1-53:塔への帰還
キュアリーがコルトの森本来の領域へと立ち入ったのは村を出て僅か10分後の事であった。
そもそも、このコルトの森には大きく分けて二つの領域がある。
一つはこの森にある塔を中心とした領域であり、もう一つはその領域以外の場所となる。
そして代表的なエルフの森の物語に出てくるように、入る者を惑わすのはこの塔の周辺の領域の事であった。
「何かぞろぞろ付いてきてるけど、此処に入ればもう平気だね」
キュアリーは傍らを歩くルルの頭を撫でながら塔へ向かって進んで行く。しかし、その方向は後方から追いかけてきた者達からすると塔から大きく逸れているように見える。その為、一瞬足を止めて遠くに見える塔と前を行くキュアリーの後ろ姿を見比べてしまった。そして、それがこの先における決定的な失敗を招いた。
「え? キュアリー様の姿が消えたぞ!」
塔を見て、そしてキュアリーの後ろ姿を見つめ、思案しながらもキュアリーを追いかけようとした面々のその目の前で、肝心のキュアリーの姿が忽然と消え去ったのだ。慌ててキュアリーが消えたと思われる場所へと駆け出しそれらしき場所に佇むも、その場所に何某かの仕掛けは見当たらない。
「まずいな、見失った」
「見失ったと言うよりも、忽然と消えたというべきだね」
キュアリーの後を追尾していたゾット達はドラゴン達に隠れるようにしながら常にキュアリーを目視できる位置をキープしていた。しかし、まさか目の前で忽然と消えるとは想像だにしていなかった。
「これはおそらくだが結界だな。そもそもエルフは精霊結界が得意な種族だ、しまったよなエルフの誰かを連れて来るべきだった」
「これって無闇にこの森に踏み込んでも意味ないよね」
会話する二人の目の前でドスドスとドラゴンがまっすぐに森へと踏み込んでいく。
その様子を眺めていると、今の場所からはるかに右の方角でドラゴンらしき鳴き声が上がる。
「もしかしてここから入って、あっちへと抜けたか?」
「かもしれん。だが試したくは無いな、出れればよいが延々に森の中をループさせられたりしたら詰むぞ?」
森の樹に寄りかかる様にして横たわる骸骨、そんな情景が容易に想像できた二人だった。
「だが、エルフの村から歩いてまだ10分経つか経たないかだぞ? なんでこんなに近くに塔の結界があるんだ? 普通なら有り得ないだろうが」
「エルフ達には影響が出ないのかもしれない、仕方が無い、誰かいそいで読んで来るぞ」
此のまま無策で森へと踏み込んでいくほど二人は無謀では無い。引き時というものを理解しているが故に急いでエルフの村へと向おうとして、彼らは目の前から走ってくるエルフ達と鉢合わせをしたのだった。
「お前達は今回の難民の中で見かけたな、村での受け入れ判断が行われぬうちに何故この様な場所にいる」
コラルは前方から始めから周囲を警戒し進んでいた。そして、同行する衛兵達にも同様に気配を極力消すように指示をしていた。この先にはドラゴンや魔獣達がいる事は確実であり、それ故に急ぎながらも可能な限り刺激しない様に進んでいたのだった。そして、それ故にコルトは前方から来る者達の気配に気が付き、逆にゾット達は土壇場までコラル達に気が付く事が出来なかったのであった。
「確かエルフ達の警護をされていた方か」
コラル達の姿を視認し、すぐにゾット達は敵意が無い事を示すように腰に下げた武器から大きく手を放した体制でコラル達を迎える。ここで彼らと争う事は今までの苦労を水泡に帰す可能性がある。それくらいの判断はゾット達でも出来た。
「再度問う、なぜこのような場所にいる」
いつでも戦闘に入れるよう態勢を換えるコラルに対し、ゾット達もいつでも動きがとれるように態勢を落しながらもコラルへと声を掛け続ける。
「まてまて、我々は争うつもりは無い。此処まで来て貴方達と争っても我々には何のメリットも無い」
「そうだ、私達はこちらへと向かうハイエルフ殿やドラゴン達に興味を持ち、ついその後について来ただけだ。特に他意は無い」
二人の様子にコラルも少しではあるが警戒を緩める。不審な点は多々あれど、今はその事に関わっていられる時間は無いのだ。
