堂々と仁王立ちしていた。
「冗談を言っている場合か!」
「赤凪君、何も私達は君の戦いを邪魔しようと言っているのではありません。
君の戦いの邪魔になる者を排除するだけです」
「邪魔?」
「今回、静姫は必ず鬼を連れてきます。
地が火、前鬼、地が水、後鬼。
それらを相手にしながら、その五行を極めし者と戦う気ですか?
無謀にも程がある」
「だが、鼎は」
「私も戦います!
今の私はお父さんより強いもの!」
鼎は腕を曲げ、力こぶを作るフリをする。
…物凄く弱そうだ。
「内に宿る地の五行のことを言っているなら、お門違いだ。
お前と仁では、経験値が違いすぎる。
冷静に冷徹に戦いを遂行出来ない者では足手まといだ。
それにお前は操れるのか、その力を」
「実験済みです。
それに私はサポート専門です。
基本的に土と金は攻撃には向きませんから」
「それでも危険には変わりない。
…頼むから逃げてくれ」
「嫌です!」
赤凪の懇願を一蹴して、鼎はふんぞり返る。
「…、この餓鬼ぃ!」
赤凪はカチンッときた。
心配して言っているのに、全く聞く耳を持たない。
今にも取っ組み合いが始まりそうな勢いだ。
「まあ、まあ、落ち着いて下さい。
鼎には私が付き添いますから」
「お前も、お前だ!
甘やかすな!」
「鼎は瑚乃恵と凪穂の血を受け継いでいる、純度の高い頑固者です。
私には説得は無理です。
その上、力でも負けていますから、私には到底無理です」
仁は嘆息しつつ、諦めてねと肩を竦めてみせる。
そして庭先を指す。
そこには残骸に成り果てていた筈の新宮寺が、元に姿で悠然と聳えていた。
鼎は、間違いなく地の五行を使いこなしている証。
何と言う才であろうか。
鼎には凪穂と瑚乃恵の才能が確実に受け継がれていた。
「あああ!
好きにしろ!
如何なっても知らんぞ!」
「望むところです!」
挑発的に受け返す鼎。
「調子に乗るなよ」
赤凪は鼎を一瞥し、圧迫感が押し寄せる太陽の沈む方向に視線を移す。
鼓動が妙に大きく聞こえる。
領域に変化が起こる。
領域が空間に影響を与え始める。
領域が歪みに変わっていく。
「これは!」
逸早くそれに気が付いた赤凪は、思い付いたように鼎を見る。
「気持ちが悪い」
案の定、鼎はその変化に影響を受けていた。
口元を掌で押さえ、吐き気を押さえ込む。
「鼎!
意識をしっかり持て!
呑み込まれるぞ!」
「どういうことですか!」
一人取り残されていた仁が、状況の移りに付いて行けず質問してくる。
「揃っちまったんだよ!
天の五行、地の五行が!
只、共鳴しているだけで、空間に歪みが生じ始めた!
このままだと、現世と幽世の境目が消えてしまう!」
「…鼎は」
「共鳴に身体が拒絶反応を起こしているんだ!」
「そんな!」
「…大丈夫です。
私だって少しは成長してるんだから」
顔色が優れないが、鼎は意識をしっかりと持っていた。
抗の行をこの僅かの間に取得したらしい。
紅い空間が歪みだし、濃い血の色に変わっていく。
地に足が着いていないような感覚に襲われる。
最早此処は現世では無い。
総ての中間点にして、世界に属さない場所として確立されていく。
(やばい!
このままでは世界が形を失う!)
赤凪は歪んでいく空間が世界を侵食していく様に戦慄した。
総てが統合された世界。
それ故に秩序も形も存在しない。
あるがままの混沌。
だが、空間が切れた。
(隔離された!)
赤凪の感覚が、この空間が世界から切り離されたのを感じた。
(意思が関与している。
…誰だ、こんな出鱈目なことを遣って退けたのは!)
侵食が世界を脅かすことは無くなったが、かわりに脱出不能の空間が成立した。
この空間に名を付けるなら、混沌の間と呼ぶべきかもしれない。
地があり、天がある。
それだけの空間。
さっきまで在った母屋、新宮寺、神木は陽炎となり、空間から排除されていく。
此処には両極の性質を兼ね備える生物のみが立ち入ることのできる空間。
(人の業ではない!
…狭間から何者かが働きかけているのか)
「見つけたぞ、赤凪!」
喜々とした声が空間を満たす。
「静」
赤凪は空中に光臨した姫を悲しげな目で見る。
静に下に二つの人影が現われる。
二メートル強の高さ影は、その額に角を生やし、雄雄しげに赤凪達の前に立ち塞がる。
袖の無い紅き衣を纏い、炎を彷彿とさせる赤い髪を逆立てし者。
前鬼、此処に現臨。
ゆったりとした蒼き衣を纏い、流水の如き流れる髪を携えし者。
後鬼、此処に降誕。
そしてその主にして、五行を極めし者、新宮司 静が総てを見下すように天空に現われ出でる。
(空ろな瞳だ。
この陰璽星瀾たちに意思の力は感じられない)
赤凪は鬼達の瞳を覗き込み、人形となってしまった悲しき存在に心傷める。
そして角の下に刻まれたれ烙印が、彼らを縛り付けているだと。
前鬼は離、後鬼は坎という烙印が刻まれていた
「煮え滾りそうな想い、遂に解放できる!
