1-3:叔母と甥
周りが訝しそうな顔をする中、少女は何かぶつぶつと呟き中空を眺めている。
サイアスを含め周りで見ている者たちは何をしているのかまったく理解できず、又問いかけたサイアスは次の動作をどうして良いのか判断が付かず固まった状態であった。
「あ、名前ですね、キュアリー・アギオ・アルマニアと言います。名前なんて久しく名乗る機会がないから焦りました」
キュアリーが名前を告げた途端、周りにいた兵士達、そして遠巻きに状況を見ていた恐れ知らずの住民達は慌てた様子で跪いた。今、キュアリーが告げた名前はエルフ達が子供の頃から習う教科書に、また童話にすら当たり前に出ている名前であり、エルフ全体の守護者の名前だったのだ。ただ、この書籍の編集に前の長老であるアルルが大きく関わっていたことを知る者は余りいない。知る者達の多くはすでに鬼籍へと名を連ねていた。
その名前を聴きホルンは血の気の引いた顔色をしていた。又、常識に照らし合わせても目の前の小娘が守護者である事など信じられなかった。
「騙されるな!こんな小娘が守護者であるはずがない!」
その言葉に周りにいた者達にも疑惑の心が湧き上がってきた。しかし、その中でもまだ比較的冷静に判断出来た者は少女が守護者である事を疑うことは出来なかった。なぜなら、精霊達が少女を慕い、守護している事を感じ取れていたからだった。
「この者はエルフの巫女である、アルル。これは先ほどキュアリー様よりわたしが渡されたカードに記された言葉です。そして、このカードに刻まれた魔法印は間違いなく先代様の刻印です」
サイアスは、ホルンの言葉を否定するように周りに先程キュアリーから渡されたカードを掲げた。そして、ホルンにも見えるようにそのカードを突き出した。しかし、ホルンに渡そうとはしなかった。
「エルフの巫女など聞いたこともないわ!」
ホルンのその怒鳴り声に、今度は周りにいる者達すべてから驚きの声が上がった。そして信じられない者を見るような視線をホルンへと向けたのだった。
「あなたはエルフの聖典をお読みになったことはないのですか?」
サイアスのその問いかけに、ホルンは自分が地雷を踏みぬいた事に気づいた。エルフの聖典とは、すべてのエルフが等しく平和に暮らせるためにと先代である長老が書き記したエルフのエルフによるエルフが幸せになる為の心得が書かれている物だからだ。そして、この聖典は元老会議においても自らの言葉に偽りがないという宣誓に使われる。
もし、エルフの巫女がこの聖典内で書かれているのならば、自分は聖典を読んでいませんと宣言するに等しい。
「ふん、今はそんな話をしている場合ではない、聖典にちょっと出てくる巫女の事などどうでも良い。問題はそやつが騙りであり我らエルフに敵対しているという事だ!貴様らもとっととその小娘を始末しろ!元老員に逆らう気か!」
大声で怒鳴りつけ、兵士達への主導権を取り返そうとしたホルンは、ここで最悪の選択をしてしまった事に気が付かなかった。読書を好まず、また先代長老であるアルルに対し苦手意識を持っていたホルンは未だかつて聖典を開いた事すらなかったのだった。
「中身の半分以上が巫女の事を書かれているのに」
「ホルン様はまさか聖典を読んでないのでは・・・」
「ばか!元老員だぞ!迂闊なことは言うな」
先ほど以上の声が辺りに広がり始めた。そしてホルンが周りを見渡すと誰もが非難するような、異常者をみるような、何とも言えない視線を向けていた。
その後、いくつか条件反射的に言い訳をすればするほどホルンへ向けられる視線は厳しいものへと変わっていった。
この為、なんとか挽回するためにホルンは咄嗟にキュアリーへと単独で攻撃を仕掛ける事も考えた。しかし、精霊魔法に特化している自分にとってこの忌々しい小娘を倒すのはそう容易いことではない事は理解できた。しかし、この今の状況を脱出する術が思いつかない事も確かであった。
その時、さらに街の奥より多数の黒衣の兵士達が現れた。そして、その先頭には2名のホルンと同様の衣装を身に着けた男女が歩いている。
