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聖蒼邪紅

[10 聖蒼邪紅(せいそうじゃこう)


その鉱石には逸話は必ず付いて廻った。

手にした者、ある者は巨額の富を得、ある者は歴史に刻まれる栄光を手にした。

手にした者、ある者は破局の人生を歩み、ある者は狂気に魅入られた。

ある研究者はこう語った。

この鉱石は生きていると。

それらを裏付けたのは、右に螺旋を描く塩基だった。

鉱石に適応する左螺旋ではなく、生物特有の右螺旋で構成されていたのだと。

結晶と生物、両方の側面を合わせ持つ鉱石を、星の欠片だと魔術師たちは言った。

宇宙にビックバンが生じ、そして重力に引かれ数々の星が生まれた。

中でも多くの鉱石を含む地球は緑を成し、生物が生き残れる環境を形成した。

星の環境を形成した鉱石。

それは星の意思だったのではないだろうか。

星の体である鉱石に生き物の証があっても不思議ではないと考えられた。

ヌール ジャハーンとホープダイヤ。

共に右螺旋を持つ、星の欠片は何を夢見、二人にどんな答えを望むのだろうか…。




その坊やは空っぽな瞳をしていた。

正直、オレにはこんな坊やの面倒を見るのかと思うと、嫌気がさしていた。

それ程、この坊やには中身がなかった。

表面は繕っているものの、中身の伴ってない笑いを浮かべる、そんな奴だった。

そんな坊やを、教会は百年に一人の逸材だとか持ち上げていた。

確かに物覚えが良く、優秀と言っても過言ではないだろう。

だが、それだけだった。

オレは生み出されたばかりの使い魔に、ものを教えている気分になった。

そう、こいつは目的だけを与えられた人形だった。

どうやらこの坊やは、惨劇の生き残りらしい。

…オレが苛立ったのは、だからかもしれない。

いつまでも悲劇の主役を気取り、その役に徹しているこの坊やが。

オレは徹底的にこの坊やを調べ上げた。

それは舞台から引きずり降ろす為。

自慢じゃないが、俺様の人生は悲劇の連続だ。

物心付いた時の役割は、ファントムと呼ばれる密輸組織、その売人だった。

俺らのような子供は、案内役と客の相手をさせられた。

まあ、酷い幼年期だった。

そして、俺の相棒をしていた奴に裏切られ、組織から追われる立場に転落。

命からがら都会を離れれば、殺人現場に居合わせてしまう。

別段驚かなかった。

その殺しをした男が殺し屋だったのもあり、綺麗な殺しの現場だった。

その為、気持ち悪いとか全然思わなかった。

組織にいた頃、そこら辺に転がっていた腐乱死体の方がよっぽど吐き気をしたものだ。

平然としている俺をその男は気に入り、一転して殺し屋家業に転職した。

毎日のように殺しの手解きを受けた。

初仕事は八歳の時だった。

楽なものだった。

子供が何気なく相手に近づき、ポケットから出したナイフを肋骨の隙間から心臓目掛けて刺す。

それだけで人は物になった。

そんな調子で仕事をこなしている内に、人生の波は荒波を上げて襲い掛かってきた。

ファントムからの依頼。

依頼主がこれまた、俺を裏切った男だった。

気が付けば、頭に血が昇った俺はそいつを殺していた。

…こうして職を失った俺は、殺し屋にまで追われる羽目となる。

まあ、そこから教会にたどり着き、この能力を買われるまで、数え上げれば限がない程のどん底を歩いてきた。

だから、己一人が世界中の不幸に取り残されたような、そんな面をしている奴が気に食わなかった。

俺は、坊やの空っぽな感性に揺さぶりをかけることにした。

誰もが上層部のお気に入りのこいつを、腫れ物のように扱った。

それ故に、誰一人こいつの過去の惨劇について触れるものはいなかった。

だから俺は、徹底的にそこを突いてみた。

結果は、面白くもない反応が返ってくるだけだった。

只でさえ感情希薄な上に、訓練で感情制御法を取得している坊やは、何の反応もしなかった。

逆に俺の方が坊やの反応に激怒し殴っていた。

お陰で、三日の謹慎を申し付かった。

それでも俺の苛立ちが納まることはなく、謹慎部屋(独房)で黙々と反省のフリをしながら新たな手を思案した。

こいつが目的を持ち合わせている以上、何か拠り所になる感情が燻っているはずなのだと。

暗殺者時代に培った隠形術で奴の部屋に忍びこみ、盗みを行った。

見つけたのは、後生大事そうに仕舞い込まれていた懐中時計だった。

訓練の時以外はいつも坊やが身につけているのを思い出し、俺はそれを盗むことにした。

案の定、次の日から坊やの様子は滑稽そのものだった。

自由時間が空けば、形振り構わず床を這いずり、盗まれて見つかるはずもない懐中時計を探していた。

その様子は、俺の心中に鬱を落とした。

だが、これでお膳立ては整った。

普段なら、坊やに良い感情を抱いていないと割れている俺が真っ先に疑われるのだろうが、独房に監禁されている前提の俺を誰も疑うことはなかった。

坊やでさえ。

俺にとって、独房とはいい骨休めの空間に過ぎない。

靴の踵を捻ると外れ、仕込んでいた極細ワイヤーを取り出す。

これでカギの形状を形成し扉を開け、警備兵にも感づかれずに脱走を繰り返していた。

…俺の隠形術はこんなところで磨かれていた。

さて三日経ち、独房から開放された俺は早速行動に移る。

夜中、懐中時計を捜し求め彷徨う影があった。

「夜の散歩か?

ご苦労だな」

皮肉混じりの陰険な台詞を吐きながら、俺は月明かり晒される。

そしてわざとらしく、その手のした懐中時計に目をやる。

「午前二時、日本でいう丑三つ時か。

魑魅魍魎が跋扈する時間らしいぞ」

幽霊でも見るかのような目つきで、坊やは俺を凝視していた。

気配がしなかった上に、探し物を手にした男が、悠然とミサの奉げられる祭壇の腰掛けているのだ。

「…デミタスさん、それは」

やっとのことで口を開いた坊やは、俺の左手に握られている時計を指す。

「不細工だな、この懐中時計。

態々盗んでみたが、動いているのが不思議なくらいの骨董品じゃないか。

坊や見たいな眉目秀麗な人物には似合わない、無骨なデザインだ」

「……」

見る見る内に、坊やの激動が顔を朱に染めていく。

「俺がもっと良い物をプレゼントしてやろう。

お前さんに似合う、金銀に輝く装飾品をよ」

そして、懐中時計を祭壇から床に向かって全力で叩きつける。

「やぁっ!」

静止の言葉が終わらぬ間に、懐中時計は部品を撒き散らして床に散らばっていく。

「うあああああああああああ!」

思考の入り込む余地などない、感情に任せた雄叫びが講堂を満たす。

絶叫が途切れると、目の前の坊やから奇妙な音が聞えてくる。

グッッッッッ、ガキッ!