赤凪、お前の亡骸が私を静めるのだ!」
「凪穂」
赤凪は誰にも聞こえない小さな声音で、最愛の者の名を呟く。
「それが凪穂の願いだからな!」
「どういう意味だ」
静ではなく、凪穂の願い。
その意味が分からず、赤凪は問い返していた。
「忘れているのだろう、貴様が最後に凪穂に何を言った。
約束が凪穂を、この世に縛り付けていることを忘れているのか。
ほんと哀れな娘よのう、凪穂も」
(最後の言葉)
肝心な記憶は鼎に流れてしまっている為に、羅刹の記憶から呼び覚ます。
(俺の最後の言葉、それは)
{生きろよ!}
「まさか…、俺との約束を、凪穂は守っていたのか!」
「その様子だと、思い出したようだな。
お前が、絶望に満たされた凪穂の心を、この世という地獄に束縛した。
迂闊に口にした約束が、凪穂をこの世に留めさせたのだ。
それが、義妹にとってどれ程苦悶なる日々だっただろう。
死ぬことも許されず、大切な者も失った世界に居ろと。
…凪穂の願いは自分の手でお前を殺すこと。
だが、それは私の役目だ。
凪穂には譲らぬ。
わしもどれ程、この瞬間を待ち侘びただろう。
私を殺した貴様を殺す刻を!」
「……」
(そうか、そうなのか。
俺が凪穂に生き地獄を味合わせていたのか。
なら、凪穂が俺を怨んでいても仕方ない)
赤凪の頬を伝う一筋の涙。
「もういい」
(責めて、俺がお前を)
赤凪穂を抜き、鞘を捨て去る。
(もう、収めることも無いかもしれない。
…赤凪穂よ、お前も啼いているのか)
キーンッ!
それに応えるように、鋼が甲高い音をさせる。
(お前にもわかるのだな、あれが凪穂であると。
お前は、俺と凪穂の分身。
だからこそ、呼応しているのだろ、反発する俺らの心に)
「解放してやるよ、この世からな」
赤凪は静にそう告げる。
覚悟は決まった。
もう、静を葬るのに何の躊躇いも無い。
地に涙が落ち、決別を告げる。
(そんなのってないよ!)
赤凪と静の交わされる言葉。
(そんなの間違っているよ!)
自分の心を殺し、愛すべき者を手にかけようと赤凪が一歩踏み出す。
(何で、そんな結論に達するの!)
愛しさの果てに、自らを狂わさなければ己を留めて置けなかった凪穂が、その手に符を握り締める。
(こんなのってないよ!)
鼎の慟哭は二人に届くことはなかった。
届いたとしても、この二人を止める術は無い。
いくら地の五行を二つ携えていたとしても、この二人の戦いに割ってはいることなど出来ようはずもない。
それ程までにこの二人と自分との力量差は、いかんともしがたいものだった。
「鼎、確りしなさい!
当事者でない者が心乱されてどうしますか!
私達が成すべきことを成しなさい!
…部外者の私達が口を挟める事柄ではありません」
赤凪の前に立ち塞がる火と水。
「邪魔だ、どけ」
その声が鼎には悲鳴に聞こえた。
(赤凪さんが泣いてる)
「…そうだね、お父さん」
(…私じゃない。
一番この現状に苦しんでいるのは赤凪さんなんだ!
私が身動き出来なくてどうするの!)
鼎は両手で頬を挟みこむ。
パンッ!
快音を響かせ、気合を入れる。
「赤凪さんの邪魔はさせないよ!
行こう、お父さん!」
「余り、気負いしないでくださいよ。
鼎は出来る範囲で撹乱することのみ心掛けてください。
倒そう等と考えないことです。
あくまでサポートに徹してください、いいですね」
鼎は視線を仁に振り、大きく頷くのだった。
赤凪は地を蹴りつけ、眼前に迫った鬼に赤凪穂を横薙ぎする。
前鬼はバックステップでこれを躱し、サイドに回り込んできた後鬼が爪を振るう。
身を反らし回避した所に、いつの間にか逆サイドに回り込んだ前鬼が大木を薙ぎ倒すような蹴りを放ってくる。
これを赤凪は屈伸で避けると、上部を恐ろしい威力を秘めた足が通り過ぎる。
今度は後方から、殺気が溢れてくる。
もう、後鬼の姿は横にはなく、その殺気の主の存在が後鬼であることを教えていた。
何も確認せず、後鬼がさっきまで居た場所に飛び退く。
シュンッ!
鋭い風を切り裂く音がして、赤凪の居た地面が割れる。
否、切り裂かれた。
後鬼が地を切り裂いた手刀から、ポタポタと水が滴る。
その水が地面を切り裂いた武器であった。
飛び退いた先でも後方に殺気が生まれる。
今度は前鬼の姿を見失っていた。
背中から皮膚を焦がす熱が伝わってくる。
赤凪は直感した。
この攻撃からは逃れられないと。
全神経を集中し、敵のフォームを空気の流れで感じ取る。
前鬼が炎を宿した拳を握り締め、赤凪の胸元に貫こう放とうとしている姿がイメージされる。
そのイメージには、前鬼の手に通う五行の流れおも描写されていた。
(俺の方が早い!)
目を見開き、後方から襲い掛かろうとしている前鬼の拳目掛けて赤凪穂を薙ぎ払う。
前鬼の目には、赤凪がいつの間にか振り向いていたと想わせる程だった。
それ程早く振り向き、赤凪穂が前鬼の五行を分断しにいく。
キンッ!
赤凪穂が何かに押され、刃筋がズレる。
拳から逸れた赤凪穂が前鬼の胸元を霞め、鮮血が宙に舞う。
それと引き換えに、赤凪の胸元にも灼熱の拳が霞める。
咄嗟に後ろに跳ぶことで、気が遠くなりそうな熱気から逃れる。
それでも衣が裂け、胸元の皮膚が爛れ、水分が蒸発し煙が上がっていた。
(ちっ、なんて連携だ!)
赤凪の刀を察し、水の刃で赤凪穂を逸らした後鬼。
それを知っていたかのように、拳を止めなかった前鬼。
二人掛かりで猛攻を掛けられれば、赤凪とて何分持つか分かったものではない。
それ程に、この鬼達のコンビネーションは洗練されていた。
(凪穂まで辿り着けないのか!)
「私達のことを忘れて貰っては困りますよ!」
その声と共に、雷光が赤凪と鬼達の間に落ちる。
鬼と赤凪を別ち、間に仁が颯爽と割り込む。
「まったく、焦るのは分かりますが、陰璽星瀾二人を一人で相手するのは無茶が過ぎますよ」
気負いない声で、赤凪を嗜める。
「それに赤凪君、貴方の相手はこの者達では無いでしょう。
あちらもお待ちかねの様子ですし、行ってあげてはどうでしょうか?」
仁の視線の先に、女帝が毅然と空を支配していた。
「然し、それでは!」
「自分の使命を履き違えないでください!