サイアスや正規兵だけならまだしも本来黒衣の兵士は味方のはずのホルンがその一団を見て顔を引きつらせる中、キュアリーは不思議そうに先頭に立つ男女を見つめた。
「うん、丸いエルフがアルルさん以外にもいたとは・・・」
「クゥゥン?」
キュアリーの呟きにルルが反応し、ただ意図が解らず首を傾げる。そんな事をしている間にエルフの男女が目の前までやってきていた。
「あらまぁ、ホルンこれは何事なのですか?」
感情が一切感じられないと思われるほど冷たい光を放つ目を持つ女性のエルフが鋭い視線をホルンへと向ける。そして、その視線とはまったく逆に隣の男性のエルフは興味津々といった目つきでキュアリーと、傍らにいるルル、そして空を漂う精霊達へと順番に視線を移していった。まるでそれに対抗するかのように、男性に、女性に、背後の兵士達にと遠慮なく視線を投げかけていたキュアリーが、最後にまた男性へと視線を向けると、そこで両者の視線が交わった。
キュアリーが、まったく悪意の無い笑顔を新たに現れた一団へと向けると、またもや黒衣の兵士達から困惑の気配が漂ってくる。しかし、その気配を打ち破るようにホルンが新たな一団へと訴えかけた。
「ファリス殿、この小娘が門を破り、それを防ごうとした儂の息子のホルトを殺したのです!儂は急ぎ駆けつけたが間に合わず、それ故息子の敵討ちをしようとした所、愚かにもサイアスが惑わされ戦闘となった所なのだ、頼む助力をしてくれ」
「な!何を出鱈目をいうか!貴様「黙りなさい!いつ貴方に発言の許可を与えましたか?」」
サイアスが咄嗟にホルンの言葉を否定しようとした時、ファリスと呼ばれるエルフがサイアスの発言を遮った。
「し、しかし!」
「私は黙れと言ったのです」
再度サイアスが発言をしようとした時、またもやファリスによって発言は断ち切られた。悔しそうに黙り込むサイアスをホルンは俯きながらも口元に笑いを浮かべた。どんなカラクリがあるのかは知らないが、ファリスと、元老院首長にして現在の長老であるアルトに任せれば精霊を操るなど容易い事だと認識していたからだ。
「う~~ん、なんかお姉さんその上から目線の話し方好きになれないなぁ」
キュアリーがそのやり取りを見ていてそんな言葉をファリスへと告げる。そして、その言葉を聞いたファリスが刺すような鋭い視線をキュアリーへと突きつけた。そして、その銀色の髪に驚きながらも値踏みをするようにキュアリーを見下ろした。
「その精霊の懐きようただ者とは思えませんが、お前は誰?」
それでもやはり上から目線のような話し方を改めることなく、ファリスはキュアリーへと問いかけた。しかし、その回答は思わぬ所から返されたのだった。
「叔母上だよ、私のな」
「「「は?」」」
「聞こえなかったか?わたしの父である先の長老の妹君、キュアリー殿だ。叔母上、以前一度お会いしているのですが覚えておられますか?」
問いかけるアルトに向け、ニコリと笑いかけながらキュアリーは答えた。
「うん、ごめん全然覚えてない、でも、体型からしてそうじゃないかな?っとは思ったよ。でもね、絶対に譲れない部分があるから訂正しとくけど、あたしは実妹じゃないからね!」
そのキュアリーの言葉に、アルトは苦笑いを浮かべた。そして、周りにいる者たちに対し改めて伝えた。
その時、ホルンが真っ青な顔で何か叔母、叔母っと呟きながら地面にへたり込んだのだが誰もそれを気にした者はいなかった。
「解っているかと思うが、叔母上はコルトの森の主だ。われわれは叔母上の許可を受けてこの地へ移住を果たした事を忘れてはいけない」
そのアルトの言葉に、全員が驚きの表情を浮かべた。そして、全員の表情に驚きがある事を確認したアルトは、内心の不安を誤魔化しながら尋ねた。
「申し訳ありませんが、叔母上までなぜ驚いて見えるのでしょうか?」
「え?だって移住って今の言葉だとエルフの森無くなっちゃったの?」
そのキュアリーの言葉に今度はアルトが驚きの表情を浮かべた。そして、周りにいるエルフの内若い者たちは何を言っているのかという表情を浮かべていた。