口元から白い破片が飛んだ。

それが合図となり、獣と化した坊やは俺に殴りかかってくる。

サッ、ドカッ、バキッ、ドゴッ、ズサーー、ドスッ……。

どれぐらい殴っただろうか、拳がイカれて最早握ることもできない。

それ程殴ったにも拘らず、坊やは何度も何度も起き上がり俺に立ち向かってくる。

そこに技術も理性もない。

あるのは、許せないという憤慨のみ。

俺は流石に疲れを覚えながらも、相手が飽きるまで付き合うつもりでいた。

急所を外し、ひたすらに痛めつけるだけの方法で坊やを殴り続けた。

だが、この方法は相手の心が折れるまで続く。

だから、痛みも疲れも無視した状態の坊やには終わりがなかった。

疲れが足を奪い、遂に坊やの拳が俺の顔面を捉えた。

そこからは連発でいいのを貰った。

それが俺の中に火を付けた。

「かかってこいやぁ!」

そう叫んだ俺はイカれた拳を広げ、掌底の形をとり殴り合いを始める。

駆け引きなど何もない、己の肉体だけが頼りのそんな殴り合いを。

口に鉄を含んだ味が広がり、瞼の腫れが邪魔をして視界が儘ならない。

鼻からの呼吸は、とっくの前に不能だった。

それでも俺は止めようとは想わなかった。

俺の掌底が坊やの顎を打ち抜き、坊やの瞳から意識の光が失われ崩れ落ちていく。

…結局の二時間に及ぶ殴り合いは、こうして幕を閉じた。

講堂の机や祭壇は完膚なきまでに破壊されており、俺は急いで坊やを担いで逃げ出した。

坊やを部屋に運びベッドに寝かすと、枕元に懐中時計を添えておく。

チッ、チッ、チッ…。

殴り合いの際に壊れなかったのを幸運だった。

途中から後ろポケットに隠していた懐中時計のことなど忘れて殴り合っていたのだから。

軽く手当てをしておく。

恐ろしいくらいに整っていた顔造形は、原型が不明なほどボコボコになっていた。

その顔を見ながら、怒れるじゃないかとぼやこうとしたが、口内の傷が痛みで沈黙してしまう。

俺は部屋には戻らなかった。

痛む体を引きずりながら講堂に行くと、破壊した祭壇とかを片付けていく。

神さん悪いななどと胸の内で謝罪しておき、朝のミサを奉げに来る者が訪れるまで片付けを続行する。

僅か一日で独房に逆戻りした俺。

二週間の休暇を言い渡された。

何故エンブリオを目の敵にするのかとか、祭壇を破壊するとは何事か!とか、痛む体で受ける説教されるのは堪えた。

まあ、理屈でしか物事を見れないお偉いさんに、俺の倫理が理解できるとは想えない。

だから黙秘した。

それから独房に監禁されて一週間経ち、面会者が現れた。

こう言っちゃ悪いが、素行の悪い俺は教会内では浮いた存在だった。

面会に来るほど仲の良い奴は、教会最強にして、聖骸卿の名を持つゲラート ネオス教官と、俺をこき使ってくれる教会の頭脳、根源の意味の片割れ(カオスパースペクティブ)ことナイル ベネッサぐらいなもんだ。

だからテッキリ、俺を笑いにナイル辺りが面会に来たのだと思っていた。

「…何かようか、坊や」

顔面中が晴れ上がり、青痣だらけの坊やが俺の面会者だった。

坊やは、後ろに控えていた警備兵に二人で話をしたいと部屋を出て貰った。

「で、話とは」

「真意が知りたい。

どうしてあんなことを」

「気に食わないからだ」

「…それなら何故、懐中時計を本当に壊さなかったのですか。

それに一人で罰を被って」

「意味の無い質問だな。

そんな事聞くなら、出てってくれ」

俺は独房に備え付けられているベッドに寝転がり、坊やに背を向ける。

「…どうして、どうしてだぁ!」

狭い部屋、大声で詰問してくるので耳が痛い。

このままだと鼓膜を破られかねない。

俺は振り返り、その腫れ上がった顔を見る。

「…まともな表情するようになったじゃねえか。

それなら人形は卒業だな」

見え隠れするようになった感情の欠片に俺は満足すると、再び翻し背にする。

「…貴方は。

見ず知らずの私にどうしてそこまで」

「耳が悪いのか。

言っただろうが気に食わないと。

…お前の為じゃなく、俺が許せなかっただけだ。

中身がない笑い方をする奴が」

後ろで息を呑むのが感じられた。

綺麗に演じてたつもりでいたのだろう。

自覚症状があるなら、こいつは変われる。

俺は苛立ちが失せ、なんだか急に眠たくなってきた。

「俺は寝るぞ。

さっさと帰れ、エンブリオ」

俺は人格を認め、その男の名前を口にする。

「…デミタスさん」

「気持ち悪いな。

デミタスでいいよ。

と言うか、呼び捨てにしてくれ」

エンブリオ マシュカーゼ。

これ以来、目的を果たす為にだけ形成した人格を捨て去った男は、現実と向き合うようになっていった。

こうして俺とこいつがつるむようになった。

それ以来、俺は悪い先輩としてエンブリオを教育し、そんな俺に説教を垂れるようになっていった。

さて、それから二年後の話だ。

俺とエンブリオに転機が訪れる。

教会が管理していた秘宝、Earth Deoxyribonucleic Acid、通称EDNAの一つ、ヌール ジャハーンの分析が終了した。

EDNAの特性は、鉱石でありながら生物として特徴を持っていることにあった。

EDNAは呼吸をし、周りの物質を取り込み、不純物を排出する。

そして人がエネルギーを運動により消費するように、EDNAはその廻りにいるものに何らかの影響を及ぼすことにより、エネルギーを消費させることが確認されたのだ。

ならば、エネルギーを内で生み出すことの出来る人の体に埋め込むことが可能なら、その不思議なエネルギーを体力の続く限り使うことが出来るのではと、実験が繰り返されていたのだ。

実験は成功を収めた。

それにより、ヌール ジャハーンを埋め込む人材の選出が、教会内で行われた。

教会が保有するEDNAは三つ。

持つ者に奇跡と絶倫的な才を与えるとされる黒聖玉は、聖骸卿ゲラート ネオスが。

所有者に世界を支配し栄華を齎すとされ、男性が持てば非業の最後を遂げるダイヤ、コーイ ヌールは教会の頭脳ナイル ベネッサが。

そして世界の光と呼ばれ、栄光と繁栄を齎し、所有者を大帝とするヌール ジャハーン。

教会内で能力に優れている者を掻き集め、選考会が開かれた。

俺もエンブリオもその選考会に参加した。

エンブリオは目的を果たすための力を欲し、俺は自分の力がどれ程通用するのかを確認するために。

エンブリオは第二選考の落ちてしまった。

確かに才能に優れた男だが、二年前まで普通の生活をしていたエンブリオには、歴戦の戦士達の間で競うほどの力はまだついていなかった。

俺は最終選考も勝ち抜き、ヌール ジャハーンの所有権を見事に手にした。

エンブリオは選抜に落ちたものの、その事に喜んでくれた。

ヌール ジャハーンは左目を刳り貫き、そこに埋め込まれた。

正確には融合に近いものだった。

眼球を取り出し、視神経を切断。

目の動きを制御する直筋の腱も切断し、眼球を個体にする。

取り出された眼球、その網膜に当たる部分を切り裂き眼球を半分にする。

眼球の前の部分、水晶体、瞳孔、角膜、眼房水、虹彩、毛様対小帯、毛様体は確保したまま、ほぼ半分に切り裂かれた眼球の後部に加工したヌールジャハーンを備え付ける。

ヌールジャハーンは網膜のように映像を映し出し、自ら発する光線を電気信号に変えて、脳内に映像を送るために目としての機能を維持ができた。

ヌールジャハーンを直筋の腱にも繋げ、筋肉の制御も可能とした。

これにより、眼窩の中に眼球が個体として存在しながら、目の役割を果たすことが出来るようになった。

そしてヌールジャハーンの神秘の力が使い時は、眼球が反転し、ヌールジャハーンが剥き出しになる。

ヌールジャハーンを眼窩に埋め込んだのは、脳に最も近く支障をきたさない場所が其処だった為だ。

俺はこうしてEDNAを手にした。

制御するのに年月を要した。

最初、普通に物を見ることも叶わず、右目しか見えない状態が続いた。

「これは鉱物ではなく、生物だ。

だから、意思のあるものとして扱え。

EDNAは、ただ闇雲に使われる存在ではない」

僅か数日で黒聖玉を使いこなして見せたゲラート教官は、俺にアドバイスをくれた。

元々才能らしいものが無く、生き残るために磨き上げてきた己自身だ。

だから、他の者がどんな結果をだそうとも関係なく、俺は努力を繰り返しヌールジャハーンと同調していけるようになった。

分岐は、ヌールジャハーンを扱えるようになったと想っていた矢先の事だった。

俺はエンブリオとコンビを組み、一つの任務についていた。

教会内の保管されていたゾンビパウダーが盗みだされたという事件が起こった。

任務は、その犯人を捕らえろというものだった。

ゾンビパウダーが流出して滅んだ町は、この三十年だけでも十二件にも及んでいる。

ゾンビパウダーが空気中にサンプされれば、感染率96%という絶望的な数字で、人を生きた屍に変えてしまう。

ゾンビパウダーは空気中には長いこと維持できず、空気感染は殆どない。

一分もすれば害のない成分になるが、肉体に入り込んだものは違う。

ゾンビ化した人間の体内では、ゾンビパウダーは増殖を繰り返し、ゾンビ自体がゾンビパウダーの格納庫となる。

だから、ゾンビ化した者に接触してしまえば、感染してしまう。ゾンビパウダーの振り撒かれた人の多い町は悲劇と言えよう。町ごと焼き払うというのが一番手っ取り早く、安全な策がとられるため町の消滅は避けられない場合が多い。

だからこそ早く回収をしなければ、惨事は免れない。

俺とエンブリオは管理者の証言や、地道な調査を繰り返し三日間で犯人の足取りを掴んだ。

「ご苦労様と言いたいところだが、帰ってもらうと困るな」

俺は、今日の仕事を終え、帰路に突こうとした倉庫の管理人に声を掛ける。

怪訝そうに此方に視線を送ってくる管理人に、俺は直線的な回答を言う。

「あんたが吐いた証言に偽りはあるかい?