まあ、少々荷が重いですが、背負えない訳ではありません。
優先すべきことを成しなさい」
前鬼は余所見をしている仁に向かい、人の頭ほどある火炎弾を五発も放つ。
突然地割れが生じ、そこから隆起した土の山が火炎弾と仁の間に塞ぐ。
山の向こう側で爆裂音がし、仁への被害がゼロとした。
「そうですよ!
迷ってる暇はありませんよ!
行って下さい!」
「鼎、お前」
「見ての通り、お父さんのサポートは私がします!
だから」
鼎は何枚もの符を手にしながら、赤凪に道を創ろうとしてくれている。
「わかった。
……」
「了解です」
赤凪が言葉を紡ぐ前に答える鼎。
それを聞いた赤凪は一度だけ微笑み、踵を返し、静の元に向かって走り出す。
「…複雑な心境といったところですかね、鼎」
その後ろ姿を見送る娘に、仁は尋ねる。
「良いんだよ。
あれが赤凪さんなんだから」
(そう、昔、少女を救う為に命を賭けた頃のまま。
だから、私は惹かれたんだもの)
「さて、こんな土山ではそろそろ限界ですね、来ますよ!」
仁がそう告げられた瞬間、土の山は吹き飛び、二つの影の姿が見える。
「彼らの意志はありません。
恐らく、否掌鬼の二の舞を踏まないようにする為に、意識を奪い、人形と化したのでしょう。
可哀想ですが、地に帰ってもらいましょう」
「簡単に言わないでよ!
私と違って、彼らは五行を発揮できる肉体なんだよ!
十二分に地の五行を遣ってくるよ!」
「肝に銘じておきます。
サポート宜しく!」
仁は懐から大量の符を持ち出し、ばら撒く。
「千空戦陣!」
符は硬直化し、刃と化す。
意志を持ったように、符は前鬼と後鬼に飛来していく。
戦いの火蓋は切って落とされた。
血塗られた道を歩き続けてきた。
だが、それは生きる為のものだった。
二度ほど私欲の為に振るった罪は罰にとなり、重い十字架を背負うことになる。
一つ目は、荒ぶる気持ちを抑えきれず、初めて暴力と言う快楽に身を任せた瞬間。
それが赤い道の出発点だった。
其処から歯止めの利かなくなった。
来る日も来る日も血の海を築きあげ、それに酔っていった。
…凪穂に出会うまで繰り返した血の記憶。
二つ目は、凪穂の反対を押し切り、静を手にかけたこと。
久々に血が滾った。
その時、解ってしまった。
俺は所詮、血塗られた存在なのだと。
凪穂が部屋に飛び込んできた時、静は狂気に振るえ息絶えた。
それを見た凪穂は何も言わずに涙を流した。
凪穂に背負わなくて良い罪を背負わせたのだ。
その過ちがなければ、罰は生まれなかったのだろうか?
今更、取り返しのつかない刻の彼方。
自問自答しても、もし、でしかありえない。
ツケが帰ってきたのだ。
これまで犯した命の嘆きが。
(過去の清算、因果応報だ。
…畜生!)
俺は走った。
凪穂の元に。
静は狂気を孕んだ瞳を剥き出しにし、手から符を放つ。
「白虎降誕!」
符の白さと描かれた図式の黒がそのまま広がり、縞模様を生み出す。
そして、一つの獣を形成する。
雄雄しき獣の王。
白き虎が地に降り立つ。
白虎は地を抉り、その勢いで向かってくる赤凪との距離を瞬間で無くす。
「邪魔をするな!」
立ち止まり、赤凪は獣のように吼えた。
陰璽星瀾をも凌駕する身体能力で、白虎は五メートルもある巨体にも拘らず、機敏な左右のフットワークで赤凪を翻弄し、一撃で絶命させる爪が赤凪のいる空間を剥ぎ取る。
だが、赤凪の瞳は残像を残して駆ける白虎の姿を完全に捉えていた。
白虎の一撃。
その爪が通った箇所は何も残らない。
大気すらも。
その爪が導くのは無のみ。
赤凪は百獣の王の呼吸で吼えた。
獣の王の爪を掻い潜り、その喉笛に噛みつく。
「邪魔をするなといった筈だ!」
赤凪穂の峰に左手を沿え、一機に振り切る。
「ゴオオオオオオオオオオッ!」
その叫びと共に、白虎の首が胴体から離れる。
所詮、符によって構成された体。
首を掻き切られて、姿を持続できず紙に戻ってしまう。
赤凪は止まらない。
一瞥くれるだけで、静への進撃を開始する。
怒りに震える静が持ち出した符が天空を赤く染める。
「朱雀天衝!」
灼熱の業火が形を成し、あらゆるものを気化してしまう凶鳥が天に生まれる。
熱だけで具現化された生き物は旋回し、赤凪に下降してくる。
大気の流れが朱雀に集まっていく。
どうやらこの朱雀にも物質界の定義が当てはまり、酸素を使い、その身を保っているらしい。
熱風が吹き荒れる中、赤凪は腰を落とし睨みつける。
(…あそこまで辿り着くまでは)
朱雀の後ろにいる静。
(死ねない!)
赤凪を巡る輪廻が激しく活動していく。
鼓動が急上昇し、血が恐ろしい勢いで身体を巡る。
そして生み出された五行が赤凪穂に流れ込んでいく。
世界は輪廻している。
そこが無でない限り。
そしてこの空間には、大気が満たされている。
赤凪は渾身の力で刀を二十メートル先にいる朱雀に向かって振り上げる。
…大気が共鳴し、割れた。
大気裂け目は、赤凪穂が振るわれた筋を辿り朱雀に到達する。
嘴の先端から尾の先まで綺麗な線が奔り、朱雀が天に散る。
「天風!」
素早く刀を地面に刺し、符を掲げる。
そこから吐き出される風の束が、朱雀の残熱を天空に押し上げていく。
熱気が去り、背中に張り付いた衣服が冷たい風を感じた。
ストップ&ゴーで、静との距離を縮めていく。
「貴様ぁ!
何処までも楯突きおってからに!