「驚くのはそこですか・・・叔母上、叔母上が言ってみえるエルフの森とはイグリアにあった森の事ですね?」
「うん、そこ」
その言葉にアルトは溜息を吐きたいのを堪えてキュアリーへと説明を続けた。
「イグリアのエルフの森はもう300年ほど前に無くなりました。合わせて一応の説明ですが、今の世界にイグリアという国は既にありません」
「おおお~~~」
傍から見るとなんか馬鹿にされている気がしないでもないような驚きの声を上げ、キュアリーはアルトを見た。そして、300年前という事で、また別の驚きを味わっていた。
今キュアリーの頭の中には簡単にいうといつの間に300年もたったんだろ?っていうか何か勘違いしてない?イグリアなくなったら国王とか騎士団とかどうなったんだろ?なんて事は一切考えてなかった。
単純にアルルの子供って母親は誰?っとそんなことしか考えていなかったのだった。
「ところで、ホルン殿の息子が叔母上に成敗されたとか、何かありましたか?」
アルトは今までとは違う鋭い視線をキュアリーへと向けた。そして、それは決して友好的な眼差しではなかった。
その事に逸早く気が付いたルルは静かに警戒を強めた。それでありながら、キュアリーは全く気にした様子もなくアルトから視線を外したのだった。
「う~~ん、とりあえず宿取って来るわ、話はそれからかな。なんかゴタゴタした感じだけどそれはそっちで片付けといて」
そう告げると、キュアリーは広場の端に固まっていた人族の女性達の方へと歩き始めた。
キュアリーの態度に苛立ちを感じていたファリスが、口を挟もうとしたがアルトはそれを手を翳すことで留めた。
キュアリーの後姿をジッと眺めるアルトの目は、明らかに敵意を感じさせていた。その視線に気がついたファリスもアルトとキュアリー双方に視線を走らせた後何かを考え始めた。そして、キュアリーもアルトのその視線を感じてはいたのだがそれに対して態度に表すことは無かった。
「ごめんね、ちょっと待たせたね。早く休みたいよね?」
女性と、子供たちにそう微笑みかけながらキュアリーは先ほど紹介された宿へと連れ立って歩き始めた。
女性達はしきりにエルフの集団を気にしていたが、キュアリーが全く気にせずに歩き出したためビクビクしながらもキュアリーに付いていった。
「あ、あの、大丈夫なのでしょうか?」
女性が、恐る恐るキュアリーへと問いかける。しかし、それに対してキュアリーは微笑みかけるだけで女性の不安に対しての回答を全く言葉を返そうとはしなかった。
「あ、宿を依頼してきますので待っててくださいね」
そして、そう言うとそのまま宿へと入っていった。
女性と子供達はどうしていいのか判らないまま、宿屋の入り口で固まっている。
そして、時間が過ぎ思いのほか長い時間が過ぎた。宿の前に居る女性たちはもちろん、広場に居たアルト達も中々出てこないキュアリーを疑問に思ったのか宿のほうへと歩いてきた。すると、そのタイミングで宿の入り口から困ったような顔でキュアリーが出てきた。
「あの、どうされたんですか?」
女性がキュアリーへと訪ねると、キュアリーは意を決したように告げたのだった。
「ごめんね~~、通貨が変わっててあたしの持ってるお金が通用しなかった」
そう告げると手のひらに数枚の銅貨や銀貨、そして金貨を女性へと見せた。しかし、その瞬間駆け込むような勢いでアルトとファリスが走ってきてキュアリーの手のひらに齧りついた。
「「古代金貨だ!」」
そのあまりの勢いに、思わず手を引っ込めようとしたキュアリーだったが、ガッシリとアルトに固定されて引っ込めることが出来なかった。
「う~~ん、とにかく貴重品なんだよね?それなら今の貨幣に交換してね」
ニコリと笑いかけるキュアリーに、アルトは自分が失敗した事を悟った。しかし、貨幣価値が判らないならまだ遣りようがあると心の中で思った。しかし、それが甘いと知るのはすぐ後の事であった。
予定通りに進む事はないんですよね、特に何がとは言いませんが。
とにかく、怒らせてはいけない人は怒らせてはいけないのです。
でも、偉い人にはそれがわからないんですね!