時間帯及び、犯人の証言によ」

管理人は平然として

「在りませんよ。

私はあの現状を有のまま話しただけです」

「ああ、証言通りだった。

裏も取れている。

だけどな、調べ方は何も正攻法だけじゃない。

お陰で寝不足だ」

「意味がわかりません。

私は帰っても宜しいでしょうか、デミタスさん」

「…なら、懐のものを置いていきな。

お前が裏取引しようとした組織なら、昨日で壊滅したからな」

「なっ!」

「反応してくれてありがとう。

さて、こちらは疲労困憊だ。

早くしてくれ」

俺が距離を詰めようとすると、相手は一目散に逃げ出した。

「待ちやがれぇ!」

俺はその脚に飛びつき、そのまま相手をうつ伏せに倒す。

カシャン!

俺は、嫌な予感に苛まれた。

素早く起き上がり、後方に控えていたエンブリオのところまで退避する。

うつ伏せに伏したままの男が全身を痙攣させ、奇妙な唸り声をあげていた。

ゾンビパウダーの感染症状を表していた。

「デミタス、拙いぞ!」

不幸中の幸いなのは、この場に俺とエンブリオしか居なかったことだろう。

だが、このままでは教会中にゾンビパウダーが充満してしまう恐れがある。

その時、吹き抜けに成っている通路の奥から、此方に向かって風が吹いてくる。

不運はまだ続いた。

俺達の後ろから人の話し声が聞えてくる。

ヌールジャハーンを発動させた俺の目には、死の粉が波打ちながら迫ってくるのがハッキリと確認できた。

万事休す。

風より速くこの渡り廊下を駆け抜け、その上で後ろに居るであろう人物を救出する。

不可能だ。

だが、エンブリオが咄嗟に俺の肩に手を置き、死の影を睨んだ。

そうするとどうだろう。

俺の中に強力な信号が走る。

それはヌールジャハーンに到達すると、光り輝き、ゾンビパウダーは光の渦の中に消えていった。

エンブリオにも死の影が失せたのが分かったのか、急いでゾンビ化した者に近づき、液体窒素の入ったカプセルを叩きつけ体内に残ったゾンビパウダーの流出を防いだ。

俺は呆然とした。

ヌールジャハーンは俺ではなく、エンブリオに反応を示した。

しかも俺には出来なかった浄化を遣ってのけたのだ。

エンブリオにどうしたのか質したところ、呼ばれた気がしたと言った。

…俺は有りのままを報告書に書いた。

上層部はその報告を受け、一つの結論を出した。

エンブリオこそヌールジャハーンに選ばれし者、つまりEDNAの同調者だと。

その意見に俺は反論しなかった。

何故なら、結論がでる三ヶ月の間、どんなに努力をしても俺には浄化の力は引き出せなかったからだ。

選考会に出場した者達は、口々にその決定に異を唱えた。

勝ち抜いた俺ならともかく、何の実績もない男に、教会の切り札とも言うべきEDNAを渡すのは納得がいかなかったのだろう。

だから俺は食堂に、選考会に出場した者たちを集めた。

そして、皆の前で自ら左眼に指を突っ込み、ヌールジャハーンを取り出した。

そしてエンブリオにそれを渡すと、沈黙した食堂を後にした。

エンブリオを糾弾する者はいなくなった。

…確かにこれで良かった。

この時はそう信じていた。

エンブリオには俺と違い、目的を有していた。

だが、黒い感情は間違いなく俺の中にあった。

エンブリオはヌールジャハーンを継承後、俺の期待に答え死に物狂いで訓練に明け暮れた。

だから、俺はあいつを認め、黒い感情を育つことはなく歳月が流れた。

だが、それは消えることなく俺の中にいつまでも残留していた。

そしてあの日、不甲斐ないエンブリオの姿を見たとき、黒い感情が爆発的に膨れ上がっていった。




「デミタス。

…面白い名を名乗っているのですね、貴方は」

追っていた筈の相手に背後を取られて、俺は己を制御し損ねている自分の迂闊さを叱咤した。

俺は感情のスイッチを切り替え、右グローブに仕込んでいる鉄線で後方を凪ぐ。

気配は一気に離れ、間合いが開く。

「流石は教会の誇るエージェント。

懐に飛び込めば、細切れですか」

内心で舌打ちをする。

完全に裏をかいたつもりで、俺の手口が読まれていた。

コッソリ体に巻きつけてある鉄線。

接近してくれ巻き付けてある鉄線を斬り、俺の体を柱とし反動で半径一メートル以内の者を切り刻む予定だった。

「貴方のことは調べさせてもらいましたよ、ノーストライザ。

確か暗殺者を辞めるまで、その名でしたか」

「生憎と半端者の俺には、半カップ(デミタス)で十分なんだよ」

いつからだろう、自分のことをそう思うようになったのは。

「嘘はいけませんね、ノーストライザ。

貴方は閉じ込めているだけなのでしょう、本当の想いというやつを」

蠱惑的な声音が、俺の疼きを刺激していく。

「実力では貴方が勝っている。

だが、運命はエンブリオを選び、貴方は自らヌールジャハーンの継承権を放棄した」

俺は耳を貸さないように、この化け物の攻略法を思案していく。

「試してみたいのではないのですか?

運命に左右されないところで。

決着をつけたいのではありませんか?」

左眼窩がズキズキと痛みを訴えてくる。

(…今更、どうして)

あれから二年。

塞がっているはずの傷。

そこから発せられる痛みが、俺に燻っていた想いを揺さぶる。

「聴こえませんか?

先ほどから私の手の内で発光を繰り返すEDNAの声が」

(なにを…!)

聴こえる。

テラングィードが差し出す手、そこから零れる紅い光の筋。

その光は俺を求めている声に他ならなかった。

(偽らないで、貴方の望みを)

全身が歓喜に震えだす。

それは紛れもなく、半身。

細胞の一つ一つが求めて止まない、唯一無二のパートナー。

「やはり聴こえましたか。

貴方を見つけた時から、このホープダイヤが呼応していた。

教会のデータベースにあった記述。

正直半信半疑でしたが、このEDNAの反応を見たとき確信しましたよ。

これは生き物であり、人を選ぶということを」

テラングィードが掌を開くと、ルビーの赤さよりも紅いダイヤが、俺を手招きするかのように自らを輝かせていた。

「受け取りなさい。

そして、己が想いを果たしなさい」

それは誘惑というよりは、俺の本心を代弁していた。

(これがあれば対等の対場でいられる。

定めに翻弄されることなく、アイツと決着をつけることが出来る)

それは掛替えのない友人だから。

そして、決して負けたくないライバルとしてエンブリオを見ていた自分がいたから。

(焦燥感はいつもあった。

才能だけでなく、努力をし、いつの間にか俺の直ぐ後ろを歩くようになったアイツ。

兄貴面しても、半端者の俺では信念を持ちえたものに勝てないのではないかと。

なにより、俺は奥底でエンブリオ(選ばれし者)の事を妬んでいた。

だから)

俺はテラングィードの掌にあるEDNAに手を伸ばしていた。

「…今はお前の口車に乗ってやる。

だが、あいつとの決着がついたら、お前も殺してやるよ」

「それは面白い、私の思惑通りにカンフル剤として死ぬか、それとも貴方が獲物となるか。

楽しみですよ」

俺はホープダイヤを掴むと、全身に駆け巡る慟哭を打ち切るように咆哮をあげた。




その動きは洗練されており、欠けらの隙すら窺えない。

繰り出された紅槍は凌ぐ為、私は全神経を集中させて動きを観察し、裁く。

中枢線の急所を狙った、確実に殺すために攻撃が繰り出されてくる。

喉、避ければ、眉間、捌けば、水月、交わせば、性器、弾けば、鳩尾、バックしこれを躱す。

「どうした、嬲殺しがお好みか」

訛りのある英語が耳を掠める。

それはいつも私の隣で励ましたくれたデミタスの声。

「本気でこい!

それは義務だろうが!」

デミタスの右手が空を凪ぐ。

私は咄嗟に頭を下げ、首を刈るために放たれた鉄線を避ける。

息もつかせぬ猛攻。

だが、私にはどうしても反撃にでることが出来ないでいた。

「そうか、命が危険に晒されても俺を殺しにこないか、…腑抜けが。

言った筈だ、俺は躊躇なくお前を殺すと。

…貴様の中に見た信念は、飾りだったのか?