「それで? なぜこの場に戻ってきた。まだ広場から左程離れてはいないぞ?誰かが今も追尾しているのか?」
コラルの問いかけに二人は先程の出来事を隠す事無く説明する。そこには、コラルはともかくとしてその後ろにいるエルフの衛兵であればとの思いもあった。
「村からこれほど近い距離に結界が?」
長きに渡ってこの森の警邏を行っているコラルにとっても、そのような話は今まで聞いた事が無かった。
それ故に彼らの言葉に疑問を持ちながらも、慎重に彼らを先行させながら件の場所へと辿り着いた。もっとも、それこそ目と鼻の先の場所であったのだが。
「それで? この先へ歩いていくと姿が消える?」
ゾットの説明にコラルは顔を顰めた。周りに何か不自然な所は無いかと気配を探るがそんな様子は何処にも感じられない。だからと言って説明を試すためにこの先に進む事は出来ない。
「どうだ、何か感じるか?」
「いえ、結界が張られているようには感じないのですが」
エルフ達も確認をしているが、この先に何かがある様には見えない。
コラルは足元に落ちている石を拾い前方にある木の幹に向かって投げつける。
カーーーーン!
石が幹に当たる甲高い音が周囲へと響き渡った。その木は結界があると想定されている場所から10メートルは奥にある。
「石などの無機物は通るのか? それとも既に結界は解かれているのか?」
状況が掴めずに立ち止まるが、その間にも時間はどんどんと経過していってしまう。もしもキュアリーが塔に籠ってしまえばそれこそ1年2年どころの話では無く平気で100年とか籠ってしまう可能性がる。
「仕方が無い、お前達は村に戻りアリア様に状況を説明しろ。それとそこの二人はどうするかな?」
「貴殿がこの中へと進むのであれば私は同行させて貰おう。ただバドルは報告の為に戻らせてほしい」
コラルの視線に応え、ゾットはすかさず提案をする。ゾット自身もこの結界の先に進めるのであれば進みたいのだ。その為、明らかに自分達と同等の実力は有ると思われるコラルの同行は歓迎出来る事であった。
「ふむ、良いだろう。本当に姿が消えるのかどうかは解らないが、とにかく進むしかない。おい捕縛用のロープを持っていたな、それをこっちに寄越せ」
同行していたエルフの衛兵にコラルは突然命令を出す。そして、その命令にゾットとバドルは緊張を高め警戒した視線をコラルへと向けた。
「勘違いするな、たかが3メートルくらいしかないロープではあるが多少は役に立つだろうよ」
二人のその様子に気が付いたコラルは苦笑を受けべながらロープの一端をエルフに持たせ、反対の一端を自身が手にして森の中へと向かって歩いていく。
「なるほど・・・・・・」
コラルのその様子を眺めていたゾット達がコラルの意図を察する。ロープがピンと張った段階でコラルは足を止めるが、そこは一応なりとも結界の内側と想定されていた場所であった。
「ふむ、特に何処かへ飛ばされる気配は無いな」
「ここからは私がそのロープの端を持とう。そして少しずつ森へと立ち入ってみれば変化は起きると考えられる」
コラルが自身の様子を確認していると、ゾットが前に進み出て衛兵に声を掛け、コラルの同意を得た後にロープの端を受け取った。
「さてさて、どうなるやら。ゆっくりと進むぞ」
コラルがロープを引っ張る形で更にゆっくりと前進を始める。
「ロープで繋がっていれば進めるのであればまだやり様はありそうだな、一応この事も報告に加えろよ!」
後方で見届けている衛兵達にそう告げながらも油断なく前方の気配を探っていく。
そんな状況下の中においてもどれだけ長いロープがいるのか、糸が代用出来れば、そんな事も併せて考えながら更に数歩前へと進み出た時、コラルの視界が今までとは突然変わった。何が起きても良いように備えていたコラルであったが、案の予兆も無く起きた変化はあまりに突然であった。まるでコラルを嘲笑うかのように彼の視界いっぱいに何かが迫ってくるのが見えたが、とてもそれに反応する余裕は無かったのだった。
ドゴン!