青龍現臨!」
空気が乾いた。
大気中、先程の灼熱が押し上げた水分が符に収縮し、水の蛇を生み出す。
その気高き姿は万民の目を奪うであろう。
だが、赤凪には邪魔者以外にの何者でもない。
(ちっ、流れが急過ぎて掴めない!)
赤凪の両極眼に目まぐるしく流れる、青龍の五行が確認できた。
激流を思わせる流れに、対処法が見つからない。
まさに川を刀で斬るのに等しい試みだと言えた。
大量の水が目の前にあるというのに、皮膚がヒリヒリとしてくる。
大気から水分が殆ど奪われからだ。
(このまま押し潰されてたまるか!)
激流が龍に転じ、赤凪に水の牙を剥く。
刀を拾い、その場から離脱する。
重圧が地面を吹き飛ばし、その勢いで赤凪も数メートル土砂を共に飛ばされる。
土まみれになりながら、次の攻撃に備え青龍を確認する。
(その手があったかっ!)
青き龍の姿が今は濁っていた。
それは土が交じり合い、水を汚しているのだ。
それを見て取った赤凪は、体制を建て直し疾走モードに入る。
迫る激流を紙一重で躱し、素早くサイドに回りこむ。
そこで刃を横にし、地面を抉る。
大量の土が舞い、青龍を汚していく。
自分の身体を振り回し、青龍も周りを疾走し、土をかけていく。
どうした事か、汚されていく青龍の勢いが次第に衰えていく。
激流は中流となり、仕舞いは穏やかな小川へと成り代わっていた。
(俺とした事が、忘却していたとは。
符術遣い失格だな)
五行相克。
五行には相勝順があり、水は火に勝ち、火は金に、金は木に、木は土に。
そして土は水に勝つ。
水が土に塗れることでその流れ、相克されいく。
(衰えた流れなら斬れる!)
赤凪は土色に変色した青龍の鱗に刃を立てる。
「はあああああああああぁぁぁぁ!」
気合を込め、刃を奔らせていく。
最早巨大な蛇を解体しているのと何にも代わりがない。
流れを断ち切られた部分から元も水となり大地を潤す。
赤凪穂が尾を抜け、青龍はこの世から消え失せた。
「おのれ!
玄武生誕!」
符を地上に向かって飛ばす。
地面に触れると、符は同化していく。
ゴゴゴゴゴォォォ!
山が、突如赤凪の眼前に形成される。
見えたのは黒っぽい硬質な感じのするタイルだった。
それが甲羅だと知るには、相当に離れた位置から傍観しなければならないだろう。
余りに巨大。
全てが地上に現われた時、地響きが空間を覆った。
ゴォゴォゴォゴゴゴゴゴゴオオオオオオオオォォォォォ――――――――――――!!!
どんなに強靭な足腰をしていても、この揺れには対処のしようが無い。
だが、赤凪は毅然として大地に両足だけで立っていた。
「…最後の最後で、こんな間の抜けたものを出しやがって」
途方もない質量。
それを相手にすることに、気後れしていない。
どころか、勝利すら確信した口調で、出した静を詰る。
「もう一度五行を勉強し直せ!」
そう叫ぶと、懐から大量の符を取り出す。それらの五行を篭め、大地に埋める。
紙は元の姿へと戻っていく。
否、膨れ上がり、成長していく。
そして大量の木々が溢れかえり、山のような玄武を覆い尽くしていく。
太い枝が甲羅の隙間に入り込んだり、ちょっとしたビルに匹敵しそうな足に絡み付き、完全に動きを封じる。
「土は木に弱い。
それは基本だ!」
山は森に覆われ、痩せ細っていく。
栄養を奪われ、痩せた大地と化した玄武が咆哮をあげ、沈んでいく。
…山は砂に帰り、風化した。
「…何者だ、貴様」
最高峰の符が四枚、打ち砕かれ光景に静は呆然と呟く。
己の力を誇示してきたものが跡形もなく砕かれたのだ。
「お前を殺した者だ。
只、少しばかり別のものなっちまったかもな」
それを平然とこなした男は、再び歩みを寄っていく。
「もう終わりにしよう、凪穂」
深い悲しみに満ちた瞳がそう告げていた。
飛来する刃は前鬼が形成した膜に焼き消される。
(前鬼が誇る自動防御膜、炎頸鎧か!)
この防御膜の前では下手な攻撃は蒸発させられ、意味を成さない。
殺気と被害を加えようと迫る慣性に反応し、薄いが、絶対的な熱量を発する膜を形成する。
その温度は一千度にも達すると言われていた。
そして後鬼は飛来する符刃を軽やかなステップで躱す。
誰もが見惚れしてしまいそうな、蝶のような舞。
赤凪の舞と見劣りしない、優雅さがあった。
そして、舞の間に放たれる、水の刃が符を切り裂き、紙へと戻す。
両雄、戦慄すべき戦闘能力を垣間見せた。
(あれで掠り傷一つ与えられないのか!)
甘く見ていたかもしれない。
戦鬼と異名を持つ、前鬼。
そしてそれに引けを取らないと称される、後鬼。
意識が静に奪い取られ、人形と化していても、肉体に刻み込まれた潜在能力をフルに発揮していた。
「鼎!