お前は昔のまま人形のままということか」

「違う!」

「なら、己が信念の元、立ち塞がるもの排除してみろ!

それが、喩え復讐を元に築き上げたものでも、お前が語った夢が偽りでないなら俺を排除してみろ!

俺を殺さなければ、お前の夢の最大の敵対者としてこの世を席巻する!」

「…どうして」

「お前が妬ましい。

俺の人生でお前ほど眩しい奴はいなかった。

そして気が付けば、いつもお前は俺を支配していた。

ヌールジャハーンがお前を選んだ時、俺は納得している自分に驚いていた。

一人で生きてきた俺が、お前だけを認めていた。

だからこそ、許せなかった。

お前が俺に夢を見せ、そして俺に諦めを見せた。

それも所詮切っ掛けに過ぎない。

俺は只確かめたい。

俺とお前のどちらが生き残るのに相応しいのか、優劣を付けたい。

…それだけだ。

技術云々では俺とお前に差はない。

そして互いにEDNAの声を聴ける者同士。

時が来たんだ、俺の待ち望んだ刻が」

「…デミタス」

「俺はノーストライザ、半端(デミタス)は御仕舞いだ。

俺を人類の敵として跋扈させたくなければ闘えぇ!」

ノーストライザは右掌から何かを落とし、踏み躙る。

私の網膜は、その踏みにじられた物をしっかりと確認していた。

あれは初任給を配給された時、デミタスにプレゼントした馬の模様が描かれたライターだった。

私には最早家族と呼べる人間は存在しなかった。

本来なら親に渡し、少しは一人前になったと示す意味を篭める為のプレゼント。

私は兄弟と言ってくれたこの男に、そのプレゼントを贈った。

失敗したと想った。

普段からタバコを止めろと散々言っていたのにライターなんて送った為、

「これでエンブリオは容認した訳だ」

と愉快に笑われた。

一晩中思案してこんな物しか思いつかなかった。

照れながら、受け取ってくれたあのライターが、音を立ててノーストライザの足の裏で粉々になる音が聴こえた。

その音が、私との絆を断ち切ると宣告した。

「…現実は優しくできていませんね」

右目から一筋の涙が頬伝う。

これが私の決別の表れだった。

「私の夢は、力無き者を多く救うこと。

私みたいな者増やさないこと。

貴方が本気で私の夢を蹂躙するなら、この場で討たせてもらいます、ノーストライザ」

そして私は、目の前の男を抹消すべき敵として認識を塗り替えていく。

何の感慨も持つことなく、只の敵として葬るために。




躊躇い微塵も感じられない蒼い斬撃が振り下ろされる。

(それでいい!)

俺はバックステップでこれを躱し、雨を想わす無数の突きを見舞う。

これを同じくバックステップで躱そうとするエンブリオがいた。

手に取るようにエンブリオの行動が読める。

基本となる戦闘技術、それらを叩き込んだのは他ならぬ自分だった。

(甘い!)

ニメートルある紅槍のイメージを三メートルのモノに変える。

生き残る為に必要なのは、囚われない創造力。

そして想像を具現化できるEDNAは、それを最も必要とした。

俺の殺意がエンブリオを貫こうと迫る。

エンブリオは右手に具現化させていた剣を四散させると、青い壁を形成する。

喉を貫く予定だったが、紅槍は青壁に道を塞がれる。

左手に鉱物同士がぶつかる衝撃が走り、痺れが生じる。

エンブリオが持つ卓越した判断力。

流石に一筋縄ではいかないらしい。

俺は先ほどの手応えから、エンブリオが創り上げた壁が壁であると判断し、右腕を振るう。

エンブリオの反応が俺の判断を正しいものだと告げた。

サイドから壁に激突した鉄線は、そこを起点に折れ、先端の錘がエンブリオに胴を裂きにいく。

上半身を逸らしバク転で俺の鉄線を躱す。

あくまでエンブリオが形成したのは壁であり、そこ以外の場所には効力を持ち合わせていなかった。

(イメージが相変わらず硬いな)

俺は鉄線を左手にイメージする。

紅い紐の束が左掌に握られるのを触覚で確認する。

(これがEDNAの遣い方だ!)

紅き線が空を切る。

足首を切り落とそうとする紅線を、エンブリオは間合いギリギリで躱した。

それが命取りだった。

紅線は狙った足元から跳ね上がり、エンブリオの肩口を切り裂いた。

咄嗟に右に身を反らしたところは流石を言えよう。

乾いていた地面に赤い水がばら撒かれる。

紅線は蛇を彷彿させる動きを見せ、エンブリオに追撃をかけていく。

(法則なんてもので俺の攻撃を測っていたら、直ぐにあの世行きだ!)

俺はこの具現化を、概念を反映する武装だと考えている。

だから、物質として現存させながら意思一つでどんな形状、運動をも可能にすることが出来るとふんだ。

それも全ては己が描くイメージに比例する。

重さ、形状、運動、付加まで想いのままに成すことができる。

問題があるとすれば、それらのエネルギーが肉体から摘出されるということだろう。

無尽蔵でない以上、的確な配分で遣わなければ枯渇し、肉体が朽ち果ててしまう。

よって長期戦には向かない。

そうしてもう一つ、イメージが具現化させる為、確固たるイメージが必要となる。

具現化させるモノを詳細にイメージできなければ、それは現世に現存できなくなり、只の妄想に成り下がってしまうのだ。

紅線がエンブリオを追い詰めていく。

先ほどの失敗を学習し、多めに間合いを広げているが、必要に追いかける紅線と、隙をついて飛来させていく鉄線で休む暇を与えない。

(これでチャックメイトだぁ!)

ジリジリと動ける範囲を限定していき、動ける空間を削っていく。

壁際までエンブリオを追い詰めていた。

相手の行動を読む。

脅威の洞察力が齎した結果がこれだった。

俺は紅線をエンブリオの左眼窩、つまりヌール ジャハーンを打ち砕くために奔らせる。

トドメに、首を刈る鉄線も唸りをあげる。

そこで俺は、驚愕の事実に気が付いた。

この状況下でありながらエンブリオは汗一つかいていないのだ。

あれだけ激しく動いた上に、精神をすり削る戦いの最中、冷や汗すら流していない。

呼吸も普段と変わらぬ速さを示し、脈拍が上昇すら伺えなかった。

そして俺の紅線は、ヌール ジャハーンの眼前において束縛され動きを停止させられた。

そこには薄っすらと蒼き膜が張られていた。

追撃に用意した鉄線も、エンブリオの体に張り巡らされていたその膜に触れると停止してしまう。

(これはぁ!)




自分の不器用さにはほとほと呆れてくる。

だが、それは愚鈍こそが持ち味だとゲラート教官は言った。

ノーストライザのような器用な創造力は、自分に備わっていない。

否、訓練次第では可能になるかもしれないが、今それを望むのは滑稽というものだ。

愚鈍であるなら、それを貫くことこそ力になる。

私は覚悟を決めた。

EDNAがイメージによりその能力を開花するのなら、より強いイメージが征する。

迫り来る紅線と鉄線。

私は想い描く。

あらゆるものの運動エネルギーをゼロにするウイルスを。

それが膜のという形をとり私を取り巻くように。

(複雑なイメージは無理でも、統率されたイメージで固めれば、愚直な分創造される具現が勝る)

それは立証された。

具現化された紅線は私の左眼、ヌール ジャハーンを貫こうとしたが、膜に触れた途端に運動を停止した。

そして次に振るわれた鉄線も私の首を刎ねることなく、薄皮一枚のところで慣性を失っていた。

(私はノーストライザとは違う。

私は私の信念に基づいた不器用な闘い方しか知らない。

…赤凪がいっていましたね。

最後の一線を退かない覚悟があれば、強さなど入り込む余地はないと。

だからこれでいい。

喩えこの方法で命を失う結果になろうとも、後悔だけはしないでいられる)

(貴方らしいですね)

優しく包み込む声が、私の脳裏に直接語り掛けてくる。

(そんな貴方だからこそ、私は愛しているのです。

其の儘でいて下さい)

(久々ですね、貴女が語り掛けくれるなんて。

もう、声を忘れるところでしたよ)

命の殺りとりの最中だというのに、想わず微笑みが顔についてしまう。

(酷い人です。

貴方が私の声に耳を傾けてくれなくなっただけではないですか。

それに私がこんなに慕っているのに、他の女と親しそうにして)

(私が悪かったですから、その話は後にして下さい。

それに後半はあまり関係ないですよ)

私は声に応えつつ、防御膜が張られた手で威力を失った鉄線を掴み、ウイルスを流し込む。

ウイルスは鉄線を伝いノーストライザに感染する。

ほんの少しだけ脱力に襲われたノーストライザは素早く鉄線を離し、間合いをとる。

(…酷いです。

それより、随分と悲しい状況に陥っていますね。

ノーストライザ、彼にとって貴方は、私に近い感情を抱いているのかもしれませんね。

だからこそ、私を一時的とはいえ彼を受け入れることが出来た)

(……)

沈黙し、貫かれた肩を元の形に復元する。

こびり付いた血だけを残し、肉の裂け目が跡形もなく治っていく。

(貴方の慟哭を感じます。

だけど、この生死(しょうじ)は彼が望み、貴方が受け入れたもの。

それを此処で投げ出すことは、貴方の根源をも貶める行為に他なりません)

(大丈夫と言えば嘘になります。

ですが、逃げる気はないですよ。

…力を貸して貰えますか?)