「ぐへぇ」
「どふぇ」
咄嗟に体に力を入れ、その衝突に備えた。しかしその衝突によって肺の中にあった酸素が一気に吐き出され、後方へと弾き飛ばされる。そして更に運が悪かったのはゾットであった。
前方にコラルが居る事で彼はどちらかといえば左右後方へと注意を向けていた。それ故に前方から跳ね飛ばされてくるコラルに備える間もなくまともに衝突してしまったのだ。ただゾットは意識を失う寸前に、コラルの前方で暴れるドラゴンの姿をなんとか視認した。もっとも、そこから闇の中へと意識は旅立ったのであったが。
コラルとゾットルの後ろ姿が目の前で消えたのを確認した衛兵たちは、踵を返して村へと全速力で戻った。
目の前で起きた現象ゆえに、結界が間違いなく作動している事、そしてその事に何の対策も出来ない事も含めて彼らは理解していた。
隣で彼らと同様に変化を確認していた者になど視線を向けることなく、全速力で村へと戻り始めた。
「見事だね、俺なんかに一切気を取られる事無く戻りを選択するとは」
バトルは衛兵の後ろ姿を眺めながら自身はどうするか思案に悩んでいた。
「このままただ報告っていうのも脳が無いが、はてさてどうするか」
どこかからコラルやゾットの声が響かないかと耳を澄ましてみるが、何処からも人の叫び声は聞こえてこない。緊急用の犬笛の音も聞こえてこない。
「下手すると即死って可能性も無くは無いと思うのだが」
そんな事が頭を過りはするが、とりあえず自分も主人を迎えに行く事にしたのだった。
自分を追いかけてきている者達がそんな目にあっているとは思ってもいなかったキュアリーではあったが、追手の気配が途切れた事には敏感に反応した。そして安堵の溜息を吐きながら、漸く我が家たる塔への道を足早に進んで行く。
キュアリーの歩みに合せ目の前の木々が左右に割れ、塔への道を形作っていく。その道をただ進みながら次第に大きくなる塔の姿にキュアリーの緊張は弛んでいった。
そして、漸く森を抜けて塔の建つ開けた空間へと足を踏み入れた時、彼女が丹精に育ててきた花壇の手前に置かれている白いテーブルに座りゆったりとお茶を楽しむ一人のハイエルフと思しき女性の姿が目に入ったのだった。
「・・・・・」
予想だにしない光景に絶句し、立ち止まったキュアリー。そしてその傍らでちょこんとお座りをするルル。
しかしルルはその人物に気が付きながらも決して警戒する様子を見せない。それは主人であるキュアリーがその人物に対し警戒する事が無いからでもあった。
そしてその女性は漸くキュアリーの姿に気が付いたのか、視線をキュアリーへと向け満開の笑顔を浮かべたのだった。
「キュアリーちゃんだ!よかった~~~~、もうお腹ペコペコだよ!このまま飢え死にしちゃうかと思ったんだから!」
とても言動と一致する事のない優雅で椅子から立ち上がった女性は、そのままキュアリーへと飛びつくかのように走り出して・・・・・・転ぶのだった。
「ふ、ふ、ふぇぇぇ~~、お腹すいたよう~~~」
幸いにして芝が敷き詰められている為に怪我は無い。ただその状態で上半身を起しながら涙をボロボロ流す女性に、キュアリーは溜息を吐いて女性に近づき腰を落した。
「何をしてるんですか?きゅまぁ」
「ご飯待ってたの」
その返事に再度溜息を吐くキュアリーであった。
お待たせしてしまいました。
いえ、待ってないよと言われたらショックですがw