絶対前線に出ないようにしなさい!」
仁がこれまで経験した戦いの中でも、これ程不利な戦いは無いと考えた。
唯でさえ、個人的な能力がずば抜けているのに、あの赤凪をも追い詰めるコンビネーションは恐怖しか覚えられなかった。
仁は自分を落ち着かせる為に深呼吸をし、思考を客観的に移行させる。
(能力で負けている以上、クールに徹し、隙を探らねば)
鼎が前線に身を置けば、瞬間で八つ裂きにされる。
仁とて、人並み以上の戦闘能力と身体能力を持ち合わせていると自負しているが、陰璽星瀾相手では、赤ん坊と大人ぐらいの差がある。
(肉体は避けることのみに集中。
思考を止めるな)
仁が複雑な印を走らせる。
左の指が動物の型を作り上げ、術力を上げていく。
そして右手は虚空に様々な模様を描いていく。
仁が得意とする戦闘スタイル、東西術戦陣式。
東洋の符術と、西洋の魔術を混合させた仁独自にスタイル。
玲瓏な動き後鬼が迫る。
スピードだけなら前鬼を上回っていた。
その前に肉体に仕込んである増幅器に魔力を流し、魔術を発動させる。
(戦闘体制)
肉体に術が迸る。
魔力で肉体を保護し、その上で身体能力を開花させる。
通常に三倍の身体能力がその身体に宿る。
術が固まる間にも、動きは止まらない。
横に身体を流しながら、相手との間合いをとる。
(確定)
肉体に術が定まる。
次に地面を蹴った足が、異様なダッシュ力を見せる。
それを使い、前方、後鬼に向かいダッシュをかける。
仁の得意な距離は中距離による術戦なのだが、あえて敵の懐に飛び込む。
(半端な距離での攻撃では致命傷は与えられない。
それにこのスピードでは当てるのも一苦労ですね)
いつの間にか右手に握られている符を、後鬼の眼前に投げつけ印を完成させる。
「卯、縛災陣!」
符から蒼き鎖が無数に飛び出て行く。
仁の奥の手、十二支頸統神審術。
己が力量で陰璽星瀾や静を破るために開発した、神を審判するために秘儀。
自分の器を弁え、それを限界まで圧縮した五行をぶつける技だ。
この蒼き鎖は、グリフォンを捕えたものとは比べ物にならない。
喩え、法術抗体を持ってしても、その束縛の鎖は耐えられない。
グリフィン程度が相手なら、絞め殺せるほどの威力がその鎖にはあった。
蒼き鎖が高速で後鬼を捕まえに行く。
だが、鎖が捕えたのは鬼の残像だけだった。
(赤凪君よりも速いのか!)
後鬼は、術の源である符を真っ二つにし、術の発動を打ち切る。
流れる動きで、仁の横につけると、水滴が滴る爪を振るう。
水滴は鉄をも切り裂く刃となり飛来する。
水の刃がいきなり現われた光の文字に塞がれる。
印を切り終わった左手が、宙に描いた魔術を完成させていたのだ。
既に右手は新たな印を切っている。
一時も手を休めない。
そして移動も怠らない。
独立した思考が三つはあるのではないかと疑うほどの迅速さで、術を行使していく。
分析と傾向。
予測と経験。
敵と自分の場所の空間把握。
効果的な術の選択。
それらを瞬間的に下し、実行する決断力。
どれも超一流の能力だ。
「亥、哭示威流!」
水の刃を塞いだ直後に、一歩、後鬼から離れ、符を突き出す。
そこから投槍に似た水の槍が五本生み出され、後鬼に襲い掛かる。
それを軽いステップで避け、後鬼は間合いを詰めてくる。
それを見越し、仁は全速力で横に走り、両手から術を放つ。
「爆!
迅雷符!」
二つの言霊。
一つは後鬼との間に電撃を放ち、追撃を押し留める。
もう一つは、鼎の方向に向かっていた前鬼へ、放った水の槍に新たな術式を送り込む為。
そう、哭示威流は後鬼を狙ったものではなく、初めから前鬼を狙ったものだった。
前鬼相手ならば、水の技を遣う意味がある。
ちゃんと相克順に基づき、攻撃を加えていく。
爆の言霊が引き金となり、哭示威流が本当の牙を剥き出しにする。
五本の槍が分散し膨大な水の雨に化ける。
小さな針。
その一つ一つが鉄板をも貫く威力を秘めていた。
何より、広範囲に広がった針の雨、それが高速で飛んでくるのを避けるなど、陰璽星瀾の身体能力を持ってしても不可能。
前鬼は前進を止め、向かってくる針の雨を見据える。
又も自動防御、炎頸鎧が前鬼を覆う。
ジュジュジュジュッ!
凄まじい蒸発音がこだまし、霧が前鬼を包み込む。
完全に霧の中に埋没した前鬼。
それを一瞥だけして、仁は迅雷符により稼いだ時間を使い、新たな手を講じる。
(前鬼はあの程度で沈むとは想えません。
それよりも厄介なのは後鬼。
接近戦に持ち込んだのに、押されている)
後鬼が得意とする距離は遠距離。
それを考え、接近戦に持ち込んだのだが、あの玲瓏な動きと速度に圧倒されていた。
もしこれが遠距離なら、一方的な展開を見せていたかもしれない。
得意な距離をとらせないようにしているのも、仁の手腕だと言えた。
前鬼を近づけず、遠距離からの攻撃に転じたのも、前鬼が近距離戦闘を得意とするからである。
(相手のペース、状況で進められないようにしているのに、この展開ですか。
責めてコンビネーションだけはとらせないようにしないと、あっという間に棺桶行きですね。
その鍵は…、鼎ですか。
…不安ですね)
今の処、援護が無いのを見るに、手を出しあぐねいているのだろう。
ここら辺は、どうしても経験がものを言う。
鼎にその経験は皆無といっていい。
(ま、迂闊に手を出さないだけマシですか。
ですが、直ぐにでも必要になりますね)
仁は自問する。
(十二支頸統神審術、後何回発動できるか。
…五回が限界ですね。
その上、魔術と牽制の符術を遣えば、三発程度と考えていいでしょう)
己の五行をフルに遣い行使する十二支頸統神審術は、物凄く術力を消費する。
一度、一日に何回で出来るか実験した結果、八回で昏倒した程だ。
それを弁え、確実に葬れる手段を講じなければならない。
己が肉体を囮にしたとしても。
(その為にも、鼎がどう動くかが勝負の別れ目になります)
後鬼が雷光の隙間を掻い潜るのが見え、思考を戦闘に傾ける。
そして、仁は手にした符を放つ!
仁の心配を余所に、鼎は戦闘を冷静に観察していた。
細心の注意を払い、己の力の遣いどころを見極めようとしていた。
(お父さんの目論見通りだけど、これじゃ手が出せない。
あの赤髪には私は相性が悪いし、だからといって青髪には、遠距離での戦いは仕掛けるなと止められてるし)
打つ手が想いつかない。
金は基本的に変化で、対処物に触れてなければその効力を発揮できない。
何より、前鬼には相克順で負けている。
土は平面なこの空間には持って来いの条件下だが、決め手となるイメージが鼎には無かった。
符術士として未熟な鼎には、力を行使する為の固定的なイメージが貧困だった。
それ故、先程のような土の壁をイメージは出来ても、相手をどうこうするといった、攻撃的なイメージが湧かない。
(お父さんはそれで良いと言ったけど、それじゃ私に何を期待したの?)