(私はいつでも貴方と共にあります。

貴方が心を開いてくれる限り、私は喜んで貴方の剣にも盾にもなりましょう)

「ありがとう、テイヤノーラ」

私は左眼窩に埋め込まれているヌール ジャハーンにそっと触れると、そう言葉にして語る。

それに応え、ヌールジャハーンが聖光を放つ。

憎しみに囚われるようになった日から、優しく諭してくれた彼女のことが疎ましく想い、ヌール ジャハーンを道具として扱うようになった。

それなのに彼女は、いつもと変わらぬ声で私を許してくれた。

(…忘れないで、貴方は点で私が線。

それが私達を繋ぐ意味を。

根源に近づくことはより幽世(かくりよ)と現世の狭間を彷徨うということ。

…魂の意味なんてなくとも、私は貴方に惹かれていた。

だから、こんな話はしたくなかった。

だけど、今貴方が成すべき事はその意味を必要としている。

考えて、幾億の偶然と、幾億の因果を得て私たちが出会った意味を)

(薄々気づいていました。

阿頼耶識(あらやしき)のような集団意識の状況下ならともかく、別ち、多彩なる意味を持ちえた生を受けしものたちの中で、私は貴女を他の誰より欲した。

それは感情の押し挟む領域ではなく、性鎖(さが)なのだと。

貴女の口からそれが訊けて安心しました。

お互いに罪悪感に苛まれていたなら、何の問題もなかったのですね)

(…エンブリオ)

(これで貴女を受け入れることができる)

私は体制を立て直したノーストライザ向かい合う。

(…怨みます。

私を、どうしてこの人と同じ種族に誕生させてくれなかったでしょうか?

そうすればこんなに苦しむこともなかったのに)

何かテイヤノーラが苦悩に満ちた声がした気がしたが、内容を聞き取ることは叶わなかった。

そしてそれを聞き返す暇のない内に、ノーストライザの攻撃が再開されるのだった。




鉄線から伝わる概念から逃れる為に、グローブを捻り鉄線を切り離す。

少し犯された躰は、脱力を訴えた。

躰に無理やり力をいれ、その場から退避する。

間合いをとると、膝が笑い出した。

(全身の力が失われるところだった)

込上げてくる震えは戦慄だった。

俺は心中とは裏腹に、引き攣る笑みが顔を支配していた。

(これで良い!

これでこそ、かなぐり捨ててまで求めた甲斐があるというものだ!)

殺伐とした状況の中、双方共に奇妙な微笑を浮かべたまま対峙していた。

(くすっ)

悩ましい笑いが俺だけに聞えてくる。

(何が可笑しいんだ、デスエーラ)

(だって、妬けるくらいにご執着なんですもの)

拗ねた口調で俺を責めてくる。

(貴方が望み、嗜好しているのは命の殺りとりではなく、エンブリオ、あの子。

だからこそ悔しいのよ。

私以外の誰かに心奪われている貴方が憎らしいわ。

貴方が只の殺人鬼なら、好かったのに)

(好き勝手なことをほざくな。

それにお前は殺人嗜好者がお好みか?)

(そんな訳ないでしょ。

私は邪ではあるけど悪ではないの。

どちらかと言えば、純粋に、そして客観的に世界を観察できる分、人間よりも中立であるのよ)

(俺ら人間が悪か。

あながち間違いでもないな。

限られた刻の中、自己が組み上げた正義を貫こうと躍起になり、他にとっての悪であることに盲目である。

感情という爆薬を抱えて生まれた俺らは、そこら辺の尺度を望むべきではないのかもな)

これは只の言い訳に過ぎない。

だが、身近にそれを打ち明けられるものがいることが、俺の胸を軽くした。

(…思うが儘に。

それで苦しむのなら、私が肩代わりをしてあげるわ。

貴方は優しい人だから、壊れてしまうから、私が掬い取ってあげる)

(余計なお世話だ。

第一これは俺の意志だ。

誰に唆されたわけでも、お前が解放したのでもない。

自分のけじめぐらいは自分でつける)

(駄目よ!

私たちは一蓮托生。

今更他人行儀なんてしたら許さないわ)

打って変わって底冷えする様な、冷淡な口調が脳裏を占める。

俺は自分の馬鹿さ加減に呆れつつ、嘆息をついた後、こう告げるのだった。

(…付いてくるか、地獄の底まで)

(捻くれ者。

…死が分かつまで傍にいるわ)

(そうか。

…馬鹿だな。

俺みたいな融通の利かない男、選ばなければ良かったのによ)

(選んだんじゃなくて、定めね。

だけど、それが全てではないわ。

私たちにも感情があり、そして愛しいと想う気持ちがあるのだから)

妖艶な声音が俺を誘う。

それに呼応し、左眼窩に埋め込まれたホープダイヤが輝きを増すのだった。




鏡合わせの二人。

生まれも、育ちも、性格も、そして何よりも対極に位置し、相対する関係でありながらも二人は似ていた。

失われた左眼。

家族と呼べるものもなく、一度は現実にから眼を背け、漂う日々を追っていた。

お互いに認識できるものは目の前の敵だけ。

相対して認識する。

目も前の男は己の分身だと。

だからこそ本当に相容れぬ存在だと。

エンブリオとノーストライザ。

戻れぬ刻を悔やむことなく、己の存在意義を問うために刃が火花を散らす。

蒼き剣。

それは断罪の道しるべ。

紅き槍。

それは反逆の道しるべ。

己が己を知ったとき、この闘いは避けられないものとなる。

聖と邪。

その意味を強固にすればするほどに、反比例して互いを寄せ付けなくなる。

それは純粋であるが故に強固になり、手の届かない存在となっていく。

分かりながらも両者ともに引き下がることはない。

命尽きるそのときまで。




エンブリオが展開した膜が、闘い方をシンプルなものへと変えていった。

より己の武器を強化し、相手の纏う概念武装を破らなければ傷を負わせることすらできない。

だから、自分に自信のある武器を一つ具現化させる。

其処にはあらゆるものを切裂き、貫くといったコンセプトで構成された概念が宿っていた。

後は、己の技術を駆使し相手を傷つけていくだけ。

ノーストライザの三段突きがエンブリオを襲う。

基本的に中枢線を狙った突きは、躱す部分が多い為に手傷を負わせやすい。

それにノーストライザの三段突きは、暗殺者として培った急所への嗅覚が鋭敏に発揮されており、一突きごとに的確に急所へと修正をし、必殺の一撃へと昇華していく。

エンブリオは踏み込み、相手を後退させることで三段突き自体を阻止する。

一撃目がこめかみを霞め、二撃目が此処数日で痛んだ髪を千切る。

三撃目が放たれる前に、地面擦れ擦れから斬り上げた斬撃がノーストライザを下がらせた。

バックステップの反動を利用し、ノーストライザは斬り終えたエンブリオに必殺の突きを見舞う。

剣で防いでいる暇がないと悟ったエンブリオは、振り上げた勢いで剣を回転させ、柄を強く握ると突く。

キィーン!

柄の底で鋭利な先端をした槍を受け止める。

互いにその状態で硬直する。

武器と武器が触れ合っているところで、ギリギリと物質の悲鳴が聞えてくる。

二人の利き腕に血管が浮き出、限界まで引き絞られた力の本流が武器の接点で燻っていた。

それを破ったのはエンブリオだった。

フッと力を抜くと、又も剣を回転させノーストライザの懐に飛び込む。

いきなり力を抜かれ、体制を崩された上に懐に入られたノーズトライザは覚悟を決める。

槍で地面を突き、棒高跳び跳びの要領で身体を空中に放り出す。

予想を超えたノーストライザの動きにエンブリオは対処できず、刃は空を斬る。

空中で身を捻り、ノーストライザはエンブリオの背後をとると、その背中から心臓目掛けて一突きする。

背後から感じる殺気に反応し、エンブリオは利き足を軸にして回転した。

ノーストライザの鉾先はエンブリオのいた筈の空間を突くだけとなり、回転したエンブリオが空中で体制を制御できないノーストライザに回転力を利用した斬撃を加える。

ノーストライザは頭が地面を向いている状態のまま、迫る剣にオーバーヘッドキックを食らわせ首元を凪ぐ予定だった斬撃を逸らす。

その上、剣を蹴りつけた反動を遣い、更に空中に逃れて見事に着地をする。

ノーストライザは喉元を濡らす体液があることに気づく。

どうやら、蹴りが剣を逸らす前に首の薄皮一枚を切り取られていたようだ。

ノーストライザとエンブリオの猛攻は、互いの致命傷だけを避けながら激化していく。

ノーストライザが繰り出す紅槍がこめかみを霞め、その間にエンブリオの蒼剣が喉を薄皮一枚で裂く。

訓練を通して知り尽くされた戦法。

故に相手に二手、三手が分かってしまう。

致命傷を避ける余りに、相手にも致命傷を与えられない状況が続く。




(なるほど、どうして俺に似た威圧感が辺りに満ちているかと想えば、不細工な造形物がここにあるからか)

赤凪はティアマトを睨みながら、継接ぎだらけの身体に呆れかえった。

(馬鹿げた有り様だな。

有体に考えれば、ティアマトの名を的確且つ、汚さずに創造したとは言えるかもしれないな。

だが愚かしいにも程がある。

これでは本当に上半身が天をつくり、下半身が大地を創るぞ)

陰陽の知識から、ティアマトの伝説が引き出される。

赤凪の知識は羅刹との融合により、古今東西のアナクロなほら話から、根底となる世界の秘話まで幅広い知識が内包されていた。

ティアマトは塩水と混沌の精。

対になる真水と無の精アプスを夫とし、エアという子供を産み落とす。

だが、エアの力が増大し、余りに大きくなったのを恐れたアプスはエアを殺そうとするが、未来を知る力を持っていたエアは、逆にアプスを殺してしまう。

神々の母であったティアマトは夫の死に怒り狂い、108の恐ろしい怪獣を生み出す。

エアと他の神々は結託し、ティアマトを倒すことに成功する。

その際に千切れた半身が天に、そして残り半身が大地となる。

さらに、捕らえた怪獣の中から人間をつくり、地上で神々に使えるようにした。

(108の系統樹を無理矢理に繋ぐとは、テラングィードはこの世界を混沌に返すつもりか?

あの器の中身は、生物の域を蔑ろにした具合なのだろうな。

全く、これだから(だいち)の劣情が膨れ、陰璽星瀾(いんじせいらん)なんて悲しい存在が生まれるのだ)

人の罪が罰を生む。

そのサイクルに身を委ねることしか許されなかった者達が居たこと。

赤凪は胸を擡げるような悲しみに苛まれる。

警醒(けいせい)よ、責めて俺がお前の役割ぐらいは引き受けよう。

だから、この嘆きしか聞えてこない生き物は俺が幽世に返そう)

赤凪は対じしているティアマトに哀れみを浮かべる。

だが、それだけだった。

哀れみは同情にはならない。

治療も憚られ、色を無くしていく右腕。

利き腕が不能に陥りながらも、赤凪はたいした問題はないと判断した。

何故なら、これはこれまでで一番脆い生き物に他ならないからだ。

(だが、毀れだす前に全てを無に返さねばならない)

グゥゥ。

赤凪から奇妙な吐息が吐き出される。

それは猛獣を想わす呼吸。

それに伴い、赤凪の姿勢が前屈みになり、獲物を一噛みで食い殺そうとするライオンを彷彿とさせた。

呼吸法。

赤凪は獣の持つ独特な呼吸をすることにより、その獣の真価を肉体に宿す。

ティアマトには赤凪の残像だけが眼に焼きついていた。

本体は土を天空に舞い上げながら、一歩でティアマトの足元に迫っていた。

「ゴオオオオオオオオオォォォォォゥゥゥゥゥゥゥ―――――――――――」

赤凪の口から、人には発せられない咆哮が轟く。

野獣の雄叫びが、公園内を覆うと赤凪穂がティアマトに突き刺される。

赤凪穂を通して、不快な感触が伝わってくる。

ティアマトの内部から灰色の液体が食み出そうとしていた。

(このままなら現世が喰われるな。

テラングィードも厄介なものを生み出したものだ)

赤凪は赤凪穂を、咆哮に勝るとも劣らない勢いでティアマトに振るい刺し貫く。

息が途絶えるまでに107の残光が煌く。

その太刀は生命の流れを撃ち切り、現世から排除していく。

灰色の体液が地上に落ちることなく、空中で蒸発を繰り返し、咆哮が途絶え赤凪が赤凪穂を鞘に収めると、そこには一つの塊を残し全て失せていた。

塊はドクンドクンと脈打ち、律動していた。

その律動が僅かに残っていた命の循環液を吐き出し、腐った果物のように乾涸びていく。

「はあぁ、はぁ、はぁ…、心の蔵は人の物だったか」

そう呟くと鯉口にカチッと鍔元を嵌め込む。

全身を倦怠感が訴えてくる。

流石に無理が祟った。

だが、残る敵は然程多くはないと割り切り、赤凪はテラングィードの蒼白になっていく表情に視線を向けるのだった。




(拉致があきませんね。

少し冒険、蛮勇になる必要があるみたいですね)

(蛮勇は無謀が姿を変えたものです。

勇の文字を履き違えないでください)

手厳しい評価テイヤノーラから下され、エンブリオは眉を顰める。

(ですが、このまま長引けば、戦闘の熟練者であるノーストライザの分があります。

この辺で何かしら行動を起こさなければ)

エンブリオとて何度も修羅場を潜ってはきたが、ノーストライザに比べれば余りに乏しい経験だった。

それ故、いつ何時その差が致命的な隙を生み出すとも限らない。

いくら心がけていても、必ず訪れる刻。

ノーストライザとエンブリオの間にある決定的な差があるなればそれが、経験値であろう。

(仕掛けます!)

一度刃が交わされる度に削ぎ落とされる精神力が、エンブリオに勝負を急がせた。

(もう、急性過ぎです!)

テイヤノーラの批判を流し、エンブリオは勇に従い勝負にでる。

肉を切らせて骨を絶つ。

同等かそれ以上の腕を持つ者が相手なら、敵の虚を突いた攻撃が必要となる。

だが、そんな器用な真似がエンブリオに可能なら、こんな技術戦に縺れ込まなかっただろう。

エンブリオが思考するのは、肉を切らせてから骨を絶つこと。

腕の一、二本覚悟の上。

腰溜めに構え、半身に引き絞り、突きの体制をとる。

これがエンブリオの精一杯の虚だった。

槍をメイン武器として戦闘をするノーストライザには、突くという技術ではどうしても劣る。

それでもこの突きに拘ったのは、劣ると知りながらも突きで勝負をかけようとしていることに対して相手が思考を挟むのではという、淡い期待からだった。

微かにでも訝しんで、ミクロ単位の隙を創り出せればエンブリオの作戦は成功となる。

エンブリオは地面を削り、半瞬で間合いを詰める。

(まだ、まだ、まだ…)

自分自身に言い聞かせながら、ノーストライザの射程距離に入る。

(まだ)

躊躇もなくノーストライザの凶器が、エンブリオの心臓目掛けて唸りをあげて迫ってくる。

この地点でエンブリオの虚は失敗となる。

だが、エンブリオの闘いはこれからだった。

(まだ)

半身の為に、身を少し逸らせば槍の先端を躱せる。

だが、エンブリオは必要最低限以下の動きしかしない。

その為に脇腹の肉が削がれていく。

(まだ)

痛みに眉一つ動かさず、訪れるチャンスを待つ。

槍に比べ、剣の方が射程が短い。

その上、敵が除けられない決定的な瞬間を狙わなければならない。

ノーストライザは突いた状態のまま、紅槍を横に払う。

削がれた脇腹に柄の部分を叩きつけられる。

(っ今だ!)