サポートと言っても、一口には出来ない。
だから鼎は、自分がすべき原点を考える。
(今、どうすれば、お父さんが有利になる)
青髪独りに奮戦中に父。
そして霧の中に沈んだままの赤髪。
霧がいきなり霧散し、所々傷ついた前鬼が顕然とした姿で現われる。
炎頸鎧を何本かの針の雨が潜り抜け、前鬼の鋼鉄の肉体に軽微の損傷を与えていた。
そして、己に傷を負わせた仁に向かう動きを見せる。
(あっちに気が向かないように、あいつの動きを封じれば、お父さんは目の前の敵に集中できる!)
最もシンプルな思考で結論付け、それを実行するために大地に手を置く。
(イメージは…、落とす!)
鼎の頭は、悪戯小僧チックな思考回路だった。
落とし穴を掘って落とすという感じの幼稚なイメージが浮かぶ。
(あの爆走中の赤髪の前方に落とし穴を)
自分の中にある地の土が目を覚ましていく。
空間に引き込まれそうな感覚が付いてまわる。
(気を確り!)
大地に五行が伝わり、落とし穴が生まれる。
…幼稚なイメージが良かったのか、落とし穴に見事落ちていく前鬼。
理由は、平面だったからだろう。
鼎がイメージしたのは、そのままの落とし穴。
ちゃんとばれないように、穴は隠したのだ。
重力の赴くまま、地面に引かれた前鬼は薄い土によって形成されていた足場に踏み入れ、落ちていった。
鼎に殺気が無かったのも一役かっていた。
…それにしても巨大な穴。
そして、底無しと想わせる深さ。
イメージは落ちて這い上がれないような穴だった。
そして追い討ちをかける。
「…埋めちゃおう」
容赦の無い決断を下す鼎。
地鳴りと共に、大穴はその姿を消す。
(う、上手くいった…。
けど、これきついよ)
赤凪が平然と天地の五行を遣ってみせていたが、それが尋常ではない労力だと知った。
どうやら、才能だけで遣うにはこんな辺りが限界らしい。
赤凪のように術のいろはを確りと修練した者でなければ、この先には行けないようだ。
鼎の動悸が激しく、心臓が全力疾走している。
(…これで倒せたかな)
手は未だ、地面に添えていた。
苦しく、全身に吹き出る汗が衣服を重くしていく。
だが、前鬼の状況を確かめるため、再び大地に五行を流し探索を行う。
…マグマ。
鼎に伝わってくるのは、胎動して今のも爆発しそうなエネルギーの塊。
…前鬼は生きている。
仁はジリジリと追い詰められていていた。
先ず、肉体がこの戦いについて来れなくなっている。
戦闘体制をかけ、身体能力を向上させ、魔力で肉体を保護している。
だが、本来の三倍もの反動は、着実に仁の肉体を蝕んでいっていた。
そして、後鬼の猛攻をしのぐために術を行使しなければ、後手に廻ってしまう。
拠って、絶えず術力を消費していってしまう。
後鬼のスピードに防戦一方に成り、前鬼の健在に危機感が募る。
だが、その矢先に鼎が前鬼を大穴に落とし、封じてしまった。
(…や、やりますね)
仁は少々度肝を抜かれた。
直径五十メートルはあろう穴を開けるほどの力。
しかもその穴が凄いのは、ポッカリと開けてしまったことだ。
恐らく穴の周りは圧縮された土で固められているのだろう。
これだけの大地変動を瞬間的にこなすことは、とてもではないが仁には出来ない。
そして、それを埋めてしまった。
完全に塞がってしまった穴。
(これは負けてはいられませんね)
あれ程の体積が上から降りかかれば、前鬼とて無事ではすむまい。
仁は後鬼に意識を集中することにする。
(流石、陰璽星瀾。
グリフォンとは比較にならない。
どうすれば、この速度を押さえ込める。
…グリフォン!)
仁の脳裏に閃きが走る。
後鬼が接近戦では埒があかないと判断し、間合いをとろうとバックステップを踏む。
(…それに賭けるか!)
仁はそれを見逃す。
そしてその場に留まり、今までに見せたことも無い程素早く両手で印を切り始める。
距離を置いた所で、後鬼は掌を天に向ける。
そこへ大気が渦を巻き、水の玉が作られていく。
掌サイズの大きさに完成すると、仁に放つ。
だが、仁は未だ印を切り続ける。
足だけで、それらを躱していく。
後鬼から連続で放たれる水の玉。
仁はそれらを、出来る限り印を切るのに支障がきたさないギリギリで避ける。
(おかしい。
余りに攻撃が短調すぎる。
何かある)
幾ら強大な威力が水球にあったとしても、それを躱す程度は何とか可能範囲だ。
そしてその軌道は直線的で、当てるのが目的とは思えない。
仁の足元からヌルっとした感触が伝わってくる。
(っ!
しまった!
水溜りが私を囲んでいる!)
仁は自分の失態に気が付いたが、遅かった。
水溜りから足が抜けなくなる。
粘着性が高い液体が仁の動きを封じてしまった。
そこに水弾が足を貫いた。
「グゥッ!」
呻き、ぐらつく体。
捉えられた。
仁は、自分が蜘蛛の巣に捕まってしまったことを痛みと共に知った。
ブァッと吹き出る汗が、肉体の悲鳴に聞こえた。
それでも仁は印を崩さなかった。
(これを完成させなければ、糸口が掴めなくなる!)
歯を食いしばり、両手に印を右の片手に移す。
左手は符を持ち出し、粘着している液体に放り投げる。
「炎!」
自分の足を巻き込みながら、炎が広がる。
粘液は直ぐにその特性を失い、仁は解放される。
貫かれていない左足で、その場から逃れる。
虚空を水弾が散弾のように駆け抜ける。
「変生」
仁は素早く右の太ももに空いた部分へ符を翳し、穴を塞ぐ。
足の火傷は粘液がカバーとなり、酷いものには成っていない。
出血量も速い対処のお蔭で大したことは無かった。
だが、簡単に治療をした為に、想うように右足が動かない。
貫かれ、神経が何本かやられたらしい。
(厄介なことになりましたね)
状況は先程と変わらない。
未だ、敵の手の内だ。
水溜りが浮き上がり、ギロチンのような刃に変化する。
それに吊られるように、他の水溜りからも刃が生まれていく。
四方八方を包む、死の包囲網。
一撃でも受ければ、雪崩式に八つ裂きにされる。
(…後三、…ここで死んでは元も子もありません。
ならば)
仁は懐に手を突っ込み、掴んだ符を上空にばら撒く。
印を切り、術を増強させている暇はない。
直ぐ様に、符の中に詰まった術を解放する。
「子、報天展相!」
その叫びが、仁の周りに見えないフィールドを形成する。
仁を中心に半径五メートル程のフィールド。
水の刃がそのフィールドに通り、仁を切り刻みにくる。
(ノイズが微かに、許容範囲内ですね。
後は情報を的確に処理し、肉体に反映する。
ここが勝負所です!)
右足に親指を動かしてみる。
反応が返ってくる。
感覚も伝わってくる。
肉体の機能は殆どが稼動している。
仁は、自分が沈静化しいくのを感じる。
そして浮上してきたのは、0.01%まで計算し尽くす、演算コンピューター。
今、仁はフィールドを掌握した。
刃が仁の首を刈りにくる。
それを紙一重で躱し、僅かに腰を落とす。
膝の上を刃が通り過ぎる。
腰を落としていなければ、両足の腱が断たれていた。
その状態から、右足を下げる。
開いた足の間を刃がよぎる。
今度は右足を支点にし、コンパスのように回転する。
回転の速度は一定ではなく、初めは速く、途中から遅くなる。
背中、肩、首の手前。
三つの刃が仁に掠ることなく、大気を切る。
…それから、仁の奇妙な動きで確実に水の刃を躱していく。
死角からくるものも、見ることもなく避けていく。
刃が途中で方向転換し、仁に襲い掛かるが、それすらも読んでいた。
まるで、初めから転換することを知っていたかのように。
そう、フィールドの中にある総ての情報は仁に筒抜けだった。
報天展相。
それは、フィールド内の流れを読みとる。
フィールド内にあるものは、その情態を曝け出す。
仁はそれらの情報を受け取り、己の経験による予測で展開を読みきる。
フィールドがある限り、どんなに急激な変化を遂げ攻撃してこようとも、その微妙な流れをも先に仁は読み取り、回避運動を測れる。
刃に流れている、五行の流れを完全に理解している仁にとって、避けるのは造作も無い。
問題があるとすれば、今も全身に駆け巡る軋み。
肉体のあちらこちらが悲鳴をあげていた。
関節の節々からくる嫌な音。
筋肉を酷使しすぎて、発熱が酷い。
一度座り込めば、立つことは叶わないだろう。
(後、三)
だが、仁は焦ってはいなかった。
確実に限界に近づきながら、それでも勝利を信じて、邁進する。
(二、一)
そして右手が印を酉の形で止める。
待望に印が完成したのだ。
(制御解放)
戦闘体制に含まれている、二重構造の術式を解放する。
只でさえ肉体の負担が尋常ではない中、肉体限界を促すリミットを解放する。
仁は肉体を振り回す。
肉の繊維が容赦なく断絶していく感触が全身からしてくる。
限界まで引き出された身体能力が、仁の計算し尽くされた包囲網の隙間を縫い、瞬く間に抜け出す。
その勢いで、後鬼の間合いを一機に詰める。
その間にも左手が忙しなく印を描きだす。
後鬼は水の壁を間に作り出し、仁との間を遮断する。
(いい勘です。
しかし!)
仁は両腕を塞がれているために、左袖口を噛むと、引き千切り符をばら撒く。
「酉、解命業元!」
撒かれた符がそれに反応し、高らかに右手を突き出す。
符は光を帯び、後鬼に向かい、一直線に飛翔していく。
先行した一枚の符が水の壁に引っ付くと、その壁は重力に引かれ、崩れ落ちる。
残りの符は後鬼を目指して侵攻していく。
後鬼は水球を生み出し連撃してくるが、そのこと如くが光の符により元の姿に還される。
仁が誇る、最高の解術法。
その存在に問いかけ、元のあり方に還す秘儀。
その符の一枚が遂に、後鬼を捕らえた!
符が払おうとした後鬼の腕にまとわり付いた。
「ゴウウィィィ!!!!
ウオオオオオオオオオオオォォォォ!!!!!」
符の効力が身体に染み込み、後鬼が世界を揺るがしそうな絶叫をあげる。
頭を抱え込み、自分の爪で掻き毟る。
そして角の下にある刻印が薄れていくのだった。
(残念ながら貴方を救って差し上げる義理も、使命もありません。
そのまま、逝ってください!)
完全に動きを止めてしまった後鬼に、仁は鉄槌を下す。
左腕の印から両腕に移し変え、リミット解除した体で複雑な印を、物凄い速度で完成させる。
「辰、龍巖槌!」
仁は符を地面に貼り付け、術を起動させる。
符を張り付けた部分から土が盛り上がり、何か形作っていく。
それは龍に似た形状を取っていた。
形、色が確定し、黄龍が完成する。
何処までも仁は冷静だった。
自分の身体を囮に時間を稼ぎだし、静により束縛された意識を呼び覚ますことにより、敵の動きを封じた。
正直、仁は自分の五行程度で、静の束縛から陰璽星瀾を解放できるとは思っていない。
だが、術と意識の鬩ぎあいは起こると思索した。
それを現実にし、この隙を生み出したのだ。
そして土の流れを組む辰の術をトドメに持ってきた。
黄龍は圧縮された土。
硬度はダイアモンドに匹敵する。
これがもがき苦しみ、肉体が弛緩している後鬼に喰らい付く!