肋骨が砕ける音が脇腹に奔る。

その激痛に踏み堪えながら、エンブリオの振り絞った一撃をノーストライザに放つ。

エンブリオの突きは、払い中のノーストライザの喉元に吸い込まれていく。

ノーストライザが破顔していることにも知らずに。

槍の重みが脇腹から消えたことを触覚が教えたくれた時、罠に嵌まったことに気付いた。

本気で脇腹を払っていれば、内蔵が潰れる程の圧力が押し寄せていた。

そのことに気付かなかった自分の迂闊さを、エンブリオは呪った。

ノーストライザは突きを掠めながら躱し、体制の崩れたエンブリオの下方から紅刃を飛翔させる。

蒼い剣は霧散し、それを握っていた腕がエンブリオとノーストライザに赤い絵の具を撒き散らしながら舞っていた。

エンブリオの頭の中が真っ白となり、思考が停止する。

(エンブリオォ!)

テイヤノーラの叫びがエンブリオの空白の瞬間を埋め、ノーストライザの追撃に対して反応することができた。

心臓を狙った突きを避け、失った腕の付け根をノーストライザに向かって振りぬく。

血が飛び散り、ノーストライザの眼に付着して視界を封じた。

反射的に顔を拭ったノーストライザ。

その鳩尾に、体重の乗った強烈なつま先蹴りを入れると、エンブリオはその場から離脱する。

(出血が酷いです。

早く処置を!)

切羽詰った声がエンブリオを急かす。

それを聴き、エンブリオは肩口から無くなっている傷を直接左手で押さえつける。

その程度では止まらない熱い液体は、ボタボタと指の間をすり抜けて、上着とズボンを濡らしていく。

内心、人の体にこんなにも水分が含まれていたことに驚きながら、エンブリオは答える。

(落ち着いてください。

死に掛けているのは私なのに、貴女が冷静さをなくしてどうします)

エンブリオは冷静さを装いながら、大量の出血で失われた酸素のせいで酸欠気味になっていた。

唇の青さからチアノーゼの症状が窺える。

思考が停滞しそうになる。

流れ出る血液が体温を外へと連れ去り、寒さから歯が勝手に震えだす。

心臓に近かったのを考えると、出血よるショック死をしなかっただけ儲けものだった。

急激な出血が脳に送る血液を減らし、貧血が眩暈と吐き気を込み上げさせてくる。

重力に抗う二つの足から力が抜けていきそうになるが、吹き出る傷口を抉り意識を取り戻す。

(形状を戻している余裕はありませんね。

テイヤノーラ、出血だけ食い止めてください)

(わ、わかった!)

指示だけ与え、エンブリオは霞みがかった意識でしっかりとノーストライザを視界に納める。

ホワイトアウトしそうな意識を何とか呼び戻し、ノーストライザの位置と状況を確かめる。

ノーストライザの襟元がベットリと首に張り付いていた。

エンブリオの剣は喉元を掠り、それは動脈まで達していらしく首元を赤く染めていた。

鳩尾への一撃が決まったのは、エンブリオと同じく出血による思考の低下によるものだった。

左肩の付け根から、元栓をしめた蛇口のように毀れる体液が止まる。

だが、既に失われた血液は四分の一に相当する量に達していた。

寒さから打ち鳴らす歯を噛み締め、エンブリオは自分の状況を把握しようとする。

全身の感覚が鋭敏になりながらも、麻痺したように痛みが伝わってこない。

どれだけ間、打ち合っているのだろうか?

凝縮された時間が数分にも何時間にも思わせた。

エンブリオは自分のものとは思えるほど、躰が脳からの命令を鋭敏にこなす。

こんなにも人の体は動けたのかと驚くほどに。

テラングィードとの絶望的な戦闘では、これほどの動きをすることは出来なかった。

(…これは本来持ち合わせていたもの。

貴方が自分のことを信頼し、開放してあげればもっと躰は応えてくれる。

そして私も)

テイヤノーラの寄せる信頼と怯えに満ちた声がする。

それは無理をすれば、答えた分だけ死に近づくことを暗示していた。

其れほどまでに、エンブリオの体は限界に近づきつつあった。

(貴方は失望して自分を信じることすら忘れていた。

最も信ずるべきは己だということを)




耳が痛い。

赤凪と会話するまで、一番信頼が置けなかったのは自分自身に他ならなかったのだから。

ここ最近は、自己嫌悪だけが心中を燻っていた。

テラングィードへの憎しみに駆られ、テイヤノーラの言葉から逃げた。

そして罪を伴い、災いを振り撒く赤凪と出会った。

その罪の重さに激怒し、戦いを挑み、負かさた。

最後にその敗北を引き摺り、本命であるテラングィードに屈辱の敗北を与えられた。

勝てなくて当然だった。

自分が行ってきた行動の全てが、自分自身の信頼を喪失させるものばかりだった。

そう、あの頃と同じように自分の中に世界を創り上げ、不幸と言う美酒に己を浸して酔っていたのだ。

又繰り返してしまうところだった。

吹っ切れたと言えば嘘だが、それでも最低限に自分を、そして己の信念だけは信じられた。

赤凪の苦悩、ノーストライザの願望、テイヤノーラの優しさが揺らいでいた信念を確固たるものに呼び戻してくれた。

(テイヤノーラ、私は弱い人間です。

自分も満足に信じきれないような未熟者です。

…でも、もう逃げるのは沢山です。

こんなことを頼めた義理ではないのは重々承知ですが、…私を支えてくれませんか?)

ハッと息を呑むような感覚が過ぎる。

自分の弱さを吐露し、そして誰よりも信じているものを拠り所にさせてくれと懇願した。

その言葉は恥ずかしいものではあるが、恥とは思わなかった。

自分の現状を見つめ、その上で必要な、掛替えのないものへの欲求を吐露したに過ぎない。

だからこれは、こんな自分を信じてくれた者への、そして信じてくれた自分を信じるための儀式でもあった。

(…私なんかでいいんですか?

私は、私を偽れない。

だから、前みたいに貴方が道を踏み外せば、辛辣な言葉を投げかけるかもしれませんよ。

…それに私では支えて上げる事はできても、慰めてあげることも、癒してあげることもできません。

…そして人ですらない)

(…そんな理由で断らないで下さい。

私は只の男で、貴女は女。

それだけですよ)

(でも、触れることも、温もりを伝えることもできない)

(つまらないことです。

この数日、貴女の声を聞かなかっただけで、私は脆く儚い存在になれ果てていた。

失くさないと気づかない、愚かな私を許して欲しい)

(許すも何も、私に貴方を責める権利なんてない。

貴方が必要としてくれるなら)

(…貴女は意味がなくても、私を好いてくれたと言った。

それが真実なら、受身ではなく、自分の言葉で言って下さい。

そうしないと、私は貴方と意味を探せない)

(…無粋ですよ。

こんな殺伐とした状況で答えを求めてくるなんて)

(ムードがなくて済みません。

だけど、後悔はしたくない)

自分の命が風前だと悟り、なけなしの気持ちをぶつける。

(駄目です)

拒絶。

正直、腕を切り落とされ、体液を大量に失ったとき瞬間よりも意識が朦朧としてきた。

(私はこんなムードの欠片もないところで返事をするつもりはありません)

(…はい?)

(生きて、ちゃんとした場所、時を踏まえた状況で答えますね)

朦朧とした思考では意図が掴めない。

(…死ぬ気は失せましたか?

私の返事は生き残らないと聞けませんよ)

なるほど、そう言うことかと納得すると唇から震えが微笑に変わっていた。

絶望的な状況でありながら、活力が次第に蘇ってくる。

(テイヤノーラ、感謝します。

やはり、貴女は最高の女性だ)

もし肉体が存在したなら、テイヤノーラの全身は赤く染まっていたことだろう。

(生き延びますよ、絶望の底からでも貴女となら)

意志の力が、失われかけていた瞳に戻る。

それは決意の表れであり、信念を貫こうとする一人の人間の輝きであった。

そしてヌール ジャハーン、テイヤノーラとの繋がりが今まで以上に強く感じた。

(…そういうことでしたか。

同じ味を持ち、違う意を唱える。

だから、私たちは別の存在であり、同じ場所にいたのですね)

テイヤノーラを強く感じることで、彼女の意味を捉え、そして自分の意味が魂の奥底から浮上してくる。

(そうです。

私は私の意味に従い、貴方を支え、貴方は貴方の意味に従い、志を貫く。

それが、私達が持つ魂の意味。

連なれば連なる程に幅を狭め、代わりに強固な鎧を纏う。

それが輪廻の定め。

だけど、本当はそれは強固になるのではなく、個を確立するということ。

誰も受け入れない連なりは滅びを招くのみ。

だけど貴方は、受け入れられる意味を持って生まれた。

貴方が貴方を貫く限り、{し}は{志}となり、私は、{し}を{支}に変えられる)

(皮肉なものですね。

私たちは一歩間違えば、{死}を背負うことに成りかねなかった訳ですか。

でも、私は私の意味を見つけた。

大丈夫、もう{死}に見入られることはありません)