牙が肩筋に食い込み、長い全身が後鬼を締め付ける。
「グアアアアアアアアァァァァァァィィィィィ!!!」
後鬼の肉を裂き、ゴツゴツした黄龍の身体が食い込んでいく。
黄龍は顎を閉じきり、顔を上に上げる。
後鬼の左の肩が無くなる。
(!)
仁は見逃さなかった。
後鬼の瞳に生気の通った光が宿ったことを。
弛緩していた肉が膨れ上がり、黄龍の身体を押し返してくる。
(まさか、正気に戻るとは。
…奥の手は最後まで残しおくものですね)
仁の手は、奥の手として用意しておいた印を切り終えていた。
(手加減は一切しません!
芽は確実に摘み取らせてもらいます!)
「戌、苅牙双刃!」
後鬼の真下に穴が開く。
その穴は生物の口内を想わす、躍動感を備えていた。
穴の中には、獲物を待ち受ける、凶刃な牙が騒然と並んでいた。
「…お…れエエエエエエエエエエエッ!」
後鬼は最後に叫びではなく、意思のある言葉が吐いていた。
仁の術は黄龍に縛られた後鬼を飲み込み、咀嚼していく。
「…私は赤凪君みたいに優しくはありません」
と言いながら、報われぬ魂に冥福だけは捧げておく。
大地に咀嚼が止まる。
それが後鬼の息絶えた証だった。
「ハ、ハハハハ、参りましたね。
やはり生き残っていましたか」
後方から恐ろしい熱気が背中を叩く。
軋む体を振り向かせ、熱気の中心を見る。
辺りをマグマの海にして、影がその中に平然と佇んでいた。
「…最悪な展開ですね」
筋肉繊維の断裂。
毛細血管の破裂。
酷使し過ぎた肉体は全く言うことをきかない。
その上、先程後鬼を仕留めるのに遣った術で、術力が底をついてしまっていた。
人の力で陰璽星瀾を葬った。
それだけでも凄い偉業なのだが。
「打つ手無しですね」
絶望的な思案しか浮かばない。
シュンッ!
何かが大気を切り裂く。
「あれ、…やばいですね」
仁の胸元が裂けていた。
自分に何が起きたか悟ると、最後の力を振り絞り叫ぶ!
「逃げなさい、鼎!」
出血と共に力が抜けていく。
膝がカクンと折れ、地面に膝を付く。
胸元を押さえ込み、切れ切れに息をしていると、前方から影が刺してくる。
どうにか顔を上に上げ、仁はその影の主を見る。
そこには半壊した体ながら生命反応を止めない、復讐鬼が爪から血を垂らしながら仁を見下ろしていた。
左の肩口から腕まで、ごっそり無くなっていた。
全身喰われた穴が開いており、無事な部分は一つとしてない。
獣に噛み砕かれる寸前の状態。
鮮血に染っていない箇所など見当たらない。
あの青々しい髪までもが、どす黒い赤に成り代わっていた。
それでも強靭な生命力が、この鬼の命を繋ぎとめていた。
その瞳は意志の力に漲っていた。
仁の解呪と長年押さえ込まれ、蓄積された憎しみが静の呪縛を打ち砕いたのだ。
その憤怒、肉体を凌駕し後鬼を突き動かす。
後鬼の最初に標的は、肉体を廃棄寸前まで追い込んだ仁だった。
所々削り取られ、動かすことなど不可能と思われるた右腕を振るい、仁を切り裂いたのだ。
まさに、執念の為せる技と言えよう。
後鬼が万全の状態なら、今の一撃で仁は前から後ろまで切り裂かれ、絶命させていただろう。
禍々しい形相で仁を見下ろしていた。
仁は呆然とする頭で想った。
この顔、何処かでみたことがある、と。
それは四年前、鏡に写った自分の顔だったなと過ぎる。
後鬼の周りにおはじき程度の塊が十数個浮遊する。
赤い塊。
それは己の血で形成した、後鬼の決死の武器。
それらが仁に降り注ぐのだった。
鼎は気を失う寸前だった。
地下で躍動している前鬼を地上に出さない為に、力を行使していたのだ。
仁と後鬼との戦いに横槍が入らなかったのは、鼎の影の努力があったからだった。
金の力を遣い、土をマグマに変える前鬼の周りを硬質に壁に造り替えた。
だが、前鬼の発する熱量は硬質の壁を簡単に無力化し、地上への道を作り出していく。
(…意識が途切れそう)
確かに鼎は力の使い方を余り知らない。
だが、一度だけ試した時は、これ程消費はしなかった。
この空間が現世と幽世とのあり方を曖昧にしているために、力の具現化に普段に二倍以上の力を必用としていた。
符など媒介があるなら、もう少し消費が抑えられたのだが、要領の分からなかった鼎は駄々流しで力を行使したため、あっさりと底を付いてしまっていた。
(駄目!
押さえきれない!)
鼎の心の叫びが現実のものとなる。
地面の一部が凹む。
そこから逆流して、マグマが吹き上がる。
辺りが一面の地獄と化した。
その勢いに乗って一つの影が地上に復帰する。
「ごめん、お父さん」
自分に役目を果たせなかった悔やみが、口に謝罪の言葉を付かす。
「逃げなさい、鼎!」
突然、耳に父親の叫びが聞こえ、そちらに眼を向ける。
胸を押さえ込み、膝を付いている父の姿がそこにはあった。
見る影も無くなった、血塗れの生き物が獰猛な笑いを露にし、父に止めを刺しにいく。
「ああああああ、駄目ええぇぇぇ!」
血の散弾が父親に降り注いだ。
…だが、仁は散弾に打ち抜かれることなく、光の膜が仁を覆い護っていた。
「駄目ですよ、レディを泣かせるのはマナー違反です」
その声がすると光が一線し、血塗れの生物が袈裟懸けに裂けていく。
そして成した男は、そっと仁の横に腰を下ろす。
仁の腰に手をやり、助け起こす者がいた。
「遅くなりました、カナエさん」
「エ、エンブリオさん!」
爽やかに微笑み、エンブリオ マシュカーゼがその声に手をあげて応えるのだった。