左手をノーストライザに突きつけ、青ざめた顔で微笑を浮かべる。

「これが答えです、テイヤノーラァ!」

雄雄しく叫び、一筋の閃光をその左手より放つ。




「クハァァァ!」

腹部への強打が、肺に溜まっていた空気を根こそぎ持っていく。

それに伴い激しく咳き込みそうになる。

それを無理やり堰きとめ、ブラックアウトしそうな意識を呼び戻す。

ぼやける視界に輪郭だけのエンブリオが投影される。

(脳に近すぎたか)

ノーストライザは、首元から勢いよく流れる血の滴を手の甲で拭い、地面に振り払う。

何滴もの血が土に混じり、土色から浅黒い色へと変色させた。

視界がぼやけ、虚像を見ているような曖昧な映像しか映し出さない。

血が流れすぎて、朦朧とした意識がそう錯覚させていた。

紅槍が断ったエンブリオの右腕。

それが事実だということを告げるように、左袖から自分のものとは違う血臭が漂ってくる。

そして足元から水溜りに踏み入れたような感触がする。

恐らく、落ちた(ふくろ)から毀れた液体が足元を満たしているのだろう。

(致死量だな、これは)

そう判断を下しながらも、警戒を解くことができない。

定まってきた視点が、エンブリオの蒼白な表情を映し出す。

立っているのもやっとといった感じなのに、その闘争心は衰えることなく、ノーストライザを捕らえていた。

(ノースト、どうしたの?)

デスエーラの問いかけに反応せずに、ノーストライザは自分が培ってきた経験が発する警鐘に集中していた。

全身の毛穴が開ききり、脳が熱に犯されたようにカッカとしてくる。

(なにが起ころうとしているんだぁ!)

警鐘が頭の中にこだまし、どんどんその音を強めていく。

エンブリオが左手をノーストライザに向けてくる。

そして、ノーストライザは体から吹き出る冷や汗が最大の警鐘だと悟り、その場から全力で逃げ出す。

「これが答えです、テイヤノーラァ!」

その叫びが引き金となり、エンブリオの掌から激しい閃光が迸る。

(!!)

その閃光はノーストライザが避ける間も与えずに、その左足を貫き、太ももに拳大の大穴を空けた。

「グゥゥゥッ!」

悲鳴が口に付きそうになり、必死に堪えながらノーストライザはエンブリオを睨みつける。

(ノーストォ!)

デスエーラの叫びと共に、貫通した穴から見慣れた液体が流れ出す。

ドボドボと辺りを大量の赤が満たした。

第二の心臓と呼ばれ、心臓に血液を送る腓腹筋(はいふくきん)の近場に穴が開いた為に、勢いよく命の元が吹き出ていく。

(バカなぁ!

防御膜は何とか間に合った筈なのに、貫通しただとぉ!)

驚愕と戦慄が迸った。

(…まさか、そんな)

呆然と呟くデスエーラの声が、遥か彼方からするように遠く聞こえた。

そして、恐怖を隠すことなく切羽詰った声音でノーストライザに告げる。

(ダメェ!

ダメよ、逃げて!

この闘いに勝ち目はないわぁ!)

懇願に似た悲鳴。

(…本気で言っているのか?)

全てを拭い捨て、この場に立っているノーストライザに対して、「逃げて」は死よりも無様で屈辱的な言葉だった。

(お願い!

貴方の望んだのは運命に左右されない闘いでしょ!

こんなのフェアじゃないわ!)

デステーラは怯えながらも、憤慨していた。

(自分の根源を探り当てたんだわぁ!

こんなの実力じゃないわ!)

エンブリオと、最期の最期までふざけた運命で弄ぶ現実に、デステーラの怨嗟の悲鳴を吐いた。

それはノーストライザだけに響く。

(…運命が左右した。

…違うぅ!

これはアイツが闘いの間に見出したアイツ自身の力だぁ!)

(根源は定め!

そんなもの運命以外のなにものでもないわ!

それを実力と認めてしまっていいの!)

(…運も実力と誰か言ってたな。

なら、自分の根源すら受け入れ、それを自分のものするのも又、実力と言えるのかもしれない)

自分言葉で気がついてしまった。

(…ノースト)

(遣らせてくれないか?

最期まで我侭ですまないが)

(…バカな人。

何でこんなバカに附いていこうと想ったかしら)

(す)

(謝ったら許さない!

付き合ってあげるから、謝らないで)

(…バカな女だな。

どうしようもない程いい女だ、お前は)

(…ありがと)

ノーストライザ、デステーラは互いに言うべき言葉を言い終える。




砂時計のように落ちていく命の砂が残っている内にと、ノーストライザは右足に下半身の力を集中する。

エンブリオもその左手に蒼剣を宿し、最期の勝負を迎えようとしていた。

「「ウオオオオオオオオオーーーーーー」」

どちらともなく咆哮をあげ、デッドラインを踏み切る。

死に掛け寸前、とてもそんな人間の動きではなかった。

限界ギリギリまで引き絞られた弓。

そこから放たれた矢の如く、空気の壁を突き破り激突する。

ノーストライザの神速の突きが、エンブリオの心臓目掛けて姿を消す。

エンブリオの神速の斬撃が、ノーストライザの胴体目掛けて姿を消す。

ギィィィィィーーーンッ!

槍の先端と剣の刃、互いの概念武器が中間点でぶつかり合い、信念が正面衝突をする。

「「―――――――――――オオオ!!!」」

ぶつかり合う武器は己が信念。

より、自分の信念を貫けるものが勝者となる。

…紅い槍が先端から罅割れていく。

崩壊を始めた槍は、最早剣撃を留めておくとことが出来ずに、刃はノーストライザに奔る。

(ダメェェェェェェェェ!)

自分の信念を打ち砕かれたノーストライザは死を覚悟し、刃を受け入れようとした。

だが、脳裡いっぱいに上げられた悲鳴、ホープダイヤが煌々と輝きだす。

そして刃が奔った胸元に紅い盾が形成され、エンブリオの一撃を瞬間だけ留める。

急速にノーストライザの左眼窩から、熱が失せていくのを感じた。

こうして、{()}の根源はこの世から去ったのだった。

「バカやろうがぁ!」

ノーストライザは乾坤一擲の力で拳を握り締め、硬直したエンブリオの眉間に拳を打ち込む。

ゴスッ!

急所に拳が刺さるが、エンブリオの強靭な意志を奪うことには及ばず、盾を切り裂きノーストライザの胴体を刃が到達する。

「アアアアアアアアアアアアァァァァァァァ!!!」

その悲痛な叫び響き渡り、ノーズトライザの右腕から胴体に刃が通り抜けた。




「・・泣・い・・いる・・か」

顔に滴る滴。

それが誰であるかは、出血で失った視力が無くても分かった。

「…デ…ミタス」

懐かしい気がした。

そう言えば、穏やかな時間を過ごせたのはデミタスに成ってからだったなと、間抜けなことを思い出す。

後何秒生きていられるのだろうか。

その前に告げにといけない。

そうしなければこのバカは全てを背負って生きようとする、そんなお人よしだ。

「それで・・いい。

おま・えが・・ころし・・たのは・ノ・スト・・ライザ。

ただの・・あん・・さつしゃ・だ」

全身の感覚がまるでない。

だが、暖かなものが俺の左手を掴んで、ギュと握り締めているのが分かった。

「だから、お・れの・・・しを・・せおう・な。

い・いな」

どうせこいつの事だから、首でも横に振っているんだろうな。

もっと早めに気がつけば良かったのだろうか?

いや、この闘いを通さなければ理解しなかっただろう。

運命なんて言葉で託けて、逃げ道を作っていたことに。

そしてエンブリオにいつも救われていたことに。

そう、この闘いは無駄じゃない。

デスエーラと俺の死は、必ずコイツが糧にしてくれる。

確信していた。

だから、今安らかでいられるのだと。

何処までも自分の甘さに呆れながら、俺は何とか残った力で胸ポケットに手を突っ込み血塗れのジッポを取り出す。

そこには馬が高らかに前足をあげたフォルムで描かれていた。

俺のお気に入りの一品だった。

結局、又壊すことも出来ずに、こうして隠していた。

見えないので、虚空に手を彷徨わせるとエンブリオがその手を掴んでくれた。

「これ・・かえす・わ。

おと・・な・になっ・・たら・つか・えよ」

それが限界だった。

何だか心が軽いや。

自然と笑みを浮かべることが出来た気がした。




{()}の根源はこうして輪廻の渦へと旅立っていくのだった。

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